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リレー小説別サイト
リレー小説 http://shosetu.jimdo.com/
こちらは、「リレー小説」の続きです。ここから読み始めてしまった方は、「リレー小説」もお読みください。
ルール ●名前には、必ずニックネームを書く ●書き込みは、次に書く人を指名せず、とりあえず輪番にもしないで自由に
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マコト (木曜日, 19 5月 2016 07:32)
妙先生から、ガッちゃんは1週間の入院が必要だと告げられた。 津路は、先生の言うことなら何でも聞くと言った。 津路は、宇都宮に帰るという予定を変更し、毎日見舞いに来ることをガッちゃんに約束した。 「明日も来るから・・・」 『・・・クゥ~』 その様子を妙先生は、微笑ましく眺めていた。 だが、津路にはもう一度厳しく言って聞かせたのである。 『あのね、あなたがしっかりしないと、ガッちゃんは長生きできないんだからね!』 「・・・はい」 『・・・って、ところですっかりガッちゃんって呼ぶようになっちゃったけど・・・それでいいのかしらね?』 「あっ、そうですよね」 『でも、もう今日は休ませてあげてちょうだい! また、別の日によく二人で相談して!』 「・・・はい」 そして津路は、妙先生に 「あのぉ~・・・」 『なに! もうこの際だから、何でも言いなさい!』 「朝まで、駐車場をお借りしても・・・」 『・・・お好きにどうぞ!』 津路は、駐車場の一番はじに車を移動させ、関口動物病院の看板の灯りの下で眠ったのだった。 翌朝、診察開始の時間を待って、ガッちゃんの元へ飛んでいく津路 探偵として、他にやることがあるだろうよ! と、言いたいところであるが、津路は、ガッちゃんのこと以外は、何も考えようともしなかった。 津路は、その日も駐車場を借りて眠った。 二日目の夜からは、ガッちゃんの名前を考え始めていた。 可愛い女の子の名前となれば、普通なら・・・ ショコラ、プリン、クッキー、チロル、イチゴといった、名前を考えそうなものだ。 (誰かに影響されたかのように、何故か食べ物に関連する名前ばかり?) だが、津路に限っては、彼女の名前に、苗字を付けて考えたのだ。だから、 津路ショコラ・・・津路プリン・・・それは、あり得ないのだ。 何故に、苗字を付けようとしたのかは分からないが、それが津路なのだ。 津路・・・梅子 津路・・・千里 津路・・・八千代 津路・・・オマツ? 「う~ん・・・どうもしっくりこない名前だなぁ」 「なんか、短くてインパクトのある名前がいいんだけどなぁ・・・」 そう、ここまで来た時点で、愛読者のあなたであれば、この次に津路が思い浮かべる名前が容易に想像できるであろう。 さぁ! そして、ガッちゃんは、その名前を喜んで受け入れてくれるのだろうか・・・
マコト (金曜日, 20 5月 2016 12:13)
津路は、二つの名前を思い浮かべていた。 一つは、結衣! 何故か、女の子の名前で一番可愛いのは“結衣”だと思っている津路であった。 「ゆい~」 「うん! これは、気に入ってもらえそうだな!」 そしてもう一つは、モン! これは実に語呂がいい。 津路モン! うん!五右衛門のようだ! ただ・・・さすがに、これはガッちゃんも嫌がるかもしれないと覚悟はしていた。 そんなふうに、新しい名前まで考えて見舞いに行ったのに・・・ それは、ガッちゃんが入院して三日目のこと 津路がいつものように受付に行くと、事務員さんが、 『先生からお話がありますので、ちょっとお待ちください』 「えっ? ガッちゃんに何かあったんですか?」 『・・・すみません、そこでお待ちください』 と、待合所を指した。 「ガッちゃん・・・」 それからの待ち時間は、津路にとって地獄のような時間だった。 受付の人が動くたびに「自分ですか?」と、覗き込み・・・ ようやく、津路の名前が呼ばれた。 診察室に入ると、妙先生から見せられたものに、津路は愕然とするのであった。 「えっ?・・・」
マコト (金曜日, 20 5月 2016 12:17)
津路が診察室に入ると、ガッちゃんが妙先生のひざの上で『ワン!』と、尾をふって出迎えてくれた。 「ガッちゃん!」 ほっとすると同時に、津路はガッツの体に見慣れないものを見つけた。 「あれっ?」 『どうぞ、お座りください』 「あっ、はい・・・先生・・・それは?」 『あぁ、これ? 首輪よ! 見て!』 と、首輪の背中の部分が見えるようにすると、そこには “ガッツ”と、名前が書かれてあった。 「えっ? ・・・ガ、ガッツですか?・・・先生、今日はガッツの・・・あっ、ガッちゃんの・・・いやっ、そのぉ・・・名前を考えてきたんですけど・・・」 『あぁ、そのこと? それならもう必要ないわよ!』 「はぁ?」 『だって、私とガッツで相談して決めたから! この子がガッツのままがいい! ってね』 「・・・そ、そうなんですか・・・」 妙先生が言うには、明らかにガッツと呼ばれたときに、嬉しそうに応えてくれたのだそうだ。 だから、『あなたは、津路さんが名付けたように、やっぱりガッツのままがいいのよね』 と、さっそく首輪をこしらえ、そして、そこに名前を付けてくれたのだった。 『この裏には、関口動物病院の名前も書いてあるから! ガッツが万が一にも迷子になってしまった時のためにね!』 と、妙先生は少しいたずらな顔で津路に言った。 「あっ、そ、それは・・・どうも・・・ありがとうございます」 そして妙先生は、 『今日、連れて帰っていいわよ! この子の生命力には驚いたわ。もう元気になったから、退院していいわよ』 「えっ、本当ですか? ありがとうございます」 『津路さん! くれぐれも! 分かっているわね!』 「はい! ずっと相棒でいてほしいので、しっかり約束事は守って! ですよね」 妙先生が、ガッツに向かって 『行きなさい』 と、ガッツは『ワン!』 と、その様子は妙先生に“ありがとう”と、言っているようだった。 ガッツは、妙先生のひざから飛び降り、津路のひざの上にジャンプし、喜びを体いっぱいで表現した。 妙先生に、深々と頭をさげ、礼を言って診察室を出てきた津路は、受付に行って保険証を事務員に提示したのだ。 『これは?』 「あっ、退院していいと言われたので、お会計を」 『で、この保険証は???』 事務員に、呆れた顔で、あなたの保険証を出されてもと言われたのは、容易に想像がつくであろう。 そして 「こ、こ、こんなにかかるのかよぉ・・・」 と、初めて動物病院の治療費がバカ高いことを知らされた津路だった。 ちなみではあるが・・・ ズボラな津路は、領収書の明細書に目を通そうとはしなかったが、そこには、しっかりと“首輪代30,000円”と書かれてあったのだった。
マコト (金曜日, 20 5月 2016 12:19)
病院を出た津路は、助手席に乗って嬉しそうにしているガッツに 「宇都宮に一度戻るからね」と 車を走らせていると、ガッツが津路に『ワン!・・・クゥ~』と それは、ガッツのトイレのサインであった。 その時の津路には、そのタイミングでのリクエストが、運命に導かれたものであろうとは、知る由もなかった。 「そっか、ちょっと待ってな」 と、ようやく車を停められそうな場所を見つけて停車させた。 そして津路は、申し訳なさそうに、 「ごめんなぁ・・・先生との約束事なんだよ」 と、慣れない“リード”を首輪につけ、車を降りた。 用を済ませたガッツに 「少し、散歩するか?」、『ワン!』と ぎこちない二人の散歩であったが、ようやく様になってきたころ、ガッツが、 「くん、くん・・・くん、くん」と、辺りの匂いをかぎだした。 そう、それは理が運ばれた病院での様子と、全く同じ光景であった。 「どうした? ガッツ」 ガッツは、明らかに匂いを追うように、ぐいぐいと津路の持つリードを引っ張って、進んでいった。 そして、その行先は、旧家の農家風の家に向かっていた。 「おい、ガッツ! そこからは、人の敷地だから行けないよ!」 『ワン! ワン! ワン!』 ガッツが、何かを訴えるかのように吠えたのであった。
マコト (金曜日, 20 5月 2016 12:21)
そこは、農村地帯ののどかなところだった。 農家風の家が点在し、見渡す限り水田が広がっていた。 「ガッツ、どうした? この家に何かあるのか?」 と、そんな二人の様子に気付いたのか、家の中から一人の男が出てきて、こっちに向かって歩いてきた。 近づいてくるその男を見て 「・・・えっ?」 津路は写真でしか見たことがなかったが、それは、まぎれもなく理だった。 理に違いないと思ったのである。 それは、ガッツの様子でも、理であるという裏付けになっていた。 「理君じゃないのか?」 ガッツは、リードを引っ張って行きたがっていたが、一瞬、津路の手が緩んだことで、リードが離されガッツはその男に向かって走っていった。 「あっ!・・・」 その男の前に行って『ワン!ワン!』と、嬉しさを現しているガッツ だが、その男は、ガッツに触れることもなく 『どちら様ですか?』と 「あっ、あのぉ・・・」津路は一瞬、「理は記憶を・・・」と、考えたが、ストレートに体当たりすることを選択したのだ。 「自分は、津路と申します・・・大変、ぶしつけなことをお尋ねしますが、有栖川 理さんでいらっしゃいますよね?」 『はっ? 有栖川?・・・い、いえ・・・違います』 と、その男は津路から視線を外した。 「えっ・・・違いますか?」 その男は、津路に背を向けて、家に戻ろうと歩き出した。 ガッツは、それを追った。
マコト (金曜日, 20 5月 2016 12:23)
ようやく、状況を冷静に判断できるようになっていた津路が 「ガッツ! 戻っておいで!」 津路に呼ばれたガッツは『クゥ~』と、寂しそうな顔をして止まった。 そう、 ガッツは、自分を救ってくれた恩人の匂いを忘れることはなかったのである。 散歩をしているうちに、理の匂いに気付き、匂いが強い方へ進んできていたのであった。 そして、自分を救ってくれた恩人と再会できたはずだったのに・・・ でも、その男はガッツに触れることもなく去って行ってしまった。 そして、津路は、その男を呼び止めることは出来なかったのである。 ガッツは、動かないままその男の背中をずっと見ていた。 おそらくは、寂しさに耐えられなかったのであろう、『ワン! ワン! ワン!』 と、その男を呼び続けていた。 「ガッツ・・・」 津路は、ガッツに近寄り、そして抱き上げた。 「ガッツ・・・理君だと思ったのか?」 「いや、きっと理君なんだろうな、ガッツがここまで匂いをたどってきたんだもんな」 『・・・クゥ』 ガッツの表情は、とても悲しそうに見えた。 「ガッツ・・・よく分からないけど・・・きっと何か事情があるんだよ!・・・きっとな」 と、ガッツを強く抱きしめた。 津路は、理が運ばれた病院のドクターの話を思い出していた。 「全ての記憶を失っているだろうって、ドクターが言っていたよなぁ・・・」 「でも、もう少し話だけでも聞いてくれても良さそうなのに・・・」 「ガッツは、誰にでも愛想をふりまく訳じゃないし、おそらくはガッツの匂いの記憶は正しいはずなんだ・・・だから・・・」 と、その時だった。 「すみません・・・」 と、津路に話しかけてきた者がいた。
マコト (金曜日, 20 5月 2016 17:36)
それは、理と思われる男が戻った家から出てきた高齢のご婦人だった。 その歩みは、高齢であるがゆえの、ゆっくりと、右手に持つ杖の支えを借りての歩行だった。 『すみません・・・』 と、その婦人が津路に声をかけてきたのである。 「あっ、はい・・・」 『さきほど、うちの優(マサル)と、何かお話をされていたようですけど・・・』 「優さんと? あっ、はい」 『うちの優をご存じなのですか?』 「優さんというお名前だったんですね・・・いやっ、実は、私の探している人にそっくりだったものですから、お声掛けさせていただいたのですが・・・私の探している人は、理という名前なので他人の空似だったようです」 と、そのご婦人は、近くの土手に腰をおろして、何か考え事をしているようだった。 しばらくして 『理さんというんですか? あなたのお探しになられているお方は』 「はい・・・有栖川 理、年齢は44歳です」 『それで、どういったいきさつでお探しに?』 津路は、とっさに自分が探偵であることを隠した。 「自分の弟なのですが、群馬県の山中に車を乗り捨て、その後の足取りは、長野の病院で一日だけ入院していたことまでは、つきとめたのですが・・・その病院を抜け出してしまったようで・・・もしかすると、何かの事情で記憶を失っているかもしれないんです」 お婆さんは、もう途中から涙を浮かべて、津路の話を聞いていた。 『・・・そうでしたか』 津路は、お婆さんのそんな様子を見て、おそらくは何か事情があるのだろうと、直感した。 津路は、そのお婆さんの横に腰をおろして、柔らかい口調で話を始めた。 「私は、栃木に住んでいるんです。 あっ、この子はガッツといいまして、さっきお話しした弟が車を乗り捨てた場所で、出会った子犬なんです」 「てっきり、男の子だと思って、ガッツと名付けたんですけど・・・実は、女の子でして・・・でも、なんか気に入ってくれているみたいなので、そのままガッツと」 お婆さんは、津路の話をゆっくりとうなずきながら聞いてくれた。 「ガッツとは、運命的な出会いなのかなぁ・・・なんて思いながら、いま、一緒に弟探しの旅をしているところなんです」 「きっと、群馬の山中で、弟は事故に巻き込まれたか何かで、記憶を・・・」 「もしかすると、ガッツは、その時のことを見ていたのかもしれないんです」 「ここまで来たのも、このガッツが匂いを追って・・・群馬の山中で弟とガッツの間に何かあったのかもしれないなんて、勝手に思っているんですけど」 「弟の理は・・・今は、どこで何をしているのかも分からないのですが・・・もし、何かに苦しんでいるようなら、そこから救い出してあげたいなと思って・・・うん、弟を待っていてくれる人もたくさんいるものですから・・・」 津路は、栞や栞の父親の顔を思い浮かべ、自分に言い聞かせるようにお婆さんに話した。 お婆さんは、目を閉じていた。 それでも、抑えることができない涙が、お婆さんのほほを濡らしていた。
マコト (金曜日, 20 5月 2016 17:38)
津路は、悩んでいた。 「さっきの男は理に間違いないはずだ! そうでなかったら、ガッツがここまで来るはずがないし、何より、ガッツがあんなふうに、喜びを表現するはずがない」 それでも、お婆さんの涙に気付いていた津路は、 「いま、このお婆さんを問い詰めれば、何かを白状してくれるかもしれない! でも・・・」 「お婆さんの様子をみると・・・何か話したくない事情があるかもしれない・・・」 悩んだ津路であったが、お婆さんが自ら話してくれるのを待つことを選んだ。 ようやく、お婆さんが口を開いた。 『おたくさんは、有栖川さんといいましたかね?』 「あっ、私は津路です。津路俊成といいます」 『あれぇ、ご兄弟で苗字が違うのですか?・・・』 津路は、「あっ、そうだった」と、慌てずに 「あっ、自分は結婚して苗字が変わりまして・・・で、今は津路です」と 『津路さん・・・あなたがお探しの理さんとやらは、どんな暮らしをしていたのですか?』 「え~、それが・・・」 と、理がどんな男であったのか、津路が知る全てを話した。 栞と新婚であったこと。 その栞が、ずっと理の帰りを待っていること。 会社の社長をしていて、従業員たちからの信頼もあつく、誠実な男であったこと。 そして・・・ 高校時代に野球でケガをして、左の太ももに、傷があること。 頭にハゲがあること。 と、理の身体的な目印となることも話した。 それを聞かされたお婆さんは、おそらくは、優が理であると確信したのであろう。 意を決したように 『津路さん・・・』 と、話をしようとした。が、その時だった。 5歳ぐらいの女の子が、2歳ぐらいの男の子の手を引いて、お婆さんのところに来たのである。 そして、お姉ちゃんが 『ばっちゃん、ばっちゃん、おかあちゃんが・・・おかあちゃんが』 と、泣きながら何かを訴えてきた。 お婆さんは、 『どうしたぁ、また苦しそうにしているのかい?』 と、慌てる様子もなく、お姉ちゃんを抱きかかえたのである。 津路は 「どうされましたか・・・」 お婆さんは、ゆっくりと話した。 『家で、この子達の母親が・・・ちょっと体を患っていましてねぇ・・・』 「行ってあげないと!」 『あぁ、そうだねぇ・・・でも、行っても何もしてあげられないんですよ』 「えっ?・・・」 そして、お婆さんは津路にこう言い残して帰っていったのだった。 『津路さん・・・少し、お時間をもらえますかねぇ・・・また、2、3日たったら来てください・・・その時にお話しをさせていただきますから』と 津路は、二人の孫と一緒に帰るお婆さんの後姿を見送ったのだった。
マコト (土曜日, 21 5月 2016 09:11)
お婆さんが、家に入るのを見届けた津路は、 「ガッツ・・・行こう」と、ガッツを抱き上げた。 『クゥ・・・』と、寂しそうに津路を見つめるガッツに 「ガッツの気持ちは分かっているよ。また、ここに来るから・・・」 と、リードを持ち直して、ガッツを降ろしたのだが、ガッツは動こうとはしなかったのである。 「ガッツ・・・何か、事情があるんだって・・・きっと、お前のことも思い出してくれるさ、なぁ、だから・・・」 それでも、ガッツは動こうとはしなかった。 仕方なく、またガッツを抱きかかえた津路だった。 帰り道、抱きかかえられたガッツは、理であろう男が入った家をずっと見つめていた。 歩きながら、津路は、これからのことを考えていた。 「お婆さん・・・2、3日たったらって言ってたなぁ・・・」 「とにかく、お婆さんを問い詰めることだけはしないようにしよう!」 と、心に強く思った津路だった。 車に戻った津路は、 「さて、これからどうしよう・・・」 と、お腹がすいていることに気付いた。 「ガッツも、ご飯だよなぁ」 と、関口動物病院で半ば強制的に買わされたドッグフードを取り出し 「ガッツ・・・、今日からは、これがご飯だよ!」 と、車の後部座席にドッグフードを用意した。 「なんか、豆粒みたいなこれがご飯かよ~・・・ガッツ、食べてくれるのかな?」 と、そんな心配は無用だった。 それは、既に関口動物病院で対面していたものであったのだから。 「おぉ~ 美味そうに食べてくれた! 良かった」 「さて、自分はどうしようかな?」 と、ガッツが食事を終えたことを見届けて、車を走らせた。 走り出してすぐだった。 田園地帯の外れに、外見は褒められたものではないが、何故か旨そうな料理を出してくれそうな定食屋さんを見つけた。 「おっ、ここでいいや!」 と、ガッツを車に待たせ、定食屋に入った。 「いらっしゃい!」 高齢の店主と、おそらくは夫婦であろう奥さんらしき人が迎えてくれた。
マコト (土曜日, 21 5月 2016 09:12)
津路は、壁に貼られたメニューに目をやり、 「なにか、おすすめのメニューは、ありますか?」 出てきたご婦人が、 『そうだねぇ、“おしぼりうどん”なんかどうですか?』 「“おしぼりうどん”? って、どんなお料理なんですか?」 『辛味大根のしぼり汁に信州味噌を溶かして食べるんですよ』 「そ、そうですか、ではそれをお願いします」 『“おしぼりうどん”ひとつ』 と、店主に注文を告げると、ご婦人との何気ない会話になった。 『どこから、いらしたんですか?こんな田舎町に』 「栃木です」 『あれぇ~、随分と遠くから・・・いや、てっきり・・・』 もう、すでに津路は分かっていたが、あえて 「てっきり? もしかして、中国人にでも見えましたか?」 半分は「違いますよ!」の返事を期待はしていたが・・・ 『はいぃ~ ほら何ていいましたかねぇ・・・昔の中国の偉い方で・・・』 津路は、もうこの際だからと 「毛沢東ですか?」 『あぁ、そんなお名前でしたかねぇ・・・そっくりだなと思いましてね』 『いやぁ、昔の偉い方に似てるんですから、お幸せですねぇ・・・』 「・・・そ、それは、どうも」 なんとも返事に困る会話であったが、“つかみ”は、OKだった。 だが、このご婦人との会話が、この後思いもよらぬ方向にいってしまうのである。
マコト (土曜日, 21 5月 2016 09:13)
津路は、職業がら、いつものように 「実は、この人を探していましてね・・・この長野にいるのではないかと思って、探しに来ているんですけど」 と、理の写真をご婦人に見せた。 ご婦人は『どれ、どれ・・・』 と、写真を見た。 すると、その瞬間に明らかに表情を変えたのである。 その様子を見た津路は、 「なるほど、近くの定食屋さんだし、優君とやらは、ここにも来ているんだな」 と、津路は、さほど驚きはしなかった。 だが、ご婦人は、 『こんな人は知らないね! どんな関係の方か知らんけど、うどん食べたら、さっさと帰っておくれ!』 と、さっきまでの和やかな雰囲気が一変してしまったのである。 津路には、明らかにご婦人が動揺しているように見えた。 だが、津路は、慌てなかった。 探偵業の津路には、何度も出くわす光景だからだ。 「あれれ、そうでしたか」 「いやぁ、しかし長野は空気が美味しいところですよね。緑も綺麗で・・・みなさん、親切な人ばかりで、自分も、住みたいなぁなんて思っちゃいましたよ」 と、するりとかわしたのであった。 “おしぼりうどん”が運ばれてきて、津路はそれを頬張った。 「うんめぇ~! いやぁ、美味しいです!」 と、さっきまでの雰囲気を取り戻そうと試みた津路であったが、ご婦人も、店主も会話をしてくれようとはしなかった。 津路は、そんな時は決して粘ったりはしないのである。 「ご馳走様でした。すごい美味しかったです。また、食べに来たいです」 ごく普通の会話を交わして、津路は店を出た。 そして・・・ 「なるほどなぁ・・・これは、何か相当な理由がありそうだな」 と、探偵として培ってきた経験から直感を働かせた津路だった。
マコト (土曜日, 21 5月 2016 23:15)
津路が車に戻ると、ガッツが嬉しそうに迎えてくれた。 だが、すぐに『くん、くん・・・くん、くん』 と、津路の匂いを嗅ぎまわるガッツ。 「な、なんだよ~~」 『ワン! ワン!』 それは、『おめ~だけ、旨いモン食ってきたな!』 という、ガッツの訴えだった。 それに気づいた津路は、 「だって、妙先生がダメだって言ったんだよ! 恨むなら妙先生を恨んでくれよな!」 と、まったくお門違いな言い訳をする津路だった。 ガッツは、首をかしげて 『・・・クゥ~』 車を走らせながら、津路はガッツにさっきの出来事を報告した。 津路の言葉を全て理解できるはずもないガッツではあるが、津路の言い回しや、声のトーンで、ガッツには津路の思いが通じているようだった。 「なぁ、ガッツ・・・」 「いまの定食屋さんで、理君の写真を見てもらったんだよ」 『ワン!』 理という単語には、必ず反応するガッツだった。 「それでな、その店の人が、何かを隠しているようなんだよ」 「さっきのお婆さんといい、定食屋さんのご婦人もそうだけど・・・なにか、事情がありそうなんだ」 「これは、あくまでも推測だぞ! まぁ、探偵としての推理にすぎないんだけど」 「理君は、病院を抜け出し、この地まで来たんだと思う。そして、何かの事情で、さっきの家に住むようになって・・・」 「探されると困る何かの事情があるんだと思う・・・そうでなかったら、あそこまで俺を邪魔者扱いしないと思うんだ」 「何が、あるんだろうなぁ・・・」 『・・・クゥ~』 「そうだよなぁ、ガッツだって知りたいよな」 「それと、5歳くらいの女の子と、ちっちゃな男の子もいたけど・・・お母さんが病にふせているような話だったし・・・あの子たちの父親はどうしたんだろうな」 「ひとつ、どうしても理解できないのが、優君と言ったけど・・・彼が、理君だとしたら、いや、理君なんだろうけど、どうして、自分の昔のことを知っているかもしれいという人が訪れてくれたのに、それを避けようとしたんだろうな・・・それが、どうしても理解できないんだよ」 『・・・クゥ~』 車は、交差点の赤信号に止められた。津路は、ガッツに視線をやり 「ガッツ・・・お前も嬉しかったんだよな! きっと、お前を助けてくれたんだろう? あの山中で、理君が」 『ワン!』 「さっきは寂しかったな、ガッツ・・・でもな、ガッツ・・・理君はお前を嫌いになった訳じゃないんだからな、それだけは、信じてやってくれよ・・・ガッツ」 『ワン!』 「理君・・・記憶を取り戻すようなことは、ないのかなぁ・・・栞さんが待っているんだよ、ずっと」 「理君だって、栞さんのところに戻りたいはずなんだけど・・・」 「なんか、悲しいなぁ・・・ガッツ」 『・・・クゥ~』
マコト (日曜日, 22 5月 2016 21:33)
津路とガッツは、その日も車中泊 シートを倒して眠る津路の右手には、理の写真が持たれたままだった。 ガッツは、助手席で見守るかのように、そんな津路をじっと見ていた。 『・・・クゥ~』 と、その様は、理への思いよりも、津路を案じているかのようにみえた。 次の日・・・ 津路は、理の家の見える場所に車を停めて、様子を伺っていた。 すると、草刈り機を背負った理が出てきた。 辺りは、一面に水田が広がっていた。 水をたっぷりと蓄えた水田には、苗が植えられ、緑が鮮やかだった。 ずっと草刈りの作業を続ける理 「ずいぶんと、たくさんの水田があるんだなぁ・・・この辺り、全部がそうなのか?」 と、思われるぐらいに、理はほとんどの水田の草を刈っていった。 しばらくすると、遠くから、ひとりの老婆が風呂敷を持って理に近づいていった。 老婆は、理に深々と頭をさげ、風呂敷を土手にひろげた。 どうやら、それが、10時のお茶のようであった。 「ふ~ん、ご近所さんが、お茶を用意してくれているのかぁ・・・」 わずかばかりの休憩をとって、理は老婆に頭をさげ、そして、また草刈り作業を始めた。 お昼の時間が近づくと、今度は、別の家から、また老婆が理に近づいていった。 同じように、風呂敷をもって。 そう、それは理の昼食であった。 「もしかすると、理君は、ご近所さんの草刈りをみんな引き受けているのかもしれないなぁ・・・だから、お茶やお昼まで・・・」 津路が、一日、村の様子を見て感じたのは、若い者を一切見かけなかったことだった。 「もう、ここは限界集落なんだろうなぁ・・・」 「えっ? もしかして、理君は、そんな村人達のために・・・」 何故か、そんな気がした津路だった。 理に差し入れを持ってきたのは、全てが高齢の方ばかりで、理も申し訳なさそうに、それをいただき、そんな光景を3度も目にしたのだから、津路がそう思うのも不思議ではなかった。 「ガッツ・・・理君、あんなに働いているんだなぁ・・・」 『ワン!』 「でもさぁ・・・えっ?・・・嘘だろう」 その時、突然に・・・ 津路の思考の中に、理に対する“ある疑念”が湧いたのであった。
マコト (月曜日, 23 5月 2016 00:24)
津路は、車を走らせその日の車中泊の場所へと向かった。 いつもなら、自分に話しかけてくれる津路が、黙って運転しているのが、納得できなかったガッツは『ワン!』 と、ひとつ、津路を呼んだのである。 「あっ・・・ごめん、ガッツ」 「ちょっと考え事をしていたから・・・」 それでもガッツは再び 『ワン!』と、あたかも『なに、ぼーっとしているんだよ! 運転大丈夫かい?』 と、津路を心配しているかのようであった。 「ごめん、ごめん・・・」 それでも、その日の津路は、ガッツに話しかけることはしなかった。 なぜなら、その時に考えていたことが、あまり良い話ではなかったからだ。 津路が抱いた理に対する疑念とは・・・ 「理君は、もしかしたら、記憶を失っていないのかもしれない」 「社会の重圧からの逃避、あるいは何かの事情で、今の生活を投げ捨て・・・ここに逃げてきたのかもしれない」 「ただ・・・長野の病院で聞いた体に打撲と頭を強く打っていたというドクターの話を信じれば、群馬の山中で事故にあったことには、間違いないだろう」 「だとしたら・・・、」 「一度失った記憶を取り戻しているのかもしれない」 「もし、記憶を失ったままだとするならば、自分を知っているかもしれない人間には、もっと話を聞きたがるはず」 ただ、津路の理に対する疑念は、あくまでもひとつの仮定にすぎなかった。 津路が、ひとりの人間として素晴らしいところは、決して自分が考えたことが絶対に正しいのだ! とは、しないところだった。 その考えは、相手を疑ってのことなのだから。 それは、探偵という職業がら、様々な想定をするということに近いのかもしれないが、津路は、人を信じるところから始まり、悪いところには、必ず何かの理由があるからだと、そういう考え方をする人間だった。 『・・・クゥ~』 と、ガッツが甘えようとしたが、その日の津路の頭の中は、理のことで一杯であったのである。 その日の車中泊に適した場所をみつけた津路は、ひとつの決心をして、眠りについたのだった。
マコト (月曜日, 23 5月 2016 22:18)
翌日・・・ 津路は、一昨日に行った定食屋さんに向かった。 開店前の忙しい時間であったが、お客様がいないところでと思った津路は、つき帰されるのを覚悟で店に入った。 「こんにちは」 予想はしていたが、それ以上に冷たく「もう来ないでおくれと言ったはずだけど」と、あしらわれた。 「す、すみません」 「どうしても、今日、お話ししたいことがありまして・・・」 だが、奥さんは「帰っておくれ! あんたにお話しすることは何もないよ!」、店主も奥で「帰ってもらえ」と、息巻いていた。 それでも津路は 「話を聞いていただければ、すぐに帰ります。少しの時間でいいので、どうしても聞いてもらいたいです・・・そうでないと・・・」 津路が、丁寧にお願いしたことで、 『こっちは、開店前で忙しい時間なんだ、分かったから手短にしてくれ!』 と、津路の前に立った店主が、「座れ」と椅子を指して言ってくれた。 「・・・本当に、すみません」 そこからは、自分が探偵であり、理の帰りを信じて待っている人のために、なんとか理を探し出してあげたいと。 そして、夕べ考えた理に対する疑念と、自分の思いを語った。 そこまでは、店主は、ただ黙って津路の話を聞いていた。 だが、もうすでに優と行き会っていること、そして、母親が、今日にでも何かを話してくれることになっているのだと、話をした途端に態度を一変させた。 店主は 『おい、探偵さんとやらよ! いま、なんて言った? オツネさん(優の母親)が? えっ? なに? 話すと約束したのか?』 「・・・はい」 店主は、考え込み、そしてこう言った。 『探偵さんよ、あんたは、人探しさえ出来れば、それでいいんだろうけど・・・んじゃ、なんで、ここに来たんだい? オツネさんから直接聞けばいいだろうよ!』 すると、調理場で店主と津路の話を聞いていた店主の奥さんが、出刃包丁を持って店の入り口に立ったのである。 『あんた、何言ってんだい! この人をオツネさんのところには行かせやしないよ!』 と、息を荒くして叫んだ。 店主も叫んだ。 『おい!何やってんだ、やめろ!!!』
マコト (火曜日, 24 5月 2016 12:08)
探偵をやっていれば、常に身の危険と隣り合わせの津路 こんな場面には、幸か不幸か慣れていたのである。 だから、慌てることなく、奥さんにこう言った。 「奥さん、聞いてください・・・私は、優さんを、いやっ理君を連れて帰ることが目的じゃないんです」 『何、適当なことを言ってんだい! そんなの信じられないね!』 「落ち着いて、聞いてください。私は、優さんが理君だと確信しています。ただ・・・、たとえ優さんが理君だったとしても、一番大切にしたいのは、優さんの気持ちなんです」 「私は、これまでの理君の生き様を彼に伝えて、それでも、優さんがこの地での生活を望むのだとすれば、私は、黙って帰ります」 店主が言った。 『探偵さんよ! それを信じろって言われたって無理だなぁ・・・あんたらには“成功報酬”ってものがあるんだろう?』 「ご主人・・・詳しいですね」 「そうですね、理君を探し出して連れて帰るのが、私の仕事です」 「連れて帰ることで成功報酬は生まれます」 「ただ・・・実は、昨日一日中、優さんの様子を見させていただいたんです。草刈り作業をする優さんのところに、ご近所のご婦人がお茶や昼食を・・・それを嬉しそうにいただく優さんの様子を」 「それに、奥さんだって、優さんを守ろうと出刃包丁まで持ち出して・・・」 「きっと、相当な事情があるんだと思います」 「オツネさんが、何を語るのかは分かりません。自分の前で、泣いていましたから・・・」 「オツネさんが、理君ではないというなら・・・それはそれで」 「もし、理君だと言ってくれたとしても、いま置かれた状況を説明してくれるなら・・・どうなるかは、分かりません。分かりませんが、私は、真実が知りたいんです」 「真実を知ったうえで、どうするかは考えたいと思いますけど・・・だから、オツネさんの話を聞く前に、自分で確かめておきたいんです」 「そして、優さんが今の生活を続けたいというなら・・・」 「ただ、これだけは理解してください。 優さんが・・・いやっ、理君がもし、記憶を失ったままで、帰りたいと、昔の自分を取り戻したいと願っているのだとするならば・・・理君には、その帰りをひたすら信じて待ち続けている奥さんがいるんです」 「もし、自分がそんな境遇になってしまったとしたら・・・そう考えると、彼に、優さんに伝えてあげるのが、自分だけに出来る務めだと思っているんです」 「もし、ご主人に息子さんがいらして、その息子さんが何かの事故に巻き込まれ・・・帰ってこなくなってしまい、ただひたすら待ち続けているんだと、そう想像してみてください。私は、願わくば誰もが幸せに暮らして欲しいと思っています」 「成功報酬? そんなもの、私には関係ありません」 「いま、店の外で・・・私の車の中にガッツという子犬が乗っています。ガッツは、おそらくは理君に命を救われたんだと思います。ガッツも理君に会いたがっていて・・・それで、ずっと一緒に旅をしているんです・・・今は、もう自分の娘のようになってくれましたけど」 と、照れ臭そうに、ガッツを案じるかのように窓の外を眺めた。 そして・・・ 「う~ん、理解してもらえないかもしれないですけど・・・そんな馬鹿な探偵も世の中にはいるんですよ・・・だから、いつも貧乏探偵なんですけどね」 そう言って、津路は笑った。 さっきまで、すごい剣幕で立っていた奥さんも、ようやく出刃包丁を降ろしていた。 店主は、目を閉じて考え込み、 『探偵さんよ! あんたを信じるよ! あんたのその目は嘘をついていないってな!』 そして・・・ 店主の知ること全てを語ってくれたのである。
マコト (火曜日, 24 5月 2016 18:07)
『探偵さんよ・・・』 「あ、あのぉ・・・津路といいます」 『おぉ、津路さん・・・』 店主が、ひとつひとつ丁寧に思い出すように語りだした。 『あれは、寒い日でなぁ・・・、彼がこの村にやってきたのは、そして、この店に立ち寄ったのはな』 『何も持たずに、ただ、歩いてきたんだろうなぁ・・・お腹が空いていたようで、店の前でずっと立っていたんじゃよ』 『声をかけてあげようと、店の外に出たんじゃが、いやぁ、その時は驚いてなぁ・・・この村に住んでいた男が、1年前に事故で亡くなったんじゃが、歳も背格好もそっくりでなぁ・・・本当に生まれ変わりかと思うほど、似ていたんじゃよ』 『そう、店の前に立っていたのが、あんたが会った優君じゃよ!』 『声をかけると、小さな声で「いまは、お金が無いんですけど・・・」と、言うんで、理由も聞かずに振舞ってやったんじゃが・・・』 『食事を終えると、自分から話を始めてなぁ・・・自分が誰なのか、名前も分からないって・・・長野の病院を抜け出してきたと言ってたなぁ』 『自分が誰なのかも分からないくせに、何故か、自分を待っていてくれる人がいるような気がするんだと・・・だから、居ても立っても居られなくて病院を抜け出して、あてもなく歩いてここまで来たんだそうだ』 『まぁ、記憶のどこかに、きっとあんたが言っていたその男の奥さんのことが、あったのかもしれんなぁ・・・』 『それで、これからどうするんだい?と尋ねたんじゃが、やはりあてもないってな』 『そんな男をほっておけんだろう?・・・とにかく、一度、病院に戻るように言ったんじゃよ』 『だけどなぁ、自分は直ぐにでも待ってくれている人のところに行かなきゃならないって・・・どこで、誰が待っていてくれるのかも分からんのになぁ・・・』 『その時は、とにかく病院に戻るように引き留めていたんじゃ』 『それでなぁ・・・、神様のおぼしめしとでも言うんだか、ちょうどその時にオツネさんが、孫二人を連れて食事に来たんじゃよ』 『さっき、この村に住んでいた男が、1年前に事故で亡くなったと言ったが、そうじゃ、その男が、オツネさんのひとり息子じゃよ』 『飲酒運転の男にはねられてなぁ』 『その事故で亡くなった男の名が・・・優じゃ』 『名前の通り、気の優しい男でなぁ・・・村人みんなが優をあてにして・・・田んぼの草刈りまで、優がやってくれていたんじゃよ』 すると、堪えきれなくなったのであろうか、店主は涙をふいて、 『そしたらなぁ、オツネさんの孫の5歳になるお姉ちゃんが、「とうちゃん! とうちゃん!」って』 『まぁ、どうして父ちゃんが急にいなくなったのか、理解できる歳じゃないんだから、仕方ないが、「とうちゃん! とうちゃん!」ってな』 『まぁ、見てられなかったよ、可哀想でな』 『オツネさんもその男を見て、びっくりしてなぁ・・・でも、直ぐに正気に戻って、「父ちゃんじゃないんだよ!」って、オツネさんも涙でなぁ』 『子どもには、そんなことは理解できやしないよ、お姉ちゃんが、とうちゃん抱っこして! ってな』 津路も、その光景を思い浮かべて涙にくれていた。
マコト (水曜日, 25 5月 2016 00:36)
店主は、話を続けた。 『その男は、どうすればいいのか困った様子でなぁ・・・』 『そしたら、オツネさんが孫を叱ったんじゃよ「父ちゃんじゃないって何度言えば分かるんだい!」ってな』 『その子は、大泣きしてなぁ・・・「とうちゃんだよ、とうちゃんだよ」って』 『そしたらなぁ・・・』 『きっと、優しい男なんじゃろうなぁ・・・その男は、そっと孫を抱き上げてくれたんじゃよ』 『誰も止められなかったんじゃよ・・・抱っこなんかするな!とな』 『実はなぁ、事故で優が亡くなったあと、奥さん、そうじゃ、その子達の母親は心労で倒れてなぁ・・・今も、体調は芳しくなさそうなんじゃが』 『だから孫たちのことは、オツネさんがほとんど一人で育てていて・・・』 「ご高齢でしたよね・・・杖を持たれていました」 『あぁ、そうじゃな・・・あの歳で、孫二人を育てるのは無理じゃと、村人たちも、皆、心配してなぁ・・・』 『母親の体調が回復するまで、児童養護施設に預けるよう、私も言ったんじゃが・・・オツネさんは、私がなんとかみるからと』 『オツネさんは食事を作るのも大変でなぁ、ちょくちょくこの店に孫二人を連れて、来てくれていたんじゃよ』 『それで、その日も・・・』 『孫たちは嬉しそうに「とうちゃん、オムライスが食べたいよ」ってな』 『孫たちが、食事をしている間にオツネさんには、その男が何故ここにいるのか、それと、その男には、優の家のことを話して聞かせてやったんじゃ』 『そしたらなぁ・・・』 店主は、テーブルに置いてあった水を飲み、ひとつ大きく息を吸って話を続けた。 『その男は、こう言ったんじゃよ』 『自分を待っていてくれたのは、この子達だったんでしょうかね、ってな』 『最初は、意味が分からなかったんじゃが、その男が「神様が、自分に優になれって言ってくれているような気がします」ってなぁ・・・』 『オツネさんは、それじゃこれまでの人生が・・・誰かが必ず待っていてくれるはずだから、いつか必ず記憶を取り戻せるから、とにかく今は病院に戻るようにと言ったんじゃよ』 『だけどその男は、下の2歳の男の子にオムライスを食べさせていてなぁ・・・もう、自分は決めてしまったと言わんばかりに・・・』 『それでも、オツネさんは許しはしなかったんじゃよ! 自分の息子の優は、もうこの世にはいないんだと、どこの馬の骨か分からん人間が、優の代わりなど務まるはずがないってな』 『まぁ、あんたなら言わなくても分かるだろうが、オツネさんは、その男のことを思って、その男を待ってる人のことを思って、言った言葉なんじゃがな』 『さっき、あんたは、その男が、記憶を取り戻しているかもしれないって言っておったが、それは無いんじゃ・・・だとしたら、辛すぎるだろう? なぁ・・・津路さんよ』 津路は、理由も分からずに、勝手に想像を膨らませていた自分を恥じた。
マコト (水曜日, 25 5月 2016 00:38)
津路は、深々と店主に頭を下げ、 「自分が恥ずかしいです、事情も分からずに、勝手な思い込みをして・・・ご主人、それで、その男はどうなったんですか・・・」 『あぁ・・・それでな、オツネさんは孫二人を連れて帰って行ったんじゃよ』 『孫が「とうちゃんは? とうちゃんは一緒に帰らないの? とうちゃん、とうちゃん」って泣きながら、それでもオツネさんは孫の手を引いてなぁ』 『その男は、黙ってその様子を見ていたよ』 『それから、直ぐだったなっ、その男が「お金は、必ず返しにきますから」と、礼を言って出て行こうとするから、「どこに行くんだい? 病院に戻るんだろう?」って、聞いたんじゃが・・・ありがとうございましたと、丁寧に礼を言われてな』 『まぁ、病院に戻るしかないだろうと思っていたんじゃが・・・次の日の朝、オツネさんから電話があってな』 『その男が、オツネさんの家の前に立っているって言うんじゃよ、だから、慌てて行ったんじゃ、その男のところにな』 『ずっと、夜通し立っていたんじゃろうなぁ、直ぐに車に乗せてここに連れて帰ってきたんじゃ』 『朝ごはんを食べさせて、よく話してやったんじゃよ・・・記憶を取り戻して、元の生活に戻るのが自分のため、待ってる家族のためなんじゃよってな』 『それで、病院まで送るからと言ったんじゃがなぁ・・・』 『結局は、病院には戻らないって・・・これが、自分に与えられた運命なんだと思うって言ってなぁ・・・』 『だから、言ってやったんじゃよ。いま、優になって、あの家を支えていくのはいいが、もし、途中で記憶を取り戻したら、お前は、必ずここから出て行くだろう? それじゃ、子供達は、また悲しい思いをするんじゃぞ!ってな』 『それを言えば、分かってくれると思って言ったんじゃがなぁ・・・』 「それで、なんて言ったんですか?・・・その男は」 『あぁ・・・その男は、言い切ったよ! 自分は、もう昔の記憶を思い出すことはありませんってな』 『万が一にも、自分を探す人がいたならば、追い返してくださいって』 『本当に、驚いたよ・・・そこまで言われたんで、仕方なくオツネさんのところに行ったんじゃ・・・話をしにな』 『オツネさん・・・泣いていたよ。優が生き返ったようだってな・・・孫たちは、とうちゃん、とうちゃんって・・・』 『それで、子供たちの母親にも話をしたんだが・・・母親は、自分が体を患っていることを相当に申し訳なく思っていたんじゃろうなぁ・・・途中で記憶を取り戻して、出て行くならそれはそれで構わないから、子どもたちのために、一時だけでも父親の代わりになってほしいと、泣いて頼まれたんじゃよ』 『母親の旦那ではなく、子どもたちの父親代わりとしてな』 「・・・そうだったんですかぁ」 『あぁ・・・随分と悩んだよ、はたして本当にそれでいいんだろうかってな』 『帰って、その男と何度も話をしたんじゃが、意志は固くて・・・こっちが折れたんじゃよ』 『それで、その男は優と名乗って、オツネさんの家に住んでいるんじゃよ』 『亡くなった優と同じように、ご近所の草刈り作業まで・・・その様子をみていると、本当に優が生き返ったようでなぁ・・・』 店主は、涙をふき、津路の顔をみてこう言った。 『何度もお願いされたんじゃ、自分を探す者がいたら、それは、もう自分ではないので、追い返してくれってな』 『だから、この話をしていることは、約束を破っていることなんじゃよ』 『村人全員がこのことは承知していることなんじゃ・・・おそらく、村の誰に尋ねても“知らんよ”と、答えるはずじゃ』 『ただな・・・、オツネさんが津路さんに話をするかもしれないって言うから、このことを話したんじゃ』 そして、店主は最後にこう言ったのである。 『あとは、津路さん・・・あなたに全部お任せするよ』 『オツネさんも、辛いんだと思う・・・あんたは、言ってくれたよな、みんなが幸せであってほしいって』 『わしらは、その言葉を信じて、全部を津路さん、あんたに任せるから』 店主は、そう言って立ち上がり深々と頭をさげて 『よろしくお願いします』と
マコト (水曜日, 25 5月 2016 00:41)
その時の決断は、多くの人間の将来を左右するものだった。 津路は、もちろんそのことを承知していた。 だから、そのプレッシャーに押しつぶされそうだったが、それでも、店主に、 「ありがとうございました、自分は、オツネさんの気持ちを聞きますが、最後は・・・」 『最後は、どうするんかね?』 「はい・・・、優君の気持ちを確認してきます」 『・・・そっかい、すまないなぁ・・・よろしくお願いするよ・・・津路さん』 「はい」 津路は、定食屋を出た。 ガッツが津路を迎えてくれた。 「ガッツ、あのな・・・」 車を走らせながら、いま、店主に聞いてきたこと全てをガッツに話した。 ガッツは『クゥ~・・・ワン! クゥ~・・・ワン!』 と、まるで津路の話の全て理解しているようだった。 車を一度止めて、しばらく考え込む津路 それを助手席で、優しく見守るガッツがいた。 「ガッツ・・・あのな、俺・・・この仕事を最後に探偵の仕事は辞めようと思う」 「きっと、俺には探偵の仕事は向いていないんだと思う」 「・・・でもな、探偵の仕事をやってきて良かった、だって、ガッツと出会えたんだもんな」 『ワン!』 そして津路は、意を決したようにオツネさんと優のところに向かったのだった。
マコト (水曜日, 25 5月 2016 22:33)
オツネさんと優の家に着いた津路は、ガッツの首輪にリードを付け、一緒に車を降りた。 ガッツは降りると同時に『ワン!ワン!』と、優を、いや、理を呼んでいるようだった。 そのガッツの声に気付いたのであろう、優とオツネさんが一緒に家から出てきた。 「優君も一緒かぁ・・・」 と、オツネさんの歩みに合わせてゆっくり歩いてくる二人を待った。 と・・・ その時の優の表情に、もう津路は気が付いていた。 「オツネさん・・・今日、俺が来ることを優君に話をしたんだな・・・だから優君も一緒に・・・」 津路は、オツネさんと優が二人で一緒に出てきたことと、優の表情を見た瞬間に気持ちは決まっていた。 「ひとつだけ聞いて、そして・・・帰ろう」と 近づいてくる優に、ガッツは尾を振って『ワン!ワン!』と、嬉しさを体いっぱいに現していた。 「ガッツ・・・」 近づいてきた優が、開口一番に津路にこう言ったのである。 『私たちは、あなたに用事はありませんから・・・お帰り下さい』 それは、津路が想像していた通りの言葉だった。 だから津路は、 「あっ、私は、一つだけ聞きたいことがあって来たんです」 『えっ? 一つだけ? なんですか? それは・・・』 「はい・・・」 津路は優に向かってこう尋ねた。 「優さん・・・こちらでの生活はどうですか? 昨日、草刈り作業をされている優さんをお見かけしましたが、すごく生き生きとされていて・・・ここでの暮らしは、どうですか?」 優は、予想外の質問に面食らったが、すぐに、それが津路の最終確認であるということに気付いて 『この人は、自分を連れて帰ろうとはしていないんだ・・・』 そう、心のなかで確認し、 『はい! ここでの暮らしは、幸せです』 と、答えたのであった。優の目には、すでに涙が浮かんでいた。 津路は、ひとつ大きく息をすって 「そうですか、分かりました・・・美味しいお米が採れるといいですね・・・お婆さん、お体を大事になさってくださいね、私はこれで、失礼しますね」 そう言って、深々と頭を下げた。 もう、優もオツネさんも全てを理解していた。 二人とも、涙を流して 『津路さん・・・お気をつけて』と 津路は、ガッツのリードを強く握って 「さぁ、ガッツ! 帰るよ」 ガッツに目をやると、ガッツは『クゥ~』と、すごく悲しそうな表情を浮かべていた。 「ガッツ・・・あのな、この人は優さんって・・・」 すると、もうその瞬間に『ワン! ワン!』と、吠えたのである。 「えっ?・・・ガッツ、お前・・・」 優が、津路に尋ねてきた。 『この子犬は?・・・』 津路はこう答えたのである。 「ある男が、この子の命を救ってくれたようなんです・・・それをこの子は覚えていて・・・」 と、ガッツをもう一度見ると『クゥ~』と、津路と優の両方の顔を覗き込んでいた。 「ガッツ・・・お前・・・優さんと暮らしたいのか?」 『えっ?』 「・・・ガッツは、そう言ってます」 『それじゃ、津路さんが・・・これまで、ずっと一緒に暮らして来られたんですよね?』 「いやっ、もし引き取っていただけるなら、自分はその方が・・・予防注射の仕方も分かりませんし・・・何より、仕事の邪魔だったんですよ、正直なところは」 『津路さん・・・』 そして、津路はリードを優に手渡し 「お願いします」と ガッツは『クゥ~』と、また寂しそうな表情を浮かべた。 津路は、 「ガッツ・・・優さんのことを頼むな!」 『クゥ~』 ガッツの表情は、津路に対してごめんなさいと言っているようだった。 優は、全てを理解していた。だから津路に向かって、 『津路さん・・・ありがとうございます、ひとつだけお願いがあります』 「うん? なんですか?」 『この村で暮らしていくことは、私が決めたことです。津路さん、あなたにはなんの責任もありません・・・それだけは、本当にお願いします』 津路は笑顔を浮かべて 「はい」と答えた。 ガッツは、ずっと津路を見ていた。 それを振り切るように 「おい、ガッツ! 優さんを困らせるなよ! 幸せにな・・・ガッツ」 そして、優とオツネさんに一礼して、振り向いて歩き出した。 ガッツの『ワン!ワン!』と津路を呼ぶ声に、津路の涙は止まらなかった。 「頼むぞ、ガッツ・・・守ってやってくれ! 理君を あばよ!」 津路は、二度と後ろを振り向かずに帰っていった。 ガッツに涙を見せないために。
マコト (木曜日, 26 5月 2016 20:18)
≪萌仁香だよ~、久しぶりの登場だね≫ ≪物語が、あっちに行ったり、こっちに行ったりして・・・どう?着いて来れてる?≫ ≪第三章は、随分と長くなっちゃったから、一気に説明して終わりにしちゃおうかなぁって考えたりもしたんだけど・・・美子都と健心、希咲と玲飛がどうなったのかも、まだ話していないし・・・それに、蒼が現れて仲間になって・・・まだ、バーベキューの話も残ってるし・・・≫ ≪あぁ、でもねっ・・・バーベキューである事が起きるんだけど、またこれが仲間を苦しめるようなことになっちゃうの≫ ≪そう言えばね、津路君は、宇都宮に戻ってきて・・・依頼人である栞の父親には、何も報告しなかったの。優のことは、墓場まで持っていくと決めてね≫ ≪だから、健心が、栞の父親のところに行ったけど、何も進展することはなかったのよ≫ ≪健心は、蒼のために、なんとか理の手掛かりを探せないかと頑張ったんだけど・・・結局は何もつかめなかったの≫ ≪ということで、バーベキューの話から再開するけど、もし、早く結末を知らせて欲しいという人がいたなら、どんどん話を進めるから、言ってね!≫ ≪仲間達に起きる辛いことは、なるべくなら、語りたくないものね≫ ≪じゃぁ、また萌仁香は物語に戻るけど・・・みんなは、これからも仲間達を見守ってあげてね≫
マコト (木曜日, 26 5月 2016)
美子都は、いつものように週末、花風莉(ハナカザリ)に居て、来客用のお茶菓子を頬張っていた。 「(しかし、よく食べるわね) ねぇねぇ、美子都・・・」 『なぁに? 萌仁香』(食べながらの返事なので、たぶん、そう返事した) 「来週末よねっ! バーベキュー」 『うん! 楽しみよねぇ』 「美子都・・・決まった?」 『えっ? 何が?』 「ほらっ! 一番大切なこと!」 『え~、私の一番大切なことってなんだろう・・・』 「バーベキューの肉・・・どこの部位を買うのか!」 『萌仁香ぁぁぁぁぁーーーーーー!!!! あんた、最近、健心や可夢生(カムイ)に似てきたんだけど!』 「エヘッ! って、ところでさ、健心の従兄弟の家に贈るお花、どうしよう・・・」 『そうね、どんな花なら、喜んでもらえるかしらね?』 「う~ん、バーベキューの時にお庭を見せてもらって、その後に贈るっていうのも“あり”かなぁ・・・」 『そうね! そうしよう! ・・・って、私なら“花よりみたらし団子”なんだけどなぁ』 「・・・あんたね、そういうことばっかり言ってるから、健心や可夢生にいじられるのよ!」 『そっか、こんなところで話していたら・・・ばれちゃうモンね!』 「何が?」 『ほらぁ、お花見のとき、二次会から参加する女子の分まであった“みたらし団子”、ぜ~んぶ、私が食べちゃったこと!』 「そうよ! こんなところで言ったら、バーベキューのとき、差し入れが“みたらし団子”だらけになっちゃうからね!」 『・・・それ・・・嬉しいかも』 『ねぇ、萌仁香ぁ・・・でも、バーベキューでお肉を食べた後は、甘いデザートが必要よねぇ・・・』 「・・・そ、そうね」 『あぁ、でも、お肉の後に甘いデザート食べちゃったら、その後はラーメンも食べたくなっちゃうかも・・・』 「 (-_-;) それ・・・いつもの逆パターンのコースだよ」 (美子都さんへ・・・リレー小説もパートⅡとなり、ここから読む人のために、ご丁寧な説明、ありがとうございます) そんな、毎度交わされる食べ物に関する会話を済ませ、二人の会話は、バーベキュー参加者の話題になった。 「ねぇ、ねぇ美子都・・・津路君って覚えてる?」 『津路君? サッカー部の? 中国の偉い方に似てる人?』 「そうそう!」 『その津路君がどうしたの?』 「バーベキューに参加するんだって!」 『へぇ~、でも私、高校卒業してから津路君には、一度も会っていないなぁ』 「うん、私も! きっと、他のみんなも会ってないよ」 『津路君って、いま、何してるの?』 「世界に羽ばたく津路工機の社長さんだって」 『津路工機? そうなんだぁ』 「津路君・・・なんかね、8~9年前ぐらいまで探偵をしていたらしいの」 『へぇ~、探偵さんかぁ・・・』 『ねぇ、蒼は来るよね?』 「もちろんよ!」
マコト (金曜日, 27 5月 2016 17:24)
6月4日、土曜日 バーベキューの日になった。 当日の買い出し当番は、萌仁香と美子都、玲飛と健心の四人。 四人は、美子都の車で八尾藩に向かった。 『え~、絶対に足りないよ!』 「え~、絶対に買い過ぎだから!」 と、萌仁香と美子都で“肉のグラム数”で意見が合わなかったが、結局は、300g×(人数プラスワン)の量で萌仁香が折れた。(実話である) 八尾藩に入り、ふと健心に目をやると、どう考えてもバーベキューには必要のない食材を買い物カートに入れ、皆からの突っ込みを待っているようだった。 だが・・・、誰も、健心を相手にするはずもなく、ようやく萌仁香が「返してきましょ!」と相手をしてくれた。 四人は、一足先にバーベキュー会場に着き、早速準備に取り掛かった。 「トン、トン、トン」 「美子都、旨いなぁ・・・初めて料理する姿見たけど・・・」 『え~、料理って言っても、ただ、玉ねぎを切ってるだけでしょ! ・・・ねぇ、そんなことよりさぁ、健心・・・』 「なんだよ? 美子都」 『とっても、大切な話があるの』 「えっ? 大切な? それって、急ぎの話なの? ここで話さなきゃならない話?」 『・・・う、うん』 「・・・なにぃ?どうしたの?大切な話って・・・なに?」 と、健心が恐る恐る尋ねると 『私ね、バーベキューのために、昨日の晩御飯だけ抜いたの! 晩御飯だけね! だからねっ、今日はたくさん食べちゃうと思うの! だからねっ、私のこと“大食い”だって思わないで! だからねっ、昨日の晩御飯を抜いたんだからね!』 「・・・う、うん分かった(-_-;)」 準備万端、あとは仲間たちの到着を待つだけとなった。 「お~、可夢生(カムイ)、壮健(ソウケン)、杏恋(アレン)に深音(ミノン)」 『遅くなってごめん、お~、すごい庭だなぁ』 「きゃ~、素敵なお庭。 こんなところでバーベキューだなんて、幸せ~」 仲間たちは、続々と集まってきた。 有音(アルト)に衿那(エリナ)に雄利(ユウリ)、沙月(サツキ)も少し遅れてやってきた。 「あとは・・・蒼と・・・あっ、津路君だね」 『蒼には、迎えに行くよって言ったんだけど、ちょっと用事を済ませてから遅れて来るって』 「そっか・・・じゃぁ、ぼちぼち始めようか」 『そうね』 カンパ~イ “ジュー” 「キャ~ お肉! おっ肉! おっ・に・く! お肉~~~!!!」 仲間たちは、まるで子供のようにはしゃいだ。 それは、53歳の仲間たちにとっての命の洗濯であった。 女の子たちは、四阿に入って、暑い日ざしを避け、おしゃべりと食べ係 男の子たちは、せっせと肉を焼き続けたのであった。
マコト (金曜日, 27 5月 2016 21:53)
少しの時間が過ぎて美子都が健心に 『ねぇ、健心・・・蒼が来る前に、みんなに話してあげようよ!』 「あぁ、そうだなぁ・・・」 と、健心は、みんなの前で、蒼と出会った時のことから語った。 玲飛と健心が、居酒屋・居心家で蒼と出会ったこと。 蒼が、栞の告別式にいなかった理由。 栞が蒼に手紙を残していたこと。 蒼が、まだ、理が生きていると信じていること。 健心たち7人が、居酒屋・居心家で蒼から聞かされた話を、他の仲間たちに伝えたのである。 そして、健心が、栞と蒼の父親のところに行って、話を聞いてきたが、何の手がかりもなく、進展していないことも。 そのことを健心から初めて聞かされた仲間たちは、 「そうだったのかぁ・・・」 と、二人の悲運な人生に涙ぐむ者もいた。 そして、萌仁香が、 『ねぇ、蒼は本当に優しい子なんだ! 仲良くしてね』 「はいよ~」 仲間たちは、蒼が来るのを首を長くして待った。
マコト (金曜日, 27 5月 2016 21:55)
バーベキューは、和やかな雰囲気で時間が過ぎていった。 しばらくすると1台の車が、駐車場に入ってきた。 「なぁ、誰か来たぞ!」 それは、津路だった。 高校卒業以来、仲間たちと対面するのが初めてだった津路は、 「よっ!」 と、明るく笑って皆にあいさつした。 『つ、津路ぃ~』 「おぉ~、健心、壮健、可夢生に玲飛に有音、久しぶり~・・・女子の皆さん、津路ですぅ~」 津路のその様は、高校時代から少しばかり“そり込み”を伸ばし、あとは、そのままの津路だった。 「おぉ~久しぶりだなぁ、津路! 変わんねーな!」 『そっけ? 相変わらずいい男だべ!』 「・・・ まぁ、座れよ! 乾杯しようぜ!」 カンパ~イ 35年ぶりに会った仲間たちは、早速、津路に質問攻め 「いま、仕事は何やってんだよ?」 『あぁ、津路工機っていう会社』 「へぇ~、何やってる会社なんだよ?」 『工作機械器具とか、まぁ、一般機械器具の関係だよ』 「そなんだ・・・あれっ? 津路ってさ、栃木県警に就職したじゃなかったっけ?」 『あっ、・・・うん』 「そうだ、思い出した! 刑事を辞めて探偵になったって誰かが言ってた! 探偵はどうしたんだよ?」 『・・・あっ、・・・うん? うーん』 仲間たちには、その部分にだけは触れてくれるなと思っていた津路であったが、そうは問屋が卸さないのが世の常。 『いやっ・・・もう8~9年も前に辞めたよ』 「なんで?」 津路は、その質問にはいつもこう答えるのであった。 『あんまりむいていなかったんだわなぁ、それに思ったより儲からねーしさ』 「ふ~ん・・・で、探偵の時はどんな仕事が多かったんだよ、 聞きてーな!」 『ほとんどが浮気調査かな・・・まぁ、楽しい仕事じゃなかったよ』 「・・・そなんだ」 と、仲間たちの探偵話への興味は、それぐらいで薄らいだ。 津路は、心の中で 『探偵時代のことは、思い出したくないんだ・・・良かった、これぐらいで済んで』 と、ほっと胸をなでおろしたのであった。
マコト (金曜日, 27 5月 2016 21:57)
バーベキューも、津路が加わったことで、さらにボルテージも上がり仲間たちのテンションもMAXへ。 そんな場面で、ようやく蒼が来たのである。 「ねぇ、萌仁香・・・あれ、蒼の車じゃない?」 『あっ、ホンと、蒼が来たよ~ みんなぁ~』 車から降りてきた蒼は、無地のチュニックに七分丈のチノパン姿 薄化粧で、しかも健心の大好きなポニーテール! ただ一言! “可愛い” 有村架純似の蒼の登場で、男の子たちの様子は一変、表情が明らかに崩れるのが分かった。 それに気づいた美子都が 『健心・・・ 伸びてるし!』 「えっ? 伸びてる? 津路の身長が?」 『ちげーし! あんたの鼻の下』 仲間たちは、ハイタッチで蒼を出迎えた。 “しこりやの壮健”だけは、ハグで蒼を迎えようとしたが、後ろから玲飛の蹴りが飛んできた。 「痛ぇ~」 健心だけは、恥ずかしさのあまり、ハイタッチも出来ずに 「こ、こんにちは」と だが、一人だけ蒼の存在を知らない男がいた。 そう、津路である。 蒼が近づいてきて、「はじめまして、蒼です。よろしくお願いします」 と・・・ 津路の脳裏から離れない、9年前のあの事が鮮明に思い出された。 「えっ? この人・・・」
マコト (金曜日, 27 5月 2016 21:59)
9年前に理の捜索依頼を受けた時の津路は、写真を出して人に尋ねるたびに、理と一緒に写る栞の笑顔を何百回も見ていた。 そう、有村架純似の栞の顔を忘れるはずがなかった。 それでも、蒼ですと自己紹介された津路は、 『えっ? 他人の空似なのか・・・』 と、とにかく返事をと思い 『つ、つ、津路です』と、返した。 蒼の仲間たちへの挨拶が終わると、早速に“しこりやの壮健”が、 「僕の隣へどうぞ・・・いま、最高に旨いお肉を焼くからね!」と 女の子の扱いは、どうあがいても壮健には敵わない他の男の子たちであった。 男の子たちは、「俺の焼いた肉が最高だ!」と競い合って肉を焼いた。 その様子を女の子たちは 「男の子は、分かりやすいわね!」 と、四阿から眺めていた。 津路は、チラっ!チラっ!と、蒼を見ていた。 そして、おもむろに健心の隣へ移動して尋ねたのである。 「なぁ健心・・・」 『なんだい? 津路』 「蒼さんって、何組だったっけ?」 『あっ、そっか・・・津路は知らないんだよな。 高校は違うんだ。でもな、同級生だよ!』 「そうなんだぁ・・・えっ? って、誰かのお友達?」 『あぁ、友達だよ! ・・・全員の!』 「そ、そっか・・・俺だけか、お初は・・・で、なぁ、蒼さんの苗字は?」 『随分と、聞いてくるなぁ・・・さては、一目ぼれしたか? あれっ? 津路は、独身だっけ?』 「まぁ、独身だけど・・・って、それはどうでもいいから苗字を教えてくれよ!」 『御子柴さん! 御子柴 蒼さんだよ!』 「御子柴さん?・・・そうなんだ」 『おいおい津路、ちょっと早すぎやしないかい? 蒼さんは、俺たち全員のアイドルなんだから、勝手に手を出すなよな!」 「あっ、うん、分かってるよ!」 津路は、御子柴という苗字を聞いてほっと胸をなでおろした。 「良かったぁ・・・やっぱり他人の空似なんだ! 栞さんとは、関係ないんだなぁ・・・ 栞さんは、有栖川さんだったもんな!」 だが、次の瞬間だった。 「えっ?」
たらちゃん (土曜日, 28 5月 2016 12:07)
「御子柴…さん? え? 理くん捜索のクライアントは御子柴社長… え?」 固まっている津路に美子都の手が飛んできた。 「やだぁー津路くん!」 「痛っ」 「もう、わかりやすいんだから!ほら!壮健!蒼の隣り、津路くんとかわって!私達と違って、久しぶりに参加した津路くんに話をさせてあげて!」
マコト (土曜日, 28 5月 2016 19:32)
「えっ? やだよ!」 と、壮健は断った。 「だって、それじゃ、物語は進まねーじゃん!」 と、訳の分からないことを口走る壮健だった。
マコト (月曜日, 30 5月 2016 22:12)
(美子都)『えっ? や、やだだとぉ~??? ・・・あんた、何を企んでんのよ! 壮健!』 (壮健)「いや、別になにも! ・・・っていうか、蒼が俺に隣にいてくれ!って・・・なぁ、蒼、そうだろう?」 (美子都)『出たぁ~! あんたね、いつもそういう事ばっかり言ってるから“しこりやの壮健”って、言われんのよ!』 (壮健)「そうだよなぁ~、蒼~」 (美子都)『無視すんなぁ~!!! ・・・それに “物語が進まない”とか、何、訳の分からない事、ぶつぶつ言ってんのよ! こんな場面で、物語を左右するような書き込み、出来る訳ないでしょ! さっさと書き込みしなさいよ! こっちは、待ってんだから!』 そんな二人のやり取りを仲間たちは、 (健心)「なぁ、萌仁香・・・」 (萌仁香)『なぁに? 健心・・・』 (健心)「あの二人・・・何を話してんの?」 (萌仁香)『・・・わからん』 (健心)「物語って、なに?」 (萌仁香)『・・・わからん・・・可夢生は分かる?』 (可夢生)「まったく、わからん! 玲飛は、分かるか?」 (玲飛)「美子都が、スキーのリフトから落ちてから、どう人生を生きて行ったか! っていう物語じゃねーの?」 (全員)「・・・なるほど」 そんな、いつもバカやってる仲間たちを横目に津路は、昔の記憶をたどっていた。 そして、気づいたのである。 「栞さんの父親の苗字は、御子柴さんだった! 栃木では珍しい苗字だから、よく覚えているけど・・・間違いなく依頼人は御子柴さんだった」 「えっ?じゃぁ蒼さんは?・・・、確か、栞さんも理君も俺と同い年だったはずだ・・・ということは、蒼さんと栞さんは双子の姉妹?・・・そう推理するのが、一番自然だ」 そう考えた津路だったが・・・ 津路は、あえてそれ以上確かめようとはしなかった。 それを聞いてどうなるものでもなかったからだ。 津路は、これ以上関わりたくないと考え、少しでも早くその場から帰りたいと思っていた。 だが、35年ぶりに会った同級生が、一生懸命に準備してくれたバーベキューであったがために、お開きになるまで何事もないことだけを願って、その場から帰ることはしなかった。 でも・・・、 そう都合よくいかないのが人生である。 蒼が、理に関することを話しだしたのだ。 『健心さん・・・父のところに行って色々と聞いて来てくれたんですね!』 「あ、う、うん・・・でも、何の進展もなく・・・ごめんなさい」 『いいえ~ 健心さんの優しいお気持ちだけで・・・、ありがとうございます』 壮健が 「そんな、水臭い言い方するなよ、蒼! 俺たち、仲間だろう!」 すかさず、玲飛が 『って、壮健は何もしてねーべ!』 「確かだ!」 と、笑いで、蒼の気持ちをほぐしてくれる男子たちであった。 だが・・・ 可夢生が何気なく言った言葉で、津路の「何事もなく・・・」という願いは、全て吹っ飛んでしまうのである。 「なぁ、今日は、元・敏腕刑事! 元・名探偵の津路がいるんだから、津路の意見も聞いてみたいよな! 何か、妙案を言ってくれるかもしれないぜ!」 『おぉ~、本当だ! なぁ、津路・・・』 「な、なんだよ?」 『蒼さんが、人を探しているんだ、聞いてやってくれよ!』 「・・・えっ?」
マコト (月曜日, 30 5月 2016 23:32)
この場にいた仲間達は、皆、蒼の言う通り、理は必ずどこかで生きていると思っていた。 いやっ・・・思っていたと言うよりは、願っていたというのが、正しいだろうか。 そんな仲間達が、可夢生の言葉に反応するのは、ごく自然な流れだった。 女の子達も、「ねぇ、津路君・・・蒼の話を聞いてあげてよ」と だが、津路はこれ以上、過去の記憶に触れられたくなかった、だから・・・ 「いやっ、俺はもうその仕事からは、すっかり足を洗って・・・だから、勘も働かないしさ・・・勘弁してくれよ!」 津路のその返答に、普段はあまり怒りを現さない健心が、怒鳴ったのである。 『津路! なんだよ、その言い方は! ここにいるみんなが、蒼さんのことを心配しているのに! おい、津路!ふざけんじゃねーよ!!!』 今にも飛び掛かりそうな剣幕で健心は、立ち上がった。 その姿を見て美子都は 「健心・・・あなたが、ここまで怒るなんて・・・」 と、自分が健心を止めなければならないと思ったが、何も出来ずに、ただ、健心の顔を見るだけだった。 誰も、何も言わなくなった。 その場を収めるには、蒼のこの言葉しかなかったのであろう。 「ごめんなさい・・・楽しいバーベキューのはずが、私が理の話をしたばかりに・・・」 その言葉で、津路のかすかな期待も、全て消えた。 「やっぱり、探しているというのは、理君だったのか・・・」 健心は、蒼の言葉に、はっとした。 そして、隣にいた萌仁香が、 「ねぇ、健心・・・健心の気持ちも分かるけど・・・津路君だって・・・悪気があって言ったんじゃないから!」 ようやく冷静になった健心は、我に返って 「す、すまなかった津路・・・つい・・・」 そんな流れになってしまえば、もう津路も逃げるわけにはいかなかった。 ひとつ大きく息を吸って、 『健心・・・俺もすまなかった・・・適当な返事をしたくなかったので・・・』 そして、津路は意を決して言ったのである。 「蒼さん・・・理君の話を聞かせてください」と
マコト (火曜日, 31 5月 2016 12:58)
でも・・・ 蒼は、首を横にふった。そして、 「津路さん・・・いいんです・・・せっかくのバーベキューが・・・それに、理は・・・」 と、言いかけた。 だが、蒼の理を諦めるような言葉を仲間達は、全員で言わせなかったのである。 『蒼!』 「蒼さん・・・」 『蒼、諦める気なの?』 「手伝ってくれる仲間が増えたのよ!」 『蒼・・・もう一度、みんなに話して』 蒼には、自分の気持ちを理解してくれる仲間達の言葉が、何よりも嬉しかった。 だから、蒼は、涙をいっぱいためて「うん」と、うなずいてゆっくりと・・・津路と仲間達全員に聞かせるように丁寧に話を始めた。 それは・・・ 栞と仲の良い双子であったこと。 姉の栞を特別扱いする父親がいたこと。 栞のことが大好きだったから、いつも自分が一歩ひいていたこと。 高校時代から理を好きだったが、突然の告白に、理が投げてくれたボールを掴むことが出来なかったこと。 理は、待っていると言ってくれたが、自分が大学を終えて戻ってきた時には、理はアメリカに行って仕事をしていたこと。 ずっと、理のことが好きだったこと、ずっと待っていたこと。 栞が、理と見合いすることになって、それでも、大好きな栞の為に自分が身を引いて、栞を応援したこと。 ・・・でも、それまで想い続けてきた理のことを簡単には、忘れられなかったこと。 そして・・・ 理と栞は、栞の誕生日に入籍し、夫婦になったこと。 その報告に栞が来てくれた時には、自分はもう心を病んでしまっていたこと。 理は、仕事で群馬に行った日に、自分のところに向かうと言って・・・、群馬の山中で車を乗り捨て、そして行方不明になってしまったこと。 理のことを、自分が隠しているのではないかと栞に疑われたことで、心が全て壊れてしまったこと。 初めてその話を聞かされた者は、号泣していた。 一度聞かされていた萌仁香や美子都も、涙を止められずに聞いていた。 そして・・・ それまでの話を、目を閉じて聞いていた津路が、蒼に聞いたのである。 「いま、栞さんは?・・・」
マコト (火曜日, 31 5月 2016 22:52)
津路以外の仲間達全員が、蒼の返事を知っていたために、 「津路・・・」 『津路君・・・』 と、首を横に振ったのだ。 それを見て津路は 「・・・えっ?」 そんな津路に蒼が、小さな声で 『病気で3か月前に亡くなりました』と その、蒼の返事に津路は言葉を失い、目の前が真っ暗になった。 そして、津路をさらに追い込むかのように蒼が言った。 『姉の栞は、最期まで理が生きていると信じていました。必ず自分のところに帰ってきてくれると』 津路は号泣し、自分のした事を悔いた。 悔やんでも悔やみきれなかったが。 「津路・・・」 『津路君・・・』 仲間達の誰もが、津路の涙の本当の意味を知らなかった。 だから萌仁香が、 『津路君・・・悲しい話でしょ・・・津路君は、本当に感情豊かなのね』 と、助け船をだしてくれた。 少し落ち着いた津路に健心が、 「なぁ、津路・・・お前の刑事や探偵として培ってきた能力で、なんとか理君を探すことはできないか?」 と、津路が、まじまじと健心の顔をみた。 そこで、津路が閉じ込めていた記憶の全てを思い出したのである。 「えっ? 健心・・・健心は理君にそっくりじゃないか!」 津路の頭の中は、ぐちゃぐちゃになっていた。 理のことは、自分が墓場まで持って行こうと決めていたが、いま、こうして再び理を待ち続けている人が目の前に現れた。 しかも、その理が、同級生の健心にそっくりなのである。 津路は、思った。 「このバーベキューに呼ばれたのは・・・あの時に理君を連れて帰ってこなかった俺に対する天罰なのか・・・」と 津路の気持ちは揺れ動いた。 「ここで、蒼さんに理の居場所を・・・」 それが、優しい津路の本来の気持ちだった。 それでも必死に自分の気持ちを押し殺した。 「言えない・・・いま、この場で、自分は理の居場所を知っているんだと・・・言えないよ」 津路は、あふれ出る涙を止めることが出来なかった。 すると、蒼が津路の隣まできて、 『津路さん・・・』 と、うつむいて涙で揺れる津路の肩にそっと手を置いたのである。
マコト (水曜日, 01 6月 2016 12:59)
蒼は、津路の背中にそっと手を置き 『津路さん・・・優しいんですね』と そして蒼は、 『もう少し、話を聞いてください』と、津路の隣で話を続けた。 それは、 蒼の心の病も、時間と環境で立ち直ることが出来たこと。 栞が亡くなったことを伝えてくれなかったのは、自分に対する父親の優しさであったこと。 アメリカで暮らしていた自分のところに、栞の訃報が届いたのは、栞が亡くなってから1カ月も後であったこと。 日本に戻ってきたときに、父親から栞の手紙を渡されたこと。 その手紙で、栞の気持ちの全てを知ったことを 蒼は、仲間たちに全てを話した。 そして・・・ 蒼は、もうこの時には、自分の人生を大きく変える決断をしていたのである。 『わたし・・・理のことを待つことをやめます』 「・・・えっ?」 それを聞かされた健心も美子都も、仲間達全員が納得しなかった。 「どうして?・・・蒼さん」 『蒼・・・理君のことを忘れるっていうことなの?』 「蒼・・・」 だが、蒼が次に言った言葉で、誰もが蒼の気持ちを受け入れたのである。
マコト (水曜日, 01 6月 2016 21:37)
蒼は、すこし下を見ながらこう言った。 『理を忘れることなど、絶対に出来ないです・・・でも』 『わたし・・・皆さんと出会えたから・・・わたしは、皆さんから助けをもらうんじゃなくて、皆さんと一緒に生きていきたいと思ったの』 『だって、私のことを心の底から思ってくれるお友達って・・・皆さんしかいないんだもの』 『こうして皆さんと出会えたのは、きっと理が逢わせてくれたんだと思うの』 『だから・・・』 「蒼・・・」 『蒼さん・・・』 そして、蒼は笑顔で言った。 『わたし・・・これからの人生、前を向いて歩いていきます』 『ねっ! 津路さん』 と、うなだれる津路を元気づけるかのように言った。 その言葉は、決して蒼にとって悪い言葉ではなかった。 でも、萌仁香は、 「ねぇ、蒼・・・女の子は良しとしても、男の子は、こんなやつらばかりだよ! それでもいいの?」 『おい! なんだよ~ こんなやつらって、どういう意味だよ!』 「言葉のまんま! こんなやつら!」 『う~ん・・・あっ! もしかして、俺達、今、褒められたんかな?』 「そうそう、こんなやつら!ってね!」 蒼は、そんな萌仁香に微笑んで 『萌仁香ぁ・・・ありがとう』 「蒼・・・」 そして蒼は、そっと立ち上がり仲間たちに向かって 『わたし・・・健心さんと玲飛さんと出会って、そして萌仁香たちにも・・・そして、こうして皆さん達にも・・・だからわたし、皆さん達の仲間に加わりたいです』 こんな時は、壮健の出番である。 「おいおい、何言ってるんだい! 蒼は、もうとっくに俺たちの仲間だろう、ベイビー!」 『・・・壮健さん』 (美子都)「出たぁ~ 壮健の女殺しの決め台詞!」 仲間たちは、それぞれに蒼に向かって笑顔を贈った。 そして・・・ (可夢生)「さっ! バーベキュー再開しようぜ!」 (美子都)『わたし、お腹すいちゃったよ!』 (萌仁香)「げっ、げげ! さっき、随分と食べたよね?美子都・・・えっ? 人数プラスワンの量でも足りなかった?・・・ごめん・・・私の分もいいから、好きなだけ食べて」 (美子都)『は~い!』 (萌仁香)「それに、あんたが言ってきかないから、わざわざ焼き鳥まで串に刺して用意したんだからね!」 (美子都)『は~い!』 (萌仁香)「あっ、それと欽子が来れなくなっちゃったから、私の分も食べといて!だって」 (美子都)『は~い!』 笑顔で萌仁香に答えると、今度は男子達に視線を送って、 (美子都)『ねぇ、男子ぃ~・・・飲んでばかりで食べないの? 私が食べちゃうぞ!』 (男子全員)「・・・ど、ど、どうぞ、どうぞ!」 男子達は、幾度も経験をして学んでいたのである。 そう返事をしないと、美子都が不機嫌になることを。 しかも、「私は、野菜が好きだから! 量は食べられるだけで、足りないと騒ぐ訳じゃない!・・・と、いいながらも、肉は3倍食べるわ、足りない足りないと騒ぐわ・・・経験とは素晴らしい、美子都の扱いを覚えた男子達であった。 (可夢生)「なぁ、健心・・・やっぱり足りなかったな・・・肉」 (健心)「あぁ、考えが甘かったな・・・次回は、3人分としてカウントしようぜ」 (可夢生)「いやっ・・・、5人分でもいいかもしれない」 (健心)「だなっ!」 仲間たちのバーベキューは、時間の許される限り続いた。
マコト (水曜日, 01 6月 2016 23:34)
蒼は、壮健と、ずっと作り笑顔の津路の間に入って、楽しく過ごしていた。 『ねぇ、健心・・・』 「なんだい? 美子都・・・」 『今日は、本当に楽しかったね!』 「うん! 秋になったら、またやろうな!」 『そうね! 今度は日曜日にやればもっと多くの人が参加できるのかなぁ・・・』 「そうだな! そうしよう」 和やかな雰囲気のまま、バーベキューは終わった。 そして・・・ このバーベキューをきっかけに、物語は大きく動き出すのである。 そう、蒼が「理のことは忘れる」という決断をしたことと、津路と出会ったことが、悲劇の始まりであったのである。 そのことを、仲間たちの誰もが知る由もなかった。 物語は、いよいよ最終章に入ろうとしている。 最終章では、仲間達を不幸のどん底へ突き落す出来事が・・・ ご愛読されている方にお願いがあります。 もし、この小説に“ハッピー”、“友愛”、“癒し”を求める方がいるとするならば、この先は、しばらく読まないことをお勧めします。 大変に期待を裏切る結末が待っているので・・・ ただ、その悲劇を最小限にする方法があります。 それは、悲劇をハッピーエンドに変えるあなたの書き込みです。 どうか、仲間たちを救ってあげてください。 仲間は、素晴らしいものなのですから・・・ 愛は、美しいものです。 でも、ときに人を不幸にしてしまうことがあるのも、愛の計り知れない力です。 愛するが故に・・・ 愛の大きさの分だけ深い奈落の底が待っていることを、仲間たちは知らないのだ。
マコト (木曜日, 02 6月 2016 12:57)
バーベキューから3ヶ月が過ぎたある日・・・ 可夢生が、血相を変えて花風莉に来た。 「萌仁香!・・・おっ、美子都も来ていたのか」 萌仁香も美子都も、可夢生の表情がいつもとは違うことに、直ぐに気付いた。 萌仁香が、『可夢生、どうしたの? 何かあったの?』と 可夢生も椅子に座って、話し出した。 「聞いたか? 壮健のこと・・・」 『えっ? 壮健がどうかしたの?』 「・・・やっぱり知らなかったかぁ」 『だから、壮健がどうしたのよ? もったいぶらないで教えてよ!』 「じゃぁ、蒼のことは?」 『えっ? 今度は蒼のこと? 蒼とは、しばらく会ってないけど・・・美子都は会ってる? そう言えば、最近ご無沙汰よね?』 『うん、私も・・・でっ、二人に何があったの?』 その時の可夢生は、どちらのことを先に話そうかと悩んだが、可夢生は、結論から先に言うことを選択した。 「蒼が、津路と入籍したんだってさ!」 『えっ? いま何て言ったの? 蒼が、津路君と?・・・えっ? 壮健とじゃなくて、いま、津路君とって言った?』 「あぁ、そうだ、津路と蒼が入籍したって」 二人は、突然にそんな話を聞かされ、頭の中は混乱していたが、萌仁香が 『えっ? じゃぁ、壮健の話って何? さっき壮健のことって言ったよ! 蒼のことは、それから聞くけど・・・壮健の話を早く聞かせてよ! 蒼と津路君が入籍したことに、何か関係があるの? ねぇ、可夢生』 可夢生は、萌仁香の反応に少し面食らった。 だが、話の順序としては、決して間違いではないと思った。 その食い違いが、可夢生の話をチグハグなものにしてしまったのである。 「落ち着いて聞いてくれよ・・・壮健のやつ・・・心を病んで入院したんだ」 『えっ? 壮健が?』
マコト (木曜日, 02 6月 2016 19:45)
可夢生は、話を続けた。 「実は、蒼と津路が結婚したことに、壮健が関わっていてさ・・・」 『えっ? 何それ! 二人の結婚と壮健がどうして? 壮健が、二人をくっつけたの? えっ? でも、どうして心を病まなきゃならないの? ねぇ、分かんないよ、早く聞かせてよ』 「あぁ・・・壮健のやつ、バーベキューの後すぐに蒼に交際を申し込んだらしいんだけど、蒼は、それを断ったんだそうだ・・・だって、そうだよなぁ、いくら理のことを待つことを辞めると言ったって、高校時代からずっと思い続けてきたんだぜ! それが、いきなり初めて会った男に、直ぐに交際を申し込まれてもさ・・・」 『えぇ~、だって、蒼は前を向いて歩いて行くって、私達に宣言したのよ! 壮健が、申し込みしたって、それはごく自然な成り行きじゃないの?』 「あぁ、そうかもしれないけど・・・壮健のやつ、きっと人生で初めてフラれたのかもしれないな! この歳になって初めて挫折を味わったんだろうなぁ」 『そ、それは、そうかもしれないけど・・・えっ? それで心を病んでしまったの?』 「それがなっ・・・壮健のやつ、蒼に断られてストーカーに変貌しちまったんだよ!」 『えっ?・・・壮健が? ストーカーに?』 「あぁ・・・」 『えっ? 嘘でしょ! からかわないでよ、可夢生!』 「俺だって、聞かされたときには、自分の耳を疑ったよ」 『え~・・・、それで、それでなに? どうして、そのことで、蒼と津路君が? え~、分かんないよ可夢生、何が、どうなっちゃったの?』 「きっと、壮健は、蒼に断られたことが相当にショックだったんだろうなぁ・・・自分が好意をよせた人に、振り向いてもらえないなんてこと、いまの今まで、一度もなかっただろうから・・・」 「壮健なりに、一生懸命やったんだろうな、蒼に好きになってもらいたくて」 「その一生懸命さが、結果的にストーカー行為になっちまったっていうことなんだろう・・・電話、メール、まちぶせ、押しかけ・・・最後は無言電話までするようになって・・・」 「それで、蒼は、壮健のストーカー行為を津路に相談したんだそうだ。 元・刑事、元・探偵の知識を頼ったんだろうな・・・それがきっかけで、二人が急接近したんだってさ」 「結局、蒼は、民事保全法上の接近禁止仮処分の申立てをしたんだそうだ」 「そのことで・・・、壮健は、壊れちまったんだな」 「壮健の性格から言ったら、俺たちに相談することも、出来なかったんだろうなぁ・・・」 可夢生の説明に対して、萌仁香も美子都も、もう、じゃべらなくなっていた。 その時の二人には、津路と蒼のことよりも、壮健を心配して、どうしてこんなことになってしまったのか、頭の中はそれだけだったからだ。 可夢生は、そんな二人を元気づけたいと思って・・・ ただ、それだけのためだったのに、可夢生が、冗談まじりに言った言葉が、仲間たちを分裂させることになってしまうのである。 「しかし、まいったなぁ・・・これが、健心や玲飛だったらなぁ・・・あいつらなら、高校時代からフラれっぱなしだから、こんなことにはならなかったんだろうけどな!」 その可夢生の言葉に萌仁香が切れた。 『はぁ? こんな時に何言ってんの? 可夢生! いま、そんな冗談が言える状態じゃないでしょ!』 美子都も同じ気持ちだった。 ただ、萌仁香は、それだけでは済まなかったのである。 その時の気持ちを、八つ当たりの言葉に変えて可夢生に投げてしまったのだ。 『いったい、男子達は何をやってたの? 壮健のことを守れなかったの? ・・・それでも仲間だって言えるの? あんた達は!』 そんな萌仁香の言葉に、可夢生も切れてしまった。 「はぁ? 何言ってんだい? いくら仲間だって、相談してもらえなかったら、こっちだって、どうにもなんねーだろうよ!」 『男子は、そうやって逃げるのね! 情けないわ』 「はぁ?・・・」 その時に、一番冷静だった美子都が仲裁に入っていれば、そんなこじれることもなかったのかもしれない。 美子都が、その時に考えていたのは、これから壮健のことを、みんなで支えていってあげなければならないんだと、ただ、それだけを考えていたのである。 だから、もう、それに気づいた時には、修復不可能な状態になってしまっていたのである。 『可夢生の話を聞いてると、まるで壮健が蒼に交際を申し込んだことが、悪かったみたいに聞こえる! それに、蒼と津路君のことよりも壮健のことを先に話すべきでしょ! 可夢生が、そんな冷たい人間だったなんて知らなかったわ!』 「あぁ、どうせ、冷たい人間だよ!」 ようやく、止めなきゃと気づいた美子都の 『ねぇ、やめようよ』 と、その言葉より、先に萌仁香が、 『可夢生なんて、もう信じられない! 帰って!』 「あぁ! 言われなくても帰るよ!」 『えっ? 萌仁香ぁ・・・可夢生も』 仲間たちの絆が、音をたてて崩れていった瞬間だった。
マコト (金曜日, 03 6月 2016 12:30)
萌仁香も美子都も黙っていた。 初めに口を開いたのは美子都だった。 「ねぇ、萌仁香・・・」 萌仁香は、返事もせずに泣いていた。そして 『可夢生のバカ!』と 「ねぇ、萌仁香・・・萌仁香の気持ちも分かるけど、可夢生が言うのも少しは・・・」 『えっ? なに? 美子都は可夢生が正しいっていうの?』 「ち、違うわよ! 萌仁香・・・今は、私たちがもめている場合じゃないと思って・・・」 萌仁香は、可夢生が言った言葉が、どうしても許せなかった。だから、可夢生を擁護しようとする美子都の言葉など、受け入れられるはずがなかったのである。 『ねぇ、美子都・・・悪いけど美子都も帰って! 私は、壮健のことで頭がいっぱいなの!』 「・・・萌仁香ぁ」 美子都は、これ以上萌仁香に何を言っても、今日は無理だと思った。だから、 「・・・う、うん・・・ねぇ、萌仁香・・・近いうちに壮健を見舞いに行ってみよう・・・ねっ、萌仁香・・・今日は帰るね」 返事もせずに黙っている萌仁香に「またね」と。 返事もしない萌仁香を横目に美子都は店を後にした。 美子都は、駐車場まで行く間に何度も振り返った。 『ごめん、美子都』 と、店から出てくる萌仁香を思い描いて。 でも、萌仁香が店から出てくることはなかった。 「萌仁香・・・」 美子都は、車を運転しながら、さっきの光景を思い出していた。 「わたし・・・私が、萌仁香と可夢生を、もっと冷静にしてあげられていたら・・・」 そう考えると、自然に涙があふれてきた。 「・・・そうよね ・・・こんな時は、時間をおかない方が」 そう言って車を停め、携帯を取り出して可夢生に電話をかけた。 「・・・えっ? なに? これ」 それは、可夢生が美子都からの電話を着信拒否の設定をしたとしか考えられない電話の応答だった。 「え~・・・可夢生・・・どうしてぇ~」 「私達とは、もう縁を切ったとでも言いたいの? ・・・可夢生」
マコト (金曜日, 03 6月 2016 20:16)
美子都は、居ても立っても居られなくなり、車を飛ばして花風莉に戻った。 「もぉ~、どうすんのよぉ~萌仁香」 花風莉の駐車場に入った。 「・・・えっ?」 花風莉は電気が消え、既に暗くなっていた。 「もう閉店? この時間に閉店するなんて、今までなかったのに・・・」 美子都は、暗くなった花風莉の駐車場で、うなだれて思考を停止させた。 どれくらいの時間が経っていたであろうか、ようやく、我に返った美子都は、健心に電話することを選択した。 「健心・・・出て、お願い!」 だが、往々にして、そんな時は誰にも電話がつながらないものである。 「もぉ! 健心のバカ!」 車のエンジンをかけ、駐車場を出ようとした時だった。 バックに戻した携帯が、鳴ったのである。 「あっ、健心からだ!」 そう思ってディスプレーを見ると、それは・・・蒼からだった。 「えっ・・・」 美子都は、電話にでることをためらった。 それは、いま、聞かされた津路とのことで電話をしてきたのだとすれば、どう応えていいのか、全く考えられなかったからだ。 心のどこかで、壮健がこんなことになってしまったのは、蒼が断ったからだと思っていたからだったのかもしれない。 「・・・どうしよう」 美子都は、それでも“蒼は私たちの仲間よね”と、蒼からの電話に出た。 「もしもし・・・」 『美子都、元気ぃ~?ご無沙汰ぁ~』 それは、蒼のいつもの電話の声と話し方だった。 それでも、その時の美子都には、意識しないところで拒絶反応をおこしていたのであろう。 「あっ、う、うん・・・元気だよ」 と、普段とは違うトーンでの返事になっていた。 『あれっ、いま忙しかった? なんか・・・』 「いやっ、ごめん、ちょっと運転中だったの、あっ、でも、いま車を停めたから」 『そっか、ごめん・・・あのね!』 美子都は、蒼の“あのね!”の言葉で覚悟した。 「津路君とのことだ・・・」 だが、蒼の“あのね!”は、別のことだった。 『私ね、萌仁香のお店のブログを読んだの!』 「・・・あっ、そう、・・・読んだんだ」 『うん! そしたらさ、来週、花風莉でアレンジメント教室があるって記事が載っていたの!参加したいと思ってさっ、・・・さっきから何回か萌仁香のところに電話してるんだけど、忙しいのかなぁ・・・つながらないの・・・、それで、もしかして美子都が萌仁香のところに行ってたりしないかなぁなんて思って、電話しちゃったんだ』 図星だった。 美子都は、電気が消えた花風莉を眺め、心の中で「そうよ!」と。 でも、声となって出てきた言葉は、 「あ、私もしばらく花風莉に行ってないんだぁ・・・きっと、そのうち折り返しの電話があるわよ」 と、偽りの言葉と、萌仁香に対する期待の言葉だった。 『そっかぁ・・・でも、どうしたんだろう萌仁香・・・いつもなら、直ぐにかかってくるんだけどなぁ・・・』 美子都は、とにかくその状況から逃げ出したかった。だから、 「あっ、蒼・・・わたし、外出中で用事があるの・・・ごめんね」と 『いやっ、私こそごめんなさい・・・またね、美子都』 「あっ、うん、またね蒼」 美子都は、電話を切ってうなだれた。 「わたし、蒼のことが大好きなはずなのに・・・」 美子都の心の中には、虚しさだけが残った。 美子都が、花風莉の駐車場を出ようと、もう一度エンジンをかけたときだった。 美子都の携帯が鳴った。 「えっ?・・・」 美子都は、恐る恐るディスプレーを見ると、それは・・・健心からだった。 「健心・・・」 急いで電話に出た。 「もしもし・・・」 『なんかよう?』 「・・・えっ?・・・なに、それ・・・」 でも、そんな冷たい健心の言葉などお構いなしに美子都は、機関銃のように今日の出来事を健心に説明した。 『ふ~ん・・・それで?』 「はぁ?・・・」 次に健心が言った言葉に美子都は、愕然とするのである。 『それって、俺には関係ないと思うんだけど・・・』 そう言って、健心の電話は切れた。 「・・・えっ?・・・な、なんなの・・・これ・・・」 「ねぇ、いったいみんなどうしちゃったの? 仲間のことが心配じゃないの?」 美子都は、見つけようにも、その時にあてはまる言葉が見つからなかった。 唯一でてきた言葉だった。 「私達、どうなっちゃうの・・・」 こんな状況になると、涙も出なくなるものである。 美子都は、ただ呆然と車を走らせ、家路についたのだった。
マコト (土曜日, 04 6月 2016 07:12)
美子都が、自宅について、車庫に車を納めて降りてきたときだった。 「よっ!」 美子都に声をかけてきた男がいた。 街灯の逆光で見えにくかった。 「えっ? 誰なの?」 ようやく暗闇に目が慣れて、その男が見えた。 「ギャー!」 「そ、そ、そ・・・えっ?・・・そ、そ、壮健? 壮健なんでしょ? どうしてここに?」 『・・・そこまで、驚くか? もしかして、おまえ、お化けだと思ったのか? 勝手に殺すなよ! ほらっ! ちゃんと、足二本ついてるだろう! 』 「いやっ・・・あの、・・・にゅ、にゅ、にゅ、・・・入院してるんじゃ?」 壮健は笑った。 すると、それと同時に数人の人影が、美子都の前に現れたのである。 「えっ?・・・蒼・・・可夢生・・・萌仁香・・・えっ? 健心・・・どうして、みんな? えっ? なに? どういうことなの?」 それは・・・一週間前のことだった。 仲間達が花風莉に集まって、緊急会議が開かれていた。 (健心)「こないだの集まりで、美子都がドタキャンしたこと・・・、本人に代わって謝るよ」 (可夢生)「ホントだよ! この時期にインフルエンザにかかるか?」 (蒼)「え~、でも仕方ないんじゃないの? 本人だってかかりたくてかかった訳じゃないんだし・・・」 (萌仁香)「蒼は、優しいわねぇ・・・でも、だめ! こういうのを甘やかすと、あいつは・・・また、ドタキャンなんかされたら、困るモン!」 (壮健)「まぁ、俺は、こないだは欠席しちゃったから、何とも言えないけど・・・」 (可夢生)「まぁ、自己管理という意味では、なってないわな!」 (萌仁香)「そうね!」 (健心)「最近、あいつ、冷たいんだよな! バーベキューの時なんか、玲飛を乗せるために、俺・・・途中で車を降ろされて、そこから歩かされたんだぜ!」 (萌仁香)「それは健心の普段の行いが悪いからでしょ!」 (健心)「・・・そうでした(-_-;)」 (可夢生)「少し、お灸をすえてやったほうが良さそうだな!」 (萌仁香)「賛成!」 (蒼)「え~・・・可哀想だよ・・・お灸をすえるって、どうするの?」 (健心)「あのさ・・・やるなら大掛かりにやろうぜ!」 それから、それぞれにアイデアを出し合い、ストーリーがまとまった。 (蒼)「え~、私も参加なのね? まぁ、いまここにいる時点で、同罪ね! でも、そんなにうまくいくのかな?」 (萌仁香)「大丈夫よ! 美子都なら、絶対に私たちが考えた通りに行動するから!」 (蒼)「萌仁香、すごい自信ね!」 (萌仁香)「もちろん! だって・・・」 (蒼)「仲間だもん! でしょ」 (萌仁香)「せいか~い!」 (男子達)「・・・女子は、怖いな(-_-;)」 そんな、緊急会議が開かれていたことを知らなかった美子都は、仲間達の芝居に、筋書き通りの行動をしてくれたのである。 (蒼)「まだ、病み上がりなんだから、無理しちゃだめよ! はい、これ!」 (美子都)「えっ? ケーキ? 」 (萌仁香)「はい、これ! 元気になって良かったわね! もう、ドタキャンするなよ!」 (美子都)「えっ? 大福? ・・・って、ちょっと待った!」 ようやく、インフルエンザを心配してくれたのと一緒に、ドタキャンしたことに対する罰のために、仲間たちが、ぐるになって芝居をしていたことに気付いた美子都は、 「ちょっと待ったーーーーーー!!!!!!」 と、近所迷惑も関係なく、その場で暴れだしたことは、容易に想像がつくであろう。 (美子都)「もぉ~、あんた達ったらぁ・・・」 と、うれし泣きでお嬢様座りの美子都に健心が 「俺は、やめよう! って、止めたんだ! はい、これ! みたらし団子」 もちろん、美子都は分かっていた。 「嘘つけーーー!!!!! あんた、主犯格でしょ!」 逃げる健心を追いかけまわす美子都を見て他の仲間たちは、 「まぁ、これで懲りただろうよ! もう、ドタキャンしなくなるんじゃねーかな」 『そうね、そう願いたいわね』と 家に入った、美子都は悔しいのと、嬉しいのと・・・ その交互に現れる感情に背中を押されて、仲間達からいただいた「ケーキ、大福、みたらし団子、カリントウ、おはぎ」を一気に完食したのであった。
マコト (土曜日, 04 6月 2016 22:03)
皆、それぞれに普段通りの生活を送っていた。 仲間達の集まりもご無沙汰していたある日・・・ 蒼が、花風莉に遊びに来た。 「萌仁香ぁ・・・」 『あっ、いらっしゃい、蒼』 「遊びに来ちゃった」 『そこに座って! いま、珈琲いれるね』 「ありがとう」 蒼は、いつも綺麗な花に囲まれて働いている萌仁香がうらやましかった。 「いいなぁ・・・萌仁香は、いつも綺麗な花に囲まれて・・・」 『うん? そうねぇ・・・でも、大変なのよ!』 「そうねっ、素人の私には分からない苦労も、たくさんあるんだろうなぁって思うよ」 『苦労っていうか・・・まぁ、でも、毎日とても充実してるかな』 「いいなぁ・・・それがうらやましい」 『蒼は? まだ、居酒屋に行ってるんでしょ?』 「・・・辞めたんだぁ」 『えっ? そうだったの? 何か、辞めなきゃならないようなことでもあったの?』 「それは、ないんだぁ・・・ただ、毎日が平凡で・・・」 『平凡? 平凡って、ある意味幸せなことなのかもよ』 「そっかぁ・・・そうなのかもしれないわね、・・・あっ、それでさっ、相談があるんだぁ・・・萌仁香」 『相談?・・・なにぃ?』 「あのね、萌仁香・・・」 それまで、珈琲の準備で立っていた萌仁香も、蒼の隣に座った。 『どうしたぁ・・・蒼、相談って』 「私、お仕事探してハローワークに通っているんだけど、ちょっと気になる会社を見つけたんだ」 『気になる会社?』
マコト (月曜日, 06 6月 2016 12:57)
少し顔を赤らめて話す蒼だった。 萌仁香は、それに気付いていた。 「えっ? 気になる会社って?」 『・・・うん・・・津路工機なの』 「って・・・つ、津路君の会社?」 『うん! 事務員さんを募集しているみたいなの・・・わたし、一度、OLをやってみたかったんだぁ・・・』 「へぇ~そうなんだ」 『ねぇ、萌仁香ぁ・・・津路君ってどんな人なの? とても優しそうだし、楽しい人よね』 「あっ、う、うん・・・楽しい人よね・・・でも、あまりよくは知らないのよ・・・」 『そっかぁ・・・』 「ねぇ、蒼・・・」 『なぁに? 萌仁香』 「津路君とは、バーベキューの一度しか会っていないのよね?」 『・・・うん』 「そっかぁ・・・ほら、美子都のドタキャン予防措置活動やったでしょ! 蒼が津路君と入籍したっていうストーリーの・・・」 『・・・うん』 「あの時さぁ、可夢生の悪知恵ストーリーに、蒼は断るかと思ったら・・・津路君との入籍話に、なんか嬉しそうだったよね?」 『えっ?・・・そ、そんなことないよ!』 蒼は、明らかにほっぺを赤くして、恥ずかしそうにうつむいた。 「まさか・・・」 『えっ? まさかってなに?』 「一目ぼれでもした? 津路君に・・・」 『バカぁ・・・そんなことある訳ないでしょ!』 「・・・って、その顔が“ある”って言ってるけど」 『・・・・・』 「で、どうする? 津路君のことは、健心が一番付き合いがあったんだけど・・・健心に相談してみる?」 『えっ? 津路君との結婚を?』 「・・・・・ちがーから(-_-;) 津路君の会社に勤めることよ!」 『あっ、あ、それね! うん! 健心さんにいろいろ聞いてみたい!』 「・・・分かった(-_-;)」
マコト (火曜日, 07 6月 2016 00:14)
萌仁香は、それなら早くと携帯を取り出し、健心にLINEした。 と、数分も経たないうちに、 『よっ! 萌仁香! ・・・あ、ど、どうも・・・蒼さん』 と、健心が花風莉にやってきた。 「えっ? 早っ!」 『あぁ、ちょうどそこのセブンイレブンにいたんだよ!』 「そっか・・・っていうかさっ、私と蒼への挨拶が違い過ぎるんだけど!」 『えっ? そ、そんなことないよ!』 健心の蒼に対する挨拶は、明らかに違かった。 「もぉ~、美人には相変わらず弱いんだから! 健心は!」 『・・・・・そんなことないよ(-_-;)』 そんな二人のやり取りを蒼は、 『いいなぁ・・・私も、そうやって健心さんとも普通に話せるようになりたいなぁ・・・』 「蒼! あのね・・・それは、なかなか難しいのよ・・・この人の場合はね! ・・・って、まぁ、そのことはまた今度ということにして・・・あのさ、健心・・・」 『おっ、そうだ! なんだい? 相談したいことって?』 「それがさぁ・・・」 萌仁香は、蒼からの頼みを健心に説明した。 その話を聞いた健心は、 『・・・なるほど! 津路はいいやつだよ! じゃぁ、俺から津路に頼んであげるよ!』 「えっ? ホンとですか? 健心さん」 『あっ、は、はい・・・任せてください、僕に』 萌仁香が、すかさずそこに突っ込みを入れてきた。 「はぁ? ぼ、僕にだぁ? なに、その“僕”って! 気持ち悪いんだけど!」 『ぼ、僕は僕だよ!』 「もぉ、美人には言葉づかいが、どうしてそこまで違うのよ! あんたわ! ったく! ちょっとこっちに来なっ!」 『はぁ?・・・なんで? やだよ!』 「いいから,こっちに来なさいよ! 健心」 萌仁香にポロシャツの首の部分をつかまれ、外に出された健心は、 『なにぃ・・・? 中じゃ話せないことなんだろう?』 「さすがに、あんたは感がいいわね! そうなの! あのね・・・」 と、蒼がどうやら津路に気があるかもしれないことを伝えた。 『う、う、う・・・うそっ、まじで?』 「分かんないけどね! その可能性は高いわよ!」 『・・・・・・』 「えっ? なに? あんた、もしかして落ち込んでんの? あんたには、美子都がいるでしょ! 美子都が!」 『・・・・・・』 「ってさ、そう言えば、美子都のドタキャン予防措置活動のあとは、どう? ケンカしてない?」 『う、う、うん?・・・うん、ケンカはしていない・・・』 「なによ、それ? ケンカは!って」 『・・・ずっと、機嫌悪い!』 「・・・まじで?」 『うん・・・おかげさまで、あれから毎晩、みたらし団子の差し入れさせられてる』 「アハッ! 美子都らしいわね! ・・・えっ? ・・・ってさ、昨日、私も“みたらし団子・レアチーズタルト・SOYJOY・ほかドリンク”を差し入れして来たのよ!」 『まじで? ・・・いま、成長期だからな・・・』 「・・・そうね(-_-;) ・・・って、本論に戻ろうよ!」 『そうだな』
マコト (火曜日, 07 6月 2016 19:49)
健心と萌仁香が戻ってくるのを待っていた蒼は、 「ねぇ~、なんか私のことを話していたの?」と、心配顔で。 『あっ、ち、違いますよ、蒼さん・・・美子都のことでちょっと・・・』 「そっか、あぁ、良かった!」 『いい子だなぁ、可愛いなぁ、・・・蒼』 そう、心の中でつぶやく健心に、蒼が 『健心さん・・・私に、OLが務まると思いますか?』 「大丈夫ですよ! だって、オフィスのレディだから」 『・・・???』 と、やっぱり健心と、綺麗な女性との会話には、通訳が必要であった。萌仁香が、 『あっ、蒼! いま、健心は、あまり気負わなくても大丈夫だよっていう意味で言ったみたいよ!』 「うん! 分かってる!」 『えっ? 分かるんか~い? ・・・案外、お似合いなのかもね・・・この二人』 と、天然素材の二人に、微笑むしかなかった。 「じゃぁ、2~3日待ってください、蒼さん・・・ 津路のところに行って、話してくるので」 『はい、お願いします、健心さん』 健心は、ニコニコして帰っていった。 「ねぇ、萌仁香・・・」 『なぁに、蒼』 「健心さんって、お茶目よねぇ・・・わたし、あんな人が旦那さんだったらいいなぁ・・・たくさん尽くしちゃうんだけどなぁ」 『は~~ぁ? なに、それ・・・津路君が好みじゃなかったの? (蒼って・・・分かんない)』 「健心さんなら、きっといい返事を持ってきてくれるよね!」 『・・・そ、そうね』
マコト (水曜日, 08 6月 2016 22:55)
花風莉を出た健心は、蒼から頼みごとをされたことに上機嫌。 それでも、萌仁香の言葉を思い出して、 「蒼が、津路のことを?・・・あいつ、あれで結構もてるんだよなぁ・・・日本人離れした顔してるからなぁ・・・って、俺も東南アジア系だった(-_-;)」 と、“一人ボケ突っ込み”をかましながら、「このまま津路のところに行っちゃえ!」 と、車を走らせた。 「おぉ、これが津路の会社か!」 健心は、会社の前の駐車場に車を停めて、『事務所』と案内板で示された方に歩き出した。 すると、事務所ではなく、倉庫のような建物の奥の方から 『おぉ~、健心!』 それは津路だった。 「よっ!津路」 『どうした? 珍しいな! 健心・・・こないだのバーベキューでは、世話になったな』 「うん、楽しかったな・・・今日は、津路にちょっと頼みごとがあってな」 『頼みごと? ほぉ~・・・まぁ、入れよ!』 と、事務所に通された。 中に入った健心は、 「す、すげ~!!!」 と、事務員の数と、宝塚歌劇団のような美女の多さに衝撃を受けた。 『どうした? 健心!』 「いやっ、なんでもない!」 健心は、奥の社長室に案内され、豪華なソファーに腰をおろした。 『珈琲がいいか? お茶? どっちがいい?』 「あっ、じゃぁ、珈琲をいただくよ」 津路は、インターフォンで 『珈琲を二つ頼む!』 「はい、社長、かしこまりました」 健心は、津路がとってもカッコよく見えた。 「おぉ~、社長! って、感じだな!」 『なに、言ってんだよ! 小さな会社だぜ! これで、結構大変なんだよ! それに長く勤めてもらっていた事務員に急に辞められちゃってさ・・・』 健心は、「おぉ~、これは話が早い」と思った。 二人が、雑談をしていると、珈琲を持った事務員が社長室に入ってきた。 『おぉ、夏美君、ありがとう! こいつは、小野寺健心! 俺の高校時代の同級生なんだ!』 「そうですか」 と、柔らかい笑みを浮かべた。 それは、堀北真希似のとても綺麗な女性だった。 健心は、その女性にみとれて、ずっと固まったまま。 夏美が出て行くのをロボットのような動きで見届けると 「き、き・・・綺麗な人だなぁ・・・」 『うん? 夏美君か? あぁ、なかなか気のきく女性でな! 助かってるんだよ』 「しかし、すごいなぁ・・・」 『うん? なにが?』 「たくさんの事務員さんがいるんだな! それも、みんな綺麗な女性ばかりで・・・」 『いやいや、ホンと、小さな会社だよ』 『ところで、健心・・・頼みごとってなんだい?』
マコト (木曜日, 09 6月 2016 12:55)
健心は、夏美の綺麗さに顔が緩んだままであったが、 「おっ、そうだった」 と、今日の本題に入った。 「あのさっ、・・・津路の会社で事務員さんを募集しているんだって?」 『うん? おぉ~、そうなんだよ。さっき言ったように、長く勤めてもらっていた事務員に急に辞められちゃってさ・・・って、そのことと、今日、健心がここに来たのと関係があるのか?』 「あっ? う、うん・・・実はな、ハローワークで津路のところの求人を見た人がいてさ・・・」 『おぉ~、なに? その人が健心の知り合いなのか? 健心が推薦するなら、即採用するぜ!』 「えっ? そうなのか?」 『あぁ・・・でっ、どんな人なんだい?』 健心は、満面の笑みをつくって言った。 「蒼さんだよ!」 『・・・えっ』 蒼であると聞かされた津路の表情は、明らかに変わった。 その時の健心は、津路はきっと驚きの表情をしたのだろうと思い、 「いやぁ、さっきの夏美さんといい、他の事務員さんも、みんな綺麗な女性だよなぁ・・・なんだよ!津路は、綺麗な事務員さんしか雇わないのかよ! って、思ったぐらいだよ! で、蒼さんなら申し分ないよなぁ ったく、幸せ者ぉ!」 健心は、この話の流れなら、津路は、二つ返事でOKしてくれると思っていた。 だが、津路は、 『健心・・・申し訳ないけど・・・』 「えっ? なんで? いま、俺の推薦なら即採用するって言ったばかりだろう? それに、津路だって、蒼さんが国立大学卒で、性格も申し分ないことは分かっているんだし・・・ほらっ! なにより、津路の大好きな美人さんだしさ! 問題ないよな?」 『・・・健心 ・・・本当にすまないけど』 「津路・・・」 健心は、直ぐに少し言い方が悪かったことを反省した。 だから、素直に詫びる気持ちで、 「津路・・・ごめん・・・ちょっと調子に乗りすぎた。・・・でもさ、どうしてダメなのか聞かせてくれよ・・・俺、津路とは一番仲が良かったからと、蒼さんにお願いされたんだよ・・・だから、理由ぐらい教えてもらえないと・・・蒼さんに伝えられないよ・・・津路」 だが津路は、健心の顔を見ずに 『すまないが、帰ってくれ! 忙しいんだ!』 と、健心に背中を向けて立ち上がった。 「津路・・・」 健心は、津路にかける言葉が見つからなかった。 ただ、ここで津路とケンカになることだけは避けたいと考えた健心は、黙って津路の言葉に従うことを選択したのである。 「津路・・・珈琲、ごちそうさま・・・また、機会があったら仲間達で一緒に飲もうな」 津路が、健心の言葉に返事することはなかった。 社長室を出て、珈琲を運んでくれた夏美に軽く会釈をして事務所を出た。 健心は、車に乗り込み 「いったいなんなんだよ! 津路のやつ・・・どうして蒼さんじゃダメなんだ? その理由ぐらい聞かせて欲しかったぜ・・・津路」 車を発進できずに、考え込んでいると、それまで、抑えていた感情が、ふつふつと湧いてきた。 「津路! ふざけんなよ!」 ・・・と、その時だった。
マコト (木曜日, 09 6月 2016 20:47)
堀北真希似の夏美が、事務室から出てきて健心の車に近づいてきたのである。 “コンコン” 『すみません・・・』 「えっ?・・・ま、ま、真希さん」 と、窓を開けると夏美は、ちょっと照れくさそうに 『あのぉ・・・黒河夏美です。 いま、真希と・・・』 「あ、あ、ごめんなさい・・・そうでした。夏美さんでしたよね・・・堀北真希さんに似てるなぁって思ったので、つい・・・」 夏美は、少しだけ笑みを浮かべたが、 『あのぉ・・・ちょっといいですか?』 と、神妙な顔をした。 健心は、車から降りて夏美の前に立った。 「夏美さん・・・どうかしましたか?」 『小野寺さんとおっしゃいましたよね? 社長と高校時代の同級生だと・・・』 「あっ、はい・・・高校時代は、よく二人でバカやっていました。津路は、昔からいい奴でねぇ・・・」 『ひとつお尋ねしたいんですが・・・社長は、6月ごろ、バーベキューに出かけて行ったんですけど・・・確か、高校の同級生たちと卒業以来に会うんだと、すごく喜んで出かけていったんですが・・・』 「あっ! それなら、自分も参加して、楽しく飲んできましたよ」 『そうでしたかぁ、良かったです。・・・それで、その時の社長の様子がどんなだったか、お聞きしたいんですが・・・』 「えっ? その時の様子? ・・・普通でしたけど、なにか?」 『実は・・・、社長、そのバーベキューに行った後から、様子がおかしいんです・・・だからバーベキューの時に何かあったのかと、ずっと考えていたんです・・・』 「えっ? バーベキューのあとから?」 健心は、その時の津路の様子を思い出していた。そして、 「う~ん・・・楽しく飲んでいたと思いますけ… あっ!」 『えっ? 何かあったのですか?小野寺さん!』 健心は、バーベキューの時、蒼の話に仲間達の誰よりも涙を流し、考え込んでいる様子の津路を思い出した。 「もしかして、津路は・・・」 『えっ? 小野寺さん・・・思い当たることがあったのですか?』 健心は、意を決して夏美に言った。 その時に何をどう考えたのか・・・ 「夏美さん・・・お、俺と・・・付き合ってください!」 『・・・はぁ?』
マコト (木曜日, 09 6月 2016 23:48)
夏美は、健心の言葉に、大きな目をさらに大きくして、 『お、お、小野寺さん・・・いま、なんて?』 「はっ??? あっ、あのぉ・・・いきなりの付き合ってくださいって、誤解されるような言い方をしてごめんなさい・・・実は・・・」 健心は、バーベキューの時に、蒼のことで津路が過剰な反応をしていたように感じたこと、そして、今日は、この会社で事務員を募集していることを知ったその蒼が、入社を希望していることを津路に伝えにきたが、急に態度を変えられ、そして断られたことを夏美に伝えた。 そして健心は、頭をかきながら夏美に言った。 「あのぉ・・・ごめんなさい・・・津路がどうして急に態度を変えて断ったのか、それとバーベキューのあとに、どう様子が変わったのか・・・いろいろ聞きたいと思って、ここじゃなんだと、場所を変えて聞きたいなと・・・それで、つい、“付き合ってください”なんて言い方してしまいました・・・ごめんなさい」 夏美は、笑顔で健心を見ていた。そして、夏美はこう言った。 『健心さん・・・うちの社長と、なんか似ていますね。 自分のことよりも、他人のことで一生懸命になって・・・そんなところが、好きです』 「・・・えっ? す、す、好き? 俺のことが???」 おそらくは、夏美は健心の最後の言葉は聞こえていなかったのであろう。 『健心さん・・・じゃぁ、今日仕事が終わってからお会いしましょうか?』 「・・・は、は、はい」 夏美は、事務服のポケットからメモ用紙を取り出し 「はい・・・これ、私の番号です」 と、健心に渡した。 「えっ、・・・」 と、健心はロボットのように固まり、 「あ、ありがとうございます」 「じゃぁ、のちほど・・・」と 健心は、一度帰宅して勝負服の一張羅のジャージに着替えた。 「やっぱり、男はこれじゃなきゃ!」 よく分からない理論であるが・・・ そして、時間を見計らって夏美との待ち合わせ場所に向かった。 その頃、仕事を終えた夏美も着替えを済ませ、健心の待つ場所に向かっていた。 黒河夏美・・・ 年齢は、健心と同じ53歳である。 髪は黒く、ミディアムロング・内巻きワンカールに綺麗にまとめられ、自然に整えられた眉に、薄化粧 一言で、美人である。 堀北真希が中学2年生のとき、バスケットボールの部活動の帰り道、畑でスカウトされた話は有名であるが、夏美も同じようにバスケットボールに明け暮れた学生時代を送っていた。 蒼が、有村架純似で・・・同じようなタイプと思うであろうが、夏美は“大人”という表現がぴったりな女性である。 実は・・・ 夏美と津路は、仕事のパートナーとして、もう20年以上の付き合いなのである。 そう、だから、津路探偵事務所時代にも、事務員をして津路を支えてきていたのであった。 そんな夏美は、初対面の健心が馴染むまでに時間を要するタイプの女性であるはずなのだが、何故か、今回の健心は凛々しかった。 健心は、一張羅のジャージに身を纏い車を走らせた。
マコト (木曜日, 09 6月 2016 23:51)
二人の待ち合わせ場所は、夏美が一度行きたいと思っていた“ハニー・シー”だった。 養蜂園が運営するカフェらしく、“はちみつ”にこだわったパンケーキを始め、蜂蜜をかくし味に使用したパスタやピッツァなどを出してくれるお店だ。 健心が、先に着いた。 店に入ろうと中の様子を伺った・・・健心の足は止まった。 「・・・無理」 そう、店内は、若い女の子だらけだったのである。 やむを得ず、健心は駐車場で夏美を待つことにした。 間もなくして夏美が来た。 『ご、ごめんなさい・・・待たせてしまいましたね、小野寺さん』 と、何故だろうか・・・男は、決まってこんな言い方をする。 「いやっ、自分も遅れちゃって・・・いま、着いたところなんです」と たいがいの女子は、分かっている。 『優しいのね』と 『わぁ~、わたし、ずっと来たかったの! このお店』 「そうなんですか・・・」 『入りましょう!』 「あっ、・・・はい」 お客さんの全てが、若い女の子だった。 もちろん・・・浮いた。 一張羅のジャージが。 奥の席に案内され、店員さんからメニューを渡された。 健心は、「食事はまだですよね?」と、晩御飯を勧めた。 『あっ、・・・はい。 どうしよぉ~、みんな美味しそうで悩んじゃう~』 男は、そのギャップに弱いものだ。 大人の雰囲気たっぷりでありながら、可愛い少女のような一面を覗かせる。 男たちは、知らないのである。 それが、女の子の武器であることを。 そして、こんな状況において女の子は、こんなことも言う。 『彼と一緒だったらなぁ、違うものを頼んでシェアするんだけどなぁ・・・』 そしてもちろん男は、目の前にぶら下げられた餌に食らいつくのである。 「あっ、良かったら二つ選んでもらっても構いませんよ! 一緒に・・・」 だが・・・ もちろん撃沈されるのである。 『あっ、わたし・・・ごめんなさい・・・初めての方に、変なことを言ってしまって・・・』 「あっ、いやっ・・・そ、そうですよね」と
マコト (日曜日, 12 6月 2016 20:52)
結局、健心が“小エビのハニートマトクリームパスタ” 夏美が、“ホウレン草とキノコのハニークリームパスタ”を そして、“生ハムとルッコラのピッツァ”を二人で、夏美には“ドルチェプレート”も追加した。 ピッツァは、8分の2を健心が、そしてその残りを夏美が頬張った。 世間一般的には、逆なのかもしれない。 だが、美子都の食べっぷりに慣れている健心には、驚きはなかった。 それは、既に美子都で免疫が出来ていたからだ。 健心だって、簡単に免疫を手に入れていた訳ではない。 最初は衝撃を受けた。 「こ、こ、こんなに食べる女子が世の中にいるのか!」と 美子都は、カラオケボックスに入れば、必ずインターフォンに一番近い席に座り・・・、 気が付けば、料理が運ばれてきている。 「え~、○○君が食べたいっていうから頼んだのにぃ~ もぉ~!あぁ、もったいない! 仕方ないなぁ、私が!」 もちろん仲間達は分かっている。 「はいはい・・・どうぞ、召し上がってください」 そんな美子都のことを仲間達は、豪快に食べることが、美子都の元気印といつも見守っているのであった。 ところで、本編に戻るが・・・ 二人は、特に緊張することもなく食事をしていたが、いわゆるデート的な雰囲気は、食事が終えるまでだった。 そこからは、健心も夏美も顔つきまでも変えて話しを始めた。 「夏美さん・・・津路は、バーベキューのあと、どんなふうに様子がおかしいんですか?」 『はい・・・時々、ぼーっと考え込んでいたり、とにかく、あまり笑わなくなってしまったんです・・・あんなに、明るい俊成く・・・あっ、津路社長だったのに』 「そうなんですかぁ・・・」 『小野寺さん・・・蒼さんという方のことを聞かせてください』 「・・・はい」 と、健心は蒼について話をした。 当然、理のことも含めて。 『小野寺さん・・・その、理さんの捜索の件って、いつ頃の話ですか?』 「う~ん、・・・8~9年前です」 すると、それまでの固い表情の夏美の顔がさらに強張ったのである。 それを見た健心は、 「えっ? 夏美さん・・・何か思い当たることでも?」 『あっ! いえっ・・・なんでもありません』 健心は気づいていた。 明らかに夏美は、何かを隠していると。 そんなときの健心は、話題を変えるのであった。 「ところで、夏美さんは、いつから津路の会社に?」 おそらくは、夏美は、理の捜索の話題に戻ってほしくなかったのであろう。 健心に話題を変えられたことで安堵の顔を浮かべ、明るく、そして口数も多く話し出した。 『はい、もう20年近くなりますね・・・津路社長とは・・・』 健心の思惑通りかどうかは分からないが、夏美は余計なことまで話してしまう。 津路が、あるとき、突然に探偵事務所を閉じて、津路工機を親から継いで社長となり、そして夏美も一緒に津路工機で働くようになったことを。 健心は、気づいた。 理の失踪の時期と、津路が突然に探偵事務所を閉じた時期が一致していることを。 そして、そのことで健心の頭の中では、ある仮説が一つのものとしてつながったのである。
マコト (日曜日, 12 6月 2016 20:53)
健心は、少しの戸惑いはあったが、その仮説を夏美に告げることを決意した。 「夏美さん・・・」 『あっ、・・・はい』 「これから、自分の考えたことを話します。あくまでも仮説です。決してこれが正しいと決めつけているものではありません。・・・聞いていただくだけで結構ですから」 夏美は、黙ってうなずいた。 健心は、順を追って語った。 津路は、探偵時代に理の捜索の依頼を受けていたのではないか。 それは、理の失踪・捜索と、津路が探偵を辞めた時期がほぼ同じであることから・・・そう考えれば、全てのことがつながる。 理を探している時に、何かがあった・・・それは、探偵を辞めることを決意させるような何かが。 津路が、どうして探偵を辞めようと考えたのかは分からない。 それでも、おそらくは辛い思いをして、苦渋の選択をして辞めたのであろう。 それから津路は、津路工機の社長として、頑張って働いてきた。 そこに、仲間達からバーベキューに誘われ、卒業以来、同級生たちに会った。 そして・・・そこで、蒼に会った。 おそらくは、蒼の顔を見た瞬間に、津路の中で封印していた昔の記憶が蘇ったのであろう。 だから、自分に「蒼の苗字は?」と尋ねたのだと思う。 津路が、元刑事と探偵であったことで、仲間達は津路の意見を求めた。 おそらくは、思い出したくない記憶であったがために、津路はそれを断った。 でも、結局は・・・ 蒼が語ったことで、津路は堪えきれずに号泣した。 それは、 蒼が栞の妹であること、栞が理を待ち続けたまま亡くなったこと、そして蒼が今でもずっと理を待ち続けていること。 それを聞かされた津路は、相当に辛かったんだと思う。 それを考えると・・・もしかすると津路は、理の居場所の手がかりを掴んでいたのかもしれない・・・そして、それを依頼人である栞の父親には告げられなかった・・・そう、考えると、全ての説明がつく。 バーベキューの時に、蒼の話に異常なまでに涙を流した津路は・・・ その異変に気付いてやれなかった自分が、本当に情けなく思う。 高校時代からの親友として。 津路は、バーベキューから帰ったあとも、蒼の話が忘れられなかったのであろう。 だから、ぼーっと考え事をしたり、心から笑えなくなってしまっているのではないか。 これまで、話してきたことが、もし、当たっているとするならば・・・ 今日、津路にお願いした蒼の就職のことも・・・ 津路に何もしてやれなかった自分が、さらに津路を苦しめるようなお願いをしたのかと思うと・・・情けないとしか言いようがない。 そして、健心は最後にこう言った。 「夏美さん・・・もしかすると、津路は俺の顔も見たくないはずです」 『・・・えっ? どうしてですか?』 「・・・理は、自分と双子のようにそっくりなんです。亡くなった栞さんも、蒼さんも・・・理が戻って来てくれたと思うぐらいに」 『えっ?・・・小野寺さん』 そして、何かを知りながらも、それを隠そうとした夏美の気持ちを変えるには十分であろう言葉を贈った。 「夏美さん・・・俺、もし、津路が何かに苦しんでいるのなら・・・津路を救ってやりたいんです」と
マコト (日曜日, 12 6月 2016 20:55)
夏美は、しばらくうつむいていた。 そして、ようやく顔をあげて健心に向かって、こう言ったのである。 『小野寺さんって、推理作家のような方ですね! なんか、ばかばかしくて笑ってしまいますよ!』 『私は、ずっと津路社長のそばにお仕えしてきましたけど・・・小野寺さんが考えた仮説とやらによると、津路社長は、探偵として依頼人を裏切るようなことをしたということになりませんか? ・・・そんなことはあり得ないですよ、津路社長に限って』 『ましてや、私は、津路探偵事務所で事務員として働いていましたから、どこからどんな依頼があったのか、全て承知していましたけど、小野寺さんが話したような依頼は、全くありませんでしたから』 期待外れの夏美の返事に、健心は言葉を失った。 さらに追い打ちをかけるように夏美が、 『小野寺さんは、蒼さんという人をうちの会社に入れてあげたいだけなんじゃないですか?』 「・・・夏美さん」 健心は、もうそこまで言われてしまえば、引き下がるしかないと思った。 「すみません・・・確かにそうですよね・・・夏美さんの言う通りです」 「津路に対しても謝らせてください」 「ただ・・・夏美さん・・・これだけは信じてください」 「俺・・・今日、津路と会って・・・津路は、とっても辛そうに俺を追い返したんです・・・だから・・・」 「・・・あっ、でも、それも俺の勝手な憶測ですね」 「俺・・・津路にもう一度会ってきます。あっ、蒼さんの就職のお願いではありません。もし、俺に出来ることがあるなら・・・もう一度会って・・・」 夏美は、立ち上がってこう言った。 『そんな必要はないと思いますけど・・・同級生の方が社長にお会いするのを止める権利は、私にはありませんから・・・』 『小野寺さん・・・社長をさらに苦しめるようなことだけは・・・お願いします』 『私は、これで失礼します』 そう言って、店を出て行ってしまった。 健心は、その後姿を見つめることしか出来なかった。
マコト (月曜日, 13 6月 2016 20:34)
実は・・・ 黒河夏美は、津路にずっと…ずーっと想いをよせ続けている女性なのである。 夏美は、津路が探偵事務所を開いたときから、津路を支え続けてきた。 探偵と言えば、人の秘密を陰で探り、依頼人が有利となることだけを考え、任務をこなすと思われるだろうが、津路の仕事ぶりは、そうではなかった。 常に双方が良くなることを考えながら・・・とても人情味あふれた仕事ぶりだった。 夏美は、そんな津路が大好きであったのである。 ただ、依頼人の心情を察して、ややもすると報酬を受け取らずにタダ働きをするようなこともあり・・・それを必死に支え続けてきたのが夏美であった。 疲れて帰ってくれば、それを労い、食事から身の回りのことまで・・・独り身の津路にとっては、なくてはならない存在だった。 人前では夏美君、津路社長と呼び合うが、二人でいれば“ナッちゃん”、“俊成くん”と呼び合っていた。 そんな夏美は、当然、津路からのプロポーズを待ち続けていた。 だが、身の危険を伴う探偵という仕事であることが、津路を思い留まらせた。 「もし、自分の身になにかあったら・・・」 夏美は、それを分かっていた。だから、結婚というゴールは望まず、ずっとそばにいて津路を支えてきた。 それは、探偵事務所を開いて、ちょうど10年目のときだった。 「あのぉ・・・人探しをお願いしたいのですが・・・」 栞の父親だった。 『どうぞ、こちらへお座りください』 それは、たまたま夏美が留守の時だった。 栞の父親の依頼内容を全て聞いた津路は、こう言ったのである。 「御子柴さん・・・理さんは、きっとどこかで生きていますよ! 栞さんを残して、しかも妹の蒼さんとの誤解を解こうとしていた男が、自殺などするはずがありません! 自分、精一杯に探させてもらいますから、早速、その群馬の峠道に行ってみます」 栞の父親は涙をいっぱいにためてこう言った。 『そのようなことを言ってくれた方は、津路さん・・・あなたが初めてです。 津路さん・・・白状しますが、この件をお願いする探偵事務所は、ここで3つ目なんです』 『自分のところを信用できないのなら他に行ってくれと、お叱りを受けるのではないかと最初は黙っていようと思いましたが・・・津路さんに会えて良かったです。 どうか・・・、どうか、よろしくお願いします。 無事に探し出していただいた時には、いくらでもお支払いたします・・・娘のためにどうか』 「御子柴さん・・・私は、今回のお仕事・・・お金のためには働きません! 理君を待ち続ける栞さん、そしてもとの仲の良い姉妹に戻れるよう・・・そのために働きます。 それでいいですよね? 御子柴さん」 『津路さん・・・ありがとうございます、よろしくお願いします』 栞の父親は、立ち上がり何度も何度も頭を下げて津路の手を握った。 「必ず見つけますよ! 待っていてください、御子柴さん」 父親から、わずかばかりの調査必要経費だけを受け取り、津路は承諾書を渡したのであった。
マコト (月曜日, 13 6月 2016 20:43)
栞の父親が帰って直ぐだった。 外出していた夏美が戻ってきた。 『ただいま! 俊成くん・・・あれっ? お客様いらしていたの?』 「あっ、う、う~ん・・・ちょっとした簡単な仕事を受けたよ」 夏美は、もうその時の津路の返事の仕方で分かるのであった。 『まぁた、大変なお仕事を受けたのね!』 津路が、そんな返事をしたときは、決まってお金にならないような、そして、やりようによっては大変な依頼を受けたときなのである。 そんな夏美は、 『俊成くん! いつ、仕事に取り掛かるの?』 「えっ? あっ、う、う~ん・・・今日にでも出かけようかな」 『・・・そう・・・分かった・・・ちょっと待ってて! 着替えと、ちょっとした物用意するから』 「えっ?」 『だって、俊成くんが“ちょっとした簡単な仕事”って言った時には、しばらく帰ってこないことが多いでしょ!』 「あっ、いやっ・・・」 『えっ? 違うの? 簡単なお仕事って、う~ん、例えば、ラーメンを食べた後にデザートの店、そして焼き肉食べ放題の店に「はしご」しているかどうか調査してくれ! な~んていう簡単なお仕事なの?』 「・・・確かに、そんな依頼を受けたことがあって、実際にそんな行動をしていた女性を尾行したことあるけど・・・まぁ、ホンとに簡単なお仕事だから」 『うん、分かった、俊成くん!』 事務所の奥に入り、津路の身支度を済ませた夏美は、 『はい、これ! たまには、連絡をちょうだいよ! これでも心配しているんだからね!』 「ありがとう・・・ナッちゃん」 『行ってらっしゃい、俊成くん』 津路は、そのまま車に乗り込み群馬に向かった。 そして・・・ 津路は、出かけて行ったその日にガッツと出会ったのである。 津路とガッツが出会うことが出来たのは、夏美の支えがあったからなのであった。
マコト (火曜日, 14 6月 2016 20:01)
夏美に帰られてしまった健心は、ひとり、ハニー・シーから帰れずにいた。 「どうしよう・・・」 蒼に対してどう説明したらいいのか、考えがまとまらなかったのである。 健心は、ひとつ溜息をついて、ふと店内を見渡した。 すると、少し離れた席で健心に笑顔で会釈をする女の子に気付いた。 「あっ・・・」 それは、萌仁香の娘のミーちゃんだった。 「ミーちゃん・・・」 ミーちゃんは、親子でありながら双子と間違えられるほど、萌仁香にそっくりな女の子で、花風莉の看板娘である。 健心も会釈で応えると、ミーちゃんは嬉しそうに立ち上がり、健心のところに来た。 『ケンちゃんさん! デートだったんですか? 綺麗な女性でしたね!堀北真希さんにそっくり!』 健心のことをケンちゃんさんと呼ぶミーちゃんは、いつもの明るい笑顔でするどい突っ込みを入れてきた。 「あっ、いやっ・・・デ、デ、デートではないんだけど・・・」 『ケンちゃんさんが、こういう女性が好むお店によく来たなぁって、ちょっとびっくりしたんですけど・・・デートじゃなかったんですか?』 「あっ、いやっ本当にデートじゃないんだ! でさ、このことはお母さんには内緒にしてもらえるかな?」 『え~、ほらぁ、それが怪しいですよ! ケンちゃんさん!』 「・・・確かに・・・いやっ、でも本当にデートじゃないんだって! それは信用してくれないかな?」 『は~い、分かりました。でも、どうかしたんですか・・・なんか、最後のころの会話が聞こえてきちゃったんですけど・・・』 「・・・えっ?聞こえた? ・・・いやっ、・・・実は、蒼さんのことで、ちょっとなぁ」 『蒼さんのこと? あぁ、そう言えば、今日、お店で話していましたよね! 蒼さんの就職のこと・・・』 「うん・・・それで、ちょっとあって・・・」 『そうだったんですか・・・あっ、わたし・・・ごめんなさい・・・立ち入ったこと聞いちゃって・・・ケンちゃんさん、何か事情があるんですね! 大丈夫です、母には内緒にしておきますから!』 「ごめんね、ミーちゃん」 ミーちゃんは自席に戻っていった。 その後姿を見送った健心は、長居は無用と気づき、直ぐにハニー・シーを出たのであった。
マコト (火曜日, 14 6月 2016 23:40)
自宅に戻った健心であったが、蒼に対してどう説明すべきなのか、決めかねていた。 「もう、採用する人が決まっちゃったんだって!」 そう蒼に答えたかった健心だったが、ハローワークに通っている蒼には通用しない嘘だと、その言い訳は、消去法により真っ先に消し去った。 「どうしよう、やっぱり・・・」 夏美に、全否定された健心であったが、どう考えても自分がたてた仮説が、一番につじつまが合うと思った。 そして、健心は決断した。 「夏美さんは、絶対に違うと否定したけど・・・」 「もしも、本当に津路が悩み苦しんでいるんだとするならば、そこから救い出してやれるのは自分しかいない!」 「ならば、蒼さんのことよりも、津路のことを優先すべきだよな!」 「いま、俺が真っ先にやらなければならないことは・・・そうだよ! やっぱり津路にもう一度会ってこよう! 蒼さんのことは、それからもう一度考えればいい」 その結論に達した健心は、ようやく眠りについた。 その晩・・・ 健心は夢を見た。 何故か、不思議な夢だった。 それは、自分と玲飛、そして萌仁香と娘のミーちゃんの四人でホタルを探しに行く夢だった。ホタル探しには、健心も一緒に行ったはずだったのに・・・ (萌仁香)「ホントにいるのぉ?・・・ホタル・・・こんな暗いところで、大丈夫?」 (玲飛)「くらねよ! ぜってーいっから!」 (ミーちゃん)「お母さん・・・ホンと大丈夫なの?」 (萌仁香)「・・・だ、だ、大丈夫よ! だって、玲飛が自信満々に言ってるじゃない!」 (玲飛)「なんだい? ミーちゃん・・・くらねから・・・って、ほれ! いた! いたいたいた! こっちきちろ!」 (ミーちゃん)「・・・お母さん、お願い! 通訳して」 (萌仁香)「こちらに来なさい! っていう意味みたいよ」 (ミーちゃん)「・・・わぁ~~~、ホンとホタルだぁ! すご~い!」 (玲飛)「言ったべ!」 (ミーちゃん)「ケンちゃんさん! ほ、ホタルいたよ! ねぇ、ケンちゃんさん!・・・えっ? ケンちゃんさん? ねぇ、お母さん、ケンちゃんさんがいないよ!」 夢は、そこで終わった。 一緒に行っていたはずの自分が、何故か途中でいなくなる・・・そんな夢だった。
マコト (水曜日, 15 6月 2016 23:41)
翌日・・・、 健心は仕事を休み、津路のところにいくことを決めていた。 「津路、頼む! 俺の話を聞いてくれよ!」 そう何度も頭の中で繰り返し、津路の会社に向かった。 街中を抜け、津路の会社が近づいてきた。 健心は、交差点の信号が青に変わるのを待ちながら、ふと、空に目をやった。 その日は、雲が低く垂れ込め、今にも降り出しそうな曇天だった。 何かを暗示するかのように
マコト (木曜日, 16 6月 2016 12:58)
津路の会社が見えてきた。 「津路! いてくれよ!」 駐車場に車を停めた。 事務室に向かおうとしたが、昨日と同じように倉庫のような建物に津路がいるのではないかと考えた健心は、事務室には入らず奥の建物を覗いてみた。 だが・・・、津路はいなかった。 「いないかぁ・・・」 健心は、夏美に会うことを覚悟で事務室に入った。 「こんにちは」 予想はしていたが、夏美が出迎えた。 「あっ、昨日は・・・」 と、挨拶を交わそうとした健心であったが、夏美が事務的に、 『いらっしゃいませ、どちら様ですか』 と、初対面であるかのように接してきたのである。 しかも、夏美の視線は明らかに冷たいものだった。 「あっ・・・小野寺と申しますが、津路社長にお会いできればと・・・」 『アポをお取りになられていらっしゃったのですか? ただいま、津路は外出しておりますが・・・』 「そ、そうですか・・・今日はお戻りになりますか?」 『津路の本日の予定では、お客様のご要望にはお応えできないかと・・・』 「・・・そうでしたか・・・では・・・」 出直してくることを伝えよとする健心より早く夏美が、 『まずは、アポを取ってからお越しいただくようお願いします。そうでないと、お客様とのお時間をお取りすることは出来かねます。津路は、しばらく忙しくしており、3週間先までは、スケジュールがいっぱいです。スケジュールは、私が管理するよう津路から言われておりますので・・・』 会社で津路に会うことは無理だと思った健心は、夏美の話を素直に受け入れ、深々とお辞儀をして事務室をでた。 駐車場に停めてある車までついて、健心はつぶやいた。 「夏美さん・・・俺をどうしても津路に会わせたくないんだな」 と
マコト (金曜日, 17 6月 2016 02:48)
そんなことを考えているところに、 「えっ?・・・」 健心が車に乗り込む前に雨が降り出した。 「降ってきちゃったかぁ・・・」 エンジンンをかけ、ワイパーのスイッチをONにして、ギアをバックに入れた。 健心は、ひとつだけ大きく息を吐いて、そしてルームミラーで後方を確認して車をバックさせた。 と、車が動き出したその時だった。 「あっ!」
マコト (金曜日, 17 6月 2016 12:57)
ルームミラーの中に、傘をさして立っている女性を見つけたのである。 「あっ!」 健心は慌ててブレーキを踏み、車を停車させた。 「夏美さん・・・」 傘をさして立っていたのは、夏美だった。 夏美は、険しい表情をしながら、車から降りた健心に近づいてきた。 そして、健心に向かってこう言った。 『小野寺さん・・・昨日、お話ししましたけど・・・どうしても社長に会うと言うのですか?・・・あなたが、社長に会うことで、社長が辛い思いをすることは、考えてはくれなかったのですか?』 少しの時間、口を真一文字に結んで考えていた健心であったが、ゆっくりと話を始めた。 「夏美さん・・・昨日、一晩考えました。確かに夏美さんの言う通り、私の仮説は間違っているかもしれません。でも・・・何度考えても・・・」 「あの明るくて屈託のない津路に、もう一度戻ってほしいんです。だから・・・」 「会ったからと言って、津路が話をしてくれるかどうかも分かりません。でも、俺は、津路の高校時代からの仲間として、津路の力になってやりたいんです!」 そう、夏美に向かって言った。 健心の気持ちを聞かされた夏美は、表情を変えずに健心に最後の確認をしたのである。 『どうしても、だめですか? 小野寺さん』 健心は、黙ってうなずいた。 と、その健心を見て夏美は、傘を投げ捨てた。 そして・・・
マコト (金曜日, 17 6月 2016 19:54)
雨は、急に強くなっていた。 その雨の中、夏美は傘を開いたまま投げ捨てた。 そして、事務服のポケットに隠し持っていた果物ナイフを取り出したのである。 「あっ!・・・」 たじろぐ健心に、ナイフを右手に持って夏美が、 『小野寺さん! 私は、俊成君を守りたいだけなの!』 と、叫んだ。 そして・・・
マコト (土曜日, 18 6月 2016 08:18)
夏美は、ナイフを振りかざし、そして・・・ 夏美自身の左腕を切りつけたのである。 ナイフは、夏美の白いブラウスを切り裂き、夏美の左腕をも傷つけた。 赤い血が、白いブラウスを真っ赤に染めた。 健心は、何が起こっているのか、頭が真っ白になっていた。 夏美は、そんな健心を構うことなく、今度は、そのナイフを両手に持ち替えて、その刃先を夏美自身の胸に向けたのである。 ようやく、夏美の行動を止めなければならないことに気付いた健心 「な、夏美さーん! 止めるんだ!」 『止めろですって? あなたは、私の願いを受け入れてくれなかった人! そんな人の話を、どうして聞かなきゃならないの!』 「と、とにかく止めてくれ!夏美さん!」 強い雨で、真っ赤な血が地面を赤く染め始めていた。 「と、とにかく止めてくれ!夏美さん!」 すると・・・ 夏美は、急に膝から崩れ落ち、うなだれたのである。 そのスキを見て健心は、夏美に駆け寄り、ナイフを奪い取った。 ナイフを奪おうとする健心に、夏美が抵抗することは一切なかった。 夏美は、顔を上げ、血に染まったナイフが健心の手に持たれていることを確認すると・・・ 「キャー!!! 助けてーーー!!!」 急に、叫んだのである。 そして、事務所の方に走り去って行った。 すぐに、男の従業員が様子を見に来た。 そして、ナイフを持つ健心に気付くと 『け、け、警察! 警察を呼んでくれ!』 と、叫びながらまた事務室に逃げていったのである。 数分後・・・ けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。 健心は、10人以上の警官に取り囲まれた。 何が、どうなってこうなったのか・・・ その時の健心の思考は、全て停止していた。 おそらくは、健心を制止させようとする警官の声も、健心には届いていなかったであろう。 自分の周りを取り囲む警官にようやく気付いた健心は、自分の右手にナイフがあることにも気づいて、慌ててそのナイフを手放した。 それと、同時に複数の警官が健心に飛び掛かった。 健心は駐車場の地面に顔を押し付けられ、両手を後ろに回された。 直ぐに時刻と現行犯逮捕が告げられ、健心の腕に手錠がかけられた。 健心は、抵抗することもなく警察車両に乗り込み、そのまま連行されていった。 夏美は、少し遅れてきた救急車に無表情のまま乗り込み、病院へと向かった。 さらに強くなった雨が、現場に流れた夏美の血を洗い流しているかのようだった。
マコト (土曜日, 18 6月 2016 19:54)
健心は、科沼警察署に連行された。 すぐに、刑事による取り調べが始まった。 氏名、年齢、住所、職業・・・刑事の聞き取りに、健心は全て正直に答えた。 だが・・・ 何故、事件を起こしたのか、健心の犯行なのか、ならば、その動機は・・・、健心は全てを黙秘した。 当然、黙秘することで、自分が不利となって送検されることも説明を受けた。 それでも、健心は犯行を否認することもなく、全てを黙秘した。 健心は、津路を守りたかった。 当然、自分の犯行ではなく、夏美が自身でやったことを話せば、そうなった理由も説明しなければならない。 そうなれば、津路のことまで言及されることを恐れたからだ。 取り調べが始まって、3時間が経った頃だった。 「おい、小野寺・・・被害者の供述がとれたよ! お前、被害者の女性に言い寄って、交際を断られたことに腹を立てて、それで、カッとなって切りつけたそうだな! 間違いないか?」 健心の目から、一粒の涙が落ちた。 「夏美さん・・・」
マコト (日曜日, 19 6月 2016 21:08)
健心の事件のことは、仲間達に直ぐに知れ渡った。 「健心のやつ!」 「アイツなら、やっても不思議はないわな!」 と、仲間達の多くは、報道をそのまま信用していた。 事件を知った美子都は、花風莉に居た。 とても一人では居られなかったからだ。 「美子都・・・まさか、新聞をそのまま信じてるんじゃないんでしょうね? きっと何か事情があるのよ!」 『えっ?・・・だって、萌仁香・・・健心は認めているんでしょ? どうしようもないじゃない! 健心が認めているんだから・・・』 そう言って、泣き崩れた。 萌仁香は、泣きじゃくる美子都を隣で見守った。 そして、ようやく美子都が落ち着いてきたころに、話をしたのである。 「ねぇ、美子都、聞いて! 健心は、まだ美子都に話していなかったようだから話すけど・・・」 「私と蒼で健心にお願い事をしたのよ! 蒼が津路君の会社に勤めたいって言うので・・・」 『えっ? なにそれ? 聞いてないよ』 「うん、そうよねぇ、健心って、そういうところ無精だもんね・・・あっ、それでね、津路君と一番仲の良かった健心にお願いしたの・・・蒼が津路の会社に勤められるように頼んできてって」 『えっ? なに? もしかして、そのことをお願いしに行って事件を起こしたってこと?』 「あっ、いやっ、それは分からないんだけど・・・ねぇ、美子都・・・だから、きっと何か事情があるのよ!」 『そうだったの・・・健心のやつ、そこで綺麗な女性をみかけて言い寄ったわけね!』 「え~? 美子都ぉ・・・」 それから少し、考えていた美子都だったが、ふと、笑みを浮かべてこう言ったのである。 『良かった・・・私は健心の妻でもなんでもないんだもの! 危く犯罪者の妻になるところだったわ』 「ねぇ、美子都ぉ、何、訳の分からないこと言い出すのよ! あなたが健心を信じてあげなくて、どうすんのよ!」 『もう、私は嫌なの! 無精だかなんだか知らないけど・・・私には、何も話さないで勝手に行動して・・・栞のときだってそうだったでしょ! 今回だって・・・何があったのかは知らないけど・・・結局は、女の人を傷つけたのよ! そんな男なの、健心は!』 「・・・美子都ぉ」 萌仁香は、そんな美子都にかける言葉を見つけることが出来なかった。 と、その時だった。
マコト (日曜日, 19 6月 2016)
『お母さん、美子都さん・・・』 ミーが、二人のところに来たのである。 「ミー・・・ なに? 用事が無いなら向こうで仕事していなさい!」 『ねぇ、お母さん・・・ ケンちゃんさんが逮捕されたって本当なの?』 「あなたには、関係ないことよ!」 『だって、ケンちゃんさんが、そんなことするはずがないって・・・お母さん達が、一番に分かっているんじゃないの?』 「・・・そ、それは・・・とにかく、あなたが口を挟むことじゃないから!」 『・・・・・』 その日の朝・・・ ミーは、新聞の記事を読んで、被害にあった女性が健心と一緒にいた女性ではないかと気づいたのである。 『えっ? これって・・・もしかしたらハニー・シーでケンちゃんさんと一緒にいた人のことじゃないの?』 『ケンちゃんさん・・・どうして?・・・えっ? ケンちゃんさんが私に言った、お母さんには内緒にしていてねって、どういうことだったの?・・・』 そんな、ミーは、ずっとその時の健心の言葉を思い出しながら仕事をしていたが、美子都が目を赤くして店に入ってきて・・・そして萌仁香とのさっきの会話を・・・、 ミーには、その二人の会話が聞こえてしまっていたのであった。 『美子都さん・・・ケンちゃんさんを信じてあげないの?』 ミーは、悩んだ。 『ケンちゃんさんには、お母さんには内緒にと約束したけれど・・・』 悩んだミーであったが、健心との約束を破ることを選択した。 そして、二人のところに来たのである。
マコト (日曜日, 19 6月 2016 21:17)
(ミー)『ねぇ・・・お母さん、美子都さん・・・わたし・・・』 (萌仁香)「ミー! あなたには、関係ないって言ったでしょ、しつこいよ!」 (ミー)『ねぇ、お母さん、違うの・・・わたし・・・』 (萌仁香)「えっ? 何が違うの? はっ? あなたが何か知ってるとでも言いたいの?」 ミーは、『うん』と、うなずいた。 (萌仁香)「えっ? 何を知ってるの? ミー! 早く話しなさい!」 ミーは、ハニー・シーで被害者らしき女性と健心が会っていたことを話した。 もちろん・・・ 「はっ? なに? 健心は、事件の前にも被害者の女性と会っていたの?」 と、余計に美子都が怒りだすことは、ミーには分かっていた。 だから、うまく理解してもらえるように、ゆっくりと説明を続けた。 (ミー)「わたし・・・聞こえちゃったの・・・二人の会話が」 (萌仁香)『えっ? ホンとに? それで、どんな会話だったの?』 (ミー)「う~ん、なんかね、社長さんにケンちゃんさんが会うことを、私には止められないとか、社長を苦しめないでやってほしいとか・・・そんな会話だったの」 (萌仁香)『えっ? それで、あなたはどうしたの?』 (ミー)「・・・うん、その女性が先に一人で帰っちゃったから、ケンちゃんさんの席まで行って・・・デートですか? って、ひやかしちゃったの。 そしたら、ケンちゃんさん、違うよって否定して・・・、お母さんには内緒にしてくれって」 (美子都)『なに? なんなの?私にじゃなくて萌仁香に内緒にしてくれって言ったの? はぁ? どういうことよ、それ!』 (萌仁香)「ねぇ、美子都ぉ・・・もし、健心が美子都に対して後ろめたいことがあるなら、美子都にも内緒にって言ったはずよね! きっと、健心は津路君と何かがあって、その女性に会ったんじゃないのかなぁ・・・そのことを私には、知られたくなかったのよ」 (美子都)『・・・私には、分かんない・・・でも、どうして女性をナイフで傷つけるようなことまでしなきゃならないの? まったく、そんな必要ないじゃない!』 (ミー)「ケンちゃんさん・・・女性が帰ったあとにね、すごく考え込んでいるようにしていたの・・・なんか、少し辛そうにも見えたの・・・ねぇ、お母さん・・・その女性が、どうしても社長さんにケンちゃんさんを会わせたくなかったんだとしたらさぁ・・・それに、ケンちゃんさんが社長さんに会えないからって、女性をナイフで傷つける必要があると思う? ねぇ・・・、本当にケンちゃんさんが切りつけたのかな?」 (萌仁香)「えっ?・・・何を言い出すの? それは・・・健心が認めているんだから・・・」 (ミー)「例えば、ケンちゃんさんが、誰かをかばっているとか・・・」 (萌仁香・美子都)「えっ?・・・って、誰を?」 (ミー)「その女性には、ケンちゃんさんを社長さんに会わせたくない理由があるんだろうから・・・その女性? それとも、社長さん?・・・分かんない」 (萌仁香)「ミーは、その女性が、自分で傷つけたとでも言いたいの? それなら、健心は警察でそう話すはずでしょ・・・って、それを警察で言えない理由があるっていうの?」 (ミー)「分からない・・・でも、私が知ってるケンちゃんさんは、女性をナイフで切りつけたりするような人じゃないもん!」 (萌仁香)「ミー・・・」 (美子都)「ミーちゃん・・・」 (ミー)「ねぇ、美子都さん・・・事件の真相は、よく分からないけど・・・まずは、ケンちゃんさんを信じてあげてほしいです・・・わたし」 (美子都)「ミーちゃん・・・あなたの方が、私達よりずっと大人ね! そうね、ミーちゃんの言う通りね」 (ミー)「美子都さん・・・」 こうして、三人は健心を信じることを選んだのであった。
マコト (月曜日, 20 6月 2016 12:59)
ずっと、黙秘を続ける健心に、今度は別の刑事が、取調室に入ってきた。 それは、遠藤健一のような強面で渋い声の刑事だった。 「おい、小野寺さんよ! 今度は、俺が相手させてもらうよ!」 『刑事さん・・・本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません』 「あぁ、構わんよ!」 『す、すみません・・・』 「それで、事件のことは何にも話さないんだってな?」 『・・・・・』 「何か話せない事情があってのことなんだろう?」 『・・・・・』 「まったく、相変わらずそうやってだんまりかい? お前のことは、いろいろ調べさせてもらったよ! なに? 十何年も、母校で野球の指導をしていたんだと?」 『あっ、指導というか・・・一緒に野球を楽しんでいただけです』 「ったくなぁ・・・誰に聞いてもお前は、そうやって、前に出ようとはしないらしいなぁ・・・昔の刑事ドラマのセリフじゃねーけど、教え子たちが泣くだろうよ!」 『教え子ではないです、一緒に野球を楽しんでいた後輩です。あいつらは、泣きません!』 「それは、お前がやっていないからだろう? だから、そうやって自信を持って言い切れるんじゃねーのかい? ん? どうなんだよ、違うのか?」 『・・・・・』 「小野寺さんよ・・・あんたの周りからの証言だと、あんたは女性の前では、何にも話せないぐらい緊張シーなんだそうだな! 特に綺麗な女性の前ではな! そんなあんたが、自分から綺麗な女性に言い寄るなんてあり得ないっていう証言が、ほとんどなんだよ!」 『・・・・・』 「ったく! いい加減何か話せや! ・・・あぁ、そう言えばな、被害者の傷は、たいしたことないそうだ」 『刑事さん、ほんとですか? 良かったぁ・・・』 「でな、医師が言うんだよ、傷が不自然な切られ方だってな。右利きのあんたが切ったようには、思えないとまで言われているんだよ! そうなると、事件現場に他に誰かがいたか・・・あるいは、被害者本人が自ら・・・って、まぁそれはないだろうけどな。 医師の見立てを信じれば、お前はやってないという可能性があるんだが・・・黙秘しているということは、やっぱりやったんだろう? ん? どうなんだい、小野寺さんよ!」 『・・・・・』 「あんたには、呆れたよ・・・で、どうなんだい、母校の野球は?」 『はい! 後輩たちは本当に頑張っています。 キャプテンは、二誌中出身で、頭はいいやつなんですが、ちょっと責任感が強すぎて・・・で、それを支える二人の副キャプテンなんですが、片方がエース候補でして、そいつがもっと成長してくれれば、で、もう片方が・・・』 「あのさ!小野寺さんよ! それぐらい事件のことも話せや!」 『・・・・・』 「なぁ、小野寺さんよ・・・このままだと、お前は送検されて裁判に、そこでも黙秘するようなら・・・、昔のドラマじゃねーけど、裁判にかけられて有罪になる確率は99.9%だ!それでもいいのか?」 『・・・・・』 「いったい、お前は何を守りたいんだ! 自分が一番大切じゃねーのかよ!」 『・・・・・』 「分かったよ・・・お望みどおりにしてやるよ!」 その日・・・ 健心は、身柄と一緒に送検されたのであった。
マコト (月曜日, 20 6月 2016 22:45)
健心の身柄が、送検された頃・・・ 津路は、夏美が入院する病院に居た。 「良かったなぁ・・・明日には退院出来るんだって?」 『うん! ごめんね、心配かけて俊成くん!』 「いやっ、傷がたいしたことなくて、本当に良かった」 『・・・うん』 「そう言えば・・・健心のやつ、送検されたそうだ」 『・・・・・』 「ずっと、黙秘したまま・・・」 『・・・・・』 実は、その前日・・・ 津路は、刑事の事情聴取で、健心が聞かされたことと同じことを別の刑事から伝えられていたのであった。 「被害者の傷口が不自然なんだそうです・・・何か、思い当たることはありませんか?」 『えっ?・・・あっ、いやっ・・・ありません』 「右利きの容疑者が、切りつけた傷とは思えないと医者は言っていますが・・・」 『・・・わ、分かりません』 「まぁ、警察としては被害者の供述を信用していますが・・・何度確認しても被害者は容疑者に切られたと言っていますし・・・」 『そ、そうですか・・・それで健心は、何て言ってるんですか?』 「・・・ずっと黙秘したままです」 「社長さんは、事件の前日に容疑者に会っていますよね?」 『あっ、はい』 「どんなお話を?」 『あっ・・・いやっ、なんか近くまで来たので寄ったと、世間話をしただけです』 「そうですか・・・容疑者は、どうしてナイフを持って会社まで来たんでしょうかねぇ・・・事件当日も社長さんを訪ねてきたそうですよね? 二日続けて世間話ですかねぇ・・・それで、社長さんが不在だと知ると、容疑者は素直に帰った。そして、被害者が駐車場へ出て行ったあと事件が・・・どうも、不自然なんですよねぇ・・・」 『・・・・・』 「容疑者は、ずっと黙秘しているんです。何かを隠しているとしか思えないのですが・・・社長さんは、容疑者とは高校時代からの親友だと伺いましたが・・・」 『・・・はい』 「容疑者は、こんな事件を起こす人間だと思っていましたか?」 『えっ?・・・あっ、いいえ・・・あのっ、刑事さん、健心は、健心はどうなるんですか?』 「このままだと、逮捕、送検・・・明日にでもそうなるでしょうねぇ」 津路は、うつむいて言葉を失った。 「健心・・・」
マコト (火曜日, 21 6月 2016 12:55)
刑事は、帰っていった。 「健心・・・」 「ナッちゃん・・・」 津路は、刑事の説明で全てを悟ったのである。 「健心は、蒼さんの採用を理由もなしに断わられたことで・・・それに、バーベキューの時のこともあって、きっと、理君の捜索に俺が関わっていたことに気付いたんだ」 「だから、そのことを俺に伝えようとして、もう一度俺のところに・・・」 「ナッちゃんは・・・傷口が不自然って、それは自分で自分の腕を・・・やっぱりそうだろうなぁ、だって、健心が俺に会いに来るのに、ナイフを持ってきているはずがないもんなぁ・・・ナッちゃん・・・ナッちゃんは、俺に健心を近づけたくない一心で・・・」 津路は、二人のぞれぞれの思いに気付いたのである。 「あの時の俺の判断は正しかったのか・・・俺が理君を連れて帰ってくれば、栞さんは・・・蒼さんだって、ずっと苦しみ続けていたんだ・・・」 「俺は、バーベキュー以来、ずっとそのことを考えていた。 おそらくは、相当辛そうに見えていただろうなぁ・・・ナッちゃんには。 そんな俺の事をナッちゃんは、そばで黙って見守っていてくれた・・・」 「健心・・・」 「お前は、俺の力になりたいと思って来てくれたんだよな・・・そして、俺を守るために黙秘しているんだろう?」 津路は、泣き崩れた。 「健心、お前ってやつは・・・すまない」 「ナッちゃん・・・自分の腕に傷をつけてまで、俺のことを・・・でも、どうして言ってくれなかったんだ・・・ナッちゃん」 そんな津路は、夏美が真実を語ってくれることを願って、病院に見舞いに行ったのである。 それでも・・・、 「ナッちゃんが何も話してくれなかったら・・・その時は・・・」 と、心に決めて。
マコト (火曜日, 21 6月 2016 20:58)
「そう言えば・・・健心のやつ、送検されたそうだ」 『・・・・・』 「ずっと、黙秘したまま・・・」 『・・・・・』 その二つの言葉に、何も返事をしなかった夏美に、津路の期待はもろくも崩れていた。 「ナッちゃん・・・、何も話してはくれないんだなぁ」 それでも、夏美の気持ちを知りたかった津路は、ベッドで横になっている夏美に話しかけた。 「ナッちゃん・・・」 『うん? なぁに、俊成くん』 「あのさ・・・あっ、・・・いやっ、・・・傷口は痛まないかい?」 『えっ? ・・・あっ、うん』 「あのさ、ナッちゃん・・・健心のこと・・・どう思ってる?」 『どうって?』 「あっ、いやっ・・・許せるとか、許さないとか・・・」 『はぁ? 俊成くん、なに訳の分からないこと聞いてんの? 私を傷つけた人をどうして許せるというの? それともなに? 許してやってくれって頼んでるの?』 「そ、そういう意味じゃないんだけど・・・あいつとは高校時代からの親友だから・・・」 『はぁ? 親友? だって、今までずっとあの人と会う事なんかなかったでしょ?』 「そ、そうだけど・・・ずっと会っていなくても親友であったことには、変わりはないし・・・それに、みんなで集まるようになってさ、これからは仲間達で楽しくやっていこうみたいな・・・だから・・・」 『えっ? なに? 俊成くんは、私があなたの同級生からこんなことをされて・・・それでも、まだ高校時代のお友達とお付き合いをしていく気なの?』 「えっ?・・・」 津路は、その時に理解した。 このままだと、高校時代からの仲間たちと一切付き合いを絶つしかないのだと。 夏美は、傷のある左腕を上にして、津路に背中を向けるように、向きを変えた。 そして、しばらくは津路も口を開くことはなかった。 病室に見舞いの時間の終わりを告げるアナウンスが流れた。 「ナッちゃん・・・明日、退院のときに迎えに来るから」 おそらくはタヌキであったのであろうが、目を閉じたまま夏美が応えることはなかった。 津路は、ナースステーションに立ち寄り、「よろしくお願いします」と深々と頭を下げ、病院を出た。 病院を出ると、外は雨だった。 「また、降ってきたのか・・・」 家路についた津路の車の中では、ワイパーの動く音だけが、聴こえていた。
マコト (水曜日, 22 6月 2016 12:16)
翌日・・・ 津路は、夏美の病院に向かう前に会社に出勤した。 すると、営業開始時間より随分と前であったのに、駐車場に普段見かけない車が一台停まっていた。 「うん? 誰だ?」 と、津路は、首をかしげながら社長専用の駐車場に車を停めた。 すると、先に停まっていたその車から、一人の男が降りてきて、津路の車に走り寄ってきたのである。 「おい、津路!」 『あっ・・・』
マコト (水曜日, 22 6月 2016 19:44)
それは、玲飛だった。 玲飛は、事件後・・・ 健心がそんなことをするはずがない!と、もし、それが事実なのだとしたら、自分でそれを確認したいと、津路のところにやってきたのであった。 「津路・・・なんか、大変なことになっちまったな」 『あっ、・・・うん、そうだな』 「なぁ、津路・・・俺さ、アイツが、健心がそんなことするはずがないって、ずっと考えてて・・・なぁ、津路・・・俺・・・」 『まぁ、落ち着けよ、玲飛』 と、津路は玲飛に事務所に入ってゆっくり話そうと促した。 「あっ・・・うん」 社長室に通された玲飛は、 「いやっ、ど~も! さすが社長だな、津路」 『いやいやっ、そんな・・・でさ、すまん! まだ、社員が出社していないもんで、これで・・・』 と、缶コーヒーを差し出した。 「突然に、ごめん・・・津路」 『いやっ、いいんだ・・・仲間のピンチだもんな』 「仲間? ・・・津路」 二人で缶コーヒーを飲みながら、やっと二人とも普段の表情に戻ってきた頃だった。 社長室を見渡していた玲飛が、ポツリとつぶやいたのである。 「やっぱり、ミーちゃんだよな!」 『はぁ?』
マコト (木曜日, 23 6月 2016 06:39)
玲飛の突然のふりに、津路はすかさず答えた。 『いやっ! 絶対にケーちゃんだぜ!』 「はぁ?ケーちゃん? 津路、おかしくねー?」 『バカやろ~! ケーちゃんの良さが分からねーんだよ、玲飛には』 それは、バカな男たちの青春時代の思い出話である。 社長室を見渡した玲飛が、壁に貼られたピンクレディのポスターに気付いて、 「俺は、ミーちゃんだな!」 それに、食らいついた津路が『絶対にケーちゃんだぜ!』と ただ、玲飛には、それを口にする理由があったのである。 「アイツもケーちゃん派だったよ!」 『アイツ? ・・・健心か?』 「あぁ・・・」 『そっか・・・俺と同じだったんだな・・・』 「高校時代、よく、健心とケンカしたよ! ケーちゃんのどこがいいんだよ! 大食いミーのどこがいいんだよ! 大食いだけど、優しいんだぜ、ミーは! ホントに大食いだけどな! ってな」 『で・・・どっちが勝ったんだい?』 「勝ち負けなんかねーよ! とにかく、お互いがそれぞれに好きな女の子の話をしていただけさ」 『・・・青春だよなぁ』 「なぁ、津路・・・俺は、どうしても納得できないんだよ」 『・・・あぁ』 「百歩譲って、本当に健心が切り付けたとしよう・・・それでも、なに? 津路のところの事務員さんに言い寄って、それを断られたことにカッとなって? ねーよ! そんな話、健心がそんなことするはずがねーって!」 『・・・・・』 「なんで、黙ってんだよ! 津路」 『あっ、う、うん・・・』 「津路は、信用しているのか? その話を」 と、そこまで玲飛に聞かれた津路は、 『なぁ、玲飛・・・』 「なんだよ、津路!」 『俺・・・健心に会ってくるよ!』 「えっ?・・・健心に?」 『あぁ、・・・拘留中に接見できるはずだからな』 「そ、そうなのか? じゃぁ、俺も一緒に連れて行ってくれよ!」 『いやっ、玲飛・・・俺、健心に聞きた・・・いやっ、とにかく最初に俺一人で行かせてくれ!』 「分かった・・・津路、頼むな! 何かあったら必ず連絡してくれよ!」 『・・・あぁ』 津路の言葉に納得して、玲飛は帰っていった。
マコト (木曜日, 23 6月 2016 12:25)
玲飛が帰ってから、仕事の整理を済ませた津路は、夏美の病院に向かった。 「ちょっと、遅くなっちまったな、急がなきゃ」 津路は、車を走らせながら昨日の夏美のことを思い出していた。 「ナッちゃん・・・昨日の帰り際、返事をしてくれなかったなぁ・・・今日、ちゃんと謝らなきゃな」 病院に着いた津路は、夏美の病室に向かった。 「ナッちゃん、お待たせ~!」 津路は、明るい声で病室に入った。 「あれっ?」 夏美は、病室に居なかった。 「トイレにでも行ったのかな?」 と、その時だった。
マコト (木曜日, 23 6月 2016 20:59)
柴咲コウ似のナースが、夏美の病室に入ってきた。 よくもまぁ、女優さんに似た人が現れるものだと言いたくもなるが、これが、本当にみんなそっくりなのである。 『津路さん!』 「あっ、看護婦さん」 ナースは、少しだけすまなそうな顔をして言った。 『津路さん・・・夏美さんは、もう退院されました』 「えっ?・・・」 『昨日、津路さんからお聞きしていた通り、津路さんが来るのを待って、退院する予定だったのですが、何か急用が出来たとかで・・・』 「えっ? 急用ですか?」 『はい・・・で、もう間もなく津路さんが来る頃だからと、お引止めしたのですが・・・津路さんには、もう連絡をしたからとおっしゃって・・・』 「い、いえ、私のところに連絡などありません」 『やはり、そうでしたか・・・』 「やはり?」 『はい・・・何か、少し様子が変だったものですから・・・それに、夏美さんが退院されたあと、ベッドメイキングをしていましたら、この手紙があって・・・津路さんあてです』 「えっ?」
マコト (木曜日, 23 6月 2016 23:56)
そう言ってナースは、夏美が残していった手紙を津路に渡したのである。 「すみません、いま、ここで読んでも・・・」 『どうぞ』 津路は、急いで封を切り手紙を読み始めた。 と、読み進むにつれて手紙を持つ手が震えだしたのである。 最後まで読み終えた津路は、 「いつ、いやっ、何時ごろ退院していきましたか?」 と、柴咲コウ似のナースの手を握り、聞いたのである。 『あっ・・・』 「あっ、ご、ごめんなさい」 と、慌てて握った両手を放し津路は 「ナッちゃ・・・夏美は、何時ごろ?」 『あっ、今から1時間ぐらい前です』 「何か、言っていませんでしたか? どこに行くとか・・・」 『いいえ・・・最後は、笑顔でナース達に「お世話になりました」と・・・』 津路は、呆然と立ちすくんでいた。 そんな津路にナースが 『津路さん、どうされました? 手紙にはなんて書かれて・・・』 その声に、ようやく気付いた津路は 「えっ?」 『津路さん・・・夏美さんの手紙にはなんて?』 「あっ・・・」 それは、ナースに打ち明けられる内容ではなかった。 とにかく、その場から夏美を探しに行きたいと思った津路は、 「退院の手続きは?」 『もう、済んでいます。 夏美さんが全部ご自身で・・・』 「そうでしたか、お世話になりました」 それだけを言い残して、津路は病室を飛び出していった。 「ナッちゃん・・・」
マコト (木曜日, 23 6月 2016)
夏美から津路に贈られた手紙である。 大好きな俊成くんへ 俊成くんと一緒にいて、もう20年、今までいろいろなことがあったよね。 初めて二人で動物園に行ったとき、熊の前ですごく嬉しそうにしている俊成くんを見て、私もとても幸せな気持ちになったことを今でも覚えているよ。 こんな言い方をしたら俊成くんに叱られるかもしれないけど、その時、俊成くんのそばで守りたいと思ったんだ。 その気持ちは、ずっと変わることはなかったんだよ、俊成くん。 俊成くんが、探偵をしている時は、いつも無事に帰ってくることだけを願って待っていたの。 だって、俊成くんは、依頼者の方の気持ちになって、いつも突っ走しっちゃうんだもの。 でもね、そんな俊成くんが大好きだったの。自分のことよりも、他人のために頑張る俊成くんが。 私には、俊成くんにはなれないって思っていたの。おかしいでしょ、私は女の子なのにね。 急に探偵を辞めるって言った時の俊成くん、本当に辛そうだった。 群馬の山中に車を乗り捨てて行方不明になった人の捜索だったわよね。 あの時、俊成くんは、2か月も帰って来なかった。 そして、帰ってきて直ぐに、探偵を辞めるって。 その理由は、私なりに分かっていたのよ。だって、俊成くんのそばで、ずっと見守っていた私だもの。 きっと、見つけたのよね。それでも、その人を連れ戻せずに帰ってきたんでしょ。 そして、それを依頼人のお父さんに告げられずに。 きっと人には言えない辛さがあったんでしょうね、しばらく、笑うこともなかったんだもの、俊成くん。 俊成くんが、どれほどまでに辛かったのか、私は、ぞばで見守ることしかできなかった。 本心をちょっとだけ言えばね、本当は、少しは私にも分けてほしかったんだよ。 でも、私に話さないのが、あなたの優しさ。 そう思っていいのよね、俊成くん。 あの時は、探偵という危険な仕事を辞めてくれることに、嬉しい気持ちもあったけど、でもね、俊成くんのことだから、ずっと辛い気持ちを背負っていくんだろうなぁって。 だから余計に、お父さんの会社を継ぐことになったときに俊成くんが言ってくれた言葉が、嬉しかったんだぁ、そばにいてくれないかって言ってくれたことが。 俊成くんの胸に飛び込みたい気持ちだったよ。 不器用な私だから、俊成くんが喜んでくれるようなことは、うまく出来なかったけど、それでも私なりに、俊成くんのことだけを考えて生きてきたの、ずっと。 ここまで読んだ津路は、もう涙でいっぱいだった。 「ナッちゃん・・・」 津路は、涙を鎮めるかのように、ひとつ大きな息をはき、5枚目をめくった・・・が、そこには、それまで以上に津路のほほを濡らすことが書かれてあった。
マコト (木曜日, 23 6月 2016 23:59)
俊成くん 私、あなたに、別の苦しみを与えてしまうところだった。 私の腕の傷は、私自身がやったことなの。 健心さんは、俊成くんが思っている通りの人よ。 事件の日、健心さんは、俊成くんを心配して来てくれたの。 私も、頭では分かっていたつもりなの。 それでも、俊成くんの過去の辛い思い出に触れないで欲しかった。 ただ、それだけだったの。 でも、気付いたら、自分で自分の腕を そして、それを健心さんがやったようにしてしまったの。 でも、どうして? 私には、理解できない。 健心さんは、どうして何も話さないの? 自分は、何もしていないのに、どうして他人をかばえるの? どうして私のためにそこまで出来るのって、最初は思ったけど、でも違うんだよね、俊成くん、あなたを守るためなのよね。 いいなぁ、俊成くん。 私には、そんな友達、一人もいなかったよ。 私、刑事さんから、傷口が不自然だよと言われたの。 でも、怖くて何も言えなかった。 きっと、直ぐに分かることだろうと思っていたし。 弱虫だよね、わたし。 俊成くん、ごめんなさい 私、あなたの大切なもの、私の身勝手で奪い取ってしまうところだった。 昨日の俊成くんを見ていて、分かったの。 俊成くんは、昨日、私から話してくれるのを待っていてくれたのよね。 ごめんなさい、私には出来なかった。 あなたに嫌われることが怖くて。 私の大好きな俊成くんには、いつも笑っていてほしかったの。 バーベキューに参加した後から、俊成くんは、またあの時の顔に戻っちゃったんだもの、私、見ているだけで辛くて、だから、 でも、それは全部私の言い訳なのよね。 わたし、俊成くんがうらやましかったのかなぁ バーベキューに行くんだ! 高校時代の仲間に会えるんだ!って、本当に嬉しそうに話していて 私は、俊成くん達とは違う学校 でも、同じ年だから、一緒にくっついて行きたかった。 だって、本当に嬉しそうに話すんだもの、俊成くん。 でも、俊成くん 辛かったでしょ、そんな楽しい場所で、昔のことを思いだすような出会いがあって。 話して欲しかったなぁ、私に。 あっ、誤解しないでね、俊成くんを責めているわけじゃないからね。 俊成くん、 私ね、いま、やっと思えるようになったの。 私が、頼りなかったからなんだって。 ごめんなさい、こんなわがままな私を、ずっと支えてくれたのは、俊成くん、あなただけでした。 俊成くん、 わたし、あなたの奥さんになりたかった。 初めての告白よね。でも、最初で最後の私からの言葉。 わたし、あなたのそばから離れます。 だって、あなたのそばにいる資格がないんだもの。 あなたの大切な人を、苦しめてしまったずる賢い女。 そんな私だけど、最後のお願いを聞いてください。 俊成くんから、警察に言って事件の本当のことを話してください。 そして、健心さんに伝えてください。 ごめんなさい、そしてありがとうって。 あっ、あとね、わがままで一つ加えさせてもらえるなら、俊成くんを苦しめたりしたら承知しないからねって(笑) 俊成くん、 私のことは、忘れてください。 決して、追わないでね。 わたし、強くなるから。 さようなら 大好きな大好きな大好きな大好きな、俊成くんへ 追伸 あなたの部屋の鍵は、いつものところに置いておきます。 私の部屋の鍵は、捨ててくださいね。 病院を飛び出した津路は、急いで車に乗り込み、そして、ひとつ大きく息を吐き出して、こう言った。 「健心・・・お前なら分かってくれるよな、・・・すまん、健心」 と
マコト (金曜日, 24 6月 2016 12:24)
ちょうどその頃 健心は、検事の取り調べを受けていた。 検事は、名取裕子似の、亀丸検事だった。 一通りの聞き取りを終えた亀丸検事は、健心を厳しく問い詰めた。 『さて、どうして事件のことは、何も語らないのかしら?』 「・・・・・」 『被害者の女性を切り付けたことを認めるの? 認めないの?』 「・・・・・」 『・・・そう、警察での取り調べと同じように、何も話さいつもりなのね』 健心は、下を向いて至極申し訳なさそうに、少しだけうなずいた。 『小野寺さん・・・勘違いしないでほしいんだけど、黙っていて許されるとは思わないで下さいね! 私は、女性であるから余計なのかもしれないけど、女性を平気で傷つけるような男を、私は、絶対に許さないの!』 「・・・はい」 『少し、聞き方を変えます。小野寺さん、あなたは被害者に対して殺意があったのではありませんか? だとしたら、殺人未遂として起訴させていただきます。事件を起こしておきながら、何も話さないあなたを、私は厳しく処罰させていただきます! 殺意があったのではありませんか?』 「えっ・・・」 それまで、下を向いていた健心は、その言葉に驚いて亀丸検事の顔を見た。 険しい表情の亀丸検事は、 『今日の、取り調べは以上です』 と、看守に向かって『連れていきなさい』と、強い口調で言ったのだった。 さすがに殺人という言葉を聞かされた健心は、足取り重く部屋を出て行った。 「これが、検察っていうところなんだ・・・」 と、心の中でつぶやいて。
マコト (土曜日, 25 6月 2016 08:06)
それは、亀丸検事の取り調べも三日目になっていた時だった。 『小野寺さん・・・相変わらず事件のことは、何も話してくれないけど・・・一つ、お知らせしておくわよ』 「あっ・・・は、はい」 『被害者の夏美さん、退院したわよ』 「えっ、ホントですか・・・良かったぁ」 亀丸検事は、その時の健心の真に喜ぶ表情を見逃さなかった。 だから、少し言い方を柔らかくして言ったのである。 『でもね、自宅には、ずっと戻っていないのよ』 「えっ? ・・・実家にでも?」 『う~ん、それがね、少し状況が違うみたいなの』 「えっ?・・・」 『あなたが、何も話してくれないから、事件の真相を調べようと、夏美さんのところに行ったんだけどね・・・』 『夏美さんは、津路社長の迎えを待たずに退院したみたいで・・・、それと、夏美さん・・・、津路さんに手紙を残していったそうよ』 『津路さんは、夏美さんが先に退院したことを知らずに病院に行って、ナースからその手紙を渡され、そして、その場で読んだそうよ。 津路さん・・・泣きながら手紙を読んで、飛び出していったらしいの。そして、津路さんもその後の行方が分からないのよ』 「えっ?・・・夏美さん・・・つ、津路もですか?・・・」 『え~、そうよ・・・それって、どういうことが考えられるのかしらねぇ・・・あなたになら想像がつくのではないかしら?』 「け、検事さん・・・」 亀丸検事は、優しい表情で言った。 『小野寺さん・・・私、あなたにちょっと意地悪な言い方をしちゃったわよね、殺意があったのではないかって』 『でも、あなたは、それを聞かされても全く変わることなく黙秘を続けて・・・あなたには、きっと守りたい人がいるんでしょ?』 健心は肩を揺らして泣き出した。 『いいわ! 事件のことは、私も納得するまで調べさせてもらうから。あなたにはもう少しここで我慢してもらうからね』 「け、検事さん・・・津路と夏美さんは・・・」 『それは、そのあと・・・誰かが心配してくれることでしょう』 亀丸検事は、表情を変えて、看守に向かって『連れていきなさい』 と、健心を部屋から出したのであった。
マコト (土曜日, 25 6月 2016 21:09)
花風莉に、スーツ姿の女性が入ってきた。 「いらっしゃいませ」 ミーが出迎えた。 『えっと、あなたが進藤萌仁香さんで、よろしかったかしら』 ミーが、母親の萌仁香と間違えられるのは度々である。 だが、初めてのお客様にいきなり間違えられ、少しだけおへそが斜めに。 「違います」 『あっ、ごめんなさい・・・えっ? だってそっくり・・・でも、全然お若いわよね、ごめんなさい・・・娘さんかしら?』 「・・・はい、母は今、配達に出ています」 『待たせていただいてもいいかしら?』 ミーは、「やだよ!」と、言いたかったが母と同年代のその女性をさすがに粗末に扱うことも出来ないと店の奥に案内した。 席に座った女性は、さっきとは打って変わって、優しい表情で、 『ごめんなさい、わたし、検事の亀丸と言います。お母さんのことは、写真で拝見しただけなの・・・でも、あまりにも似ていたもので』 「け、け、検事さん?」 どうしてであろうか 何一つ悪い事をしていなくても、検事という言葉を聞かされ、緊張してしまうのは。 亀丸検事は、一枚の写真を鞄から取り出した。 『これ、お母さんでしょ?』 その写真は、健心が逮捕されたときに、警察が健心の家から押収したバーベキューの時の集合写真だった。 「あっ、はい!」 ミーは気づいた。 「検事さん! もしかして、ケンちゃんさんのことで?」 『はっ? ケンちゃんさん? ・・・あっ、小野寺健心さんのことかしら?』 「あっ、はい」 『あなたも、小野寺さんのことをご存じなの?』 「し、し、知ってるなんつーもんじゃありませんよ!」 『はぁ?』 「えっ? あれっ? なんか、わたし・・・変なイントネーション?」 検事が突然に現れ、健心のことを聞きに来てくれた興奮で、思わず健心言葉になっていたミーに、亀丸検事は思わず微笑んだ。 『だいじだよ!・・・あっ? 私もなんかなまってるかしら?』 と、笑ってミーの緊張をほぐしてくれたのだった。 ミーは、機関銃のようにしゃべりだした。 「け、検事さん! 聞いてください! ケンちゃんさんは・・・」
マコト (土曜日, 25 6月 2016 21:12)
ミーが、亀丸検事に健心のことを話し出して、間もなくだった。 「あっ、 お母さん!」 萌仁香が配達から戻ってきた。 亀丸検事は、立ち上がり 『検事の亀丸です。進藤萌仁香さんですね、今日は、小野寺健心さんのことで、お邪魔させていただきました』 「えっ? 検事さん? 健心のことで?」 それからは、萌仁香も加わって、健心の人となりから話した。 そして、バーベキューの時のことまで聞いた亀丸検事は、萌仁香に尋ねた。 『津路さんが、探偵をやめた時期をご存知ですか?』 「えっ? 津路君ですか? あぁ、確か9年、10年くらい前だと・・・」 『そうですかぁ・・・随分と参考になるお話を伺うことができました。ありがとうございました。また、何かお聞きしたいことができた時には、お邪魔させていただきますね』 と、立ち上がった。 だが、ミーは、亀丸検事に最後まで食らいついた。 「検事さん・・・ケンちゃんさんは? ケンちゃんさん、逮捕されちゃうんですか?」 『う~ん、正確にお話しをするとね、もう逮捕はされているのよ! 起訴をして裁判にかけるかどうか・・・それを決めるのが私のお仕事」 「えっ? そ、それじゃ起訴されちゃうんですか?」 亀丸検事は、笑ってこう言った。 『さぁ、それはどうかしらね・・・でも、これだけは言えそうよ! 小野寺さんは、あなた達を簡単に裏切るような人じゃなさそうね! 今は、あなた達が彼を信じてあげないと、ねっ!」 「検事さん・・・」 『お邪魔しました』 そう言って、亀丸検事は帰っていった。 二人の話を聞いた亀丸検事は、既に仮説をたてていたのである。 そう、健心が考えたものと同じ仮説を。 そして、事件に関しては、不自然な傷口のことも重ね合わせて、健心が夏美をかばっているのだと。
マコト (日曜日, 26 6月 2016 21:38)
病院を飛び出した津路は、急いで夏美のマンションに向かっていた。 「ナッちゃん、いてくれよ!」 「健心・・・すまない、待っていてくれ! 今は、ナッちゃんのところへ・・・すまない、健心」 人生には、「あの時に・・・たら・・・れば・・・」と、後になって言いたくなる、そんな出来事が、幾度か訪れる。 津路と夏美、二人の人生にとって、まさしく、その時の津路の運転が「あの時」になろうとは、夏美のところに急いでいた津路に、知る由もなかったのである。 その日は、朝からどしゃぶりだった。 ワイパーを最高速度に上げても、強い雨が前方を見づらくしていた。 そして、夏美の手紙を思い出しながら運転していた津路は、涙でさらに視界を狭くさせていたのであった。
マコト (日曜日, 26 6月 2016 21:39)
津路が、夏美が去ったあとの病室でナースから手紙を受け取った時には、夏美は、タクシーでマンションに戻っていた。 夏美は、悩んでいた。 「俊成くんが、ここに来たらどうしよう・・・」 それは、一睡もせずに想いの全てを綴った手紙 自分一人で決めた「さよなら」 それでも、手紙を読んだ津路が、自分を追いかけて来てくれるかもしれないという気持ちがあったからだった。 夏美は、化粧台の前に座り、薄い化粧をした。 そして、視線を少し上げた。 その視線の先には、熊と一緒に嬉しそうに微笑む津路の写真があった。 「俊成くん・・・」 涙が、いましたばかりの化粧を落とした。 「バカ、夏美! しっかりしろ! 自分で決めたことでしょ!」 そう言って、化粧を直した。 夏美は、少し大きめな鞄に下着と着替えを詰め込み、そして最後に津路の写真を入れた。 そして西側の壁に掛けられた時計に目をやり、 「俊成くん・・・来なかったね」 と、大きく息をはいた。 玄関まで鞄を持って行き、下駄箱から別の靴を取り出して履いた。 最後にもう一度部屋を見渡して、玄関のドアノブに手をかけた。 だが・・・ その手が震えだして、ドアを開けることが出来なかった。 夏美は、分かっていたからだ。 そのドアを開けた瞬間に、一人になることを。 夏美は、玄関でしゃがみ込み、それまで気丈にしていたのが、嘘であったかのように肩を揺らして泣いた。 どれくらい泣き続けていたであろうか。 ようやく、上を向いた夏美は、もう一度、壁にある時計に目をやった。 そして、小さな声で、こう言った。 「俊成くん・・・わたし・・・あの時計に背中を押されるまで、ここで俊成くんを待ちたい・・・いいよね、俊成くん・・・最後の私のわがままだから」 11時35分を指すその時計は、からくり時計だった。 夏美は、1時間おきに出てくる鳩に、いつも元気をもらっていたのだ。 「夏美、元気? ファイトね」 と、言ってくれているかのように、家に一人でいる時の応援団長だったのである。 夏美は、ドアを開けて津路が入ってきて・・・そして抱きしめてくれることを思い浮かべていた。 からくり時計の振り子の音だけが、聴こえている中で。
マコト (日曜日, 26 6月 2016 21:40)
津路は、10時に病院を出ていたのだ。 病院から夏美のマンションまでは、車を飛ばして20分ぐらいの距離である。 だが、その日の強い雨が、津路の車の進行を遅らせた。 最短距離にルートをとっていたが、突然に渋滞が現れた。 「えっ? 事故かなぁ・・・」 焦る津路は、それを待てずにUターンをして、距離は遠くなるが、郊外の農道を通って行くことを選択した。 その農道は、夏美とよくホタルを探しに来た道だった。 「ナッちゃんは、ホタルを見るのが大好きだったよなぁ・・・今年は、うまく見つけられずに・・・来年も一緒に来ようなって言ったよね・・・ナッちゃん」 津路の涙が止まることはなかった。 農道を走っていくと、1台の軽トラが、ハザードランプを点滅させて停まっているのが目に入った。 「あれっ? あの軽トラ、なんか随分と傾いているなぁ、」 近づくにつれて、何故、軽トラが傾いているのかが分かった。 「あれっ、脱輪しちゃったんだ・・・雨で前が見づらかったのかなぁ」 津路の車を擦れ違いさせるには、十分の幅があった。 津路は、そのまま横を通り抜けようと、スピードを緩めて車を進めた。 ちょうど、軽トラが隣にきたときに車内を覗き込むと、すごく高齢のおじいさんが、津路に助けを求めるかのように、津路の方を見ていた。 「あっ・・・」 急いでいた津路は、目をつぶって、その軽トラの横を通り過ぎた。 だが・・・ 少し行ったところで車を停め、傘をさし、おじいさんのところに向かったのである。 「大丈夫ですか?」 高齢のため、耳も遠かったのかもしれないが、強い雨が津路とおじいさんの会話を遮った。 津路は、ジェスチャーで 「自分! 押す! おじいさん、運転!」 と合図を送った。 おじいさんは、それを理解できたのか、ゆっくりと深く頭を下げた。 雨の中の脱出作業は、困難を極めた。 「ダメだ!」 と、傘を投げ捨て、軽トラを力いっぱいに押したが、おじいさんの運転では、アクセルをふかし過ぎて、タイヤは空回りするばかり。 余計に、軽トラは沈んで行ってしまった。 と、その時、クラクションの音が津路の耳に届いた。 「良かった、手伝ってもらおう」 と、その車に近づくと、中年風のおじさんが、窓を開けて 「おい、なにやってんだよ」 『あっ、おじいさんの軽トラが脱輪しちゃったみたいで、手伝っ』 「バカやろー! こっちは急いでんだよ! はやく、その車をはじによせろよ!」 津路の願いは叶わなかった。 津路は、濡れた服で車に乗り込み、そして自分の車をはじによせた。 「バカやろー!」 その男は、もう一度津路を怒鳴りつけ、走り去っていった。 近所の農家の人が、トラクターを持ってきて、軽トラを救ってくれた時には、11時50分になっていた。 「まいったな、1時間半もかかっちゃった・・・ナッちゃん」 びしょ濡れであることも気にせずに、津路はナッちゃんのところへ急いだ。
マコト (日曜日, 26 6月 2016 21:42)
二人の運命を決める時になった。
マコト (日曜日, 26 6月 2016 21:44)
津路が、ドアを開けて入ってきて、そして夏美を抱きしめた。 そんな光景をずっと待っていた夏美の耳に、応援団長の声が聞こえてきたのである。 ポッポー、ポッポー 応援団長は、12回、夏美の背中をおした。 「夏美、大丈夫だよ! あなたなら頑張れるから」 夏美には、そう聞こえた。 「俊成くん・・・こんなみじめな女の子なんか、早く忘れてね」 そう言って夏美は、凛として立ち上がり、鞄を持ち、部屋を出て行った。 それから、5分も経っていなかった。 「ナッちゃん!ナッちゃーーーん」 誰も居ない部屋に津路が入ってきたのは。 もちろん、ほんの5分前まで、夏美が待っていたことなど、津路には、知る由もなかった。 津路は、テーブルの上に置かれた、走り書きの手紙を見つけた。 そこには、こう書かれてあった。 俊成くん、 この手紙を読んでいるということは、私のところに来てくれたの? ありがとう・・・でも、やっぱり私は一人で生きて行きます。 私が、世界一嫌いな女の子、それは私自身 そんな、女の子がいつまでも俊成くんにまとわりついていちゃいけないの。 マンションは、兄に頼んで処分してもらうことにします。 さようなら、俊成くん その手紙は、濡れてにじんでいた。 それは、びしょ濡れの津路がにじませたものではなく、夏美の涙だった。 夏美の部屋には、津路の嗚咽だけが響き渡っていた。
マコト (月曜日, 27 6月 2016 12:25)
花風莉を出て、検察庁に戻った亀丸検事は、直ぐに健心の取り調べを始めた。 『さてと、小野寺さん・・・』 健心は、これまでの亀丸検事とは、表情も声のトーンも違うことに直ぐに気付いた。 「あっ、・・・はい」 『今日ね、あなたをケンちゃんさんって呼ぶ人に会って来たわよ』 「えっ? み、ミーちゃんにですか?」 『そうよ! あなた、ミーちゃんと仲良しなのね?』 「あっ、・・・隠し撮りの子分に任命しました」 『はっ? 隠し撮り? なにそれ?』 「はい・・・萌仁香と美子都の、食べ歩きツアーの・・・」 『はぁ? まぁ、いいけど・・・ それからミーちゃんのお母さんにも会ってきたわよ!』 二人の名前を言われ、そしてその時の亀丸検事の表情で、もう、健心は覚悟を決めていた。 「二人は、私のことを憎んでいましたよね・・・」 『小野寺さん・・・あなたねぇ、もう少し自分のことを知りなさいよ! 二人は、一生懸命にあなたの無実を、私に訴えてきたのよ!』 「えっ?・・・」 『まっ、そのことはいいとして・・・ さて、小野寺さん、これから私の考えた一つの仮説を話します。あなたは、黙って聞いていてください。いいですか?』 「えっ? 仮説ですか?」 『え~、そうよ! たぶん、あなたも気づいて行動して・・・それで今回の事件が起きたのかなと・・・ いま、あなたが逮捕され拘留されているのは、状況証拠だけ。しかも、あなたは、ずっと黙秘を続けている。そんな中で、私が起訴を決めるには、どうして今回の事件が起きたのか、それを明確にできない以上、起訴はできません。 だから、進藤萌仁香さんのところに話を聞きに行ってきたのよ。そこでミーちゃんにも話が聞けたから・・・もし、私の仮説が合っているとするならば・・・小野寺さん・・・あなたは本当にバカね! バカがつくほどお人よしよ!』 黙ってうつむく健心に、亀丸検事の話が始まった。 『小野寺さん・・・あなたは・・・』
マコト (月曜日, 27 6月 2016 21:50)
亀丸検事の仮説は、全て正しかった。 ずっと、うつむいたまま聞いていた健心に、亀丸検事は最後にこう言った。 『蒼さんが待ち続けている人のことを、津路さんがどれくらい知っているのかは、分かりません』 『ただ・・・津路さんがどんなに辛くても、ずっと秘密にしておかなければならない理由があるなら・・・それは、いくらあなたが津路さんを心配しても、どうにもならないことなのかもしれないわよ・・・』 『それとねっ、小野寺さん・・・あなたが、夏美さんのことをかばうと、夏美さんはそのことを一生背負って生きて行くことになるのよ! それって、どうなのかしらね? もし、あなたが夏美さんの立場にたつとしたら、それは、辛くてたまらないはずだけど・・・』 『小野寺さん・・・わたし、夏美さんが心配なのよ! 津路さんにあてた手紙にどんなことが書かれていたのか・・・想像でしか言えないけど・・・もし、自分がしたことを悔いて・・・そんなことになったら、あまりにも悲しすぎるじゃない』 『今回のことは、誰もが、自分のことよりも相手のことを考えて・・・』 『なのに・・・結果的にみんなが不幸になるようなことになってほしくないの!』 健心は、その言葉にハッとして、目が覚めた。 「検事さん・・・」 それから健心は、亀丸検事に全てのことを話した。 亀丸検事は、優しい顔でこう言った。 『そう・・・良く話してくれたわね、小野寺さん。 あぁ、それとね、誤解しないで欲しいんだけど・・・津路さんの探偵時代のことは、あくまで私の仮説ですからね! これが、誰かに伝わることもありませんし・・・』 『小野寺さん・・・きっとあなたなら・・・』 と、その途中で健心は、立ち上がり、看守の制止を振り切って、膝を床につけて 「検事さん、お願いします。早くここから出してください」 と、土下座をしたのである。 亀丸検事は、健心が頭を下げている間は、微笑んでいたが、健心を椅子に座るよう看守に合図して、表情を変えてこう言った。 『早く出してください? あなたね、わたしにこれだけ面倒をかけておきながら、随分と身勝手なことを言うのね!』 「・・・す、すみません」 『そんな簡単に、あなたの言うことを聞く訳にはいきません』 「・・・あっ、・・・は、はい」 『あなたには、罰を与えます』 「・・・罰ですか・・・はい」 亀丸検事は、立ち上がり柔らかい表情に変えてこう言った。 『小野寺さん、あなたには罰として・・・夏美さん、津路さんのことを頼みます!』 「えっ?・・・」 『だって、あなたにしか頼めないでしょ!』 「検事さん・・・」 亀丸検事は、自席に座ってこう言った。 『小野寺健心さん、取り調べは以上です! あなたを嫌疑不十分で不起訴処分とします』 その日のうちに、健心は釈放された。 地検の前で、庁舎に向かって深々と頭を下げる健心を亀丸検事は検事室の窓から見つめていた。 『小野寺さん・・・二人のこと、頼むわよ』と
マコト (火曜日, 28 6月 2016 13:00)
健心が釈放された日の三日前のこと・・・そう、夏美がマンションを出て行った日、 夏美は、自分の車でマンションを出て、長旅についていたのであった。 それは、いつ帰るのか、そしてどこに帰るのかも分からない旅だった。 それを承知で夏美は、車を走らせていた。 津路は、夏美が去った部屋を、ひとり、見渡していた。 いろんなことが思い出されてきた。 キッチンでは、 「ナッちゃん、初めてチャレンジしたパンケーキ・・・焦がして真っ黒にしちゃったよなぁ・・・それでも二人で“旨い、旨い”って」 「パッションフルーツをいただいたから、食べにおいでよ!って・・・結局、二人とも食べ方が分からなくて・・・ネットで調べたよなぁ」 壁に貼られたカレンダーに目をやると、7月2日、3日に丸が記されてあった。 「金沢に旅行するって言って、チケットも全部準備していたんだろう? ・・・ナッちゃん」 部屋の中には、二人の想い出がいっぱいつまっていた。 ふと、化粧台の上に目をやった。 「あっ!・・・持っていったのかなぁ・・・ナッちゃん」 自分が熊と一緒に撮った写真が無くなっていることに気付いたのである。 男が、こんな状況におかれた時には、そんな考えをするのかもしれない。 「ナッちゃん・・・俺たちの思いでの場所に行ったのかもしれない・・・」 津路は、部屋を飛び出して、二人が初めてデートした動物園に車を飛ばしたのであった。
マコト (火曜日, 28 6月 2016 23:05)
津路は、運転しながら、これまで困ったときや、諦めたくない時に、必ず口にする言葉を何度も言っていた。 「念ずれば通ず、念ずれば通ず、念ずれば・・・ 」 津路の大好きな、いやっ、簡単に諦めない自分でいたいがために、いつも口にしていた言葉であった。 広辞苑で調べれば、“心に強く思う事で願った道が開ける”とでも、記述されてあるのだろうか。 津路は、常に思っていた。 心を込めて祈るような思いは、 自分を動かし、 物事を動かし、 人を動かすものだと。 津路は、「執念」という言葉もよく使った。 同じように広辞苑で調べれば、“ある一つのことを深く思いつめる心。執着してそこから動かない心”とでも記述されてあるだろう。 だが、津路が探偵時代によく使った理由は、少し違かった。 津路が、大切に使っていた理由は、 執念・・・ 今の心が、幸せを丸くする。 それが執念だと。 「念」という漢字を分解すれば「今」と「心」になる。 そう「今の心」だ。 津路は、いつも言い続けていた。 “今の心”が未来を創るのだ!と、 思わなければ、何も始まらないのだ!と。 そう、この時の津路は、“必ず夏美に会える”と、強く念じていたのであった。
マコト (火曜日, 28 6月 2016 23:06)
津路は、車を飛ばした。 それでも、急ぐ気持ちを少しでも抑えようと、夏美とよく車の中で聴いていた曲をかけた。 ≪・・・人ごみに流されて変わってゆく私を あなたはときどき遠くでしかって・・・≫ 普段、夏美と会話をしながらBGMとして流れていた曲も、一人の運転の津路には、その歌詞が心にしみた。 「遠くで?・・・冗談じゃないよ!」 と、津路は途中で次の曲をかけた。 ≪・・・きっと何年たっても こうしてかわらぬ思いを 持っていられるのもあなたとだから・・・≫ 「ナッちゃん・・・この曲が流れているときは、いつも一緒に口ずさんでいたよなぁ・・・」 自然と涙が流れた。 「ナッちゃん・・・逢いたい」 どうしてだろうか・・・ 普段、一緒にいる人と、もうあえないかもしれないと思うと、愛しさが増す。 これが、一時の逢えないではなく、永久のものとなってしまえば、それは悲しさに変わるのであろうが・・・夏美と必ず会えると念じていた津路は、愛しさが何倍にもなっていた。 津路は、左手でコンソールボックスに手をやり、そして視線を送って 「ナッちゃん・・・必ず君を見つけ出すからね!」 と、動物園に向かう道を急いだ。
マコト (火曜日, 28 6月 2016)
動物園に着いた津路は、広い駐車場で夏美の車を探そうと考えたが、入り口付近に空いているスペースを見つけ、急いでそこに車を停めた。 右津乃宮動物園と書かれたチケットを手に、真っ先に熊のいる場所に向かった。 「えっ?・・・いない!」 津路が思っていた場所にいるはずのツキノワグマがいなかった。 「あれっ?・・・場所が変わったのかな」 そこには、セイウチが、気持ちよさそうにお腹を上にして昼寝をしていたのである。 それは、単に津路の勘違いだった。 近くにいた飼育員らしき人に 「クマ! クマ!」 と、ちょっと見、危ない雰囲気の津路 『熊ですか? あちらの角を右に曲がったところにいますよ』 津路は、小走りに熊の居る場所に向かった。すると・・・ 「あっ!」 ネービーと薄茶のボーダーを着たショートカットの女性が一人で立っていた。 「ナッちゃん!」 そう思って、一つ落ち着かせるように深呼吸をして、その女性の横に立った。 『はっ?な、なんですか?』 それは、夏美ではなかった。 その女性は、歳の頃なら50代前半 嬉しそうにアイスクリームを頬張りながら、熊を眺めていたのである。 「ご、ごめんなさい・・・人違いでした」 『あっ、いえぇ・・・』 それでも、津路は、そのおばさんに 「あの・・・この女性を見かけませんでしたか?」 と、津路が唯一持っていた夏美の写真を、そのおばさんに見せた。 『あれぇ~、綺麗な人だねぇ・・・堀北真希さんに似てるねぇ・・・こんな可愛い女の子は、見かけませんでしたよ』 津路は、「すみませんでした」と、頭を下げ、別の場所を探そうと歩き出すと、 『あっ! 今日ね、一本松というパン屋さんに行ったんだけど、そこで、そんな感じの人と・・・あぁ、違う!違う! 今日は、パン屋さん臨時休業だったのよ! もう、お腹すいちゃってまいったわよ!』 「・・・で、結局は・・・」 ただの人騒がせなおばさんだった。 津路は、一礼をしてその場から去った。 さほど広い動物園ではなかったが、何周も回って夏美の姿を探したが、津路が夏美を見つけることはできなかった。 「ナッちゃん・・・」
マコト (水曜日, 29 6月 2016 19:34)
津路は、動物園の駐車場で途方に暮れていた。 エンジンをかけた津路であったが、次の行先が思い当たらなかった。 ハンドルにもたれかかり、目を閉じると、夏美の好きだった曲が流れていることに気付いた。 ≪・・・もう二度と会わない方がいいと言われた日 やっと解った事があるんだ、気づくのが遅いけど 世界中の悩みひとりで背負ってたあの頃、 俺の背中と話す君は 俺より辛かったのさ≫ 普段から、涙もろい津路であったが、この日は、夏美への想いがどれほどまでに深いものであったのか、それに気付かされるたびに涙が流れた。 熊の前で声をかけた女性が、夏美に見えてしまったこと・・・ それは、夏美が必ずそこにいてくれるはずだという思いもあって、そのおばさんが夏美に見えてしまった津路であったが・・・ 普段から、夏美のことをあまり見ていなかったことを思い知らされた。 津路の会社は、現場は若い男性の従業員だが、事務をとるのは女性が多い会社だった。 津路は、ふと女性社員と交わした何気ない会話を思い出した。 (女性社員A)『社長!』 (津路)「うん? どうした? 若林くん」 (女性社員A)『うちの主人の話を聞いてくださいよ』 (津路)「どうしたぁ・・・新婚の若林くんが、もう、旦那の愚痴かい?」 (女性社員A)『昨日、前髪を1センチ切ったんですけど、気づいてくれなかったんですよ~』 (津路)「い、い、1センチ? それじゃ、気づかなくてもしょうがないだろう?」 (女性社員A)『いいえ! そんなことありません! 結婚する前は、必ず言ってくれましたよ! 切ったのかい? 似合うよ!可愛いよ!って』 (津路)「そっかぁ・・・そう言われてしまうとなぁ・・・、男は、いつもパートナーをちゃんと見ていないといけないことになるなぁ・・・」 (女性社員A)『当然ですよ!社長』 (女性社員B)「若林さん! 今だけよ、そんなこと言ってられるのは!」 (女性社員A)『え~、山田さん! それって、悲しくありません?』 (女性社員B)「そうねぇ、悲しいかもしれないけど・・・家事や子育てに追われて、そんなことも言ってられなくなっちゃうのよ! みんなそうよ!」 (女性社員A)『う~ん、私もそうなっちゃうのかなぁ・・・え~、でも山田さんは、いつもきちんとしていて、美容院も定期的に、洋服もセンスいいし・・・そんな、山田さんのご主人が、何も言ってくれないんですか?』 (女性社員B)「う~ん、言わないわねぇ・・・確かに、結婚前と新婚の頃は、若林さんのような思いもあったし、旦那も言ってくれていたけど・・・」 (女性社員A)『ひとつ聞いてもいいですか? 山田さん』 (女性社員B)「どうぞ、なに?」 (女性社員A)『山田さんは、誰のために、いつもそんな綺麗にしているんですか?』 (女性社員B)「えっ?・・・誰のため? もちろんいつまでも綺麗な私でいたいから・・・それって、自分のためでしょ? えっ? 若林さんは違うの?」 (女性社員A)『私は、違いますよ! 主人のため! ずっと愛されていたいから!ですよ』 (津路)「なるほどなぁ・・・もう、俺たちの年代になると、相手のためにっていう気持ちはないかもしれないなぁ」 (女性社員B)「そうですねぇ、社長・・・愛されたかったら、愛されるようにしていなきゃだめだっていうことなんですかね」 (女性社員A)『私は、女性が変わってしまうのは、全て男性が悪いと思います!』 (津路)「そうなのか? 女性はそんなふうに思っているのかい?」 (女性社員A)『はい、社長!』 (津路)「う~ん、まぁ、それの全部を否定はしないけど・・・、男性が変わってしまう原因に、女性が、構わなくなってしまったからということもあるんじゃないのかい?」 (女性社員A)『えっ? そ、そんなことありませんよ・・・私は、変わらないし・・・』 (女性社員B)『社長・・・結局のところは、男性も女性も、それぞれがそれぞれの方に原因があるって言ってるんですよね』 (津路)「そういうことになるなぁ・・・まぁ、愛し方にも、人それぞれに形はあるんだろうけどなっ!」 (女性社員B)「そうですねぇ、社長・・・って、そういう社長こそ、だめですよ! もっと、夏美さんのことを大切にしてあげなきゃ! いつまでも、当たり前のようにそばにいてくれるって思っていると、いつ、いなくなっちゃうか分からないですからね! 女の子って、愛想を尽かすと早いですから! 気持ちが冷めるのは」 (津路)「おいおい・・・脅かすなよ・・・ナッちゃんは、大丈夫だよ! 長い付き合いだからな!」 そんな会話を思い出した津路は、やっと気づいたのである。 「えっ?・・・俺は、愛想を尽かされたのか」 と
マコト (水曜日, 29 6月 2016 23:03)
津路は、自分が夏美に愛想を尽かされるはずがないと強がっていたが、これまでの夏美に対する自分の不甲斐なさを恥じていた。 「俺・・・ナッちゃんのこと、見ているつもりで、ちゃんと見ていなかった」 「それなのに、こんな俺の奥さんになりたいって・・・情けねーやつだよ、俺は!そんなことを彼女の方から言わせて・・・」 「仕事、仕事で旅行にも連れていってあげなかった俺に、20年も連れ添っていてくれたんだ・・・ナッちゃんは」 と、その時だった。 「旅行に?」 津路は、夏美が二人でいるときに、口癖のように言っていたことを思いだした。 『わたし・・・俊成くんと、一緒に行きたいんだぁ・・・二人で、一緒に見たいの』 それは、夏美の生まれ故郷でもある岩手県宮古市にある「浄土ヶ浜」だった。 夏美の生家は、もう誰も住む人がなく、夏美も帰る機会を失くしていたのである。 『綺麗なのよ~俊成くん・・・一緒に行きたいなぁ』 「ナッちゃん・・・」 夏美を必ず探し出すことを念じていた津路であったが、岩手に向かうことを躊躇させる思いがあった。 それは・・・ 「俺がこのまま岩手に向かってしまったら、健心は・・・」 だが、そのためらいは、直ぐに打ち消された。 「すまん、健心・・・いまは、ナッちゃんのところへ行かせてくれ」
マコト (水曜日, 29 6月 2016 23:04)
津路は、宇都宮ICから東北自動車道に乗り、岩手へと向かった。 夜の下りの高速は、那須を過ぎて交通量も少なくなっていた。 途中、安達太良サービスエリアに立ち寄った津路は、トイレを済ませると、辺りに漂う香りに気付いた。 「あっ、桃の香り・・・」 その日、一食もしていないことに気付いた。 建物に入ると、真っ先に『ベーカリー Sun ADATARA』の「もものぱん」という看板が目に留まった。 「ナッちゃんが好きそうだなぁ・・・」 安達太良SAの一番人気であったようだが、桃の苦手な津路は、別のレストランを選び、そこで「伊達鶏五目わっぱそばセット」をいただいた。 「旨かった! 食べないともたないからな」 と、先へ急ごうと建物から出た。 津路は、車内の飲み物を買うために自動販売機に向かうと、2台の自動販売機の中央に子供の頃に憧れていたヒーローが立っていたのである。 「えっ?・・・ウルトラセブンだ!」 仁王立ちの凛々しい姿のウルトラセブンに「セブン~セブン~」と思わず口ずさんだ津路。 「へぇ~」 と、ペットボトルのお茶を購入すると、ウルトラセブンが 「ジュワッ!!」 という掛け声と一緒に目を光らせたのである。 もちろん、そんな時の男は、何かに理由をつけて、もう1本買うのである。 「眠気覚ましに珈琲も必要だよな!」 コインを入れ、缶コーヒーのボタンを 「ジュワッ!!」 その時の津路が、その日唯一笑みを浮かべた瞬間だった。
マコト (水曜日, 29 6月 2016 23:06)
安達太良サービスエリアを出た津路であったが、いきなりの満腹も手伝って、眠気が襲ってきていた。 「あっ!」 くっつきそうになった瞼に、津路は思わず声をだした。 両手で、自分のほほをたたき、眠気と闘った。 だが、人間の体は、そう都合よくは働いてくれないものである。 盛岡南ICまでは、安達太良SAから278キロも残っているなかでは、津路の体は限界であった。 次の吾妻PAまでの約30キロの道のりを必死に運転した。 「次で、少し休憩しよう・・・このままじゃ・・・」 吾妻PAに着いた津路は、車を一番はじに停車させた。 シートを倒して「ちょっとだけ・・・」 目が覚めたのは、翌日の朝だった。 「えっ?・・・こんな時間? 寝過ぎてしまった・・・急がなきゃ」 買ってあったお茶を飲みほして、また高速道路をひたすら走った。 ようやく盛岡南ICで降りた津路は、国道106号線を東進した。 浄土ヶ浜の看板が見えてきたときには、もう10時になろうとしていた。 「ナッちゃん・・・いてくれよ! いやっ、必ずここに来ているはずだ!」 愛する人を探さなければならないという思いが、ここまでの津路を突き動かしていたのであった。 浄土ヶ浜に初めて訪れた津路は、まず海岸へ行った。 生まれて初めて見る景色だった。 岩上には、ナンブアカマツをはじめとする常緑樹の群生が生い茂り、あたかも日本庭園のような美しい景観が醸し出されていた。 「綺麗だぁ・・・」 「ナッちゃん、こんな綺麗な場所で生まれ育ったんだなぁ・・・」 そこには、入り江を利用した海水浴場があり、日本の水浴場88選に選ばれるだけあって、見事なまでに素晴らしい景色。 海無し県に育った津路には、息をのむほどの絶景だった。 「ナッちゃん・・・この海を見せたかったのかなぁ・・・」 津路は、車を走らせ、1日中、夏美を探し続けた。 無謀と言われようが、その時の津路には、それ以外に夏美を探す手立てがなかったからだ。 津路は、念じ続けていた。 「必ず逢える」と
マコト (木曜日, 30 6月 2016 20:10)
陽が落ちていた。 「ナッちゃん・・・ここに来ているんじゃないの?・・・」 その時の津路は、夏美を探す手立てが他にない自分に、改めて夏美のことを見ていなかったことを悔いた。 夏美の趣味・・・夏美の友達・・・夏美の実家・・・夏美が頼りそうなところ・・・ 何も分からなかった。 「俺、20年もナッちゃんと一緒にいたのに・・・」 暗くなった海からは、寄せては返す波の音だけが聞こえていた。 津路は、砂浜に座って暗くなった海を眺めていた。 「こんなことになってしまったのも、もとはと言えば・・・」 津路は、理を見つけたにもかかわらず、連れ帰って来なかったことを、夏美に伝えるべきであったのかと、そのことも悔やんでいた。 「喜びも苦しみも分かち合い?」 「俺には、・・・ないよ、ナッちゃん」 「ナッちゃんにまで、苦しみを分け与えることなど、俺の選択肢にはなかった」 「ただ・・・ ナッちゃんは、仕事から帰った俺をいつも笑顔で出迎えてくれた・・・俺は、それがあったからずっと頑張ってこれたんだ」 そう言って、津路はその日最後の涙を流した。 浜辺で、どれくらいの時間が経っていたであろうか。 海風が冷たくなってきたことに気付いた津路は、車に戻って次の日の朝を迎えた。
マコト (木曜日, 30 6月 2016 20:29)
翌日・・・ それは、津路が夏美を探し始めて3日目のことだった。 初めて、津路の携帯が鳴った。 「ナッちゃん?」 そう思った津路が、携帯のディスプレーをみると、そこには「小野寺健心」と書かれてあった。 「えっ?・・・健心」 地検から出た健心が、直ぐに津路に電話したのであった。 津路は、ためらうことなく電話に出た。 『津路か? 健心だよ!』 「健心! 自分の携帯から電話をしてきたっていうことは・・・」 『あぁ、そうだ! ちゃんと戻ってきたぜ!』 「健心・・・俺・・・」 『いいんだ! 津路! 何も言うな! それより、お前今どこにいるんだ?』 「・・・健心」 『いいから! なぁ、津路、どこにいるんだよ?』 「・・・岩手に来てる」 『岩手?』 それから、健心はどうしてこうなったのか、そして、津路と夏美が帰ってきていないと検事から聞かされたことを伝えた。 健心の想いを聞かされた津路は、涙ながらに、事件のことを詫びた。 「健心・・・すまない」 『いいんだ、津路・・・そんなことより、今は夏美さんのことだろう?』 「健心・・・」 『夏美さんは、そこに来ると思っているのか?』 「えっ? ・・・あぁ、・・・俺にはここしか思い当たる場所がないんだ」 『そっか・・・分かった』 そして健心は、こう言ったのである。 『津路、待ってろ! 俺もそこに行く!』 「えっ?・・・う、嘘だろう? 健心」 『こんな時に嘘をついてどうするんだよ! 待ってろよ! 今日中に行くからな』 電話は切れた。 「健心・・・本当かよ?」 健心は、急いで自宅に戻り愛車のトヨタポルテで岩手に向かった。 『新幹線の方が早いだろうけど、向こうで手分けして探すには・・・』 そう思った健心は、車で行くことを選択したのであった。
マコト (木曜日, 30 6月 2016 20:31)
健心の電話があってから5時間後・・・ 津路が浜辺で海を眺めていると 『津路・・・』 「えっ?」 『よっ!』 「健心・・・」 平均速度○○○キロで東北道を休憩もせずに飛ばし、健心が津路の前に現れたのである。 「健心・・・お前、本当に来てくれたんだな」 『そりゃぁ来るさ!』 「って、早すぎねーかい?」 『おっ、お~・・・性能のいい車で来たからな!』 「・・・そっか・・・なぁ、健心・・・」 『なんだよ? 津路』 「・・・俺を殴ってくれ!」 『はぁ? なんだよ、いきなり・・・やだよ!』 「どうして? 俺は、お前に殴られて当然なことをしたんだ・・・夏美がお前にしたことだって、もとはと言えば・・・とにかく殴ってくれ!」 『やだって!』 「どうしてだよ?」 『・・・自分の手が、いてーから!』 「あのさ!・・・だって、お前は刑務所に入るかもしれなかったんだぜ! それをお前は・・・」 『なんか、成り行きでそうなっちたけど・・・いいじゃん! こうやって、今、ここにいられんだから!』 「おめーも、頑固だな! いいから、殴れって!」 『ったくうっせーな! 分かったよ! グーで殴ればいいんだな! うん? 3発か?』 「・・・いやっ、・・・できればパーで」 『いや、グーだろう!』 「いやっ、パーで・・・そっと1発でお願いします」 『バカやろ~! そんな訳いくかよ! グーで行くぞ、津路!』 と、健心は、姿勢を低くして、相撲の構えをした。 それを見た津路も、慌ててそれに合せ・・・ 砂浜で、二人は相撲をした。 途中から二人とも涙を流しながら。 『こっちは、心配してんだよ、津路さんよ!』 「うるせーよ! こっちにも都合があんだよ!」 『都合? 都合ってなんだよ? ・・・そんなの、こっちには関係ねーんだよ!』 「なんでだよ?」 『仲間だからだよ!!!』 それを聞かされた津路は、体の全ての力を奪われ、健心に砂浜の上に投げ飛ばされた。 健心は、上機嫌に 『健心山の勝ち~』 と、行司の真似で軍配を持つふりをして、海に向かってそれを指した。 そして、上げた右手をそのまま津路の方に向け、津路の右手を引っ張った。 立ち上がった津路は、涙でいっぱいだった。 「健心・・・本当にすまなかった」 『ホンとだよ! お前がちゃんと検察庁に来てくれれば、あと二日早く出てこれたのにな!』 「って、そっちかよ・・・お前ってやつは・・・本当にすまなかった、夏美のことも出来れば許してやってほしい・・・健心」 『いいんだよ! もう、そのことは終わりにしようぜ! それより津路・・・早く、夏美さんを探さなきゃな!』 「あぁ・・・」 健心は、体の向きを変え、海を眺めて言った。 『なぁ、津路・・・綺麗な海だなぁ・・・夏美さんは、こんな綺麗なところで生まれ育ったんだな』 「・・・そうだな」
マコト (木曜日, 30 6月 2016 23:54)
二人は、砂浜の上に、海に向かって並んで座った。 そして津路は、二日間、この地で街の人に夏美を見かけていないか、訪ね回り、 もう、あとは探すエリアを広げるしかないこと、 あるいは、夏美が津路と一緒に見たいと言っていたこの浄土ヶ浜で、夏美を待ち続けるしかないと健心に伝えた。 それを聞かされた健心は、 「・・・そっか」と、うなずいた。 結局二人は、今日一日は、その場で夏美を待つことを選択した。 しばらくは、二人黙って海を眺めていたが、津路が重い口を開いたのである。 「なぁ、健心・・・9年前の理君のことなんだけどさ・・・」 『うん?』 その時の健心は、亀丸検事の言葉を思い出していた。 『津路さんがどんなに辛くても、ずっと秘密にしておかなければならない理由があるなら・・・それは、いくらあなたが津路さんを心配しても、どうにもならないことなのかもしれないわよ・・・』 健心は、津路が話してくれるなら、それを聞いて同じ苦しみを背負う覚悟は出来ていた。 だから、津路に 『なぁ、津路・・・夏美さんのことももちろんだけど、津路のことが心配でここまで来たんだからな・・・お前が、話してくれるなら、俺はお前と一緒になってこれからのことを考えてやりたいよ!・・・津路』 津路は、健心の言葉に「・・・そっか」と、二度うなずいた。 津路は、ひとつ大きく呼吸して、ゆっくりと丁寧に理の捜索のときに何があったのか、その全てを健心に語り始めた。 群馬の山中でガッツと出会い、そして、それからの出来事の全てを。 そして・・・、真実を語った。 「俺・・・理君を見つけたんだ」 『・・・そっか・・・さすが津路だな』 「さすがって、誉められたもんじゃないよ・・・だって、理君を栞さんのところに連れ帰ってこれなかったんだからな」 『・・・それは・・・でも、それには理由があったからなんだろう?』 「理由?・・・そうだなぁ・・・理由というよりは、理君自身が、望まなかったんだ」 『えっ? 記憶を取り戻したいっていう気持ちはなかったのか? 理君には』 「よくは分からない」 健心は、分かっていた。 津路がそのことで探偵を辞めたこと。 もし、その時に無理矢理でも連れて帰ってくるか、理の居場所を栞に伝えていれば・・・ それが、出来ないくらいの理由があったのだろうと。 そして、9年後に知らされた栞のこと、蒼が今でも待ち続けていること。 その時の決断が、今でも津路を苦しめていることを。 津路は、どうして無理矢理にでも、理を連れて帰ってこなかったのか・・・ 理が、今でも住んでいるであろう家の、その時の状況を話し出した。
マコト (木曜日, 30 6月 2016 23:57)
津路の話を聞き終えた健心は、泣いていた。 『そっか・・・苦しい選択だったんだなぁ、津路』 「・・・あぁ」 健心は、涙がこぼれないように上を向いて言った。 『なぁ、津路・・・もし俺が津路の立場だったとしたら、・・・きっと同じ決断をしたよ』 「健心・・・」 ・・・ありがとな」 健心は、「そうだったのかぁ・・・」と、深く息を吐きながら下を向いて考えていたが、こんな時はと、少し明るい表情に変えて 『しかし、よく見つけたよなぁ・・・すごいよ、そのガッツという子犬は! 自分を助けてくれた人の匂いを忘れなかったってことだろう?』 「・・・そうだなぁ」 『長野にいた二か月間、相棒として津路を支えてくれたんだろう?』 「あぁ・・・なんか俺の気持ちを全部分かってくれているような子犬でさ、ガッツは」 『そっか! あれっ? それで、二か月も一緒に旅をしたそのガッツとは、一緒に帰ってきたんだろう? 会ってみてーな! そんな賢いワンちゃんにさ』 「・・・・・」 『えっ? 津路・・・俺、なんか変なこと言っちまったのか・・・』 「・・・一緒には帰って来なかったよ」 『えっ? どうして?』 「理君と暮らしたかったんだろうな・・・理君から離れなかったんだよ」 『・・・・・ ・・・ごめん、津路』 津路の目は、涙でいっぱいだった。 津路は立ち上がり、海に向かって歩き出した。 おそらくは、健心に涙をみられたくなかったのであろう。 波打ち際で立ち止まり、海を眺めていた。 健心は、そんな津路にかける言葉が見つからなかった。 言葉が見つからないなら、行動で示してやれと、健心も立ち上がり、津路の後ろまで走っていき、津路の背中をおもいっきり押して、津路を海の中へ。 「ばかやろー! 何すんだよ、冷てーだろう!」 と、同時に健心も海の中へ入ってきた。 『おんぼろ探偵~!』 と、両手ですくった海水を、津路におもいっきりかけた。 「バカっ! よせ! ・・・って、このやろ~」 二人は、海の中で、びしょ濡れになるまで海水をかけあった。 男なんて、そんな生き物である。 砂浜に戻ってきて・・・ 「健心・・・着替えは、あるのか?」 『ねーよ・・・津路は?』 「・・・ねーよ!」
マコト (金曜日, 01 7月 2016 12:16)
びしょ濡れの二人は、濡れた洋服でロボット歩き とりあえず車に戻ってみたものの、そのまま車に入ることも出来ず・・・ テトラポットの上で、反省会 「つめてーし」 『・・・あぁ、つめてー』 ふと、津路が言った。 「萌仁香に救われたな」 『えっ?・・・あっ、そ、そうだよな』 「はっ? なんだよ、なんか驚いたような口ぶりだな、健心」 『あっ、いやっ、そ、そうだよ! 萌仁香が救ってくれなかったら大変だったよな!』 「なぁ、健心・・・もしかして、お前、まだ萌仁香に連絡してねーのかよ?」 『えっ? ・ ・ ・ 』 津路は、呆れ顔で 「俺を心配して、飛んできてくれたのは分かるけどさぁ・・・健心、それはまずいぜ!」 『えっ? そ、そうだよな・・・そうだよ、まずいよ! うん、まずい、まずい!』 「今から、連絡しろよ!・・・って、まさか??? 美子都にも連絡してねーのかよ?」 『お、俺は・・・津路のところに急いでいたから・・・』 「おいおい、勘弁してくれよ! こっちまで、とばっちりくいそうだぜ! 大変なんだろう?美子都が怒りだすと?」 『あっ? うん? いやっ? ・・・た、大変だよ!』 「俺は、知らねーからな!」 『あっ、そっか! 分かった! 津路が検察に来て、俺を救っていてくれたら、こんなことには、ならなかったんだよ!・・・そうだよ! 津路が悪いんだよ!』 「あのさぁ・・・そ、それは、まぁ・・・そうも言えるけど・・・え~、勘弁してくれよ! なぁ、早く連絡しろよ! 二人に」 「わ、分かったよ! 津路に頼まれたんじゃ仕方ねーからさ!」 『ったく・・・、もうこの際、なんでもいいから!』 健心は、しぶしぶ立ち上がり、車に置いたままの携帯を取りにいった。
マコト (金曜日, 01 7月 2016 12:21)
実は・・・ 健心が、釈放されたその日・・・、 何故か嫌な予感がした“おせっかいおばさん”の亀丸検事は、仕事帰りに花風莉に私用で立ち寄ったのであった。 『こんばんは~』 ミーが出迎えた。 「あっ、検事さん! ケンちゃんさん・・・ケンちゃんさんは、どうなりましたか?」 『えっ?・・・・』 「そのことで、来てくれたんですよね? ケンちゃんさんは?」 ミーの質問は、亀丸検事の嫌な予感が的中していたのである。 『小野寺さんから連絡ないの?』 「えっ? 連絡って・・・刑務所から電話が出来るんですか?」 『まぁ、正確に言うと検察だけど・・・小野寺さん、釈放されたわよ!』 「えっ? 検事さん、ホンとですか? わぁ~」 満面の笑みで、奥にいた萌仁香のところに飛んで行った。 萌仁香も、笑顔で出てきて 「検事さん・・・ありがとうございます」 『お礼を言われるのは、おかしいわよ! 正しい結果を導き出しただけよ! それも、お二人からお話を聞くことができたからね』 「良かったです、本当に・・・で、いつ釈放されるんですか?」 『う~ん、まぁ、分かることだから話すけど、今日、釈放されたのよ!』 「えっ? ホンとですか? えっ? ・・・け、検事さん、ちょっと待ってください!」 萌仁香は、急いで携帯を取り出し、どこかへ電話をかけた。 「もしもし・・・うん・・・うん・・・今日、釈放されたって・・・検事さんが、今、お店に来てくれて・・・そう、・・・うん・・・分かった」 萌仁香は、言った。 「すみません・・・いま、台風がここに来ます・・・5分で」 亀丸検事を奥の椅子に座らせ、待つこと・・・ 「あっ、4分で来ました」 それは、美子都だった。
マコト (金曜日, 01 7月 2016 22:17)
美子都が、血相を変えて花風莉に入ってきた。 『萌仁香! どういうこと? 早く説明して! 』 萌仁香は、いつものこととは知りつつも、まずは美子都を落ち着かせようと、 「まっ、座って! ・・・こちら、亀丸検事さんよ」 『あっ? そっか、・・・すみません、お騒がせしました・・・わたし、朝倉美子都です』 『美子都さん? 初めまして、亀丸です』 これから何が始まるの? と、不思議そうな表情の亀丸検事に萌仁香が、 「美子都は、健心の婚約者なんです」 『こ、婚約者~? あらぁ、小野寺さんには、そんな大切な方がいらしたのね!』 「そ、そうなんです・・・」 美子都の血相は、変わることはなかった。亀丸検事に、 『検事さん、健心は、何時ごろ釈放されたんですか?』 「まったく、あいつは、婚約者にも連絡していないのね! ・・・ここで、正直に言ったら、台風さんが・・・」と躊躇していた、亀丸検事は、 『う、う~ん・・・ご、ご、ごろうまる?・・・あっ? ご、ごご? あれっ、何時ごろだったかしらねぇ・・・』と、しどろもどろ。 そんな亀丸検事に美子都は納得。 『午前中のうちに釈放されていたんですね! ・・・で、なんで、私に連絡もよこさないのかしらね!』 『・・・た、た、確かに、そうよねぇ~』 亀丸検事は、心の中でつぶやいていた。 『あいつ、津路さんのところに飛んで行ったのね!・・・ってさぁ・・・婚約者がいるなら、普通は、連絡ぐらいするでしょう!』 『・・・でもっ、二人のことを頼んだ私にも責任がある訳だし・・・』 『あぁ~、もう~・・・どうして、こうやって私を困らせるのよ! あいつ、今度、何かしでかしたら、無実の罪で刑務所に送ってやるからね!』 『・・・でも、あいつらしいわねぇ・・・津路さんのことで頭がいっぱいなのね!』 『・・・えっ?・・・でも、それって?・・・ただのバカ?』 と、つぶやいているうちに、気が付けば、美子都がえらい剣幕で萌仁香にかみついていた。 『もぉ~許さない!』 「美子都、まぁ、落ち着いてよ・・・」 『落ち着いてなんかいられないわよ!・・・あいつ、殺してやるーーー!!!』 「み、美子都ぉ~・・・検事さんの前だから!」 『検事さんの前?って、誰の前だろうと・・・、あいつは、そうでもしないと治らないのよ!』
マコト (金曜日, 01 7月 2016 22:18)
亀丸検事は、何故か笑ってしまった。 それに気づいた美子都が、 『検事さん! 何がおかしいんですか? 健心は、いつもこうなんですからね!』 「あっ、笑ったりしてごめんなさいね、美子都さん」 『あっ、・・・検事さんに謝ってもらいたい訳じゃないんですけど・・・ところで、検事さん』 「うん? なにかしら、美子都さん」 『健心は、本当に何もしていなかったんですよね?』 「あれっ? 婚約者の美子都さんは、最後まで信じていたんじゃないのかしら?」 『えっ?・・・も、もちろん信じていましたけど・・・でも、健心は逮捕されて、それを否定もしなかったんですよね?』 「そうねぇ・・・」 『健心は、どうして何も言わなかったんですか?』 「美子都さん・・・ごめんなさいね、それは検事の私からは言えないのよ」 『・・・そうなんですかぁ』 「う~ん、美子都さん・・・じゃぁ、少しだけ教えてあげるけど、小野寺さんは、大切な友達を守ろうとしたのよ! だから、責めないであげてね」 『えっ? それって、健心が夏美さんを守ったということですか? はぁ??? 夏美さんと健心は、そんな関係だったってことですよね!!!』 美子都は、立ち上がり、 『あったまきた! もう、だめ! 私、暴れる!!!』 そんな美子都を萌仁香が羽交い絞め、ミーが美子都の腹部にタックルして、二人がかりで抑えた。
マコト (金曜日, 01 7月 2016 22:19)
亀丸は、しゃべり過ぎた自分を反省した。 「もぉ~、めんどくさいなぁ」 と、つぶやきながら美子都に 「美子都さん・・・とにかく、小野寺さんを信じてあげて! わたしね、あんな人、初めてよ! バカがつくほどお人よしで・・・でもね、これだけは言えるみたいよ! とっても仲間を大切に思っている人よ!」 『そ、それは・・・私も、少しだけ知ってますけど・・・』 「うん? 少しだけ?」 『あっ、少しより、ちょっとだけいっぱい』 美子都は、羽交い絞めの萌仁香と、腹部タックルのミーを振り払い、 『私から、電話してみる』 と、ちょっと乙女チックに言った。 亀丸は「そうねぇ、きっと喜ぶわよ!」 『お騒がせして、っていうか、今回の件では、検事さんには大変なご迷惑をおかけしたんですよね・・・あいつ』 「いいのよ、そんなことは」 『でも・・・』 「おかげで、素敵なお花屋さんを見つけることができたから」 と、亀丸は、一番の笑顔で、美子都、萌仁香とミーに微笑んだ。 そして、 「くれぐれも、小野寺さんを責めないでね、美子都さん」 『はい、分かりました。 ありがとうございます、亀丸検事』 と、美子都は、警察官の敬礼をしてみせた。 それに応えて亀丸検事も。 そして、それから直ぐだった。 「健心!!! おめーわよ! 許さねー!!! 今すぐここにきて、土下座して謝れーーーーーーー!!!」 電話で怒鳴っている美子都に、萌仁香もミーも、ただ、目を閉じて首を横に振るだけだった。 亀丸検事は、そんな3人に苦笑いするしかなかった。
マコト (金曜日, 01 7月 2016 22:20)
車に携帯を取りにいった健心が、津路のところに戻ってきた。 「うん? どうしたんだよ! 早く電話しろよ!」 『あっ? う、う~ん・・・』 「早い方がいいぞぉ・・・健心」 『・・・そうだよな』 健心が意を決して、まずは萌仁香にお礼の電話をしようと、メモリーを検索していると、 「あっ・・・やべっ! やべっ、やべっ! やべ~よ津路! 美子都からだよ! おい、津路! なぁ、頼む! 電話に出てくれよ!」 『はぁ??? バカかお前は! 早く出ろよ!』 「だ、だめか・・・なぁ・・・津路・・・早く!」 電話を受けそうにない健心にしびれをきらした津路が、携帯を奪い取り、電話を受けた。 と、その途端に 「健心!!! おめーわよ! 許さねー!!! 今すぐここにきて、土下座して謝れーーーーーーー!!!」 夜の浜辺に美子都の声が響き渡った。 「・・・津路」 『俺は、知らねーよ!健心、ほら!』 と、携帯を健心に向けて投げた。
マコト (金曜日, 01 7月 2016 22:22)
健心は、頭を低くして、申し訳なさそうに電話にでた。 「はい、健心でございます。ホンと、ホントにただ今電話しようと思っていましたところでして・・・はい・・・はい・・・あぁ、それは・・・いえっ、あの・・・はい・・・はい・・・あのぉ、岩手です・・・あっ、なんでって・・・あのぉ・・・はい・・・それは・・・いいえ・・・そんな・・・はい・・・あのぉ、津路君と一緒に・・・はい・・・あのぉ・・・それは、ちょっと・・・はい、はいすいません、ごめんなさい、あのぉ、ごめんなさい・・・はい・・・帰ったら、ちゃんと訳は話しますので・・・はい・・・いえっ、・・・はい・・・あのぉ・・・はい・・・ごめんなさい・・・はい・・・」 頭を砂浜にこするぐらいに低くして電話で応える健心に、津路は助け船をだした。 『健心、代われ!』 と、健心から電話を奪い取って 『もしもし、津路です・・・はい・・・あっ、信用してあげてください、健心は僕と一緒に居ますよ!・・・はい、岩手です・・・はい・・・実は、夏美が・・・』 と、津路は、美子都に全てを話し出したのである。 それを心配そうに聞いていた健心が、 「おい、津路!」 津路は『ちょ、ちょっと待って!』 と、携帯をふさいで 『健心・・・いいんだ、美子都は仲間だろう! だから・・・』 健心は、ゆっくりと首を横にふった。 『健心・・・だって、それじゃお前の立場が・・・』 「いいんだ、大丈夫だ! 帰って、ちゃんと謝るから! だから、理君のことだけは内緒にするんだ! 津路!」 『健心・・・分かった』 再び、津路は美子都と話して、携帯を健心に返した。 「美子都・・・本当にすまなかった。 少しでも早く津路のところへと思った瞬間に、頭の中が津路のことでいっぱいになっちまって・・・うん・・・うん・・・ごめん・・・ホンとだよな・・・うん・・・分かった・・・(は、は、は、ハクション!) ・・・あっ? いやっ、ちょっと海で遊んだもんだから・・・いやっ、海水浴じゃなくて・・・まぁ・・・うん・・・そうだな・・・分かった」 健心は、最後に愛情のこもった最愛の言葉を美子都に贈ったのだ。 余計なことを言わなきゃいいのに・・・ 「お土産、買っていくから・・・うん・・・良かった、機嫌直してくれて・・・うん・・・最初に、それを言えば良かったんだな!・・・ギャー、ごめんなさい、はい・・・はい・・・まったくであります、・・・はい・・・申し訳ございません・・・はい・・・はい・・・まったくであります、はい・・・はい・・・これから、萌仁香さんにも連絡して・・・えっ?・・・はい、あっ、そうなんですか・・・はい・・・分かりました・・・はい・・・よろしくお伝えください・・・はい・・・申し訳ございません・・・はい・・・はい・・・それでは失礼させていただきます、はい」 電話を切った健心はこう言った。
マコト (土曜日, 02 7月 2016 20:43)
健心は、90度に曲げた腰をもどして、津路にこう言った。 「良かったよ! あんまり機嫌悪くなかったから!」 『はぁ? あれで機嫌悪くないのかよ?』 「あぁ、普通だよ!」 『じゃぁ、機嫌悪くなったら、どんだけ怖いんだよ?』 「うん? 言いたいことを言ってくれた時は、大丈夫なんだよ!」 『ふ~ん・・・そんなもんなんだ』 「なぁ、津路・・・あんがとな」 『うん? 何がだよ』 「いやっ、お前が電話に出てくれなかったら、もっと大変なことになっていたよ」 『・・・って、どんだけ信用ねーんだよ!』 「まったくだな!」 『まったくだな!じゃねーよ! ・・・・なぁ、健心・・・』 「うん?」 『俺な、今回のことで、分かったんだ・・・夏美のことをちゃんと見てあげていなかったんだって』 「・・・そうなのか?」 『あぁ・・・だってさ、夏美のこと、なんにも分かっていなかったんだぜ! 夏美の友達、夏美の趣味、夏美の好みの服装・・・いろんなこと知らな過ぎだったよ、俺』 「そっか・・・って、俺もそうかもしれないけどな」 『健心・・・今回の俺じゃないけど、いつ、いなくなっちまうか分からねーぞ! 美子都も』 「えっ?・・・」 『俺みたくならねーように、普段から大切にしてやれよ! 美子都のこと』 「俺みたくって? なんだよ津路、はぁ?・・・夏美さんは、お前に愛想を尽かしていなくなったとでも思っているのか?」 『だってさ・・・』 「おい、津路! それは違うと思うな!」 『違う? どうしてそう思うんだよ?』 「確かに、津路は夏美さんの何も知らなかったのかもしれない。 だからって、津路を嫌いになんかならねーって!」 『嫌いにはなっていないかもしれないけど・・・夏美が残した手紙に書いてあったんだよ・・・』 「うん? なんて?」 『・・・俺の奥さんになりたかったんだよって』 「おっ、おぉ~ それって、プロポーズみてーなもんじゃん、そりゃぁ、すげーな」 『すげーな! じゃねーよ! 女の子にそんなこと言わせるなんて、情けねー男なんだよ! 俺は』 「う~ん・・・そうなのかな」 『そうだよ! だから、嫌いになったっていうんじゃなくて・・・待ちきれなくなったっていうか・・・とにかく愛想が尽きたんだよ!』 「ふ~ん・・・そっか! じゃぁ、もう栃木に帰ろうぜ!」 『えっ? なに? なんで?』 「お前は、夏美さんのことを今でも信じているんだろう?! だから、こうして夏美さんが一緒に見たいと言っていた場所で、待っているんだろう? 違うか? 愛想を尽かした人は、ここには来ねーよ! 心配なら、別の場所を探そうぜ!」 『健心・・・』 「いいか、津路・・・お前は夏美さんを一番に大切に思っていた! そうだろう? なら、それでいいじゃん! それのどこが悪いんだよ! 自信を持てよ!」 『・・・健心、そうだな』
マコト (日曜日, 03 7月 2016 21:11)
海風が冷たくなってきた。 「さみーな」 『おぉ・・・車に行くか?』 「そうだな・・・」 津路の車の隣に健心の車は停まっていた。 健心は、当然のように津路の車の助手席に歩いていった。 『おいおい、健心!』 「うん? なんだい?」 『健心の車が広くていいよな!』 「えっ? 津路の車だろう!」 『いやいや、健心様の車の方が、大変広うございまして、快適かと』 二人とも、びしょ濡れ砂まみれ。 車が、とんでもないことになるのを二人とも敬遠していたのである。 「だって、津路のために俺はここまで来たんだし!」 『俺は、来てくれって頼んでねーし』 「・・・確かに・・・って、さっき相撲で勝ったし!」 『はぁ? そんなの関係ねーし!』 「関係あるし!」 『んじゃ、俺は、美子都からの電話に出て、健心を救ってやったし!』 「・・・確かに・・・って、俺は、代わってくれって頼んでねーし」 『・・・確かに』 それは、ほぼ同時だった。 「じゃぁ、いいよ俺の車で」 『・・・いいよ、俺の車で』 「えっ?」 『えっ?』 「どうぞ、どうぞ!」 『どうぞ、どうぞ!』 結局は、ジャンケンに負けた健心の車に、二人は乗り込んだ。 『わりーね! 健心』 「おい、ケツをシートに着けるなよ!」 『はぁ? 無理だべ、それは』 「ほれ、そこ、あんまり動くなよ!」 『いやぁ~快適な車だね! シートも、ほれっ! ふかふかだぜ!』 「津路~~~!!!」 53歳、男盛り×2 こうもくだらないことをやっているとは、美子都たちは夢にも思っていないであろう。
マコト (日曜日, 03 7月 2016 23:22)
車に入って、二人はそれぞれに違うことを考えていた。 最初に口を開いたのは津路だった。 『なぁ、健心・・・』 「うん? どうした?」 『夏美は、本当にここに来てくれるんだろうか・・・不安になってきたよ・・・だってさ、家を出て、三日も経つんだぜ』 「う~ん、それは俺には分からないよ・・・でも、今はここで待つしかないんだろう?」 『そうなんだよなぁ・・・情けないよな』 「そんなことないって、さっき言ったろう!」 『あっ、う、うん』 『なぁ、健心・・・こうして、ただ待つだけなら俺一人で十分だよな! 健心は、帰って美子都さんのところに行ってくれよ!』 「津路は、どれくらいここで待つつもりなんだよ?」 『分かんない・・・気がすむまでになるのか・・・それとも・・・あぁ、どこか探す場所があればなぁ・・・そこに飛んでいくんだけどなぁ』 しばらく、二人とも黙っていたが、健心は、津路一人を残して帰るわけにはいかないだろうと考えていた。
マコト (月曜日, 04 7月 2016 12:57)
そんな健心には、もう一つの悩みがあった。 そのことを、津路に確かめるため、健心は重い口を開いた。 「なぁ、津路・・・」 『うん? なんだよ、健心』 「蒼さんのことなんだけどさ・・・」 『あっ・・・俺、すっかりそのことを・・・』 「う~ん、どうやって断ったらいいのか・・・俺には考え付かなくてさ・・・」 『すまなかったなぁ、健心・・・もとはと言えば、蒼さんの就職を断った理由・・・ちゃんとお前に伝えていれば・・・』 「津路、それは違うよ! 俺が、津路を苦しみから救ってやりたいなんて、カッコつけたことから、夏美さんを追い込むことになってしまったんだよ・・・すまない、津路」 『健心が謝るなよ! 俺も、ちゃんと夏美に話しておけば、こんなことには・・・』 「なぁ、津路・・・」 『うん?』 「理君は、いま、どうしているのかなぁ・・・幸せに暮らしているよな?」 『えっ?・・・』 「あっ、津路、誤解するなよ! こんな話をするとさ、あの時に俺が、って、またお前は自分が悪かったみたいなこと言い出すからさ!」 『だってさぁ・・・』 「言ったろう! 俺でも同じ決断をしていただろうな!って」 『健心・・・』 「幸せでいてほしいよな!」 『そうだなぁ・・・そうでなくちゃ俺が困るよ!』
マコト (月曜日, 04 7月 2016 20:41)
健心と津路が、夏美が来ることを信じて岩手にいたころ・・・ 『萌仁香ぁ~』 「蒼ぃ~・・・久しぶりぃ~」 『わたし、健心さんのこと・・・』 「健心のこと? そうだったのね・・・蒼・・・あなた、責任を感じて・・・でも、大丈夫よ、蒼! 健心はね、昨日、釈放されたわよ!」 『えっ? ほ、ホンと? ねぇ、萌仁香ホンとなの?』 「もちろん、ホンとよ! 健心・・・何も悪い事していなかったって!」 花風莉に入れずにいた萌仁香は、外で泣き出した。 「蒼・・・大丈夫よ! あなたが責任感じることないからね!」 『・・・うん・・・でも私が健心さんにお願いしたことが、何か関係しているのかなと思って・・・ずっと、わたし・・・』 「大丈夫よ、蒼! いろいろ事情があったみたいよ」 『そうなの? ・・・で、健心さんに会った?』 「そ、それがさぁ・・・なんかね、いま、岩手にいるみたいなの」 『い、い、岩手?』 「うん! まぁ、そのことはゆっくり後で話すから、入って、蒼」 『ありがとう・・・萌仁香』 蒼は、健心が釈放されたことに一安心 元気な顔に戻って、椅子に座った。 「今日は、暑いね! これね、最高に美味しいから食べてみて!」 『あっ! ミニストップの冷凍ミカンパフェだ!』 「当ったり~!」 『白桃パフェもヤバウマよね!』 二人は、パフェを食べながら、近況を報告し合った。 蒼が、久しぶりに来た花風莉の店内を見渡していると、あるものが目に留まった。 『ねぇ、萌仁香・・・このダリア、すごい綺麗!』 「さすが、ダリア好きの蒼、よく気が付いたわね!」 『うん、もちろんよ~・・・だって、なんか本当に素敵なダリア・・・初めてよ、こんな綺麗なダリアを見たのは』 蒼は、席を立ってダリアの前まで行った。 ダリアの美しさに、蒼は涙目になるほどだった。 蒼は、ダリアから視線を外さずに聞いた。 『ねぇ、このダリア・・・』
マコト (月曜日, 04 7月 2016 23:18)
蒼は、ダリアが大好きだった。 蒼は、花風莉に遊びに来たときに、ダリアが置いてあると必ず買って帰った。 ダリアの花言葉には、たくさん意味があると言われているのをご存じだろうか。 良い意味の花言葉は 「華麗」、「優雅」 また、良く使われているダリアの花言葉として、「感謝」がある。 日頃お世話になっている人に、口では恥ずかしくて伝えにくい「ありがとう」という言葉でも、「感謝」という花言葉としてなら贈りやすいものだ。 だから、誕生日には「感謝」という花言葉を添えて、ダリアの花束をプレゼントする人が多いのだ。 また、あまり使いたくないダリアの花言葉もある。 それは、「裏切り」と「移り気」 だから、もしダリアの花を贈るなら、良い意味の花言葉を必ず添えてプレゼントするべきである。そうしないと、ダリアを貰った人が花言葉を調べて、「裏切り」や「移り気」という悪いイメージの花言葉だと勘違いしてしまうと、トラブルの原因になってしまう可能性があるからだ。 ちなみにではあるが・・・ ダリアは、ナポレオン一世の皇后が愛した花だった。 皇后、ジョゼフィーヌは、ダリアを自分だけの花にしたかったため、独占的に育てていた。 しかし、ある日、侍女がジョゼフィーヌを裏切り、ダリアの球根を盗み自らの庭でダリアを育ててしまった。 それを知ったジョゼフィーヌは、ダリアに飽きてしまい、心がダリアから移ってしまったのだ。 このことから、「裏切り」と「移り気」という花言葉が誕生したのだ。 蒼が、その花言葉の全てを承知していた訳ではなかったが、華麗に咲くダリアが大好きだったのである。 萌仁香も、もちろん、蒼がダリアが好きなことを分かっていた。 だから、蒼のためにもと思い、いろいろな情報を集めて、新たな仕入れ先を見つけていたのであった。 だから、蒼が目を光らせてダリアを見つめていてくれることが嬉しかった。 そんな蒼に、萌仁香は言った。 「信州から取り寄せたのよ!」 と
マコト (火曜日, 05 7月 2016 12:53)
ちなみにではあるが・・・ しかも、どうでもいい話であるが・・・ 小生は、ダリアをダリヤと呼んでいた。 タイアをタイヤ ピアノをピヤノ リヤカーをリアカー・・・ 決して、さからって使っている訳ではないのだが・・・ あらっ? ダイヤモンド? ダイアモンド? カシオペア? カシオペヤ? 竹内まりあ? 竹内まりや? 分からないままではあるが、小説の進行に、あまり影響が無いようなので。 もし、答えが分かる人がいるなら、小説の中でうまく答えてほしいところであるが・・・
マコト (火曜日, 05 7月 2016 21:04)
ダリア・・・ 赤、オレンジ、白、ピンク、黄、藤色、ボタン色・紫色、 バラやチューリップと並び、バラエティーに富んだ植物である。 名前のある品種として認められものだけで、3万種あると言われている。 3百、3千ではなく、3万種だ。 種を採って蒔けば色々な形、大きさ、色のダリアが育つ。 気に入ったのを選んで球根で増やして、オリジナル品種にするのも面白い花である。 種類が多い分だけ、その綺麗さも様々である。 それは、“綺麗”、“綺麗ではない”という意味ではない。 花・・・ どんな花も、綺麗に咲き誇っている。 それぞれに色、形、匂いが違っていても、その花に似合ったものを備えているのだ。 「この花、綺麗だけど、この匂いが無ければなぁ・・・」 そんなものは、人間の勝手な理想論である。 そこには、その花であるからこその匂いが備わっているのだから。 人間だって、同じである。 人それぞれに、特徴があり、個性がある。 個性のない人間など、誰一人としていないのだ。 人と違うものを、個性と呼びたがる。 それは、大きな間違いだ。 大食い? いいじゃないか! それも個性なのだから。 大食いだけど、優しい女の子だっている。 確かに、北陸のみたらし団子を食べつくした。 それは、そこにみたらし団子が山ほどあったからだ。 蒼は、自分で気に入ったダリアを選んで、花束にしてもらった。 『ありがとう・・・萌仁香』 蒼は、ダリアに気持ちを奪われ、健心と津路のことはすっかり忘れてしまった。 それで、いいのだけれど。 蒼は、ダリアを大切そうに抱えて帰っていった。 萌仁香も、 「良かったぁ・・・蒼、あんなに喜んでくれて」 と、蒼を見送ったのだった。
マコト (火曜日, 05 7月 2016 21:06)
蒼は、家に帰って、いつもの場所にダリアを飾った。 『本当に綺麗なお花だわ』 蒼が、ダリアを見ていると 『えっ?・・・』 微かにダリアが香ったように感じたのである。 ダリアは、元々は種で増える花であるが、球根で増えるようになると花粉を運んでもらう必要がなくなる為、香りもなくなるのだ。 そう、ミツバチマーヤも冒険する必要が無いのである。 そのダリアは、決して香りを放ってはいなかった。 だが・・・ まるで蒼に語りかけているかのように、美しく咲き誇っていた。 蒼は、ダリアに近づき匂いを嗅いだが 『気のせいかぁ・・・でも、本当に素敵なお花』 と、笑顔でいつまでもダリアを眺めていた。 蒼は、なぜかダリアに対して、感謝の気持ちがこみ上げてきていた。 『・・・ありがとう』
マコト (火曜日, 05 7月 2016 23:29)
健心と津路の岩手での車中生活も三日目になっていた。 「健心・・・ありがとうなぁ、付き合ってくれて」 『津路・・・ いいんだよ、そんなこと気にするな! ・・・でも、夏美さん、今頃どうしているんだろうなぁ』 「やっぱり、俺の考えが間違っていたんだな・・・」 『津路・・・』 その時の健心には、 『夏美は、ここには来ないんじゃないか? 諦めて他を探した方がいいんじゃないか?』 という気持ちもあった。 それでも、それを自分から先に口にすることはなかった。 津路は、 「健心は、帰ってくれ!」 と、心の中では思っていた。 それでも、その時の津路にとって健心の支えは、本当に心強かった。 だから、健心の優しさに甘えて、その言葉を出すことが出来ないでいたのであった。 深層心理という言葉の意味は、知るところであろう。 岩手の車中で、三日を過ごした健心と津路 この後、健心はあることを津路に告げる。 それは、まさに、健心の心の奥底に眠る深層心理が、心の叫びとして表に出てきた言葉であった。 もちろん、その時の健心には、どうして、そんなふうに思えたのか、健心自身、分かるはずもなく。 だが、その言葉で物語は、エンディングに向けて大きく動き出すのである。 慟哭(どうこく)のラストに向かって 仲間・第三章 ~青春協奏曲(コンチェルト)編~ いま、289話目である。 最終章に入って、しばらくたつところであるが、いよいよ、最終章の最終局面に突入していくのであった。 健心は、ずっと心に思っていたことを津路に伝えたのであった。 『なぁ、津路・・・』
マコト (水曜日, 06 7月 2016 12:44)
それは、今から7年前のことだった。 理(オサム)が、優(マサル)になって2年が経っていた。 あの時、5歳だったお姉ちゃんも小学校2年生に、弟は4歳、保育園の年中さんになっていた。 二人の母親の病も、自分のことは出来るぐらいまでに回復していた。 『お父さん、ただいまぁ』 「ただまー、とうちゃん、とうちゃん、ただまー」 『おかえりぃ~ 華純、大輔』 姉の華純が、弟の保育園まで迎えに行って帰ってきた。 「華純、いつもありがとうな」 『だって、お父さんには、畑のお仕事があるでしょ! 私に出来ることは、大輔を保育園に迎えに行くぐらいだもん!』 「そっか、華純・・・でも、ありがとうな」 『うん! お父さん』 華純と優が、仲良く話をしていると、必ず大輔が 「お姉ちゃんとばっか、とうちゃん!」 と、やきもちをやくのであった。 「大輔! 今日も保育園は楽しかったか?」 「うん! とうちゃん」 家の奥から、母親の百合子がゆっくりと出てきた。 『おかえりなさい、華純、大輔』 『お母さん! おかぁちゃん!』 『優さん、お仕事ご苦労様でした、もう上がれるのでしょう?』 「あぁ、今度はみんなの食事の準備だ! さぁ、今日は何にしようか?」 『優さん・・・いつもすみません・・・私の体がこんなでなかったら・・・』 「百合子・・・その話はしない約束だろう!」 『そうでしたね、ごめんなさい、優さん』 「さぁ、今日は、茄子のお新香と、たっぷりネギ納豆でいいか?」 『いいとも! お父さんのたっぷりネギ納豆は、世界一美味しいんだもん!』 「ぼくも、チュキだもん、なとぉ!」 「大輔も好きだもんな! なとぉご飯な!」 ごくありふれた家族の光景であった。
マコト (水曜日, 06 7月 2016 20:43)
晩御飯を済ませると、その後の片付けも優がやった。 『すまないねぇ・・・私も、この歳で、あまり動けなくてねぇ・・・』 それは、亡くなった“本物の優”の母親、 そう、津路と話をした高齢のお婆さんだ。 「大丈夫ですよ! お母さんは休んでいてください」 『ありがとう・・・本当に優しくしてもらって・・・』 「お母さん、その話はしない約束ですよね! 僕は、優ですよ!」 そんな会話の後には、必ず涙ぐむお婆さんだった。 優は、毎朝、華純を学校の登校班の集合場所まで連れて行き、見送ったあとに大輔を保育園へ、そして畑仕事をこなしていた。 相変わらず、ご近所さんから頼りにされ、田んぼの草刈りも、ほとんど一人でやっていた。 それは、それまでの社長としての人生から、事故にあい、記憶を失ったことで理に与えられた新たな人生だった。 もちろん、それは、理が優として生きて行くことを自ら選んだ故の、人生であるのだが。 優は、2年間、一日も休むことなく働いてきた。 暑い日も寒い日も 慣れない土地での、慣れない生活 質素な食事に、娯楽らしいものも何一つなく・・・ そんな優に、病魔の手が忍び寄っていたのである。 晩御飯の後片付けをしていた優が、急に頭を押さえて倒れてしまった。 バタン!!! 『えっ? 優さん! お父さん! とうちゃん!・・・』
マコト (水曜日, 06 7月 2016 23:44)
有栖川(アリスガワ)理・・・ 彼は、9年前 群馬の山中で捨てられた子犬(ガッツ)を救おうとしてトラックにはねられた。 意識のない理を別の場所で遺棄しようとした犯人が、立ち寄った長野のサービスエリア 意識を取り戻した理は、そこでトラックの荷台から降り、そしてその場で再び倒れた。 運ばれた病院では、治療を受けることもなく、そこを抜け出してしまった。 それは、全ての記憶を失いながらも、 「誰か大切な人が、自分を待っていてくれるような気がするんだ」と そう、それは・・・ 妻として自分を支えてくれていた栞と、その双子の妹、蒼の仲を、元の仲良し姉妹に戻してあげたいと栃木に向かっている途中に起きた事故だった。 「誰か大切な人が・・・」 その想いだけで病院を抜け出し、もうろうとした意識のまま、理がたどり着いた場所 そこは、2年前に主の優を交通事故で突然亡くした家だった。 優の母親は高齢で、杖をつきながらの生活、そして、夫の優が亡くなったことを受け入れられずに床に臥せる妻の百合子、そして5歳の華純と2歳の大輔の4人が暮らしていた。 そのことを知った理は、優として新たな人生をそこで生きて行くことを選択した。 そのまま記憶を取り戻さなくてもいいと決意をして。 理の捜索を栞の父親から依頼された津路は、群馬の山中で雨に濡れた子犬を見つけた。 津路と子犬の旅が始まった。 その子犬には、ガッツと名付けたが、犬を育てたことのない津路の勝手な思い込みで、ガッツが女の子であったことを知る。 それでも、ガッツは、津路を慕った。 そして子犬は、しっかりと津路を支えた。 そして長野で・・・ ガッツが自分を救ってくれた理の匂いに気付く。 そしてガッツの導きで、津路は理を見つけることができたのだ。 理と会うことができた津路であったが、その時の理の想いを知った津路は、理を連れて帰ることはしなかった。 そう、探偵の仕事を放棄したのだ。 そして、それまで一緒に旅を続けてきたガッツも・・・ 自分を救ってくれた理と暮らすことを選んだのであった。 ガッツを理に託し栃木に戻った津路は、栞の想いを考えると、自分のしたことが、どれほどまでに罪深いことであったのかと・・・・苦しんだ津路は、探偵を辞めた。 そして、それまでずっと支えてくれていた夏美と一緒に、親の会社「津路工機」を継いだ。 それから9年後・・・ 花風莉に来た栞が、萌仁香と友達になる。 そして万手山公園で仲間たちが集まった花見。 そこで、健心と初めて会った栞は、行方不明の理が帰ってきてくれたと喜ぶ。 そう、理と健心はそっくりであったのである。 まるで双子のように。 栞は、精神を病んで入院した。 健心を理であると信じたまま。 そこで、健心は栞が、余命いくばくもないことを知らされる。 そこで健心は、理となって栞を支えた。栞が亡くなるまで。 それから、数か月が経って仲間達は、栞の妹、蒼に出会う。 蒼もまた、健心を理と見間違える。 仲間達は、理が姉の栞と結ばれたが、妹の蒼も理への想いが消えていないことを知る。 そして、蒼をバーベキューに誘った。 そこで、同じくバーベキューに誘われていた津路が、蒼と出会ったのである。 津路は、そこで、栞が理を待ち続けながら亡くなったことを聞かされ、改めて自分のしたことを悔いた。 津路が、理の捜索と何かしら関係があることに気付いた健心は、津路を苦しみから救ってやりたいという一心で・・・ そこで、夏美との事件が起きた。 津路のことを守りたい健心は、事件の真相を話そうとはしなかった。 それでも、仲間たちの想いが亀丸検事に届き、無事に釈放された。 そして・・・事件を悔いた夏美は、失踪した。 夏美を探して、いま・・・津路と健心は岩手にいる。 そして、そこで・・・ 健心が、自分の想いを津路に伝えたのである。 それは・・・
マコト (木曜日, 07 7月 2016 21:08)
ずっと、黙っていた二人であったが、健心が意を決したように話し始めた。 『なぁ、津路・・・』 「うん? どうした健心」 『夏美さんなんだけどさ・・・俺は、ここには来ないような気がするんだ』 「・・・・・」 『津路、聞いてくれ! 俺が夏美さんだったとしたら・・・俺なら、大好きな人をその苦しみから救ってやりたいと考えると思うんだ!』 「そ、それは・・・きっと俺もそう考えるだろうけど・・・だからって、ここに来ないっていうのか?」 『いやっ、絶対とは言えない。それでも、・・・俺なら救うための行動をするよ』 「えっ? もしかして健心は・・・」 『そうだ! 俺なら、理君を探しに行く! そして、津路・・・大好きな人を、その苦しみから救ってあげたいと、行動すると思う!』 「健心・・・」 『なぁ、夏美さんは、理君の居場所が、ある程度予想がつくんじゃないのか?』 「あぁ・・・探偵事務所の経理全部をお願いしていたからな・・・理くんを探すために、俺が2か月間、長野に滞在していたことは、領収書を見て分かっていたと思うけど・・・」 「健心・・・でも・・・」 『行こう! 津路』 「・・・でも・・・やっぱり」 『怖いのか? 津路・・・逃げるな! 夏美さんは、いま、お前のために必死に理君を探しているのかもしれないんだぜ!』 「・・・・・」 『津路! 俺も一緒に行くから!』 「健心・・・ ・・・分かった、頼む!」 二人は、栃木にいったん帰り、そして直ぐに長野に向かうことを決めて岩手を出た。 この時の健心を突き動かしたもの それはもちろん、津路と同じように、夏美を探し出したいという思いが一番だった。 だが、健心の心の奥底にある想い、 それは、栞さんを病から救うことが出来ず、悲しい別れを経験したこと。 そして、また、自分の前に現れた妹の蒼が・・・今も理を待ち続けている。 「蒼には、幸せになってもらいたい!」 その想いが、健心を動かしていたのである。 そう、それは、蒼に対する想いであった。 健心は、気づいていなかったが、まぎれもなく蒼に対する想いが健心を長野に向かわせたのだった。 そこで、何が起きるのか・・・ 健心は、そのことを知る由もなかった。
マコト (金曜日, 08 7月 2016 07:16)
バタン!!! 急に頭を押さえて倒れてしまった優に、百合子が駆け寄った。 「優さん! 優さん!・・・」 優は、返事をすることも出来ずに、頭を押さえたまま意識もないようであった。 『お父さん、お父さん! とうちゃん、とうちゃん!』 子どもたち二人の泣き声が、台所で響き渡った。 百合子は、急いで救急車を呼んだ。 「お母さん、華純と大輔のことお願いします」 『わかったよ~、行っておあげなさい! 優さんのことを頼むよ』 百合子は、辛い体調でありながらも、優に付き添うことを決めた。 子どもたち二人は、 『お父さん、お父さん! とうちゃん、とうちゃん!』 と、一緒にいくことを泣いてねだったが、百合子はそれを受け入れなかった。 『いやだよ~、ねぇ、お母さん・・・おかあちゃん・・・』 泣き叫ぶ二人を残して、救急車は病院へと向かった。 華純と大輔は、救急車を追いかけた。 「お父さーーーん、お父さーーーん、 とうちゃん、とうちゃん・・・」 『あっ! 大輔・・・』 暗い田舎道が、大輔の足をすくい、転んでしまった。 「とうちゃん、とうちゃん・・・いっちゃやだよ~」 近所の人達が、救急車のサイレンに驚き表に出てきていた。 そして、 「華純ちゃん、大ちゃん、大丈夫かい? 心配いらないよ! お父ちゃんは、必ず元気になって戻ってくるからね・・・」 そう、慰めて二人を抱きかかえた。 優と百合子を乗せた救急車のサイレンは、間もなくして聞こえなくなった。 「とうちゃん、とうちゃん・・・いっちゃやだよ~」
マコト (金曜日, 08 7月 2016 12:13)
病院に運ばれた優は、直ぐに処置室に運ばれ、そして検査された。 百合子は、辛い体でありながらも必死に検査が終わるのを待った。 長い時間を要して、ようやく百合子が呼ばれた。 そこで、百合子が医師から告げられたのは・・・ 「このレントゲン写真を見てください」 「ここに、影があるのが分かりますか?」 「ご主人は・・・」 『・・・えっ』 百合子は、しばらくは、ドクターの話が耳に入らなかった。 そして、ドクターに何度も呼ばれて、ようやく・・・ 「ご主人は、2~3年前に、頭を強く打ったことはないですか?」と 百合子は、正直に答えた。 『2年前に・・・』 そして、百合子は、優がそれ以前の記憶を失ったままであることも伝えたのだった。
マコト (金曜日, 08 7月 2016 12:15)
泣きながら、百合子はドクターに尋ねた。 『優さん・・・主人は・・・主人は、助かるのでしょうか?』 その病院に運ばれたことが、優の、いやっ、理に与えられた運命であったのであろう。 ドクターは百合子にこう伝えた。 「大丈夫です! 私の知り合いのドクターに名医がいます。彼なら、必ず救ってくれるはずです」 それは、『スーパードクター橋駒』のことだった。 ドクターに笑顔で大丈夫だと聞かされた百合子は、 『よろしくお願いします』 と、泣きながら頭を何度も下げた。 体が辛いことも忘れて。 そして・・・、 そのドクターは笑顔で、こうも言ったのである。 「奥さん、良かったですね! 橋駒ドクターの手術を受けられれば、失った記憶も取り戻すことが出来るはずですよ!」 と
マコト (金曜日, 08 7月 2016 12:17)
それは、百合子が、覚悟を決めなければならない言葉だった。 百合子は、無表情のままドクターに尋ねた。 『・・・本当に、記憶を取り戻すことができるんですか・・・』 ドクターは、得意そうに言った。 「スーパードクターですから! 奥さん、それを信じて橋駒ドクターの手術を受けましょう」 その時の百合子は、心の奥底にある本音が、言葉として出てきたのである。 『先生・・・手術をしないと、主人はどうなるんですか? 手術を受けなくても治る方法はないんですか?』 「心配ですか? そうですよね・・・いきなり手術が必要だと言われては・・・でも、奥さん・・・手術を受けなければ、このまま・・・ですから・・・」 『生きるためには、手術が必要だということですね?』 「安心してください。橋駒ドクターは、本当に名医で、何人もの命を救ってきたドクターですから!」 百合子は、ひとつ大きく息をして 『分かりました、先生・・・よろしくお願いします』 と、深く頭を下げたのだった。
マコト (金曜日, 08 7月 2016 12:19)
その日、優との面会の許しをもらえなかった百合子は、タクシーで帰宅した。 華純と大輔は、泣き疲れて眠っていた。 百合子は、そっと帰宅したつもりであったが、お婆さんが気付いて起きてきた。 「百合子さん・・・」 『お母さん・・・』 百合子は、ドクターから告げられたことの全てをお婆さんに伝えた。 それを聞いたお婆さんは、こう言ったのである。 「優さん、無理がたたったのかねぇ・・・分かったよ、百合子さん。 田畑全部を売り払ってでも、手術をしてもらおうねぇ・・・優さんの命には代えられないよね」 『お母さん・・・』 百合子は、その言葉で、優が記憶を取り戻さないために、手術を受けない方法はないのかと、少しでも考えてしまった自分を恥じた。 「百合子さん・・・覚悟をしなきゃならないね・・・」 百合子は、涙を流し、そして黙ってうなずいた。 ただ、お婆さんには、そして百合子にも、微かな期待があったのである。 それを期待と言っては、罪深いことなのかもしれないが、二人には、期待であったことには違いなかった。 それをお婆さんが、百合子のために・・・いやっ、二人の孫のために言ったのだ。 「百合子さん・・・優さんには、そのすごい先生の手術を受けてもらって、前のように元気になってもらわないとね・・・でも、百合子さん・・・優さんは、手術を受けても記憶を取り戻さないことだってあるかもしれないねぇ・・・」 その時の百合子には、お婆さんの言葉が、 『結果が出るまでは、そのことを、優に内緒にしておいても・・・』 そう聞こえたのだった。 百合子は、そっとうなずいた。 それでも、百合子は最後にこう言ったのである。 『お母さん・・・優さんの命が助かるなら・・・』 お婆さんは、優しい表情で、 「そうだね、百合子さん・・・」 と、うなずいたのだった。 それなのに・・・
マコト (金曜日, 08 7月 2016 23:13)
翌日・・・ 百合子は、優のベッドの横にいた。 「ゆ、百合子・・・」 『優さん、気が付いたのね、良かったぁ・・・』 「俺・・・」 『急に倒れて、救急車で運ばれてきたのよ』 「そうだったのかぁ・・・すまない、迷惑をかけて・・・」 『そんな、何を言ってるんですか、優さん 早く、元気になってくださいね』 百合子は、それからドクターから告げられた病状を優に伝えた。 手術が必要であることも。 しばらく、考えていた優であったが、ぽつりと言ったのである。 「俺・・・手術は受けないよ!」 『えっ?・・・何を言い出すのかと思えば・・・それは、だめですよ、優さん』 優は、手術を受けるようなお金が今の家に無い事を、承知していたのであった。 だから・・・ 優は、それ以降、百合子の話を聞かなくなってしまった。 記憶を失って、優として生きてきた理 社長として生きていたならば、無論、そのようなことを考える必要もないことであったろう。 それでも、その時に置かれた状況においては、手術を受ける訳にはいかないと、固く決めてしまった優であった。 そう、それが、優の・・・いやっ、理の運命だったのである。
マコト (金曜日, 08 7月 2016 23:14)
優は、決して手術を受け入れなかった。 百合子の説得も、そしてドクターの説得にも耳を貸さなかった。 百合子は、なんとしても優に手術を受けさせたかった。 お婆さんが、田畑を売ってでも・・・その台詞も、当然のように言った。 それでも、優は、かたくなに手術を拒んだ。 百合子が、最後の決断をする時がきた。 それは、百合子の前から優がいなくなること、それを当然承知したうえでの言葉だった。 ベッドで痛みに耐えている優に、百合子が重い口を開いた。 『優さん・・・いえっ、優さんの代わりをしてくれている、あなた!』 「えっ?・・・」 優には、思ってもいなかった言葉だった。 「えっ?・・・いま、なんて?」 『優さんの代わりをしてくれている、あなたにお願いがあります』 「・・・・・」 『手術を受けてください!』 「それは、何度お願いされても・・・断る」 『そうですか・・・あなたに万が一のことがあったら、私達家族が苦しむことになるのは、分かりますよね?』 「えっ?・・・」 百合子は、凛とした表情で、こう言った。 『あなたは、優さんではありません! いくら華純と大輔に好かれようとしても、あなたは、亡くなった優さんには・・・二人の父親ではないのですから』 『私は、体調を崩して、そして二人の子ども抱えていたから・・・それに、あなたも記憶を失って、私たちを頼ってきたから、だから、あなたを受け入れたのです』 『でも・・・あなたを、優さんだと思ったことなど、一度もありません』 『はっきり言って、出来れば出て行って欲しいと思ったことさえあります』 『手術代?・・・お金が心配ですか? そんな必要はありませんよ!』 百合子は、少しためらいながらも最後の言葉を言ったのである。 『手術を受ければ、昔の記憶を取り戻せることができるそうです』 『きっと、あなたには、裕福な家庭があったことでしょう。 記憶を取り戻して、どうぞ、家族の元へ帰ってください・・・そうすれば、手術代もお支払いできると思います』 全てを言い切った百合子は、病室から出ていった。 精一杯に涙をこらえて。 病室の外に出た時には限界だった。 あふれ出る涙を、止めることが出来ずに、 百合子は病院の屋上に行った。 そして、声を出して泣いた。 『私は、あなたの本当の名前も分かりません。 それでも、あなたの優しさに甘えて・・・子ども達だって、あんなにあなたを慕ってくれています』 『わたし・・・あなたにそばにいて欲しい』 『でも、・・・それは、もう無理なこと』 『お願いだから、手術を受けてください』 『そして・・・』 神に祈るような言葉も、それ以上は、百合子の涙が邪魔をした。 病院の屋上からの景色は、涙で全てがにじんでいた。
マコト (金曜日, 08 7月 2016 23:18)
百合子は、優の病室に戻ることなく、帰宅した。 涙で、瞼をはらした顔を見られたくなかったからだ。 華純と大輔が百合子を出迎えた。 『お母さん・・・お父さんは? お父さんは? 今日は元気になったんでしょ?』 「とうちゃん、とうちゃん、かえる、かえる」 百合子は、優しい顔で、二人を抱き寄せた。 『大丈夫だよ! お父さんは、すご~いお医者様が手術をしてくれるから、すぐに元気になるからね!』 そんな三人が抱き合うところに 「百合子さん・・・おかえりなさい」 お婆さんは、これまでの百合子の表情と、どこか違うのを敏感に感じた。 『お母さん・・・』 その、お婆さんの優しい表情に、百合子は堪えきれなかった。 その涙が、お婆さんには通じたのである。 「百合子さん・・・今日は、私がご飯をこしらえたよ! さぁ、四人で食べよう」 と、優しく言った。 『お母さん・・・』 子どもの前でなかったら、大声を出して泣きたかった。 それでも、母親として子供に不安を与えたくなかった百合子は、精一杯に元気な笑顔を子供たちに見せたのだった。 晩御飯を済ませ、子供たちが眠りについたころ、百合子は全てをお婆さんに話した。 「そうだったのかい、辛かったねぇ、百合子さん」 『お母さん・・・』 「いいんだよ、元の生活に戻るだけなんだよ、百合子さん」 涙で声にならない百合子に、お婆さんは、そっとハンカチを出して 「あなたの旦那の優さんだって、百合子さんのことをみていてくれるはずだよ! 子ども達だって、・・・いつか、きっと分かってくれる時がくるから・・・百合子さん」 百合子は、肩を揺らしながら、やっとの思いで 「・・・はい」と、うなずいた。
マコト (土曜日, 09 7月 2016 16:27)
翌日・・・ 病院に着いた百合子にナースが近寄ってきた。 「奥さん・・・良かったですね、よく、ご主人は手術を決断してくれましたね」 と それを聞かされた百合子は、ナースに深々と頭を下げた。 心の中で『優さん・・・ありがとう』 と、涙が自然とあふれてきた。 それは、優が、いやっ、理が命をつないでくれたことの喜びと、別れを覚悟した涙だった。 病室に入ると、笑顔の優がそこにいた。 「おはよう・・・百合子」 『あっ、は、はい・・・おはよう・・・優さん』 百合子は、理を前と変わらず優と呼んだ。 「ごめん、百合子・・・俺、手術を受けることに決めたから」 『はい・・・いま、そこで看護婦さんに伺いました。 よく、決断してくれましたね』 「俺、ビビりだからさ! ごめんなぁ、それが言えなくてさ・・・だって、カッコ悪いじゃん! この歳で手術が怖いから、ヤダ! って、駄々をこねていたなんてさ」 優の前では、一生懸命に涙をこらえていた百合子であったが、優の優しさに、その時ばかりは、堪えることが出来なかった。 それでも、うれし涙であるかのように笑顔を作って 『もぉ~、心配させて! 罰として、一日でも早く退院してもらいますからね!』 と、おどけてみせた。 百合子は、2年間、ひとつ屋根の下で暮らしてきたが、優の手に触れたこともなかった。 その時の百合子は・・・、優の胸に飛び込んで、ギュッと抱きしめてほしかった。 一家の主として、家計を支え、二人の子どもの父親代わりも務め、母親の面倒もみてくれた優 近所の農作業まで、自ら買って出て、百合子の家族、いやっ、村にとって、なくてはならない存在だった。 百合子は、 『もう、この人は・・・いなくなってしまうんだ』 と、退院して直ぐに出て行くことを覚悟した。 手術が成功して、元気になって そう思っていた。
マコト (土曜日, 09 7月 2016 16:29)
優の手術が始まった。 橋駒ドクターは、日本での18もの手術のために、ベトナムから一時帰国していたのであった。 そのうちのひとつが、優の手術だった。 レントゲンでみる限り、そう難しい手術ではないと思われていた。 百戦錬磨の橋駒もそう思っていた。 手術中の赤ランプが点いた。 『優さん・・・』 手術室の前には、百合子もお婆さんも、子ども達二人も そして、村の人たちも心配で駆けつけていた。 「大丈夫だよ~華純ちゃん! お父ちゃんは、必ず元気になるからね」 『うん!』 屈託のない笑顔で華純が返事した。 訳のわからない大輔は、村人たちがたくさんいることに上機嫌で、優が作ってくれた竹とんぼを一生懸命に飛ばそうと見せていた。 誰しもが、優の手術が成功することを信じて疑ってはいなかった。 手術室では、橋駒ドクターの的確な指示とスピーディーな作業で、順調に進んでいた。 だが・・・ 突然に、橋駒ドクターが 「えっ?・・・」 と、その手を止めたのである。 「こ、これは・・・」
マコト (日曜日, 10 7月 2016 23:50)
栃木に戻ってきた健心と津路 「どうする? 津路」 『うん?』 「いやっ、もう今日はこんな時間だし、明日出発しようか?」 『そうだなぁ、・・・それに健心は、美子都のところに顔出して行かないとな!』 「げっ! いいよ!」 『はぁ? また、お前なぁ、そうやって無精なことしてるとな!』 「はっ、はい、はい! 分かりました、行ってきます」 『本当かよ? わりぃけど、信じられねーな!』 「げっ! ま、まじか?」 『あぁ! 信用できねー! ほれ、今、ここで電話してから行けよ!』 「いやっ、そこまで信用できねーかい?」 『あぁ、できねー』 「(・・・なんで、分かんだよ)」 「もしもし・・・あぁ、帰ってきたよ・・・うん・・・そうだな・・・あぁ・・・大丈夫!疲れてなんかないよ!・・・うん・・・津路も一緒に・・・うん・・・そうだな・・・えっ?・・・ギャー!!! 忘れました・・・はい・・・はい・・・まったくです・・・申し訳ありません・・・はい・・・おっしゃる通りです・・・はい・・・ごめんなさい・・・それでは、・・・はい・・・のちほど・・・はい・・・失礼します」 『どうしたんだよ? 健心・・・美子都に何怒られていたんだよ?』 「忘れた・・・」 『何を? ・・・あっ! お前、それは絶対にまずいんじゃねーの!』 「・・・うん」 『どうすんだよ?』 「・・・みたらし団子で、なんとかごまかす」 『それじゃ、お土産にならねーじゃん!』 「・・・今日は・・・20・・・いやっ・・・30本買っていくよ」 『30本? って、それじゃ、全然足りねーだろーよ!』 「 (・・・なんで知ってんだよ)・・・だよな」 『俺まで、とばっちりが来ねーように、頼むぜ、健心さんよ!』 「・・・はい、すいません」 みたらし団子50本を買い、美子都のところへ直行した健心 早速、みたらし団子を頬張りながら、こみっちりと小言を言いまくる美子都 ずっとお座りをさせられ、うつむいて聞いていた健心に、睡魔が襲ってきた。 始めのころは、うとうとと頭を揺らすタイミングが、美子都の小言にぴったり合っていたから、バレはしなかったが・・・ やがて、襲いくる睡魔に惨敗。 美子都のケリが飛んできて、睡魔と再び決闘、・・・そして再び惨敗。 再びのケリの痛みに耐えて、最後は、ようやく睡魔に勝利した。 さらにそれから2時間! 健心は、美子都の小言に耐えた。 ちなみにではあるが・・・ 美子都の小言は、まったく耳に残らなかった健心であった。
マコト (日曜日, 10 7月 2016 23:52)
ようやく、美子都の小言も終わり、仲のいい二人に戻った。 『止めても無駄よね?』 「・・・ごめん」 『今度は、何日出かけるの?』 「・・・分かんない」 『ねぇ、健心・・・』 「うん? なんだい、美子都」 『ひとつだけ聞いてもいい?』 「なに?」 『どうして、あなたは、そんなに人のために頑張るの?』 「どうしてって・・・夏美さんが失踪したことも、俺にも原因があると思うから」 『原因?』 「うん・・・津路が辛い思いをしているなら、俺がそれを救ってやりたいとか・・・なんか、カッコつけたこと言ってさ・・・結局は、夏美さんを追い込む結果になってしまったろう?」 『・・・そっか・・・でもさ、今回のことだって、萌仁香が救ってくれたからいいけど、もし、刑務所にでも入ることになったら、どうしてた?』 「う~ん・・・どうだろうなぁ・・・たぶん、服役してたかもなぁ」 『はぁ? それって、大馬鹿者でしょ!』 「だってさ・・・分かんない・・・なんとかなるとしか思っていなかったから」 『・・・まったくぅ』 そして、健心は美子都に最愛の言葉を贈ったのである。 よせばいいのに、どうしてこの男は懲りないのか・・・ 「お土産買ってくるよ!」 『あんたねーーー!』 「はっ、はい」 『そう言って、ちゃんと買ってきたことないわよね!』 「えっ? あっ、はい・・・いやっ?」 『今度こそ必ず買ってくるのね?』 「あっ、はい、必ず」 『絶対だな?』 「はい、あぁ、・・・それは・・・」 『忘れたらどうする?』 「いえっ、必ず・・・はい」 『今度は、みたらし団子じゃ騙されないから!』 「えっ?・・・はい、申し訳ありません」 『絶対に・・・絶対に忘れないでね、・・・私のこと』 「おっす!」 ハイタッチをして、健心は美子都の家を出た。 お座りさせられて、しびれていた両足を引きずりながら。 翌日・・・ 「さぁ、行こうか、津路!」 『おぉ、健心!』 二人は、健心の車で長野に向かったのであった。
マコト (月曜日, 11 7月 2016 20:24)
「おばちゃん! ねぇ、おばちゃん!」 (小生と同い年の女の子で、“おばちゃん”と呼ばれたときには、「えっ? 誰のこと?」 と、真面目に自覚症状がないことから、わざとではなく、返事をしない女の子を幾人も知っているが・・・) 『・・・えっ? 私のこと?』 「ねぇ、おばちゃん、あそこの岩、カイジュウみたいに見えるね」 『あっ、う、うん・・・そうね、ほんとぉ~、カイジュウみたいね』 5歳ぐらいの女の子が、夏美に声をかけてきた。 堀北真希似の夏美も、5歳の女の子にかかると、“おばちゃん”と呼ばれてしまうのも、仕方のないところであろうか。 余談ではあるが、おばちゃん風の女の子が、駅で高齢のお婆さんに声をかけられるときは、 「お姉ちゃん、 輪ゴムあげるよ!」 と、“お姉ちゃん”と呼ばれるから面白いものである。 (小説に関係ない話に脱線してしまう癖は、どうにも治らないようである) 鳩時計に12回、背中を押されてマンションを出た夏美 少しばかりの、着替えをボストンバックに詰め込み、自分の車で旅立っていたのであった。
マコト (火曜日, 12 7月 2016 06:38)
西に向かった夏美は、途中、鬼押出し園に立ち寄った。 そう、群馬県嬬恋村にある鬼押出し園である。 浅間山の噴火で流れ出た溶岩が風化した結果、形成された奇勝が夏美の目の前に広がっていた。 『やっと来れたぁ・・・でも、やっぱり・・・俊成君と来たかったなぁ』 夏美は、寂しそうな、それでもこれから一人で生きていくことを決意した女性らしく凛とした表情で溶岩の数々を眺めていた。 『あ~ぁ、おばちゃんかぁ・・・子どもは正直だからな!』 と、笑みを浮かべていると、さっきの女の子が、今度は家族そろってやってきた。 「こんにちはー」 『こんにちは』 「さっきのおばちゃん!」 『あらっ、さっきのお姉ちゃんね!』 「おばちゃん、ひとりなの?」 「えっ?・・・あっ、おばちゃんと一緒に来た人はね、まだ、向こうにいるのよ! おばちゃんだけ、先に来ちゃったんだ」 「ちょっかぁ・・・じゃぁねっ、おばちゃん!」 『じゃぁねぇ・・・』 『もぉ~、そんな何回も“おばちゃん、おばちゃん”って言わなくったって』 と、心の中で苦笑い 夏美は、眼下に広がる景色を眺めながら、ぽつりとつぶやいた。 『まだ、向こうかぁ・・・おばちゃん嘘ついちゃったわね! ずっと向こうなんだよね・・・一緒に来ることは、ないんだよね』 と
マコト (火曜日, 12 7月 2016 06:41)
夏美が、ふと視線を上げると、白い煙が見えた。 それは、浅間山の火山活動による煙だった。 『鹿沼土は、あそこから飛んできたのねぇ・・・』 何故か、物知りの夏美だった。 鹿沼土は、赤城山の噴火によるものという説もあるが、いずれにしても大昔の火山の噴火によって、遠くから飛んできた火山灰が科沼周辺に積もったものである。 一口に鹿沼土といっても、同じ科沼でさえ、菊佐和地区などの北部と、南雄腹地区などの南部とでは、その質も異なるのだから、まぁ、自然とはすぐいものだと思う。 今、地表にある「黒土」は、その赤い火山灰の上に植物が生い茂り、腐植土層がたまって黒く変化したものだ。 いま、その上に人間は暮らしている。 火山が噴火すると、あたかも、火山が悪者であるかのように思う人もいるだろう。 それは、大間違いである。 大昔の噴火? 今日、明日にでも噴火するかもしれないのだ。それが火山だ。 地球からすれば、太平洋の中の一粒の米粒ぐらいの大きさの力を備えた人間の“予知”という能力で、監視されているところであるが。 いくら監視をされようが、地球には関係ないことである。 地球が生き物である以上、いつでも大昔のように火山灰を排出するのだ。 人間は、いつもそれに怯えている。 “天災は忘れた頃にやってくる” 昔の人は、良く言ったものだが、今となっては、それも間違いなのであろう。 忘れていなくても、やってくるのが天災なのだ。 その天災に対して、十分な備えがあったのか、あるいは、無かったのかで、被害は異なってくる。 人間は、地球が与えてくれているものを、人間のいい様に利用して生きているだけなのである。 石油を掘り、温泉をくみ上げ、宝石を掘り当てて大稼ぎして・・・ 自然が与えてくれた恵みの恩恵で、人間は豊かな暮らしをしている。 地球は、多くの生き物に住むことを許可した。 人間は、その中で一番に偉い生き物だと思っている。 そう、人間は“知恵”という武器を備えているからだ。 人間が一番偉い! それも人間の勝手な思い込みであり、他のどんな生き物にも知恵は備わっている。 例えば・・・鮭 鮭は、産卵期になると、雌と雄がアベックとなって寄り添い、雄が雌を守る中で雌が産卵床を作る。 鮭の、そんな繁殖行動を目にして、サケを夫婦愛の鑑と考える人はたくさんいるだろう。 だが、実際には、美しい「夫婦愛」どころか、「自分の子孫をできる限り増やす」というクールな繁殖戦略が潜んでいるのである。
マコト (火曜日, 12 7月 2016 20:01)
何故か、夏美が鬼押し出し園に行って、浅間山の噴火をみたことから、鮭の話に飛んでしまったが・・・少しだけ サケは降海する際に、体色が銀色に変化する。 それは、ある意味、「大人になる証」とも言える変化だ。 これが、産卵期になると、外見上の大きな変化がもう一度起こる。 それは、特に雄にそれが顕著であり、とても同じ魚とは思えないほどの「大変身」を遂げるのだ。 鮭は、産卵期を迎えると、自分の生まれ育った河川に遡上し、パートナーを探す。 そして、産卵床を作るという「重労働」を、雌は文句も言わずにこなすのだ。 十分な広さ、深さの産卵床が完成すると、雌は、雄に「いらっしゃ~い!」と誘い込み、体を震わせながら卵を産み落とす、そして、そこに雄が放精するのだ。 雄の作業が済むと、雌は、尾びれで砂利をはね飛ばし、そして卵を砂利で保護する。 こうした一連の行動を終えた雌は、しばらくの間産卵床を守ったのち、その生涯を閉じる。 その間、雄は何をしているかというと、雌が産卵床を作る間、他の雄が近寄らないように周囲を見張っているのだ。 ただ、ひたすら。 鮭のアベックは、夫婦愛の鑑という表現をしたが・・・ 実は、鮭の雄は、雌への思いやりから、そういった行動をするのではなく、自身の子孫を増やすために行動しているのだ。 雄は、他の雄が近づいてくると、それを守るために争う。 だから、雄は鼻が曲がっていたり、背中がコブのように高くなっている。 自分の子のために体を張って、自分の命をかけて、守るのだ。 だが・・・ 雄は、産卵床を掘ることも、埋戻しも一切手伝おうとはしない。 しかも、交配直後には、次の交配相手を探す目的で、産卵床から姿をくらますことさえあるのだ。 鮭の雄が、なぜ、そんな行動をするのか・・・ それは、そう、親から伝えられているからだ。 何故、鮭の話をしたか・・・ それは、人間が、この地球上で一番偉いと思っている人が多いという話から、こんな話になってしまった訳であるのだが・・・
マコト (火曜日, 12 7月 2016 20:02)
人間は、この地球上で、一番愚かな生き物かもしれない。 それは、この地球上で生きる物にとって絶対的な使命である「子に命をつなぐ」ことを、放棄してしまう人間が増え続けているからだ。 しかも、そのことを親が子にちゃんと伝えようともしない。 人間、個人個人が勝ち取った「権利」というものに言い訳をなすりつけて。 自分の時間が無くなるから! 私は、生涯独身でいたい! 子育ては、大変だから! と、子どもの言い分を聞く親 だが、そんな親も祖父母になると、孫は可愛いけど、自分の時間も大切だから、出来る時しか面倒をみないよ! 結構な話である! 親は、自分の子どもが言う「自分の権利」を認めてやったのだから。 祖父母になった者は、自分の権利を守れたのだから。 少子化が取り沙汰されて、もうしばらくたつが、人間は・・・いやっ、日本人は、まず、真っ先に今生きる者のことを考え、それから、子孫繁栄のことを考える。 当然かもしれない。 いま、生きる者が一番大切なのであろうから。 自分の子、孫、そして孫の子・・・孫の孫の孫の時代・・・ そんな頃には、今、生きている者は、全員、墓場の中だ。 そして、いつしか、無縁仏になるだけだ。 田舎に住む者がいなくなり、都会に集中して住む者たちは、荒れた山が保水できなくなった水に、一気に襲われる。 最近では、鬼怒川の堤防が流されたニュースがあるが・・・ もっと、山の手入れができていれば・・・ そう、あれは天災ではなく、人間が生み出した“人災”なのかもしれない。 人間なんて、本当に勝手な生き物である。 今が良ければ、いいのだから。 夏美は、山頂付近から噴き出る白煙を眺め、ぽつりとつぶやいた。 『自然って、すごいなぁ・・・地球が、呼吸しているのね』 『わたしなんて、ちっぽけな存在・・・私、これから、何のために生きていくんだろう・・・』 と
マコト (火曜日, 12 7月 2016 20:03)
その日の夏美には、もう一か所、どうしても行きたい場所があった。 夏美は、鬼押出しをあとにして、そこに向かった。 鬼押ハイウェーから白糸ハイランドウェイに入り、そして、目的地に着いた。 『寒~い! わぁ~ 素敵ぃ~ わぁ~、すご~い わぁ~』 そこは、夏美が一度来たいと思っていた、軽井沢町にある「白糸の滝」だった。 その滝は、浅間山の伏流水が岩盤の間から湧き出して滝となっているため、雨の後でも水が濁らない滝である。 『あぁ~・・・この音なのね』 それは、大滝詠一の「ナイアガラ・ムーン」の冒頭で使われている音のことだった。 アルバム製作を手伝っていた山下達郎が、この滝まで中央高速を飛ばし録音したことで有名な滝の音だった。 大滝詠一の曲が大好きだった夏美は、そのことを知っていて、一度、その生の音を聞いてみたいと思っていたのだった。 夏美は、滝をずっと見つめていた。 岩肌に糸のような水が幾重にも降り注ぎ、滝水が白糸のように落ちていた。 滝を見ている時は、「無」になれた。 夏美は、頭をからっぽにして、その景色と滝の音に包まれていた。
マコト (火曜日, 12 7月 2016 20:04)
滝・・・ そのイメージは、雄大、偉大、轟音、やすらぎ、癒し、リラックス、・・・・見る滝、見る人によって異なるであろう。 川があり、滝がある。 夏美の目の前には、境界線や非日常というイメージが投影されていた。 境界線・・・ 白糸の滝の最大の特徴であるが、それまで何年もの間、地下を渡ってきた水が、滝となって下界へと飛び出し、その水しぶきが空間を舞う。 「静と動」、「緩と急」 それが好きだという人も多いであろう。 好きなことをすると快感を覚えるというのは、万人が認める経験則だ。 だが、この時の夏美は・・・ ずっと、滝を見ていた夏美のほほが濡れ始めた。 それは、滝の水しぶきではなく、夏美が自然と流した涙が濡らしたものだった。 夏美は、津路がよく言っていた言葉を思い出していた。 「自分のことが好きと言える人は、人に優しく出来るんだよ」 「ナッちゃんには、いつも自分を好きでいてほしいなぁ」 「人は、どんな人だって完璧な人はいないんだから!」 「自分の悪いと思うところは、いつも気にかけて、治そうと心がけていればいいんだよ!」 「ナッちゃんの一番いいところ! それは、ナッちゃんのその笑顔だよ!」 夏美は、そんな津路の言葉に、今の自分を照らし合わせて、こうつぶやいた。 『わたし・・・今の自分が大嫌い!』 『俊成君・・・わたし・・・』 夏美は、暗くなるまで滝を見つめていた。
マコト (火曜日, 12 7月 2016 20:06)
その日・・・ 夏美は、軽井沢に宿を探した。 当然のように、突然の宿泊申し込みに、ほとんどの宿が、夏美を拒んだ。 夏美が、諦めて車中泊もやむを得ないと考え始めていたときだった。 『あぁ~、なんか素敵』 と、小さな、ペンションを見つけたのである。 もう、その日の夏美は、慣れっ子になっていた。 「無理ですね!」 と、冷たくあしらわれることが。 車を駐車場に停め、ペンションの玄関で呼び鈴を押した。 『すみません・・・』 同年代の女性が出てきた。 「はい・・・」 『あのぉ・・・』 うつむき加減で、言葉を探している夏美に 「宿を探しているの?」 『あっ、は、はい・・・』 その女性は、笑顔でこう言ったのである。 「たいした振る舞いはできないけど、それでもいいかしら?」 『えっ? あっ、はい! よろしくお願いします。なんなら、素泊まりでもいいので・・・』 「大丈夫よ、なんとか、なるでしょう」 その女性は、振り向いて 「オーナー! お客様よ! なんか、お困りみたいなの・・・ 泊めてあげてもいいですよね?」 奥から、オーナーらしき、その女性の旦那さんと思われる男性が出てきた。 「こんばんは」 夏美が、お辞儀をして、その男性の顔を見た瞬間 『あっ!・・・』 と、息をのんだ。 『えっ?・・・嘘でしょ・・・』 小さなペンションの玄関で、夏美は立ちすくんでいた。
マコト (水曜日, 13 7月 2016 22:44)
出てきたオーナーに、夏美が驚いた理由・・・ それは、オーナーが、津路にそっくりだったのである。 まるで、津路と双子であるかのように。 鳩が豆鉄砲を食ったような顔の夏美にオーナーが、 「あれっ、どうかしたの? えっ? 僕の顔に何かついてる?」 『あっ・・・ご、ごめんなさい・・・私の知り合いに、あまりにも似ていたものですから・・・』 「そうだったの・・・きっと何かの縁があってのことなのかな? どうぞ、泊まっていってください」 『ありがとうございます』 と、深々と頭を下げてお礼を言う夏美 53歳の女の子の一人旅 しかも、予約もなしに突然現れて・・・ 普通に考えれば、断りたくもなるであろうが、そのペンションのオーナー夫妻は、夏美を拒むことなく受け入れてくれたのだった。 「どうぞ、入って!」 『ありがとうございます・・・あっ、荷物をとってきます』 駐車場に走る夏美、 嬉しかった。 人の優しさに触れて、こんなにも優しくされることが嬉しいことなのかと。 そんな時にも、また、津路がよく言っていた言葉を思い出して、 『俊成君が、言っていたことって、こういうことなのかなぁ・・・人には優しくしてあげなきゃねって』 夏美が、荷物を持って戻ってきた。 「え~ 大きな荷物ね!」 荷物の大きさを見て、オーナー夫妻は、当然のように違和感を覚えた。 『あっ? お、大き過ぎましたかね・・・』 「長旅の途中なのかしら?」 『・・・はい』 「そう。・・・ここによってくれてありがとう、楽しい夜にしましょう」 思わず、涙がこぼれた。 『ありがとうございます・・・』
マコト (水曜日, 13 7月 2016 22:46)
部屋に案内され、軽装に着替えた夏美は、部屋全体を見渡した。 『へぇ~、なんかとっても落ち着くぅ~』 部屋にはTVもなく、飾り気はないが、とても温かみのある装飾だった。 それは、日常の雑多なことから離れて、のんびりゆっくりと過ごして欲しいという、オーナーの想いが詰まった部屋だった。 少しして、オーナーの奥さんが夏美の部屋に入ってきた。 「宿泊者カード、書いていただけますか?」 『あっ、はい』 差し出された宿帳らしきノートに、夏美はペンを走らせた。 頭の中では、 『あらっ! わたし、今、住所不定だわ!』 と、なんとなく笑えてしまった夏美だったが、 それでも、これまで住んでいたマンションの住所を書いた。 栃木県科沼市晃・・・ そして、先に生年月日の欄に、昭和37年7月・・日と ここまで書きながら、夏美は思っていた。 「これが私の、夢だったのかなぁ・・・」 夏美は、何のためらいもなく名前の欄にこう書いた。 「津路夏美」 初めて、その苗字の下に、自分の名を書いた。 宿帳を戻されたオーナーの奥さんは、 「あらっ! 寅年生まれ?」 『あっ、はい』 「ねぇ、ねぇ、わたし卯年生まれ! 38年3月生まれよ!」 『え~、じゃぁ同じ学年ですね』 「そうね! え~、でも見えな~い! 堀北真紀に似てるって言われるでしょ!」 『・・・たま~にですけど・・・』 夏美は、あえて深くは突っ込まずに、 『夏美です。今日は、本当にありがとうございます』 「いいえ、どういたしまして! 私は、多香子! あっ!旦那も同い年、名前は達也!」 『よろしくお願いします。 多香子さん・・・素敵なご夫婦でうらやましいです』 「旦那は、脱サラ! 私がペンションをやりたくて・・・夢を叶えてくれたのよ」 『素敵な、お話ですね』 多香子は、至極嬉しそうな顔を浮かべた。 と、同時に何か思い出したように 「あっ・・・そう言えば・・・」
マコト (水曜日, 13 7月 2016 22:48)
多香子は、夏美に聞いた。 「そう言えば、達也が誰かに似ているって?」 『・・・えっ? あっ、・・・はい』 多香子は、うつむき加減に返事をしたその夏美に気付き、さっと話題をすり替えた。 「あっ! いっけな~い、さぼってると旦那に叱られちゃうわよね!」 『・・・えっ? あっ、はい』 「また後でね! 夕ご飯の支度が出来たら、呼びに来るから!」 『本当にすみません・・・突然に来て、きっとご主人もお困りだと・・・』 「いいの、いいの!」 そして、ドアを開けて部屋を出ようとした時に、多香子はこう言った。 「ねぇ・・・」 『あっ、は、はい・・・』 『夏美って呼んでもいい?』 『えっ? あっ、はい』 「ぶぅ~!!! 呼んでもいいなら、そんな他人行儀な返事をしないでほしかったな!だって、同級生でしょ!」 『あっ、ごめんなさ・・・あっ、うん! もちろんいいよ!』 「良かった! じゃぁ、また後でね~」 そんな多香子に、夏美は、久しぶりに笑顔になれた気がした。 健心が、津路の前に現れて以来、ずっと・・・・ 曇った表情と、泣き顔ばっかりだった夏美が、ようやく笑顔を取り戻せた。 ただ・・・ それが、ほんのわずかな時間だけになろうとは、夏美は知る由もなかった。
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:44)
1時間もして、多香子が呼びに来てくれた。 「夏美! ご飯の用意できたよ! たいしたもの作れなくてごめん! これ、オーナーからの伝言!」 『あっ、そんな・・・ありがとう・・・多香子さん』 「はぁ?」 『えっ?』 「なに? わたしが夏美って呼んでいるのに?!」 『そっか! ありがとう、多香子』 二人は、笑顔で部屋を出た。 1階の広いスペースには、宿泊者がみんな揃って夕食をいただけるように、テーブルが配置されてあった。 夏美が、多香子に案内されて進んでいくと 「お~、この方だね!」 『あれ~、綺麗なお嬢さんだこと』 「多香ちゃんに負けないぐらい、綺麗な人だね!」 『ほんと、ほんと』 夏美が、キョトンとしていると、多香子が 「みなさん、常連の方で、家族みたいなお付き合いをさせていただいているのよ! さっ、夏美もそこに座って!」 3組の宿泊が限度である小さなペンション 夏美を出迎えてくれたのは、2組の高齢のご夫婦だった。 多香子が、夏美を紹介してくれた。 「津路夏美さん! 実はね、・・・私と同い年で~す!」 夏美は、慌てて席を立ち 「夏美です! 今日は、突然お世話になることになりました・・・みなさんのご迷惑にならないように・・・よ、よろしくお願いします」 拍手が起きたと同時に 「多香ちゃんと同い年なの? 良かったね! 多香ちゃん、お仲間ができたね」 多香子は嬉しそうに 「はい!」と 一人のご婦人が、夏美に 『はじめまして、よろしくお願いしますね・・・ナッちゃん!』 夏美を「ナッちゃん」と呼んだのだった。 夏美は、津路以外にナッちゃんと呼ばれたことはなかった。 その瞬間にはもう、夏美も家族の一員になったような、そんな感覚になっていた。 夏美は、その展開に精一杯について行った。
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:45)
達也が料理を運んできた。 すると、夏美が耳を疑うようなことを達也が言ったのである。 「え~、皆さんの今晩のお料理ですが・・・、突然のお客様のために、材料を少しずつ減らさせていただきましたので、ご了承ください!」 夏美は 『えっ? はっ? い、いま、なんと?』 それは、まぎれもなく夏美が突然に宿泊することになったため、全員の食材を夏美に分けたという意味に他ならなかった。 夏美は、うつむき、小声で 『・・・そ、そんなぁ・・・』 と、その時だった。 常連客のお婆さんが、こう言ったのである。 「ナッちゃん・・・今の達也さんの言葉の意味が分かる?」 『えっ?』 「私たちに、ナッちゃんを仲間として、受け入れて欲しいという意味なんだよ」 『そ、そうなんですか?・・・』 「そうだよ~ 達也さんは、いつもあんな感じなんだよ! 私達夫婦は、そんなオーナーが好きでねぇ、毎年、ここにお邪魔させていただいているんですよ」 夏美が、料理に目を向けるとお婆さんが、 「見れば分かるでしょう、ねっ、どこも食材を削っているようなところは無いでしょ?」 『あっ、はい・・・すごいお料理です』 夏美が、お婆さんの話を聞いて、達也を見ると、もうその話は終わったかのように、料理を取り分けていたのである。 「はい! お口に合うといいんだけど」 と、達也が料理を手渡してくれた。 『あっ、ありがとうございます』 すると、多香子も達也も同じテーブルに座って食事を始めたのである。 「みなさん、どうぞ、召し上がってください」 「いただきま~す」 「夏美! どう? 」 『あっ、・・・う・・・うーーーーーん! 美味しい!』 多香子は、夏美の隣に座って満面の笑顔 まるで、大所帯の家族であるかのように、和やかに食事の時間が過ぎて行った。
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:46)
2組のご夫婦は、ここで知り合ったとは思えないほど仲が良かった。 互いの近況報告をして、孫の自慢話や、家族のことも おそらくは、何度も一緒に宿泊しているのであろう、四人とも、笑顔を絶やすことなく、美味しい料理をいただいていた。 食事が終わると夏美は 『ねぇ、多香子・・・』 「うん? なぁに、夏美」 『わたし、後片付けを手伝いたい!』 「うん! 分かった。 一緒にやろう!」 2組のご夫婦は、もう部屋に戻って、1階には三人だけが残った。 達也は、明日の朝食の仕込みを始めた。 二人で食器を片づけていると多香子が、 「ねぇ、夏美・・・お酒飲めるの?」 『あっ、う~ん、少しだけ』 「ホンと? じゃぁ、後片付けが終わったら、夏美も一緒に飲もうよ!」 『えっ? でも、なんか図々しいような・・・』 多香子は、後片付けの手を止めて 「はぁ?」と 夏美も後片付けの手を止め、多香子の顔を見て 『・・・付き合うよ!』と 二人が後片付けの手を同時に動かし始め、多香子が 「よろしい!」と 夏美は、食事の時にひとりのお婆さんが言っていた言葉を思い出していた。 『一期一会かぁ・・・』
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:47)
多香子と達也は、夕ご飯とその後片付けまで終えたあと、二人でお酒を飲みながら、いろんな話をするのがルーティンだった。 後片付けを終えた多香子は、達也に「先にあがるわよ」と、声をかけ、夏美と一緒に食堂に戻った。 「夏美は、何がいい?」 『えっ? う~ん・・・』 「あまり飲めないのなら、甘いカクテルっぽいものにする?」 『夏美は、何を飲むの?』 「もちろん! 女は黙って冷酒よ!」 『じゃぁ、私も!』 「・・・って、飲めんか~い!」 『えへっ』 「じゃぁ、とっておきの冷酒を飲んじゃおうかな!」 『やったー!』 二人で向かい合わせに座って飲み始めると、達也もやってきた。 「ごめん、先にいただいちゃった」 《はいよ!》 夏美は、あらたまって 『あのぉ、今日はありがとうございました、とっても美味しかったです』 と、丁寧にお辞儀をした。 《夏美さん? だったよね! って、ナッちゃんでいいよね! 水臭いことはここではご法度だよ! 楽しく飲もうね》 『あっ、はい』 三人が揃ったところで、あらためて乾杯をした。 《同い年なんだって?》 『あっ、はい・・・バリバリの寅年です』 《栃木から?》 『そうです・・・科沼という街で、静かな、どちらかと言えば田舎町なの』 と、普通の会話から始まったのだった。
夏美のひととなりも分かってくると、やはり話題はそこに行ってしまったのである。 「ねぇ、夏美・・・今回の旅は、どんな旅なの?」 『えっ?・・・』 「まぁ、どう考えても53歳・女盛りの夏美が一人旅、しかも泊まる宿もその日に見つけるような旅となれば、聞きたくもなるでしょ?」 『そ、そうね・・・』 「・・・話したくないの?」 夏美は、黙ってうつむいたまま。 すると、達也が 《おい、多香子・・・深い事情は聞かなくてもいいんじゃないのか?》 達也のその言葉でゴングがなった。 FIGHT!!! 「達也! いま、なんて言った?」 《だから、あまりナッちゃんを責めるなよと言ったのさ!》 「あのさ、どうして聞いちゃいけないの?」 《人には、言いたくないことや、言いたくても言えないような事情があるかもしれないだろう!》 「あっ、そう・・・達也は冷たいのね!」 《はぁ? どこが冷たいのさ!》 「だって、夏美が一人で苦しんでいるかもしれないのにさ、それを黙って放っておく訳でしょ?」 《それが、俺の優しさだよ!》 「私は、それを優しさだとは思わない!」 夏美は、自分のことが原因で、喧嘩を始めてしまった二人に 『ねぇ、喧嘩はやめてよ~』 と、仲裁しようとしたが、 「夏美は、黙ってて!」 『えっ?・・・』 「あのさ、夏美! これは喧嘩じゃないの!」 『えっ?』 「私たちは、こうやって自分の想いを相手に正直にぶつけ合うのよ!」 『でも・・・喧嘩じゃ』 「夏美も分からない人ね! 達也は達也なりに、あなたのことが心配なの! 私ももちろんそうよ! いい? いま、あなたのことで、二人は議論しているの! だから、二人で結論を出すまで黙ってて!」 夏美は、心の中で 『二人の結論って・・・私の意見は?・・・』 と、思ったが、それからも夏美と達也のFIGHTは続いたのであった。 夏美は、それを見守るしか出来なかった。
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:48)
《多香子の言い分も分かるよ! でもさ、俺の言い分も分かってくれよ!》 「なに言ってんの? もちろん分かってるわよ! 達也のことは、私が一番に分かってる!」 延々と続く二人の会話に、夏美は思った。 『この二人・・・私のことで、ここまで一生懸命になってくれているんだ・・・』 と そんなことを思い、そして一生懸命になっている達也の顔をみていると、津路のことが思い出され、自然と涙が溢れてきた。 『俊成君も、こうやって私のことを心配してくれていたのかなぁ・・・』 その涙に気付いた多香子は、達也との会話を止めた。 「な、夏美・・・ご、ごめん」 『違うの・・・わたし、・・・嬉しいの』 「えっ? 嬉しい?」 『そう・・・だって、二人とも私のことで、こんなに一生懸命になってくれて・・・』 「・・・夏美」 『私ねっ・・・ここに、お泊りさせていただくのに、早々に嘘をついちゃったの・・・宿帳の名前・・・』 「夏美・・・分かっていたわよ」 『えっ?』 「だって、鞄に着けてあるキーホルダーのイニシャル・・・違っていたんだもの」 『分かっていたの?』 「う~ん、たぶん違うのかなぁって、・・・でもね、夏美が宿帳に名前を書く時の顔・・・とても幸せそうな顔をしていたわよ」 夏美が、それまで堪えていた別の涙が、一気に流れおちた。 それからは、夏美は自然と話を始めていた。 津路と出会った頃のこと 探偵事務所で、津路を支え続けてきたこと 会社を変わってからも、津路を支え続けてきたことも 夏美は、ずっと涙が止まらなかった。 達也は、黙って下を向いたまま夏美の話を聞いていた。 多香子は、夏美の顔をずっと見て、一緒に涙を流しながら。 そして、夏美はここであることを言ったのである。
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:09)
達也に向かって、夏美はこう言った。 『達也さん・・・俊成君は、あなたにそっくりなんです』 多香子が 「・・・あっ、だから私が聞いた時に、答えにくそうな顔をしたのね?」 『・・・うん』 「そんなに似ているの?」 と、夏美はその言葉に、自分の鞄から1枚の写真を出した。 「え~ 達也だ!」 と、写真を達也に渡して 《ホンとだぁ・・・この写真、俺? って、聞きたくなるぐらい似てるね》 それは、熊の前で笑う津路の写真だった。 そして、それから夏美は、一人旅を始めた理由を語ったのである。 健心が、津路を心配して会社にきたこと 健心が、二度目にきたときに起こした事件のこと 健心が、逮捕されても、黙秘していたこと そして・・・ 置手紙を残して、津路に別れを言い、家を捨てて旅に出たことを 「夏美・・・」 《ナッちゃん・・・》 このペンションに来て、久しぶりに笑顔を取り戻した夏美であったが、それは、ほんのわずかな時間で、前の辛そうな顔に戻ってしまった夏美であった。 多香子が、そっと聞いた。 「ねぇ、夏美・・・あなたは、これからどこに行こうとしているの? その途中で、ここに寄ってくれたんでしょ?」 夏美は、ひとつ大きく息を吐いて、こう言った。 『・・・長野に行こうと思ってるの』 と
「長野?って、お隣の長野県のこと?」 『・・・うん』 「そこに、何をしに行くの?」 夏美は、全てを打ち明けた。 『俊成君が連れて帰ってこなかった理さんという人を探しに・・・』 「えっ? 住所は分かっているの?」 『・・・分からない』 「それで、どうやって探すつもりなの?」 『俊成君が、長野に居た時の領収書で、ある程度の範囲は分かっているの。だから・・・それを頼りに捜し歩いてみようかと・・・』 「無茶よ! しかも、夏美一人で、探そうとしているんでしょ?」 『・・・うん』 「夏美・・・ひとつ聞いてもいい?」 『なぁに、多香子・・・』 「その理さんという人を探すことができたとして・・・夏美・・・あなたはどうしたいの? 栃木に連れて帰ろうと思っているの?」 『・・・分からない』 「分からないって?」 『自分でも分からないんだぁ・・・自分で、どうしたいのか』 「・・・夏美」 『わたしね、俊成君が、どうして理さんを連れて帰って来なかったのか・・・その理由を知りたいだけなのかもしれない。 だって、とっても辛そうだったの・・・わたし・・・結局は、何もしてあげられずに、そばで見守ってあげることしか出来なくて・・・』 「夏美・・・私も夏美と同じように、きっと何もしてあげられなかったと思うよ!」 『多香子・・・ありがとう・・・でも、きっと多香子は違っていたと思う。 だって、多香子と達也さんは、どんなことでも二人で話して・・・二人でいろんなことを決めてきたでしょ? 私には、それが出来なかったの』 「・・・夏美」 『私ね、俊成君に必要とされていないとは思いたくないの! 私が、俊成君に別れを言って来たのは、私が、俊成君に相応しい女の子じゃないって分かったからなの!』 少しの間、静かな時間が流れたが、それまで夏美の話を聞いていた達也が、話を始めた。 《ナッちゃん、今でも俊成君のことが好きなんだね》 「達也! そんなの言わなくても分かることでしょ!」 《そうだけどさ・・・その理さんという人を連れて帰って来なかった理由・・・それを知るだけだっていいんじゃないのか?》 達也のその言葉で、再びFIGHTの時間となった。 「ねぇ、達也・・・それって、悲しすぎるでしょ? あなたは、夏美を苦しみから救ってあげたいとは思っていないの?」 《苦しみから? なぁ、多香子・・・いまのナッちゃんの苦しみって、なんだと思う?》 「そ、それは・・・」
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:10)
FIGHTの時間は、直ぐに終わったのである。 それは、達也が、二人に“男の想い”を伝えたからだ。 《ナッちゃんの今の苦しみって、いろんなことが分からないまま、俊成君と離れてしまったことじゃないのか?》 「そうよ! 私もそう思うわよ!」 達也は、優しい顔になって、二人に向かって話し出した。 《なぁ・・・ナッちゃん・・・多香子も聞いてくれ》 《その逮捕された・・・あっ、健心君?・・・健心君は、逮捕されて、どうして黙秘なんかしたんだろうなぁ》 《俺、同じ男として、これだけは分かるんだけど・・・俊成君を守りたかったんだと思うんだ》 《ナッちゃんが、自分の腕にナイフを向けて俊成君を守りたかったようにねっ!》 《それで、何が言いたいかって・・・健心君がそこまでしても守りたいと思える男なんだと思う! 俊成君は》 《ナッちゃんは、そんな俊成君だからこそ、好きなんだろう?》 《もし、俊成君が男友達から信頼され、愛されるような男でなかったとしたら・・・俺には出来ない! 自分が無実の罪で刑務所に入るなんて》 《そんな俊成君が、探偵を辞めてでも、連れて帰ってこなかった理君・・・きっと、それなりの事情があったんだと思う》 《俺ね、ナッちゃんには、俊成君がその時にどんな思いで連れて帰って来なかったのか・・・、それを知ってもらいたいと思う》 《もしかすると、そこには、ナッちゃんのことは苦しめたくないという俊成君の思いがあったのかもしれないから》 《全部を知って、そして自分で納得できて、それでそのままサヨナラをするなら・・・、俺は、何も言わない》 《でも、このままでいたら、ナッちゃんは、どこにも行けないまま、ただ立ち止まってしまうだけだと思うんだ》 《全てを知ったうえで、自分の進む道を決めて欲しい・・・ナッちゃんには》 夏美も多香子も、男らしい達也を見た。 夏美は、 『ありがとう・・・達也さん』 多香子も 「なんか、カッコいい・・・今日の達也」 と、ようやく三人とも笑顔になれた。
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:12)
『多香子・・・わたし・・・多香子と出会えて良かった!』 「そう・・・私も、夏美と出会えて良かったよ」 『達也さんもありがとう・・・って、 ・・・ い・な・い!』 多香子は、笑ってこう言った。 「きっと、恥ずかしくて、トイレにでも行ったんじゃないかな?」 『恥ずかしい?』 「うん、そうよ! 達也は美人に弱いから!」 『はぁ?』 「ほらっ! 恥ずかしがり屋さんが帰ってきたわよ!」 《はっ? なんか言った?》 「なんでもない!」 『面白い夫婦ね!』 「ところでさぁ、夏美・・・長野に行って、宿はどうするの? まだ、決まってないんでしょ?」 『あっ・・・う、うん』 「ねぇ、達也~ 長野までは、車でどれくらい?」 《片道、1時間から場所によっては1時間半かな・・・》 「1時間半かぁ・・・どうする?夏美」 『えっ? どうするって?』 「決まってるでしょ! ここから、通うのよ! 長野に」 『えっ? ホンとにいいの?』 「あのさ!」 『は、はい! お願いします! 理さんを見つけ出すまで、ここに泊めてください』 「って、あらぁ~ 残念! 予約でいっぱいだったわ!」 『え~、うそぉ~』 「はい! 合格! それでよし!」 『はっ?』 「ちょっと、確かめちゃった! 本当にここに泊まりたいと思ってくれているのか」 そんな二人の会話を、達也は笑って見守っていた。そして、 《ナッちゃん、ごめんね!》 『えっ?』 《多香子は、いつもこんな感じのくだりなんだよ!》 『そうなの? もぉ~、意地悪ーーー!!!』 三人は、テーブルの上に道路地図を広げて、長野の下調べを始めたのだった。
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:13)
『優さん・・・』 「・・・百合子」 『気が付きましたね、優さん・・・いま、先生を呼んできますから』 「ゆ、百合子・・・」 『あっ、はい・・・優さん』 「手術は成功したのかな・・・」 百合子は、優しい顔を浮かべて 『はい』 と、答え 『先生を呼んできますね』 そう言って、部屋を出て行った。 精一杯に涙をこらえ、部屋を出て行った百合子は、ナースステーションに向かった。 橋駒ドクターと看護婦二人が、優の部屋に入っていった。 百合子は、看護婦の 『一緒にどうぞ』 という促しに、首を横にふり、病室の外で待つことを選んだ。 橋駒ドクターが優の病室から出てくると、百合子に 「しっかり支えてやってください・・・優さんには、あなたしかいないのですから」 と、その言葉に百合子は、深々と頭を下げた。 「優さんが待っていますよ! どうぞ、行ってあげてください」 と、看護婦の言葉に背中を押されて、百合子は優の病室に入っていった。
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:14)
部屋に入った百合子を優が笑顔で迎えた。 『優さん・・・痛みませんか?』 と、白い包帯がぐるぐる巻かれた頭部に視線を送ると 「うん、大丈夫だよ、百合子・・・心配をかけてごめんね」 『早く、元気になってくださいね、優さん』 百合子は、笑顔を絶やさぬように、ベッドのそばに置いてある椅子に座って優を見た。 『先生は、どうおっしゃっていましたか?』 「傷口がふさがれば、すぐにでも退院出来るって」 『そうですかぁ、良かったですね、優さん』 「あぁ・・・でも・・・」 百合子は、優の言葉の意味が直ぐに理解できた。 だから、先に百合子の方から話をしたのである。 『優さん・・・お話があるのですが』 「うん? どうしたの? 百合子」 『村のお隣の三平さん、ご存知ですよね?』 「あぁ、もちろん! 三平さんがどうかしたの? 僕がいない間に、草刈りでもしてケガをしたんじゃないよね?」 『もぉ~、優さんは、こんな時でも三平さんのことを先に心配されるんですね!』 「あっ、いやっ・・・突然に三平さんの話が出たから・・・それで、三平さんがどうしたの?」 『はい・・・三平さんの息子さんが、東京で大きな会社の副社長さんをされているそうなんですが・・・その方に、今回の優さんの入院費をお借りしたいと・・・』 「えっ? どうして? 見ず知らずの僕のために? 三平さんの息子さんが?」 『はい、村の人、皆さんが優さんのことを心配していて・・・三平さんから言われたんです・・・自分の息子に頼んであげるから、よかったら頼ってくれって。 それに、村の人達から、少しでも役立ててくださいと、カンパを頂いたんです』 「えっ・・・でも、どうして僕のために、そこまで皆さんが」 『優さん・・・あなたは、村の人のために自ら率先して草刈りをしたり、力仕事が必要であれば飛んでいったり・・・村の人達は、みんなあなたに感謝しているんですよ』 「でも、そんなことで・・・」 百合子は、優しい表情で、こう言った。 『優さん・・・あなたが人に優しくしてきたことが、こうして返ってきたんですよね』 優の目には、涙があふれていた。 「俺・・・ごめんなぁ百合子・・・迷惑をかけて」 すると、優がゆっくり左手を百合子の方に上げたのである。 「・・・百合子」 の言葉に、百合子も 『優さん・・・』 「百合子・・・ありがとう」 二人は初めて手をつないだ。
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:16)
翌日・・・ 村人たちが、優の病室に見舞いに来た。 「みなさん・・・本当にご心配をかけて・・・」 『よかったなぁ、優! 早く退院できそうなんだってな!』 「あっ、はい・・・それより、皆さん・・・百合子から話を聞きました。 なんか、俺のために皆さんが・・・」 『優、なに水臭い事言ってんだい! 村人たちは、み~んなあんたに感謝しているんだ! 早く元気になってもらわなきゃ、こっちが困るんだよ!』 「おいおい、助六さんよ! なんだい? 退院早々に、優をこき使おうとしてるんじゃないんだろうなぁ?」 『てあんでぇい! こちとら、優なんかいなくったって、・・・いなくったって・・・いやっ、・・・すまねぇ、優がいなきゃ困るわなぁ・・・』 村人たちは、嬉しいはずなのに、何故か涙目で、それでも嬉しそうに話した。 「優よ! おめーさんには、少し無理をさせちまったようだって、みんな話してるんだよ! すまなかったなぁ・・・勘弁してくれな!」 『勘弁だなんて、何を言ってるんですか、助六さん!』 そして優は、村人たちの一番後ろで静かにしていた三平に向かって 『三平さん・・・本当にありがとうございます、しっかり働いて・・・』 「いいんだよ、優! 俺の自慢の息子だ! 東京で出世しちまったから、もう、こっちに帰ってくることはねーけど、それでも、村のことを心配してくれてるんだよ。優の話をしたら、二つ返事でな。なんなら、返さなくてもいいって! ただ、そう言ったんじゃ、おめーさんじゃ、必ず断るだろうなと思ってさ・・・」 『三平さん・・・』 「息子は副社長で、なんだか、社長が急にいなくなっちまって苦労しているみてーだけど、社長が帰ってくるまで自分が会社を支えるんだって、社員全員で頑張ってるんだってよ! 」 『そうなんですかぁ・・・三平さん、本当に自慢の息子さんなんですね!』 「まぁなぁ・・・いくら自慢できても、離れて暮らしているからなぁ・・・寂しいけど、体に注意して、人様のために元気に働いてくれているならな! 親は、それで、満足するしかねーんだわなぁ」 『三平さん・・・』
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:19)
ここまで、小説を読んでいただいた方へ この小説の結末が、とても悲しいもので終わると仮定して、 もし、それを望まない方がいるならば、是非、この先の書き込みを、その方に託したい。 なぜならば・・・ 小生が考えている結末が、その仮定したものであるからだ。 小生には、自信が無い。 小生の考えた筋書きで、皆が、何かを得てくれるのか。 毎日の通勤電車の中で、小説を読んでくれた人、 毎日の家事を済ませてから、ようやく自分の時間が出来て、寝る前に楽しみにパソコンを開いてくれた人、 毎日、何度も更新を確認してたぜ!と、言ってくれた人 みたらし団子で、いじられまくった人に・・・ そんな人たちに対して、これでいいのだろうかと。 小生が、小説で何を伝えたかったのか、想いが伝わるのか・・・ 半ば、強制的に小生の考えた筋書きに付き合わされてきた方に、最後になって「あとは、自分の好きなように仕上げてくれ!」とは、とても無責任な話だと思われるであろうが・・・ やはり、ハッピーエンドを望む方もいると思うので。 小生の考えた結末は、次の書き込みで一気に話が終わります。 だから、次の書き込みまでには、数日待ちます。 その前に、あなたの思う「仲間」を、ここに書き込んでください。 あなたなら、出来るはずです。 よろしくお願いします。 ・・・って、 「んなぁ、ここまできて、書ける訳ないでしょ!」 と、叫んだ あ・な・た! 出来るって! 読んでみたいんよ! あなたの「仲間」を よろしく~~~ たかが、リレー小説なんだから!
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:40)
『津路さん・・・このお花畑が・・・』 「・・・そうだよ、蒼さん」 蒼は、栞の写真を胸に抱いて、 畑一面に咲き誇るダリアを見つめていた。 そして、栞の写真を優しい顔で見つめ 『栞・・・ここが理さんのお花畑だよ・・・見えるでしょ』 『本当に綺麗だよ・・・理』 『ありがとう ・・・理 』 仲間達と、夏美も多香子も達也も、 そして、百合子と三平さんの息子も、 村の人たちも、 皆が、蒼のそばに立って、まるで太陽のように光り輝く一面のダリアを見つめていた。 蒼は、振り向き、そして仲間達に向かってこう言った。 『ありがとう、津路さん』 『ありがとう・・・みなさん』 『わたし・・・みなさんに会えて良かった』
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:41)
栞と蒼という、とても仲のいい双子の姉妹がいた。 二人は、どんな時も一緒に行動をしていたが、二人の父親は、姉の栞だけを特別扱い。 姉想いの蒼は、いつも自ら一歩下がって、厳しい父親から栞を救っていた。 二人は、同じ高校へ進学し、そこで理と出会う。 蒼は、理に恋をした。 理も蒼が好きだった。 だが、互いの気持ちをうまく伝えられずに・・・そのまま、32年が過ぎた。 32年ぶりに高校の同窓会が開催された。 そこで、栞と蒼は、ちょっとした“いたずら”をする。 それは、栞と蒼が入れ替わって、同窓会に参加するとう“いたずら”だった。 同窓生達は、誰一人として、二人が入れ替わっていることに気づかなかった。 だが、同窓会の代表を務める理だけは、蒼のことを「蒼だろう」と呼んでくれたのだ。 その時、蒼は、自分の気持ちに気付いた。 「今でも、理のことが好き」と その同窓会をきっかけに、双子の姉妹の人生が、大きく動き出すのである。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:42)
あれほど栞にだけ厳しかった二人の父親も、もうその頃には、ただ二人の幸せを願う優しい父親になっていた。 同窓会の時に撮った、「栞と理と蒼」の三人の写真を見た父親が、 栞が、理に気があるのではないかと、勘違いをしてしまう。 そのことがきっかけで、栞が理と結ばれることになる。 栞の幸せを願う蒼は、理のことを諦めるが、ちょっとしたことで、あれほど仲の良かった栞と蒼が、互いに憎み合うようになってしまった。 それを知らされた理は、群馬での仕事を終えたあと、蒼のところに向かったのである。 その日が、大雨により高速道路が閉鎖されていたため、山道を通って帰ることを選択した理は、群馬の峠道で、一匹の子犬を見つける。 雨に濡れた子犬を救おうとして、そこで、理はトラックにはねられてしまったのである。 事故を起こしたトラックの運転手は、意識のない理を見て、別の場所で遺棄しようと、理をトラックの荷台に乗せ、西へと走った。 理は、途中、意識を取り戻し、トラックがサービスエリアで停まったすきに、荷台から降り、歩き出したが、そこで再び意識を失くし、そばにいた人が呼んでくれた救急車で長野の病院へと運ばれた。 理が、その日、蒼のところに行くと聞かされていた栞は、 理が帰って来ないのは、蒼のせいだと決めつけてしまう。 そのことで、蒼は心を病んでしまう。 心に傷を負った蒼は、日本に戻らない決意をして単身渡米したのであった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:43)
理は、事故の際に頭部を強く打ち、全ての記憶を失っていたのだった。 だが、「自分のことを待っていてくれる人がいるはずなんだ」と、ただ、その思いだけで、帰る場所も分からぬまま病院を抜け出してしまう。 治療を受けることもなく、病院を抜け出してしまった理が、救いを求めてたどり着いた先が、百合子の家だった。 百合子の家は、2年前に、百合子の夫・優を事故で亡くし、5歳の女の子と2歳の男の子、そして高齢のお婆さんの4人暮らしだった。 百合子は、夫を事故で亡くしたことをきっかけに、病にふせていた。 それを知った理は、百合子の夫・優の代わりとなって生きて行くことを選択したのである。 理は、優となって百合子を支えながら、その地に住む村人たちのためにも一生懸命に働いた。 突然に行方が分からなくなってしまった理を、栞は、ずっと待ち続けた。 それを不憫に思った父親が、理の捜索を津路探偵事務所に依頼したのである。 依頼を受けた津路は、理の車が残されていた群馬の山中に行き、そこで子犬を見つける。 そう、その子犬が、理が助けた子犬だったのである。 津路は、その子犬に“ガッツ”と名付け、一緒に理探しの旅を続けた。 旅の途中、ガッツが、自分を救ってくれた理の匂いに気づく。 走るガッツを追いかけると、そこが理の住む家だった。 理を見つけた津路だったが、そこで“理の想い”を知る。 探偵としての仕事を全うして、理を待ち続ける栞の為に無理にでも理を連れて帰るべきか、百合子を支えたいという“理の想い”を叶えてやるのか・・・ 悩み苦しんだ津路であったが、理を連れて帰ることなく、栃木に戻ってきたのである。 栃木に戻ってきた津路は、良心の呵責に苦しみ、探偵をやめることを選択する。 津路は、親の会社を継ぐことになるのだが、傷ついた津路を支え続けたのが、探偵事務所時代から事務員として一緒に働いてきた夏美だった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:44)
理が、優となって3年が経った。 5歳だった女の子は、小学3年生に、 2歳だった男の子は、保育園の年長さんになっていた。 病にふせていた百合子も、自分のことが出来るまでに回復していた。 子供達は、優しい理を父親としてとても慕っていた。 そんなある時・・・ 無理に働いてきたことがたたって理は倒れてしまう。 だがそれは、3年前の事故で頭部に損傷を受けていたことが、直接的な原因だったのである。 家計の苦しい家庭事情を知る理は、それを理由に手術を拒絶する。 だが、百合子から、 「手術を受ければ昔の記憶を取り戻すことが出来る!」 「記憶を取り戻して、もとの幸せな家庭に戻れ!」 「・・・そうすれば、手術代が払えるはずだ!」 と、冷たく突き放されてしまう。 だが・・・ 理には、それが百合子の優しさだと分かっていた。 百合子を苦しめたくなかった理は、橋駒ドクターの手術を受けるのだが・・・ 手術を終えた理は、村人、三平の息子の助けを借りて退院する。 退院した理は、百合子の家に戻って、それまで通り暮らしたのだった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:45)
理の事故から、10年が経っていた。 ある時、栞が、花風莉に訪れた。 花風莉には、想いを話すことができる“電話ボックス”があった。 そこに入った栞であったが、受話器をもったまま何も話せず立ちすくみ、涙ぐむ。 そこで、花風莉の店主・萌仁香は、 栞が、行方不明となった理のことをずっと待ち続けていることを聞かされる。 栞が、同い年であることを知った萌仁香は、栞に自分たちの仲間になるようにと、花見に誘ったのである。 そこで、栞と健心が出会った。 栞は、健心を見て“理が戻ってきてくれた”と勘違いする。 それは、理と健心が、まるで双子であるかのように、そっくりだったからだ。 そのことをきっかけに、栞は、心を病んで入院させられてしまう。 入院する栞を見舞った健心は、そこで栞が余命いくばくもないことを知らされる。 健心を、理であると信じて疑わなかった栞に、健心は、理になり切って栞を支え続けた。 だが・・・ 栞は、天国へと旅立った。 ずっとアメリカに住んでいた蒼は、栞が亡くなったことを知り帰国する。 栞は、亡くなる前に蒼に手紙を残していた。 その手紙を読んだ蒼は、栞が自分を憎んではいなかったことを知り、ようやく元の仲のいい双子の姉妹に戻れたのであった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:46)
それから数か月後・・・ 仲間達は、蒼と出会う。 そこで、蒼が栞の妹であること、そして、今でも理のことを待ち続けていることを知った仲間達は、蒼を元気づけようとバーベキューに誘う。 そこで、津路と蒼が出会った。 津路は、栞が理の帰りを待ち続けながら亡くなったことを知り、絶句する。 落胆した津路を心配した健心は、津路を苦しみから救おうとするが、それを夏美が拒んだのである。 津路をずっと思い続けてきた夏美が、自分の腕に傷をつけてまで、津路を守ろうとしたのだった。 津路から健心を遠ざけたいと考えた夏美は、健心に罪を押し付けてしまう。 傷害罪で逮捕された健心は、自分が事件のことをしゃべれば、津路が苦しむことになると考え、ずっと黙秘を続けた。 だが、仲間達の支えと、亀丸検事と出会ったことで、健心は無事に釈放される。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:47)
罪を犯してしまったことを悔いた夏美は、置手紙を残してマンションを出ていった。 津路に別れを告げて。 マンションをでた夏美は、長野に向かっていた。 それは、津路がどうして探偵を辞めたのか、その苦しみを自分も知りたかったからだ。 夏美は、長野に向かう途中、軽井沢で小さなペンションに宿をとった。 そこで多香子と達也に出会い、二人から長野で理を探す勇気をもらったのである。 一方、 夏美の手紙を読んだ津路は、夏美を追いかけて、二人の想い出の場所“右津乃宮動物園”に行く。 そこに夏美が来ないと考えた津路は、夏美が一緒に行きたいと言っていた岩手に向かったのである。 釈放された健心も、岩手に行き、津路と一緒に夏美が来るのを待った。 しかし、健心の想いで、夏美が長野に向かったのではないかと考えた二人は、栃木に戻り、そして直ぐに長野に向かったのだった。 そして・・・
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:48)
『えっ?・・・』 「どうした? 津路」 『いやっ・・・景色が変わっているんだ!』 「景色?」 『あぁ・・・ここは水田だったはずなんだ』 「ここで間違いないのか?」 『間違いない! 健心・・・あの家が、理君が住んでいる家だよ』 「そっか・・・」 二人の目の前には、畑一面にダリアが咲き誇っていた。 二人が、その素晴らしさに見とれていると、畑のはずれから一人の男が近づいてきた。 「どちら様ですか?」 『あっ、私は、あのお宅に住む理さん、あっ、いやっ、優さんにお会いしたくて来ました』 その男は、「えっ?理さん?」と、津路の言いかけた言葉に驚いた表情を浮かべた。 そして、その男は、津路に返す言葉を探しながら、健心を見た。 「えっ?・・・社長!」 と、声を出して驚き、健心に駆け寄ったのである。 その男は、三平の息子、羽石颯太(ハネイシソウタ)だった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:50)
健心に駆け寄る颯太の目は、もうすでに涙が溢れていた。 「社長!」 『えっ?』 颯太は、ようやく我に返ったかのように 「あっ・・・社長のはずがありませんよね・・・す、すみません」 健心には、理解ができていた。 それは、もちろん理が自分と瓜二つであることを承知していたからだ。 颯太に向かって健心は言った。 『私は、小野寺健心といいます。 いま、私のことを、有栖川理さんと、お間違いになられたんですよね? 自分は、理さんにそっくりであることを知っています』 「あっ、はい・・・」 『私たちは、ある人を探しています。そのことで理さんに話を伺いたくて来ました』 津路も、二人の会話に加わった。 「自分は、津路です! 津路俊成といいます」 「えっ? ほ、本当ですか? 本当に津路さんなんですか?」 驚く颯太は、ダリア畑の方を向いて、ゆっくりとこう言ったのである。 「有栖川社長・・・ 社長が心配されていた津路さんが来てくれました。 いいですよね? 全てを話しても・・・」 と
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:51)
颯太は、うつむいてこう言った。 「有栖川社長は・・・亡くなりました」 『えっ・・・』 津路も、健心もその言葉に絶句した。 涙を流す二人に、颯太は 「申し遅れましたが、私は、羽石颯太といいます」 「この地で生まれ育ち、そして有栖川社長の元で、ずっとお仕えしてきた者です」 颯太は、ダリア畑の方を向いて話を続けた。 「このダリア畑は、有栖川社長が残してくれたものなんです」 「もう、10年になりますよね、津路さんがここで社長に会ったときから・・・」 「事故にあって、全ての記憶を失くし、たどり着いたのが、私が生まれたこの地だったなんて・・・私は、いやっ、社員全員が社長の帰りを信じて待っていたんです」 「社長は、7年前に倒れて手術を受けたんですが、完治は難しかったようで・・・」 「退院された社長は、元気になった百合子さんと、このダリア畑を始めて・・・ようやく出荷できるようになったんです」 「ですが、そんな矢先にもう一度倒れて・・・病状が悪化するにつれて、昔の記憶が蘇ってきたんだそうです」 「それで半年前、社長が私のところに連絡をくれて・・・」 「社長は、全て話してくれたんです、私にだけ」 「社長は、津路さんのことをすごく心配されていました」 「津路さんが、ずっと苦しんでやいないかと・・・」 「社長は、言っていました・・・津路さんには本当に感謝していると」 津路は、その言葉に肩を揺らして号泣した。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:52)
健心も泣きながら、それでも、津路の肩に手を置いて 「津路・・・」と 抑えられない涙のまま、津路はようやく颯太に尋ねた。 「いつ・・・いつ、お亡くなりになったのですか?」 その問いに、颯太が答えた日を聞いて、健心は大声を出して泣き出した。 「なぁ、津路・・・理君が亡くなった日は・・・その日は、奥さんの栞さんが亡くなった日なんだ」 それを聞いた颯太は、 「えっ? 奥さん? 栞さんが亡くなったんですか?・・・そ、そんなぁ」 と、今度は颯太が大声を出して泣き出した。 「社長・・・」 『羽石さん・・・』 「社長は、ずっと悩んでいたんです・・・栞さんに連絡をするべきか、でも、百合子さんの気持ちを考えると」 「社長は、自分の最期を知っていたようで、こんな姿を見せて悲しませたくないと、結局は、連絡することを選ばなかったんです・・・栞さんに会いたかったはずなのに・・・」 溢れる涙をふこうともせず、颯太は言った。 「有栖川社長は、栞さんと一緒に旅立ったんですね・・・」 健心が、颯太に言った。 「栞さん・・・自分と初めて会った時に、自分のことを理さんだと思って・・・自分が、最後まで理さんになって、支え続けたんですが・・・栞さんは、最期まで理さんが帰ってくると信じて、待ち続けていました。 あっ、羽石さん・・・誤解しないでください。 理さんのことを責めている言葉ではありませんから」 『・・・はい』
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:53)
三人が、悲しみにくれていたところへ、理が住んでいた家から一人の女性が出てきた。 『颯太さん・・・』 それは、百合子だった。 理は、颯太に全てを語って亡くなったが、百合子には、最期まで記憶が蘇ったことを伝えてはいなかった。 全ての事情を知った颯太は、理が亡くなったことである決断をした。 それは、理が残したダリア畑を百合子と一緒に守るということだった。 颯太は、会社を専務に託して、実家へ戻って来た。 颯太は、それまで村を守ってくれていた理のように、がむしゃらに働いた。 そんな颯太には、ある悩み、苦しみがあった。 そう、それはあの時の津路と同じように、栞に伝えてあげるべきか、どうかという悩みだった。 「百合子さん・・・」 『そちらの方たちは?・・・』 「あっ・・・はい・・・」 その時の颯太の困ったような表情で、健心も津路もすぐに理解できた。 「羽石さんは、百合子さんに真実を話していないんだ」と
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:54)
颯太が、健心を見て驚いたのと同じように、百合子が 『えっ・・・ま、優さん・・・・』 と、健心を見た。 颯太は、その場をやりすごそうと 「いやぁ、自分もびっくりしましたよ! いるもんですねぇ、他人の空似っていう人が」 と、百合子の気持ちを落ち着かせた。 「あっ・・・、じ、自分たちは、ダリア畑があまりにも綺麗だったものですから、ちょっと見させていただいていました」 『そうですか・・・』 と、優しく微笑む百合子 それでも、颯太も津路も健心も涙ではらした顔が、百合子には分かった。 百合子は、優が残してくれたダリア畑を一緒に守ってくれている颯太に感謝していた。 そんな颯太が、仕事中に、ダリアを見つめ、時々考え込む姿を何度も見ていたのである。 『きっと、何かを悩んでいるのね・・・颯太さん』 だから、その時の百合子は、こう言ったのである。 『ねぇ、颯太さん・・・あの人達・・・颯太さん、何か私に隠し事をしていない?』 『私ね・・・』 そう言って、ダリア畑の方に視線を送り 『私、颯太さんには本当に感謝しているのよ』 『優さんが残してくれた、このダリア畑を一緒に守ってくれて・・・』 『ねぇ、颯太さん・・・間違っていたらごめんなさいね・・・優さんは、なくなる前には、昔の記憶を取り戻して、そのことを颯太さんには、話していたんじゃないの?』 「えっ・・・百合子さん」 『もし、そうだとしたら、私は優さんのご家族に会って、謝りたいの・・・』 そう言って、声を出して泣き出した。 「百合子さん・・・」 そこにいた颯太も津路も健心も、その時初めて百合子の想いを知ったのだった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:55)
そこにいた誰かが、悪いわけではない。 もちろん、百合子だって、颯太だって・・・津路だって 悲しい運命にあやつられ、それでも、一生懸命に生きてきただけなのである。 「百合子さん・・・」 颯太は、全てを百合子に語った。 百合子は、ダリア畑から一度も視線を外すことなく、颯太の話を最後まで聞いた。 話を聞き終えた百合子は、振り返り、津路に向かって、深々と頭を下げた。 涙に混じった百合子の声が、ようやく聞こえた。 『津路さん・・・ありがとうございました。 そして、本当にお辛い思いをさせてしまって・・・』 それ以上は、涙で聞きとれなかった。 颯太が、百合子に寄り添って言った。 「百合子さん・・・百合子さんは、何も悪いことしていませんよ・・・」 「津路さんだって、もちろん有栖川社長だって・・・」 『そうねっ・・・』 『ねぇ、颯太さん、津路さん・・・優さん、いえ、理さんは、栞さんと一緒に旅立って・・・理さんは、栞さんのところに戻れたのよね?』 そう言って、泣き崩れた。 みんな、ダリア畑を見つめていた。 健心が、百合子にそっと聞いた。 「百合子さん・・・栞さんには、蒼さんという双子の妹がいるんです。 その蒼さんは、今でも理さんを待ち続けています。 蒼さんに、全てを伝えて、・・・そしてこのダリア畑を見せてあげてもいいですか?」 百合子は、健心に 『ぜひ、ぜひそうしてください。 優さん、あっ・・・理さんが喜んでくれるはずです』と そこにいた誰もが、ようやく落ち着きを取り戻した時だった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:56)
『俊成くん・・・』 津路が振り返ると、そこには夏美が立っていた。 「な、ナッちゃん!」 決して諦めずに、探し続けていた夏美が、現れたのである。 夏美は、健心がいることに気づいて 『あっ・・・小野寺さん・・・』 それからは、夏美も全ての事を聞いて、そこにいた誰もが全てを知ったのだった。 健心が、先に謝った。 「ごめん・・・俺が、夏美さんの気持ちも考えずに、勝手なことをしようとしたばかりに・・・」 『小野寺さん・・・わたし・・・』 「いいんだ! 何も言わなくて・・・それより・・・」 と、津路の方を見ると、なにやら、もじもじと 津路は、健心に約束をしていたのである。 「ナッちゃんに逢えたら、俺、その時にプロポーズするから!」と もじもじする津路に向かって、健心は言った。 「おい、津路! お前、なにしてるかなぁ・・・津路さんよ!」 『あっ、ちょ、ちょっと待ってて!』 そう言って津路は、百合子と颯太に、なにやら伺いをたてているようだった。 津路の話を聞いた百合子は、笑顔になって 『夏美さん! なんかね、津路さんがあなたにお話があるみたいよ!』 「えっ?・・・ゆ、ゆ、百合子さん・・・」 慌てる津路を無視して百合子は続けた。 「こんな時にいいのかって、変な気をつかって、私たちに聞いてきたんだけど・・・あなたに大事な話があるみたい! 聞いてあげてね」 百合子が振り返ると、津路は相変わらずもじもじと 「えっ? あらっ? 津路さん・・・津路さん! もぉ~、まったく男の子は、世話が焼けるわね! 早く言ってあげて」
マコト (月曜日, 18 7月 2016)
津路は、夏美の前に歩いていった。 健心と百合子、颯太は並んで二人を見守った。 夏美の前まで行った津路だったが、またもじもじと (健心)「もぉ~、ばっちり決めろよ! 津路」 (百合子)「可愛いじゃない、なかなか見れないわよ! 53歳のこんなシーン」 (颯太)「俺なら、ぐっと抱き寄せて、キスをしちゃいますけどね!」 (百合子)「ふぅ~! カッコいいわね、颯太さん! あっ! ようやく始まるみたいよ!」 津路は、ようやく口を開いた。 「ナッちゃん・・・お、俺・・・俺は、俺のままで変われないけど・・・俺の味噌汁作って下さい! お願いします」 (百合子)「わぁ~、ベタなプロポーズ! っていうか、意味分かんないんだけど・・・」 夏美は、こう答えた。 「・・・やだ!」 (百合子)「そりゃぁそうよ! なに? 俺は変われないって? 嘘でも生まれ変わってって言えば素直に応えるのに、女の子は」 (健心)「ごめん・・・あれが津路なんです」 津路は、慌ててポケットから、あるものを取り出した。 それは、結婚指輪だった。 ずっと、ポケットに入っていたものだから、包装はぐちゃぐちゃに 「こ、こ、・・・これ!」 (百合子)「あちゃぁ~、最悪な渡し方」 (健心)「ごめん・・・あれが津路なんです」 夏美は、こう言った。 「なんだか、知らないけど・・・いらない! 私は、何にもいらないから!」 (百合子)「でしょ~! そうなるわよ!」 (健心)「百合子さん・・・なんとかしてあげてくれませんか?」 (百合子)「え~、嫌よ! あの二人が決めることでしょ?」 指輪も拒絶された津路は、もうパニック状態 自分が思い描いていた通りに進まないプロポーズ劇に、やぶれかぶれで“素”の津路に。 夏美に抱きつき 「ナッちゃん! 俺は、ナッちゃんが好きだ! 離れたくないんだ! どこにも行かないでくれ! 俺のお嫁さんになってくれ!」と 抱き着かれた夏美も、ようやく笑顔になって 「俊成くん! わたし、その言葉をずっと待っていたの! わたし、何にもいらないんだよ、俊成くんがそばにいてくれれば!」 と、両手を津路の背中にまわして、強く抱きしめた。 「おめでとう、津路!」 『津路さん、良かったですね!』
三人が、津路と夏美のそばに行って、皆が笑顔になれた。 そして、百合子はダリア畑を見てこう言った。 「優さん・・・いいえ、理さん、良かったですね、あなたが心配していた津路さんが、ようやく笑顔になってくれましたよ」と 健心は、百合子と颯太に、蒼を必ずここに連れてくると告げた。 「百合子さん、颯太さん・・・じゃぁ、また」 『健心さん・・・津路さん、夏美さん・・・本当に、ありがとうございました。 蒼さんのことでは、また辛い役目をお願いすることになってしまいますけど・・・蒼さんには・・・』 「大丈夫です! 百合子さん・・・颯太さんも、これからも綺麗なダリアを育てて、理さんの想いを、たくさんの人に分けてやってくださいね」 百合子も颯太も笑顔で 「はい」と応えた。 健心たちは、振り向いて歩きだした。 と、その時だった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:58)
「ワン! ワン! ワン!」 『えっ?・・・』 大きな犬が走って来たのである。 その犬は、津路に向かって走っていた。 『えっ? ガッツなのか?』 それは紛れもなく、ガッツだった。 ガッツは、津路に飛びかかり、喜びを体いっぱいに現した。 『ガッツーーーーーーー!!!』 百合子が言った。 「ガッツの名前も知っていたんですか? 珍しいです、ガッツは、知らない人には、決してなつかないんです!」 津路は、ガッツとのいきさつを話した。 「そうだったんですかぁ、この子が・・・、ガッツが全ての始まりで、そして、こうして津路さんたちと逢うことが出来たんですねぇ・・・」 『元気でいたか? ガッツ!』 「ワン!」 しばらくは、津路とガッツの会話が続いた。 『可愛がってもらっているんだろう?』 「ワン!」 『しかし、大きくなったなぁ』 「ワン!」 『ガッツ・・・優さんが、いなくなって寂しいか・・・』 「クゥ~」 『そっか・・・』 『大好きだったんだな! 優さんのことが』 「ワン!」 百合子も颯太も健心も・・・二人の絆の深さを見せられた。 子犬だったガッツが、10年経った今でも、その時に大切にされた津路を忘れることがなかったからだ。 そして・・・ 津路とガッツの二度目の別れの時になった。 『じゃぁな、ガッツ! 元気でなっ!』 涙をこらえ、津路は振り向き歩き出した。 だが、その時だった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:59)
「ワン! ワン! ワン! クゥ~ クゥ~」 ガッツが津路に、まとわりついて離れないのだった。 『おい、ガッツ! 離れろよ!!!』 それは、一緒に連れて行ってくれと言っているようだった。 津路とガッツのいきさつを知った百合子は、ガッツの様子を見てこう言ったのである。 「津路さん・・・ガッツは、津路さんと一緒に行きたいと言ってるんじゃないですか?」 『えっ?・・・』 「津路さん・・・この子は、優さんと、そして津路さん、あなたの二人に助けられたことを忘れていないんですよね・・・今までは、優さんのそばで幸せだったんでしょうけど・・・津路さん・・・もし、良かったらこの子の気持ちを受け止めてあげてください・・・優さんはもういないんですから・・・」 『百合子さん・・・』 津路は、百合子の言葉に立ち止まって、ひざをついて、ガッツと向き合った。 『ガッツ・・・俺と一緒に行きたいのか?』 「ワン!」 それを確認した津路は、立ち上がってこう言ったのである。 『ふざけるな、ガッツ! お前は10年前に優さんを選んで、俺から離れてここに残ったんだ! 今さら、俺と一緒に帰りたい? わがままもいい加減にしろ!』 ガッツは、津路の言葉に驚いた表情を浮かべて、こうべを垂れた。 健心が 「おい、津路ぃ~・・・そんな言い方しなくったっていいだろうよ・・・見ろよ、ガッツ、すげー悲しそうにしてんだろうよ!」 百合子も 『津路さん・・・お気持ちは分かりますけど・・・そんな言い方したらガッツが・・・』 津路は、黙ってガッツを見たまま、二人の言葉に返事を返さなかった。 そして・・・
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:00)
津路は、ガッツに向かってこう言った。 『ガッツ! あのダリア畑を見ろ!』 ガッツは、津路が指さす方を見た。 『なぁ、ガッツ・・・あのダリア畑は誰が育ててきたんだ?』 『お前の大好きな優さんだろう? 違うか?』 「クゥ~」 『お前は、あのダリア畑の中で、たくさん遊んだんだろう?』 『なぁ、ガッツ・・・優さんはいなくなってなんかいないんだぞ! あのダリア畑の中で、お前を見守ってくれているんだ! 分かるか?』 『優さんを嫌いになったのか? 違うだろう! それに・・・、これからは、優さんに代わって百合子さんを守るんだろう? なぁ、ガッツ!』 すると、ガッツは立ち上がり、ダリア畑の中に走って行ったのである。 しばらく走り回って、津路の方に向かって 「ワン! ワン! ワン!」 と、吠えたのである。 『ガッツ・・・』 津路の目には、それまで我慢していた涙が溢れだしていた。 それを、ガッツに見せぬようにと、背中を向けてしゃがみこんだ。 すると、ガッツが津路に走り寄って、津路のほほを・・・ 『おい、やめろよ~ ガッツ、 ガッツってば』 「津路・・・」 『ガッツ・・・ガッツは、津路さんの言葉が全部理解できるのね』 「百合子さん・・・津路って、いいやつでしょ!」 『はい』 津路は、立ち上がってこう言った。 『ガッツ! また、ここに来るから! 百合子さんのことを頼むぞ!』 「ワン! ワン! ワン!」
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:02)
健心と、津路と夏美は、百合子と颯太、そしてガッツに手を振って車に向かって歩き出した。 すると、夏美が津路に 『あっ! 私は、一緒に帰るんじゃなかったんだっけ』 「そうだった!・・・って、今日までの間、どこにいたの?」 『軽井沢だよ! 今日も軽井沢から来たの!』 と、軽井沢で出会った多香子と達也の話を津路に聞かせたのだった。 「なぁ、ナッちゃん・・・」 『なぁに、俊成君』 「今度、みんなでここに来る時には、そのペンションでお世話になった二人も一緒に来てもらおうよ!」 『うん!』 歩きだして、また夏美が何かを思い出したかのように 『ねぇ、俊成君』 「なんだい? ナッちゃん」 『もらってあげてもいいよ!』 「えっ? 何を?」 『はっ? わ、分かんないの?』 「うん! ナッちゃん、何を言ってるの? 分かんない」 その二人の会話を、離れて聞いていた健心は、小声でつぶやいた。 「津路・・・指輪だよ」 『ねぇ、俊成君・・・冗談だよね? 本当に分からないの?』 「うん! 分かんない! えっ? なに? 言ってよ!ナッちゃん」 『そっ! じゃぁいい! 私も分かんないから』 「へんなの! ナッちゃん」 健心は、助け舟を出そうか迷ったが・・・ 『さぁ、栃木に帰ろうぜ!』と 夏美は 「うん! 私は、軽井沢によってから帰るね」と
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:03)
車に乗った健心と津路は、表情を変えた。 「津路・・・栃木に帰って、大仕事が待っているんだよな」 『あぁ・・・そうだな』 「なぁ、津路・・・美子都と萌仁香に手伝ってもらおうと思うんだけど、どう思う?」 『健心、それがいいよ!』 「・・・そうだな・・・なぁ、今、電話してもいいか?」 『あぁ』 健心は、ひとつ大きく呼吸して 「もしもし、美子都か? うん・・・なぁ、美子都・・・理さん・・・」 電話の向こうの美子都の泣き声が、津路にまで聞こえた。 あらためて、悲しみが込み上げてきた健心と津路だった。 「うん、分かった。近くなったら、また電話する・・・うん・・・ありがとう、美子都・・・あっ、うん、萌仁香にもよろしく伝えてな・・・あぁ、分かった、じゃぁあとで」 二人は、車の中で会話をすることも出来なかった。 時間が経つにつれて、余計に悲しみが増していったからだ。 そんな雰囲気を変えようと、健心が津路に言った。 「なぁ、津路・・・さっき、夏美さんが、もらってあげてもいいよ! って言ってたろう!」 『あぁ! って、なんだよ! 盗み聞きしていたのか?』 「違うよ! 聞こえるような声で会話していたろうよ」 『あっ? うん? うん、そうかも』 「でさ、お前本当に分かんなかったのかよ?」 『分かんねーよ!』 「まじかぁ・・・なぁ、津路・・・指輪だよ! 普通、分かると思うけど・・・」 『ギャァーーー!!! 健心! だめだ 戻れ! 早く、ナッちゃんのところに戻ってくれよ!』 「 (-_-)zzz 」 『おい、健心、何、寝てんだよ! って、馬鹿! お前運転中だろうよ!』 「あっ、そっか」 『健心! 頼むよ!』 「津路・・・もう手遅れだよ!」 『えっ? うそ・・・嘘だって言ってくれよ!』 そんな津路に、健心はこう言った。 「津路・・・二人になったら、もう一度やり直せよ! 夏美さんは、もうどこにも行かないよ! それをお前が信じなくてどうすんだよ!」 『あっ、そっか! んなら、早くそれを言えよ! 健心』 「・・・はい、はい」 そんな会話で、一瞬は盛り上がったが、やはり、二人ともそれ以上は、言葉を発する気持ちになれなかった。 栃木に入って、サービスに寄った健心が、美子都にもう一度電話をした。 「分かった・・・、あと30分ぐらいで行く」 電話を切った健心は津路に伝えた。 「蒼さん・・・いま、花風莉にいるって」 『・・・そっか』
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:04)
健心と津路が花風莉に着くと、美子都が駐車場まで出てきた。 『健心・・・』 「美子都・・・」 『健心、ごめん・・・わたし、蒼に何にも話せなかったの』 「あぁ、いいんだ」 『わたし・・・』 と、美子都はもう涙を流していた。 「バカだなぁ、俺達がしっかりしなくてどうすんだよ、美子都!」 そう言って、健心は美子都を勇気づけた。 いつもと違って、頼もしい健心だった。 それなのに・・・ 三人が花風莉に入ると、奥のテーブルに蒼がいた。 『あっ、健心さ~ん、お久しぶりでーす!』 「蒼さん、こんにちは」 と、健心が蒼を見ると 「えっ?・・・」 蒼が、両手いっぱいにダリアを抱きかかえていたのである。 「そ、そのお花は・・・」 『え~、健心さん、お花の良さが分かるのね! さっすがぁ~! このダリアは、萌仁香が探してくれたのよ! 私の一番好きなお花』 健心が、花風莉を見渡すと、店いっぱいにダリアが並べてあった。 萌仁香が言った。 「これねっ、長野からお取り寄せしているのよ! こんな綺麗なダリアがあるって知って・・・ねぇ、すごい綺麗でしょ!」 「えっ? ・・・長野から?」 健心がダリアに目をやると、そこには生産者の名前が書かれてあった。 生産者の名を見た健心は、泣き崩れてしまったのである。
「これは・・・」 そこには、こう書かれてあった。 「優の花農園」 肩を揺らして泣き続ける健心に蒼が 『えっ? どうしたの、健心さん・・・このダリアが、どうかしたの?』 健心が、思い描いていた蒼への説明の手順は、もう崩れ去っていた。 「蒼さん・・・このダリアは・・・この“優の花農園”の優さんとは・・・」 健心の話に、泣き崩れる蒼を、美子都と萌仁香が一生懸命に支えた。 健心は、理の想いと、百合子の想いをゆっくりと話した。 話を聞き終えた蒼は、ずっと目を閉じていた。 閉じた瞼からは、涙がひとつ、そしてまたひとつと流れ落ちていた。 萌仁香が、蒼の肩を抱いて 「蒼・・・」 『うん、ありがとう・・・萌仁香・・・わたし、大丈夫』 「蒼・・・」 『だって、理は、今・・・私の手の中にいるんだもの・・・そうですよね? 健心さん』 健心は、目を真っ赤にしてうなずいた。 蒼は、店の外にそっと目をやりこう言った。 『全ては、あの電話ボックスに栞が入ったことから始まったのよね』 「えっ?・・・」 『栞は、萌仁香と出会って、そして健心さんに支えられ・・・理の居場所は津路さんが・・・私と栞のところに理が帰ってきてくれたのも、みなさんがいてくれたから・・・このダリアだって・・・』 蒼は、ダリアを愛おしそうに抱きしめて 『このダリアと私を引き合わせてくれたのも、萌仁香が、いてくれなかったら・・・』 『ありがとう、萌仁香、美子都・・・健心さん、津路さん』 「蒼・・・」 健心が、蒼に言った。 「蒼さん・・・ダリア畑を見に行こう・・・理君が待っているよ」 『えっ? 本当にいいの?』 「あぁ、百合子さんも待っているよ・・・」 美子都が 「蒼・・・みんなで行こうね!」 『うん! 美子都』 ようやく、蒼に、かすかな笑顔が見えた。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:05)
蒼は、四人に見送られて帰っていった。 美子都が、健心と津路を労った。 『お疲れ様でした。 蒼も、これで良かったんだよね? 理さんと一緒に前に進めるんだもの』 「あぁ、・・・そうだな」 『津路君も良かったわね! 夏美さんと逢えて』 「うん! 健心のおかげだよ!」 「津路! それは違うよ! 津路が、諦めずに探し続けたからだよ!」 『そうよ! 津路君』 「まぁ、いつかは必ず戻ってくると思ってたけどな!」 「はぁ?・・・ホントか?」 「・・・いえっ・・・思っていませんでした」 「だべなぁ」 ようやく笑顔の戻った美子都が、健心に言った。 『あっ! そうだ、健心! もらってあげてもいいよ!』 「はっ? なに? 美子都 何言ってんの? 分かんないんだけど」 『ねぇ、健心・・・冗談でしょ? まさか忘れたとは、言わせないわよ!』 「はぁ?・・・・あっ、やっぱり分かんない」 その会話を聞いて、津路は健心に小声で言った。 「なぁ、健心・・・まさか、お前・・・お土産買ってくるとか言ってなかったんだべな?」 『ギャァーーー!!! 津路! だめだ 戻れ! 早く長野に戻るべ!』 「 (-_-)zzz 」 『おい、津路! 何、寝てんだよ! って、馬鹿! お前運転中? じゃねーけど! なぁ、津路! 頼むよ!』 「健心・・・もう手遅れだよ!」 『えっ? うそ・・・嘘だって言ってくれよ!』 そんな健心に、津路はこう言った。 「健心・・・ 美子都は怒らねーよ! それをお前が信じなくてどうすんだよ!」 『あっ、そっか! んなら、早くそれを言えよ! 津路』 自信をつけた健心が美子都に 「忘れました!! お土産」 『健心ーーーーー!!! あんたね、§◆☆Σ〓○&・・・』 「・・・はい、・・・はい・・・申し訳ございません・・・はい・・・はい」 「津路の嘘つき!!!」 萌仁香は津路に 『津路君・・・あの二人は、ずっとあのままだから』 「・・・そうだな」 ようやく美子都にお許しをいただいた健心は 「今度の土曜日・・・蒼さんを連れて」 『うん!』 すると、津路は 「俺、ナッちゃんと軽井沢によってから、向こうで合流するから」 「そっか、そうだったな」 花風莉のダリアが、夕陽にあたって、より綺麗にひかり輝いていた。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:07)
『津路さん・・・このお花畑が・・・』 「・・・そうだよ、蒼さん」 蒼は、栞の写真を胸に抱いて、 畑一面に咲き誇るダリアを見つめていた。 そして、栞の写真を優しい顔で見つめ 『栞・・・ここが理さんのお花畑だよ・・・見えるでしょ』 『本当に綺麗だよ・・・理』 『ありがとう ・・・理 』 仲間達と、夏美も多香子も達也も、 そして、百合子と颯太も、 村の人たちも、 皆が、蒼のそばに立って、まるで太陽のように光り輝く一面のダリアを見つめていた。 蒼は、振り向き、そして仲間達に向かってこう言った。 『ありがとう、津路さん』 『ありがとう・・・みなさん』 『わたし・・・みなさんに会えて良かった』 そして蒼は、百合子のそばに言ってこう言った。 『百合子さん・・・理は、いえっ・・・優さんは、百合子さんのそばで、幸せだったんですよね・・・ありがとう』 そう言って、百合子の手を握った。 百合子は、涙をいっぱいにためて、それでも笑顔で 「・・・はい」 そう応えて・・・、 でも、こらえきれずに、蒼の胸に顔をうずめて声を出して泣いた。 百合子も、気をしっかり持ち直して、みんなに向かってこう言った。 『わたし・・・理さん・・・優さんに逢えて幸せでした。 でも、これからも幸せでいれるのは、みなさんが居てくれたからです』 『わたし・・・みなさんに会えて良かった』 そう言って、ダリア畑の方に振り向いて大声を出した。 『優さーーーん! これからも、私を守ってね!』 それを聞いた蒼も 『理ーーー! これからも、私を守ってね!』 と 二人の間に走り寄ったガッツが 「ワン! ワン! ワン!」 と 風が吹いて、かすかではあったが、ダリアの優しい香りがした。 栞と蒼と理と百合子編 ~ 完 ~
マコト (水曜日, 20 7月 2016 20:29)
その日は、花風莉のフラワーアレンジメント教室の日だった。 美子都は、その教室に生徒として参加していた。 『あぁ~、お腹すいたぁ』 「大丈夫よ! ちゃんと用意してあるから~」 レッスンも終え、ようやく美子都のお楽しみの時間となったのである。 美子都の前に、あんドーナツとフルーツゼリーが、花風莉オリジナル珈琲と一緒に並べられた。 『やったぁーーー!!! さすが萌仁香先生!』 「気に入っていただけたかしら?」 『ありがたく、いただきます! う~ん、美味しい~~~』 “花風莉のフラワーアレンジメント教室の生徒”となることは、美子都の念願だった。 噂によると、アレンジメントの技術習得よりも、おやつがお目当てだという話もあったが、いずれにせよ、生徒になったのである。 こんなふうに、仲間達の生活も、普段通りの生活に戻っていた。 その日の教室では、“優の花農園”のダリアが教材として使われた。 実は、“優の花農園”のダリアは、科沼で静かなブームとなっていたのである。
マコト (水曜日, 20 7月 2016 20:50)
美子都は、携帯を取り出し、あんドーナツとフルーツゼリーの写真を撮り、LINEで、どこかに写メを送っていた。 そんな様子に気付いたミーちゃんが 「え~、美子都さん・・・どこに送ったんですか?」 『うん? 仲間達よ! 自慢してやったの! ほらぁ~、旨そうだろう! どうだぁ、どうだぁ! って』 そう言って、美子都は満面の笑み 「仲良しでいいなぁ・・・ みんな高校の時のお友達でしょ?」 『そうよ! 32年ぶりに同窓会をやって仲良くなった人も、たくさんいるのよ!』 「私も、歳をとってから、美子都さんのように仲良くお付き合いできる人がいるのかなぁ・・・」 『いるわよ! 私が、この花風莉にくるようになったのだって、萌仁香と一緒に同窓会の幹事をしたのがきっかけだもの』 「そうでしたよね」 『だから、幹事長の可夢生には感謝してるんだ!』 「えっ? 可夢生さんに?・・・だって、その時の代表をしたのはケンちゃんさんですよね?」 『あぁ~、あいつはお飾りよ!』 「お飾りぃ~?」 『そうよ! 人には、それぞれに役割があるのよ!』 「ふ~ん・・・その役割が、お飾り?・・・分かんない」 『いいの、いいの! ミーちゃんも私ぐらいの歳になれば、その意味が分かるようになるわよ!』 「ふ~ん・・・ねぇ、美子都さん・・・」 『なぁに、ミーちゃん・・・』 「寛司・・・寛司は元気にしていますか?」 『あっ、そっかぁ・・・ミーちゃんは、うちの寛司と高校の時の同級生だったのよね!』 「はい・・・」
マコト (木曜日, 21 7月 2016 06:41)
美子都は、笑顔でこう続けた。 『寛司、元気にしているわよ! 今年から社会人一年生、それなりに苦労しているみたいだけど・・・』 「そっかぁ・・・頑張ってるんですね、寛司・・・会いたいなぁ」 『あらっ、そうなの? じゃぁ、寛司に言っておくわよ! 』 朝倉寛司、23歳 母、朝倉美子都(53歳) 父、大槻玲飛(美子都の元夫) 寛司は、今年、帝応大学を卒業し大手製薬会社に入社した。 製薬会社での職種は、SAS 分かりやすく言えば、医薬品開発業務の仕事だ。 この業界では、異例中の異例で、大学院の研究生を経ることなく、その才能を買われて入社した。 将来の医薬品開発の第一人者になると期待されている男である。
マコト (木曜日, 21 7月 2016 19:34)
「ただいま、母さん」 『おかえり、寛司 お風呂にする? 食事にする? それとも・・・』 「・・・・・ 母さん、いい加減、そのくだりは止めてくれよ! それ、意味分かって使ってんの?」 『えっ?』 「・・・まぁ、いいか・・・言っても治らないんだから」 『はっ? なんか言った?』 「なんでもない!」 『食事してきたの?』 「あぁ、友達と済ませてきたよ!」 『友達って、誰と?』 「はぁ? いいだろう、誰だって!」 そんな返事をすると、必ずライダーキックが飛んでくるのである。 「わ、わ、分かったよ! 言うよ! 愛子とだよ!」 そんな初耳の女の子の名前を聞くと、必ず美子都ノートを取り出し 『はい、ちゃんと言って! まず、名前は?』 「え~・・・もう俺は23にもなったんだから、いい加減に子離れしてくれよ!」 老眼鏡をかけ、ノートに向かう美子都は、寛司のそんな返事に表情を変えると、ウェストポーチを持ち出し、それを腰に付けて、 『昭和の女をなめるなよ! ライダー~~~変身! トォー!!!』 と、重い体にムチ打って飛び跳ねた。 「わ、わ、分かった、言うよ! 」 『はい、名前!』 「片桐愛子さん」 『片桐? まぁ、いいか』 『はい、年齢!』 「23歳、僕と同い年だよ!」 『仕事は?・・・』 質問は、次から次へと続いたのである。 この時の美子都は気づいていなかったが・・・ 片桐愛子、23歳 父は、片桐壮健なのである。 愛子は、明知大学を卒業し、今年、寛司と一緒に入社した女の子 職種は、CRC 分かりやすく言うと、治験関連の事務作業、業務を行うチームの調整など、治験業務全般のサポートを行うチームに配属されたが、主に治験に協力いただける被験者さんへの対応を任されることになるのだった。 美子都は、老眼鏡をおでこに乗せ上目づかいで聞いた。 『彼女?』 「はぁ?・・・」
マコト (木曜日, 21 7月 2016 22:13)
『まっ、今日のところは、これぐらいでいいか!』 と、ようやく寛司を解放した美子都 寛司は、やれやれとお風呂へ 風呂から出てきた寛司が、ポンポンで部屋を歩いていると 『あなたねぇ、お母さんだって、一応レデェーなんだから!』 「はっ? レデェー?」 『そうよ! レデェーでしょう!』 「・・・あっ、レディね・・・母さん! 明日、また早いから先に休むよ!」 と、美子都は何かを思い出したように 『あっ! 寛司! 話があったんだわ』 「なに? 早く言ってよ! 団子」 『花風莉のミーちゃんが、あなたに逢いたがっていたわよ!』 「花風莉? ミーちゃん? 誰? それ」 『え~、あんた花風莉を知らないの?』 「・・・うん」 『今ね、長野からダリアを取り寄せてね、すごい人気のお花屋さんよ!』 「ふ~ん・・・で、ミーちゃんって?」 『進藤・・・進藤美優ちゃんよ!』 「あぁ、進藤かぁ・・・って、進藤、お花屋やさんやってるの?」 『うん! お母さんと一緒にね!』 「高校卒業してから、会ってないけど・・・覚えていたんだ? 俺の事」 『もちろんよ! 逢いたがっていたわよ! あなたに』 「ふ~ん・・・」
マコト (金曜日, 22 7月 2016 00:05)
翌日・・・ 「愛子! おはよう」 『あぁ、朝倉君! おはよう』 母親のライダーキックに、歩き方がぎこちない寛司に、 『どうしたの? びっこひいてるけど・・・』 「あっ、いやっ・・・ちょっとね」 子離れできない母親に、ライダーキックをくらってと、さすがに言えない寛司は、その場をうまくやり過ごした。 『じゃぁ、今日も一日頑張ろうね!』 「おぅ!」 相武紗季似の愛子の入社に、社内では、すでに愛子の争奪戦が勃発していたのだった。 実は・・・寛司もそのうちの一人であったのである。 ちなみにではあるが・・・ 寛司は、朝倉美子都似である。 美子都をそのまま23歳の青年にすると、寛司になるのであった。
マコト (金曜日, 22 7月 2016 12:31)
その週末・・・ アレンジメント教室を終えた美子都が、お楽しみのティータイム中に 『あっ! そうだ! ミーちゃん・・・寛司に話しておいたからね!』 「えっ? ホンとですかぁ・・・あ、ありがとうございます」 美優は、至極嬉しそうに笑った。 美優が、 「寛司は、なんて言っていましたか?」 と、聞こうとしたが、美子都は、好物の“みたらし団子”でシマリス状態。 “話しかけてくれるなオーラ”を発していた。 「み、美子都さん・・・」 と、次の言葉を飲み込んでしまった美優は、それでも、美子都の言葉を信じて両手を胸の前で合わせ 「良かった!」 と、店の仕事に戻って行った。 若い女の子の恋心を理解できる者であれば、その時の美優の笑顔が、寛司に対する特別な想いがあるのかもと、感じていたであろうが・・・ 残念ながら、その時の美子都には、それと感じる感覚は持ち合わせていなかったのである。 昭和の女が、“淡い恋心”というものから遠ざかってしまったがためなのか、 はたまた、ただ単に、鈍感だったためなのか。 いずれにせよ、美子都がもう少し、美優に気を使っていれば・・・ ティータイム中は、それまでの生徒とは別人のように元気な美子都だった。 そんな時だった。 花風莉の駐車場に、1台の車が停まった。 それに気付いた萌仁香が、 「あらぁ、健心だよ! あれ、健心の車だよね!」 美子都が外に目をやると、健心と、もう一人若い女の子が車から降りてきた。 『えっ?・・・誰? 誰なの?・・・』
マコト (金曜日, 22 7月 2016 22:09)
まさか、美子都が花風莉に来ていようとは・・・ 健心は、美子都に見られているとも知らずに、花風莉の駐車場で指をさして、女の子になにやらお店の説明をしているようであった。 美子都が、その日、たまたま車検で代車を乗ってきていたがために・・・ 美子都は、険しい表情に変わっていた。 『誰なのよ!』 と、その女の子をみると、若いころの“森高千里さん”にそっくりな女の子だった。 『へぇ~、健心のストライクど真ん中な女の子ね!』 サラサラな長い髪が、印象的な女の子だった。 それでも、ノースリーブのカットソーにカジュアルなデニムパンツとスニーカー 女の子、女の子することもなく、ボーイッシュでまさに健康美溢れるという表現がぴったりな女の子だった。 普段、美子都には見せたことのないようなアヒルな、あっ、いやっ、ニヒルな健心に、 『な~んか、あったまきた!』 と、ようやくシマリス状態を脱した美子都が、店を飛び出していった。 「美子都ーーー!!!」 と、萌仁香の制止も聞かずに。
マコト (土曜日, 23 7月 2016 18:10)
花風莉の駐車場で・・・ 『あ~ら、健心! こんにちは!』 「おぉ~ 美子都!」 少しは落ち着いて話せばいいものを、美子都は 『そちらの女性は誰? ずいぶんと綺麗な女の人を連れて歩いているのね!』 と、鬼の形相で健心に言った。 「だ、誰って・・・」 『はぁ~ 言えないような間柄なんだ!』 「はっ?・・・」 と、次に健心が言った言葉に美子都は・・・
マコト (月曜日, 25 7月 2016 08:16)
5分後・・・ 花風莉の店の奥にあるテーブルには、 笑顔の萌仁香と美優 健心と髪の長い女の子 鬼の形相だった美子都は・・・ ひとり、小さくなっておとなしく座っていたのである。 「ねぇ~ 美子都・・・ 食べないの?」 と、萌仁香がみたらし団子を美子都に差し出したのに 『あっ、わたし・・・私は、さきほど美味しくいただきましたので・・・』 「はぁ? 珍しいこと言うのね、美子都!」 『そ、そんなぁ・・・私は、本当にもういただきましたから・・・萌仁香さん』 「はっ? なに? も、萌仁香さん? さん? って、なによ、気持ち悪いわねぇ 美子都! いつものように食べなよ! 美子都」 腹の中では、 『もぉ~、いい加減にして! 私を、そんなにいじらないで!』 と、思っていた美子都であったが、 『あっ、わたしは、本当に・・・ホッ、ホッ、ホ』 そんな美子都に、健心は、こう言って助け船を出したのである。 「大丈夫だよ、美子都! 全部、話してあるから!」 髪の長い女の子も 『はい』 と、美子都に微笑んだのだった。
マコト (月曜日, 25 7月 2016 12:59)
実は、5分前・・・ 健心は、駐車場で鬼の形相の美子都にこう言っていたのである。 「娘の梨花(リカ)だよ!」 『えっ? ・ ・ ・ り、り、梨花ちゃんだったの?・・・』 梨花は笑顔で 『こんにちは、美子都さん!』 『あっ・・・あ、こ、こんにちは』 それならそうと早く言ってくれよ! という眼差しの美子都であったが、自身も、健心の話を遮るように話していたことは分かっていたので、その時の美子都は、鬼の形相をただひたすら“仏の美子都”の顔へ戻すことに全力を費やすことしか出来なかったのである。 梨花とのそんな初対面を終え、花風莉に入った直後であったがために、元気のない美子都だったのである。 小野寺梨花、23歳 父親は、小野寺健心 母親は、奥谷希咲(健心の元妻)である。 希咲に似て、美人である。 梨花が笑うと、希咲が笑ったときの“あの笑顔”が思い出される。 仲間達の誰もが 『わぁ~、その笑い方・・・希咲にそっくりね』と そんな梨花であるが、なぜ、“森高千里”さんに似たのかは不明であるが、長い髪が印象的な女の子だ。 今年、早畑大学を卒業した梨花は、ある製薬会社に就職した。 そう、その製薬会社は寛司が勤務する会社とはライバル関係にあり、常に技術競争、販売競争を繰り広げている会社なのである。 梨花は、愛子と同じように「CRC」 主に治験に協力いただける被験者さんへの対応を任されることになるのだった 仲間たちが、花風莉で談笑しながらも、 『はぁ・・・』 と、ため息をつき、元気のない美子都 健心の娘・梨花に初めて会った美子都は、とんでもない初対面の印象を与えてしまったと悔いたが、時すでに遅しであったのである。
マコト (月曜日, 25 7月 2016 20:06)
だが、梨花はとても気の優しい女の子 しかも、健心から、美子都がどんな女の子であるのか聞かされていたため、 「皆さん、ホンと楽しい人達ですよね!」 と、美子都に声をかけた。 『えっ?・・・そ、そうでしょう!』 と、それまで黙っていた美子都であったが、ようやく普段の優しい美子都に戻った。 そして 『ねぇ、ねぇ梨花ちゃん! このみたらし団子はね! ・・・』 その後、美子都がどうしたのかは容易に想像がつくであろうから、説明は割愛する。 美味しそうにみたらし団子を頬張る美子都を優しく見守る梨花に、萌仁香が聞いた。 「ねぇ梨花ちゃんはいくつなの?」 『はい、23歳になりました。 今年、社会人一年生です』 「えっ? じゃぁミーと一緒じゃない?」 『えっ? ミーさん? ですか』 「うん! うちの娘よ! 待って、いま、呼ぶから! ミー! ミー、こっちに来なさいよ!」 呼ばれた美優が、テーブルのある部屋に来た。 「ミー、健心の娘さん! 梨花さんよ!」 『えっ? ケンちゃんさんの? ・・・こんにちは、美優です』 『こんにちは、梨花です』 萌仁香が、 「梨花さんね、あなたと同い年なんだって!」 『え~、ホンと? じゃぁ、ぜひお友達になりたいなぁ』 そんな美優に梨花も、笑顔で 『はい! 私も、ぜひ!』 その時が、美優と梨花の初めての出会いであった。
マコト (月曜日, 25 7月 2016 20:08)
健心が、店内に目をやると、そこには店いっぱいにダリアが置かれてあった。 「たくさんあるね!」 萌仁香も嬉しそうに 「うん!」 萌仁香、健心と美子都は、感慨深げにダリアを見つめていた。 「ほんと、綺麗よねぇ・・・」 健心が、梨花に説明しようと 「梨花! このダリアがな・・・」 と、振り向くとそこにはもう梨花はいなかった。 「・・・って、いねんかい! どこ行った?」 面々が、店の外に目をやると、美優と梨花が庭先で談笑していた。 『ねぇ、健心・・・二人は、もうすっかりお友達になったみたいね!』 「あぁ、そうだな! 萌仁香」 年寄り組の三人が、二人の様子を見ていると、梨花が 『やったーーー!!!ホンとだぁ~ すごい! ゲットできたぁ』』 と、スマホを突き上げた。 (美子都)『何してるのかしらね? あの二人』 (健心)「ポケモンGOじゃねー?」 (美子都)『はぁ? なにそれ?』 (萌仁香)「えっ? ま、ま、まさか知らないの? ポケモンGO」 (美子都)『・・・う? うん・・・』 (萌仁香)「梨花ちゃん・・・きっと、レアなポケモンをゲットしたんじゃないのかな?」 (健心)「えっ? いるの?」 (萌仁香)「うん! いるよ! 花風莉の庭にね!」 (健心)「えっ? 早く言ってくれよ! 俺も捕まえてくるわ!」 庭先では、美優と梨花、そして健心が、スマホを見せ合い、なにやら会話をしている。 (美子都)『ねぇ、萌仁香・・・』 (萌仁香)「なぁに? 美子都」 (美子都)『あの人たち、いったい何をしているの?』 (萌仁香)「だから・・・ポケモンGOだって!」 (美子都)『 (-_-)zzz 』 健心が帰ってきた。 (健心)「ありがとね! ゲットできたよ!」 (萌仁香)「どういたしまして! なんかねぇ、お花の匂いで、いろんなポケモンが集まってくるみたいよ!」 (健心)「そなんだ! 分かった、時々捕まえにくるから!」 (萌仁香)「いつでも、どうぞ! 私は、もうたくさんゲットしたわよ!」 (健心)「すげーな!」 (美子都)『 (-_-)zzz 』 美優と梨花は、庭でいつまでも楽しそうに会話をしていたのだった。
マコト (火曜日, 26 7月 2016 12:57)
「お~い、梨花! そろそろ帰るぞ!」 『は~~い!』 帰り支度をしながら梨花は、美優に 「じゃぁ、近くなったら連絡するね!」 『うん!』 (萌仁香)「えっ? あなたたち、もう何か約束したの?」 (美優)『いいでしょ! なんだって』 (萌仁香)「何か、楽しいこと決めたんでしょ! お母さんたちは抜きで!」 (美優)「そうよ! 楽しいこと」 (萌仁香)「え~ 私にも教えてよ!」 美優は、萌仁香の言葉に梨花の方を向いて、 (美優)「うるさいでしょ~! うちの親」 そんな会話に健心が加わった。 (健心)「梨花! なんだ? またコンパでもやるのか?」 (梨花)「うん! お父さんも来る?」 (健心)「そうだなぁ・・・どうしようかな?」 と、そんな会話になれば美子都も黙っていない。 (美子都)『は~ぁ??? コンパ? 健心が? 出るの?』 (健心)「あぁ・・・梨花から誘われちゃさぁ・・・」 (美子都)『なに考えてるのよ! この53歳のオヤジわ!』 すると、梨花がこう言って笑ったのである。 (梨花)「美子都さん・・・お父さんとは、いつもこんな感じで話すんですけど、もちろん一度もついてきたことないですよ!」 (美子都)『はっ?』 (梨花)「うちの親子は、隠し事をしないようにしていたら、何でも話すようになっちゃって・・・お父さんには、全部話すんです」 (美子都)『そ、そうなの? 健心』 (健心)「あぁ・・・この歳になってコンパだなんて・・・そんな“年寄りの冷や水”みたいなことしないよ!」 (美子都)『いやいや、そっちじゃなくて・・・梨花ちゃん、何でも話してくれるの?』 (健心)「うん? あぁ、話すね・・・」 (美子都)『そうなのねぇ・・・』 その時の美子都は、自分の息子・寛司と・・・思い出していた。 美子都は、健心だけに聞こえるような小声で (美子都)「ねぇ、健心って、うるさい父親だったの?」 (健心)「その逆だよ! な~んも言わないし、聞かない! あまりにも聞かないから、逆に言ってくれるんじゃないの? よく、分かんないけど・・・まぁ、親は子供を信じてやるしか出来ないからさ!」 そう言って笑った。 母と息子 父と娘 性別は違っていても、親子であることには変わりはない。 その時の美子都は、健心親子が、とてもうらやましく思えたのであった。
マコト (火曜日, 26 7月 2016 21:24)
花風莉を出た健心と梨花 車に乗り込んで直ぐに梨花が 『友達に電話してもいい?』 「あぁ、いいよ!」 梨花は、サンキューとスマホを取り出し 『あっ、朝彦? うん・・・うん・・・あのさ、お友達が出来たの! 同い年の子・・・うん・・・えっ? 美優ちゃん!・・・うん・・・お花屋さん・・・そう・・・うん?花風莉っていうお店・・・うん・・・でさ、飲もうよ! ・・・うん・・・うん、分かった!・・・うん、じゃぁその時!』 電話を終えた美優に健心は 「朝彦・・・元気にしてるか?」 『うん! お仕事も頑張ってるよ!』 「そっかっ・・・お前らがまさか同じ会社に勤めるようになるなんてなぁ」 『そうねっ』 新城朝彦 23歳 父親は、新城可夢生である。 高校時代から、可夢生の家によく遊びに行っていた健心は、朝彦のことをよく知っていた。 朝彦が梨花と同じ会社に就職したことも、なんでも話してくれる梨花から聞いて知っていたのである。 当然、健心から朝彦のことをいろいろ聞かされていた梨花が、朝彦と仲良くなるのは至極当然であった。 朝彦は、“綾野剛”似の今どきの好青年である。 父親の可夢生の血をしっかり受け継いだのか、正義感、責任感の強い同性からも好かれるタイプの男である。 「楽しく飲んで来いよ!」 『うん!お父さん』 「軍資金はいらないのか?」 『え~、お父さん! 私はもう社会人よ! いつまでも子ども扱いしないでよ!』 「いやっ、いくつになっても父さんの子どもには、違いないだろう?」 『えっ? ・・・そっか! じゃぁ、お言葉に甘えて』 「 (-_-)zzz 」 『寝るなぁーーー!!!』 結局は、健心の財布から「キジ」が飛んで行ったのであった。 さようなら・・・福沢諭吉様 また会う日まで。
マコト (火曜日, 26 7月 2016 21:25)
健心と梨花が帰ったあと・・・ 花風莉には、元気のない美子都がいた。 「どうしたの?美子都・・・」 『えっ? なに? 萌仁香』 「もぉ~、ぼーっとして! 何か考え事していたの?」 『あっ、いやっ・・・なんでもない』 「あのね! なんでもない人が、そんな顔してないから!」 『えっ? なに? 変な顔してる?』 「もぉ~・・・美子都」 実は・・・ その時の美子都は、娘の桃子のことを思いだしていたのであった。 桃子、 25歳 父親は、大槻玲飛 母親は、朝倉美子都 それは、桃子が15歳の時だった。 その時の桃子は、両親の離婚には反対はしなかった。 だが・・・ 桃子は、父親の玲飛と暮らすことを選んだのである。 美子都は、玲飛と離婚してから、桃子とは一度も会っていなかった。 美子都は、そのことに納得がいかなかった。 『どうしてお父さんなの? 私のどこが気に入らないの?』 桃花は、決して答えなかった。 それ以来、親子としての連絡も取らず、10年が過ぎていた。 桃花は、玲飛が美子都に会うことは、拒否はしなかった。 だが、玲飛に一つだけ条件を出していた。それは、 「お母さんには、私のことは、何も話さないでね!」 だった。 母と娘でありながら、連絡ひとつ取れない美子都 健心と梨花の仲良しなところを見せられ・・・ 「ねぇ、美子都・・・」 『なぁに、萌仁香・・・』 「あのさっ、間違っていたらごめんね! 美子都・・・もしかして桃子ちゃんのこと考えていたんじゃないの?」 『えっ?・・・』
マコト (火曜日, 26 7月 2016 21:27)
突然に萌仁香にそんなことを言われ、思わず“すっとんきょう”な顔になってしまった美子都。 『な、なんで分かるのよ・・・萌仁香』 「えっ? だって、同じ釜の飯を食べてきた仲間でしょ!」 『う~ん・・・その同じ釜の飯っていう部分が微妙な使い方だけど・・・うん・・・』 「やっぱりそうだったのね・・・美子都・・・梨花ちゃんを見ている時の美子都・・・いつもと違っていたんだもの」 『えっ? 違った?』 「うん! 梨花ちゃんを健心の娘とは知らずに、健心につっかかっていったことをいじっていたけど・・・美子都・・・もしかしたら桃子ちゃんと重ね合わせているのかなぁって・・・だからさっきは、賑やかにしてあげた方がいいかなぁって思ってさ! たっぷりいじった訳よ」 『萌仁香ぁ・・・そうだったのね、ありがとう! さすが私の竹馬の友ね!』 「う~ん・・・その竹馬のっていう部分が微妙な使い方だけど」 「ねぇ、美子都・・・桃子ちゃんは元気にしているんでしょ?」 『・・・それが・・・分からないんだ』 「えっ? 玲飛に聞いてないの?」 『・・・うん』 「どうして?・・・美子都」 『だって・・・私が捨てた娘だもの・・・』 「はぁ? 捨てた? それは違うわよね! 美子都」 『だって・・・』 下を向いて涙ぐむ美子都に萌仁香が 「ねっ、美子都! 私が、それとなく玲飛に聞いてみようか?」 その時の美子都の判断が、悲劇をさらに加速させることになろうとは・・・ 美子都も萌仁香も知る由もなかったのである。 『えっ?・・・でも・・・』 「大丈夫よ! 私、聞いてみるから」 『う~ん・・・』
マコト (火曜日, 26 7月 2016 21:28)
実は・・・ 桃子は、玲飛の反対を押し切って19歳で結婚していた。 もちろん、そのことを美子都は聞かされていなかった。 桃子は、20歳で子どもを授かった。 難産であったが、無事に優希(ゆうき)という男の子が生まれた。 そう、美子都の孫だ。 桃子の夫は、仕事に追われ、出張続き。 優希が熱を出しても、母親という頼る場所がなかった桃子は、一人で必死に頑張った。 孫が熱を出したと、飛んできてくれる人が誰もいなかったからだ。 若くして結婚した二人には、当然のように経済的にも苦労した。 そのため、桃子は、優希を生後6カ月から保育園に預け、自分もパートで働いた。 誰かに甘えたいときもあった。 それでも桃子は、自分で選んだ道が間違いではなかったと思いたいがために、決して泣き言は口にしなかった。 大好きな人との暮らしは、とても幸せなものだったからだ。 そう・・・幸せだったのである。 それは、優希が5歳になって、保育園にも楽しく通っていたある日のこと あることが起きた。 その日を境に桃子の人生は・・・ そのことを美子都は知らなかったのである。
マコト (水曜日, 27 7月 2016 21:56)
梨花と美優は、「居酒屋ニチョウ」にいた。 『この居酒屋さんって、個室だったのね!』 「あれっ? 梨花は、ここ初めてなの?」 『うん・・・なかなか来る機会がなくてさ・・・』 「素敵なお店でしょ!」 『うん!』 「お料理もね、リーズナブルなのよ! あっ! 美優、聞いて!今日ね、私のお財布に福沢さんがいるのよ!」 『はっ?』 「ケンちゃんさんが、楽しく飲んで来いって出してくれたの!だから、今日は私に任せて!」 『ケンちゃんさんって・・・ケンちゃんさん?』 「そう!」 『へぇ~ 優しいお父さんでいいなぁ』 「え~・・・ただのオヤジだよ! すごくストイックにダイエットしたかと思えば、今は臨月に近いし・・・最近は温泉が趣味で、一緒に連れていかれるし・・・とても不思議な人」 『え~ でも仲良しよねぇ』 「仲良しかなぁ・・・よく分かんないけど・・・早く再婚してもらって、私もお嫁さんに行かなきゃ!」 『へぇ~ お父さんに再婚してもらいたいの?』 「そうねぇ・・・だって、これからボケた時に・・・私が面倒みるの? まぁ、娘だからそれは仕方ないことでしょうけど・・・できればねっ」 『・・・そっかぁ』 『しかし、遅いわねぇ・・・ 朝彦!』 「えっ? いま、朝彦って言った?」 『そうよ! えっ? どうかした?』 「ねぇ、その朝彦っていう人・・・綾野剛に似てる?」 『えっ? うん! 似てる!』 「朝彦って、新城朝彦君?」 『当たり~! 私と一緒に入社した同僚!』 「私の高校の時の同級生だよ!」 『えっ? そうだったのぉ~』 「へぇ~ 朝彦君が来るのかぁ・・・懐かしいなぁ、朝彦君が梨花と同じ会社に就職していたなんて、びっくり~」 『ほんとね、びっくり! えっ? じゃぁ、もう一人も美優の同級生ってこと?』 「えっ? どういうこと?」 『朝彦が言っていたの! 高校の時の同級生を連れていくよ! って』 「うそ~、なんか同窓会みたいになりそう! でも、誰が来るんだろう・・・」 期待に胸を膨らませる美優であったが、この時の出会いが、それぞれの人生を大きく動かすことになろうとは、思ってもいなかったのである。
マコト (水曜日, 27 7月 2016 22:12)
30分後・・・ 朝彦が、梨花と美優の待つ部屋に現れた。 「ごめん、梨花! 仕事が伸びちゃって・・・」 『お疲れ~ 朝彦! 大丈夫よ! 先に女子二人で楽しんでいたから』 「ごめん、ごめん」 『あれっ? 朝彦・・・もう一人連れてくるって言ってたよね?』 「あぁ・・・来てるんだけど、それがさぁ・・・」 と、入り口の方を向く朝彦 『どうかしたの?』 「・・・うん? う、う~ん・・・早く入って来いよ! 寛司!」 「えっ?・・・」 至極申し訳なさそうに朝倉寛司が入ってきた。 「ちわっ」 寛司が現れて、一番驚いたのは美優だった。 『か、寛司くん?・・・』 寛司は、右手を頭の後ろにやって 「よっ、進藤・・・おふくろからは聞いていたんだけど・・・こっちから連絡もせずに・・・ごめん、進藤」 『びっくり~~ 久しぶりね、寛司くん!』 「あぁ、進藤・・・綺麗になったな」 そんな会話に 『ねぇ~ そちらのお二人さん! 挨拶はそこそこに、早く、始めようよ!』 「ご、ごめん・・・」 『ゴメン、梨花』 その部屋に四人が揃った。 それは、みんな同い年の23歳 偶然にも、梨花が誘ったのが、美優の同級生の朝彦 そして、朝彦が誘ったのも、同級生の寛司だったのである。 結果的に、美優は逢いたかった寛司と久しぶりの再会をはたし、朝彦も加わって、プチ同窓会となったのである。 そう、その時が寛司と梨花が初めて出会った時だったのである。 この時の四人は、自分の親たちが、みんな高校の同級生であることを知るはずがなかった。 当然、寛司と梨花も、まさか自分の母親と父親が婚約していようとは・・・ 「かんぱ~~い」 四人が意気投合するのに、時間はまったく必要なかった。
マコト (水曜日, 27 7月 2016 22:15)
「えっ? うそ? 本当にその会社なの?」 それは、梨花と朝彦が、寛司と同じ業界の会社に勤めていることを聞かされたときの寛司の驚きの声だった。 寛司は、驚いて一瞬考え込んだが、それでも 「お互い、切磋琢磨して頑張っていこうな! 梨花ちゃんとも、せっかく友達になれたんだし、俺たちで医薬品業界を支えていくんだ! みたいなさ!」 と、笑った。 梨花も朝彦も 「そうだよな! きっと縁あってこうして出会えたんだから、大切にしていこうぜ! 俺たちの付き合いをさ」 「おぉ、そうだな 朝彦! 梨花ちゃん!」 それを見守る美優は、寛司から視線を外すことなく 「頑張って! 寛司君!」と 梨花が 『え~ 美優・・・寛司君にだけ?』 「ご、ごめん・・・梨花も朝彦君も!」 「次、なに飲む?」 『わたし、カシスリキュールがいいな!』 「おっ! 梨花ちゃんは、カシスリキュール! あとは?」 『私は、ブラッディ・メアリー! 寛司君よろしく!』 と、梨花がこんなことを言った。 『ねぇ、美優・・・なんか寛司君に幹事クンをお願いしているみたいだよ!』 「えっ? ほ、ほんとね!」 『じゃぁ、わたしは・・・そうねっ・・・よし! “カンチ”って呼ぼうかな! カンチ!』 寛司は 「あぁ、好きに呼んでくれて構わないよ! 進藤も寛司でいいぞ!」 『え~ そうしたらカンチだって、美優!って呼んであげなよ! 私は、梨花! そうしてよ! カンチ!』 「そうだな、梨花! じゃぁそうしよう、美優、ブラッディ・メアリーだよな!」 美優は、少し恥ずかしそうに 「う、うん・・・よろしくね、か、か、寛司」 それから四人は、名前を呼びあうようになった。 梨花だけは、朝倉寛司を“カンチ”と呼んだ。
マコト (木曜日, 28 7月 2016 21:22)
四人の初めての飲み会も終わりの時間になった。 最後に寛司が、こんなことを言った。 (寛司)「また飲もうぜ!」 (梨花)『そうね! ぜひ』 (朝彦)「あぁ、そうだな!」 (美優)「私も!」 (寛司)「なぁ、みんなに頼みがあるんだけど・・・、次回は、俺と同期入社の女の子も呼んでいいかな? “愛子”っていうんだ」 (梨花)『同期の?いいんじゃないの、楽しそう! ねっ、美優!』 (美優)「うん!」 (寛司)「愛子は、同い年で、梨花と同じCRCなんだ!」 (梨花)『えっ? じゃぁ、ぜひお友達になりたい!』 (美優)「ねぇ・・・そのCRC? って、なに?」 (寛司)「そっか、美優には、なんのことか分からないよな! CRCは、医薬品業界の職種の一つで、主に治験に協力いただける被験者さんへの対応が仕事なんだ!」 (美優)「ちけん? 亀丸検事のいる?」 (寛司)「はっ? 検事?・・・あぁ、その地検じゃぁないんだぁ美優」 (梨花)『カンチ! 私が、美優に説明してあげるね!』 (寛司)「あぁ、その方がよさそうだな!」 (梨花)『あのね、新しい医薬品は、それを販売するためには、臨床試験が必要なの。その試験が治験と呼ばれるものなんだけど、製薬会社が実施計画書をつくり、医療機関に依頼する形が一般的なのよ。 私のお仕事、CRCが、病院で行う治験の際に、協力いただける被験者さん・・・う~ん・・・そのお薬が有効か、有効ではないのかって、実際にお薬を試していただく方・・・その方へのいろんなケアをさせていただくのが、私のお仕事なの』 (美優)「大変なお仕事なのね・・・」 (梨花)『う~ん・・・そうねぇ・・・私たちのような医療機関の職員が被験者になることは禁じられていないんだけど・・・参加を断ると不利益を受けるおそれがあるとして、自発的な参加同意に十分な配慮が必要とされるの・・・要するに新しいお薬を人体実験する訳だからね・・・たくさんのリスクもある訳だし・・・』 (美優)「なんか、すごく難しい話・・・私にはよく分からないけど、これだけは言えそうね! みんな、命を救うお仕事に携わっているのね」 (梨花)『・・・そうね』 (美優)「じゃぁ、私は、みんながいつも心が癒されるように・・・」 (梨花)『美優! その先は私に言わせて! 私たちは、花風莉のお花に癒されて頑張ります!』 (美優)「梨花・・・うん!」 美優も梨花を嬉しそうに笑った。
マコト (木曜日, 28 7月 2016 23:39)
四人が、店を出て外でタクシーを待っていると、梨花が寛司の隣に行って、 『ねぇ、カンチ! アドレス交換しよう! まずは、LINEから!』 「はいよ!」 そんな二人の様子を美優は、一歩下がって見守っていた。 心の中では 「美優も交換しようぜ!」 と、寛司が言ってくれるはずだと思いながら。 なぜか、寛司と美優が楽しそうにやり取りする様に、変な気持ちを覚えた美優だった。 「えっ? なに? この気持ち・・・美優のバカ! 子どもじゃぁあるまいし!」 交換を終えた二人だったが、その後も談笑していて、美優が描いていた展開には、なりそうになかった。 梨花のように自分から頼もうかと悩んだ美優だったが、うまくそのタイミングがつかめなかった。 そしてようやく、決心がついたとき・・・ 「えっ?・・・」 タクシーが、到着してしまったのである。 「じゃぁ、また!」 『じゃぁね! カンチ!』 「おっす! 美優もまたね!」 『あっ、・・・う、うん、またねぇ寛司 朝彦も、またね!』 タクシーを見送った美優と梨花 『さっ、私たちも帰ろう! 美優』 「うん!・・・って、私たちのタクシーは?」 その言葉に梨花は、広い駐車場を見渡し 『ほらっ、あそこに停まってるよ』 「えっ?」 それは、健心タクシーだった。 「え~~ ケンちゃんさんが迎えに来てくれたの?」 『うん!』 「えっ? ケンちゃんさんって、娘のことが心配で、迎えにまで来てくれるの?」 梨花は笑ってこう言った。 『そんなことしないわよ! うちのケンちゃんさんわ!』 「えっ? でも、迎えに・・・」 『白タクよ! 今日は、時間が遅いから・・・それでも5,000円で契約したの!』 「えっ? 白タク? ようは、お金を払うの? ケンちゃんさんに?」 『そうよ! そうでなかったら、絶対に来てくれないわよ! うちのケンちゃんさんわね!』 「お・も・し・ろ・い・・・親子」
マコト (木曜日, 28 7月 2016 23:41)
『お待たせしました!・・・って、寝てるし!』 梨花は、窓ガラスをノックして健心を起こした。 『お待たせしました!』 「あっ、ご、ご利用ありがとうございます! 健心タクシーです」 『ねぇ、美優が前に乗って道案内して』 「えっ? うん、分かったぁ」 二人が、健心タクシーに乗り込むと梨花は 『自宅までお願いします! ・・・おやすみなさい』 「はぁ?・・・」 と、美優が後部座席をみると、もう梨花は幸せそうな顔でスヤスヤと。 「よ、よろしくお願いします」 「かしこまりました! ご自宅までお送りさせていただきます」 『ケンちゃんさん親子って、楽しいですね!』 「そうですかぁ・・・父親と娘の関係って、よく分からないですけど・・・どうなんでしょうかねぇ・・・」 『そ、そんな丁寧な話し方されると・・・こっちが緊張しちゃいますよ、ケンちゃんさん!』 「あっ、いやっ、私は今、ケンちゃんさんではなく、あっ・・・ケンちゃんさんですけど・・・今は、健心タクシーのドライバーですから」 『“けじめ”ってやつですか? 遅くまで飲んでいた娘が、車に乗り込んで、あとはよろしく! って、普通じゃ考えられないですよ』 「う~ん、どうなんでしょうねぇ・・・梨花は、もう大人ですし・・・お客様ですから!」 『あっ、そうなんですってね! なんか、ケンちゃんさんと契約したとか・・・梨花から聞きました』 「はい・・・」 『ケンちゃんさん・・・ケンちゃんさんから、梨花にいろいろ聞くんですか?』 「えっ? 何をですか?」 『誰と一緒に飲んできたのか・・・とか、何を食べてきたんだ? とか』 「聞かないですよ! 自分が子どもだったら、親にいろいろ聞かれても、うるさいだけですもんね」 『そ、それは・・・確かに・・・梨花を信用しているんですね!』 「信用はしていませんよ!」 『えっ?』 「信用はしていませんが、・・・信頼はしています」 美優は、右手の人差し指をアゴにあてて 『う~ん・・・私には、その違いが分からないです』 健心は笑って、こう言った。 「ミーちゃんも親になったら二つの言葉の違いが分かるようになりますよ!」と
マコト (金曜日, 29 7月 2016 20:23)
美優はずっと、右手の人差し指をアゴにあてたまま 『え~信頼はしているのに・・・信用はしてないの??? え~でも、信用はしてないけど、信頼はしているんでしょ!!! ・・・無理・・・分かんない』 と、考え込んでいた美優だった。 しばらくして「あっ!」と、何か思い出したかのように、後部座席で梨花が爆睡していることを確認し、健心にこう言った。 『ケンちゃんさん・・・』 「あっ、はい・・・」 『梨花が、ケンちゃんさんのこと言っていましたよ!』 「あぁ・・・」 と、次に健心が言った言葉に、美優は驚いた。 「きっと・・・ただのオヤジだよ! すごくストイックにダイエットしたかと思えば、今は、妊娠5か月ぐらいだし・・・最近は温泉に一緒に連れていかれるし! 不思議なオヤジ! そんな感じで言ってましたか?」 さすが父親としか言いようがなかった。 ただ・・・ 梨花は、臨月と言い、健心は・・・5か月と言った。 美優は、横目で健心を確認して、 『梨花が正しいわ!・・・きっと本人の願望から5か月と言ったのね!』と そんな驚きで、思わず肝心な話を忘れるところだったが、 『梨花・・・ケンちゃんさんには、早く再婚して欲しいって・・・』 「おぉ~、そんなこと言ってましたかぁ・・・きっと、この先、オヤジがボケた時に自分が面倒をみるのか? って、心配なんでしょう・・・ただ、梨花の場合は・・・まぁ、娘だからそれは仕方ない! って、そんな感じで言ってましたか? 優しい子ですもんね! 梨花は」 美優は、二度目の驚きで、黙ってうなずくしか出来なかった。 健心は、笑ってこう言った。 「もし、またそんな話になったら、言ってあげてください! 親の面倒をみることなんかより、自分の幸せを考えろ! って」 そして、こうも言ったのである。 「誰か、いい人がいたら紹介してあげてください! 梨花のやつ・・・男前な子だから」 『えっ? 男前? ですか?・・・梨花が?』 「えぇ、そうです! 梨花は男前な女の子ですよ!」 『それってどういうことですか?』 「う~ん・・・親が話すより、これからあいつと付き合っていけば、きっと分かると思いますよ!」 美優は、後部座席をみて 『え~・・・こんな可愛い女の子が男前って・・・』 「まぁ、娘でなかったら・・・間違いなく惚れてますよ! それぐらいいい子ですよ! 親の自分が言うのもなんですけど・・・きっと、女性からはもっと好かれるタイプじゃないですかね・・・梨花っていう子は」 美優は思った。 『娘でなかったら、惚れてますよ! って、人前で自信満々に言うケンちゃんさんもすごいけど・・・確かに梨花は・・・』 そして、美優は53歳のオヤジが思う「男前な女の子」について聞いたのである。
マコト (金曜日, 29 7月 2016 20:24)
『ケンちゃんさんが思う、ケンちゃんさんが好きになる「男前な女の子」って、どんな子ですか?』 「男前な女の子かぁ・・・」 健心は、美優の問いかけに丁寧に話し始めた。 「芯が強い人だよねっ! 外見上は頼りなげに見えても、やすやすとは外圧に屈しない意志を持っている。 ちょっとやそっとのことでは音を上げない。 裏で何を考えているか分からない八方美人タイプの女性はたくさんいるけど・・・「男前女子」は、どんな人を前にしても態度を変えないよね。 女の子に限らず、人は、どうしても自分の気に入らないことがあると悪口や陰口を言ってしまうことがあるけど・・・「男前女子」はそういうことは言わず、どうしたら互いにうまくいくかを考える前向きな思考を持ってるよね。 仕事のパートナーとウマが合わないことがあっても「こういう人もいるんだ!」と受け止めて、決して悪口を言わない。 それよりもどうしたら、仕事を円滑に進められるかということに頭を使う。 相手の悩みは何も解決しないで、ただお互いの愚痴や悩みを言い合うだけで、何も解決しなかったけど、しゃべることでスッキリした。 女性はそういう生き物でもあるよね! あっ、それが悪いとは思ってないからね! だけど、本当に悩んでいるときは的確なアドバイスがほしいよね! その点、男前女子は男性的思考でなんとか解決方法を見出そうとする。 そんな女の子は、同性からも頼りにされるでしょ! ただね・・・ 曲がったことが嫌いで、思ったことをはっきり口にするから、仕事でぶつかることも多いかもしれないね・・・梨花も、きっと苦労するだろうなぁって。 それでも、自分の道は自分で切り開いて行かなきゃね! ケンちゃんさんは、黙って見守ってやるしか出来ないから!」 赤信号で止められた健心が、美優を見てこう聞いた。 「ミーちゃんからしたら、すごく冷たい親に見えるでしょ?」 『そ、そんなことないです・・・だって、ケンちゃんさんは、黙ってるけど、心配はしてくれてるんだもの』 美優は、健心の話を聞いていて、なぜか美子都のことが思い出された。 そして、健心にこう尋ねたのである。 『美子都さんも、男前女子ですよね!』 「はぁ?」 と、予想外の質問に慌てる健心 「プップー!!」 青信号でも発車しない健心の車を後続車が、クラクションで催促。 「おっと・・・」 健心の慌てる顔で、その答えは分かった美優だった。
マコト (金曜日, 29 7月 2016 20:25)
美優の家に着いた。 『ケンちゃんさん! お母さんを呼んできますから、待っててください!』 「そんなことしなくて大丈夫だよ!」 『え~ でも・・・お世話になったのに、黙って帰したら私が叱られますから!』 「うん? 叱られたら、こう言ってください! 健心タクシーのドライバーだったので帰った!と」 『・・・でも』 「大丈夫! ・・・あれっ、梨花は寝てるね! じゃぁ、ご利用ありがとうございました」 健心タクシーは走り去った。 家に戻った美優が 『ケンちゃんさんに送ってもらったの』 と、萌仁香に話すと 「ダメじゃない! それなら、ちゃんとお礼を言うのが親の務めなんだから!」 美優は、 『ほらぁ・・・だから、言ったのに・・・』 と、思っているところに 「どうして、帰したの? あなたらしくないわね!」 『ケンちゃんさん、言ってた。 もし、お母さんに叱られたら、健心タクシーのドライバーだったので帰った!と、言えって』 萌仁香は、右手の人差し指をアゴにあて、しばし考えると 「なるほど! そういうことか! あいつらしいわ! さぁ、寝よう~っと」 美優は思った。 『私には、お母さん達のことは・・・無理! 理解できない』と
マコト (土曜日, 30 7月 2016 20:41)
それは、父と娘のごく普通の会話だった。 『おはようございます、お父さん』 「おはよう、梨花」 『昨日は、大変お世話になりました』 「毎度、ご乗車ありがとうございます」 『昨日はね、美優と美優の高校時代の同級生二人が一緒だったのよ』 「おぉ~ そうだったのか」 『朝彦とカンチ』 「朝彦を誘っていたもんな! うん? カンチってなんだ?」 『カンチ? そっか・・・寛司よ』 「か、寛司?・・・」 『えっ? どうかした? 寛司を知ってるの?』 「ミーちゃんと同級生で、寛司? ・・・あっ、いやっ・・・なんでもない」 『はっ? お父さん、何か隠してるでしょ!』 「あっ、いやっ・・・なんでもないよ!」 と、健心が曖昧な返事をすると・・・ 『はい、お父さん! そこにお座りして!』 「・・・えっ? な、なんで?・・・」 『あなたは、いま、私に隠し事をしようとしました!』 「あっ、・・・そのぉ・・・いえ、隠し事などしていません・・・はい」 梨花は、鬼の形相で 『お・す・わ・り!』 「・・・はい」 健心は、梨花のいう事をきいて、リビングの床の上にお座りをした。 『それでは、始めます! あなたは、いま、私に何かを隠そうとしましたね?』 「・・・はい」 『よろしい! さて、何を隠そうとしたのですか?』 「あのぉ・・・」 『大きな声で! 聞こえません!』 「・・・はい・・・親が全員55会のメンバーだったものですから・・・ちょっと驚いただけです」 『55会? 美優のお母さん、朝彦のお父さんは・・・うん、確かに! えっ?カンチの親もお父さんと同級生なの?』 「はい・・・たぶん」 『たぶんってなに?』 「寛司君・・・朝倉って苗字でしたか?」 『そうよ!』 「では、間違いありません! 朝倉美子都さんの御子息かと・・・」 『美子都さんって、花風莉でお会いした“みたらし団子”の美子都さん? な~んだ、そういうことだったのね!』 梨花が、笑顔に戻ったことを確認した健心が、立ち上がろうとすると・・・
マコト (土曜日, 30 7月 2016 20:42)
『はい! あなたは、お馬鹿さんですか?』 「えっ?・・・」 『親が同級生っていう理由だけで、それを隠そうとはしませんよね?』 「あっ・・・いやっ・・・ですから、驚いただけで・・・何かを隠そうだなんて・・・はい、ございません」 と、健心が作り笑顔で立ち上がろうとすると、 また、梨花は、鬼の形相に戻って 『お・す・わ・り!』 「・・・はい」 『あなたは、私に言いますよね! 隠し事はないほうがいいよな!って』 「・・・はい」 『高校時代のように、1時間、お座りしますか?』 「えっ?・・・」 『高校時代は、毎日、教員室の前でお座りさせられていたんですよね? 毎日!』 「・・・はい・・・よく御存じで」 『だって、あなたの自慢話でしょ?』 「・・・はい、そうでした! いやぁ、もう毎日でしたよ! だから、たまにお座りさせられない日があると、校長先生が、あれっ? 昨日は寂しかったぞ! な~んて言ってねぇ、もう大変でし・」 『いりません! その講釈、今は!』 「・・・はい・・・ごめんなさい」 少し考えていた梨花は、元の優しい顔に戻って 『お父さん・・・どうぞ、お座りをやめてください』 「えっ? い、い、いいんですか?」 『はい』 と、笑って梨花はこう言った。 『お父さん、大丈夫だからね! これまで通り、美子都さんとは仲良くしてくださいね!』 「はっ?」 『お父さん、私に聞いたでしょ! 再婚した方が、梨花が早くお嫁に行けるのかな?って・・・花風莉で、お父さんと美子都さんが仲良く話しているところを見ていて・・・それで、お父さんが慌てて隠そうとしたことで、もう、理解できましたから』 「はっ? な、何を言っているのか、分かりません」 梨花は笑って 『カンチと兄妹になるかもしれないんだぁ・・・ふ~ん・・・そうなのねぇ』 健心は慌てて 「いやっ、そ、それは分からないから・・・梨花は梨花で、自分のことを考えてくれれば・・・」 『はっ? なにそれ! もしかして私がカンチに一目ぼれでもしたって思ってるの?』 「梨花・・・」 健心は知っていた。 梨花が、男の子を気軽にあだ名で呼ぶときは・・・ 梨花は、台所に向かって歩き出し、 『そっか! な~んだ、そうなんだねっ! さっ、朝ごはんの用意しなきゃね!』と 「梨花・・・」
マコト (土曜日, 30 7月 2016 20:44)
健心と梨花が、そんな会話をしていた頃・・・ それは、母と娘のごく普通の会話だった。 『お母さん、おはよう!』 「おはよう! ミー」 『お母さん! 昨日ね、寛司と一緒だったの!』 「えっ? 寛司って、美子都のところの?」 『そう!』 そう言って、美優は、寛司と一緒に飲むことになったいきさつを萌仁香に嬉しそうに話した。 「そうだったのぉ~ 良かったじゃない、あなた、寛司君に会いたがっていたんだから」 『うん!』 萌仁香は、美優の嬉しそうに話す顔を見て思った。 「ミー・・・寛司君が好きだったのね」と そして・・・ 健心と梨花が、美子都の話をしていた頃、 萌仁香と美優が、寛司の話をしていた頃・・・ それは、母と息子のごく普通の会話だった。 『おはよう! 寛司」 「うん? あっ・・・うん」 『寛司、おはようーーー!!!』 「あっ、おはよう」 『昨日は、上機嫌で帰ってきたけど・・・誰と一緒だったの?』 「えっ? 誰でもいいじゃん」 『はぁ? 少しは話してくれたっていいじゃない!』 「高校の時の同級生だよ!」 『へぇ~ 母さんが知ってる人?』 「知らない人だよ!」 そう、あっさり答えた寛司だったが、心の中では 「あっ! 美優は、母さんの知ってる人の娘だった」 と、気づいた。だが、 「まっ、いっか! 嘘は言ってないからな」 と、何も語らず、その場をやりすごした。 『今日も、お仕事、遅いの?』 「うん・・・食事は外で済ませて来るね、母さん」 『そう・・・分かった』 その日の二人の会話は、それだけだった。
マコト (月曜日, 01 8月 2016 19:57)
寛司、美優、朝彦、梨花 そこに愛子も加わって、5人は、互いに支え合う仲間となっていった。 寛司と愛子の勤める会社と梨花と朝彦が務める会社は、ライバル会社であったために、いらぬ誤解を招かぬよう、会社の他の社員には、5人の付き合いは、伏せておくことがいいだろうとなった。 その日も“居酒屋ニチョウ”に集まった仲間達 何故か、愛子が落ち込んでいた。 (梨花)「ねぇ、愛子・・・なんか今日は元気がないぞ!」 (愛子)「うん・・・ちょっとね」 (梨花)「聴くよ! 話せることなら・・・言って、愛子」 (愛子)「・・・うん」 (寛司)「愛子、俺が話すよ・・・」 (愛子)「えっ?・・・」 (寛司)「昨日・・・愛子がずっとケア・サポートしてきた被験者さんが、亡くなって・・・」 (梨花)「・・・ごめん愛子・・・何も知らずに」 (愛子)「大丈夫、ごめん・・・仕事の辛いことは、ここに持ちこまないようにしなきゃね、せっかく楽しく集まってるのに」 (梨花)「愛子・・・それは違うよぉ~」 (美優)「そうよ、愛子! 楽しいことだけじゃなく、辛いことだって分かち合って・・・それが仲間でしょ」 (愛子)「梨花・・・美優・・・」 男の子たちは、女の子の涙に弱いものだ。 しかも、その女の子が“相武紗希似”の愛子となれば、なおさら その日は、寛司も朝彦も愛子の隣で、しっかりと支えていたのであった。
マコト (月曜日, 01 8月 2016 19:58)
治験 治験とは、治療を兼ねた臨床試験(治療試験)を省略した言葉である。 ひとつの薬が誕生するには、長い研究開発期間が必要となる。 培養細胞や動物でさまざまなテストが繰り返され、有効性の確認と安全性の評価が行われる。 そして、最後の段階でヒトを対象に試験が行われる。 それが「治験」だ。 一口に治験と言っても、いろいろなパターンがある。 なかには、有償ボランティアとして施設に宿泊しながら生活し、新薬を定期的に摂取する健常者を対象に行う治験モニターというものや、実際に対象の病気にかかっている患者(糖尿病やガン等々)に対して行うものもある。 有償ボランティアでの治験の一例をあげれば、1ヵ月の治験に参加し60万円ほどを謝礼として受け取るものもある。 だからではないが、会社で健康診断を受けていないニートやフリーター、個人事業主、時間がある大学生などには、言葉は正しいかどうか分からないが、おすすめなバイトになっているのだ。 今の例は、あくまで健常者を対象に行う治験モニターのことであり、いろんな詐欺めいたこともあるようなので、くれぐれも小説の中での話だとお考えいただきたいところであるが。
マコト (月曜日, 01 8月 2016 19:59)
CRCの仕事は、時にとても辛い思いをする。 それは、梨花も例外ではない。 被験者さんが亡くなったのが、今回が初めてだった愛子であったため、落ち込み方は尋常ではなかった。 梨花は、そんな愛子の様子をみて、 『わたしも、いつか愛子のように・・・』 そう考えると、胸がとても苦しくなった。 これまで、多くの被験者さんによる治験への協力により、新たな医薬品、治療方法が生まれてきた。 そして、そこに医学の進歩があった。 例えば、それが、抗がん剤であるとするならば、激しい副作用と闘ってくれた被験者さんがいたからこそ、副作用の少ない抗がん剤が生まれてきたのである。 そう、それは寛司のようなSAS・医薬品開発業務の仕事に携わる者によって、これからも永久に続けられていくのだ。 そして、愛子も梨花もその最前線で働いていくのだ。 新人CRCは、治験が被験者を病から救ってくれるものだと信じて、一緒にケア・サポートをする。 だが・・・ 治験は医学の進歩に貢献するが、患者さんにとっては、メリットがないものもあるのだ。 なかには、病状の進行を抑えるのが主たる目的ではないものでさえあるのだ。 治験は、患者さんの病状とは関係なく、機械的に薬が投与される。 薬のデータを得るために、通常の何倍もの検査を受けながら。 治験が、被験者にとって、利益がなく、医学の進歩のためだけに行われているのだと、言っている訳ではないので、誤解はしてほしくはないが・・・ 医学は、これを繰り返し進歩してきたのである。 だが、人道的に当然ではあるが、期待に反して病態が急速に悪化した時には、その治験は止められる。 そんな時には、被験者のケア・サポートする、愛子や梨花の存在は大きなものであるのだ。 美優は、ずっと元気のない愛子のそばに行ってこう言った。 「愛子・・・今度のお休みは何か用事ある?」 『えっ? 何もないよ』 「なら、花風莉においでよ!」 『美優のお花屋さん?』 「そう! アレンジメント教室があるから・・・良かったら」 『ホンと? うん! 行く!』 と、そこに梨花が 「え~ 私も行きたい!」 『お待ちしています』 ようやく、女の子三人が笑顔になった。
マコト (火曜日, 02 8月 2016 20:04)
そして、その週末の花風莉では・・・ 「いらっしゃい、愛子」 『わぁ~ 話に聞いていた通り可愛いお店ね』 「ありがとう、愛子! もうすぐ、梨花も来ると思うんだ! そこに座って! いま、珈琲いれるね!」 『うん! ありがとう、美優』 そんなところへ、萌仁香が市場から戻ってきた。 「いらっしゃいませ、店主の進藤萌仁香です」 『あっ、はじめまして、わたし、美優さんと仲良くさせてもらっています、片桐愛子です』 「片桐さん・・・愛ちゃん、可愛いお名前ね、よろしくねっ!」 『はい! 今日は、美優さんにお誘いいただいて、アレンジメント教室に入れていただきました。初めてなので、よろしくお願いします』 「はい、一緒に頑張りましょうね!・・・片桐さんかぁ・・・私の同級生にも片桐っていう人がいるんだけど・・・お父さんのお名前は?」 『あっ、片桐壮健といいますけど・・・』 「あらぁ、やっぱり・・・だって、どことなく似ているもの! 壮健に」 『父をご存じなんですか?』 「55会のメンバーよ!」 『55会?』 「うん、高校時代の同窓生の仲間達よ」 『そう言えば、父は、3年前の同窓会の時、学生服を着たとかって・・・』 「そうよぉ~! って、ほらっ! その時にセーラー服を着た人のお出ましよ!」 『えっ?・・・』
マコト (火曜日, 02 8月 2016 20:05)
『ただいまぁ~!』 美子都が、萌仁香に頼まれた配達から戻ってきた。 『お届けして来たわよ!』 「ありがとう!」 『健心のやつ、なんか、きょとんとして・・・自分がいただけるお花だって、思っていないのよね!』 「そっか、・・・可夢生も健心には、何も話していなかったのね」 『そうみたい! なんか、私が行ったら、はぁ? って、驚いてた』 その日、健心と可夢生はある祝賀会に参加していた。 その会の幹事を務める可夢生からの依頼で、お花を届けてきたのであったが、萌仁香の気遣いで美子都が配達に行ってきたのである。 『暑かったぁ~』 と、美子都が言うのと同時に、萌仁香と美子都の携帯の着信音がした。 二人同時に携帯を見ると 『あいつ、いつの間に!』 「ほんとだ! ちゃんと可夢生のところにお花を届けた証拠写真になってるね!」 『もぉーーー あいつわ! えっ? しかも秘密のアルバイトだぁ? 』 【何撮ってんのぉーーー】 【丼にするぞ!】 送信と すると健心から 【花屋のプーさん!】 と返信がきた。 『プーさんだぁ?・・・あのやろぉ~!!!』 【花屋のブーさん】 【おつかいブーさん】 送信と
マコト (火曜日, 02 8月 2016 20:06)
美子都たちのそんな様子に美優が 「ねぇ、愛子・・・あの人達、何してると思う?」 『えっ? LINEでしょ?』 「あっ、そうなんだけど・・・誰とラインしてると思う?」 『えっ? 誰って・・・私の知ってる人なの?』 「そうよ! 梨花のお父さんよ!」 『えっ? 梨花の?』 「そう! それでねっ・・・」 と、ちょっとだけいたずらな表情を浮かべてこう言った。 「あの人・・・寛司のお母さんよ!」 『えっ? か、寛司の? へぇ~ 優しそうで素敵なお母さんね!』 愛想のいい愛子は 『こんにちは はじめまして・・・片桐愛子といいます。 今日初めて、花風莉のアレンジメント教室に参加させていただきました』 と、笑顔で美子都に声をかけた。 美子都は、ようやくブタマークのスタンプが見つかったようで、LINE送信を終えた。 「あっ、ご、ごめんなさい・・・わたし、この店の店員ではないんですけど・・・朝倉です、朝倉美子都と言います・・・よろしくお願いしますね」 すると、萌仁香がすかさず 「ねぇ、美子都・・・壮健の娘さんよ!」 『えっ? 壮健の? うわっ! 壮健にこんな可愛らしいお嬢さんがいたの!」 と、驚く美子都であったのだが、 それから2時間後・・・
マコト (水曜日, 03 8月 2016 22:13)
うなだれて、それでもみたらし団子を頬張る美子都を、周りの女子たちが一生懸命に慰めていたのである。 アレンジメント教室を終えた面々 テーブルに並べられた、いつもの“みたらし団子” 花風莉には、ルールがある。 それは、まずは美子都が味見をしてからでないと、他の者は手を付けられないというルールである。 (萌仁香)「ねっ、美子都!」 (美子都)「えっ? (モグモグ)・・・なに?(モグモグ)」 (萌仁香)「どう? いいの?」 (美子都)「えっ? (モグモグ)・・・なにがいいのって?(モグモグ)」 (萌仁香)「みたらし団子! いいの?」 (美子都)「あっ、どうぞ、どうぞ(モグモグ)」 (萌仁香)「もぉ~ 美子都ったら! 元気だしなよ!」 (美子都)「・・・(モグモグ)・・・(モグモグ)・・・←二本目 」 (萌仁香)「しょうがないよぉ~ 男の子は、どこの家でもそうじゃないの?」 (美子都)「・・・(モグモグ)・・・(モグモグ)・・・」 (愛子)「そうですよ! まぁ、私も父にはあまり話しませんけど・・・」 (美子都)「・・・(モグモグ)・・・(モグモグ) ←三本目 」 萌仁香は、美優からいろんな話を聞かされて何でも知っている。 それに引き替え、美子都は寛司が何も話してくれない! そのあまりにもの違いに、ショックを隠せずにいたのであった。 そして・・・ 梨花が、そんな美子都に追い打ちをかけた。
マコト (水曜日, 03 8月 2016 22:15)
落ち込みながらも、みたらし団子を頬張り続ける美子都に、 (梨花)「私も父には、話してあります」 美子都は、梨花のその言葉に反応した。 (美子都)「えっ? 梨花ちゃんも寛司のことを健心…あっ、お父さんに話したの?」 (梨花)「あっ・・・はい」 (美子都)「えっ? 聞いてたんだぁ・・・健心のやつ」 (梨花)「えっ?」 (美子都)「あっ・・・ごめんね、こっちの話」 (梨花)「はっ?・・・」 (美子都)「でっ! お父さん・・・何か言ってた?」 梨花は、美子都の「何か言ってた?」の意味を直ぐに理解した。 だから・・・ 「お父さん・・・カンチ…あっ、寛司のこと話したら、驚いていましたけど・・・」 『・・・そうよねぇ ・・・そりゃ驚くわよね』 その後、美子都がさらに驚くことを言ったのである。 「わたし、寛司と兄妹になるのかな? 楽しみにしてるよ! って、言っておきましたから!」 『・・・はっ???』 目を真ん丸にした美子都に、梨花は笑顔で軽く会釈をした。 美子都は慌てて 「お父さん、梨花ちゃんに何か言ったの?」 『あっ・・・いえっ、何も言わなかったですけど・・・慌てるお父さんを見れば・・・』 「えっ?・・・梨花ちゃん、そ、それは誤解? いやっ、誤解というか・・・そう決めた訳ではないのよ・・・」 と、精一杯にその場を取り繕った。 それでも、梨花に誤解されぬよう、こうも言った。 「梨花ちゃんのような娘がいたら、幸せだけどね」と 梨花は、嬉しそうな表情を浮かべて 「はい」 と、答えたのだった。 だが、問題はここからであった。
マコト (水曜日, 03 8月 2016 22:16)
残ったみたらし団子を完食した美子都は 『おつかいに行ってくる!』 「はっ? もう、お花の配達はないわよ! 美子都」 『ち、違うの! とにかくおつかい!』 そう言って、美子都は花風莉を出て行った。 そして・・・ 『もしもし・・・』 それは健心への電話だった。 『あんたね! なんで言ってくれなかったのよ! 梨花ちゃんが、寛司と仲良くしていること!』 一通り、文句を言った美子都だったが・・・ 『えっ? ・・・そ、そうなの?・・・寛司をカンチって?・・・そうなの?・・・間違いないの? ・・・うん・・・うん・・・梨花ちゃん本人が、自分の気持ちに気付いていないんじゃないかって?そういうこと?・・・うん・・・そうだったの・・・うん、分かった・・・ご、ゴメン健心・・・うん・・・うん、分かった』 美子都は、健心から梨花の中に寛司に対する恋心が芽生え始めているかもしれないと聞かされたのであった。
マコト (木曜日, 04 8月 2016 12:58)
健心との電話を終えた美子都は、直ぐに花風莉に戻った。 アレンジメント教室を終えた生徒たちは、もう花風莉にはいなかった。 『あれっ? 梨花ちゃん、愛ちゃんも帰っちゃったの?』 「うん」 『ねぇ、萌仁香ぁ・・・梨花ちゃんのことなんだけど・・・』 美子都は、健心から聞かされたことを、そのまま萌仁香に話したのである。 『わたし・・・どうしよう・・・』 「どうしようって相談されても・・・」 それが、萌仁香の正直な気持ちだった。 子どもの幸せを願わぬ親などいない。 もちろん、萌仁香も美優が素敵な恋をして幸せをつかんでくれることを願っていた。 その美優が寛司に好意を持っているにもかかわらず、美子都はいま、目の前で、寛司と梨花のことを相談してきた。 後になって思えば、何故、あの時あんな言い方をしてしまったのか・・・ 萌仁香は、そんな言葉を美子都に言ってしまうのである。 「美子都・・・あなた、なに血迷ったことを言ってるの? あなたは健心と婚約しているんでしょ? 子どものことより、自分の幸せを考えるべきじゃない? 親の幸せが、子どもの幸せでもあるのよ!」 『えっ?・・・も、萌仁香ぁ・・・それ、本気で言ってるの?』 「もちろんよ!」 『えぇ・・・萌仁香らしくない・・・嘘でしょ? 嘘って言ってよ!』 萌仁香は、もちろん分かっていた。 今の言葉が嘘であることを。 それでも美優の幸せを願うあまり、 「嘘なんか言ってないわよ! えっ? なに? 美子都は、もしかして、梨花ちゃんが寛司を好きになるなら、自分は健心と離れるとでも言いたいの? ばかばかしい! そんなの親の勝手なエゴよ!」 『えっ・・・萌仁香・・・どうしてそんなこと言うの・・・』 美子都は、自然と涙が出てきた。 美子都には、萌仁香の言葉が受け入れられなかった。 『萌仁香・・・わたし、あなたの気持ちが分かんない・・・子供のことより、自分のことを大切にするなんて』 萌仁香は、仕事をするふりをしながらこう言った。 「それは残念・・・見解の相違ね!」 『萌仁香ぁ・・・』
マコト (木曜日, 04 8月 2016 21:15)
人生には、それまでの自分の生活を一変させるような出来事がある。 それは、引っ越しや転職であったり、人との出会いもその一つである。 美子都の生活は、萌仁香と出会ったことで、それまでとは間違いなく変わっていた。 それは今から、4年前・・・ 綺麗な住宅街の中に、ひっそりと、小さなお花屋さんがオープンした。 そう、それが花風莉である。 もちろん、店主・萌仁香の生活も一変した。 始めは、慣れぬ仕事に弱音をはくこともしばしばだった。 それでも、萌仁香は美優と一緒に頑張って、受け取る人が心から喜んでいただけるお花を作り続けた。 店をオープンさせて一年が経とうとしていたときだった。 「同窓会をやるから手伝ってくれ!」 それは、可夢生からの連絡だった。 店をオープンさせ、ようやく軌道に乗りかけていた萌仁香は、可夢生の希望に応えらえるのか悩んだが、クラスの幹事を受ける決心をした。 同窓会までの幹事会は、10回以上を数えた。 店の切り盛りに忙しい萌仁香だったが、幹事会には必ず参加した。 幹事会を重ねるごとに、萌仁香は“ある想い”が強くなっていった。 それは、同窓会に参加してくれる女の子に、幹事会からの気持ちを伝えたいという想いだった。 そして、そのことを同窓会の代表に伝える決心をしたのである。 萌仁香は、代表とは、ほとんど面識がなかった。 「この人、何考えてるか分かんない・・・変な人?」 それが、代表に対する萌仁香の第一印象だった。 『代表、あのぉ・・・同窓会の時にね・・・』 「・・・そっか、分かった」 『いいの?』 「あぁ・・・進藤さんの想いがみんなに伝わるような演出をしよう!」 代表に事前の了解を得た萌仁香は、幹事会でこう言ったのである。 『参加してくれる女の子全員に、お花を贈りたいの!』 すかさず、代表がフォローした。 「進藤さんの提案なんだ! みんな了解してくれ! それで・・・サプライズで、男子から渡そう!」 幹事会が最高に盛り上がった瞬間だった。 その時、隣にいた美子都が、萌仁香にこう言ったのである。 「当日の準備、手伝わせて!」 『えっ? 当日は、いろいろ忙しいんじゃないの?』 「大丈夫よ!」 そして同窓会当日・・・ 幾人ものクラス幹事が、花風莉に集まっていた。 萌仁香の気持ちを理解してくれた面々だった。 全員で1本、1本気持ちを込めてラッピングした。 すると代表が 「このシールを貼ってくれないか」 そう言って取り出したシールには、参加者への感謝の気持ちと、花風莉から提供を受けたお花であることが書かれてあった。 萌仁香は思った。 『代表って・・・変な人じゃなかったのね!』
マコト (木曜日, 04 8月 2016 21:17)
そんなサプライズで、32年ぶりに開催された同窓会は大いに盛りあがった。 そして、この同窓会をきっかけとして、仲間達の交流はさらに深まっていったのである。 萌仁香と美子都 二人の深い交流も、やはりこの同窓会がきっかけだった。 二人は、三年間、同じ校舎で学んだ。 二人が通った高校は、少子化の影響をもろに受け、今は生徒数720人となっているが、その当時は1,350人というマンモス高だった。 互いに別々の運動部に入り、スポーツに汗した二人であったが、学生時代は、特に交流もなく青春時代を過ごした。 卒業してからは、車で数分の距離に住んでいた。 それでも、友達としての交流は、一切なかった。 そんな二人が、ここまで親交を深め、無二の親友となったのは、共に同窓会にクラス幹事として臨んだからだった。 『萌仁香ぁ・・・女子、み~んな喜んでくれたね!』 「うん! 美子都がお手伝いしてくれたおかげ!」 『え~、私だけじゃないでしょ! み~んな!』 「そっか!」 それが、同窓会を終えた時の二人の会話だった。
マコト (木曜日, 04 8月 2016 21:19)
クラス幹事として臨んだ同窓会 激動の一年間が過ぎ、そして同窓会が終えると、そこには、嘘のように静かな日々が待っていた。 あるとき、おつかいに出た美子都が、花風莉の横を通ったときだった。 「えっ?・・・」 花風莉から、いい香りがしてきたのである。 「これ・・・みたらし団子の匂いだ!」 美子都の足は、自然と花風莉に向いていた。 「こんにちは」 『わぁ~ 美子都ぉ~ 久しぶりぃ~』 「同窓会以来ね! 萌仁香・・・お仕事中で、悪いかなぁって思ったんだけど・・・」 『ぜんぜん大丈夫よ! 入って! いまね、ちょうどお茶にしようと思って・・・いただきもののみたらし団子があるんだけど、一緒にどう?』 「えっ? なんか悪いわぁ・・・」 その日以降、美子都は毎週のように花風莉に行くようになった。 ここまで小説を読んできた人は、間違いなくこう思うであろう。 「みたらし団子を食べに行ったんだろう!」 残念ながら、それは違う。 「ねぇ、萌仁香・・・」 『なぁに、美子都・・・』 「同窓会終わったらさ、なんか急につまんなくなっちゃって・・・」 『えっ? 私もそうよ!』 「萌仁香も?」 それから、二人でたくさんのことを話した。 それは、「え~ あぁ、そうだったのぉ~」 と、聞かなければ知らずに終わってしまうようなこともたくさんあった。 「ねぇ、萌仁香・・・お客さんでもないのに、お店にお邪魔しちゃ悪いわよね?・・・」 『え~、美子都は、そんなことに気をつかっていたの?』 「・・・だって」 『気にしないで、遊びに来てよ! ・・・会いたいからさ!』 「えっ?」 『元気印の美子都に!』 互いに、元気を分けあい、時には悩み事を相談し、励まし合い・・・ 二人の固い絆が結ばれるまでに、そう時間は必要なかった。
マコト (金曜日, 05 8月 2016 12:13)
よく二人で食事にも行った。 そうである! あの伝説の「海老トマトらーめん」→「亀田珈琲にはしごしてデザート」→「晃棒台へ移動して焼き肉食べ放題」 大食いの美子都に、時には「はぁ」と、ため息をつくこともあった萌仁香だったが、美子都は、なくてはならない存在となっていった。 それは、美子都も同じだった。 毎週、萌仁香にアレンジしてもらったお花と、月曜日には一緒に出勤するのが、何よりもの楽しみになっていった美子都だった。 そして、花風莉がオープンして3年が経ったころ・・・ 萌仁香は、ある目標を持って、仕事に励んでいた。 それは、お花のコンクールで賞をいただくということ。 そのコンクールは、日本で最大規模の伝統ある花の展覧会だった。 大きな展覧会への出展に向け、萌仁香は、睡眠時間を削ってその準備をした。 美子都とLINEで交わす、日常の会話からも、萌仁香がへとへとになっていたことは明らかだった。 「萌仁香、大丈夫? ・・・ご飯は食べたの?」 そんな美子都からのメッセージも、準備に集中していた萌仁香には、なかなか届かなかった。 それを心配した美子都は、車をとばし、差し入れを そんな日が何週間も続いた。 そして・・・
マコト (金曜日, 05 8月 2016 20:07)
展覧会の日になった。 萌仁香の努力が報われ、展覧会で受賞することが出来たのである。 「美子都ぉ・・・もらえたよ!」 『ヤッターーーーー!!!』 自分のことのように喜ぶ美子都に 「ありがとうね・・・美子都」 『えっ? 私にお礼を言うなんておかしいでしょ! 萌仁香が頑張ってきたからよ! 良かったね、萌仁香・・・おめでとう』 「・・・ありがとう、・・・美子都がそばにいてくれたからだよ」 思い起こせば、蒼のもとへ理が育てたダリアを届けたのも、花風莉の店主・萌仁香だった。 仲間達の様々なことが、花風莉を中心に動いていた。 週末には、必ず花風莉に行き、アレンジメント教室の生徒としても自己研磨していた美子都 共に同窓会の幹事として過ごした時から始まった、二人の友愛 それがいま、音をたてて崩れて行こうとしていた。 『萌仁香ぁ・・・見解の相違ってどういうことよ?』 「言葉の通りよ!」 『あなたが、そんな考え方をするはずがないもの! 何かあるなら言ってよ!』 「えっ? 何かって? 何もある訳ないでしょ!」 健心に対しては、いつもカッカして怒る美子都であるが、この時の美子都は、いたって冷静に受け答えしたのである。 『萌仁香ぁ・・・』 だが、萌仁香は、美子都に向かってこう言ったのである。 「帰って! 話の合わない人とは、一緒にいたくないから!」 『・・・萌仁香』
マコト (金曜日, 05 8月 2016 20:09)
これは、あくまでも偏見であるので、それを承知の上で読んでいただきたいのだが・・・ 女の子の友情はハムより薄い! いやいや、サランラップより薄いのだ! 特に、男性のことがからむと、昨日までの友情が信じられないほど簡単に終わりを迎えたりするものだ。 男の友情の場合・・・たとえそこに女性がからんだとしても、 「親友のあいつが好きになったのなら・・・俺は身を引くよ!」 あり得る話である。 事実、そういう経験をした者もいるだろう。 この時の萌仁香は、娘の美優の幸せを守るなら、美子都との友情が壊れてもいいと思ってしまったのである。 そう、それが“母親”という生き物だ。 萌仁香は、美子都に対してこう言った。 「あなたは、自分の幸せを考えるべきなの! 梨花ちゃんが寛司君と? そんなのあり得ないわよ! だいいち、寛司君の気持ちは確かめたの?」 『・・・そ、それは・・・』 「でしょ! なら、寛司君と梨花ちゃんを近づけないようにすることだって出来るんじゃないの?」 その言葉で、とうとう美子都の堪忍袋の緒が切れた。 『萌仁香! あなたって人は! 分かったわよ! あなたとの付き合いもこれまでね!』 美子都は、荷物を手に花風莉を出た。 『さようなら・・・』 あっけなく二人の友情は幕を閉じた。
マコト (金曜日, 05 8月 2016 22:35)
美子都が、花風莉を出ると・・・ 「美子都さん!」 そこに美優が立っていたのである。 『み、ミーちゃん!・・・』 美優は、涙をいっぱいにためてこう言った。 「美子都さん、待ってください・・・」 『えっ?』 「ごめんなさい・・・聞くつもりはなかったんですけど・・・お母さんとの会話・・・聞こえちゃったんです」 『ミーちゃん・・・』 「きっとお母さんは・・・お願いします! 美子都さん、店に戻ってください!」 『えっ?』 「だって、私のことで美子都さんとお母さんの仲が悪くなるなんて・・・私には耐えられません」 『えっ?・・・ミーちゃんのことで?』 「・・・はい・・・おそらく」 『どういうことなの? ミーちゃん・・・』 美優は、歩き出し、花風莉のドアを開けてこう言った。 「お母さん・・・やめて! お願いだから!」 『ミーちゃんのこと? どういうことなの?』
マコト (金曜日, 05 8月 2016 22:36)
萌仁香が、美優の声で店の奥から出てきた。 「ミー・・・なに? やめてって、どういうこと?」 美優は、振り向いて美子都に、 「美子都さん・・・わたし・・・寛司君のことが・・・」 そこで、我慢していた涙が、次の言葉を打ち消した。 『えっ? ミーちゃん・・・なに? えっ? あなた、寛司のことを?』 そのやりとりに、萌仁香はうつむいているだけだった。 美優は、ひとつ大きく息をすって話を続けた。 「美子都さん・・・わたし、寛司君のことが好きなんです! 大好きなんです! きっとお母さんは、私の気持ちに気付いていて・・美子都さんにひどいことを言ってでも、私の幸せを考えてくれたんだと思います。 私のことで、美子都さんとお母さんの仲が悪くなるなんて、私には耐えられません! だって、あんなに仲良くて、お互いに支え合ってきた仲間ですよね! お母さんと美子都さんは」 『ミーちゃん・・・』 美優は、今度は萌仁香の方に振り向いてこう言った。 「お母さん、ごめんなさい・・・美子都さんとの会話、聞こえちゃったの・・・お母さん・・・ありがとう・・・でも、大丈夫だから!」 『ミー・・・ 大丈夫って?』 「わたし、寛司君とうまく向き合っていくから!」 『うまくって?』 「もし、寛司君が梨花ちゃんを選ぶなら、それはそれ! わたし、寛司君に好きになってもらえる女の子になるように頑張るから!」 『美優・・・』
マコト (金曜日, 05 8月 2016 22:37)
それから・・・ 萌仁香と美子都は、美優に命ぜられるまま、奥の椅子に座わらされていた。 美優が珈琲二つをテーブルに置いた。 (美優)「これ飲んで!」 (萌仁香)「いま、飲んだばかり!」 (美優)「いいから、飲んで!」 (萌仁香)「・・・はい」 (美優)「美子都さんも飲んで!」 (美子都)「・・・はい」 (美優)「それで、どっちが先にごめんなさいするのかな?」 (萌仁香)「美子都!」 (美子都)「萌仁香!」 (美優)「あのさ、それじゃ先に進まないんだけど・・・どっち?」 (萌仁香)「美子都!」 (美子都)「萌仁香!」 (美優)「相変わらず、二人とも強情ね!」 (萌仁香)「私は、美子都と違って素直です!」 (美子都)「はぁ? 私こそ萌仁香と違って素直ですから!」 美優は、二人の様子を見て楽しんでいるようだった。 (美優)「じゃぁ、仕方ないから聞きます! お母さん・・・私、お母さんに寛司君とのことを頼んだりした?」 (萌仁香)「・・・いいえ」 (美子都)「ほらっ! やっぱりね! だから、先にごめんなさいするのは萌仁香だから!」 (萌仁香)「はぁ?」 (美優)「じゃぁ、仕方ないから聞きます! 美子都さん! 美子都さんは、お母さんの言葉に何か理由があるとは、考えてあげなかったんですか?」 (美子都)「そ、それは・・・だって・・・」 (萌仁香)「だって、何よ! 親の気持ちは、美子都だって分かるでしょ!」 (美子都)「そ、それは・・・分かるわよ!」 (萌仁香)「ねっ! だから美子都が先にごめんなさいしなよ!」 (美子都)「やだっ! だって、それならそうと言ってくれたら良かったじゃない!」 (萌仁香)「そ、それは・・・だって・・・」 (美子都)「だって、何よ?」 (萌仁香)「ミーから頼まれていた訳じゃないし・・・」 (美子都)「そうでしょ! だから、それが一番の原因よ! 早く、言ってごらんよ! ごめんな・・・ほらっ! さい! って」 (萌仁香)「・・・やだっ!」 そんなバカ親達に向かって美優が言った。 (美優)「あのさ! もともと子どもの恋愛に口を突っ込む親ってどうなんでしょうか!」 (萌仁香)「・・・・・」 (美子都)「・・・・・」 そして、美優が笑顔になってこう言った。 (美優)「お母さん・・・ありがとう・・・大丈夫、私、素敵な女性になるから!」 (萌仁香)「ミー・・・」 (美優)「美子都さんも、自分の幸せより先に・・・素敵なお母さん! わたし、美子都さんのこと、だ~い好き!」 (美子都)「ミーちゃん・・・」 そして、萌仁香と美子都は同時にこう言った。 (萌仁香・美子都)「ごめんなさい」
マコト (月曜日, 08 8月 2016 20:09)
美子都は、息を吹き返した。 『あ~ぁ、 心配したらお腹すいちゃった!』 「はぁ?・・・さっきみたらし団子何本食べたと思ってんの?」 『う~ん・・・二本?』 明らかな嘘である。 『わたし、おつかい行ってくる! 何か食べたいものない?』 「ないわよ!」 『萌仁香に言ってないから! ミーちゃんよ!』 「え~ 美子都さん・・・私も大丈夫です」 『なに言ってんの! 若い時に食べなくて、いつ食べるのよ!』 萌仁香も美優も同じことを考えていた。 「50歳になってからだね!」と 美子都だって、大食いだ!大食いだ!と言われ続けているが、実は、若い時は、そんなに食べる子じゃなかったのである。 それが、あることをきっかけに・・・ そのことは、小説の進行上、不必要な説明となるので割愛するが。 美優に何もいらないよと断られた美子都は、ちょっと寂しそうな表情を浮かべた。 でも、萌仁香がこう言ったのである。 「・・・ありがとう、美子都」 『えっ? なんで?』 実は、萌仁香には分かっていたのである。 おつかいに行って、美優と自分を二人にしようとしたことを。 美子都は、「ざ~んねん!」と笑った。 そして、萌仁香は少し困ったような顔をして美子都に聞いたのである。 「ねぇ、美子都・・・」
マコト (月曜日, 08 8月 2016 20:10)
(美子都)「なぁに、萌仁香・・・」 (萌仁香)「ミーのこと・・・寛司君に話す?」 (美子都)「寛司に? 言わないわよ~! だって、子どもの恋愛に口を挟むな!って、ミーちゃんから注意されたばかりだもの」 (美優)「注意じゃないですけど・・・」 (美子都)「ミーちゃん、冗談よ、冗談! でも、寛司のどこがいいのかなぁ・・・無口だし、何考えているか分からないし・・・まぁ、顔はイケてるけどね!」 先に書かれてあったことを覚えているだろうか。 そう、寛司は、美子都をそのまま男の子にした顔なのである。 美優は、ちょっと驚いた顔をした。 (美優)「へぇ~・・・家じゃ無口なんですね!」 (美子都)「えっ? 外では違うの?」 (美優)「いろんなこと話してくれますよ! それに、すごく優しいし・・・お母さんのDNAを受け継いでるんですよね!」 (美子都)「寛司が優しい? 女の子に?」 (美優)「はい!」 (美子都)「そんな、リップサービスしてくれなくても大丈夫よ! ミーちゃん」 そんな会話の中にも、美子都には心配なことがあった。 それは梨花のことだった。 もちろん、萌仁香もそのことは分かっていた。 「ねぇ、美子都・・・」 『うん? なぁに、萌仁香』 「梨花ちゃんのこと・・・」 『そうね・・・私からしたら微妙なところだけど・・・』 少し考えて美子都は、美優にこう言ったのである。 『ねぇ、ミーちゃん・・・』 「はい・・・」 『私さ、寛司のことをよく知らないダメな母親よね』 「そ、そんなことないですよ! 美子都さん」 『でもね、子どもの幸せを願うのは、ミーちゃんのお母さんと同じ。 寛司には、早く素敵な恋をして、幸せになってもらいたいの』 「はい! 私も、そう思います」 『それでね、ミーちゃん・・・』
マコト (火曜日, 09 8月 2016 20:56)
『それでね、ミーちゃん・・・』 とは言ってみたものの、次に続くいい言葉が見つからない美子都 そんな美子都をみて、美優が先にこう言った。 「ぜひ、私のことを応援してください!」 『あっ・・・う、うん・・・そうね、ミーちゃんのことをね・・・』 そして、一番の笑顔でこうも言ったのである。 「でも・・・梨花のことも応援してくださいよ!」 『えっ?』 美優は続けた。 「わたし・・・梨花のことが大好きなんです! 優しいし、気遣い出来る子だし、ケンちゃんさんのように・・・」 『えっ? 健心のように? ・・・って、ほら、ほめる言葉が見つからないんでしょ!』 「あっ、いやっ・・・そうじゃなくて・・・ケンちゃんさんのように、よく分からないですけど、なんかほっとけないっていうか、あっ! 一家に一台! 必要な存在ですよね!」 『 (それ、ほめてないけど) 』 「とにかく、梨花と一緒にいると楽しいんです! だから、ずっと友達でいたいんです!」 『ずっと友達で?』 「はい!」 『そっかぁ・・・でも、恋敵になるかもしれないのよ!』 「はい! 分かっています」 『それでも友達でいられるの?』 「はい!」 『ミーちゃんは強い子ね』 美優はこう言った。 「美子都さんには、梨花のことも応援してもらいたいんです! あっ、でも私のことも忘れないでくださいね!」 そう言って笑った。 美子都も萌仁香、美優の言葉にほっとしたのである。 そう・・・ それは、美優の言葉をそのままに信用したからだ。
マコト (火曜日, 09 8月 2016 20:57)
それから、二週間が経った。 「母さん! どうしたの? その指?」 『えっ? あっ、これ?』 「うん! アイスキャンディーじゃないよね?」 『寛司ーーー!!! どうして、あんたは、そういうことを平気で言うの!』 「いやいや、これでも一応心配してんだけど・・・」 『あらっ・・・そうなの』 「母さん・・・今日は、友達と飲んでくるから、遅くなるよ!」 『そう・・・分かった』 その日は、いつものメンバーの梨花、美優、朝彦、愛子の5人で飲む日だったのである。 『あっ、そう』 と、そっけない美子都の返事に、寛司にしては珍しいことを言った。 「母さん・・・最近、僕に何も聞かないね!」 『えっ?・・・だって、あまり話したがらないし・・・』 「ふ~ん・・・それだけかなぁ・・・何かあったんじゃないの?」 『な、な、なんにもないわよ! バカなこと言わないで!』 「って、その母さんの慌て方が、何かありました! って、言ってるんだけど・・・」 『えっ? ホントに何もないわよ!』 「ふ~ん・・・ねぇ、母さん・・・」 『な、なに!』 「おぉ~こわっ!」 『だ、だからなに? 何が聞きたいの?』 一呼吸して、寛司が聞いた。 「母さん・・・再婚しないの?」
マコト (火曜日, 09 8月 2016 21:00)
あまりに突然な質問に、美子都の表情は、おかちメンコに。 『はぁ? いきなり何を言い出すかと思えば・・・どうして突然そんなこと聞くの? 再婚なんかしないわよ!』 「どうして? 僕がいるから?」 『はぁ? 違うわよ! あなたは、もう立派な社会人になったんだし、なんなら、一人暮らしを始めてもいいのよ! あなたのことは、もう何も心配していないから!』 「そうなの? 僕が一人暮らしをしたら、母さん、ひとりぼっちになっちゃうじゃん!」 『ひとりぼっちに? ならないわよ!』 「なるじゃん!」 『ならないの! 私には、たくさんの仲間がいるんだもの』 「ふ~ん・・・友達って、そんなにあてになるものなの?」 『なるわよ! 貴方にもたくさんのお友達がいるでしょ』 「・・・いるけど」 『困ったときに助けてくれる! それが真の友達なのよ。お母さんには、そんな友達がたくさんそばにいてくれるの』 「ふ~ん・・・」 その時の美子都は自分のことよりも、寛司が、美優と梨花と、どういう関係でいるのか、それを聞きたい気持ちでいっぱいだった。 でも、それは当然聞けるはずもなく。 こんな時の母親は、こう切り返すのだ。 『私のことなんかより、自分はどうなのよ! 彼女ぐらいいるんでしょうね!』 「ははっ! 彼女? 特定の彼女はいないけど!」 『な、なによそれ! 特定のってどういうこと? まさか、何人もの彼女がいるんじゃないでしょうね?』 一昔前の美子都だったら、間違いなくウェストポーチを腰に付け 『彼女は一人! そんなの決まってるでしょ! 昭和の女をなめるなよ! ライダー~~~変身! トォー!!!』 と、重い体にムチ打って飛び跳ねていたであろう。 だが、美優とのことがあってから、美子都は少し変わっていたのである。 そんな美子都に対し、寛司は、昭和女には聞き捨てならない言葉を言ったのである。 「彼女なら、3人いるよ!」 と
マコト (水曜日, 10 8月 2016 12:59)
さすがに寛司が言ったその言葉には・・・ と、思いきや、それでも美子都は静かに 『3人? あぁ、そうなの・・・仲良くやるのよ』 と、寛司も驚くような言葉と、リアクションのない美子都だった。 「ねぇ、母さん・・・」 『うん?』 「どうして、何も言わないのさ!」 『何も?』 「そうだよ! 母さんにはあり得ないでしょ! 彼女が3人!だなんて」 『・・・そうね』 言い返せるはずがなかった。 なぜなら、美優との約束だからだ。 『ミーちゃんも、梨花ちゃんのことも両方応援するって・・・こういうこと?』 と、自問自答しても、答えがみつかるはずもなく・・・ 『3人?』 この時の美子都の頭の中には、萌仁香、壮健、そして健心の顔が思い浮かばれていた。 『どうして、こんな身内ばっかりと・・・ごちゃごちゃしなければいいんだけど』
マコト (水曜日, 10 8月 2016 20:55)
寛司と美子都との会話は、それ以上は続くこともなく・・・ 「行ってきます・・・母さん」 そう言って、寛司は仕事に行った。 そして、その日の夜 寛司や美優たちは、いつものように居酒屋ニチョウに集まった。 5人は、とりあえずのドリンクをオーダーし 「かんぱ~い」 その日の、注文係は梨花だった。 『ねぇ、お腹すいてない? 夏バテ対策に今日は食べようよ!』 「そうね! 梨花」 明るく応える愛子。 皆からオーダーを聞いて、部屋に備え付けられているタッチパネルの機械を操作する梨花、 それを朝彦がサポートしていた。 「こうだよ!」 『わぁ~ さすが朝彦! ありがとう、出来た』 その日は、土曜日で特に混んでいたこともあり、なかなか料理が届かなかった。 「今日は、混んでるみたいだからな! しょうがないよ」 そう言って、皆をなだめるのは寛司の役割だ。
マコト (水曜日, 10 8月 2016 20:56)
だが、待っているのも限界に達しそうになった頃、ようやく1品だけ届いた。 『あれぇ~ それ最後に追加でお願いしたものなんだけどなぁ・・・』 困ったような顔で梨花が言った。 それを察してか、朝彦が 「俺・・・タッチパネルの操作を間違えたかな?」 と、店員さんに確認した。 店員は、「えっ? す、すぐに確認してきます」 そう言って、帰っていった。 『いくらなんでも、遅いよね』 美優の言葉に、皆はうなずくだけだった。 すぐに別の店員が、血相を変えて現れた。 「すみません・・・失礼します」 扉を開けて入ってきた店員を見て、梨花が驚きの声をあげた。 『亮介!』
マコト (木曜日, 11 8月 2016 20:49)
『亮介じゃないの!』 梨花の言葉に、その店員も驚きの表情を浮かべた。 だが、 「大変お待たせをして申し訳ございません。手前どものミスがありまして・・・急いでお料理をお造りいたします。 申し訳ございませんでした」 と、梨花と会話を交わすことなく、丁寧に謝罪し急いで帰っていった。 『えっ、・・・亮介』 梨花は、何も言わずに帰っていった店員を、寂しそうな表情で見送るしか出来なかった。 美優が聞いた。 「梨花ぁ・・・知り合いなの?」 『・・・う、う~ん・・・』と、言葉を濁して答えなかった。 それから数分で、オーダーした料理が続々と運ばれてきた。 扉が開き、料理が運ばれるたびに、店員を確認する梨花だった。 何かあるのかと、梨花の様子をずっと見守る仲間達。 料理が全て揃うと、梨花がようやく口を開いた。 『亮介はね・・・』
マコト (金曜日, 12 8月 2016 22:07)
『亮介は、私の弟なの』 「弟? 梨花の? 梨花には弟がいたの?」 梨花は、少しだけ寂しそうな顔をして続けた。 『お父さんとお母さんが離婚したとき・・・私は、高校2年生、亮介は中学3年生だったの。 両親は、「お前たちの好きにしなさい」って・・・それで、私は、お父さんのところに・・・亮介はお母さんを選んだの』 美優が言った。 「ということは、さっきの亮介君? 亮介君のお父さんは、ケンちゃんさんっていうことなのよね?」 『そうよ』 「別々に暮らし始めてから、梨花は亮介君と会っていなかったの?」 『いやっ、それから何度かは会っていたけど・・・亮介が大学に入ってからは、一度も会っていないの・・・でも、どうして、ここで働いているんだろう・・・すごく頭のいい子でね・・・、実はね、私のお母さんは、薬剤師なの! だから、私達の仕事とも少しは関係しているんだけど・・・亮介もその道に進みたいって、頑張って唐京薬化大学に進学したはずなんだけど・・・』 「え~、すごーい! 唐京薬化大学なんて」 『そうね・・・』
マコト (土曜日, 13 8月 2016 08:18)
奥谷亮介(オクタニリョウスケ)、21歳 母親は、奥谷希咲 父親は、小野寺健心である。 今は、母、希咲のもとを離れ一人暮らしをしながら大学へ通っている。 中学時代まで父親・健心の影響を受け、半ば強制的に野球をやらされていた。 その反抗心からか、両親の離婚の際には、父親を選ばず母親・希咲と暮らすことを選んだ。 そんな亮介は、高校に行って野球を捨てようと考えていた。 だが、亮介と一緒に進学した中学時代のチームメイト達は、それを許さなかった。 「亮介! お前と一緒に野球がしたいんだ! お前がやらないのなら、俺たちも野球をやめる!」 仲間達からのその言葉で、亮介は野球部への入部を決めた。 高校野球は、学校の机の上で学んだことよりも、亮介を大きな男へと育んだ。 高校を卒業したとき、亮介は思った。 「オヤジ・・・オヤジの言っていた野球を通して学ぶこと、って、こういうことだったんだね・・・オヤジ」 「俺、野球を続けてきて良かったよ」と 亮介は、大学へ進学してからは、アルバイトをしながら薬剤師を目指して真面目に大学に通っていた。 亮介にそっけなくされ、梨花4は、とても寂しそうにしていた。 それに気づいた寛司が・・・ 自分のことを話し出したのであった。 「あのね、実は俺にも・・・」
マコト (土曜日, 13 8月 2016 08:21)
寛司は、自分の身の上話を始めた。 (寛司)「あのね、実は俺には姉さんがいるんだ」 (愛子)「えっ? 寛司にお姉さん?」 (寛司)「うん・・・2歳年上の姉さん・・・境遇は梨花と全く同じなんだ」 (梨花)「私と?」 (寛司)「うん・・・両親が離婚した時に自分は母親と・・・姉は父親と暮らすようになってさ」 (梨花)「ホンとね・・・うちと同じように、姉弟で別々に暮らしたのね」 (寛司)「父さん・・・離婚してからは、急に厳しい親に変わっちゃったらしくて・・・姉さん、そんなこともあって、若くして結婚したんだ・・・父さんの反対を押し切ってさ」 (梨花)「そうだったの・・・それで、今は連絡し合ってるの?」 (寛司)「結婚して父さんのうちを出たときに会ったのが最後かな」 (梨花)「お姉さん・・・幸せに暮らしているんでしょ?」 (寛司)「分かんない・・・父さんのところにも連絡をよこさないって・・・もちろんお袋のところにも」 (愛子)「お父さんも寂しいでしょうね・・・」 (寛司)「そうだね・・・」 付き合いを重ねていくことで、徐々にではあったが、互いの家庭環境を知っていった仲間達であった。
マコト (日曜日, 14 8月 2016 19:36)
梨花は 『なんか、ごめんね、私の家のことで・・・せっかく楽しく飲んでいたのに・・・』 仲間達は、もちろん、そんな気遣いのできる梨花を責めることはなかった。 気分を変えたかった梨花が、突然、こんなことを言った。 『そうだ! みんなでバーベキューやろうよ!』 「えっ? バーベキュー? いいねぇ~ でも、どこでやるの 道具は?』 『私のお婆ちゃんの生まれた家よ! 道具も全部揃ってるんだ!』 「へぇ~ すごーい! いつ? いつにする?」 梨花は、満面の笑みを浮かべて言った。 『来月の最初の日曜日ね! 準備は私に任せておいて!』 仲間達は、全員そろって言った。 「了解!」 実は、55会で、その日その場所でのバーベキューを計画していたのである。 梨花は、健心から 「梨花も来るか?」 と、誘われていたのであった。 だが、さすがに自分だけ、親の同級生に交じってということに、気が引けていた梨花であったのだが、自分の仲間達が一緒なら! そう考えて、寛司達を誘ったのである。 飲み会を終えた梨花が帰宅して、健心に早速報告した。 『ただいまぁ~』 「おかえり、梨花」 『お父さん、あのね! バーベキューに私も行く!』 「おぉ~、そっかい・・・気が変わったのか?」 『う~ん、私一人じゃ寂しいと思ったんだけど・・・お友達も連れて行っていいでしょ?』 「あぁ、もちろんいいよ! バーベキューは賑やかな方がいいもんな!」 『サンキュー! って、ゴメン、私、明日も早いから、お風呂に入って先に休むね! じゃぁ、また近くなったら! 』 「はいよ」 と、遅い時間であったがために、そのメンバーが美優や寛司達であることまで話さなかった梨花だった。
PON (日曜日, 14 8月 2016 21:18)
その時健心は 「直前になってインフルエンザになるんじゃねーぞ」 という一言だけ伝えたのだった。
マコト (月曜日, 15 8月 2016 18:59)
梨花が、バーベキューのことで多くを語らなかったのには、実は、もう一つ別の理由があったのである。 そう、それは亮介のことだ。 『お父さん・・・今日、亮介に会ったよ! 亮介、元気だったよ!』 そう、伝えたかった。 だが、亮介は、料理が遅れたことをお詫びに言いにきてからは、一度も顔を出すこともなく、帰り際も姿を現さなかった。 『亮介・・・』 梨花は、諦めて居酒屋を出た。 亮介のことを健心に話そうとも考えたが、 「なんで、地元の居酒屋で働いているんだ?」 と、健心の心配事を作るだけだと思い、話せなかった梨花だった。 梨花は知っていた。 健心が、亮介には内緒で大会のたびに亮介が野球をする姿を見に行っていたことを。 『お父さん・・・球場まで足を運んでいるなら、亮介にあって、アドバイスを送りたかったんだろうなぁ』 そんな健心に、何も言えなかった梨花だった。 だから、普段ならたくさん会話する梨花も、その日に限っては最低限のことしか話さなかった。 弟想いの梨花であるがゆえに、余計に健心には話せないと思ったのであった。 55会のメンバー達は、着々とバーベキューの準備を進めていた。 可夢生は、二度目の案内メールを送信し、 健心は、ホームセンターでテントを購入、そして従兄に連絡し鮎の手配を 萌仁香は、参加者の車の配車を考え、 玲飛は、ビールサーバーの点検を そんな中・・・ 美子都は、 『私が参加しなかったら、バーベキューは始まらないもんね! 食べなきゃ!』 と、好物のみたらし団子を そう、健心から言われたインフルエンザ対策に余念がなかったのである。
マコト (火曜日, 16 8月 2016 12:59)
バーベキューの日が近づいてきたある休日・・・ 梨花の携帯がなった。 『あっ! カンチからだわ! もっしも~し、わたしリカちゃん』 「おっ・・・相変わらず明るいな!」 『だって、カンチからの電話だもん! で、どうしたの? 珍しいじゃない』 「あっ、うん・・・なぁ、梨花は今日は何してんの?」 『えっ? ・・・今日は特に用事はないけど・・・なんで?』 「いやっ・・・」 寛司は、すこしためらいながらも 「じゃぁ、付き合えよ!」 『えっ?・・・付き合えって?』 「いやっ、暑いしさ・・・お袋から、うまいかき氷屋さんがあるの聞いたんだ! 一緒に食べに行こうぜ!」 『えっ? なに? カンチ・・・それってデートのお誘い?』 「違うよ! ・・・ドライブだよ! 一人じゃ寂しいからさ・・・暇なんだろうから連れていってやるよ!」 『えーーーなに、それ!!! じゃぁ行かない!』 「なんで? 暇なんだろう?」 『・・・行かない・・・行きたいけど』 「な、なんだよ、それ! どっちなんだよ?」 『・・・・・』 返事をしない梨花に、寛司はこう言って電話を切ったのだった。 「一時間後に迎えに行くから! じゃぁな!」 いきなり切られた電話に梨花は 『はぁ? 切ったぁ! ・・・わたし、迎えに来たって行かないからね!』
マコト (火曜日, 16 8月 2016 19:37)
一時間後・・・ 「おはよう」 寛司の車に、ポニーテールにカジュアルな服装の梨花がいた。 『もぉ~、もうちょっとうまい誘い方してよね!』 「ごめん・・・」 『で? どこのかき氷屋さんに連れていってくれるの?』 「あっ、い、今市だよ!」 『へぇ~・・・美味しいの?』 「お袋のお勧めでさ・・・」 二人のデートは、こんな雰囲気でスタートしたのであった。 梨花にとって、寛司の運転は、とても居心地が良かった。 それは助手席に座った者でしか味わうことのできない感覚だ。 車内には、80年代の懐かしい曲が流れていた。 そう、それは美子都が青春時代に聞いていた曲だった。 梨花は、それを口ずさんでいた。 「知ってるの?」 『えっ? オフコースのこと?』 「うん! ずいぶん古い曲だけど・・・」 『だって、お父さんがよく聞いていた曲だもの』 「そっか、同じだ! 俺はお袋が好きで、よく聞いていたから」 ≪それでもいま君が あの扉を開けて 入って来たら 僕には分からない・・・≫ しばらく一緒に歌った二人であった。 寛司の車は杉並木を走った。 今市に近づくと、渋滞していた。 『混んでるね』 「そうだなぁ・・・」 渋滞から気を紛らわそうとしたのか、寛司が突然に聞いてきた。 「なぁ、梨花・・・」 『なぁに? カンチ』
マコト (水曜日, 17 8月 2016 22:18)
寛司は、どこか嬉しそうな顔で聞いた。 「スタンダード決めクイズ出すから答えてよ!」 『スタンダード決め? って』 「お袋から教えてもらったんだけどさ・・・まぁ、とにかく質問するから、素直に答えてよ!」 『わ、分かった』 「第一問! 桜餅の葉っぱを一緒に食べる? 食べない?」 『え~、そういう質問なのね! わたしは・・・一緒に食べる!』 「ほ~、なるほど! じゃぁ第二問いくよ! アジフライにかけるのは醤油? それともソース?」 と、そんな寛司の質問に梨花は素直に答えていった。 途中、梨花は 『え~ カンチはどっちなの?』 と、寛司の答えも聞きたがった。 それでも寛司は、 「俺のことはいいから、まずは梨花が答えてよ!」 と、素直に答えることを促した。 「第12問! 梨花の右手を見て長いのはどっち! 人差し指? それとも薬指?」 「第13問! 待ち合わせ! 梨花は待つ派? 待たせる派?」 「第14問! 仕事で重要なのは・・・結果? それとも経過?」 「第15問! 好きな人と一緒に歩くときは・・・腕を組みたい? それとも手をつなぎたい? どっち?」 「第16問! あなたは、愛したい派? それとも愛されたい派?」 「梨花・・・最後の質問いくよ!」 『えっ? 次が最後なの? 分かった』 「第20問! 梨花は・・・今の自分のことが好き? それとも、好きじゃない?」 『え~・・・』 最後の質問のときは、ちょうど赤信号だった。 寛司は、助手席で真面目に考えて、答えを導き出す梨花を見ていた。 梨花は、最後の質問に笑顔でこう答えた。 『答えは・・・好き! だって、誰かに愛されたいって思うなら、まずは好きになれる自分でいなきゃ! それがお父さんの口癖なんだもの! ここで、嫌いって答えたら・・・』 梨花は、少し恥ずかしそうな顔でそう言った。 寛司は、最後の質問を終えてこう言ったのである。 「良かったぁ・・・なぁ、梨花」 『うん?』 「ひとつだけ・・・」 『なにが? ひとつだけなの?』 「ひとつだけ違うけど・・・あとは全部俺と同じだよ!」 『え~ なんかすごーい! って・・・どの質問が違ったの?』 「・・・・・」 『はっ? どこ? どの質問?』 「・・・・・」 『答えたくないの? え~、なにそれ! どの質問よ!答えろーーーカンチ!!!』
マコト (木曜日, 18 8月 2016 03:21)
寛司は、それよりも違うことを梨花に伝えたかった。それは 「梨花・・・お袋と20問全部同じ答えだったよ!」と 寛司は、梨花の質問には答えずに・・・ 「梨花、着いたよ! あれ見て!」 梨花に、正面を見るように言った。 『わぁ~ すごい人!』 「まいったなぁ・・・混むよとは聞いていたけど、ここまでとは・・・どうする?」 『どうするって?』 「並ぶ?」 梨花は、満面の笑みで 『当たり前でしょ! 美味し良いものをいただくには、行列は付き物だよ!』 それは、よく聞かされた台詞だった。 そう、それは美子都がよく言う台詞であった。 「そ、そうだよな・・・せっかく来たんだもんな!」 線路を渡ったところにある駐車場に車を停めた。 二人で歩き出すと梨花が 『ねぇ、カンチ・・・つなぐ?』 「えっ?・・・な、なにを?」 『手』 寛司は、慌てて 「デ、デートじゃないから! あっ!早く並ばなきゃ! 急げ~!!!」 そう言って、歩くスピードを速めた。 梨花は、照れる寛司を楽しむかのように 『私の方が速いよ!』 と、言って寛司を追い越して行った。
マコト (木曜日, 18 8月 2016 19:57)
梨花と寛司が、かき氷屋さんの行列に並んでいた頃だった。 休日を家でのんびりしていた健心の携帯がなった。 「おぉ~ 萌仁香からだ! なんだべや?・・・はっ?」 萌仁香からのLINEには、こう書かれてあった。 『バーベキューに、春香(ハルカ)が参加したいって! 健心に聞いてみてって!』 健心は、一瞬、ためらったが、こう返信した。 「春香かぁ・・・久しぶりだな! ぜんぜん構わないよ! そう伝えて!」 健心がためらったのには、理由があった。 「春香・・・まさか、あの“伝説の飲み会”の時の話はしないよな」と 息子、娘たちとは別のところで、メンバー達のバーベキューの準備は着々と進んでいたのであった。
寛司と梨花は、かき氷屋さんに着いた。 『カンチ、すごい人! きっと、それだけ美味しいのよね!』 「そ、そうだな」 次に分かったのだが、二人が見た店の前で並んでいた人は、受付を済ませたお客さん達だけだったのである。 その日は、店の奥の別の場所で、受付を待つ人が、約100人は並んでいたのであった。 「ま、ま、まじか・・・」 寛司は、思わず帰りたくなった。 だが、そこは女子と男子の違いなのであろう。 もう、梨花は待つことを楽しんでいたかのようであった。 梨花を見ていると、同じような女子の姿が、直ぐに思い出された。 「お袋も、同じだ!」と よく、寛司は美子都に連れられて、行列に並ばされた。 『寛司! ここは美味しいから、頑張って並ぼうね!』 寛司も、その言葉だけには、逆らえなかった。 『変身! トォー!!!』 だけでは済まない! 食い物の恨みは・・・って、やつだ。 ようやく、受付の順番になったが、再び、寛司に衝撃が走った。 「・・・はぁ?」 それは、かき氷の値段だった。 寛司には、800円という値段が理解できなかったのである。 それでも2時間待って、食べたかき氷に 「これが、天然氷ってやつなんだな!」 と、その手間暇に値段が加算されていることに納得した寛司だった。
マコト (金曜日, 19 8月 2016 05:08)
『美味しかったねぇ、ありがとうカンチ』 梨花の笑顔で、2時間並んだ疲れは全て消え去った。 寛司は、そんな梨花に 「少し、ドライブしようか?」 『うん!』 二人は、所野経由で霧降高原に向かった。 山を登っていくと、天気が急変し、名前の通り、霧が一面に立ち込めていた。 視界は数メートル、カーブもきつく・・・ そんな状況での寛司の運転は、とても丁寧だった。 『大丈夫か? 梨花』 そんな些細なことが、梨花には嬉しかった。 途中、“チロリン村”と書かれた看板が目に飛び込んできた。 「なんだっけ? チロリン村って」 『え~ 私も分かんないよ、カンチぃ』 「寄ってみようか?」 『うん!』 チロリン村の駐車場に車を停めて、施設に近づいた二人は、愕然とした。 「梨花・・・」 『・・・うん』 「・・・ごめん」 『・・・いいの』 「知らなかったもんで・・・」 『・・・いいんだって』 「いく?」 『・・・いかない』 「・・・だよな」 『・・・うん』
マコト (金曜日, 19 8月 2016 05:12)
二人が目にしたものは・・・ 今さっき、今市で食べたかき氷屋さんと同じ看板だった。 そこにいる客は皆、ゆったりとデッキに座ってかき氷を食べていたのだった。 「ここでなら、二時間待たずに・・・もう一度食べる?」 『もう、食べられないよ~』 「・・・だよな・・・ごめん、知らなかった」 『いいの! だってカンチと2時間並んで食べたことが、楽しい思い出になったもん!』 「・・・そっか・・・なら、いいんだけど」 苦笑いの二人は、大笹牧場に向かった。 六方沢まで行くと寛司が 「あぁ・・・残念だな」 『なぁに? 何が残念なの?』 「いやっ、ここからの景色は最高なんだよ! 霧がなければなぁ・・・この下は谷底まで130m以上あるんだよ!」 『えっ? この橋の下? 130m? 無理!無理無理!』 それは、逆ローゼ型のアーチ橋「六方沢橋」だ。 どうやら、梨花は、高いところがあまり得意ではないようだった。 「苦手なの?」 『う・う・う・・・ん』 女の子が、弱いところを見せると、それを守りたくなるのが男の性 寛司は、目を閉じて怖がる梨花に 「もう通り過ぎたよ!」 と、笑って教えてあげたのだった。 『ほ、ホンと? 良かった! ありがとう・・・カンチ』 大笹牧場も、霧が全てを覆っていた。 「残念だね、ごめんね・・・俺の選定ミスだよな」 決して寛司が悪い訳ではないが、綺麗な景色を見せられなかったことを素直に謝る寛司に、梨花は 『そんなことないよ! 霧に包まれた牧場・・・なんか想像して景色を思い浮かべるのも素敵よね!』 と、男の子にとっては、最高な返事を返してくれたのだった。 『お父さんにお土産!』 「そっか」 と、寛司は籠を持って。 会計を済ませて、外に出ると・・・ さっきまでの霧が嘘のように、晴れ渡っていた。 『カンチ、見て~!!!』 二人が目にしたのは、あたり一面の“ひまわり畑”だった。 梨花は、子供のようにはしゃいで 『ねぇ、カンチ!行こう』 梨花は、寛司に追いかけて欲しいかのように、ひまわり畑を走った。 それは、あたかもサリンジャーの小説の描写のようだった。 あれ??? それは、『ライ麦畑でつかまえて』だったか?
マコト (金曜日, 19 8月 2016 20:15)
それから二人は、食事をしようと、明治の館に向かった。 「さすが、世界遺産だよな! 混んでるね」 『そうね、でも、東照宮に来るのは、世界遺産になってから初めてよ!』 「そっか、俺もだ!」 明治の館に着いた二人は、コースをオーダーした。 『ねぇ、カンチ! なんか、本当にデートみたいね』 「えっ? う、う~ん・・・」 だが、寛司は 「あっ、そう言えばさ・・・」 と、話題を変えてしまった。 食事を終えた二人は、二荒山神社へと向かった。 参道を進んでいくと、拝殿正面の神門の右手に1つの根から2本の杉が仲よく寄り添う「夫婦杉」、そして、左手には同じく1つの根から2本の立派な杉と小ぶりな1本の杉が並ぶ「親子杉」が目に入った。 『え~ わたし、知らなかった』 「なにが?」 『ねぇ、カンチ・・・この神社は縁結びで有名な神社だったのね』 「えっ? そうなの?」 梨花は、勝手に想像していたのかもしれない。 『カンチ・・・ もしかして、この神社に連れて来てくれたのは・・・な~んてね!』
マコト (金曜日, 19 8月 2016 20:16)
突然ではあるが・・・ 日光には、伝説があることをご存じだろうか。 それは、日光にデートしたアベックは、必ず別れるという都市伝説だ。 梨花と寛司の初デートの時にする話しではないが・・・ 事実、存在した伝説だ! それも高い確率で。 休日を一緒に過ごした寛司と梨花は、たくさんのことを話した。 互いに話して初めて知ることばかりだった。 梨花には、とても嬉しいことがあった。 それは、いろんなことに対する価値観が、寛司と同じであるということ。 『価値観が同じって、とても大切なことよね・・・カンチ』 日光をあとにして、薄暗くなった杉並木を通って走る寛司の車 『楽しかったぁ、カンチありがとう』 「俺も楽しかったよ! 梨花」 車の中には、楽しく話す梨花と、それを笑顔で聴く寛司がいた。 梨花の家が近くなってきた。 寛治は、手前の交差点を右折して、車を停めた。 そして・・・ 「なぁ、梨花・・・」 梨花は、思ってもいなかった言葉を寛司から聞かされるのであった。
マコト (土曜日, 20 8月 2016 20:17)
寛司は、公園の駐車場に車を停めた。 公園の街灯が、二人の顔を微かに照らし出していた。 運転中は、梨花の話にうなずくだけだった寛司が、話し出した。 「なぁ、梨花・・・」 『うん? なぁに、カンチ』 「梨花の誕生日っていつ?」 女の子が、誕生日を聞かれれば、それはそれなりの想いが湧くであろう。 梨花は、嬉しそうに 『3月12日だよ!』 「そっか・・・」 『えっ? なに? そういうカンチは?』 「俺? 俺は11月18日」 そして寛司は、梨花が想像もしていなかったことを言ったのだ。 「俺が、兄貴になるんだな!」 『えっ?・・・』
マコト (土曜日, 20 8月 2016 20:19)
『そ、そうね、カンチの方が早く生まれたんだもんね』 「いやっ、そういうことじゃなくて・・・」 『えっ? ・・・なに? どういうこと?』 「俺が、兄貴! そして梨花が俺の妹になるんだよな! ・・・俺たち兄妹に」 『・・・カンチ』 そのことは、梨花だって分かっていた。 分かっていたからこそ、寛司を異性として意識せずにこれまで接してきた。 でも、突然の電話に、梨花の深層心理が言葉になって体外へと飛び出してしまったのである。 『デートのお誘いなの? カ~ンチ』と 心の奥底では、寛司を異性として感じたい本当の梨花がいたのであった。 梨花は、純粋に嬉しい気持ちで、今日一日を過ごしてしまった。 知らずに済めば、思いも募ることはなかったのかもしれないが・・・ 寛司の魅力を知るには、一緒に過ごしたわずかな時間だけで十分だった。 寛司の言葉に、梨花はうつむいて 『そっか・・・カンチもちゃんと分かっていたのね』 「うん?」 『私のお父さんと、カンチのお母さんのこと』 「・・・うん」 『分かっているなら、どうして私のことをドライブになんか誘ったのよ!』 そう言いたい気持ちもあった。 でも、優しい寛司に、もちろんそんな言葉はかけられなかった。 梨花は、寛司の本心を聞くのが怖かった。 どういう気持ちで、今日一日、自分と過ごしていたのか。 わずか数時間前の寛司の笑顔が、思い出された。 梨花は、 『カンチのバカー!』 そう言って、胸に飛び込みたかった。 それでも・・・ 梨花は、ひとつ大きく息を吸って、笑顔を作ったのである。 そして・・・
マコト (日曜日, 21 8月 2016 09:34)
『ねぇ、カンチは、私にどんな妹になってもらいたい?』 「えっ?」 『私ね、カンチがお兄さんになるの、すごく嬉しいよ!』 「・・・梨花」 『もしかして・・・私が妹じゃ不満なの?』 「そ、そういうことじゃなくて・・・」 『じゃぁ、私が妹になるのが嬉しいのね?』 「・・・・・」 梨花は、返事が出来ずにいた寛司を無視して 『良かった! さっそくお父さんに報告しよう~っと!』 「えっ? なんて?」 『決まってるじゃない! 仲良し兄妹が誕生しました! って』 寛司は、梨花の言葉に何も返すことはなかった。
マコト (日曜日, 21 8月 2016 23:04)
『まったねぇ~ カンチ!』 そう言って、車から降りた梨花は、寛司の車が見えなくなるまで見送った。 『カンチ・・・行っちゃった』 梨花は、自宅とは別方向に歩き出した。 ちゃんと気持ちの整理がついていなかったからだ。 それは、別れ際に寛司が 「なぁ、梨花・・・」 『うん? なぁに カンチ』 「・・・いやっ、な、なんでもない・・・今日は、付き合ってくれてありがとう! 楽しかったよ!」 と、何かを言いかけて・・・うつむく寛司の、寂しそうな顔が目に焼き付いてしまったからだった。 『カンチ・・・私に何かを言いたかったの?・・・』 梨花は、あてもなく歩いた。 ふと気が付くと、高校の正門が目に入った。 『ここ・・・カンチが通った高校だよね』 梨花は、科沼高校の前にいた。 『私もこの高校に通っていたら、カンチともっと早く出会えることができたのかなぁ・・・』 一筋の涙が、梨花の頬を濡らした。 動けずに、しばらく校舎を見ていると 「梨花!」 一台の車が停まって、梨花の名を呼んだのである。 「えっ?・・・」
マコト (月曜日, 22 8月 2016 12:47)
突然ではあるが・・・ 55会のメンバーたちは、仲間が台風の被害にあわないことを願って、台風が早く通り過ぎてくれるのを待った。 『あまり雨を降らせないで! お願い』 『中トロも鰻重も食べられなくてもいいから! だから・・・台風さん! 雨をたくさん降らさないで!』 川が氾濫することがないよう、ただただそれを願った。
マコト (月曜日, 22 8月 2016 22:24)
「梨花!」 それは、朝彦だった。 朝彦は、助手席側の窓を開け運転席から梨花の名を呼んだ。 『えっ?・・・朝彦』 梨花は朝彦に背中を向け、慌てて涙を拭いた。 そして精一杯に作った笑顔で朝彦を見て 「朝彦! どうしたの?」 「それは、こっちの台詞だよ! 梨花こそこんなところで何をしているの?」 賢い人は、咄嗟にそれなりの嘘が言えるものだ。 『ポ、ポケモンGOだよ!』 「まじかぁ・・・えっ? レアなポケモンでも出るの? ここ」 『う、う~ん・・・噂で聞いたんだけど・・・いないみたい』 そう言って、梨花は事なきを得た確信をもって普段の笑顔を作った。 「こんな遠くまで、一人で歩いて来たの?」 『あっ、う、う~ん』 もちろん朝彦には、お見通しだった。 優しい男の子は、こんな時には、うまく話を合わせてくれるのだ。 「しかし、奇遇だなぁ、こんな所で会って・・・でさ、実は俺も今からポケモン探しに行くところなんだけど、良かったら一緒に行こうよ!」 梨花も、朝彦のその嘘は、お見通しだった。 『えっ?』 返事にためらっている梨花に 「行こう、梨花! 乗りなよ!」 朝彦は、車から降りてきた。 そして、梨花の右手を強引に握ったのである。 「さぁ、行こう! 梨花」
マコト (月曜日, 22 8月 2016 22:32)
強引な朝彦に、梨花はされるがまま車に乗り込んだ。 「暗くなって、女の子が一人で歩いているなんて物騒だよ!」 『えっ? あ、・・・うん』 こんな時、優しい女の子なら、男の子の嘘を暴いてあげるものだ。 そうしないと、男の子が嘘をつき通さなければならないことを知っているからだ。 梨花は、朝彦の顔を見て 『朝彦・・・こないだの飲み会の時に、俺はポケモンなんてやらないよ!って、言ってなかったっけ?』 「あ、あれ~ そんなこと言った? 言ったかなぁ~ じゃぁ、嘘だってバレてたか?」 『もぉ~ 朝彦ったら!』 この会話で、いつもの二人になれた。 車に乗るまでは、強引な一面をみせた朝彦だったが、それは梨花に対する優しさだった。 当然、梨花もそれは分かっていた。 こんな時には、二人の共通の話題を出すしかないものだ。 「最近、仕事どう?」 『うん、なんとか・・・朝彦は?』 「俺も、ぼちぼち頑張ってるよ」 話題は、自然と5人の話になった。 「寛司の会社も大変みたいだよな」 『えっ?そうなんだぁ』 「愛子も頑張ってるかな?」 『愛子? うん、きっと頑張ってるわよね』 『あっ! そう言えばさ、バーベキューよろしくね!』 「おぉ~ そうだそうだ! バーベキュー楽しみだよな! 梨花のお婆ちゃんちなんだって?」 『うん! 綺麗なところよ!』 「楽しみだなぁ」 この後朝彦は、梨花からあるお願い事をされるのであった。
マコト (火曜日, 23 8月 2016 12:49)
『ねぇ、朝彦ぉ~ バーベキューの日なんだけどさ・・・朝彦にお願い事してもいいかなぁ』 「おぅ! なんなりと言ってくれよ!」 『じゃぁさ、美優を迎えに行ってくれない? 美優の家に一番近いんだからさ』 「えっ? み、美優を?」 『そう! 美優を! 朝彦が! 一人で!』 女の子は、男の子の微妙な変化を簡単に見抜くものだ。 動揺を隠せない朝彦に 『えっ? いやなの?』 「そ、そうじゃないけど・・・」 『けど、なに?』 「いやっ、お、女の子は女の子で一緒に行く方がいいんじゃないの?」 『はぁ?なに、そのつまんないこだわり!』 梨花は少しいたずらな顔を浮かべて 『ねぇ、朝彦・・・もしかして美優と二人になるのが恥ずかしいの? 』 「ば、バカなこと言うなよ!」 『やっぱりぃ~ 美優と二人じゃ恥ずかしいんでしょ!』 「この歳になって、恥ずかしいとか、ある訳ないだろう!」 『じゃぁ、迎えに行ってくれる?』 「・・・・・」
マコト (火曜日, 23 8月 2016 21:18)
男は、単細胞である。 恥ずかしいものは、恥ずかしいのだ。 梨花は、困った顔の朝彦にさらに追い打ちをかけた。 『ねぇ、朝彦・・・私と二人で車に乗るのは平気で、美優とは恥ずかしいって、どういうことかしら?』 「そ、それは・・・美優とは、知り合ってまだ間もないからだよ!」 『えっ? 間もない? 私とそんなに変わらないわよね?』 「り、梨花とは・・・会社でよく合うし・・・」 『ふ~ん・・・じゃぁ、美優ともっと会えば平気になるのかな? もっと二人で会えばいいじゃん!』 「はぁ? なに言ってんだよ! そ、そんな必要が、どこにあんだよ!」 『あなたには、あるんじゃないの?』 「はぁ?・・・まったく、意味わかんね!」 会話は、そこで中断した。 梨花は、 『朝彦って、分かんない人! 私の手を強引に握ったりするかと思えば・・・』 そう言って朝彦が掴んだ右手を見た。 その右手は、寛司とつなぎたかった右手だった。 朝彦の手の温もりが残っていた。 梨花は、我に返って朝彦にこう言った。 『なんかね、朝彦、カッコ良かったよ!』 「はぁ? なにが?」 『私を車に乗せようと、強引に・・・』 「強引にするのが、カッコいいのか?」 『いやっ、そうじゃないけど・・・』 「じゃぁ、なに?」 『う~ん・・・なんでもない! ただ、男の人が女の子を守ろうとしてくれる時って、カッコいいなって思っただけ』 「はぁ? なに訳の分からないこと言ってんの? 梨花」 『いいの、いいの! 分からなくて』 梨花は、車の外を流れる景色に目をやり、ひとつ大きく息を吐いた。 隣で運転する朝彦は、梨花を一度だけ見て 「変なやつ~」 と、笑った。
マコト (火曜日, 23 8月 2016 21:20)
そんな時、“噂をすればなんとやら”で、梨花の携帯がなった。 『あっ! 美優からだよ! もっしも~し・・・うん・・・そう・・・えっ? 私に話しが?・・・うん・・・うん、明日?・・・うん、大丈夫だよ!・・・うん、分かった・・・うん・・・うん・・・じゃぁ、明日ね!』 美優からの電話を終えた梨花は、ちょっといたずらな表情を浮かべてこう言った。 『ほらぁ、噂をしていたから、かかって来たよ! 美優から』 「ふ~ん」 『でね、なんか私に話があるんだって! 明日、会うんだ! せっかくだから朝彦のことも話してくるね!』 「はぁ? なに? なにを話してくるのさ!」 『うん? だから、バーベキューの時には、朝彦が迎えに行くからね!って』 「はぁ?・・・俺、まだ承知してないけど!」 『あらっ! そうなの? じゃぁ・・・別の人にお願いしなきゃ・・・』 「別の人って? ・・・もしかして寛司のことか?」 『えっ? そ、そうなるのかな・・・』 男の子だって、女の子の微妙な変化に気付くものだ。 「梨花・・・なんか、寛司には行ってほしくないって顔してるけど・・・」 『えっ? ち、違うわよ! 誰が美優の家に近いのかなぁって考えていたの! あっ! 愛子の家の方が近いわよね! 愛子に迎えに行ってもらうわよ!』 梨花に対する優しさからなのか、いい切っ掛けだと考えたからなのかは分からないが、朝彦は梨花に伝えた。 「じゃぁ、いいよ! 分かったよ、迎えに行くよ! 梨花に頼まれたから、仕方なくだからな!」 『あら、ホンと? じゃぁ、よろしくね!』 梨花は、朝彦に感謝していた。 どう見ても普通ではなかった梨花に、朝彦は何も聞かずに、ただそばに居てくれたからだ。 『朝彦・・・ありがとう』 そう、言葉にして言いたかった。 それでも、笑顔で普通の自分でいることが、唯一、梨花に出来ることだった。 弱っているとき、誰かにそばにいてほしいとき、 そんな時に優しくされ、自分を支えてくれる人に、気持ちが・・・ それが女の子なのだろうか。 『朝彦・・・送ってくれてありがとう』 「うん! ・・・なぁ、梨花・・・大丈夫か?」 『えっ? 何が? 大丈夫って?』 「い、いやっ、仕事さ! 仕事!」 『仕事? うん、大丈夫! 私、頑張る!』 「そっか! じゃぁ良かった。 俺、帰るわ」 梨花は 『ありがとう・・・朝彦』 と、朝彦の車を見送ったのだった。
マコト (水曜日, 24 8月 2016)
梨花が家に帰ると、健心はいなかった。 『あれっ? 出かけたのかなぁ・・・お父さん』 階段をトントンとのぼって、自分の部屋に入った。 FANCLのクレンジングで化粧を落とし、鏡に映る自分の素顔を見た。 一人になって、今日一日のことが順に思い出されてきた。 自然に涙があふれてきた。 寛司は、いつも笑顔で梨花を見ていてくれた。 強引で、それでも照れ屋で、優しい朝彦も思い出された。 梨花は、鏡に映る自分に向かってこう言った。 『今日だけは、泣いてもいいかな・・・』 その言葉と同時に、こらえていた分の涙が流れ落ちた。 どれくらいの時間が経っていたであろうか。 梨花は、大きく息を吸って鏡に映る自分に語りだした。 『梨花! あなたのお父さんは、自分のことよりも梨花のことを考える人なんだからね! くれぐれもカンチのことを気付かれちゃいけないんだからね! 分かった? 梨花』 『それから、・・・梨花! きっとね、朝彦は美優のことが・・・応援してあげるんだぞ! いい、分かった? 梨花』 部屋の電気を消して、ベッドに入った梨花は、ゆっくりと目を閉じた。
マコト (水曜日, 24 8月 2016 22:10)
翌日になった。 梨花の車に美優が乗り込んできた。 「ごめんね、梨花・・・付き合わせちゃって」 『いいのよぉ~ 美優 それより、今日のランチどこにする?』 「えっ?・・・考えてなかった、ゴメン」 『じゃ~ぁ・・・あっ! 益子でお父さんの同級生がカフェをやってるところがあるって!そこに行こうよ!』 「あぁ、それってBRANCH(ブランチ)っていうお店かなぁ?」 『そう! あっ、美優もお母さんから聞いたことあるの?』 「うん! 一度、行ってみたかったんだぁ・・・ずるいと思わない? いつも私は、お留守番なのよ! お母さん、お盆休みにも行ってきたんだって! 美子都さんも一緒に!」 『そうだったのぉ』 「お母さん、まいった!って」 『えっ? 何が?』 「美子都さんも一緒だったから、BRANCHだけじゃ足らずに、もう一軒はしごして・・・満腹中枢が破壊されそうだった!って」 『美子都さんらしいわね!』 「でもさ、歳をとると、たくさん食べられるようになるのかな?」 『えっ? それは関係ないんじゃない?』 「だって、美子都さん言ってたよ! 50歳を過ぎてから食べるようになったって」 『ふ~ん・・・』 Chanomi-Café Branchは、我妻衿那(ワガツマ・セリナ)のお店だ。 萌仁香や美子都たちはもちろん、健心もお忍びで時々出かけていた。 二人は、近況報告をしながらBRANCHに向かった。
マコト (水曜日, 24 8月 2016 22:11)
二人がBRANCHに着くと、衿那が厨房から出てきた。 「いらっしゃいませ・・・あれっ? 美優ちゃん? 美優ちゃんよね?」 「あっ、はい! こんにちは衿那さん」 「来てくれたのね! 遠いところ、ありがとう! 」 「はい」 美優は、衿那と明るく挨拶を交わした。 「美優ちゃんのお友達?」 と、衿那は梨花の方を向いて美優に聞いた。 「はい! あっ、衿那さんのよく知ってる人の娘さんなんですよ!」 梨花は、笑顔で軽く会釈をした。 すると、衿那は 「なるほどねぇ・・・可愛い娘さんだこと」 『えっ? 衿那さん、もう誰の娘なのか分かっちゃったんですか?』 「もちろんよ! 健心の娘さんでしょ!」 『そ、そうです! ケンちゃんさんの娘さん! 梨花です』 『小野寺梨花です、こんにちは・・・わたし、そんなに父に似ていますか?』 と、半分迷惑そうな、半分照れたような顔をした。 「だって、目元なんかそっくりだもの」 それは確かに、梨花がよく言われることだった。 梨花は、すぐに気になったことを聞いた。 『父は、私の話をよくするんですか?』 「う~ん・・・そんなよくってほどじゃないけどね」 衿那は、笑って 「まぁ、立ち話もなんだから、どうぞ、そこに座って」 そう言って、厨房に入って行った。
マコト (水曜日, 24 8月 2016 22:12)
衿那は、冷たいお水とオシボリを二つ、そしてメニューを持って戻ってきた。 そして、二人の前に座った。 『今日は、ゆっくり出来るんでしょ?』 「あっ、は、はい衿那さん」 『萌仁香は、元気にしてる?』 「あっ、はい」 『健心はどう、相変わらず?』 梨花は、その微妙な言い回しに、苦笑いで 「はい・・・たぶん、相変わらずなんだと思います」 『・・・そう』 衿那は何かを言いたそうな表情を浮かべたが、 『あっ、注文が決まったら呼んでね!』 と、また厨房に戻っていった。 衿那は、奥から 『可愛らしい子ね・・・梨花ちゃん』 と、美優と二人で仲良くメニューを見て、悩んでいる梨花の姿を見ていたのであった。
マコト (木曜日, 25 8月 2016 12:57)
実は・・・ それは、美優と梨花が来た数日前のこと。 突然、BRANCHに健心が現れた。 『おぉ~ 健心! いらっしゃい! えっ? 一人?』 「あっ、う、う~ん・・・一人」 こんな時の健心は、突然にこんな言い方をするのだ。 「衿那の顔が、急に見たくなっちゃってさ!」 『アハッ! なに訳の分からないことを言うかな、健心ったら!』 「やっぱり、バレた?」 『え~ でも嬉しいな! 座ってよ』 「う、うん」 「いつもの!」 『はっ? いつもの? って、そんな何回も来てないでしょ! って・・・たしか健心はカレーを頼んでくれていたわよね!』 さすが、BRANCHの店主である。 何度来ても、カレーを頼む健心を覚えていたのであった。 『待って~ 直ぐに作るね!』 健心は、天真爛漫な笑顔の衿那が、大好きだった。 とても、ほっとするのだ。 健心から、衿那に何かを話すことは、まず皆無であった。 BRANCHでの会話は 『ねぇ、健心・・・』 『そう言えば、健心・・・』 『そうだ、そうだ! 健心!』 と、衿那からの話に答えるだけの健心だった。 そう、その日も同じだった。 食事を終えた健心のところに、二つの珈琲を持って衿那が来た。 『私も、一緒に休憩してもいい?』 「あっ、うん、もちろん!」 衿那には、健心が店に入って来た時から分かっていた。 健心の前に座った衿那は、 『ねぇ、健心・・・私に何か話があるんじゃないの?』 と 「えっ?」 と、驚いた表情を浮かべたが 「話っていうか・・・なぁ、衿那・・・」 『なぁに? 健心』 健心は、思いつめた表情に変え、目の前に置いてある水を一気に飲み干して話し出した。 「俺、衿那のこと・・・」
マコト (金曜日, 26 8月 2016 06:33)
健心は、いつもと違って真面目な顔で言った。 「俺、衿那のこと・・・」 『・・・えっ? 私のこと?』 「俺、衿那のこと・・・高校時代は知らなかったよな!」 『えっ? あっ・・・う、うん』 「衿那と、こうして友達になれたのは、同窓会がきっかけだよな」 『そうね・・・』 「ちょうど、店の開店準備で大変なときに、幹事としていろいろお願いしちゃってさ・・・」 『健心、もうその話はいいのよ!』 「いやっ、言わせてくれ! ありがとね! 衿那」 『健心・・・』 「それでさ・・・」 『あっ、う、うん、そうよね! わざわざその話に来た訳じゃないんでしょうから』 「・・・俺、衿那に相談したいことがあるんだ」 『相談? えっ? なに? 私に答えられることかしら?』 「・・・うん」 『健心には、私じゃなくても、他に相談できる人がたくさんいるじゃない! もちろん美子都だって、萌仁香だっているでしょ! それなのに、私に相談なんて・・・どうしたの? 健心』 「衿那、 実はさ・・・」
マコト (金曜日, 26 8月 2016 06:35)
健心が、衿那に相談したのは、梨花と寛司のことだった。 『そっかぁ・・・よりにもよって健心の娘さん・・・梨花ちゃんが美子都の息子さんをね・・・たしか、寛司君だったわよね』 衿那は、しばらく考え込んでいた。 そして健心に聞いたのである。 『ところでさ、例えばよ、例えば! 健心と美子都が夫婦になったとして、えっ? 子ども同士は他人でしょ? 別に結婚する気になれば出来るんじゃないの?』 健心は驚いたような顔で 「えっ? そうなのか? 俺・・・高卒だし、バカだからそういうことはよく分かんないけど・・・でも、あり得ないよな! 親子同士で夫婦なんて・・・」 『そうかなぁ・・・それほど変じゃないような気がするけど・・・』 「衿那は、そう思うの?」 『うん! だってさ、健心の娘さんが結婚する相手は、健心の息子になる訳でしょ! ねっ! だから、結果的に同じじゃない!』 「・・・なるほど」 『ねっ!』 「でもなぁ・・・」 『でも、なに?』 「梨花が、そうは思わないような気がするんだ・・・」 『そっかぁ・・・えっ? じゃぁ、梨花ちゃんに健心から言ってあげたら? 親のことは気にしないで、自分の好きなようにしなさい! ってさ』 「そ、そんなこと言ったら、梨花は余計に・・・」 『そっか、きっと優しい子なのね! 健心・・・もう、いろいろ考えずに見守るしかないんじゃない?』 「う~ん・・・」 『なるほど、そういう相談だったから、私のところに来たのね?』 「えっ? あっ・・・うん」 『私が、美子都の立場だったらどうするんだろう・・・私なら、子どものために、健心と離れるかもね!』 「えっ?・・・」 その時の健心の表情を見て衿那は笑った。 『子どもの幸せを願わない親は、いないからね! 健心たちは、あまり形に拘らないみたいなんだし・・・大丈夫よ!このままそっとしておきなさいよ! ねっ、健心』 健心には、衿那に聞いてもらった安堵感が漂っていた。 そして、帰り際に・・・
マコト (金曜日, 26 8月 2016 06:36)
「なぁ、衿那・・・」 『なぁに? 健心』 「美子都、お盆休みに来たんだってな?」 『うん! 来てくれたわよ!』 「なんかさ、ここからの帰り道に・・・二度目のランチをしたらしいぞ!」 『えっ? ラ、ランチを?』 衿那は、もう一度聞いた。 『ねぇ・・・ランチを?』 健心は、うなずいてこう言った。 「・・・うん・・・だって、二度目の食事の写真を見せてもらったけど、外はまだ明るかったし・・・」 衿那は、天井を見上げて 『足りなかったのかなぁ・・・ え~ でも、お腹いっぱ~~~い! って、言って帰ったわよ!』 「・・・そっか・・・やっぱり」 『えっ? やっぱりって?』 さすがに満腹中枢が破壊されているとは、言えない健心 「いやっ、こっちの話! 衿那、あんがとね!」 『うん! みんなが幸せになりますように!』 「そうだな・・・じゃぁ、また」 『またね、健心』 と、一度は店のドアを開けた健心であったが 「なぁ、俺が衿那に相談したことは、誰にも・・・」 衿那は、優しい笑顔で 『大丈夫よ、健心』 と、駐車場に出て見送ったのだった。
マコト (金曜日, 26 8月 2016 12:58)
健心と、そんな約束をしていた衿那は・・・ 厨房から梨花を見て 『健心と約束したんだっけ・・・』 と、危なく三日前に健心が来たことを言いそうになったことを反省した。 「衿那さ~ん」 『は~い! 決まった?』 「私は、和風あんかけハンバーグ」 『私は、トマトパスタをお願いします』 美優と、梨花はそれぞれの好みのランチをオーダーした。 注文を聞いた衿那は、厨房で調理を始めた。 たまたまその日は、美優と梨花の他にはお客様はいなかった。 そのこともあって、二人の会話は、他のテーブルに気がねすることもなく始まった。 『あっ、美優・・・何か話があるって言ってたわよね・・・』 「う、う~ん・・・」 と、どこか話しにくそうな美優に梨花は、いきなりじゃまずかったのかなと反省も含め、話題を変えた。 『あっ! そうだ、思い出した!』 「な、なに? 梨花・・・」 『あのね、来月のバーベキュー! よろしくね』 「うん! 楽しみにしてるんだ」 別に聞こうと思っていた訳ではないが、その会話は衿那にも聞こえた。 『へぇ~ あの子達もバーベキューをするんだ!』 と、まさか一緒になることなど、知る由もなかった衿那だった。 『でさっ! 美優のお迎えは朝彦にお願いしたからね! 朝彦と一緒に来て!』 「えっ? あ、朝彦と?」 『そう! 朝彦、嬉しそうだったわよ!』 「そ、そうなの・・・」 『私は、一足先に行って準備して待ってるからね』 「・・・うん」 美優は、別に朝彦を嫌っている訳ではなかった。 だが、心の準備もないままの突然の話に・・・ こんな時の女の子は、さりげなく本音を漏らすのである。 「ねぇ、寛司も来るのよね?」 と、慌てて 「あっ、愛子も」 そんな美優に 『うん! 寛司のことは、愛子にお願いしようかと思ってるんだ』 「ふ~ん・・・そうなんだ」 そんな話の展開に、美優は余計に梨花への話がしづらくなってしまったのだった。
マコト (金曜日, 26 8月 2016 20:44)
それでも、自分から梨花を誘っておいて、何も話さない訳にもいかず・・・ 美優は、思い切って口を開いた。 「ねぇ、梨花・・・」 『うん?』 「私ね・・・好きな人がいるの」 『えっ?・・・』 美優からの突然の話に、梨花は戸惑った。 だが、こんな時の女の子は、瞬時に答えを導き出せるものだ。 梨花の頭の中では 『好きになった相手が、二人の共通の友達だからこそ、相手の名前も言わずに、いきなりの“好きになっちゃった”宣言をしたんだろう』 『朝彦の迎えをした時に、美優は、さほど喜ばなかった・・・』 この二つで導き出されるのは、・・・そう、寛司の他にはいなかった。 だから、ある程度の心の準備をして美優にこう聞いたのである。 『ねぇ、美優・・・それって、カンチ?』
マコト (金曜日, 26 8月 2016 20:46)
美優は、頬をうっすらと赤くして 「・・・うん、 寛司君」 と、うなずいた。 それはベタな昼ドラのワンシーンのようだった。 ≪ガチャーン!!!≫ 厨房で、食器の割れる音がした。 それは、二人の会話を聞いてしまった衿那が、 『えっ? 美優ちゃんが・・・寛司君を』 その驚きで、トレーに乗せはぐり、床に落としてしまった珈琲カップが割れた音だった。 『ご、ごめんなさい!』 厨房から衿那の声がした。 「だ、大丈夫ですか? 衿那さん!」 『あわてんぼで・・・ごめんね、大丈夫よ』 二つの驚きがあった梨花だったが・・・ 美優に 『え、えっと・・・あっ、そうよね! カンチを・・・』 「うん」 それを確かめた梨花は、恥ずかしそうにうつむいたままの美優に見られぬよう天井を見上げてひとつ大きく息を吐いた。 衿那は、梨花のその様子を厨房から見ていたのである。 「梨花ちゃん・・・やっぱり寛司君のことが好きなのよね・・・どうするの? 梨花ちゃん」
マコト (金曜日, 26 8月 2016 20:50)
衿那は、新しい珈琲を用意して、二人のところに来た。 「さっきは、ごめんね! 驚かせちゃったわね」 『大丈夫でしたか?』 「手が滑っちゃって・・・」 珈琲を二人の前に置いて、 『どうぞ! あっ、これ美優ちゃんちの珈琲なのよね!』 と、衿那は他には何も言わずに厨房に戻った。 申し訳ないとは思いつつも、椅子に座って二人の会話をこっそりと聞いたのである。 美優は、このまま寛司のことを好きになっていいものか、仲良しである梨花の気持ちを確かめておきたかったのだった。 「わたし、寛司君の優しいところにひかれちゃった」 『そっかぁ・・・確かにカンチは優しいもんね!』 「ねぇ、梨花・・・」 『うん?』 「梨花は、寛司君のことをどう思ってるの?」 『はっ? どうって?』 「もし・・・もしもよ、梨花が寛司君に気持ちがあるとしたら・・・その時は・・・」 美優は、お水を飲みほして 「わたし、梨花とはずっといいお友達でいたいの! だから、梨花と寛司君のことで争ったりするのが嫌だから・・・」 梨花は、笑った。 そして、美優にこう言った。 『美優・・・そんなこと心配していたの? もぉ~ 私だって同じよ! 美優とはずっといいお友達でいたいもん! あっ? そっか、それでカンチのことね! 美優・・・何も心配いらないわよ! 私は、カンチとは確かに仲良しだけど、異性として意識したことは一度もないから!』 「ホンと? ホンとにホンと?」 『うん! 美優、だからそんな心配いらないからね!』 「良かったぁ・・・」 厨房で椅子に座って聞いていた衿那だけは 「本当は、違うのよ! 美優ちゃん」 そう、こころの中で叫んでいたのであった。 こうして、55会の仲間達と、その子供たちはバーベキューを迎えることになるのであった。 だが、その中で唯一、一人だけは苦しみの真っただ中にいたのである。 そう、それは・・・ 朝倉寛司だ。 物語は、まったく違う世界へと突入するのであった。
マコト (日曜日, 28 8月 2016 07:21)
ここで、念のためにお伝えしておくが、 これは小説である。 だから・・・ 美子都が、BRANCHからの帰り道に、はしごして、二軒目のランチをしたのも、そう、フィクションである。 あたかも、証拠の写真が存在しているような描写があったりして、真実のように語られていたが・・・そう、それもフィクションである。 そんな写真は、決して存在していない。 ・・・と、思う。 この小説が、フィクションであることを今一度確認された上で、この先を読み、あるいは書き込みをされたい。
マコト (日曜日, 28 8月 2016 07:24)
ドーピング 今年、よく耳にした言葉だ。 本来、病気の治療や健康保持のために使われる薬物が、競技能力を向上させることを目的として使用されることがドーピングだ。 ドーピングの名前の由来には諸説あるが、一つ紹介するならば、南アフリカの原住民が儀式舞踊を演じる際に、景気づけのために飲用していたとされる「dop」というアルコール飲料に由来するという説だ。 薬物を使ってのドーピングが一般的に知られているが、試合の直前まで自分の血液を冷凍保存しておき、それを直前に再び体内に入れ、酸素運搬能力を高める「血液ドーピング」や、また、近年では細胞、遺伝子の調整を競技力向上のために行う「遺伝子ドーピング」などもあるのだ。 ところで・・・ 2016年の夏、リオのオリンピックで日本は大いに盛り上がった。 日本が、史上最多のメダルを獲得し、次の東京オリンピックへの大きな弾みとなった。 リオまで応援に行けない多くの日本人がテレビの前で釘付けとなった。 「頑張れーーー!!!」 「ヨシ! いいぞ!」 人間は、身勝手な生き物である。 勝負に勝った者は称賛するが、負けた者には 「おいおい、何やってんだよ~」 と、ヤジを飛ばす。 何やってんだよ? 答えは、決まりきったものであるのに、それをテレビに向かって投げるバカな奴がいる。 その者には、選手が精一杯やっているのが、分からないのだ。 いずれにしても、アスリートにとって、オリンピックは特別な大会なのである。
マコト (日曜日, 28 8月 2016 07:27)
2015年 秋、 世界のスポーツ界を驚かせる報告書が公表された。 それは、ロシアが国ぐるみで自国選手にドーピングをさせ、違反が発覚しないように隠蔽していたという内容だ。 本来なら取り締まる側までが薬物使用に協力していたところに、今までの事例とは違う深刻さがあった。 また、リオ五輪の開幕を間近に控えた2016年3月、 海外メディアが一斉に「中国が遺伝子操作で“超人”を作り出そうとしている」と報じ、世界に衝撃が走った。 近未来、スポーツはもちろんのこと、食料や資源の争奪や安全保障などの分野において、ますます熾烈を極めるであろう“国際競争”を勝ち抜くために・・・ 中国は、国を挙げて人間の遺伝子改変を推進し、国民を“超人”へと改造していく方針だと報じている。 今、スポーツの世界において勝利を収めるためには、昭和の頃のように“気合・根性”だけではなく、テクノロジーを駆使したデータ解析に基づく論理的トレーニングや戦略が必須である。 「野球部は、泳ぐなよ!」 と、体育の授業でプールサイドで見学していた時代・・・ 「水なんか、飲んでんじゃねぇー!」 と、根性で技術を磨いていた時代・・・ 今になって思えば、ただ笑うしかない過去の話だ。 ただ、そうは言っても、最後は選手の気持ち次第なのである。 全国制覇をした白新学院の有名な話であるが、夏休み中の練習で、その日は3人の選手が救急車で運ばれた。 そう、熱中症だ。 ただ、変に誤解をされては困るので、しっかりお伝えするが、決して監督やコーチが過酷な練習を選手に課したからではない。 選手は、互いに切磋琢磨し、レギュラーを目指して競い合う。 自ずと、限界を超えての練習に挑む。 結果、気が付いた時には倒れているのだ。 自分の限界を認めたくないまま、挑んだ結果だ。 そして、その集合体に“頂点”という勲章が与えられたのである。
マコト (月曜日, 29 8月 2016 00:38)
オリンピックでの超一流の選手の活躍には目を見はるものがあった。 オリンピックに限らず、人がその持てる力を最大限に生かそうと懸命に努力する姿は、人の心を打つ。 リオのオリンピックは、私たちに多くの夢と勇気を与えてくれた。 だが、オリンピックとなると、各国がどれだけメダルを獲ったかを競い合うような、「国家対抗」のイメージがつきまとう。 実際、テレビ各局では、日本のメダルがいくつになり、第何位だ!と連日報道していた。 それでも・・・ 選手のインタビューを聞いていると、「日の丸を背負って頑張る」と答えた選手もあったが、「自分の夢を実現する」という意識が強く感じられた選手も多かったように思われる。 国のためというよりもよい意味で自分のため、自分を応援してくれた仲間のために頑張るという意識だ。 選手一人ひとりが、自分の限界に挑戦して、夢を実現させた。 そして、その真摯な姿に私たちは心を打たれた。 国のために自分を犠牲にして頑張るというのではなく、自分が好きだから挑戦し、自分の夢だからメダルを狙うというスタンスだ。 ただ、国を代表して戦ったという思いは、どの選手にも共通してあったのだと思う。 メダル獲得者のインタビューで、多くの選手がこう言った。 「メダルは・・・重たいです」 と その言葉には、たくさんの言い尽くせない思いが込められていたことだろう。 二度目のランチを済ませて 『おもた~い』 それもまた、別の意味で素敵な「重たい」であるが。 2020年東京オリンピックの開催に向け、今後、確実に日本のスポーツ界の熱量を急騰させていくことだろう。 ところで・・・ 「スポーツが国にとって何の役に立つのか?」 「国が、税金を使ってスポーツを振興することに、どういった目的があるのか?」 そう考えたことはあるか?
マコト (月曜日, 29 8月 2016 12:58)
スポーツを振興する目的は・・・ スポーツは、人々に大きな感動や楽しみをもたらしてくれる。 それは、人間の健康保持に役立つことであろう。 お役所的発想であるが、これは、医療費の増大を抑制することが期待できる。 また、現代においては、スポーツによる関連産業の広がりが新たな雇用を生むという意味での経済効果も極めて大きいだろう。 ジョギングブームが起きれば、シューズが売れるだろうし、ワールドカップといった世界的なスポーツの祭典がもたらす経済効果も大きい。 ちなみではあるが、東京オリンピック開催による国内経済効果は2兆8342億円になるという報道があったのは承知の沙汰だ。 もちろん、日々の大食いによる経済効果も見逃すことは出来ないが。 もっと加えれば、スポーツを通じて国際交流が活性化するという側面もあるだろう。 スポーツは世界共通のルールの下に、言語と文化の壁を超えて行われるものだ。 よって、スポーツは、他国との相互理解や友好親善に大きな役割を果たす。 有名な話であるが、柔道好きのロシアのプーチン大統領は、井上康生監督であれば簡単に会ってくれたりするのだ。 だが・・・ これらの理由は、国がスポーツの振興に多額の税金を投入する理由のうちの表面的なものにすぎないのだ。 そう、表向きの。 先に、ロシアや中国の話をしたが、母国日本においても・・・ 東京オリンピックに向け、日本国民の知らないところで、既に大きな国家プロジェクトが動き出していたのであった。
マコト (月曜日, 29 8月 2016 22:21)
オリンピック選手が、普段、どのような生活をしているのか・・・ 水泳の萩野公介選手のように作新学院高等学校に通いながら、そして今回のリオでは、東洋大学文学部で学びながら、日々の練習を積み重ねてオリンピック出場を果たした選手もいる。 だが、社会人として、働きながら競技を続け、オリンピックを目指すものが断然多く、そしてその生活は、それぞれに違っているのだ。 例えば、社員ではなく、スポンサー契約の選手は・・・ スポンサーの用意した道具、シャツ、キャップ等を身にまとい、企業名をコマーシャルするのが仕事だ。 だが、それはほんのわずかばかりの選手だけである。 正社員、あるいは契約社員として、午前中に勤務し午後の練習に励む者。 もちろん、ごく普通に仕事をしながら、睡眠時間を削ってオリンピックを目指している選手もたくさんいる。 メダル獲得に期待の持てるトップレベルの選手には、国が設置した「味の素ナショナルトレーニングセンター」のような施設が用意されている。 そこは、JOC及びJOC加盟競技団体に所属する選手・スタッフが専用で利用している。 そして、隣接して建設されている「国立スポーツ科学センター」と『スポーツ情報・医・科』、あらゆる分野で連携を図りながら、「チームジャパン」として一丸となって取組んでいる。 ちなみではあるが、味の素ナショナルトレーニングセンターには、体操、バレー、バスケット、ハンドボール、バトミントン、卓球、水泳、柔道、レスリング、ボクシング、ウエイトリフティング、屋外には陸上競技、テニスコート、宿泊室まで用意されている。 選手にとって、とても恵まれた環境だ。
マコト (火曜日, 30 8月 2016 07:29)
それでも、そう言った施設でトレーニングできる選手は、本当にトップクラスだけだ。 多くの選手は、仕事とスポーツを普通に両立させ、頑張っているのだ。 日々の生活の、ちょっとしたこともトレーニングに結びつけるなど・・・ トップクラスであろうが、そうでなかろうが・・・ 目指すものは同じなのである。 ふと、こんな話を思い出した。 台風によるダイヤの乱れを予想して、1本前の電車で出勤したメンバーからの目撃情報だ。 「あれ? 美子都・・・」 美子都は、ガラガラの電車の中で椅子には座らずに立っていたそうだ。 そう、ランチとディナーの後の、至福の時のためだ。 立っている時の美子都の頭の中は、 『何を食べようかな~ やっぱり・・・』 (台風の日に、こんな描写をしていますが、これもフィクションです) (メンバーをはじめ、東北に住む方に被害がないことを願います) いずれにしても、人間は、目標・目的のために何かを犠牲にしたり、 自分の夢のために、頑張ることが出来る生き物なのである。
マコト (火曜日, 30 8月 2016 12:58)
2020年、東京オリンピックにおいて野球、ソフトボール、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの5競技18種目が追加種目となることが決まった。 IOCが、オリンピック開催のメリットや魅力を高めるために、開催都市が複数の追加種目を提案する権利を認めた結果だ。 自国開催で、さらにメダル獲得の期待が高まるなか、多くのアスリートたちは、もうすでに“東京”に向けて、トレーニングを開始していることだろう。 そして、多くの学生達も、オリンピックを夢見て・・・ それは、寛司が入社して一か月が過ぎた頃だった。 「おい、朝倉!」 『はい! 課長!』 「今日は、ちょっと俺に付き合え!」 『はい! で、どちらへ?』 「今日な、オリンピック強化選手の選考会があるんだ」 『はぁ・・・課長のお知り合いの方でも出場されるんですか?』 「朝倉も面白いことを聞くな! 部下を連れて、仕事中、身内の応援に行くか?」 『あっ、それもそうですよね!』 「まぁ、いいから付き合え!」 『はい、課長 分かりました』 「君には、期待しているんだ! 頑張ってくれよ、 朝倉!」 それは、寛司の直属の上司、郷田(ゴウダ)課長からの言葉だった。 訳も分からぬまま、寛司は郷田と出かけて行った。 ㈱天神製薬 それが、寛司が入社した会社だ。 天神製薬は、駅伝やマラソン選手を入社させて支援するなど、自他ともに認めるスポーツ選手にとって憧れの優良企業である。 だが、業績不振から会社の経営は、ここ数年、以前のような華々しいものではなくなっていた。 それは、ジェネリック医薬品の普及なども大きく影響していた。 天神製薬の特に新薬開発部門の社員は、会社の命運を握っていると言っても過言ではない状況に置かれて仕事をしていたのである。
マコト (水曜日, 31 8月 2016 06:33)
『課長! みんなすごいですねぇ。 自分は陸上競技を生で見るのは初めてなんです!』 それは、競技場での寛司の第一声だった。 「朝倉は、学生時代は勉強ばかりしてきたのか?」 『いやっ、・・・そ、そうですねぇ・・・でも、運動部の友達はたくさんいました』 「そっか・・・まぁ、しばらく選手たちの頑張っている姿を見せてもらおう!」 『はい、課長!』 郷田と寛司は、二人並んでオリンピック強化選手選考会を兼ねた大会を見守った。 この時の寛司は、すっかりこう思い込んでいたのである。 「うちの会社への就職希望者でも見に来たのかなぁ・・・うちの陸上部は、優秀な選手ばかりだもんな!」と すると、郷田が 「朝倉! ここは君に任せるよ! 私は、煙草を吸いに行ってくる」 『えっ? 課長・・・ちょうど大学生が競技する時間になりましたよ!』 「はっ? 大学生? いつ、私が大学生を観に来たと言ったかね?」 『あっ、・・・いやっ、言っておりません。 ですが、課長・・・来年の就職希望者を観に来たのとは違うんですか?』 郷田は笑って 「そっか、君はそんなことを考えて観ていたのか! いやっ、それはすまなかった! 私が見たいのは、主に中高生なんだよ!」 『えっ? 中学生、高校生をですか?』 「あぁ、そうだ! 将来、オリンピック出場に期待が持てるような選手をな!」 『この選考会で、強化選手が選ばれるんですよね?』 「そうだな! だが、選ばれた選手は、うちの会社には関係ないんだ! お前は、それ以外の優秀な選手を見つけるのが、今日の仕事だ!」 『えっ?・・・』 寛司には、まったく理解出来ない郷田の言葉だった。
マコト (水曜日, 31 8月 2016 20:48)
午後になって競技場では、中学生、高校生の競技が始まった。 全国の予選を勝ち抜いてきただけあって、皆、好記録をマークしていた。 『課長! みんなすごい頑張っていますね!』 「あぁ、そうだな! ここで勝ち残れば将来を有望視され、アスリートとしての道筋が見えてくるからな! みんな必死だろう!」 『そうですよね・・・ところで、課長』 「なんだ? 朝倉」 『課長が、さっきおっしゃっていた意味が、いまいちよく理解できていないんですが・・・』 「何が理解できないんだ?」 『強化選手に残った選手以外で、優秀な選手を見つける訳ですよね?』 「あぁ、そうだ!」 『うちの会社とどう関係してくるんですか?』 寛司の質問に郷田は、笑ってこう言った。 「まぁ、いまは分からんでいい!」 『・・・分からないでも? ですか・・・』 「今日の君は、選手たちの頑張りを目に焼き付けといてくれれば、それでいい!」 『・・・は、はい・・・分かりました 課長』 寛司は、課長に命じられるまま、純粋に好記録を目指す選手たちの頑張りを、スタンドから見つめていた。
マコト (水曜日, 31 8月 2016 20:50)
競技会は、全て終了した。 優勝して、拍手喝采を浴びる者 惜敗して、涙する者 競技場の中の様々な光景が、寛司の胸を熱くした。 『課長・・・選手たちの頑張る姿っていうのは、美しいですね』 「あぁ、そうだなぁ・・・」 『課長は、何かスポーツをなさっていたんですか?』 寛司のその質問に、郷田は顔色を変えた。 一度は強張った顔をしたが、それを諦めの表情に変えてこう言った。 「やむを得んだろうな・・・もう、随分昔の話だ!」 『はっ? む、昔の話ですか?』 当然、寛司の頭の中では 『やらかした・・・かも』 という後悔の気持ちが浮かび上がっていた。 郷田は話を続けた。 「私も昔は、あんなふうにオリンピックを目指していたんだよ!」 『課長・・・申し訳ありません・・・存じ上げなくて』 「いやっ、いいんだ! 上司の昔のことまで把握するなんて、大変なことだろうし、ましてや君は、まだ入社したばかりだからな!」 『いやっ、それでも・・・会社のことはどんなことでも承知しているのが、社員としての努めだと思います・・・申し訳ありませんでした』 「いいんだ、いいんだ! 謝るな、朝倉!」 『・・・・・』 黙って、申し訳なさそうにしている寛司に、郷田は話を続けた。
マコト (水曜日, 31 8月 2016 20:52)
郷田は、立ち上がって、その競技のポーズを見せながら、 「私はなぁ、・・・やり投げの選手だったんだよ!」 『や、やり投げですか・・・あぁ、課長! すごい様になっています』 「あはっ! 本当に君は素直に面白い男だな! いま、言ったろう! オリンピックを目指していたって!」 寛司は、二度目の失言に、固まった。 「あぁ、でも嬉しいよ! 君のような素人目にも、私の投げ方が様になっているように映ったんだろう?」 『あっ・・・は、はい! カッコいいです! 課長』 だが、笑顔の郷田は、そこまでだった。 椅子に座って、とても寂しそうな顔で、さらに話を続けた。 「どうしても、敵わない選手がいてなぁ・・・」 「その選手は、私が高校時代からずっと目標にしていた選手でな!」 「大学時代の最後の大会・・・私にとっては、最後のオリンピック挑戦になってしまった大会なんだが・・・」 『えっ? 最後の? ですか』 「あぁ・・・最後のな! 死に物狂いで練習して臨んだ大会だったよ」 「・・・そこで、その選手に負けたんだ! ほんの数センチの差でな!」 『・・・課長』
マコト (木曜日, 01 9月 2016 12:57)
昔のことを思い出し、明らかに普通ではない郷田に、寛司は普通の質問を投げかけてしまう。 『課長・・・大学を卒業されてからも、選手を続けなかったんですか?』 寛司のその質問に、郷田は目を閉じて、ひとつ溜息をついてこう言った。 「・・・もちろん、続けたかったよ・・・もちろんな」 場の空気を読めない寛司だった。 それでも、寛司が素直な青年であると感じた郷田は、全てを寛司に話したのである。 「続けたくても、続けられない体にしてしまったんだ・・・」 『えっ・・・課長・・・す、すみません・・・』 「いやっ、誰でも同じことを聞いて来たよ! 私にな」 「私がオリンピックをかけて戦った試合に負けた日・・・仲間達が私を慰めるための残念会を開いてくれたんだ・・・」 「負けた悔しさで、自分自身を見失っていたんだろうな・・・全てを忘れようと、普段飲まないお酒を飲んでな・・・泥酔して階段を踏み外して、全治3か月の大ケガだ! そこで、私の選手生命は終わったんだよ」 郷田は少し表情を変えて、話を続けた。
マコト (木曜日, 01 9月 2016 21:52)
郷田は、少し強張った顔で話を続けた。 「私が、目標にしていた選手に負けた試合・・・」 「私は、もしかすると試合前から、既に気持ちで負けていたのかもしれない」 「試合当日・・・その選手を観て、私は驚きを隠せなかった・・・」 「以前の彼とは、別人のような筋肉を身にまとい、現れたんだよ! 私の前にな」 「彼は、既に勝負は決まっているかのような事を口にして、私の前から去っていったよ」 「きっと私にプレッシャーをかけたかったんだろうな」 「試合になって・・・相手の思う壺の結果になったよ」 「普段の練習では、彼の出した優勝記録よりも、私の自己ベストの方が上回っていたんだ」 「プレッシャーというものは、知らず知らずのうちに余計な力を働かせるんだよな」 「ただ、自分に悔いが残っているのは、その次の話なんだ」 「翌日、その選手のドーピングが発覚して・・・自動的に準優勝だった私が、オリンピックへという話になった訳さ」 「もう、分かるだろう? その知らせを聞かされたのは、病院のベッドの上だよ!」 「悔やんでも悔やみきれなかったよ・・・自分のバカさ加減にな」 『課長・・・』 静まり返った競技場に、寛司の小さな声がした。
マコト (木曜日, 01 9月 2016 21:54)
郷田は、寛司に話してすっきりしたかのように、今度は仕事の話を始めた。 「朝倉!」 『はい、課長』 「お前は、この人のところに行って書類を預かり、そのまま直帰しなさい!」 そう言って、郷田は一枚の名刺を寛司に手渡した。 『えっ?』 「大会事務局に行けば、その人に会えるはずだ! 話は通してあるから、朝倉、お前が行ってきなさい」 『は、はい! 分かりました 課長』 そして郷田は、去り際に寛司にこう言った。 「朝倉! お前は純粋な心を持った青年だな! 社会の縮図にけがされることなく、そのままのお前でいて欲しいと思う」 この時の寛司には、深い意味は理解できなかったものの、決して自分を否定された言葉ではないと考え、単純に喜びを覚えたのだった。 『あっ・・・は、はい! 課長・・・自分、少しでも早く会社の役にたてるよう、頑張ります』 そう言って、寛司は笑った。 寛司は、郷田から渡された名刺を持って、大会事務局の扉をたたいた。 『朝倉と申します! 天神製薬、郷田課長の代理で参りました』 奥から、名刺の人間が現れ、おもむろに書類封筒を寛司に手渡した。 「これを、郷田課長に・・・」 深々と頭を下げて、寛司はその部屋を出て行った。
マコト (木曜日, 01 9月 2016 21:56)
寛司は、競技場からそのまま直帰したのだが、郷田は、会社に戻って専務室を訪れた。 郷田は、専務室のドアの前で、緊張をほぐすかのように大きく肩を上げ、そして下げながら息を吐き出した。 ≪トントン≫ 「郷田です」 『入れ!』 「失礼します・・・専務」 『おぉ、郷田君・・・まぁ、かしこまらずに、そこに座りなさい』 「はい、専務」 緊張した顔で、郷田は言われるがまま、ソファーに座った。 そこは、天神製薬専務取締役の鷹家(タカイエ)専務の部屋だ。 『郷田君、どうだったね? 行って来たんだろう?』 「はい、そのご報告をと思いまして・・・」 『そっか・・・で、朝倉という社員は?』 「専務のおっしゃる通りの人間でした」 『どうだ?バカがつくほど、真面目な男だろう』 「はい・・・真面目で実直で・・・世間のことをあまり知らないと言いますか・・・」 『そっか! まぁ、やむを得んだろうなぁ、まだ入社したばかりなんだからな』 と、大声で笑った。 「・・・はい」 『ところで、良さそうな選手はいたかね?』 「選手のリストは、朝倉が! これから、じっくり選ばさせていただきます」 『くれぐれも、選定ミスのないようにな!・・・分かってるよな、 郷田課長!』 「・・・はい」 『会社の命運がかかっているんだからな!』 「・・・はい、鷹家専務」 専務室を出た郷田は、 「いよいよ始まるんだな・・・」 と、廊下の天井に視線をやった。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 12:45)
翌日・・・ 『郷田課長、おはようございます!』 「おぉ~ おはよう、朝倉」 『課長! これをお預かりしてきました』 「ご苦労だったな!」 それは、昨日、寛司がオリンピック強化選手選考会の大会事務局から手渡された書類封筒だった。 郷田は、自席に座って封を切った。 封筒の中身は、名前や住所が書かれた名簿らしきものだった。 一通り書類を見た郷田は、それをテーブルに置いて、寛司にこう言った。 「朝倉! どうだ、昨日、気になった選手はいたか?」 『気になった選手ですかぁ・・・長距離走だったら、最後の最後に他の選手と接触して、優勝を逃してしまった高校生とか・・・ 最後まで優勝者と競って飛び続けていた高跳びの中学生とか・・・何人かいました』 「そっか・・・なるほどな・・・なかなかいいところを見ていたんだな! 朝倉」 課長から褒められた寛司は、まんざらでもなさそうに、右手を頭の後ろにやって、『そですか』と、あからさまに嬉しそうな顔をした。 「さて、ところでだ! 朝倉」 『あっ、はい!』 「君には、ちょっとやってもらいたい仕事があるんだ」 『はい! 課長! どんな仕事でしょうか』 「じゃぁ、早速説明しよう! 会議室に行こう」 そう言って、郷田と寛司は、会議室へと入って行った。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 12:47)
会議室の大きなテーブルに、二人は向き合って座った。 「朝倉・・・これを君に預ける」 『あっ、はい・・・』 と、郷田から渡された書類に目をやり 『課長・・・これは、昨日の競技会に参加した選手たちの名簿とその記録ですね! わぁ、すごい個人情報満載だ』 「あぁ、そうだな! だから、もちろん取扱い注意だぞ!」 『はい、分かりました』 寛司は、目を点にして書類を見入った。 「朝倉! それでな・・・」 『あっ、はい!』 「これから、とても重要な話をする! 心して聞いて欲しい!」 『・・・は、はい 課長』 郷田は、立ち上がって、会議室のブラインドを少しだけ開け、自社ビルの10階からの景色を見ながら、話し出した。 「我社には、いま、あるプロジェクトが進められているんだ」 『プロジェクト? あっ、それはもしかしたら“アスリート支援チーム”がやっている仕事ですか?』 「そうだ! まぁ君は詳しくは聞かされてはいないだろうが、とても重要なプロジェクトなんだ」 『・・・はい』 「チームの名前の通り、アスリートを全面的に支援していく話なんだが・・・てっとり早く言えば、我社で開発した薬で、選手の記録アップの手助けをするということだ」 寛司の顔色が明らかに変わった。 『えっ?・・・課長・・・それって、もしかして筋肉増強剤の開発ということですか?』 郷田は、寛司の質問に、 「くれぐれも誤解のないよう話をするが、当然、違法性のない薬を開発する訳だ! 君には、昨日、私の過去の苦い思い出を話したが・・・いわゆるドーピングとなるような薬を開発する訳ではない」 『そ、そうですよね・・・申し訳ありませんでした。私の勝手な先入観で・・・』 「やむを得ん話しだよ! 筋肉増強剤ってなれば・・・単純に思い浮かぶのは、フェアではない! っていうイメージだからな!」 『・・・はい』 郷田は、話を続けた。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 12:49)
「あと4年だよな・・・」 『4年? ですか?・・・あっ! 東京オリンピックのことですか?』 「そうだ!・・・国を挙げてのお祭りになるだろう! そして、当然のことながら多くのメダルが期待される」 『そういうことになりますよね、課長・・・開催国として、これまで以上のメダル獲得が当たり前のように期待されることになるんでしょうね・・・』 「そうだなぁ・・・選手は、計り知れないプレッシャーと闘いながら、それでも期待通り、いやっ、期待以上の結果が求められることだろう・・・もし、私が選手として出場したら・・・そう考えただけで、ぞっとする話だよ」 『選手の気持ちは、自分にはよく分からないのですが・・・やはりオリンピックとなると、相当なプレッシャーがあるんですかねぇ・・・』 「おいおい! それをオリンピックに出たくても出られなかった私に尋ねるのかい?」 『も、申し訳ありません・・・課長』 郷田は、笑って 「冗談だよ! 朝倉・・・」 そして、郷田は真面目な顔に変えて 「朝倉・・・さっき君は、“筋肉増強剤”という呼び方をしたが、我社で開発するのは、筋肉疲労の回復を早めるサプリメントのような薬なんだ!」 『そうなんですか・・・』 「君も薬のことは十分に学んで我社へ入ってきた訳だから、嘘は通用せんだろう?」 『いやっ、課長・・・嘘だなんて・・・そんなふうには思っていません』 「そっか、それなら良かった」 『・・・はい』 「ところで・・・君に頼みたい仕事なんだが・・・」
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:00)
郷田は、寛司の前に置いてある書類を指さし 「そこに書かれてある選手のうちの何人か・・・ちょっと調べて来てほしいんだ!」 『何を調べてくるんですか?』 郷田が寛司に命じたのは、目ぼしい選手の練習態度や、普段の生活態度、そして家庭の状況まで調べてくるというものだった。 郷田の話を聞いた寛司は、さりげなくこう言った。 『やっぱり経済的に安定した家庭で暮らす選手の方が、しっかり練習に取り組めているんですかねぇ・・・課長』 郷田は、寛司から視線を外して言った。 「いやっ、経済的に苦しい選手だって、たくさんいるんだ! 我々が支援するなら、逆に経済的に大変な家庭で頑張る選手の方がいいと思わんかね?」 寛司は、それまでとは違った顔をして、 『それもそうですよね! 天神製薬がバックアップする訳ですからね! そっかぁ・・・経済的に恵まれない選手をサポートする! さすが天神製薬!』 寛司は、おそらくは、今の話でやる気が出たのであろう。 嬉しそうに書類に目をやり 『どんな選手に会えるんだろうなぁ・・・』 すると、郷田は険しい表情で 「おい朝倉! 誰が選手と接触するように指示をしたかね?」 『えっ? ・・・この調査って選手には内緒でやるんですか?』 「当然だろう! もし、君のような男が目の前に現れて、期待だけ持たされ、結果、選ばれなかったとなったらどうだ? まだ、中高生の選手だぞ! 可哀想だとは思わんかね?」 『・・・はい・・・課長のおっしゃる通りです』 郷田は、そう言ってもう一度窓のそばに戻ってブラインド越しに外の景色を眺めた。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:02)
郷田の話は、それで終わりではなかった。 郷田は、窓のそばで振り向き、 「なぁ、朝倉・・・」 『はい、課長』 「君も、もう想像がついているだろうけど・・・君の調べてきた選手のうちから何人か、我社で開発したサプリメントのモニターになってもらう訳だ」 寛司は、また少し表情を変えてこう言った。 『課長・・・それって、治験ということですよね・・・』 「まぁ、そう堅苦しい言い方をせんでもいいだろう!」 『・・・あっ、す、すみません、課長』 寛司は、その返事の後に、さらに表情を変えて下を向いた。それを見た郷田は、 「うん? 朝倉・・・どうして、そんな難しい顔をしているんだ?」 寛司は、下を向いたままこう言った。 『筋肉増強のための薬は、使う成分によっては、副作用のリスクが高いということを思いだしたものですから・・・』 郷田は、厳しい表情でこう言った。 「朝倉・・・まだ、お前は薬の開発に関しては、経験が浅い」 「大学で、どういったことを学んできたのか知らんが、先入観だけで、物事を判断するのは良くないことだ!」 「いいか、朝倉! 我社の開発部門トップの社員達が揃って開発してきた薬なんだぞ! お前が、今からそんなことを心配していて、どうするんだ!」 寛司は、ようやく顔を上げ 『・・・はい』 と、返事をするのが精一杯だった。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:03)
その直後の郷田は、優しかった。 「朝倉・・・お前の気持ちは、よく分かった。 お前が心配するのも当然だよ! 選ばれた人間の一生にかかわることだからな・・・私は、お前のような人に寄り添うことができる人間を待っていたんだ! 頼むな・・・朝倉」 寛司は、凛とした表情で 『はい』と、うなずいた。 そして、郷田は寛司に命じたのである。 郷田が寛司の前に立ち、 「朝倉!」 と、寛司にも立つように促した。そして 「朝倉! お前を今日から“アスリート支援チーム”に加える。もちろん、新薬開発に関わる業務も当然やってもらうことになる! お前の持つスキルを存分に発揮してくれ!」 寛司は、引き締まった顔で 『はい! 課長』 と、背筋を伸ばして返事をした。 だが・・・、 社会人として、まだ1か月の寛司には、驚くことがさらに続いた。 郷田が、背広の内ポケットから帯のついた札束を出し、 「朝倉! 頼むぞ! これは、選手の調査費用だ」 と、札束を寛司に渡したのである。 寛司は、驚き、後ずさりした。 『か、課長! これは?』 「無理もないが、これが我社の特命に対する支出のやり方なんだ! 早く慣れろ!」 『は・・・は、はい』 「100万ある。 会社の金だから自由にとは言えないが、お前が必要と思うところに、お前の判断で使っていい金だ!」 丁重にお金を受け取った寛司は 『驚くことばかりでしたが・・・早く課長の期待に応えられるよう、頑張ります』 そう言って、頭を深々と下げたのだった。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:04)
その日、寛司は帰宅して・・・ 「母さん、ただいまぁ・・・母さん? 母さん!」 美子都は、テレビの前で寛司に背中を向けたまま 『Д£@■#♂♪・・・』 美子都は、新作の“みたらし団子エキュート”の暴食中だったのだ。 もちろん寛司は慣れっこだった。 『おかえりなさい』 と、自分なりに通訳していた。 だが・・・ 実際には『お土産は、なに?』だったことを寛司は知らない。 ようやく、言葉を発声できるようになった美子都は、 『おかえりなさい、寛司』 「ただいま、母さん」 美子都の前に座った寛司は、少し嬉しそうな顔でこう言った。 「母さん! 俺、明日から出張だから!」 『えっ? そうなの? で、どこに行くの?』 「明日、北海道!!!」 『えっ? カニ?』
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:05)
ここで、人間の脳の仕組みを語っておく方がいいだろう。 これは、偉い先生が言っているのだが、脳の中に情報が入ってきた時、この時なら「北海道」という言葉の情報が、耳から脳に達するとそれが符号化され、情報を記憶しやすいように“タグ付け”が行われるのだそうだ。 当然、「北海道」と・・・ その“タグ付け”は、間隔記憶・短期記憶・長期記憶の3つに区分けされる。 そうすることで、記憶するエネルギーを小さくしたり大きくしたりしているのだそうだ。 次に、符号化した情報が貯蔵されるのだが、この状態のことを“記憶”と考えるのは、まだ早いのだ。 情報は、3つの過程を経て初めて記憶が完成するのだそうだ。 最後の過程の検索は、検索サイトでの「キーワード検索」のイメージらしい。 脳内の情報は膨大にあるため、その情報を検索し、引き出すことによって、無事記憶できていると確認できるのだ。 これが記憶の過程だ。 さて、この時の美子都の場合・・・ 寛司が言った「北海道」という言葉の情報から検索し、引き出されてきた記憶が・・・ そう、「カニ」であるのだ。 脳が勝手に「北海道」=「カニ」という“タグ付け”をしているのだ。 だが、美子都は至って健全である。 決して、間違った検索はされていないし、決して寛司にボケをかました訳でもない。 ふと、こんな話があったことを思い出した。 「ねぇ、美子都・・・」 『なぁに、萌仁香』 「バーベキューの時に、テントが必要だよねぇ・・・」 『そうねっ! こんな感じのテントがいいな! 今、写メ送るね!』 そう言って、次に美子都から送られてきた画像は・・・ クッキーの詰め合わせの写真だったのだ。 「ねぇ、美子都・・・」 『なぁに、萌仁香』 「なんでクッキー?」 『なんでって・・・えっ? だって・・・』 「前の文章を読んで!」 『あれっ? テント?・・・』 美子都の “天然”に、毎日楽しく暮らしている仲間達だった。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:07)
「あのさっ! 母さんが登場すると、せっかくシリアスな小説になってきたものが・・・」 『えっ? なに? シリアス? 小説? はぁ?』 「・・・なんでもない! こっちの話」 「でさ、母さん・・・北海道だよ!」 『北海道? それもまた随分と急な話ね! ところで、何しに行くの?』 「何しにって・・・」 ここで寛司は、美子都に嘘の説明をしてしまったのである。 「新人は、営業所回りをするんだって!」 『へぇ~ そうなのぉ・・・』 「そ、そうだよ!」 『えっ? でもあなたは営業の仕事をする訳じゃないんでしょ?』 「ち、違うよ! 営業じゃないよ!」 『それでも営業所を回るの? ・・・えっ? 回る? もしかして、この話の流れだと、北海道以外の営業所も行くっていうこと?』 「あぁ、そうだよ! 北海道から、岐阜、島根、鹿児島・・・」 『ねぇ、寛司! 鹿児島? いま、鹿児島って言った? 奄美! 奄美の“パッションフルーツ”をお願い!』 「・・・結局は、そこに戻るんかい」 『えっ? なんか言った?』 「でさっ、一か月間ぐらい行ってるから! 留守中、母さん一人で大丈夫かい?」 『一か月? え~・・・だって、営業所5、6か所回ってくるだけなんでしょ?』 「・・・そ、そうだけど・・・いろいろあるのさ!」 『ふ~ん・・・ねぇ、寛司・・・』 「なんだい? 母さん」 『仕事はどう? 少しは慣れた?』 「あぁ、慣れたよ! 理解のある上司だし・・・仲間もできたし」 『そう、なら良かったわ! 困ったことがあったら、決して一人で抱えないのよ!』 「大丈夫だよ! 母さんも心配性だなぁ」 『そうね・・・親は、子どもがいくつになっても心配するものなの』 「そっか・・・なぁ、母さん・・・」 『うん?』 寛司は、姿勢を正して、こう言った。 「母さん・・・ありがとうね」 『えっ?・・・』
マコト (土曜日, 03 9月 2016 23:10)
『うわ~ 気持ち悪い! どうしたの? 急に! 寛司がそんなことを言うなんて・・・』 美子都の顔は、おかちめんこのようになっていた。 寛司がそんなことを言ったのは、今まで一度もなかったからだ。 初めてだった。 大人になった、自分の息子から感謝の気持ちを伝えられたのは。 「いやっ、こうしてやりたい仕事につくことが出来たのも、僕を大学まで行かせてくれたからなんだよなぁって思ってさ」 『おぉ~ なるほど! 少しは親への感謝の気持ちが芽生えた訳だ!』 美子都は、真面目にはなれなかった。 そう、真面目な話し方をしたのでは、涙がでそうだったからだ。 美子都は、みたらし団子を寛司に差し出し、 『食べる?』 「いやっ、いらないよ~」 『あらっ、もったいない! こんな美味しいものを! これね、エキュートの新製品なのよ!』 と、それを口に運ぼうとして・・・、でも途中でやめた。そして 『ねぇ、寛司・・・』 「なぁに、母さん・・・」 『友達を大切にするのよ!』 「えっ?」 『仲間をたくさん、つくりなさい! そして、寛司はいつも、仲間のために頑張るの!』 「仲間のため?」 『そうよ!』 「どうして、仲間なの?」 『仲間はね、困った時に必ずあなたを助けてくれるの』 「・・・うん」 『親はね、子供より先にいなくなるのよ!』 「う、う~ん・・・まぁ、人間の平均年齢の原則から言えばね・・・」 『もちろん、結婚して家族を大切にするのも当然だけど・・・仲間はね、家族とは違ったところで、必ずあなたを助けてくれる存在なの!』 「そう・・・なんだ」 『そうよ! 母さんが、今、こうして元気に働いていられるのも、萌仁香や衿那、杏恋や深音・・・それから男の子だって、可夢生や壮健・・・まぁ健心と・・・たくさんの仲間達に囲まれているからなの!』 「健心さんは、おまけなんだ・・・」 『えっ? なんか言った?』 「いやっ、なんにも」 「分かったよ!母さん」 『分かればよろしい!』 寛司は、知っていた。 美子都が、花風莉に毎週楽しそうに出かけていることを。
マコト (土曜日, 03 9月 2016 23:11)
美子都は、嬉しかった。 普段、あまり口をきかない寛司が、「母さん、ありがとう」と、 息子の成長が、素直に嬉しかったのだ。 それで、調子づいたのか美子都は、こんな話までしたのである。 『ねぇ、寛司・・・』 「なんだい、母さん・・・」 『あなたも、将来は結婚するんでしょ?』 「えっ、なに、いきなり!」 『いやっ、ほらっ、言ったでしょ! 親は先に・・・って! そうなったら、あなた、寂しくなっちゃう訳だし・・・』 「そりゃそうだけど・・・う~ん、まだ、全然考えたこともないけど、そうだなぁ・・・いつかは、するんじゃないの? 家族になりたいって思える人が目の前に現れたら」 『現れたら? えっ? あなた、言ってたじゃない! 彼女なら3人いるよ!って』 寛司は、笑った。 「そ、それは女の子の友達だよ!」 『な~んだ、そうなのかぁ・・・素敵な奥さんを見つけなさいよ!』 「ははっ! そうだね」 『そしたら、寛司もいつかは父親になる訳だぁ・・・なんか、考えられないな』 「母さんは、まだ僕を子ども扱いだよね!」 『そ、そんなことはないけど・・・』 この後、美子都は、自分の“子育て論”的な話を寛司に聞かせるのであった。
マコト (土曜日, 03 9月 2016 23:12)
『寛司も、小さいころは可愛かったのよ!』 「ゲッ! それって、今は可愛くないって意味?」 『ごめん、ごめん! そういうことじゃなくて』 「なら、いいけど・・・」 『こんな私でも、あなたの親でしょ!』 「はぁ? 親でなかったら、なんなのさ」 『まぁ、聞いてよ、寛司・・・親にはね、子供に対して、自ら生き方を示して、教えてあげるという大切な役割があるのよ』 「そ、そうだね・・・」 『ほらっ、どんな動物でも、子どもに泳ぎ方やら、飛び方、餌の取り方・・・一生懸命に教えるでしょ!』 「ど、動物に例えられちゃうの? 僕」 『寛司・・・子育てには“2種類”しかないのよ』 「えっ? 2種類?」 『そう、子育てには2種類しか』 「え~ なんだろう・・・」 寛司は、ズバリ分かったような顔をして 「あっ! “良くできました”と“良くできませんでした”かな?」 『違うわよ!・・・・・寛司には、まだ分からないわよね』
マコト (月曜日, 05 9月 2016 12:58)
美子都は、少しいたずらな顔で、 『違うわよ~ えっ? そしたら、私はどっち? “良く出来ませんでした”になっちゃうわよ!』 「いやいや、そこは、良く出来ましたでいいでしょう! だって、こんないい青年に育ったんだから!」 『自分で言うか!』 「・・・まったくだ」 『2種類とはね・・・“自分が育てられたように子育てをする”と“自分はこういうふうに育てられたから、自分の子どもには違う育て方をする”の2種類よ』 「なるほどねぇ・・・で、母さんは、どうだったの?」 『えっ?』 「だから、どっちの育て方を選んだの?」 『選んだ? 選んではいなかったんだから、母さんの親に育てられたように、愛情いっぱいに、あなたを育てたわよ!』 「へぇ~・・・」 『よく言うじゃない! 子は親の背中を見て育つ!って・・・知らず知らずのうちに、親から学んでいたのよね! あなたの育て方を』 「えっ? でも・・・」 『でも、なに?』 「僕・・・大食いじゃないよ! それに、大事な時にインフルエンザにかかったりしないし!」 『はぁ?・・・あなた、それどこかで誰かに吹き込まれてきたでしょ!』 「・・・・・」 『まぁ、いいけど・・・そういうことじゃなくてさ・・・今思えば、いろんな大変なことがあったけど・・・素直に育ってくれて・・・ありがとうね、寛司』 「おぉ~ 気持ち悪い!」 『まぁ、いいじゃない! めったにこんな話をしないんだしさ!』 「そうだね・・・母さん」 そう言って、美子都はまたみたらし団子を食べ始めた。 「おっと、もうこんな時間! 母さん、明日早いから、先に休むね」 『うん、気を付けて行ってくるのよ』 「あぁ・・・」 翌日・・・ 寛司は、羽田空港から北海道へ飛んだのだった。 美子都を一人残して
マコト (月曜日, 05 9月 2016 23:11)
寛司が、北海道へ飛んだ日だった。 『郷田課長! 鷹家専務がお呼びです』 「えっ? 専務が・・・」 鷹家に呼び出された郷田は、直ぐに専務室に向かった。 「・・・なんだろう」 ≪トントン≫ 「郷田です」 『入れ!』 「失礼します」 郷田が専務室に入ると、知らない男がソファーに鷹家と向かい合わせに座っていた。 二人に凝視され、郷田は一気に緊張モードに 鷹家が、座ったまま普段とは違う丁寧な口調で話し出した。 『郷田君、君に紹介しよう! 九条将湊(クジョウ・マサト)さんだ』 鷹家の前にいた男は、歳の頃なら、30歳なかば 座ったまま、軽く頭を下げて、 「九条です」 と、言った。 慌てて、郷田も 「新薬開発課、課長の郷田です」 と、頭を下げた。
マコト (火曜日, 06 9月 2016 23:42)
郷田は、2年前にも同じような経験をしていた。 専務に呼び出され、そして突然紹介された男が、自分の上司「開発部長」になる男だったのである。 自分の息子と同じぐらいの若造に、アゴで使われたのだ。 郷田の頭の中には、一瞬にしてその時の記憶が蘇っていた。 製薬会社では、特別、珍しいことではない。 厚労省の30代の若手中堅職員が、業務経験の名目で、概ね2年間、部長クラスの待遇でやってくるのだ。 厚労省の給料とは別に、研修手当という名目で、多額の金銭を製薬会社から受け取って。 製薬会社にとっては、目の上のたんこぶである。 厚労省に常に監視されることとなり、不正があれば、すぐに全ての業務をストップさせられるのであるから。 もちろん、厚労省からの申し入れを断ることなど出来ない。 薬のことの全ては、厚労省の手の中にあるのだから。 郷田の悪い予感は的中していた。 「郷田課長! 九条さんには、開発部長として、2年間、お勤めいただくことになったので、くれぐれも粗相のないよう! 大丈夫だね、郷田課長」 郷田は、背筋を伸ばして 「はい」と答えた。 九条は、郷田の方を向きもせず、足を組み替えてソファーにふてぶてしく座ったままだった。
マコト (水曜日, 07 9月 2016 12:47)
九条は、桃郷大学医学部を卒業し、厚労省に入省した。 医師免許も持ち、将来は、厚労省の事務次官とまで言われている男であった。 九条は、着任したその日のうちから、その威厳を示した。 「郷田課長! この治験の結果には、資料が足りていません! 患者さんの途中の検査結果の資料を追加提出して下さい」 「郷田課長! この方・・・途中で治験を辞めた理由が、これでは不十分です! 多額の費用を投じ、そして多くの方の協力を得て、新たな薬が開発されていく訳ですから! ひとつたりとも無駄な治験があってはなりません!」 「郷田課長!これは・・・!!!」 「郷田課長!この資料は・・・!!!」 言われること全てが、九条の指摘する通り、不備があり、そして改善の余地があった。 九条の言い方は、やもすると厳しく聞こえそうであるが、郷田たちには九条の熱心さが伝わっていた。 「九条部長・・・さすが、医師免許を持っているだけあるよな! 俺たちが、もっと細心の注意をはらってやらなきゃ!」 郷田の部下たちも、自然に意識が変わっていった。
マコト (水曜日, 07 9月 2016 20:10)
九条の働きぶりに、郷田は、たじたじだった。 九条は、開発部の全てのところに九条なりの改善策を指示していた。 全て郷田に。 だが・・・、 郷田は、ひとつだけ腑に落ちないことがあった。 それは、アスリート支援チームへの指示は、郷田とのやりとりは全て飛ばされ、現場責任者の支援チーム青山(アオヤマ)リーダーに直接指示がなされていたからだ。 しかも、郷田のいない場所で。 「アスリート支援チームのことは、どうして自分への指示がないんだ?」 郷田のその思いは、日に日に強くなっていった。
マコト (水曜日, 07 9月 2016 21:23)
現在、我が国では、一年間におよそ40~50種類の新しい薬(新医薬品)が誕生している。 新薬の開発は、候補物質の探索にはじまり、さまざまな研究や試験が行われるのだが、薬によっては、10年以上もの長い開発期間と、200~300億円もの費用がかかるものさえあるのだ。 薬が製造販売されるまでには、 まず、基礎研究に2~3年。 これは、将来薬となる可能性のある新しい物質(成分)の発見や、化学的に創り出すための研究、候補物質のスクリーニングが行われる。 次に、非臨床試験に3~5年。 薬物の有効性や安全性を確認するため、毒性や薬物の動態、薬効等の生物学的試験研究が行われる、そう、動物を用いて。 次に行われるのが臨床試験だ。 薬物の人での有効性と安全性について試験が行われる。 そう、これが先に述べた「治験」だ。 治験は、患者さんの人権や安全の確保に最大限配慮しながら、三段階のステップを経て、「くすりの候補」の有効性と安全性などが慎重に調べられる。 そして、当然、「治験」には、厳しく決められた基準が定められているのだ。 基準には、次のようなことが定められている。 被験者の人権保護、安全性確保、治験の質の確保、データの信頼性の確保、責任・役割分担の明確化、記録の保存などだ。 治験のステップの第一段階。 健康な成人を対象に開発中の薬剤を投与し、その安全性を中心に薬剤が体にどのように吸収され、排泄されていくのかが確認される。 第二段階 比較的少人数の患者さんに対して、いくつかの使用法が試され、効き目と副作用の両方が調べられた上で、最適と思われる使い方を決めていく。 第三段階 多数の患者さんに対して薬剤を投与し、実際の治療に近い形での効果と安全性が確認される。 既存の薬に比べ効き目が上回るか、副作用が少ないなど何らかの優れた特徴がなければならないのだ。 これらの段階を踏まえて、ようやく新薬の承認申請、製造販売が許可されるのだ。 許可は、医薬品医療機器総合機構がその権限を持っている。 そして、その独立行政法人医薬品医療機器総合機構は・・・、 厚生労働省所管の独立行政法人なのである。
マコト (木曜日, 08 9月 2016 23:26)
支援チームの青山リーダーが、部長室に呼ばれた。 ≪トントン≫ 『青山です』 「入りなさい」 『九条部長! なにかご用でしょうか?』 「あぁ、君に確認しておきたいことがあるんだが・・・」 『はい、どのようなことでしょうか?』 「医薬品医療機器総合機構への新薬承認申請の準備は、進めているのかな?」 『はぁ・・・まだ治験がこれからになりますので・・・それからと考えていますが』 「それじゃぁ、いけないね! どんどん準備を進めないと!」 『は、はい』 九条は、椅子に座ったまま、くるりと背中を向け、 「もともと、この天神製薬は、この承認申請のやり方に問題があるんだよ!」 『と、いいますと・・・』 「許可をするのは、医薬品医療機器総合機構だが、君も知っているだろうが、そこは、厚生労働省所管の独立行政法人なんだよ!」 『はい・・・それは、私も承知しておりますが・・・』 「私は、この会社に来る前は、直接、そこと関わっていたんだよ!」 『そ、そうなんですか・・・それは、存じ上げておりませんでした』 「この会社の申請は、丁寧なところは評価させてもらっていたが・・・それだけでは厚労省の人間は、動いてはくれないということさ」 『・・・と、いいますと・・・』 「まぁ、そういった話は、良しとして・・・とにかく、早め早めに準備を進めなさい」 『はい、九条部長』 「ところで・・・その治験の準備は、進んでいるんだろうな?」 『はい! いま、朝倉が治験候補者の選定に飛び回っています』 「今回の治験は、この会社の命運を握っていると言っても過言ではない」 『・・・はい』 「朝倉が戻り次第、選定作業に取り掛かる」 『はい』 「さて、その選定作業なんだが・・・」 『えっ?・・・あっ、・・・はい、分かりました』 青山は、九条のその言葉に驚きを隠せなかった。
マコト (木曜日, 08 9月 2016 23:28)
その頃・・・ 九条部長の着任により、会社の中では、大変なことになっていることなど、出張先にいる寛司には知る由もなかった。 そして、 寛司が、ようやく候補者の選定調査を終え、約一か月の出張から戻ってきた。 「母さん! ただいま」 『おかえり~ 寛司』 「母さん、お土産!」 『あらっ、嬉しい! 仕事で行ったんだから、お土産なんていいのにぃ~』 寛司は、知っていた。 その言葉が、口から出任せだということを。 「お金もなかったから・・・ゴメン! こんなものしか・・・」 そう言って、寛司が美子都の前に出したお土産は・・・ 地域限定の「うまい棒」だった。 「母さん、うまい棒が好きだって聞いたから」 『はっ? あなた、それ誰かに吹き込まれてない? まっ、いっか』 そう言って美子都がお土産の袋を開けると、中から出てきたうまい棒の数々 きりたんぽスナック味、牛タン塩味、もんじゃ焼味、かば焼き味、辛子めんたいこ味・・・ 美子都は、知っていた。 地域限定とはいいながらも、泡野のサン・ハウスに行けば、30本255円で売っていることを。 こんな時の美子都は、飛び跳ねて嬉しさを表現するのであった。 『ありがとう~ 寛司!』 そう言って、右手に牛タン塩味、左手にかば焼き味 そして、両足で辛子めんたいこ味を持ち(?)、一気に頬張る美子都であった。 そんな美子都を見て、寛司は思った。 「やっぱり母さんは、重要な存在なんだなぁ・・・」 「こうして、誰も望んでいないのに、自らネタを提供してくれて・・・」 「でも・・・確かになっ、母さんに登場してもらわないと、小説がつまらないもんな!」 寛司は、シマリスのように頬を膨らませて、「うまい棒」に食らいつく美子都を見て、こう思った。 「いやっ、待てよ! せっかくサスペンス風に、シリアスな展開になってきたのに・・・いったいどっちなんだろうなぁ・・・僕は、必要だと思うから、こうしてつぶやいているんだけど・・・」 「さて、明日から久しぶりの出社! 愛子は元気にしているかなぁ・・・」 「課長に、しっかり報告しなきゃな!」 「褒められるかな~? な~んてねっ! さっ、明日だ!」 自分のまとめてきた調査結果に自信満々な寛司であった。
マコト (木曜日, 08 9月 2016 23:31)
翌日・・・ 一か月の成果を手に、意気揚々と出社した寛司は、郷田の出社を待った。 と、そこに青山リーダーが、寛司に声をかけてきた。 「おぉ~ 朝倉! やっと戻って来たか! ご苦労さんだったな」 『青山リーダー! おはようございます』 「どうだ、しっかり調査してきたか?」 『はい! やってきました! 自信あります』 「そっか、それは良かった! でな、朝倉・・・」 『あっ、はい・・・』 その時に、初めて九条の部長就任と、今回の調査の結果を踏まえて、治験の対象者の選定は全て九条の手に委ねられていることを聞かされた。 寛司の調査結果報告書は、郷田を経由することなく、青山に手渡された。 寛司は、自分が描いていた展開と違うことに、落胆した。 と、そこに、郷田が出社してきた。 「おぉ~ 朝倉! 戻って来たな」 『おはようございます、郷田課長、戻ってきました』 「ご苦労だったな」 『あっ、・・・はい』 寛司の浮かない顔を見た郷田は 「どうした? なんか元気がないぞ! いつもの朝倉らしくないな! まだ、疲れが残っているのか?」 『いやっ・・・郷田課長・・・』 寛司は、青山リーダーから聞かされ、そして調査報告書が既に自分の手元にないことを郷田に言った。 「そっか・・・朝倉、悪く思わんでくれ! 君のやったことは、必ず形となって活かされるはずだ!」 郷田は、寛司に丁寧に説明をした。 九条が厚労省の若手のホープであること、当然、厚労省を敵に回すようなことはできないこと、 そして、会社は組織で動いていること、自分たちは、その一部品にすぎないこと。 ただ、寛司にこうも言ったのである。 「朝倉・・・自分たち社員一人一人は、部品の一つにすぎないが、その部品に不良品があれば、組織全体がうまく機能しないんだ!」 「これから先、朝倉が勤めて行く中で、自分で納得の出来ないことも、幾度かあるかもしれない。 それでも、全てのことは、会社の利益につながるように動いていくことなんだと、頑張るしかないんだぞ!」 郷田は、優しい表情で 「分かるか・・・朝倉」と 『分かりました、課長・・・』 自分を納得させるしかない寛司だった。
マコト (金曜日, 09 9月 2016 17:22)
調査から戻った寛司は、青山リーダーのもとで働くことになっていた。 改めて、チーム内のメンバー達に、寛司が紹介された。 『朝倉寛司です。 今日から一緒に働かせていただきます。 皆さんにご迷惑のかからぬよう、頑張ります。 新人ですので、厳しくご指導ください』 チーム内に拍手が起きた。 寛司は、素直に嬉しかった。 まずは、仕事を覚えるために、アスリート支援チームで開発中の新薬のことを学んだ。 学生時代に、多くのことを学び、その職についた寛司であったが、実際に新薬開発の業務に触れ、不安もあったが、気合十分に仕事に取り組んだ。 リーダーからは、 「何か、分からないことがあったら、先輩達にどんなことでも聞くんだぞ!」 そう、言われていた寛司であったが、極力、自分の持つスキルと、これまでの膨大な資料から、自分の不明点をひとつひとつ解消していった。 チーム内の寛司に対する評価は、まずまずなものだった。
マコト (金曜日, 09 9月 2016 17:24)
2016年7月になっていた。 テレビでは、リオ・オリンピックでメダルが期待される選手のことが、連日、取り上げられ、注目の的となっていた。 寛司は、輝かしいアスリートたちを見ながら、自分の目で確かめてきた将来のメダル候補の選手達を思いだしていた。 『あの子達・・・今日も、トレーニングに励んでいるんだろうなぁ・・・東京オリンピックを目指して』 寛司も、少しだけアスリート支援チームの仕事が見えてきた時・・・ アスリート支援プロジェクト推進会議が開かれた。 その会議を取り仕切るのは、当然、九条部長である。 郷田課長を筆頭に、アスリート支援チームの面々が会議室に集められた。 寛司も含め、全員、緊張のなか九条が来るのを待った。 ドアが開き、九条が入ってきた。 寛司は、次の瞬間 『えっ?』 と、周りに聞こえそうなぐらいの声を発してしまったのである。 それは、九条に連れ添って愛子が入ってきたからだった。 『愛子・・・どうして・・・』
マコト (金曜日, 09 9月 2016 17:25)
覚えていない方のために、今一度説明するが、 片桐愛子 父は、片桐壮健である。 よく、人前で居眠りをこいて、顔に落書きをされる、あの片桐壮健だ。 愛子は、明知大学を卒業し、今年、寛司と一緒に入社した23歳の女の子。 職種は、CRC 分かりやすく言うと、治験関連の事務作業、業務を行うチームの調整など、治験業務全般のサポートを行うチームに配属され、主に治験に協力いただける被験者さんへの対応を任されていた。 愛子は、入社以来、“相武紗季”似の美貌から、社内で一番有名な新入社員となっていた。 そんな愛子が・・・ CRCとして、被験者へのサポートに飛び回っているはずの愛子が、寛司の目の前に現れたのである。 九条と一緒に入ってきた愛子は、持っていた資料を、九条が座る場所に丁寧において、自分は会議室のはじに座った。 寛司は、ずっと愛子の様子を見守っていた。
マコト (金曜日, 09 9月 2016 20:30)
アスリート支援プロジェクト推進会議が始まった。 九条は、椅子に座ってまま参加者全員の顔を確認すると、おもむろに席を立ち、こう言ったのである。 「これから、会議を始める」 「会議は、効率的に進めなければならない」 「だが、意見、質問のある者は、遠慮せずに発言して構わない」 そこまでは、誰もが理解できる九条の説明であった。 だが、次の言葉で誰もが、口を開くことのない会議となってしまうのである。 「先に、皆に伝えておくが、今日の会議内容は、既に専務、さらには社長まで了解を得た内容となっているので、それを踏まえた上で、発言をしてほしい」 「それでは始める」 九条は、配られた資料に沿って説明を始めた。 内容は、主にアスリート支援プロジェクトのこれからの進め方だった。 そんな大切な会議であるにも関わらず、寛司は、愛子のことが気になり、九条の話は上の空だった。 『愛子は、どうして、あそこに座っているんだろう・・・』
マコト (金曜日, 09 9月 2016 20:31)
実は・・・、 九条は、愛子を部長の専属秘書として、CRCから異動させていたのであった。 愛子が、同じ開発部に所属していたことから、部長権限での異動に、誰も意義を唱える者はいなかった。 もちろん、社内には、当たり前のような噂もたっていた。 「九条部長は、片桐の美貌に・・・」 そう噂がたつのも、当然といえば当然である。 ミス明知大学だった、愛子の美しさを考えれば。 寛司が、全国を飛び回っていた頃に、既に異動していたのだが、忙しくしていた寛司が、そのことを知る機会がなかっただけのことだった。
マコト (金曜日, 09 9月 2016 20:32)
会議に集中できないでいた寛司であったが、さすがに、その場面になれば、話は別だった。 九条の経過説明に、誰の意義も質問もなく、次の議題となった。 「え~、質問もないようなので、次の件にいく」 「次は、治験の対象者についてだ」 「これについては、朝倉の調査報告を踏まえて、選定した」 「名簿を見て、何か意見がある者はいないか?」 会議の開始と同時に配られた資料 寛司が、該当する頁を開くと、そこには「治験対象者名簿」と書かれた一枚の資料が添付されてあった。 そう、寛司も、他の社員も誰もが初めて目にする名簿だった。 寛司は、名簿を見て愕然とした。 『・・・えっ?』 そこには10名の名前が書かれてあった。 中学生5名、高校生5名の在席校名、競技種目などが細かに記されていた。 寛司が驚いたのには、理由があった。 10名のうち、寛司が実際に調査してきたのは、3名だけであったからだ。 しかもその3名は、寛司の報告書には、治験対象者としてのランクCを付けた者ばかりだったのである。 寛司が、治験に適していると考え、ランクAを付けた者が1名も掲載されていなかった。 寛司の頭の中は、混乱していた。 『何故だ! えっ? この選手は・・・』 『だめだ! この選手では』 そう考えがまとまった寛司は、おもむろに顔を上げ、手を上げようとした。 すると、視線の先に、青山がいることに気付いた。 青山は、寛司に向かって、首を二度、横にゆっくりと振ったのである。 そう、それは、九条に対して、意見を述べようとしていた寛司を制止させようとする合図に他ならなかった。 『青山リーダー・・・』 会議は、終わった。 九条が席を立ち、 「会議は、無事に終了した」 「この計画書通り、これから、チーム一丸となって頑張って欲しい」 「よろしく頼む」 そう言い残して、九条は会議室を出て行った。 すぐ後ろに愛子を携えて。 発言が出来なかった時以降の会議の記憶が、何もない寛司だった。
マコト (土曜日, 10 9月 2016 20:17)
九条と愛子が部屋を出て行った後の会議室は、静まり返っていた。 残された支援チームの面々に席を立つ者は一人もいなかった。 郷田も、納得がいかずに、資料を握りしめて、怒りをあらわにしていた。 だが、郷田には、課長としてやらなければならないことがあった。 そう、それは、会議で決められた通りのスケジュールに沿って、部下に仕事をさせなければならないことだ。 「さぁ、みんな、持ち場に戻ろう! これから大変になるぞ!」 いつもの、明るい部下たちの返事ではなかったが、課長の言葉に部下たちは「はい」と、ようやく席を立った。 郷田だけは、席を立たずに、部下たちが部屋を出て行くのを見守っていた。 そして、最後に青山リーダーが、郷田の前を通り過ぎようとした時だった。 「青山!」 郷田が、青山を呼び止めた。 『はい・・・』 と、青山は立ち止まった。 青山は、他の部下たちが部屋を出て、会議室に二人きりになるのを待った。 そして、固い表情のままこう言った。 『なんだ? 郷田!』
マコト (土曜日, 10 9月 2016 20:18)
実は・・・ 郷田と青山は、同期入社の仲間だった。 入社してからは、互いに認め合うライバルとして、切磋琢磨してきた。 ライバルでありながらも、互いに助け合う、そんな仲間だった。 郷田が、細かなミスを犯した時にも 「青山、お前のおかげで助かったよ!」 『なに、水臭い事言ってんだよ、郷田! 気にしないで、どうだ、今晩、飲みに行こうぜ!』 「いやっ・・・でも・・・」 『・・・なぁ、郷田・・・ お前は、俺がミスった時には、今の俺と同じことを言ってくれたぜ!』 「あれっ、そうだったか?」 『あぁ~ 今日みたいな日に飲まなくて、いつ飲むんだよ! ってな!』 「青山・・・ありがとなぁ・・・じゃぁ、いつもの店にするか?」 『おぉ!』 他の同期入社のメンバーからも、うらやましがられる二人の仲であった。 二人は、同時に昇進していった。 主任・・・係長・・・課長補佐と だが・・・ それは、5年前のことだった。 二人の意見が、初めて真っ向から対立した。 当時の部長から二人が意見を求められたとき・・・ (郷田)「このまま治験を続けるべきです」 (青山)「部長! 被験者のことを考えれば、一度ここで見直しを考えるべきです」 二人の意見は、全く逆の意見だった。 当時の部長の選択は・・・ 郷田の意見を採用したのだった。 このことをきっかけに、当時の部長は、郷田を開発課の課長として推薦した。 そして、初めて二人の昇進に差がついたのである。 辞令と書かれた紙が、開発部の広いフロアの壁に貼りだされてあった。 それを見た青山は、 「おい、郷田! お前、課長に昇進だぞ!」 『えっ・・・お、俺が? 課長に? ・・・』 「良かったじゃないか、お前のこれまでの頑張りが評価された結果だよ!」 そう言って、純粋に仲間の昇進を喜び、それを素直に郷田に伝えたのであった。 それなのに・・・
マコト (火曜日, 13 9月 2016 21:44)
それから数日後だった。 郷田と青山の意見が対立していた治験に、予想外の結果が舞い込んできたのである。 郷田が、部長に呼ばれた。 「郷田君・・・君が進めろと提言していた治験・・・最悪の結果となってしまったよ」 『えっ? 部長・・・と、いいますと・・・』 「亡くなったんだよ・・・被験者が」 『・・・えっ』 郷田は、脳天を金槌で叩かれたような衝撃を受けた。 しばらく呆然としていた郷田であったが、大きく息を吸って部長に言った。 『申し訳ございません、私の判断ミスです』と すると、部長は、郷田が予想も出来ないようなことを返してきたのである。 「はっ? 君のミスだと? 一体、君は何を言ってるんだ? それは、結局は、部長である私のミスだという意味になることが、君には分からんのかね?」 『えっ?・・・』 「ここで、ミスを認めたら私も君も終わりなんだよ! ましてや、私は君の課長への昇進を推薦した男だぞ! それが、分かるなら、軽々しく自分のミスだなどと口にするな!」 『・・・部長、でも・・・』 「でも、なんだ? もう後戻りは出来んのだよ! 郷田君・・・いいか、もちろん部下たちにも同じだ! 決して判断ミスだなどと、二度と口にするな!」 郷田は、こうべを垂れて、立っているのが精一杯だった。
マコト (火曜日, 13 9月 2016 21:45)
もう、開発部のフロアでは、被験者が亡くなったことが知れ渡っていた。 社員が、それぞれの場所で、ひそひそ話をしているなか、青山だけは、郷田が戻って来るのを待っていた。 それは、郷田が責任感の強い男で、自分の判断ミスであると言うのが分かっていたからだ。 ゆっくりな足取りで、郷田が戻ってきた。 郷田は、社員のほとんどが自分に視線を送っているのが分かった。 その視線を振り切るかのように、あえて真正面を向きながら、自席に座った。 青山は、直ぐに席を立って、郷田に歩み寄った。 「郷田・・・」 二人が、仲間であると言えたのは、この瞬間までだった。 青山が予想もしないことを郷田は言ったのである。 「大丈夫か? 郷田・・・」 『はぁ? 大丈夫ってなんだい? もしかして、被験者が亡くなったことか? 青山のその表情は、俺の判断ミスだとでも言いたそうだな!』 「えっ?・・・・ご、郷田・・・」 絶句する青山に郷田は、続けた。 『治験には、ひとつの間違いもなかった! 人の寿命は、神様しか分からないんだからな!被験者が亡くなったことも、我社の薬とは関係ないだろうし、強いて言うなら、大切なデータの一つに過ぎないんだよ!』と 青山は、怒りを通り越して、悲しさを覚えた。 「郷田・・・」 それでも青山は、自然と両手の拳を握りしめていた。 その拳で、郷田を殴りたかった。 その時は、まだ郷田が大切な仲間であると思っていたからだ。 だが、その気持ちを失わせることが、青山の頭の中をよぎった。 「郷田・・・お前は、“俺は課長だ!お前の上司だぞ!” そう言いたいのか・・・」 この日以来・・・ 二人が、仕事以外で会話を交わすことはなくなった。
マコト (火曜日, 13 9月 2016 21:47)
アスリート支援プロジェクト推進会議が終わり、 会議室に二人きりになった、郷田と青山 誰も居ないところでは、昔のように呼び捨ての二人だった。 「なんだ? 郷田!」 と、青山は郷田の前で立ち止まった。 郷田は、青山の顔を見ぬまま 『青山は、知っていたのか?』 「何のことだ?」 『治験対象者の選び方だよ!』 「はぁ? 俺も初めて見せられた名簿だぜ! もしかして、郷田は俺を疑っているのか?」 『いやっ、そ、それは違うさ、青山・・・ただ、九条部長があまりにも強引だったから・・・』 「もし、不満があるなら、直接部長に言ってくれよ!」 そう言って、青山は会議室を出ようと歩き出した。 だが、その歩みが途中で止まり、青山は振り向かずにこう言った。 「郷田は、このプロジェクトのことで、部長から、何か相談されたことはあるのか?」 『・・・いやっ、・・・何一つ聞かれたことも、指示をされたこともない』 「・・・そうなのか・・・でも、課長という職は大変だなぁ・・・」 『えっ?』 郷田は、再び歩き出し、こう言った。 「今回のプロジェクトの最後の責任は、課長がとるんだろうからな!」 郷田には、その意味も、なぜ、その時に青山がそう言ったのかも分からなかった。 郷田は、青山の背中に向かって 『青山!』 と 返事をすることなく、青山は会議室を出て行った。
マコト (木曜日, 15 9月 2016 00:07)
アスリート支援チームの面々は、九条の強引な会議で、やる気を失っていた。 だが、郷田の言葉で心機一転、治験に向けての準備作業に取り掛かったのである。 「俺たちのプライドにかけて、しっかり治験に取り組もうじゃないか!」 『はい!』 10人の被験者に対して、10人のメンバーが選ばれ、寛司もその中の一人として選ばれた。 10人のメンバーは、各自、それぞれに担当する選手が決められた。 寛司は、中距離ランナー 氷室大河(ヒムロ・タイガ)17歳の担当となった。 それは、寛司が自ら志願して担当となったものだった。 『氷室大河君は、僕にやらせてください!』 大河は、寛司が一番気になっていた選手だったからだ。 大河は、オリンピック強化選手選考会レースで、他の選手との接触により転倒し、優勝目前で、それを逃した選手だった。 当然、寛司は、その後の頑張りを期待して調査に向かった。 だが、寛司が目の当たりにしたのは、目標を失い、練習に全く身の入らない大河だった。 選考会レースの際の大河の転倒は、明らかな走路妨害によるものだった。 大河も、高校の監督も抗議したが、それは受け入れられなかったのである。 失意の大河は、走ることが嫌になっていたのであった。 寛司は、一週間、大河の練習風景を監視した。 『頑張って、もう一度、あの時の輝きを取り戻してくれ!』 その思いで、寛司は大河を陰で見守り続けていたのである。 だが・・・ 結局、寛司は調査報告書にその全てを記し、大河の評価で被験者候補“ランクC”をつけた。 それなのに・・・ 会議で渡された名簿には、大河の名前が書かれてあった。 寛司が、九条に意見を述べたかったのが、大河のことだったのである。 寛司は、思った。 「大河が被験者になるなら、彼にしっかりとした目標を持たせてあげなければならない!」 と
マコト (木曜日, 15 9月 2016 22:37)
2016年8月の末になっていた。 リオ・オリンピックでは、日本人選手の多くが活躍し、その様子が連日放映された。 日本は、金メダル12個、銀メダル8個、銅メダル21個、計41個を獲得した。 これは、前回大会・ロンドンオリンピックの38個を上回る史上最高の獲得数だった。 金メダルの獲得数での順位は、アメリカ、イギリス、中国、ロシア、ドイツに次ぐ6位だった。 テレビでは、多くのコメンテーター達が、口を揃えてこう言っていた。 「東京オリンピックでは、リオ以上のメダルが期待されます!」 と
マコト (木曜日, 15 9月 2016 22:38)
寛司は、連日の残業にも耐え、来たる治験に向けての準備作業に追われていた。 そんなある日・・・ ようやく、仕事を終え、更衣室で着替えていると、寛司の携帯が鳴った。 「あっ、珍しい~ 美優からだ! もしもし~」 美優の電話は、久しぶりに5人で集まろうよ! という話だった。 そうである。 寛司に対する美優の気持ちを聞かされた梨花が、 『ねぇ、美優・・・久しぶりに集まろうよ! バーベキューの話もしておきたいしさ! それでさっ、カンチには美優から連絡して!』 「えっ? ・・・私が?」 『そうよ! いいじゃない、してよ~ その代り、朝彦と愛子には私から連絡しておくから! よろしく!』 と、その流れでの電話だったのである。 その時の寛司は、いろんなことで心が弱っていた。 連日の残業と、休日出勤・・・ 美優の声を久しぶりに聞いた寛司は、思わず涙を流していた。 『ねぇ、寛司君・・・どうかしたの?』 「いやっ、なんでもないよ・・・でも、久しぶりに美優の声が聴けて、嬉しかったよ! じゃぁ、いつものところで!」 『うん!』 その言葉は、美優にとっては、天にも昇るような嬉しい言葉だった。 『私の電話を、こんなにも喜んでくれた!』 通話終了のボタンを押した美優は、スマホにキスをした。 そして思わず 『カ~ンチ!』と でも直ぐに、 『あっ、いっけな~い! それは梨花の呼び方だったわよね!』 『ダメなんだからね! 分かった? 美優!』 『あぁ~ 早く寛司君に逢いたいなぁ』 スマホに語りかける美優の笑顔が、とても可愛らしかった。
マコト (木曜日, 15 9月 2016 22:40)
8月、最後の週末・・・ 梨花と美優と朝彦が、「居酒屋ニチョウ」にいた。 (梨花)「ねぇ、美優・・・カンチは遅れるって言ってた?」 (美優)「いやっ、特別何も言ってなかったけど・・・」 そんな二人の会話に、すかさず朝彦が、 (朝彦)「えっ? 寛司には美優が連絡したの?」 (梨花)「なによ、朝彦! あなたも美優から連絡してほしかったの?」 (朝彦)「あっ、いやっ・・・そういう意味じゃなくて・・・珍しいなぁと思って! だって、今までずっと梨花が、全員に連絡してくれていたからさ・・・」 (梨花)「今回から、美優にも手伝ってもらうことにしたの! 朝彦は、私と会社で毎日のように会っているんだから・・・えっ? 私じゃ不満?」 (朝彦)「いえっ、決してそんなことはございません」 この流れから言えば、この質問は避けるべきだったのであろうが・・・ (美優)「そういう愛子は?」 質問を受けた梨花は思った。 「この流れのなかで、愛子への連絡は、カンチってことになるでしょ!」と (梨花)「なんか、忙しいみたいで、来れたら来るって感じだったわよ!」 梨花の悪い予想は当たってしまう。 (朝彦)「えっ? だとしたら、愛子への連絡は、寛司の方が早くない? 梨花が連絡したの?」と でも、こんな時の女の子の言い訳は、男の子には真似できないほど上手いのである。 (梨花)「愛子には、ちょっと聞きたいことがあったの! だから、私から連絡したのよ!」 (朝彦)「な~んだ、そっか!」
マコト (木曜日, 15 9月 2016 22:41)
男の子は、単純だ! 女の子の言葉を信じて疑わない。 だが、男の子だって、ただ黙って騙されている訳ではない。 時には「な~んだ、そっか!」と、信じたようなふりをしながら、全く信じていないことを、女の子たちは知らないのである。 先日も、こんなことがあった。 これは、花風莉での会話だ。 美子都が、健心が差し入れで持って来た“みたらし団子”を両手に持ちながら、 『ねぇ、健心!』 「なんだい、美子都・・・」 『あたかも、私が一日に二度のランチをしていて、しかも、その証拠の写真があるような発言、やめてよね!』 「えっ? だって・・・」 と、言って健心はスマホを取り出し 「ほらぁ・・・これ、二度目のランチの写真・・・これって、絶対に昼間だろう?」 『ちげーし!!! これはお店の照明で明るいんだし!』 「な~んだ、そっか!」 ちなみではあるが、その証拠の写真は、 ≪としちゃんの旅・2016編≫に収納するので、どちらの話が正しいのか確認したい方は、どうぞご覧ください。 11月中ごろに世に出回る予定です。 ちなみにのちなみにですが、9月4日に放映したものは、その一部です。 話は戻るが・・・ この時の朝彦にとって、愛子のことはどうでも良かったのである。 なぜなら・・・ 朝彦は、美優のことが好きになっていたからである。 そのことを、梨花も、もちろん美優本人もまだ気づいてはいない。
マコト (木曜日, 15 9月 2016 22:43)
(梨花)「どうする? 先に軽く初めていようか?」 (美優・朝彦)「そうね、 そうだな」 カンパ~イ! (梨花)「ねぇ、来週よ! バーベキュー」 (美優)「そうね! ・・・でさぁ、実は、うちのお母さんも、同じ日にバーベキューだって言うのよ!」 (梨花)「あれっ、そっか! ごめん、言ってなかったわよね!」 (美優)「えっ? なに?」 (梨花)「あのね・・・」 梨花は、その時初めて二人に、当日は55会のメンバーと一緒にバーベキューをすることを説明した。 もちろん、二人はびっくり仰天! (美優)「えっ? 梨花のお婆ちゃんの生まれた家って・・・そっか、ケンちゃんさんのお母さんの生まれた家っていうことよね!」 (梨花)「うん!」 すると、美優が浮かない顔で 「なんだぁ・・・」と (梨花)「どうしたの? 美優」 (美優)「あのね・・・お母さんに、来週の日曜日は、美優が一人で店番ね! って、言われちゃったの」 (梨花)「あっ、そっかぁ、ごめんなさい、美優・・・わたし、すっかり、そのことを忘れちゃってた・・・美優のお母さんも、行くわよね! そうよねぇ・・・ごめん、わたし・・・本当に、ゴメン・・・どうしよう・・・」 (美優)「いいの、いいの! みんなで、楽しくやってきて!」 と、男の子は、こんな時に好きな女の子の前で、思いっきり“シコる”のである。 そう、片桐壮健のように。 (朝彦)「なぁ、梨花・・・バーベキューは別の日に設定できないか? 美優が、こんなに残念がっているところ、美優を抜きにして、俺は楽しめないぜ!」 (美優)「朝彦・・・」 だが、これがまた、微妙に難しいところなのだ。 朝彦は、今の言葉で、自分の株が上がったと思っていたのだが、 美優にとってみれば、自分の都合で、皆のスケジュールが狂うことを、手放しでは喜べないからだ。
マコト (金曜日, 16 9月 2016 12:39)
シコったあとの朝彦は、 「どうだ! 俺って優しいだろう!」 と、言わんばかりの顔で、梨花を見ていた。 だが、それを打ち砕くかのように美優が 『朝彦、ありがとう・・・でも、みんなが楽しみにしていたのに、それじゃ、私が辛いもん・・・』 ごもっともである。 こんな時の女の子は、こんな感じでその場を収めるのである。 梨花が、両手を顔の前で合わせて 『あぁ、ごめん! 実はね、私も別の用事が後から出来ちゃって・・・でも、みんなに声をかけた手前、バーベキューを優先したんだけど・・・ごめん! 別の日に設定するから、来週は無しにしてもらっていい?』 「梨花・・・」 もちろん、美優には分かっていた。 だが、単細胞の男子は、 「なんだよ~ 結局は、梨花も都合が悪いのかよ! じゃぁ、結論は早いじゃん! また別の日に!」 梨花は、至極申し訳なさそうに、 『ごめん、朝彦! 美優もゴメン!』 「梨花・・・うん、分かった」 美優は、目で「ありがとう、梨花」と 梨花も目で「大丈夫よ、美優」と 寛司と愛子は、その場にいなかったが、3人で、バーベキューは別の日にやろうと決めたのであった。
マコト (金曜日, 16 9月 2016 12:42)
いずれにせよ、梨花たちが、55会のバーベキューに参加することは無くなった。 これは、後から55会のメンバーに聞いた話であるが・・・ 梨花たちのその選択は・・・正解だった。 何故なら、次のような場面を見ないで済んだからだ。 寛司は・・・ 実父、大槻玲飛が、飲み過ぎて、“セイウチ”のように寝ていたところを見ずに済み、 さらには、美子都が、自分の狙っていた肉を他のメンバーに奪われ、粕尾の山にこだまするぐらいに吠えていたシーンを見ずに済み、 梨花は・・・ 健心が、春香に 『ねぇ、健心! 私は、あなたに・・・』 と、あの伝説の飲み会の話で盛り上がっていた場面を見ずに済み、 愛子は・・・ 実父、片桐壮健が、飲み過ぎて爆睡! その間に顔に落書きをされ、激写されているシーンを見ずに済み、 美優は・・・ 萌仁香が、自信満々に焼いたパンケーキが、丸焦げになってしまい、 『鉄板が悪い!』 と、ぐだをまいていた場面を見ずに済み、 朝彦は・・・ あれっ、朝彦は??? 幹事長として、その場の仕切りをしている新城可夢生だけは、55会メンバーの中で、唯一、まともな男だった。 と、まぁ、梨花達が、55会のメンバーに混ざるには、まだ10年早いのだ。 子ども達の知らないところで、親たちは・・・ それは、互いに知らない方がいいことも、たくさんあるのだから。 結局、その日の5人の集まりは、3人だけの飲み会になってしまったのだった。 寛司、そして愛子からも 「ごめ~ん、行けない!」 と
マコト (土曜日, 17 9月 2016 21:58)
梨花と美優と朝彦がニチョウで飲んでいた頃・・・ 寛司は、大河の治験の準備に追われていた。 ここで、治験についての“ルール”について先に話しをしておく。 治験では、新薬の効果を検討するために、同じような症状の複数の患者さんに対して、実際には効果のない物質や、すでに効果が確認され市販されている薬剤との比較も同時に行われるのである。 被験者が、被験薬と対象薬のどちらを投与されているかを知ってしまうと、薬剤の効果が変化してしまうことがあるため、自分が、どちらを投与されているのかは、被験者本人には知らされないのだ。 さらに、この場合、投与する医師が、どちらの薬を投与しているかを知っていると、それが態度に表れてしまったり、有効性や安全性の評価に際して先入観が入り込んでしまったりすることがあるため、投与する医師にも知らされない場合があるのだ。 また、一つの新薬の治験においては、複数の被験者に対して薬の投与量をそれぞれに変え、さらには投与期間も変えるなど・・・、 データ収集のために、被験者には、自分がどれくらいの量を投与されているのかも知らされぬまま実行されるのである。 これが、治験のルールだ! 誤解のないよう追記するが、「治験」は、取りも直さず多くの人の幸せのために行われるのである。 そう・・・、多くの人の幸せのために。
マコト (日曜日, 18 9月 2016 22:17)
ここで、寛司が担当する氷室大河を紹介する。 氷室大河、高校2年生 はっきり言って、走ることしか能のない高校生だ。 大河の通う高校は、普通科の進学校。 周りの生徒は、少しでもいい大学に進学したいと、競って勉強をする生徒ばかり。 だが・・・ 大河だけは、違った。 その高校に入ったときから、自分は進学をせずに就職すると決めていたのであった。 勉強がとっても嫌いだったからである。 「なんで、嫌いな勉強を、あと4年もしなきゃなんねーの!」 だが、それは大河が勝手に思っている理由であり、本当の理由は、 大河は、バカだったのである。 どんなバカかと言うと・・・ 『これ、お婆ちゃんが作ってくれた洋服なのぉ~ 可愛いでしょ!』 と、言われれば 「孫にも衣装だな!」 と、真剣に返したり 外反母趾(がいはんぼし)の意味を、外面の良い母子家庭の母親だと思っていたり、 『あいつ、元気がないな! ちゃんと練習するように檄(げき)を飛ばしてこい!』 と、後輩部員に、“檄を飛ばす”の意味も知らずに、とんちんかんなこと言ってみたり、 「フレンチキス」は、唇を軽く合わせる「チュッ!」だと思って、 『すんべ! すんべ! フレンチキスでいいからさ!』 と、女の子に頼んでみたり、 アンパンマンの“ジャムおじさん”と“バタコさん”が人間だと思っていたり、 手持ち花火の先端の「紙の部分」に火を付けて、 『これ、火、つかねーし!』 と、先端の紙は火薬部分を保護する役割で、花火を使用する際は紙を、ちぎり取ってから着火することも知らなかったり、 「仏の顔も三度まで」は、三回まではOKという意味だと思っていたり、 丁字路(ていじろ)をT字路(ティーじろ)だと思っていたり・・・ と、こんな感じのバカな生徒なのだ。 走ること以外は。 大河は、レースに負けて、走ることが嫌いになりかけていた。 もちろん、この先、自分が被験者になることなど、知る由もなかった。 そんな彼の今後を話す前に、彼の生い立ちから語るとしよう。
マコト (月曜日, 19 9月 2016 21:59)
それは、大河が小学校6年生の時のこと・・・ 元気のない大河に、姉の若葉(ワカバ)が 『ごめんねぇ、大河・・・』 「いいんだよ! 姉ちゃん。 俺、友達のところに遊びに行ってくるね!」 『・・・はい、いってらっしゃい』 若葉は、大河の5歳上の姉。 後に、大河が通うことになる高校の2年生だ。 『ほんとにごめんね・・・大河』 若葉は、涙をいっぱいにためて、明日、大河に持たせるお弁当の下ごしらえをしていた。 それは、大河の小学校最後の運動会のお弁当だった。 その日の夜・・・ 若葉は、父親にもう一度お願いした。 『ねぇ、お父ちゃん・・・』 「なんだ?」 『大河が、可哀想だよぉ・・・お父ちゃんは、どうしてもダメなの?』 「すまんが、仕事を休むわけにはいかないんだ」 『大河は、我慢強い子だから何にも言わないけど・・・大河の小学校の最後の運動会だよ! それに、大河は言わないけど、応援団長に選ばれたらしいの! そんな晴れ姿を誰も見てやれないなんて・・・大河が・・・』 若葉は、涙をいっぱいにためてそう言った。 だが、父親は、黙っているだけだった。 病弱な母親は、長く入院していたのだった。 若葉は、母親に代わって、大河の面倒を見ていた。 これまでは、親戚にお願いして、昼食を一緒に食べさせてもらっていた大河だったが、親戚の子も中学生となり、明日の運動会は、誰も大河とお昼を食べてくれる人はいなかったのである。 無口な父親だった。 でも、決して子育てに無関心だった訳ではない。 入院費用を払うためには、休日返上で働かざるを得なかったのだ。
マコト (火曜日, 20 9月 2016 12:54)
運動会の日になった。 『大河・・・起きなさい! いいお天気よ!』 若葉に起こされた大河は、飛び起きて窓に走った。 「やった!」 『早く、顔を洗って、朝ごはん食べなさい』 「うん!」 たまごかけご飯を美味しそうに頬張った大河。 『大河、早く着替えてきなさい!』 「うん!」 何一つ新しいものではなかった。 体操着、帽子、運動靴・・・ それでも、若葉が真っ白に洗濯してくれた体操着を着て、 「姉ちゃん、ありがとう! 運動着、真っ白だよ!」 若葉は、嬉しそうな顔をした。 そして、早起きして作ったお弁当を大河に手渡した。 『大河、腕によりをかけて作ったからね!』 「うん! 姉ちゃん、ありがとう」 でも、若葉はちょっとうつむいて、 『大河・・・ごめんね』と 「なんで、姉ちゃんがごめんなの?」 『誰も行ってあげられなくて・・・お弁当、どこで食べるの?』 「う~ん、きっと教室だと思う! 先生に昨日話しておいたから!」 『ごめんねぇ・・・お姉ちゃんが、行ってあげられたら・・・』 「だって、姉ちゃんは学校じゃん!」 『でも・・・』 「大丈夫! あのね、6年生は午後の準備があるから、お昼休みも短いんだよ! だから、パッと食べて」 『え~ ちゃんと味わって食べてよね!』 「そっか、姉ちゃんが一生懸命に作ってくれたお弁当だもんね!」 『帰ってきたら、感想を聞くからね!』 「え~・・・」 『うそよ! 頑張ってくるのよ、大河』 大河は、おどけて言った。 「ガッテン承知の助だい!」 二人の兄弟は、父親の背中を見て育っていた。 父が、いつも口にする言葉は 「人に対する感謝の気持ちを忘れるな!」だった。 そして、それを自ら実行する父親だった。 若葉自身、まだまだ母親に甘えて、普通の高校生活を送りたかった。 でも、病弱な母親のいる家庭では、それは無理な話だったのである。 『大河・・・寂しいはずなのに・・・』 若葉は、真っ白な体操着を着て、走って学校に向かう大河を見送った。
マコト (火曜日, 20 9月 2016 21:13)
大河は、正直、寂しかった。 それでも応援団長として、青組を優勝に導き、最後の表彰式では、優勝旗を受け取った。 「母ちゃん・・・僕、頑張ったよ!」 運動会の後片付けを全部済ませて、帰宅した大河 「ただいまぁ・・・そっか、父ちゃんも姉ちゃんも、まだ帰ってないか・・・」 大河は、「一等賞」の紙が貼られたノートを三冊、ちゃぶ台の上に置いた。 疲れて帰ってきた大河は、いつの間にか、そのまま居間で眠ってしまった。 若葉が、学校から帰ってきた。 若葉は、疲れて眠っている大河を寝かせたまま、晩御飯の用意をして、それから大河を優しく起こした。 『大河・・・大河・・・』 「・・・あっ、寝ちゃった」 『大河! すごいじゃない! 一等賞だったんだね!』 と、若葉は嬉しそうにノートを持って言った。 「うん! 普通のかけっこと障害物、それとリレーの3つだよ!」 大河も、誇らしげに言った。 『大河は、足が速いのよね! 将来、オリンピックの選手になれるんじゃない?』 「え~ 僕は、将来プロ野球の選手になりたいんだよ!」 『えっ?・・・』 若葉は、大河にそんな夢があることを、初めて聞かされた。 『プロ野球の選手?』 「うん!」 『そっかぁ・・・じゃぁ、お姉ちゃん一生懸命に応援するね!』 「うん!」 『ねぇ、大河・・・じゃぁ、大河は中学校に行ったら、野球部に入りたいんでしょ?』 「・・・分かんない」 『えっ?・・・』 最後の「分かんない」は、明らかに大河の嘘だった。 何故なら、同級生たちは、スポ少の野球部に入り、毎週土曜日曜と練習していたが、経済的に余裕のなかった、大河の家では、それが出来なかった。 それでも、友達とキャッチボールをすれば、他の誰よりも速いボールを投げ、誰よりも遠くへボールを打ち返していた大河だった。 大河は、子どもながらに、お金のかかることは出来ないんだと分かっていた。 だから、自分が中学へ行っても野球部に入れるのか不安でいたのであった。
マコト (水曜日, 21 9月 2016 13:01)
もうすぐ、小学校最後の冬休みになろうとしていた。 大河の家では、もちろんクリスマスなど無縁だった。 それでも、父親がクリスマスの日に・・・ 「これを食べなさい」 そう言って、二人の前に透明の丸いカップに入ったホールケーキの形をしたアイスクリームを置いたのである。 おそらくは、100円ぐらいのアイスであろう。 それでも、そのアイスはまさしくホールケーキの形をしていた。 (大河)「父ちゃん、スゲー!!!」 (若葉)「お父ちゃん・・・ありがとう」 (父親)「二人には、寂しい思いをさせてすまんな」 (若葉)「・・・お父ちゃん」 大河は、嬉しさのあまり飛び跳ねた。 「父ちゃん、いただきます!」 若葉は、そんな父親の優しさが無性に嬉しかった。 『ありがとう、お父ちゃん・・・いただきます』 と、一粒の涙を流して、そして美味しそうにアイスクリームを頬張った。 『美味しいね! 大河』 「うん!」 二人の笑顔が、なにより嬉しかった父親であった。
マコト (木曜日, 22 9月 2016 07:59)
小学校最後の三学期になったある日の夜・・・ 大河が、珍しくトイレに起きた。 すると、居間から若葉と父親の会話が聞こえてきたのである。 『やっぱり、無理だよねぇ・・・お父ちゃん』 若葉の声は、泣き声だった。 「えっ? どうしたの姉ちゃん・・・」 大河は、思わず立ち止まり、二人の会話を聞いた。 「すまない・・・若葉」 『うん、しょうがないよね・・・お母ちゃんの病院が大変なんだもの』 「・・・若葉」 若葉は、高校の担任から、大学進学を勧められていたのである。 「若葉なら、東穂久大学の法学部も狙えるぞ!」 若葉の偏差値は、67だった。 右都宮大学の教育学部の偏差値が57程度であるのだから、いかに優秀であったのかは、容易に分かるであろう。 『でも、先生・・・』 「金銭的なことなのか? 若葉・・・」 『・・・・・』 「学費なら、奨学金を借りて、それで、大学生になったらアルバイトをしながら通っている生徒は、たくさんいるぞ! 『でも・・・』 「若葉の将来に関わることなんだぞ! お前、言ってたじゃないか! 夢があるって」 『・・・・・』 「若葉!」 『・・・父と相談してきます』 「そっか・・・若葉、もう3年生のクラス編成を決めなきゃならないんだ! 焦らせては可哀想なんだが・・・」 『・・・はい、先生・・・ご迷惑をかけてすみません』 「迷惑だなんて言うなよ、若葉!」 『でも・・・』 「大丈夫だ! お前が人の何倍も苦労して、弟の母親代わりをしていることも、クラスのみんが分かってくれているんだ!」 『えっ?・・・』 「若葉は、塾にも通わず、家事もこなしながら、いつ勉強しているんだろうって。 みんな、若葉のことを偉いなぁってな・・・」 若葉は、本当に勉強が好きだった。
マコト (木曜日, 22 9月 2016 08:01)
大河は、ずっと立ったまま聞いていた。 「姉ちゃん・・・」 大河は、子どもながらに姉と父親の会話の内容を理解した。 「姉ちゃん・・・本当は大学に行きたいんだぁ・・・でも・・・」 しばらくの沈黙のあと、若葉は、父親に向かってこう言った。 『お父ちゃん! 高卒でも入れる一番いい会社に入るからね! 期待してて!』 「・・・若葉」 若葉は、進学を諦めた。 それは・・・ 大河のことを思ってだった。 『私が、この家を出ちゃったら、大河が・・・』 そして、自分も働いて、少しでも父親の負担を軽くしてやりたかったからだ。 翌日、若葉は担任に進学しないことを告げた。
マコト (木曜日, 22 9月 2016 22:20)
大河の小学校卒業式の日になった。 「ねぇ、姉ちゃん・・・」 『なぁに? 大河』 「本当に来てくれるの?」 『うん! 行くよ! だって、大河の小学校最後の日だもの』 「だって、学校は?」 『学校? 実はね、担任の先生が、私に宿題を出したのよ!』 「えっ? 宿題?」 『そう、宿題! 小学校の卒業式のあり方について、学んできなさいって! そしたら、たまたま、今日が大河の卒業式だったっていうことなの!』 「ふ~ん・・・じゃぁ、僕はラッキーだったんだね!」 『そうね、ラッキーだったわね、大河!』 もちろん、そんなことはあり得なかった。 若葉の大嘘だ。 前日・・・ 『先生・・・私、明日遅刻してきてもいいですか?』 「遅刻? なにかあるのか? 若葉は、今日まで無遅刻無欠席だろう?」 『・・・だめですか?』 「理由を言いなさい! 就職する時に、皆勤賞は大きなポイントになるんだぞ!」 『・・・・・』 「どうした? 言えないのか?」 若葉は、うつむいたまま小さな声で言った。 『弟の・・・』 担任は、一瞬で理解した。 「すまなかった! 若葉! 分かったから行ってやれ!」 大河は、運動会が一人であったように、授業参観も誰にも来てもらえなかった。 そんな大河を不憫に思った若葉は、皆勤賞を諦め、大河の小学校最後の晴れ姿の卒業式に出ることを決めたのだった。 『ねぇ、大河・・・』 「なに? 姉ちゃん・・・」 『でも、ごめんね、学校の宿題で行くから、セーラー服だよ、・・・お姉ちゃん』 「ぜんぜんいいよ! だって、姉ちゃんの制服姿、カッコいいもん!」 『そう・・・ありがとね、大河』 卒業式が始まった。 一人ひとり名前が呼ばれ、校長先生の前に進む卒業生たち 次が、大河の番になった。 『大河・・・大きな声で返事するのよ!』 若葉は、保護者席の一番後ろで見守っていた。 と、次の瞬間だった。 『えっ?・・・大河』
マコト (金曜日, 23 9月 2016 23:21)
担任が、大河の名を呼んだ。 『氷室大河』 「はい!」 それは、それまでの返事の中で一番大きな声だった。 返事して階段を登り、校長先生の前に進むはずなのに、大河は・・・ 後ろを振り向いて、こう言ったのである。 「若葉姉ちゃん! ありがとうございました!」 体育館は、一瞬にして静まり返った。 担任も、何が起きたのか分からず、呆然と立っていた。 だが、直ぐに全てを理解した担任が、真っ先に拍手を始めたのである。 わずかに遅れて、参列者全員の拍手が体育館に響き渡った。 保護者達は、一番後ろにいたセーラー服姿の若葉を探して、皆、拍手を贈った。 若葉の頬を涙が流れていた。 それを隠そうと、若葉はうつむいていた。 『大河・・・』 大河は、階段を登って校長先生から卒業証書を受け取った。 その凛とした姿が、大河の家庭の事情を知る者の涙を誘った。 その場にいた先生たち、誰もが、教員生活を振り返ってこう言った。 「こんな雰囲気の卒業式は、初めてだわ」 「会場の誰もが、生徒も、保護者も・・・“感謝”という思いに溢れている」 と
マコト (金曜日, 23 9月 2016 23:22)
若葉は、卒業式を見とどけて学校へと急いだ。 教室に着いたのは、ちょうど四時限目の前の休み時間だった。 若葉は、隣の席の女の子に 『遅刻しちゃった!』と すると、その女の子はこう言ったのである。 「若葉・・・ご苦労様」 『えっ?』 「朝のホームルームの時に、先生が話してくれたわよ!」 『えっ? なんて?』 「若葉には、課外授業で小学校の卒業式のあり方を学んでくるように言ってある! くれぐれも言っておくが、遅刻ではないので! いいな! って」 『えっ?・・・先生が?』 その女の子は、笑って話を続けた。 「そしたらね、男子が言ったの!」 『なんて?』 「先生! それって、校長にバレたら、先生やばいんじゃないの? って、茶目っ気たっぷりにね!」 『え~・・・そしたら先生は、なんて?』 「もし、校長にチクった奴がいたら、ぶっとばす!って」 二人は、顔を見合わせて笑った。 若葉は、教科書を机に入れながら、こう言った。 『先生・・・ありがとう』と
マコト (土曜日, 24 9月 2016 17:37)
大河は、中学生となった。 三年間、着られるように二回りも大きな学生服を着て、3キロの道のりを自転車で通った。 入学して間もなく、部活動への入部説明があった。 生徒全員に、説明書が配られた。 大河は、その書類を見て、一瞬にして自分の入部先を決めたのである。 その日、帰宅した大河は、若葉に 「姉ちゃん! 俺、陸上部に入る!」 『えっ?・・・大河、野球部に入るんじゃなかったの?』 「陸上部の先生にスカウトされちゃってさ!」 『スカウト?』 「うん! だって、一番に駆け足が早いしさ!」 『・・・大河・・・あなた、もしかして・・・』 と、若葉が言いかけたときに大河はこう言った。 「姉ちゃん、言ってたじゃん! 大河はオリンピックの選手になれるよ!って」 そう言って、笑った。 『大河・・・』 「野球は、スポ少でやってきた奴にはかなわないよ! レギュラーになれないなら、陸上で県大会優勝! いやっ、日本一の中学生になってみせるよ!」 もちろん、大河の考えた嘘だった。 若葉が大学進学を諦めていたことが、大河に陸上部の入部を即決させていたのであった。 「野球部に入るには・・・、ユニホーム、スパイク・・・グローブもないんだ、俺・・・こんなにお金がかかるんだぁ・・・」 自分の気持ちを押し殺して陸上部に入ったが、一度決めたことは、とことんやる大河であった。 2年生、3年生にも負けないような練習に自ら取り組んだ。
マコト (日曜日, 25 9月 2016 23:33)
大河の母親の病状は、日に日に悪くなっていた。 母親が入院している病院は、若葉が通う高校からすぐのところにある上津賀病院だった。 若葉は、いつも学校帰りに母親を見舞っていた。 母親は、その度に 「若葉・・・いろんなことを我慢させちゃってごめんねぇ」 「大河は、元気にしているの?」 「大河は、陸上頑張っているの?」 「大河は?・・・」 「大河は?・・・」 いつも、大河を心配していた。 母親は、若葉から大河の様子を聞くのが、何よりもの楽しみだった。 もうすぐ夏休みになろうとしていた頃だった。 「今日もパンなの?」 それは、大河が初めて口にしたわがままだった。 その日も食卓には、少し硬くなったパンが置かれてあった。 それは、母親が食べられずに、若葉が病院から持ち帰ってきたパンだった。 そのパンも、ほぼ毎日のこととなっていたのである。 『ごめんねぇ、大河・・・晩御飯が毎日パンじゃ可哀想なんだけど・・・』 毎日、パンが持ち帰られていたことに、大河もその理由が、中学生なりに少しだけ理解できていた。 初めて口にしたわがままに、至極悲しそうな顔した若葉 大河は、すぐにそれに気が付いた。 「・・・ご、ごめん、姉ちゃん」 大河は、食パンにマーマレードをつけて、一気に頬張った。 「姉ちゃん、旨いよ!」 大河の家には、缶詰が山ほど置かれてあった。 母親の病院に見舞ってくれた方たちが、決まって缶詰を持ってきてくれていたからだ。 大河は、桃とミカンが食べられなくなっていた。 それは、缶詰の甘い桃とミカンを、嫌というほど食べさせられていたからだった。 その日の晩御飯が終えた時、若葉は、大河に言った。 『お母ちゃん、私には言わないけど・・・、きっと大河に会いたいはずよ』 その言葉に大河は 「・・・うん」 と、気のない返事をするだけだった。
マコト (日曜日, 25 9月 2016 23:35)
大河だって、毎日のように母親の顔を見たかった。 でも、やっと中学生になったばかりの大河には、辛すぎる光景だったのである。 やせ細った体に、幾本もの点滴がつけられ、 大河が見舞っている時も、 「大河・・・何時になった?」 「まだ、時間にならないのかい?」 それは、痛み止めの注射を待ちわびる母親の問いかけだった。 「まだだよ・・・お母ちゃん」 そのセリフを言うのが、何よりも辛かった。 病名は聞かされていなかったが、子供なりに想像はしていた大河だった。 母親も、そんな辛そうなところを大河には見せたくなかったのであろう。 若葉が、 『明日、日曜日だから大河を連れてこようか?』 心の中では、大河に会いたい気持ちがあっても、母親はそれを我慢した。 「大河は、陸上を頑張っているんだから・・・」 『お母ちゃん・・・』 そして、お盆のときだった。 その日は、父親と若葉と大河 三人で母親を見舞った。 母親は、その日も体調は良くなかった。 三人の帰り際に、母親が痛み止めの注射を懇願した。 大河は、子供なりに、注射を我慢すれば・・・ そういう気持ちだった。 だから、母親に 「我慢しなよ! お母ちゃん! さっき、僕が来た時に注射してもらったばかりなんだよ!」と その言葉が、母親が聞いた大河の最後の言葉だった。
マコト (日曜日, 25 9月 2016 23:37)
その日で夏休みが終わる8月31日、早朝・・・ 『大河・・・大河・・・起きなさい』 「えっ、 どうしたの? 姉ちゃん、 こんな朝早くに」 若葉は、涙をいっぱい流し、 『大河・・・お母ちゃんが・・・』 大河には、姉の涙で、それがどういう意味なのか、直ぐに理解できた。 親戚の叔母の車で病院に着いた大河は、ベッドの上で眠る母親と会った。 不思議と涙が出なかった。 母親の穏やかな顔を久しぶりに見れたからだ。 「お母ちゃん・・・もう痛みに耐えなくてもいいんだね・・・」 それでも・・・ ずっと母親の付き添いに粕尾から来てくれていた祖母が、 『大河・・・大河のお母ちゃんは、最期まで大河を心配していたんだよ』 その言葉で、大河も泣き崩れ、若葉と一緒に母親にすがり泣き続けた。 それから、どうやって家に帰ってきたのか、大河の記憶としては残っていない。 その日から、母親は、天国から大河を見守るようになった。
マコト (月曜日, 26 9月 2016 22:55)
翌年の春・・・ 若葉は、市内の優良企業に就職した。 そこへの入社は、大卒でも難しい会社であった。 そして、さらにその2年後、大河が高校進学を決めるとき・・・ 大河の中学校の担任は、栃木にある男子校に進学するよう説得していた。 そこは、若葉の通った高校よりも、もっとレベルの高い高校だった。 だが、大河は、あっさりとそれを断った。 そう、そこが男子校だったからだ。 就職を考えれば、工業高校に行きたかったが、それでは電車通学となり、家に迷惑になると考えた大河は、結局、自転車で通えるように、若葉と同じ高校への進学を決めた。 大学への進学は、まったく考えていなかったが、姉の背中を見て育った大河は、姉と同じように進学校を選んだのだった。 入学式には、父親も若葉の姿もなかった。 もう、高校生になった大河には、寂しさはなかった。 入学式の日、初めて登校した大河は、昇降口に張り出されたクラス分けの名簿に、自分の名前を探した。 「そっか・・・1組、2組は家政科なんだ」 3組・・・4組・・・5組 「あいつとあいつは5組なんだぁ・・・いいな、同じクラスで」 中学校の同級生の名前を見つけては、そんな思いをしていた大河だった。 6組・・・7組・・・ 人間は、こんな時に不思議と変な不安に駆られるのである。 「えっ?・・・俺、本当に合格してんの?」 8組・・・ そして9組になった時だった。 「えっ?」 大河は、気づいた。 9組には女子の名前が一人もなかったのである。 「な、なに・・・これ・・・」 そして最後の10組の名簿へ・・・ 「氷室大河」 しっかりと名前が記されてあった。 大河の選んだ高校は、その年は男子生徒の入学が多く、9組・10組が男子クラスとなったのである。 女子のいないクラス・・・ 大河は思った。 「これって、男子校と変わんねーし!」 大河は、高校に行ったら直ぐに彼女をつくりたいと思っていた。 若葉も戸惑うぐらい大人になっていたのである。 2015年4月 大河の人生は、もう既にこの時、大きく曲がっていたのかもしれない。
マコト (水曜日, 28 9月 2016 00:17)
大河は、ごく普通の高校生活を始めた。 高校生になって初めて経験する男子クラスは、そこそこ居心地が良かった。 授業も、休み時間も・・・全てが男だらけの世界だった。 大河は、直ぐに同じクラスの佐藤博一(サトウ・ヒロカズ)と友達になった。 大河は、博一を“バケラッタ”と、あだ名で呼んだ。 大河の通う高校には、週に一時間の「クラブ活動」という授業があった。 音楽クラブにでも入れば、女子と友達になれそうな気がしたが、そんな柄じゃないことは、自分が一番分かっていた。 結局、大河は、バケラッタと一緒に「工芸クラブ」を選んだ。 初めてクラブ活動に出たときだった。 大河とバケラッタの前に、二人の女の子が現れた。 それは、家政科の女の子だった。 二人がどれほどまでに可愛い女の子であったのか、文章では書き表せないが、 山奥の中学校から出てきた二人には、見たこともないような可愛らしさだった。 バケラッタが、 「大河・・・どっちが好みだ?」 『はぁ?・・・』 「俺は、右! 大河は左だな!」 バケラッタは、勝手に大河の好みの女の子を決めたのである。 バケラッタが好みだと言ったのが、小春(コハル)。 そしてバケラッタが勝手に大河の好みだと言ったのが果菜(カナ)だ。 小春と果菜は、どんな時も一緒にいる仲良し二人組。 バケラッタに「大河の好みは果南だな!」と、勝手に言われた大河であったが、実は、それは図星だった。 大河は、毎週、クラブ活動で果菜と会えるのが楽しみになっていった。 顔を見ているだけで、幸せな気持ちになった。 だが、決して自ら果菜に声をかけることはしなかった。 正確には、恥ずかしくて声をかけられなかったのである。 そんなシャイな大河をからかうように、お調子者のバケラッタは、 「ほらっ、大河! 果菜ちゃんが来たぞ! ほらっ、大河! 果菜ちゃんと何か話せよ!」 と、果菜に聞こえるように大河をひやかした。 『や、やめろよ! バケラッタ』 そう言うのが、精一杯の大河だった。 そんな光景がずっと続くだけで、大河と果菜が会話を交わすこともなく、時は過ぎていった。
マコト (水曜日, 28 9月 2016 12:38)
中学陸上で、それなりの成績を残していた大河は、早速、高校の陸上部に入部した。 高校の陸上部は、自主的に練習するところだった。 練習する者は目の色を変え、だが、手を抜くのも自由だった。 それは、監督、指導者が練習のグランドにいなかったからだ。 それでも、大河は、“インターハイ出場”を目標にして練習に励んだ。 高校には、給食はない。 毎日、若葉が大河のお弁当を作ってくれた。 「姉ちゃん・・・ごめんね」 『大丈夫よ! ちゃんと早起きして作ってあげるから!』 大河は、若葉にリクエストをした。 それは、毎日、同じ弁当を作ってほしいというものだった。 大きな弁当箱に、平らに焼いた卵焼きで、白米を覆い、そこにマルハの魚肉ソーセージ3キレと味噌ピーを乗せた弁当だった。 大河は、白米に、味噌ピーの味噌が染みたところが好きだった。 大河を不憫に思う若葉は、 『毎日同じじゃ可哀想』 と、たまに豪華なおかずを入れようものなら、 「姉ちゃん! 同じがいいって言ったべ!」 と、それを拒んだ。 『大河・・・あなたはインターハイを目指すんでしょ! そしたら、栄養のバランスも考えて・・・丈夫な筋肉にならないわよ!』 アスリートにとっての“食”は、とても重要な要素である。 大河も、それは分かっていた。 それでも、大河は、同じ弁当を頼み続けた。 そう、自分の母親代わりとして、面倒をみてくれている姉に、迷惑をかけたくはなかったからだ。 「姉ちゃん! 俺は、いつもの弁当が一番好きなんだ!」 高校生になり、大人びた口調で話す大河になっていたが、姉を想う気持ちは、昔とまったく変わっていなかった。 若葉も、それは痛いほど分かっていた。 『同じでいいの?』 「うん! ・・・ごめんね、わがまま言って」 若葉にとってみれば、わがままでもなんでもなかった。
マコト (水曜日, 28 9月 2016 21:04)
始めから進学する気のなかった大河は、まったく勉強をしなかった。 それでも、一年生の一学期までは、クラスで二位の成績を残した。 まだ、中学校の知識でなんとか答えられる範囲の時期だったからだ。 二学期からの成績は、面白い様に下がっていった。 担任に 「大河ほど、成績の落ちた奴は見たことがないよ!」 と、言わせたほどだった。 大河は、放課後の部活動に備えて、ほとんどの授業を睡眠学習の時間に使った。 当然、教師に見つかり、廊下に座らされた。 校長室の前にも、何度も座らされた。 ある日・・・ 大河は、その日も校長室の前で座らされていた。 「おぉ~ 氷室君!」 『あっ、こ、校長先生・・・』 「すっかり、君の名前を覚えてしまったな!」 『・・・はい・・・すみません』 「昨日は、学校を休んだのか?」 『えっ? い、いやっ、ちゃんと登校していました』 「あれっ? そっか・・・いやっ、ここに座っていなかったから、てっきり休んだのかと思ったよ! 何気に寂しかったぞ!」 『あぁ・・・あっ、はい・・・』 「なぁ、氷室君! 君は若葉君の弟なんだってな!」 『えっ?・・・あっ、・・・はい』 「お姉ちゃんは、優秀だったぞ!」 『はい!』 大河は、姉を褒められて嬉しかった。 校長は、全てを理解していた。 だから、大河にこんな話をしたのである。 「若葉君は、頑張っているか?」 『はい!』 「そっかぁ・・・もう3年も経つんだなぁ・・・若葉君の担任はなっ、私に内緒で君の卒業式に・・・まったく、困ったもんだ!」 『はっ? ぼ、僕の卒業式に? なんですか? 校長先生!』 「あっ、いやいや、こっちの話だ! なんでもない!」 と、笑った。 そして校長は、少しだけ表情を変えて 「若葉君に弁当を作ってもらっているのか?」 『えっ?・・・』 その言葉で、校長先生が自分の家の事情を承知していることが分かった。 『はい! すげー旨い弁当です!』 「そっか! 感謝しなきゃな! 若葉君に」 『はい! 校長先生』 「陸上は、どうだ?」 『はい、絶対にインターハイに出場します!』 「そっか! 吉報を楽しみにしてるよ!」 『はい! 校長先生』 そして、校長はこう言った。 「なぁ・・・氷室君・・・君が、毎日のようにここでお座りをしていても構わんがなっ・・・いいか、自分の道は、自分で切り開いて行くんだぞ! 分かったか? 氷室大河!」と 突然、校長にそんな言葉をかけられ、身の引き締まる思いをした大河であった。 とても、重みのある言葉だった。
マコト (水曜日, 28 9月 2016 23:34)
何故だろうか・・・秋を過ぎ冬が近づくと、いくつものアベックが誕生し始める。 「ふ~ん・・・あいつも、とうとう彼女ができたか」 大河は、中学校のときの同級生から「彼女ができたぞ!」と、聞かされる度に、それをうらやましく思っていた。 そして、それはもうすぐ二学期が終わろうとしていた頃だった。 バケラッタが、何か訳ありのような顔をして大河に話しかけてきた。 「なぁ、大河・・・」 『なんだよ? バケラッタ』 「今日の放課後、部活の前にちょっと付き合ってくれよ!」 『付き合え? なにすんだよ?』 「あぁ・・・ちょっとバスケ部の練習を見たいんだよ!」 『バスケ部? なんで見にいくんだい?』 「・・・実はなっ・・・可愛い子がいるって聞いたんだ」 『バスケ部に? ふ~ん・・・まぁ、いいけど』 放課後・・・ 大河とバケラッタは、体育館に行った。 二人は、体育館の入り口に立ち、早速、バケラッタが女の子を見つけた。 「あっ、いた! あの子だ!」 『はぁ? ど、どの子?』 大河は、バケラッタが指さす方に可愛い女の子を探した。 『あの子か?』 大河が、見つけたのは、一人だけ赤パンを履いた女の子だった。
マコト (水曜日, 28 9月 2016 23:38)
その女の子は、バスケット部員らしい体型の子だった。 バスケットには必要のない大胸筋は、ほぼ無く、スリムな上半身。 その代りしっかりと育った大腿四頭筋が赤パンをパツンパツンにしていた。 一生懸命に練習に励んでいる証だ。 大河は、その子を指さし、 『あの赤パンかよ?』と 「はぁ? 赤パン? ちげーよ! あいつは、漫画を描くのが趣味で・・・だから“モンキーパンチ”って呼ばれてるんだよ!」 『モンキーパンチ? すげーあだ名だな! しかも、なげーし!・・・最初と最後を取って、モンチでよくね?』 「まぁ、今日は、あいつのことは、どうでもいいけど・・・」 『あぁ、そうだったな! えっ? んじゃ、どの子だよ?』 バケラッタは、少し顔を赤らめて言った。 「・・・その隣・・・白いTシャツを着てる子」 それは、大河も驚く可愛らしい女の子。 練習に備えて、一年生たちが道具の準備をしているところだった。 『へぇ~ なるほどね!』 と、大河は、いたずらな顔をして、 『どれ、んじゃ俺が言ってきてやるよ!』 「はぁ~?・・・」 『バケラッタが好きだ!ってさ』 「や、やめてくれ! 大河」 『なんで? 俺もバケラッタには、いろいろ言われてるからさ!』 「はぁ? お、俺・・・な、なんにも言ってねーし!」 『はっ? いやいや! 果菜ちゃんが来たぞ! ってさ』 「そ、それは、冗談で・・・」 大河は、今度は真面目な顔で、 『じゃぁ、言ってくる!』と 「わ、分かったよ、ゴメン! 大河・・・勘弁してくれ!」 と、ハエが前足をこするように両手を合わせて、大河を制止した。 青春である。 そんな大河にもう直ぐ転機が訪れるのを、大河自身、知る由もなかった。
マコト (木曜日, 29 9月 2016 21:54)
それは、大河が高校生になって初めてのお正月だった。 遅くの時間まで、「ゆく年くる年」を観ていた大河は、元日の朝、ゆっくりと起きてきた。 「明けましておめでとうございます」 父親、若葉、そして親戚の叔父叔母たちも、寝ぼけ眼の大河を笑顔で迎えた。 「おめでとう! 大河」 大河は、そこにいた全員の「おめでとう!」の言い方と、その笑顔に何故か違和感を覚えた。 叔母は、大河が起きて来るのを待ちわびていたかのように 『大河! 年賀状が届いているわよ!』と、年賀状を手渡してきた。 「あっ、す、すみません」 大河が年賀状を読み始めると、何故かそこにいた全員の視線を感じたのである。 大河は、まぁいいかと、年賀状を読み続けた。 最後の一枚になったときだった。 その年賀状の差出人を見て思わず、大河は固まった。 「えっ?・・・」 それは、小春からの年賀状だった。 大河は、瞬間的に 「果南ちゃんじゃなくて、小春から?」 と、思った。 大河は、小春からの年賀状を読みながら、ずっと感じていた違和感の正体にようやく気付いた。 「みんな、俺のリアクションが見たくて・・・」 だから、大河は、あえて平然と年賀状を読み続けた。 その年賀状には、こう書かれてあった。 アケオメ~~ 大河がインターハイに向け 一所懸命に練習している姿を いつも見ているよ~~~!!! 目標に向かって、これからもガ~ンバッ! 絶対にインターハイに行ってね! そしたら…私、応援に行っちゃうかも(^<^)
マコト (木曜日, 29 9月 2016 21:55)
読み終えた大河を、叔母がひやかしてきた。 『大河・・・彼女なの?』 「ち、違いますよ!」 『でも、随分と大河にホの字の御様子ね! 小春ちゃん!』 歳をとると、なんてことのない文章が、どうやら恋文のように感じるようだ。 だが、そう言われてしまうと、大河もその気になってしまったのだ。 実は、大河は、工芸クラブで果南と会話を交わすことのないままきたが、ひょんなことで小春と話すことが出来るようになっていたのである。 バケラッタは、すでにバスケ部の女の子に気持ちがいっていたため、大河と小春は普通の友達として会話をすることが出来ていたのであった。 年賀状を読んだ大河は 「小春が・・・」 と、ご機嫌に。 小春は決して恋文として書いていないことは、冷静に読めば容易に分かることなのだが・・・ いずれにせよ、大河は「豚もおだてりゃ・・・」で、正月休み明けから、目の色を変えて練習に取り組んだのであった。
マコト (金曜日, 30 9月 2016 00:37)
大河は、2年生になった。 その日は、クラス分けの発表の日。 大河は、昇降口に張り出された名簿を当然3組から見た。 3組・・・4組・・・5組・・・ ふと、入学式の時の記憶が蘇ってきた。 「あの時は、びっくりしたよなぁ」 と、男子クラスに押し込まれた苦い経験を思い出した。 さすがに2年続けて男子クラスはないだろうと思っていた。 だから、その頃はまだ冷静でいられた。 だが、6組・・・7組・・・ ふと気づいた。 「悪が、一人もいないじゃん! まっさかぁ・・・」 それまで見てきた名簿に、できの悪い生徒の名前が、ほとんどなかったことに気付いたのであった。 大河の悪い予感は・・・的中していた。 「・・・まじか・・・俺、ま、また10組?」 10組には、出来の悪い生徒が揃っていたのである。 しかも、東大が狙える秀才組も揃っていた。 「な、なに? このクラス・・・」 ある意味、バランスは取れていたのかもしれないが。 大河が抱いていた「男女共学になって、楽しい高校生生活を」という夢が、2年連続で破れた瞬間だった。 だが、小春から年賀状を受け取って以来、練習に励んでいた大河は、直ぐに気持ちを切り替えた。 「工芸クラブで、小春に会える・・・」と 当然、大河は、2年生になっても、当然、工芸クラブに入った。 だが、そこに小春と果菜の姿は・・・ なかった。 そして・・・ 2年になって、大河に、今度は違った転機が訪れることになるのであった。
マコト (金曜日, 30 9月 2016 00:39)
大河がインターハイを目標に頑張っているのを陰で応援していた校長が、大河のために、ある男を指名して、自分の高校の教師として呼び寄せたのである。 その男の名は・・・ 大塚英吉(オオツカ・エイキチ) 23歳 新卒の新任教師だ。 実は、校長の教え子なのである。 この英吉が、また破天荒な男だった。 赴任初日・・・ 大きなバイクにまたがり、ヤンキーヘルメットにサングラス。 そんな英吉を校長が、出迎えた。 「おぉ~ 来たな! 英吉!」 『校長! ご無沙汰です! お元気そうで』 「しかし、いきなり派手な登場だな!」 そう言われて、ヘルメットを取り、サングラスを外す英吉。 『今日から、よろしくお願いします』 と、英吉は、礼儀正しく深々と頭を下げた。 その様子を、朝練でグランドにいた大河が、たまたま見ていたのである。 「誰だ? あいつ!」 その日から、その男が、陸上部の顧問になろうとは、夢にも思っていなかった大河であった。
マコト (金曜日, 30 9月 2016 12:52)
英吉は、駐車場にバイクを停め、校長室に向かった。 ≪トントントン≫ 「大塚です! 失礼します!」 校長室に入ると、応接席に校長と高木教頭が座っていた。 『座れよ! 英吉』 「はい」 『どうだ、教師になった気分は?』 「はい、最高っす!」 赴任初日に、アディダスの三本線のジャージ姿。 しかも校長の前で、新任教師が軽いノリで会話することに、高木教頭は憮然とした表情で英吉を見ていた。 校長は、その高木教頭の表情に気付いて 『教頭先生! まぁ、そんな難しい顔をせんでもいいだろう!』 「はぁ、でも校長・・・少し緊張感に欠けているような・・・」 『まぁまぁ・・・英吉のことは昔から良く知っているが、悪い奴じゃないんだ! 大目に見てやってくれないか?』 「・・・はぁ、はい」 『さて、早速なんだが・・・英吉!』 「はい!」 『君には、2年10組の担任になってもらうことにした! 頑張ってくれ!』 「いきなり担任ですか?」 『そうだ! 不満か?』 「いえっ・・・分かりました」 『それとな・・・』 校長は、少しためらいをみせたが、こう言った。 『陸上部の顧問をやってもらいたい』 「えっ?・・・」 予想外の言葉に、英吉は固まった。 そんな英吉を見て校長は、 『教頭・・・すまんが、ここからは席を外してくれないか?』 「えっ? あっ、はい分かりました」 と、高木教頭を校長室から退出させた。
マコト (金曜日, 30 9月 2016 20:22)
校長室は、二人になった。 そこで、校長が二人でしか出来ない話を始めたのである。 「なぁ、英吉・・・」 『はい、先生・・・』 「お前は、もう走っていないのか?」 『・・・・・』 実は・・・ 校長も、そして英吉も、オリンピックを目指したアスリートだったのである。 校長は、教員生活三十数年の間、陸上部の顧問として全国でも名の通った指導者だった。 校長と英吉との出会いは、英吉が中学生の時だった。 校長は、中学生の大会で、活躍する英吉を見つけた。 英吉の才能を見抜いた校長は、自分の元で、オリンピックを目指せる選手として英吉を育ててみたいと思ったのだった。 「あいつしかいない!」と
マコト (金曜日, 30 9月 2016 20:24)
それは、英吉が中学3年生の時だった。 「失礼します。突然、お邪魔して申し訳ございません。奈須山高校教員の逢坂といいます」 7年前の校長だ。その当時は、役付きのないただの教員だった。 英吉の姉が、逢坂を出迎えた。 『はぁ・・・高校の先生が、どのようなご用件でしょうか?』 「はい! 私は、奈須山高校で陸上部の顧問をしています。 先日の中学生陸上大会を拝見させていただきまして、こちらの英吉君の走りに大変驚きました。英吉君の高校進学のことで、ご相談させていただきたく、お邪魔しました。突然で、大変申し訳なく思っております・・・英吉君のお姉さまでしょうか?」 『あっ、・・・はい』 「英吉君は、まだ学校から戻ってきていないのですか?」 『あっ、・・・いえっ・・・はい』 「・・・そうですかぁ・・・あっ、それでは、ご両親様はご在宅ですか?」 『あっ、・・・い、いまは・・・いません』 と、そんな会話をしているところに英吉が、息を切らして戻ってきた。 「(はぁはぁ) 姉ちゃん、ただいま! 」 『お疲れ様ねぇ~ 英吉』 英吉は逢坂に気付き 「あれっ、おっちゃん 誰?」 それが、逢坂と英吉との出会いであった。 逢坂は、嬉しそうな顔をして英吉を見た。 『走ってきたのかね?』 「アルバイトだよ!」 『えっ? アルバイト? バイトで走ってきたのかい?』 「夕刊の配達!」 『えっ? 走って配達をしているのかい?』 「そうだよ! 悪い?」 「いやいや、そうじゃなくて・・・それって毎日のことなのかい?」 『おっちゃんも面白いこと聞くね! 夕刊って、毎日だろう?』 「そ、それはそうだが・・・えっ? 何キロぐらい走って配っているんだい?」 『分かんねー! い~っぱい!』 姉が、小声で 『20キロぐらいだと思います』 「20キロ?・・・」 「(はぁはぁ) って、ところで 誰? おっちゃん」 『すまん、すまん! 私は、奈須山高校で陸上部の顧問をしている逢坂です、はじめまして』 「顧問? 高校の先生?」 『そうだ!』 「先生が、僕のうちになんの用があって来てんの?」 逢坂は、目を光らせて英吉に向かい、 『君の大会での走りを見せてもらったんだ! 素晴らしい走りだったな!』 「大会? ・・・あぁ、なんか競える奴がいなくて、つまんなかった大会のこと?」 逢坂は、笑った。 『ぶっちぎりの優勝だったもんな!』 「別に、たいしたことじゃないけど」 『どうしてだい? 中学生のナンバーワンになったんだぞ!』 「別に嬉しくない! 毎日、走っていれば・・・他の奴らより、たくさん走っている! ただ、それだけのことでしょ?」 『う~ん・・・それでもすごいことだ、君の走りは! 高校に行っても陸上を続けるんだろう?』 「高校?・・・」 英吉の表情が、明らかに変わった。
マコト (土曜日, 01 10月 2016 21:24)
英吉は、笑って言った。 「高校には、行かないよ!」 『えっ?・・・』 逢坂が、まったく予想をしていなかった返事であった。 高校進学率が、98%程度である時代にあって、普通の中学生の男の子が、高校に進学しないという感覚がなかったのである。 ただ、驚いたのは逢坂だけではなかった。 英吉の姉が 『ねぇ、英吉! あなた、高校へは行かないって、どういうこと?』 姉も初めて聞かされた言葉だったからだ。 「姉ちゃん! 僕は、高校には行かずに働くよ! そしたら、母ちゃん、もっともっといい治療をしてもらえるんだろう?」 『・・・英吉』 実は・・・ 英吉の家では、そう、大河の家と同じような事情があったのである。 母親が、ずっと病弱で入退院を繰り返し、ちょうどその時も入院中であった。 父親は、必死になって働いていた。 家事は、その時高校生だった姉が全てこなしていた。 英吉が、夕刊の配達をしていたのも、それが理由だった。 ただそれは、姉が言ったからでもなく、父親が頼んだ訳でもなかった。 英吉、自らやっていたことだった。 姉は、泣き出していた。 『英吉・・・』 逢坂は、その場をどう繕っていいのかも分からず、ただ、立ちすくんでいた。 すると英吉が、逢坂に向かってこう言った。 「ねぇ、先生・・・僕に何か言いにきたの?」 逢坂は、迷った。 それでも、正直に、ストレートに英吉に答えた。 『君をオリンピック選手に育ててみたくなったんだ! だから・・・』 だが、次の言葉が出なかった。 『奈須山高校に入学して、一緒に陸上をやろー!』 と すると英吉が、また笑って言った。 「もしかして、スカウト? スゲー!!! でも、先生・・・そういうことだから! 別の中学生を誘ってやってよ!」 『英吉君・・・』 動揺していた姉だったが、 『先生・・・申し訳ありませんが、今日のところは・・・』と
マコト (日曜日, 02 10月 2016 23:10)
英吉の家を後にした逢坂は、その足で、英吉が通う中学校へと向かった。 午後7時を過ぎても、ほとんどの教師が残っていた。 逢坂が、学校の玄関までいくと、その姿を中学校の一人の教師が見つけて、直ぐにこう言った。 「あ、あれは奈須山高校の逢坂先生じゃ・・・」 それほどまでに、逢坂は名前も顔も知れ渡っている教師だった。 「失礼ですが、逢坂先生でいらっしゃいますよね?」 『あっ、はい 逢坂です』 直ぐに校長室に案内された。 校長に事情を説明すると、担任と陸上部の顧問が呼ばれた。 担任が、口を開いた。 「そうでしたか・・・英吉が、そんなことを」 『・・・はい。 私は、彼の才能にほれ込みました。 ただ・・・進学については、無理にお願いできませんし・・・』 「実は、もう進路相談はしていまして・・・まだ、悩んでいるはずなんですが・・・ところで、逢坂先生は、いつもこうして中学生のスカウトに足を運んでいらっしゃるのですか?」 『いえっ! 実は、長い教員生活の中で、初めてのことなんです』 「えっ? 初めて? 奈須山高校と言えば、陸上部で常に全国レベル! 先生が、生徒を集めているんじゃなかったんですか?」 するとその話に、陸上部の顧問が、緊張したおもむきで口を開いた。 「せ、先生・・・ご存じないんですか? 逢坂先生を慕って、奈須山高校で陸上がやりたいと、遠くからも生徒が通っているんです! 逢坂先生のお人柄、指導力に、願わくば逢坂先生の元へ自分の教え子を通わせたいと思っているのは、私だけではなく、中学校の陸上部顧問、ほとんどの先生がそうだと・・・じ、実は、私は逢坂先生に憧れて、陸上部の顧問をしているんです」 逢坂は、少し困ったような表情を浮かべ 『いやっ、頑張っているのは、生徒たちであって、私は、それを少しだけ手助けしてあげているだけなんです』と 校長が、 「うちの大塚英吉は、逢坂先生を初めて動かした選手なんですね?」 『はい!』 逢坂は、目を輝かせて言った。 『私は、多くの生徒を見てきました。走っている時の表情を見れば、いま、どういうことを考えて走っているのか、全部分かります。 英吉君は、私が今まで出会ったことのないような選手なんです! 彼のレース中の目、表情、しぐさ・・・全てにほれ込みました! 彼なら、将来、日の丸を背負って勝負ができる選手になれると、確信したんです!』 校長、担任、そして陸上部の顧問も驚きを隠せなかった。 だが逢坂は、席を立ち、深々と頭を下げてこう言った。 『自分は、大変な間違いをしてしまったのかもしれません・・・申し訳ありませんでした』 校長が、 「と、いいますのは? どんな間違いだったとおっしゃるのですか?」 『彼の家の事情など、いろんなことを考えもせずに、彼と一緒に陸上がやりたいという、私の勝手な思いで・・・結果的に、彼を傷つけてしまったのではないかと・・・悔いております』 「悔いている?」 『・・・はい』 すると、校長は表情を変えてこう言ったのである。
マコト (月曜日, 03 10月 2016 19:45)
校長は、優しい顔になってこう言った。 「逢坂先生・・・先生のお人柄なんでしょうね・・・先生は、本当に子供たちの気持ちに寄り添って・・・ありがとうございます。うちの大塚もそこまでご心配いただきまして」 『あっ、・・・いや、校長先生、そんな・・・』 すると校長は、「教師の仕事」に対する自分の思いを語りだした。 「生徒、ひとり一人と向き合って、生徒に寄り添い、少しでも生徒の力になれるよう、いつも生徒のことを考えている・・・それが教師というものですよね」 『はい・・・』 「うちの大塚も、自分の道は、自分で切り開いて行かなければならない! そこに、教師は少しでも力を貸す・・・いやっ、その道を誘導してやる。それが教師の仕事。ただ、そこには限界があるところなのかもしれませんよね」 『はい・・・』 「逢坂先生・・・先生は、大塚の才能を見抜いて、彼に、一つの道、一つの選択肢を与えてくれた。 決して、そのことは間違いではないですよね? 逢坂先生」 『はぁ・・・いやっ、でも校長先生・・・』 「私が、逢坂先生にそう言ったのには理由があります。 それは、先生が、大塚を思って言ってくれていることだと思うからです! 決して私利私欲のためでもなく・・・それだけ、うちの大塚には魅力があったということなんでしょうね」 『校長先生・・・』 そして逢坂は・・・
マコト (火曜日, 04 10月 2016 22:14)
翌日・・・ 逢坂は、英吉の家を訪れて、「英吉を自分に任せてほしい」と父親に申し出た。 それは、英吉を逢坂の家に下宿させ、学費も逢坂が全て負担するという申し入れだった。 父親は、ずっと黙って逢坂の話を聞いていた。 「お父さん・・・英吉君のことを私に任せてください」 『逢坂先生は、そこまでして、うちの英吉のことを・・・』 そして、逢坂の気持ちは、父親に届いたのである。 『ありがとうございます・・・先生』 父親は、英吉に向かって、ゆっくりと話し出した。 「英吉・・・お前には、本当に寂しい思いをさせて・・・アルバイトまでさせ、しかも、高校も諦めるようなことまで考えさせて・・・本当に、不甲斐ない父親ですまない、許してくれ」 『父ちゃん・・・』 英吉は、涙をいっぱいにためていた。 「英吉・・・高校に行って陸上がやりたいか?」 『・・・・・』 「英吉・・・一生かかっても、この先生に恩が返せるか?」 『父ちゃん・・・』 父親は、逢坂に向かってこう言った。 「先生・・・英吉のこと、よろしくお願いします。 英吉には、一生かかってでも・・・」 そう言って、手のひらを畳に付け、額が畳に付くまで伏せて涙を流した。 「先生・・・英吉をよろしくお願いします」 と 英吉が、涙を流しながら、 「おっちゃん・・・」 「こらっ! 英吉! 先生に向かって、なんて言い方をするんだ!」 『お父さん、いいんですよ! まだ、ただのおっちゃんですから! なんだ? 英吉君』 「俺・・・日本一の高校生に成れるかな?」 『あぁ、君の頑張り次第だ!』 「俺・・・日本一の高校生になって、母ちゃんを喜ばせたい!」 「・・・そっか・・・分かった」
マコト (火曜日, 04 10月 2016 22:17)
英吉が、中学校を卒業し、逢坂の家に下宿を始める日になった。 その日、英吉は、迎えに来てくれた逢坂と一緒に母親を見舞った。 「母ちゃん!」 『英吉・・・よく来てくれたね』 「母ちゃん、この人が、逢坂先生だよ!」 「はじめまして 奈須山高校の逢坂です」 『主人から話は伺っています。 英吉の事、よろしくお願いします』 「ご安心ください。 やんちゃ坊主を育てることには慣れていますから!」 「やんちゃ坊主??? 先生、それって俺のこと?」 「他にいねーじゃん!」 そんな二人のやりとりを微笑ましい顔で見る母親。 だが、徐々に悲しみがこみ上げてきた。 『私が、こんな体じゃなかったら・・・』 それでも一生懸命に涙をこらえて笑顔をつくった。 『英吉・・・頑張り過ぎて、ケガなどしないようにねぇ』 「大丈夫だよ、母ちゃん! もともと元気だけが取り柄だからさ!」 『そっか』 「母ちゃん・・・」 『なんだい? 英吉・・・』 「俺・・・日本一の高校生になって、金メダル持って帰ってくるからね!」 『そう、楽しみに待っているよ・・・英吉』 病院をでて、逢坂の家に向かう途中、英吉はずっと涙を流していた。 それに気づいていた逢坂であったが、あえて何も言わずに車を走らせた。 その日から、二人のオリンピックを目指した挑戦が始まった。 来る日も来る日も、逢坂は英吉を走らせた。 「英吉! 母ちゃんと約束したんだろう! 日本一の高校生になるって!」 「英吉! お前はリオ・オリンピックに行くんだ!」 それが、逢坂の口癖だった。 英吉は、逢坂を信じて、苦しい練習に耐えた。 「俺・・・絶対にオリンピックに行くからね! 母ちゃん」
マコト (水曜日, 05 10月 2016 12:50)
奈須山高校陸上部には、その年も、逢坂を慕って多くの部員が入部してきた。 県外から電車で通う者までいた。 英吉が逢坂の家に下宿していることは、学校長と担任以外には知らされていなかった。 そう、例えて言うなら、岡崎友紀と石立鉄男のドラマ「おくさまは18歳」のように。 と、少し例えが悪かったようだが、英吉が、他の部員から色眼鏡で見られないようにと、校長の配慮だった。 もちろん逢坂は、英吉を他の部員と分け隔てなく扱った。 無難に高校生活を始めた英吉であったのだが・・・ 実は、逢坂は、英吉に対してある不安を抱えていた。 英吉には、とんでもない欠点があったのだ。 その欠点とは・・・とにかく、お調子者なのだ。 英吉の場合、ただのお調子者ではなく、女好きのお調子者なのだ。 例えて言うなら・・・そう、バケラッタのような。 山奥から出てきた英吉が、都会の女の子に出会い、色気付き始めていた。 逢坂は、経験上、知っていた。 女好きの部員には、二つのパターンがあることを。 一つは、女の子に注目されたい一心で、練習に没頭する者。 もう一つは、グランドを走らず、女の子に走って、練習をさぼる者だ。 逢坂の英吉に対する唯一の不安だった。 そしてその不安は・・・
マコト (水曜日, 05 10月 2016 22:17)
ある時、英吉が逢坂にこんなことを言ってきた。 「先生! 俺、100mで勝負したい!」 『はぁ? どうしてだ?』 「だって、やっぱり陸上の花形は、100でしょ!」 英吉が100を選びたかった理由は、簡単だった。 女の子にもてるには、100で優勝して、目立ちたかっただけなのである。 逢坂は、直ぐにそれを見抜いた。 『やれやれ』 逢坂の英吉に対する不安は、その時に解消された。 『少しの間、楽しませてやるか』と 逢坂は、英吉が短距離向きの選手ではないことは、もちろん分かっていた。 それでも反対はしなかった。 『分かった! 好きなようにやりなさい!』 「先生、ありがとう!」 選手がやりたいことを応援する! それが、教育者としての逢坂の信念だった。 そして、それは全ての部員に対して変わらなかった。 ただ、その時の逢坂は、英吉に対して一つだけ条件を付けた。 「なぁ、英吉・・・もし、100で結果を出せなかったらどうする?」 『出す!』 「出せなかったら! って、言ってんだよ! お前は、母ちゃんに金メダルを持って行くって約束していたよな?」 『・・・した』 「だから、聞いてんだよ! 結果を出せなかったら?」 『そ、そんときは・・・先生の言う事、なんでも聞いてやるよ!』 「分かった!」 その日から、英吉は目の色を変えて練習に取り組んだ。 そして、迎えた一年生の大会 英吉の出した結果は・・・ それは、逢坂の予想とは違ったものになるのであった。
マコト (水曜日, 05 10月 2016 22:18)
エントリーした100mの予選、第6組 英吉は、そこを軽く突破し、準決勝へと進んだ。 「ほぉ~ 大したもんだ!」 だが、逢坂の予想はここまでだった。 「こんなもんだろう!」 準決勝、 英吉の予選でのタイムは、決勝まで残れるものではなかった。 だが、逢坂の目には、不思議と英吉の姿が輝いて見えた。 「英吉のやつ、なかなかいい表情してるなぁ・・・」 結果は、自己ベストを大幅に更新してギリギリ決勝進出を決めたのである。 「あいつが・・・ 決勝?」 逢坂は思った。 「やっぱり女の子の力はすげーんだなぁ」と その時の英吉は、決して、特定の女の子の気を引くために頑張っていた訳ではなかった。 単純に「女の子にモテたい!」という、ただそれだけの、ある意味不純な動機が力となって、自己の記録を大幅に更新させたのである。 これが、「火事場の・・・」というやつなのか。 いずれにしても、男と女の関係で、これだけは言えるのである。 『男という生き物は・・・女性のために頑張るのだ! 』と ただ・・・ 「モテたい!」という気持ちだけで優勝できるほど、陸上は甘くはない。 英吉は、決勝では8位で敗れた。 レース後・・・
マコト (水曜日, 05 10月 2016 22:20)
英吉は、うなだれて逢坂の元へ戻ってきた。 「おつかれさん!」 『負けたよ・・・先生』 逢坂は、分かっていた。 「英吉なら、そう言うだろう」 「決勝まで残ったことで満足するはずがない」と 『先生・・・教えてくれよ! 俺は、どうすれば日本一の高校生になれるんだよ?』 「日本一? どうして、日本一に拘るんだ? 英吉!」 『だって・・・俺・・・』 その時の英吉は、母親との約束を思い出していた。 そして、不純な動機で100に挑戦し、惨敗したことを悔いていた。 その思いを閉じ込めて返事した。 『だって、やるからには・・・どうしても日本一になりたい! だから、言ってくれよ先生!」 それは、英吉が初めて逢坂にアドバイスを求めた瞬間だった。 逢坂は、あえて笑って言った。 「あっ、そうだ! 結果を出せなかった時には、何でも言うことを聞くって言ってたよな?」 『・・・言った』 「なんでも聞くってなぁ?」 『・・・だから、言ったよ!』 逢坂は、引き締まった表情に変えてこう言った。
マコト (木曜日, 06 10月 2016 12:57)
逢坂は、陸上トラックに目をやり、こう言った。 「英吉・・・」 『はい!』 「お前・・・明日から中距離の練習だからな!」 『・・・分かりました』 実は・・・ 英吉が短距離に目の色を変えて取り組んだことは、逢坂にとっては好都合だったのである。 中距離走は・・・ スピードを出す瞬発力、 早いスピードを維持する持久力、 さらに運動を維持するのに必要な高い心肺能力。 その3つの能力を同時に鍛え、それぞれの能力をバランスよく整える必要がある。 ようは、陸上競技の中で、一番苛酷な練習が求められる競技なのである。 その苛酷さは、英吉も分かっていた。 英吉の高い心肺能力に非凡な才能を感じていた逢坂にとっては、 「100で勝負したい!」 という英吉の言葉は、棚から牡丹餅であったのだ。 「英吉なら、女の子にモテたい一心で、我武者羅にやるはずだ!」と。 そんな逢坂の目論見通り、英吉は、必死に練習し、大会では自己記録を大幅に更新した。ようは、スピードを出す瞬発力を磨き上げていたのである。 「英吉が持つ高い心肺能力にスピードを出す瞬発力が加われば・・・絶対に日本一になれる! いやっ・・・世界に通用する選手になるのも夢ではない!」 英吉は、早速、練習に取り組んだ。 中距離走は、短距離走とは違って、400メートルトラックをオープンコースで走り、トラックを数周する間に競技を行うため、レース戦略も重要となる。 スタート直後に多くの選手同士が激しくぶつかり合いながら良い位置取りを確保しようとしたり、逆に集団の中に入ってしまって、ポケット状態で失速、スパートの時期を逸してしまうなど・・・ 英吉は、逢坂からそれらを徹底して鍛えられた。 「ダメだ! スパートをかけるタイミングが早すぎる!」 「ダメだ! そのコーナーではインを取れ!」 「ダメだ! ・・・ダメだ!・・・・英吉! お前は、中距離走で日本のトップになるんだろう!!!」 頑固者の英吉であったが、一度約束したことは、必ず守った。 「まったく、先生に余計なこと言っちまったなぁ・・・でもなっ、母ちゃんとの約束だからな!・・・先生の厳しい練習についていけば・・・」 英吉の記録は、みるみる伸びていった。 英吉の記録は、高校2年にして高校生の日本記録に並んだのである。 逢坂は、英吉の将来が、日に日に楽しみになっていった。 それなのに・・・
マコト (金曜日, 07 10月 2016 07:04)
それは、インターハイ県予選大会の時だった。 大切な大会当日の朝・・・ 「英吉! お母さんが・・・」 それは、英吉の姉が、母親の危篤を知らせる連絡だった。 もちろん逢坂は、大会を棄権して母親の元へ行くように英吉を説得した。 だが・・・ 「優勝の報告を持って行く! 母ちゃんとの約束だから!」 そう言って、英吉は逢坂の説得もきかず大会に出場した。 逢坂も、最後は英吉の言葉を受け入れたのだった。 結果は、大会新記録、日本記録を更新しての優勝だった。 レース後、 英吉は、逢坂の車で母親の元へと急いだ。 だが・・・ 英吉が病院に着いた時には、母親はもう天国へと旅立っていた。 そう、それは、ちょうど、英吉が表彰台の上に立っていた頃に。 病室に入ると、泣き崩れる姉がいた。 「母ちゃん・・・」 英吉が、母親の元に近づくと、姉は立ち上がり、おもいっきり英吉の頬をたたいた。 ≪ビシッ!≫ ぶたれて、立ちすくむ英吉に姉はこう言った。 『あなたは、お母さんより走ることの方が大切なの? お母さんは、最後の最後まで英吉の名前を呼んでいたのよ! 』 金メダルが、英吉の右手からすり落ちた。 廊下にいた逢坂の耳に、英吉がたたかれる音と、姉の言葉が届いた、 逢坂は、ためらいながら立ちすくんでいたが、意を決して病室に入りこう言った。 「私が英吉に大会に出るように指示しました・・・申し訳ありませんでした」 と深々と頭をさげ、そのまま動こうとはしなかった。 『先生・・・』 姉は、逢坂の言葉には、耳を貸そうともしなかった。 逢坂の説得を聞かずに大会に出場してしまったことが、16歳の小さな胸を押しつぶした。 「母ちゃん! 母ちゃん!・・・」 泣き叫んでも、その声は母親にはもう届かなかった。
マコト (金曜日, 07 10月 2016 12:57)
英吉は、そのことがきっかけで高校を退学した。 高校にいて、走る目的がなくなってしまったからだ。 逢坂の引き留めは、英吉には届かなかった。 逢坂の家での下宿生活から、父と姉の二人暮らしの家に戻った英吉は、アルバイトをして家計を助けた。 睡眠時間を削って働いた。 逢坂は、そんな英吉の元へ何度も何度も足を運んだ。 そして、ある時、一つの封筒を英吉に手渡したのである。 それは・・・
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:32)
逢坂が、英吉に渡したもの・・・ それは、大検の受検申込書だった。 そこには、手紙も添えてあった。 「自分の道は、自分で切り開いて行け!」 と、短い文章の手紙が。 そして、それから2年後・・・
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:34)
逢坂のところに、英吉からの手紙が届いた。 それは、大検に合格し、教員になることを目標に大学に通っているとう手紙だった。 その手紙には、こう書いてあった。 「先生・・・ 大学で“オリンピック出場”という夢にもう一度チャレンジしたかったけど・・・アルバイト無しでは大学に通えないんだ・・・だから、先生、許して欲しい」 そして、手紙の最後には、 「先生・・・僕の今の目標は、先生みたいな教師になることなんだ!」 と、書かれてあった。 逢坂は、この時に決めたのである。 「英吉が晴れて教師になれた時には・・・」と
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:35)
逢坂と英吉 二人は、そんな関係だった。 逢坂は、校長になった。 そして、今の高校に転任し、県の教育委員会に自ら何度も足を運んで、英吉を呼び寄せたのである。 そして・・・ 英吉は、逢坂校長から 『陸上部の顧問をやってもらいたい』 と、言われて、返事が出来ずにいた。 しばらく考え込んでいたが、逢坂校長にこう尋ねたのである。 「先生・・・僕に陸上を教える資格があるんかな?」 『資格? 資格ってなんだ? 陸上部の顧問になるのに試験はないぞ!』 「そうじゃなくてさ・・・」 校長は、笑って席を立ち、窓から校庭を見た。そして、 『おぉ~ ちょうど今走っているじゃないか!』 「えっ?」 英吉も席を立ち校庭に視線を送った。
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:36)
校長は、窓から指さし、 『あそこで、上下緑色のジャージで走ってる生徒が分かるか?』 「あっ、はい」 『氷室大河と言って、英吉、お前のクラスの生徒だよ!』 「えっ? 2年10組っていうことですか?」 『そうだ!』 「先生、しかし、だせー格好で練習してる生徒ですね!」 他の陸上部の生徒は、遠目に見てもそれと分かるような、親に買い揃えてもらったウェアに身を包み練習していたが、大河だけは、学年で揃いの体操着を着て練習していたのだった。 校長は、英吉の言葉を笑って聞き流した。 英吉も、高校時代には、ダサい格好で練習していたことを知っていたからだ。 二人は、しばらく大河の様子を見ていた。 何気なく見ていた英吉であったが、徐々に表情を変えた。 「ねぇ、先生・・・」 『なんだ、英吉』 「あの、大河って子・・・」 『気が付いたか?』 「はい!」 『なかなかいい走りをしているだろう!』
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:38)
校長の言葉に、英吉は目を光らせて返事をした。 「はい!」 「先生、あの生徒は、もしかすると僕よりいい成績を残せるかもしれませんね! 種目はなんですか?」 『100だよ! どうしても短距離で一番になりたいらしい!』 「・・・そうですかぁ」 その時の英吉は、自分も不純な動機で短距離に挑んでいたことは、棚に上げていた。 「・・・100かぁ・・・」 校長は、英吉を座らせて、大河のひととなりを話し始めた。 『なぁ、英吉・・・大河はなぁ・・・』 英吉は高2の時、だが、大河は中1のときに母親を亡くしていること。 5歳上の姉が、この学校の優秀な生徒で、それでも経済的なことで進学せずに就職をしたこと。 大河は、そのことで入学当初から、進学を考えずに全く勉強をしていないこと。 そして、校長はこうも言った。 『最近・・・そうだなぁ、お正月の後ぐらいから、随分と気合を入れて練習しているんだよ、大河は』 『まぁ、おそらくは、何か人参でもぶら下げられたんだろう・・・さしずめ・・・女の子ってとこだな!』 図星であるが、どうして教師という生き物は、そこまで分かるものなのであろうか。 そして、校長はもう一度立ち上がり、窓から大河を見ながらこう言った。
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:40)
『なぁ、英吉・・・大河は、これから先、自分の道を自分で切り開いて行かなきゃならないんだ・・・』 「・・・そうですねぇ・・・自分で」 『あぁ、そうだ・・・あいつ自身でな』 「・・・はい」 『だけどな、英吉・・・あいつの姉さんもそうだったんだけど、気持ちが優しすぎるんだよ・・・それは決して悪い事ではないんだが・・・心配なんだ・・・あいつが』 「・・・先生」 『なぁ、英吉・・・お前が、あいつのそばにいて、あいつが歩む道のりの手助けをしてやってくれないか?・・・』 「えっ?・・・」 英吉は、大検の申込書と一緒に添えてあった、校長からの手紙を思い出していた。 「あの時、先生が、自分の進むべき道を示してくれなかったら・・・」と 英吉も立ち上がり、校長の横に立って大河を見ながらこう言った。 「先生が、僕をこの学校に呼んでくれたのは、大河のためだったんですね?」 校長は、笑ってこう言った。 『あぁ、半分はそうだ!』 「はっ? 半分?」 『そうだ、半分だ!』 「じゃぁ、残りの半分はなんですか?」 『おい! なんだぁ? 自覚していないのか?』 「自覚?」 『残りの半分は、お前を近くに置いて監視するためだよ! 悪さしないようにな! まずは、お前の女好きが心配だからな!』 「・・・・・」 英吉は、立ったまま目を閉じて、居眠りをしていた。 『おい、英吉! お前のその特技は、まだ健在なのかよ?』 「はっ?」 『お前は、廊下に立たされても、立たされたまま居眠りするって有名だったからな!』 「はぁ? そんなことありませんでしたよ!」 二人は、笑った。 そして、英吉は最後にこう言った。 「先生・・・ひとつだけ僕のわがままを言ってもいいですか?」 『なんだ? 言ってみろ!』 「大河には・・・中距離で勝負させたいです!」 校長は、微笑みまでもこらえて返事をした。 『英吉の好きなようにやればいい! ただ、これだけは言っておくが・・・あいつは、陸上に対しては、頑固だぞ!』と 校長も、大河には、中距離が向いていると思っていたのであった。 元アスリートの二人は、大河の中距離選手としての才能を見抜いていたのであった。
マコト (土曜日, 08 10月 2016 21:19)
英吉は、担任を持たされたことを喜んだが、少し、いやっ、相当不満もあった。 「女子高生に囲まれたバラ色の教師生活が・・・トホホ(T_T) 」 もちろん、女癖の悪さを知っていた校長の狙いだったことを知るはずもなく。 そんな英吉であったが、意気揚々と担任としての初日を迎えた。 当然のように、その日は一張羅の三本線のジャージだ。 一張羅と言っても、大学生時代にアルバイトでようやく買ったものであったが。 英吉は、2年10組の入り口に立ち「ヨシ!」と気合を入れ、勢いよくドアを開け、 「チャース!」と どんな先生が担任になるのか、興味津々で待っていた10組の悪達は、当然、面食らった。 「はぁ?・・・・」 一番驚いたのは、大河だ。 「あいつ、・・・バイクの・・・」 当番が、決まりごとの「起立! 礼!」の号令 英吉は、黒板に向かって、でかでかと 「大塚英吉」と、名前を書き 「大塚英吉だ! よろしく!」 と、大きな声で挨拶をした。 ほとんどの生徒が 「なんだ、この先生・・・こいつと一年間やっていけるのだろうか・・・」 そう思い、リアクションも出来ずにいると、 英吉は、黒板にかかれた自分の名前の上に 「GTO」と書き足したのである。 それにはさすがに生徒も反応した。 「先生! GTOって、グレート・ティーチャー・オオツカ? ってことかよ?」 「先生、テレビの見過ぎだぜ~」 悪たちが、続いて騒ぎ出した。 英吉は、笑った。 そして、もう一度振り向いて黒板にこう書いたのである。
マコト (日曜日, 09 10月 2016 22:56)
「Ground Teacher 大塚!」 「校庭にいるのが、俺の仕事だ!」 「ようは、体育の先生だ!」 生徒達は、一様に「な~るほど!」と 英吉は、話を続けた。 「今年、初めて教師になった」 「はっきり言って、頼りねー先生だと思う!」 「だけど、お前たちから一番歳の近い教師だ! だから、俺はお前たちの気持ちは、他のベテラン教師よりも分かると思う」 「まぁ、とにかく楽しくやって行こうぜ! よろしくな!」 一人の生徒が聞いた。 『先生ーーー!! 体育の先生じゃ、なにか運動部の顧問になるんすか?』 「おぉ~」 と、さりげなく大河を見て 「陸上部だ!」と それを聞いた大河は、特別、何も感じることなく、 「ふ~ん・・・そうなんだ」 これが、大河と英吉の出会いだった。
マコト (月曜日, 10 10月 2016 21:19)
英吉の初めての朝のホームルームは、とりあえず何事もなく終わった。 そして、英吉が2年生になって初めての授業、 一時限目の数学の授業になった。 大河にしては珍しく、教科書を開いてみた。 「微分・積分? はぁ? なんだこれ? なんて読むんだ? こんなの、生きていくのに絶対に必要ねーし!」 そう言って、教科書を閉じ、姿勢を正した。 そして、いつものように睡眠学習を始めたのである。 それは、睡眠学習を初めて直ぐだった。 「氷室! 起きろ!!!」 早速、先生に見つかり、お決まりのセリフを浴びせられた。 「氷室! お前は、昼休みに校長室の前でお座りだ!」 『ふぁ~い、分っかりましたぁ』 実は、2年になって、科目毎の先生も変わっていたのである。 その相手が悪かった。 その教師は、授業後に教員室に戻って、 「大塚先生! ちょっといいですか? 赴任早々に申し訳ないんですが・・・」 数学教師は、大河の居眠りについて、チクったのである。 「大塚先生から、ちゃんと注意してください!」 英吉は、 「も、申し訳ありませんでした・・・私から、きつく言っておきます」 と、深々と頭を下げ、数学教師に謝った。 だが、次の瞬間には、 「ったく、あの野郎~ 俺に恥をかかせやがって! 勘弁しねーからな!」と 大河は、二時限目も三時限目も・・・部活に備えて無駄な体力を使わぬよう、睡眠学習を続けた。 そして、昼休みなって 「行ってくるわ!」 と、数学教師が英吉にチクっていたことなど知らぬまま、いつものように定位置へと向かった。 校長室が見えてきたときだった。 大河は、驚いて声を発した。 「えっ?・・・」
マコト (月曜日, 10 10月 2016 21:24)
大河の視線の先、校長室の前には、既に先客がいたのである。 『おぉ~ 大河! 待ってたぞ!』 「はぁ~ぁ???」 『お座りするんだろう?』 「あっ・・・はっ、はぁい」 『まぁ、隣に座れよ!』 それは、英吉だった。 「先生、なんでお座りしてんの? もう何かやらかしたの?」 『アホか! 何かやらかしたとしても、教師が校長室の前にはお座りしねーだろうーよ!』 「そっか・・・って、先生のキャラならあり得ると思うけど!」 『うん、確かに! って、アホ! お前がお座りするって聞いたからだよ!』 「はぁ? それって、俺につきあって座ってるってこと?」 『まぁ、そんなとこだ!』 「はぁ? バカじゃないの?」 『まぁ、そう言うなよ! 大河!』 「って、先生・・・ところで、俺の名前をもう覚えたの?」 『あぁ!』 「ふ~ん・・・もう、クラス全員の名前を覚えたの?」 『はぁ? 俺が45人もの名前を一日で覚えられる訳ねーだろー!』 「うん? ・・・確かに! じゃぁ、なんで俺の名前は覚えたんだよ?」 英吉は、笑ってこう言った。 『実はな、俺も先生に直ぐに名前を覚えられてさ・・・』 「はぁ・・・」 『分かんねーのかよ? 俺も大河も・・・』 と、その会話の途中だった。 「先生、やべっ!!! 動かないで!」 と、大河は身をかがめて、小さくなって英吉の陰に隠れた。 『なにやってんだ? 大河』
マコト (火曜日, 11 10月 2016 12:53)
大河の様子を見て、英吉は直ぐに気付いた。 「さては、誰か来たな!」 と、大河の視線の先の方角に振り返ると、二人の女の子が、教員室に向かって歩いて来たのである。 そう、それは、小春と果菜だ。 「ははぁ・・・なるほど!」と、英吉は 「あっ! 思い出した! 仕事があったんだ、すまん、大河! お前に付き合ってやれなくなった!」 と、立ち上がった。 『おい、先生!なにやってんだよ!』 と、大河は英吉の腕を引っ張った。 まんまと英吉の罠にはまった。 「よせよ~ 大河!」と、大き目な声で 『ばっ、バカ! 名前を呼ぶなよ!』 時すでに遅しである。 「え~ 氷室君、そこで何してんの?」 小春が、大河に気付いてしまった。 『あっ・・・あのぉ~・・・はい・・・いつものお勤めです』 「そっか、私も分かり切ったこと聞いちゃった! 頑張ってね~ 氷室君!」 『あっ・・・ど、どぉも』 そのやりとりを英吉は、ほくそ笑んで見ていた。 「なるほどぉ~ 校長が言ってた人参って・・・二人のどっちかの子だな!」と直感した。 果南が、「行こっ!」と あっさりと二人は、教員室へと入っていった。 『ったくぅ~ 先生が俺の名前を呼ぶから、見つかっちったべ!』 「なぁ・・・大河の彼女か?」 『はぁ??? ちげーよ! 』 「ふ~~ん・・・」 と、英吉は、大河が耳を疑うようなことを言ったのである。 「なぁ、大河・・・」
マコト (火曜日, 11 10月 2016 20:51)
『なんだよ? ・・・先生』 「本当に彼女じゃないんだな?」 『あぁ、ちげーよ! 』 「なら! ・・・俺は、お茶碗だ!」 『はっ? お茶碗? 先生、何言ってんの?』 「お前は、お箸にしろ!」 『はぁ???』 お茶碗とお箸で、おそらくはそれが英吉の右と左の意味だと理解した大河は、ちょうど一年前の光景を思い出した。 それは、バケラッタが 「俺は、右! 大河は左だな!」と 『先生・・・それって、先生は左の子が好みっていうこと?』 「あぁそうだ!」 『そうだ!って、自信満々に言われても・・・』 その時、大河は思った。 『はっ? ところで向かって左に立っていたのは小春だし・・・左側に立っていたのは果南だし・・・どっちだ?』 突然に話が飛ぶが、仲良し二人組には、立ち位置というものがある。 仲が良くなればなるほど、その立ち位置は固定されてくる。 そう、例えば、ピンクレディーのミーとケイのように。 ミーは、必ず右側、そしてケイは左側に立つ。 ただ、これには、理由がある。 それは、ケイが左利きだからだ。 うん? ということは、もし、ピンクレディーが漫才コンビを組んだとして、ケイがツッコミ担当だったとしたら、自分の利き手の方にミーを立たせていたということか? と、脱線したが、小春と果南にも立ち位置があった。 大河は、思った。 『どっちだ? ・ ・ ・ って、そういうことじゃなくて! 先生!・・・先生が生徒に手を出す気なのかよ?』 英吉は、大笑いして言った。 「アホか! そんなことする訳ねーだろーよ!」 『えっ? だって、いま、俺の好みは・・・って』 「あぁ、言った! だってさ、男なんつーものは、可愛い女の子を見ているだけで、幸せな気持ちになるだろう?」 「うん? ・・・う、う~ん 確かに」 『なら、それでいいじゃん!』 「はぁ? それって、ただ見てるだけ?」 『あぁ、そうだ! それで、その子を振り向かせたかったら、何事にも頑張るだけさ!』 「・・・変な先生!」
マコト (火曜日, 11 10月 2016 22:46)
そして、英吉は、おもむろに立ち上がった。 「さってと、もう分かったから、俺はお座りやめるわ!」 『はぁ? 分かった? 何が? っていうか・・・』 「なんだよ? 大河」 『・・・なんでもねーし』 「言えや! 気持ちわりーから!」 『・・・別に、俺の隣に座ってても構わないけど!』 「はぁ? やだよ! 俺は、先生から座っているように命令されてねーし!」 『せっかく、一緒に座ってたんだから・・・このまま付き合えよ! 先生』 「やだよ!」 『っつうか、一人じゃ寂しいだろうよ!』 「寂しい? っつうか、ずっとこれまで一人で座ってたんだろう?」 『・・・そうだけど・・・』 「んなら、慣れてんじゃん!」 『慣れてっけど・・・って、先生・・・ところで、何が分かったんだよ?』 英吉は、真面目な顔に変えてこう言った。 「学校の廊下でのお座りは、膝に悪いってことがだよ!」 『えっ?・・・膝に?』 「そうだ! なぁ、大河・・・お前は陸上部だろう?」 『えっ? あっ・・・はい』 「適当に陸上やってるのか?」 大河は、顔色を変えて、大きな声で言った。 『違いますよ!!!』 だが、その威勢の良さも英吉の 「さっきの女の子のどっちかに好かれたくてだろう?」 で、撃沈されたのである。 「なぁ、大河・・・」 『なんだよ、先生・・・説教なら聞かねーぜ!』 「誰が、説教なんかするかぁ! ・・・これ!」 そう言って、英吉は、ある物を大河に手渡したのである。 『はっ?・・・』
マコト (水曜日, 12 10月 2016 12:56)
英吉が、大河に手渡したものは、黒縁の伊達メガネだった。 『メガネ? 先生、俺、頭は悪いけど、目はいい方だぜ!』 と、大河が、そのメガネをまじまじと見ると・・・ 『はぁ???』 と、驚きの顔になって 『やだよ! こんなの出来る訳ねーし!』 と、怒り出した。 それは、ただの伊達メガネではなかったのである。 レンズに目が描かれてあるメガネだった。 『先生、バカじゃねーの! これで、寝てるのを誤魔化せって? 笑わせないでよ!』 「大河・・・真面目だよ!」 『はぁ? とても先生が生徒に言う話とは思えないんだけど・・・』 「真面目の真面目だ! 既に実証済みのメガネだ!」 『実証済み? 誰が? いつ?』 「俺が! 高校時代に! でさ、これが意外と見つからないんだよ! よく出来てるだろう?」 人間、あまりにもあきれると、口が開いたままふさがらないものである。 その時の大河もそうだった。 ようやく我に返った大河は、 「しかし、よくこんなもの持ってたんじゃねーの?」 『うん? う、うん・・・持ってた』 「まさか、先生になってまで、これを使って居眠りする気だったのかよ?」 『・・・・・』 「おい、おい先生! 寝るなよ!」 『あっ? お、おぉ~ ・・・まぁ、いつ何時、必要になるか分からねーからな!』 『はぁ~??? 先生・・・しかし、それでよく先生になれたね!』 「・・・確かに」 『先生なら、普通、生徒にもう授業中は寝るな! って、注意するんじゃないの?』 「確かに、それはそうなんだろうけど・・・大河、俺はなっ・・・自分で出来ない事、やってこなかった事は、人には言えないんだ! だから、真面目に授業を受けてこなかった自分が、大河に偉そうなことは、言えないだろう?」 『あのさぁ、先生・・・そこは、嘘でも授業中は寝るな!って、言うんじゃないの?』 「そうなのか?・・・」 『先生が、それを生徒に聞くなよ!』 「・・・確かに」 英吉は、真面目な顔になって言った。
マコト (水曜日, 12 10月 2016 21:40)
「すまない、大河 ・・・俺には、それしか思い浮かばなかった」 『それしかって? メガネのこと?』 「あぁ・・・」 『あぁ、って・・・そんな先生、どこにもいねーし! だってさ、もし、これがバレて、「大塚先生に言われてやりました!」 って、俺が言ったら、先生、大変なことになるんだぜ!』 「えっ?・・・そ、それもそうだな」 『そんなことも考えずに、今日初めて会った生徒に、そこまでやるのかよ? 一緒に座ってくれたりしてさ・・・』 すると英吉は、真顔になって言った。 「それで、大河の膝が守れるのなら!」 大河は、その言葉にハッとした。そして 『バッカみて! あきれたよ! 先生には』 「・・・すまん」 『すまん、って・・・謝るなよ! ・・・わ、分かったよ! そんなに膝に悪いなら、なるべく寝ないように、頑張ってみるよ! ・・・たぶん、無理だと思うけど・・・なるべく・・・』 「そっか! ありがとな 大河! 先生も、頼んでみるよ!」 『はぁ? 頼むって何を? 誰に?』 「うん? 数学の先生に・・・なるべく、お座りじゃなくて、起たせて下さい! って」 『・・・・・大丈夫かよ・・・この先生』 呆れるのを通り越していた。 そして、早速だった。 数学教師の怒鳴り声が教員室に響き渡った。 『大塚先生! あなたは、何を言っているのか分かっていますか? 生徒に寝るな!と指導するのが、教師の仕事ですよね!』 「す、すみませんでした・・・でも・・・」 『でも、なんですか? まだ、言いますか? お座りじゃなくて、立たせろ!と』 「あっ、いやっ・・・す、すみませんでした」 数学教師と英吉のやりとりを、校長は遠目にながめて、こう言った。 「英吉・・・残念だけど、この学校は、進学校なんだよ」 「だけどな・・・お前の好きなようにやるがいい!」 「最後の責任は全て私が・・・頑張れ! 英吉」 と
マコト (木曜日, 13 10月 2016 22:54)
英吉の教師としての初日 その日の放課後になった。 いよいよ、英吉の陸上部顧問としてのデビューの時が近づいてきた。 英吉は、部活動の時間が待ち遠しかった。 『さっ! いよいよだな!』 英吉が、体育教官室で部活の準備をしていると、二番目に若い体育の先生が、 「大塚先生! 今日は、よろしくお願いします!」 と、近寄ってきた。 『はっ? はぁ・・・今日? ですか?』 「はい! あれっ? 大塚先生忘れたんですか? 今日は、歓送迎会ですよ!」 『えっ? か、歓送迎…会? ですか?』 「はい~ 歓送迎会! 居酒屋ニチョウで! あなたは、歓迎される立場ですよ!」 人間の脳みそは、便利にできている。 興味のないことは、簡単に忘れる仕組みになっているのだ。 と、言いつつも、英吉の忘れる度合いは、人並み以上であるのだが。 その体育の教師は気づいた。 「大塚先生・・・部活動に出られないのが残念って顔してますよ!」 『あっ、はい・・・あっ、いえっ・・・』 「大塚先生、あまり気負わずに、ゆっくりやっていくことをお勧めしますよ!」 『えっ?』 「この学校の生徒は、教師が言わなくても自ら練習に取り組む真面目な生徒が多いですから! それに、どの部にも、将来、その競技を続けて、プロになれるような選手は、一人もいませんからね!」 そう、冷めた感じで言った。 『そうなんですか・・・』 「まぁ、部活動は明日からの楽しみとして、今日は、しこたま飲みましょうよ!」 『・・・そうですね』 と、今度は、英吉が気付いた。 『明日からって・・・明日は、土曜日で学校が休みじゃん!』 兎にも角にも、英吉は、歓送迎会へと気持ちを切り替えた。 と、次の瞬間だった。 『あっ!』 英吉は、あることに気付いた。
マコト (木曜日, 13 10月 2016 22:55)
英吉が気付いたのは、 歓送迎会に出席するための背広がないということだった。 実は、英吉は、一着も背広を持っていなかったのである。 採用試験などの時は、大学の友達から背広を借りて、受験していた。 それでも、社会人となれば、さすがに背広ぐらいは持っていなければ、公式の場に出る時に・・・それぐらいは、英吉も分かっていた。 ふと、父親との会話を思い出した。 「英吉! お前、社会人になって、背広がなかったら困るぞ!」 『大丈夫! 初めての給料で買うから』 「まぁ、これまでお前には、いろんなことを我慢させ、大学の学費も全部アルバイトで・・・一度ぐらい親父らしいことさせろ! 背広を買ってやるよ!」 『ありがとう、父ちゃん! でも、本当に大丈夫だから』 英吉は、しみじみと思った。 「父ちゃんの言うこと、聞いとくんだった」と さすがに、三本線のジャージ姿ではまずいだろうと思った英吉は、あるところに向かったのだった。
マコト (木曜日, 13 10月 2016 22:56)
英吉は、校長に相談しようと思い、校長室に向かった。 校長室の前まで行くと、高木教頭が声をかけてきた。 「どうかしたのかね? 大塚先生」 『あっ・・・はい 校長先生にご相談がありまして・・・』 「校長? 校長はいま不在だよ! 急に教育委員会からお呼び出しがあって・・・あぁ、だから、今日の歓送迎会には少し遅れて参加するらしいぞ!」 『そうなんですかぁ・・・』 「急ぎの相談なのかね? 私でよければ聞くが・・・」 この時の英吉は、二つの選択肢を持って、校長のところに行っていた。 一つは、ジャージ姿のまま出席させていただく。 もう一つは、ジャージ姿が失礼になるのであれば、欠席すべきなのか。 校長に相談できないことが分かった英吉は、そのまま教頭に尋ねた。 『教頭先生・・・』 教頭は、憮然とした表情で言った。 「君と校長が、昔、どんな関係だったのかは知らんが、本当に君は失礼な奴だな!」 「背広が無い? 社会人として、恥ずかしくないのか?」 「君は、バスケ部の赤パンの生徒を知らんのか?」 『あ、赤パン? ですか?・・・』 「あの子はな、自分に合うサイズが・・・まぁ、今は、その話はいいとして・・・」 「社会人として、背広の一着も用意していないなど、聞いたことが無いよ」 「しかし、それでよく高校の教師になれたな! なにか、特別なコネクションでも利用したのかね?」 教頭の言葉は、英吉の右耳から左耳へとすり抜けていった。 ただ、 「社会人として、恥ずかしくないのか?」 その言葉だけは、反省をした。 『社会は、英吉の都合だけで動いているんじゃないんだからな!』 という、父親からの教えがあったからだ。 英吉は、教頭に深々と頭を下げ 『申し訳ありませんでした。背広は、お給料をいただいたら、直ぐに・・・それと、本日の歓送迎会は、皆さんの失礼にならぬよう、欠席させていただきます。本当に申し訳ありませんでした』 と、謝った。 教頭は、 「とにかく、学校に迷惑をかけるようなことのないよう・・・本当にお願いしますよ! 大塚先生」 「まったく、今どきの若い人は、何を考えているんだか・・・」 そう、英吉に聞こえるように独り言をいいながら去っていった。 英吉は、深々と頭をさげたままだった。 教頭を見送った英吉は、ある場所へと急いだ。
マコト (木曜日, 13 10月 2016 22:58)
英吉が、急いで行った場所は・・・ 居酒屋ニチョウだった。 英吉は、駐車場から居酒屋に入るところに直立不動で立った。 そして、教員らしき人が店に入ろうとすると、 「2年10組担任の大塚です! 本日は、諸事情により歓送迎会に参加できず、申し訳ございません! 一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします!」 そう一人一人挨拶をしていった。 ほとんどの教員たちは、「はぁ? はぁ・・・」 と、不思議そうな顔で英吉を眺め、居酒屋へと消えていった。 もちろん、学校に関係のない客もいた。 「なにこの人?」 と、冷たい視線を送られることもしばしばだった。 それでも英吉は、 「あれ? 間違ったか?」 と、たいして気にもせず、挨拶を続けた。 英吉の中の“人に対する礼儀”として、挨拶をするべきだと考えての行動だった。 挨拶を初めて10分ぐらい経った時だった。 一人の女性教員が英吉に近づいてきて、英吉より先にこう言った。 『恥ずかしいので、私には挨拶をしないでください!』 それは、2年2組担任の、冬木茂子(フユキ・シゲコ)先生だった。 それが、英吉と茂子が初めて交わした言葉だった。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 12:52)
冬木茂子、23歳 英吉と同じ新採で、英語の教師。 2年2組、そう、小春や果南の担任だ。 松嶋 菜々子さんにそっくりな、とてもチャーミングな女性である。 通訳として世界中を飛び回ることを夢見て、大学では勉強ばかりしてきたが、外務省への入省は叶わず、 ・・・結果、滑り止めだった教師になった。 教師をただのつなぎの仕事として考えている。 とても美人だが、とてもクールな女性である。 話は、また突然とんでしまうが・・・ クール・ビューティーという言葉がある。 小生は、「クール・ビューティーな人」のことを「美人だけど、冷たそうな人」だと思っていた。 ところが、そうではないらしい。 「クール・ビューティーな人」とは、「知的で気品のある美人」という意味らしい。 恥ずかしながら、それを最近知った。 英語の嫌いな小生は、やむを得ず高校時代に一度も使ったことのない英和辞典を引っ張り出して、「COOL」を調べてみた。 したら、出て来るわ! 出て来るわ! 「COOL」の意味 涼しい、冷たい、少し寒い、涼しそうな、 さわやかな、 冷静な、落ち着いた、 熱意のない、冷淡な、 厚かましい、ずうずうしい、 すてきな、いかす、かっこいい 日本語は、涼しいときは「涼しい」 素敵なものは、「素敵な」と、ちゃんと違う言葉を使う。 それを「COOL」一個で使い回しすんな! と、バカな小生は思ってしまうのである。 さて、話を小説に戻そう。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 21:45)
茂子は・・・ 『恥ずかしいので、私には挨拶をしないでください!』 そして、自ら 『2年2組担任の冬木です』 と、まるでモデルのような佇まいで言った。 「あっ、10組担任の大塚です」 『家政科とは校舎が別ですから、お会いする機会はありませんでしたけど・・・』 「同じ学年の担任ですので、よろしくお願いします」 英吉は、茂子の美しさに、一発KO状態だった。 「やっべ! すげ~美人!」 だが茂子は、冷たく言い放ったのである。 『同じ学年の担任? そういうことになるのですね! 残念ながら、私は、他のクラスの担任まで選ぶ権利を持ち合わせておりませんから!』 「・・・はっ?」 『願わくば、そうあってほしくなかったという意味です』 「・・・えっ?」 『大塚先生・・・お昼休みに校長室の前でお座りをされていたそうですね? うちのクラスの生徒から聞きました』 「あっ・・・はい」 『教師が、校長室の前でお座り? 教育者として恥ずかしくはないのですか?』 「あっ・・・いやっ・・・はい」 英吉は、決して言い訳をしなかった。 『大塚先生のような方と一緒にされたくはありませんので、必要のないことで、私に話しかけてくるのは控えてください!』 「・・・はい」 と、ちょうどその時だった。 「おぉ~ 茂子~ そんなところで何をしているんだ?」 と、高木教頭が声をかけてきた。 「し、茂子~?」 その呼び方に、驚く英吉だった。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 21:46)
嬉しそうな顔で近寄ってきた教頭に 茂子は、こう言った。 『あっ! 叔父様!』 そう、茂子は教頭の姪っ子なのである。 「こらこら! 叔父様じゃないだろう! 教頭と呼びなさい! 教頭と!」 と、目じりを下げて言った。 『エへッ! そうでした! ごめんなさい、叔父様・・・じゃなくて~ 教頭せ~んせっ!』 すると、教頭が英吉に気付き 「おい、君はどうしてここに居るのかね?」 『あっ・・・あのぉ・・・』 茂子が、すかさず口を挟んできた。 『教頭先生~ 大塚先生は、ここでうちの先生方ひとり一人に挨拶していたんですよ! 私は、迷惑だから、やめてくださいって先にお断りできましたけど』 「あ、挨拶? はぁ?」 英吉は、慌てて 「自分の不手際で出席できなかったものですから、せめて、お世話になる先生方にご挨拶をと思いまして・・・」 教頭は険しい顔で言った。 「こんな場所で? 他のお客様に迷惑になっているんじゃないのか? 君は、そんなことも分からんのか!」 『も、申し訳ありません』 「とにかく、ここから早く立ち去りなさい! 分かったか!」 『は、はい』 「さぁて、行こうかぁ、茂子~」 『叔父様、ここでは違うんじゃないんですか?』 「そっか! すまん、すまん! そうだったな! 行くよ、冬木先生!」 「はぁ~い」 二人は、店の中へと消えて行った。 それを、頭を深々とさげたまま見送る英吉だった。 居酒屋を後にした英吉は、ある場所へと向かった。
英吉が向かった場所。 それは、もちろん学校の校庭だった。 もう、辺りは暗くなっていた。 だが、野球部だけは、照明をつけ、大声を張り上げて練習していた。 「噂には聞いていたけど・・・頑張ってるなぁ、野球部」 そして、グランドを見渡し 「・・・いる訳ないか・・・陸上部員は・・・」 英吉は、グランドのはじに座って、しばらく野球部の練習を眺めていた。 こう、独り言をいいながら。 「高校野球かぁ・・・青春だなぁ・・・」 「いいなぁ・・・大声出して・・・やってるって感じするよなぁ・・・」 「くぅ~ いいねぇ! 選手同士で励まし合ったりしちゃって!」 「モテるんだろうなぁ・・・野球部員は」 「うん? マネージャーって、可愛いのかな?」 「ちっきしょう~! 陸上部だって、カッコいい男はいたんだけどなぁ・・・誰一人として、俺のこと騒いでくれなかったよなぁ・・・」 と、その時、野球部の硬式ボールが英吉の前まで転がってきた。 英吉は、それを拾って、グランドに投げ返そうとした。 すると、暗闇の中から一人の野球部員が近寄ってきたのである。 それは、2年10組の生徒だった。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 21:48)
「あれっ! 大塚先生!」 『おっ、おぉ~ お、お、お前は・・・』 「無理もねーよな! 今日初めて担任になったんだから! 佐藤だよ! 佐藤博一」 『おぉ~ そうだそうだ・・・バケラッタだろう!』 「ゲッ! もう覚えたのかよ! ・・・それも、あだ名で!」 『そうだよ、そうだよ! バケラッタだよ~ バケラッタ!』 「そう何回も呼ばなくてもいいから! ・・・って、先生、こんなところで何してんの?」 『うん? 野球部の練習を見てたんだよ!』 「はぁ? 先生は陸上部の顧問になったって言ってたじゃん!」 『うん? あぁ、そうだよ! 陸上部だ!』 「で、なんで、野球部の練習を眺めてんの?」 『いや、本当は今日から部活動に出るつもりだったんだけど、ちょっと用事が出来ちまってな』 「ふ~ん・・・で?」 『あっ、う、うん! で、用事が終わったから学校に戻ってきたんだけど・・・陸上部は・・・』 「陸上部は、暗くなる前に練習を切り上げるよ! もう、誰もいないよ!」 『そっか・・・そうだよな・・・あっ、でさ、陸上部って、土日も練習するのか?』 「してないよ!」 『そ、そっか・・・そうだよな』 『そっか・・・そっか・・・そうだよな』 と独り言を言って、『先生、帰るわ!』と、歩きだした。 「ねぇ、先生!」 『はぁ? なんだ? バケラッタ』 「泥棒になっちゃうよ!」 「はっ?」 『先生が持ってるボール!』 「あぁ、これか! お、おぉ~忘れてた。 頑張れ、バケラッタ!」 と、ボールをバケラッタに投げた。 バケラッタは、英吉のその様子で、何気に気付いたのだ。 「先生! 先生には残念なのかもしれないけど、陸上部は、そんなに一生懸命に練習してないよ!」 『うん? そっか・・・そうだよなぁ・・・』 そして、バケラッタは最後にこう言った。 「一人を除いてはね!」 『どういうことだ?』 「明日も、きっと、そいつは練習してるよ! 来れば分かるよ! じゃぁね! 先生」 バケラッタは、走って戻っていった。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 21:49)
翌日・・・ 朝早く目覚めた英吉は、昨日と同じジャージで学校へとやってきた。 まだ、誰一人として学校にはいなかった。 それもそうである。 朝の5時では。 体育教師全員に持たされていた鍵を使って、体育教官室に入った。 英吉は、自席に座って昨日のバケラッタとの会話を思い出していた。 「誰だろう? 大河かなぁ・・・他にも一生懸命に練習している生徒がいるのかなぁ・・・」 と、そんなことを考えながら目を閉じた。 目を閉じて直ぐだった。 (-_-)zzz 「さぁ~ いこうぜーーー!!!」 野球部の練習開始の掛け声で、目が覚めた。 ちょうど9時だった。 「やっべ、寝っちった!」 「おぉ、そうだそうだ! 陸上部は???」 そう言って、体育教官室から校庭を眺めた。 「・・・いた!」 一人、練習を始めようと、準備をする生徒を見つけた英吉は、体育教官室から飛び出し、その生徒のところへと走った。
マコト (土曜日, 15 10月 2016 20:52)
「おぉ~ 緑ジャージの大河君! おはよう!」 『はぁ? 先生・・・なにしてんの?』 「もしかして、一人で練習する気なのかな?」 『・・・そうだよ! 悪りーかよ!』 「いやいや、熱心でよろしい!」 『って、なんで、いるんだよ? 今日は、先生休みだろう?』 「は~ぁ? 言ったよな! 陸上部の顧問になったって」 『・・・言った』 「で、練習する生徒がいるなら、それに付き合う! これ、顧問として当たり前じゃね?」 『それって・・・当たり前なの? だって、今まで、練習に顧問の先生が出てきたことは一度もないよ!』 「そうなのか?・・・」 『・・・うん』 大河は、ラインカーで白線を引きながら、少しふてくされた言い方で、 『緑ジャージで悪かったよ!』 「いや、そんなことございません!」 『って、先生だって昨日と同じジャージじゃん!』 「・・・悪りーかよ!」 『悪くねーけど』 大河は、ラインカーを片づけて、ストレッチを始めた。 それを英吉は、黙って見ていたが、しばらくたって、 「大河! そのやり方じゃダメだ!」 『えっ? どこがどう悪いんだよ! 俺は、ずっとこのやり方でやってきたんだ!』 「すまん、言葉を間違えた・・・ダメじゃなくて、違うやり方もあるぞ!って言いたかったんだ」 『違うやり方? じゃぁ教えてくれよ! って、教えられるの?』 「アホ! 俺は、体育の教師だぞ!」 『あっ、そっか・・・忘れてた! 体育の先生だもん、ストレッチぐらい教えられるか』 と笑った。 英吉は、ジャージの上着を脱いで、ストレッチを始めた。 大河が、黙ってそれを見ていると 「おまえ、アホか? 一緒にやれや!」と 慌てて、大河も英吉の真似をしてストレッチを始めた。 『ふ~ん・・・なるほどねぇ 分かった、先生、ありがとう』 と、立ち上がり、軽く走り出した。 「お~~~い、そこの緑ジャージの大河君!」 『だから、その呼び方やめてくれって!』 「す、すまん・・・大河、まだ走り出すのは早いよ!」 『えっ? もう十分だよ! 体、温まったし』 「う~ん・・・もちろん個人差もあるけど・・・もう少し、俺に付き合え!」 『・・・分かったよ』 ストレッチの全てのやり方が、大河には初めてだった。 前の日に、自分の膝のことを心配して言ってくれた英吉の言葉を、その時は、真剣に聞いた大河だった。
マコト (日曜日, 16 10月 2016 20:33)
『さすが、体育の先生だね! ありがとう』 「ケガを防ぐためには、ストレッチを十分にしなきゃダメだ!」 『分かったよ、先生・・・じゃぁ、走って来るわ!』 「おっ、・・・おぉ~」 英吉は、大河の練習の様子をずっと見守った。 その日は、何も言わずに見守るだけと決めていた英吉であったが、思わず声を発してしまうのである。 大河が、短い距離のダッシュを始めた時だった。 「大河! 左腕の引きが弱い!」 『(はぁ、はぁ) えっ? 左腕?(はぁ、はぁ)』 「あぁ、そうだ! もう少し、左腕を後ろに高く引くんだ!」 大河にとっては、初めてのことだった。 自分の走り方に文句を言われたのは。 そう、走り方の指導を受けたことのない大河にしてみれば、英吉のその言葉が文句に聞こえてしまったのである。 『先生、陸上を分かって言ってんの?』 「うん? あ、あぁ・・・一応・・・体育の先生だからな」 どうして、人は、先入観を持って物事を見てしまうのであろうか。 この時の大河もそうであり、それを確認するかのように英吉を問いただしたのである。 『体育の先生って、陸上を専門に勉強してきたのかよ?』 「いやっ・・・専門ではないけど・・・」 『先生、大学で陸上部だったの?』 「・・・違う」 『えっ? じゃぁ、高校のときは?』 「えっ? ・・・こ、高校?」 英吉は、戸惑った。 昼休みの大河とのやり取りを思い出した。 『先生・・・嘘でも、先生らしく・・・!』と だが、英吉は・・・
マコト (日曜日, 16 10月 2016 20:34)
英吉は、バカがつくほど正直者である。 うまく、誤魔化せばいいものを・・・ 「高校は・・・卒業してない」 『はぁ? なにそれ? 高校を卒業しないで、どうして大学に行けたのさ?』 「・・・行けた」 『嘘つけよ! まさか、学歴詐称で教師になったのかよ? 嘘だろう! 高校を卒業してないって』 「・・・嘘じゃない」 『はぁ? まじ?』 「高校は卒業してないけど・・・大検に合格して大学に入った」 『大検?・・・あぁ、聞いたことある! なんか、不登校で高校をやめて・・・で、その試験に合格して大学に入ったっていう話』 「それだ!・・・って、不登校生じゃなかったけどな」 『へぇ~ そこまで言うなら本当なんだ! えっ? っていうことは、結局は陸上の経験がなかったっていうことじゃん!』 大河は、大学で陸上部に所属していなかった英吉の指導の全てを信じて聞きたくないという気持ちになった。 指導を受ける者が、指導者を信じていなければ、その結果は、言わずと知れたものとなる。 英吉は、大河の心を見透かしていながらも聞いた。 「なぁ、大河・・・大学で陸上をやっていなかった俺の話は、聞く気になれないか?」 『・・・別に ・・・そういうことじゃないけど・・・』 この時の英吉は、校長に言われたことを思い出していた。
マコト (日曜日, 16 10月 2016 20:36)
校長は、英吉にこんなことを言っていたのである。 「なぁ、英吉・・・」 『はい、先生』 「大河は、もう2年だ! この高校は進学校で、2年が勝負の時なんだ!」 『それって、あまり時間がないっていうことですよね?』 「そういうことになるなぁ」 それを思い出していた英吉は、大河にこんな言い方をしたのである。 「なぁ、大河・・・どうしたら、俺の話を聞いてくれるようになる?」 『えっ? だって、陸上部の顧問の話だもん・・・』 「聞かないだろう?」 『えっ?・・・』 「俺なら、聞いたふりをして、素人の話じゃ、それを真面目に取り組もうとはしないよ!」 『なにそれ? 先生なら、言うことを聞かせるのが当然なんじゃないの?』 「あぁ、それはそうなんだろうけど・・・指導者と指導を受ける者の間には、絶対的な信頼関係が必要なんだよ! お前は、俺を信用していない!」 『信用するもなにも・・・だって、先生は陸上経験がないんだろう?』 英吉は、勢いで言った。 「なぁ、大河! 俺と勝負しろ!」 『はぁ? 先生が俺に勝てる訳ないと思うよ! だって、俺は県で3位の選手だぜ!』 「おぉ~ そっか ・・・なぁ、大河・・・」 『なんだよ? もうおじけづいたのかい? 先生』 「いやっ・・・あのなっ・・・」 『なんだよ? はっきり言ってよ!』 『・・・800mで勝負してくれないか?」 『なにそれ! 結局は、100じゃ勝てる自信がないっていうことじゃん!』 「・・・・・分かった、じゃぁ100で!」 『先生、本気で言ってるの? で、なに? もし、先生が勝ったら、俺に、先生を信じろって言いたいの?』 「それは違う!」 『どう違うんだよ?』 「信じるか、信じないかは、お前が決めることだ!」 『ふ~ん・・・分かった。 じゃぁ、早速今から勝負する?』 と、英吉は慌ててこう言った。 「いやっ・・・一週間・・・一週間だけ、時間をくれ!」 大河は、笑って言った。 『分かったよ! いつやっても同じだろうけど!』 そう言って、大河は、また自分の練習に戻っていった。
マコト (水曜日, 19 10月 2016 00:25)
それから、次の土曜日の決戦に向けて、英吉のトレーニングが始まった。 英吉は、放課後の部活の時も、陸上部員をほったらかしで走った。 だがやはり、走ることをやめていた英吉には、無謀なチャレンジだった。 「(はぁ、はぁ) む、無理だ・・・(はぁ、はぁ)」 それでも、英吉は逢坂校長から教えられたフォームのひとつ一つを思い出した。 腕の振り方、足の上げ方、上体のおこし方、かかとの付き方・・・ 火曜日・・・水曜日・・・木曜日・・・ 英吉の変化が、大河の目にも明らかに映った。 『先生・・・真面目に勝負する気なんだ・・・』 当然、大河の練習にも熱が入った。 『まさか、素人に負ける訳いかねーからな・・・素人に』 逢坂校長は、校長室からその様子を眺めていた。 「英吉のやつ・・・まさか、大河に勝負でも挑んだんじゃないんだろうなぁ・・・」
マコト (水曜日, 19 10月 2016 00:27)
そして、土曜日になった。 その日は、野球部も遠征でいなかったため、広い校庭に、英吉と大河の二人だった。 「おぉ~ 大河」 『よっ! 先生』 「まぁ、一緒にストレッチでもやろうぜ!」 『そうだね!』 大河が、先にストレッチを始めた。 「大河・・・」 『なんだい? 先生・・・』 「お前・・・よく覚えたなぁ」 そう、大河のストレッチは、英吉が教えたそのものだったのである。 『体育の先生の教えだからさ! なんか、このストレッチに変えてから調子いいんだよ!』 「そっか・・・」 二人で、一緒に決戦に備えた。 短いダッシュを繰り返す大河 英吉は、ひたすらスタートの練習を繰り返した。 そして、その時が来た。 「大河・・・やろうか!」 『あぁ・・・』 「お前、間違っても手を抜くなよな!」 『はぁ? バカじゃないの! 俺は、人に負けるのが、なにより嫌いなんだよ!』 「はぁ? 嫌い? お前、県で3位なんだろう? っていうことは、たかが県で2人に負けてるっていうことだぜ!」 『はぁ?・・・あったまきた! さぁ、やろうぜ! 俺の実力を見せてやるよ!』 「そうこなくっちゃ!」 そんな二人のやりとりを、ある男が隠れて見ていたことなど、知る由もなかった英吉と大河だった。
マコト (水曜日, 19 10月 2016 00:28)
二人ともジャージを脱いだ。 「ほぉ~ 緑ジャージで走るんじゃねーのかよ?」 『真剣勝負だからな! 大会用のお古のウェアを借りたんだよ!』 「ふ~ん・・・」 『っていう先生だって、三本線のジャージじゃないじゃん! それ、どこのウェア?』 と、大河が英吉のウェアを見て大笑いした。 『先生! それ、ひっくり返しで着てるよ! 笑わせないでよ!』 「えっ? あれっ? そ、そっか? ちょっと借り物なんだけどさ! まぁ、気にすんなよ!」 『なに、先生・・・もしかして笑いを誘って、俺に勝とうっていうこんたんなの?』 大河の笑いは、止まらなかった。 「いやっ、ち、違うよ大河、 間違えただけだよ! そんな姑息な手段は使わねーよ」 『そうだよね! 俺だって、そんなことで、タイムを落とすような選手じゃないから! さぁ、勝負だよ! 先生!』 スタートラインに二人は並び、クラウチングスタートの姿勢をとった。
マコト (水曜日, 19 10月 2016 00:31)
二人のクラウチングスタートのフォームは違った。 大河は、ショートスタートスタイル 英吉はロングスタートスタイルだ。 大河のショートスタートスタイルは、バンチスタートとも言って、後ろ足のつま先が前足のかかとと平行になるようにブロックをセットする方法である。 この方法は、スタート後の1歩目が素早く接地するという利点があるが,ブロックを押す力が弱いために飛び出す勢いが弱いという欠点と、からだがすぐ起きやすいという欠点がある。 それに対して、英吉のロングスタートスタイルは、エロンゲーティッドスタートとも言って、後ろ足を前足のかかとから脛骨の長さ以上にブロックをセットする方法だ。 後ろ足が後方に位置するため1歩目の接地が遅くなるという欠点があるのだが・・・。 並んだ二人が静止し、そしてスタートの号砲が鳴った。 大河も、英吉も100m先のゴールを目指してスタートを切った。 スタートを切って直ぐに、英吉の不安は的中した。 それは、英吉は、もともとスタートが苦手で、ましてや中距離選手になってからは、クラウチングスタートの練習をしていなかったからだ。 スタートダッシュで、大河に差をつけられた。 だが、英吉は慌てなかった。 「勝負はラスト20mだ!」
マコト (木曜日, 20 10月 2016 23:29)
10分後・・・ 英吉は、体育教官室にいた。 すると、そこに・・・ 『英吉・・・』 「こ、校長先生・・・」 『随分と無謀なチャレンジをしたな!』 「えっ? ・・・先生、見ていたんですか?」 『あぁ・・・』 「どうして、今日のことを?・・・」 『お前の一週間の様子を見ていれば、容易に想像ができたよ!』 「校長先生・・・」 体育教官室に入ってきた校長は、英吉の隣に座った。 いつもと違って元気のない英吉に、校長はゆっくりと話し出した。 『懐かしいユニフォームだなぁ』 「あっ・・・はい」 『まだ持っていたのか?』 「はい、 ・・・捨てられませんでした」 「そっか・・・」 英吉が着ていたのは、奈須山高校陸上部のユニフォームだった。 と、校長は、英吉のユニフォームがひっくり返しに着られていることに気付いて、 『英吉らしいな!』 「えっ?」 『その、ユニフォームだよ! わざと、ひっくり返しで着て・・・英吉が、奈須山高校の陸上部だったことを、大河に知られたくなかったんだろう?』 「えっ? ・・・あっ、はい」 校長は、ひとつ大きく息をはき、立ち上がって窓際まで行った。 一人、グランドで練習を続ける大河に視線を送り、そしてこう言った。
マコト (木曜日, 20 10月 2016 23:31)
『なぁ、英吉・・・』 「はい・・・」 『お前が、落ち込んでいるのは、勝負に負けたことじゃなくて、残り10mであいつのスピードが落ちたことか?』 「さすが! 元、奈須山高校陸上部顧問ですね! 見ていて分かったんですね! 大河が、最後、力を抜いたのが」 すると校長は、笑ったのである。 『まだまだ、素人だなぁ・・・英吉先生は!』と 「えっ? それは陸上に対して、僕が、素人だっていう意味ですか?」 『違うよ! 教師としてまだまだだ! と、言ってるんだよ!』 「それって・・・どういうことですか? 教えてください、先生!」 『あいつは、最後まで力を抜いたりしていなかったよ!』 「えっ? いや、いま、先生だって言ったじゃないですか! 残り10mで!って。 あれは、わざと抜いたんですよ! ずっとゴールまで後ろを走っていた自分には、分かりました。 自分は、最後まで、大河の実力通りのレースをしてほしかったです!」 『だから、素人なんだよ! ・・・教師としてな!』 「えっ?・・・」 英吉は、不満げな表情を浮かべて言った。
マコト (金曜日, 21 10月 2016 22:53)
「どういうことなんですか? 教えてください先生!」 すると、校長は、一生懸命な英吉を茶化すかのように、突然話題を変えたのである。 『そうだ! そう言えば、昨日、居酒屋の前で先生方に挨拶をしていて、教頭に注意されたんだってな!』 「・・・い、い、今しますか・・・その話を」 『いやいや、笑えたよ! 校長から厳重注意してください!って、教頭が息巻いていたからな』 「・・・も、申し訳ありませんでした」 『いや、英吉らしくていいじゃないか! で、なに? その前に、教頭に相談したんだって? 歓送迎会にジャージで出席してもいいか?って』 「・・・はい」 『それは、留守にしていてすまなかったなぁ・・・私なら、どんどん参加しなさい!と、言ったんだが・・・悪かったな、英吉』 「えっ? 出席しても良かったんですか?」 『まぁ、あまり誉められたもんじゃないがな! 仕方ないだろう! 背広を持っていないんだろう?』 「・・・はい、いやっ、でも給料をいただいたら直ぐに・・・」 『あぁ、それはそうしてくれ! しかし、なかなか思いつかんぞ! 店の前で教師全員に挨拶をしよう! なんて考えはな! 笑えたよ!』 「・・・笑わないでください・・・せめて校長先生だけでも」 『すまん、すまん!』 校長は、また真面目な顔に戻って、大河を見た。 『あいつも、きっと悩んでいるんだろうなぁ・・・ 見てみろよ! 首を何度もかしげて・・・』 「えっ?・・・」 『なぁ、英吉・・・お前は、レースの後、大河を責めたのか?』 「いえっ! 責めてなんかいません!」 『そっか・・・じゃぁ、あいつに何て言ってやったんだ?』 「えっと・・・あれっ? ・・・確か・・・あっ! 何にも言ってません!! 腹減ってたから負けたかなぁって、教官室に戻ってきました」 『なんじゃそれ!』 校長は、大笑いして、そして、優しい表情で言った。
マコト (金曜日, 21 10月 2016 22:55)
『英吉も、悩んでいたんだな! 大河に何て言ってやれば良いのか分からずに・・・それで、ここに戻ってきたんだろう?』 「・・・先生」 『なぁ、英吉・・・』 「・・・はい」 『大河は、間違いなく迷っていたんだよ! それは、あいつの表情と、いつもと違う走りを見れば分かったよ!』 「えっ?・・・」 『私は、一年間、あいつをずっと見てきたからな!』 「先生・・・」 『間違いなく、あいつはもがいていた! レース中、ずっとな!』 『なぁ、英吉・・・知ってるか?』 「えっ? 何をですか?」 『あいつな、この一週間・・・一度も校長室の前でお座りしていないんだぞ!』 「えっ? ほ、本当ですか?」 『あぁ・・・これまで、何人もの教師がこみっちり注意しても、聞かなかったあいつが・・・お前が、何を言ったのかは知らんが・・・お前があいつと一緒にお座りして以来、一度もな!』 「・・・大河」 『そりゃぁ、大河だって混乱するわな!』 「はぁ?」 『だってよ、英吉みたいな破天荒な先生が突然目の前に現れて、突然、一緒にお座りしてくれて・・・でさっ ・・・英吉は、大河にたいしたことも言ってないんだろう? うん?』 「・・・はい・・・ご察しの通りです」 『まさか、お前・・・いやぁ、さすがに、それはないよな!』 「なんですか?」 『さすがに、お前の高校時代の目が描いてある伊達メガネの話なんかしてねーんだろうな?』 (-_-)zzz 『話したんかぁ・・・良かったなぁ、英吉! 大河が利口で! 大河に感謝しろ!』 「はい・・・って・・・あれっ? でも先生、それをどうして? あのメガネは一人の先生にもバレなかったですよ!」 『アホ! どアホ!!! バレてなかった訳ねーだろーが!』 「・・・はい・・・すみません ・・・バレてたんですか?」 『当たりめーだろーよ!』 「・・・・・」 そして、校長は英吉に、教師としての道標を示したのである。
マコト (金曜日, 21 10月 2016 22:57)
『なぁ、英吉・・・あいつは、英吉の一週間の練習を見ていて、おそらく気付いていたんじゃないのか?』 「何をですか?」 『お前が、陸上の素人じゃないっていうことをだよ!』 「えっ?・・・」 『まぁ、それを教えたのは、全国に名の売れた、元、奈須山高校陸上部顧問の逢坂先生!私だがな!』 (-_-)zzz 『おい! ここは、流れ的に寝るところじゃねーよ!』 「・・・あっ? えっ? は、はい」 『大河を見ていると、まるで昔のお前をみているようだよ!』 「えっ? それって、昔の俺に大河が似てるっていうことですか?」 『あぁ、そっくりだ! ガンコなところがな!』 「ガンコ? ・・・ですかぁ」 『あぁ。 おそらくは、あいつの中に、お前に教えてもらいたいという気持ちが芽生え始めていたんだと思う。 だけど、これまで自分の力で、道を切り開いてきたという自信と、それでも誰かにきちんと教えてもらいたいという思いと・・・ただ、それを口に出して素直に言えなかったんだろうなぁ・・・だから、勝負に負ければ、否応なしに英吉のいう事を聞くことが出来ると悩んだんだろうけど・・・』 「それで・・・力を抜いたんですね?」 『英吉よ! そこが、まだお前が未熟なところなんだよ!』 「えっ?・・・」 『あいつは、それでも、精一杯に走っていたよ! ただ・・・体は正直だ! 迷いが、そのまま走りになって現れただけなんだよ! 決して、あいつの心の中には、力を抜け!という気持ちはなかったはずだ! 私は、あいつの走りをみていてそう思った』 「先生・・・」
マコト (金曜日, 21 10月 2016 22:59)
そして、校長は最後にこう尋ねた。 『なぁ、英吉・・・お前の過去の栄光の話を、私が大河に話してきてやろうか?』 すると、英吉は、校長の質問に答えようともせずに、 「先生! ありがとうございます! 俺・・・早く、先生みたいな立派な先生になるから!」 そう言い残して、グランドに走って行ってしまった。 英吉の背中越しに 『おい! ユニフォーム! ひっくり返しのままだし!』 その声も届くこともなく。 校長は、目を細めて 『あれで、はい、お願いします! って、いうような男じゃないよな!英吉は。 それに、ユニフォームだって・・・』 そう言って、走る英吉の背中を眺めた。 そして、校長は 『必要なかったかぁ・・・私も、教師としてまだまだなんだなぁ・・・こんなもの用意までして』 と、右手にもった一冊の本を鞄にしまった。 それは、6年前のインターハイ予選大会の時の記録、 そう、英吉が、高校生日本記録で優勝した証が記された本だった。
マコト (月曜日, 24 10月 2016 06:54)
英吉が、グランドに戻ると大河が、近寄ってきた。 「メシ! 食ってきたかよ、先生」 『いやっ・・・メシ・・・なかった』 「まったく、しょうがねーよな! 俺、もう今日は練習あがるから!」 『えっ? 随分と早いあがりだな!』 「だって、明日から中間テストだぜ!」 『うっそ! まじか?』 「って、体育の先生には関係ねーのか? っつうか、担任だろう? しっかりしてくれよなぁ!」 『うん? ・・・うん』 「なぁ、先生・・・上がりのストレッチも教えてくれよ!」 『おぉ~、お安い御用だ!』 英吉は、クールダウンのストレッチを教え、そして大河の背中にまわって、肩甲骨あたりをさすった。 『う~ん・・・やっぱり、肩甲骨周りの筋肉が固くなってるな!』 「えっ? 肩甲骨? 陸上と関係あんの?」 『おおアリだよ!』 「ふ~ん・・・」 『肩甲骨はな、両端のところで、腕の骨と、鎖骨とつながっていて、それ以外は、どの骨ともつながっていないんだ! つまり、宙ぶらりんの状態なんだよ!』 「へ~・・・」 『どこにもつながっていない分、大きく動かすことが出来るのさ! 特に、腕を動かした時にセットで肩甲骨が動くから、腕の動きにとって肩甲骨は重要な役割を担ってるんだよ!』 「さすが、体育の先生だね!」 『おっ、おぉ~』 「で、俺は、そこが固いの?」 『あぁ、そうだ』 すると、大河は真面目な表情に変えてこう言った。
マコト (月曜日, 24 10月 2016 06:56)
「だから、左腕が強く引けないの?」 『えっ?・・・』 「えっ?って・・・先生、言ったろう! 左腕の引きが弱い!って」 『・・・言った』 「左腕の引きに注意してやれば、もっといいタイムが出せるっていうことなんだろう?」 『あぁ、そうだ』 「ちゃんと、そう説明しろよなぁ~ まったく」 『す、すまん』 そして、大河は、少し照れ臭そうに言った。 『カッコよかったよ!』 「はっ? 何が?」 『先生の走るフォームだよ!』 「はっ? どうした? お世辞言っても何にも出ねーぞ!」 『・・・お世辞じゃねーし』 「・・・そっか」 大河は、立ち上がり、あえて英吉に背中を向けて聞いた。 『なぁ、先生・・・誰に教えてもらったんだよ?』 「えっ?・・・だ、誰に?」 『っつうか、いつ、教えてもらったんだよ? 大学?』 「・・・違う」 『んじゃ・・・えっ? もしかして、高校中退するまで? 先生、陸上部だったの?』 「・・・それを聞いてどうすんだよ?」 『どうにもしない! どうにもしないけど・・・いいなぁって思って見てたんだ!』 「何を?」 『練習している先生の一週間! ・・・なんかさ、誰かからの教えを思い出しながらフォームを確かめるように、練習しているところをさ』 「・・・そうだったのか?」 『うん・・・ だって ・・・フォームをちゃんと教えてもらったことなんか、一度もないんだ・・・俺』 「・・・・・」 『ねぇ、先生・・・陸上部だったんでしょ?』 英吉は、ためらった。 それでも、嘘の嫌いな英吉は、全てを大河に話した。 自分と境遇の似ている大河に。
マコト (月曜日, 24 10月 2016 22:55)
英吉と大河は、校庭のすみっこの芝生に腰をおろして話した。 『へぇ~ 校長先生が、あの奈須山高校陸上部で有名な指導者だったなんて知らなかったなぁ。 校長先生、僕が練習していると、よく声をかけてくれるんだぁ・・・』 「そうだったのか・・・ずっと、大河のこと見ていてくれてたんだなぁ」 『うん、そうだねぇ・・・でもさ、その有名な先生からスカウトされたんでしょ? 先生、そんなにすごい中学生だったの?』 「う~ん・・・人よりたくさん走っていただけだよ! 夕刊の配達でな!」 『でも、すごいよ先生!・・・僕には真似できない』 「母ちゃんに、少しでも元気になってもらいたかったからな・・・」 『そっか・・・先生、お母さんのために・・・』 そして、あの大会の時の話になった。 『それで、ねぇ先生・・・それで、間に合ったんでしょ? お母さんのところに・・・』 大河の質問に、英吉はうつむいて答えた。 「・・・間に合わなかった」 『そんなぁ・・・』 心の優しい大河は、英吉の辛い過去の話に涙していた。 英吉は、どこかさっぱりしたような言い方で、 「それで、大塚英吉君は、学校を辞めたとさ!」 『えっ? それで辞めたの? どうして? どうして、高校を辞めなきゃならなかったの? そんなのおかしいよ!』 英吉は、一つ大きく息を吐いて言った。 「自分で決めたことだ! もちろん、逢坂先生は引き留めてくれたさ! でも、どうしてそう決めたのか、正直、分かんない・・・きっと、母ちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいだったんだろうな」 『・・・先生』 「でもなっ、学校を辞めた後も、逢坂先生が何度も何度も来てくれてな・・・大検の受検も逢坂先生が・・・」 『先生の歩む道を示してくれたのが、逢坂校長だったんだね』 「あぁ、そうだな」 大河は、しばらく黙っていたが、あえて明るく振る舞うように英吉に尋ねた。 『ねぇ、先生・・・ところで大会の結果は? 先生はトップを目指して頑張っていたんでしょ?』 「もちろん、やるからには、トップを目指していたさ!」 『なんか、先生らしいね! で? ところで大会の結果は? 教えてよ!』 「知りたいか?」 『うん! 知りたい!』 「どうしてもか?」 『うん、どうしても! で、もし、僕の県で3位という成績より上だったら、尊敬しちゃうな!』 「尊敬? 尊敬なんかしなくてもいいよ!」 『いいから、言ってよ先生!』 英吉は、少しだけ小さな声でこう言った。
マコト (火曜日, 25 10月 2016 22:32)
「トップでゴールしたよ! しかも、高校生日本記録を更新してな! たぶん、今も破られていないんじゃないか? あの時の記録は!」 人間、驚くことを言われたときには、まずは、この言葉を発するものだ。 『う、う、嘘でしょ、先生! ・・・ま、ま、マジで?』 鳩が豆鉄砲を食ったような顔の大河。 英吉は、大河にはお構いなしにその場で飛び跳ねて走り出した。 そして、10mほど行った先で、振り返り 「おい大河! お前、今、俺を尊敬するって言ったよな! ホッホーーー!!!」 そして、また走りながら 「そ・ん・け・い! そ・ん・け・い! ホッホーーー!!!」 と、訳の分からない踊りで、喜びを現していた。 驚きと、訳の分からない踊りの英吉に対するあきれた感情が、複雑に大河を襲った。 と、その時だった。
マコト (火曜日, 25 10月 2016 22:39)
大河の後ろから校長の声がした。 『氷室・・・』 「こ、校長先生・・・えっ? どうしてここに?」 『いやっ、英吉がお前に勝負を申し込んだという噂を聞きつけてな』 「えっ? そうだったんですか? で、ずっと見ていてくれたんですか?」 『・・・あぁ』 校長は、英吉を眺めながらこう言った。 『氷室・・・すまんなぁ』 「何がですか?」 『うん? 変な先生を担任と陸上部の顧問にして・・・』 大河は、笑って 「まったくです」と 『これを見てごらん!』 そう言って、校長は、さっき鞄にしまった本を大河に差し出した。 「これは?」 『6年前のインターハイ予選大会の時の記録だよ! 英吉の日本記録が載ってるぞ!』 すると、大河は、凛とした表情に変えて 「校長先生、ありがとうございます。 でも、大丈夫です!」 『うん? 大丈夫? 見ないのか?』 「はい! 僕、大塚先生のこと・・・信じていますから!」 校長は、笑みを浮かべて 『・・・そっか』 と、本をまた鞄にしまった。 二人は、英吉を見つめた。 「ねぇ、校長先生・・・」 『なんだ? 氷室』 「僕・・・大塚先生のこと信用はしますけど・・・」 『けど?』 「尊敬してもいいもんですかね?」 校長は、笑って 『さぁな・・・それはお前が決めることだ!』 「そうですよね!」 と、大河も笑った。
マコト (水曜日, 26 10月 2016 12:55)
校長が来たことに気付いた英吉は、踊りをやめて走り寄ってきた。 『校長先生!』 すると校長は、険しい顔に変えてこう言った。 「大塚先生! 明日から中間テストだというのに、何をしているんですか? 部活を許可しているのは、大会が近い野球部だけのはずですよ!」 『・・・はっ? は、はい?』 「私のところに、近所の方から通報が来ました! あなたの学校は、テスト前に部活を許しているんですか? とな」 『そうなんですか・・・も、申し訳ありません』 「分かったら、とっとと切り上げてください!!」 『は、はい!』 校長に注意された英吉は、大河に向かってこう言った。 『ほらぁ、だから言ったろう! 氷室君! わざわざ校長先生にご足労をかけることになってしまったじゃないか!』 「ひ、ひ、氷室君? はぁ?」 『テスト前だから、部活はいけないよ! って・・・さぁ、家に帰ってお勉強しよう!』 「・・・・・」 大河は、校長にだけ聞こえるように 「校長先生・・・」 『うん? どうした? 氷室』 「俺・・・やめます!」 『えっ?・・・』
たらちゃん (水曜日, 26 10月 2016 21:32)
「大塚先生のこと、尊敬するの…」
マコト (水曜日, 26 10月 2016 23:07)
校長は笑って、 『・・・そうだな! その方が良さそうだな!』と (英吉)『おやっ? 氷室君! 何か?』 (大河)「・・・何でもありません」 中間テストを終えた日の部活から、大河と英吉の新たな挑戦が始まった。 『なぁ、大河・・・』 「なんだよ、先生」 『お前の目標はなんだ?』 「どうせ、日本一の高校生って答えなくちゃ、納得してくれないんだろう?」 『えっ? それは違うな! お前の目標だからな!』 「そうなの? でも・・・やるからには、日本一を目指したいよ! 先生がしてくれるんだろう? 日本一に!」 『大河! それも違うな! お前がなるんだよ! 自分自身の力で! 先生は、それを手伝うだけだ!』 「・・・分かったよ! なるよ先生! 日本一の高校生に!」 『そっか! でもなぁ・・・う~ん・・・今のままじゃ無理だ! 限界がある! それに、お前は自分の隠れた才能に気付いていない!』 「えっ? 隠れた才能? そんなものあんのかよ、俺に!」 『ある!』 「・・・ま、まさか・・・いやっ? ・・・違うよね! ・・・えっ? 中距離で勝負しろっていうのかよ? ・・・先生」 英吉は笑った。 『分かってんじゃん!』 「・・・・・」 『日本一になりたいんだろう?』 「・・・・・」 日本一の高校生、そしてオリンピックを目指した練習が始まった。 『大河! お前は、日本一の高校生になれ!』 「何回も言わなくても、分かってるよ! ったく! いいから、ちゃんと教えろよ~~~」
マコト (水曜日, 26 10月 2016 23:10)
5月になった。 茂子は、2年2組の朝のホームルームに向かっていた。 ピンクのワンピースで校舎の廊下を歩く姿、 本当に綺麗な女性である。 茂子をじっと見ていると、心のいちばん深い部分に、何かを投げ込まれたような気持ちになる。 男という生き物は、女性と出会ったとき、視覚、聴覚、嗅覚などで得た情報を心のある部分に届けるのである。 だが、その場所までは、くねくねと複雑に折れ曲がり、すごく奥の方だから直ぐには届かない。 幾度となくその女性と出会い、そしてその魅力を知る機会を重ねていくことで、ようやく心のいちばん深い部分まで届くのである。 だが、茂子の美しさは、出会った瞬間にそこにきちんと放り込まれてしまう。 そういう種類の美しさを持った女性なのだ。 教室に入った茂子は、まっすぐに教壇に立った。 「起立! 礼!」 『みなさん、おはようございます』 「おはようございま~す」 『はい! それでは、点呼を取ります』 茂子は、ひとり一人名前を呼びあげていった。 『佐藤恵子さん』 「はい」 『谷本敏子さん』 「はい」 『手塚好子さん』 「はい」 『中神桃子さん』 「・・・・・」 『中神桃子さん? 今日もお休みかしら? ・・・ はい、それでは次、仲山八代井さん!』 「はい」 その日も桃子は、学校を休んでいた。
マコト (水曜日, 26 10月 2016 23:24)
中神桃子(ナカガミ・モモコ) 部活は、チアリーディング部に所属し、一番の親友は、仲山八代井。 桃子と八代井は、中学時代からの親友で、いつも一緒にいる仲良し二人組。 二人とも、おさげ髪の似合う可愛い女の子だ。 名前順に並んだ席順 八代井の目の前には、主に座ってもらえない椅子が。 『桃子ちゃん・・・』 そう、心の中で呼びかけても、届くはずのない八代井の言葉だった。 全員の点呼が終った時だった。 学級委員長の貴子が声を発した。 「冬木先生・・・中神さんは、どうしてお休みしているんですか?」 その問いかけに、茂子は、2組の生徒全員が驚くようなことを言ったのである。
マコト (木曜日, 27 10月 2016 23:23)
茂子は、冷めた言い方で貴子に返した。 「知らないわよ!」 『えっ? 知らないって・・・先生のところに何の連絡もないんですか?』 「そうよ! 連絡もないわよ!」 そして茂子は、こう付け加えたのである。 「皆さんにお伝えしておきますけど・・・高校は義務教育ではありません! ですから、学校に来る・来ないは、あなた方の自由です!」 「例えば、今回の中神さんのように、無断で学校を休んでも構いません! 私は、それをありのままに評価するだけですから」 「進学するにも、就職するにも、その内申書には、そのまま書かれることになります」 「まぁ、中神さんの場合、これ以上無断欠席が続くようでしたら・・・、その前に処罰されることになるでしょうけど・・・」 それは、生徒の誰もが、予想もしない言葉だった。 教室がざわついた。 学級委員長の貴子だけは、茂子の言葉に食らいついた。 『冬木先生・・・その前に処罰って、どういう意味なんですか?』 「処罰? そうねぇ・・・退学まであり得るんじゃないかしら!」 『そ、そんなぁ・・・そうさせないようにするのが、先生のお仕事じゃないんですか?』 茂子は、言い放った。 「先ほど、説明しましたよね! 高校は義務教育の場ではないと!」 茂子のその言葉で、教室が静まり返った。 と、その中で、小春が声を発したのである。 「ねぇ・・・」
マコト (金曜日, 28 10月 2016 12:58)
小春は、八代井に向かって言った。 「ねぇ、八代井ちゃんなら知ってるんじゃないの? 桃子ちゃんが休んでる理由」 小春のその言葉に、果南も好子も敏子も恵子も喜美子も伸江も加代子も陽子も声を発した。 「桃子ちゃんは、風邪でもひいたの?」 「八代井ちゃんなら知ってるでしょ? ねぇ、八代井ちゃん!」 「このままじゃ、桃子ちゃんが・・・」 「八代井ちゃん!」 クラスの誰もが分かっていた。 桃子の一番の親友が八代井であることを。 八代井は、クラス全員の視線を集めた。 八代井は、教室のちょうど真ん中あたりで、身を小さくして小声で答えた。 『・・・私も、知らないの 』 教室がざわついた。 八代井も事情を知らない。 そのことがどういうことなのか・・・ 勝手に会話をする生徒たち それを茂子が制止した。 「静かに! 静かにしてちょうだい!」 そのあと、茂子は生徒たちへの伝達事項などを話したが、誰一人として、茂子の話を聞いている者はいなかった。
マコト (金曜日, 28 10月 2016 17:59)
その日の夜・・・ 入浴を済ませた八代井は、普通の家よりも少し大き目な脱衣所で濡れた髪をバスタオルで拭きながら、お気に入りのパジャマに袖を通した。 ウサギの模様が可愛らしいパジャマだ。 バスタオルを頭からかぶったまま、二階の自分の部屋に戻った八代井は、火照った躰を冷やすように窓を開けた。 ライト・アプリコット色のカーテンが微かに揺れて、5月の爽やかな風が八代井の顔にあたった。 それは、八代井の一番好きな時間だった。 八代井は決まって、入浴後に窓を開け、夜空を眺めていろんな妄想をするのである。 その日も八代井は、妄想にふけっていた。 それは、まるで『なんちゃって源氏物語』のようなストーリーだった。
マコト (金曜日, 28 10月 2016 18:00)
『今宵も綺麗な月よのぉ~・・・』 十二単に身を包んだ八代井姫は、月明かりにうっとりしていた。 そのうち、あまりにもの心地良さに、うとうとと。 わずかな時間の居眠りを楽しんだ八代井姫。 目を開けて、ふと、縁側を見ると・・・ そこには、みたらし団子が置いてあるではないか。 『こ、これは・・・』 次の日も、八代井姫は同じように縁側で月夜を楽しんでいた。 そしてそれが、まるで習慣であるかのように、夢の中へと。 そして、目を覚ました姫の前には・・・ 昨晩と同じように、山盛りのみたらし団子が、置いてあったのである。 『これは?・・・どなた様が・・・』
マコト (金曜日, 28 10月 2016 18:02)
八代井姫は、そのみたらし団子を誰が置いたのか、そればかりを考えていた。 そして、そんな日が五日続いて、六日目のことだった。 八代井姫は、いつものように十二単に身を包み縁側で月を眺めていた。 そして、いつものように、目を閉じて・・・ だが、それは“タヌキ”だったのである。 『わらわの前に、君の姿を現しておくれ』 すると、八代井姫が思っていたとおり、ある男性が現れる。 だが、その男は、八代井姫が思い描いていた君とは、違っていた。 その男の身なりは、粗末なもの。 “ふんどし”に、古びた着物を一枚はおっているだけ。 そして、その男の手には、それまで以上のみたらし団子が・・・ それを縁側へ、そっと置いた。 八代井姫は、目を開けて立ち上がり、 『おぬしは、誰じゃ!』 と、その男は、ハッとして、土下座をするがごとく頭を下げた。 「わ、わたしは・・・」
マコト (金曜日, 28 10月 2016 18:44)
「き、きみ麻呂と申します!」 両手と額を土間につけ、深々と頭を下げるきみ麻呂。 『きみ麻呂?・・・綾大路?』 八代井姫は、そっと近づいた。 『わらわに顔を見せておくれ』 きみ麻呂は、ゆっくりと頭を上げた。 月明かりが、きみ麻呂の顔を照らした。 『お、おぬしは・・・』 と、八代井姫は、その言葉を飲み込んだ。 そして柔らかな表情で言った。 『きみ麻呂とやら、なして、わらわのところへみたらし団子を?』 きみ麻呂は、八代井姫の美しさに、視線を残すことができず、 下を向いて、そして、ためらいながらもこう言った。 「ひ、姫があまりにもお美しかったものですから・・・」 その言葉に、八代井姫は、きみ麻呂の手をとった。 『きみ麻呂よ・・・』 八代井姫は、きみ麻呂の耳元でささやいた。
アイ (土曜日, 29 10月 2016 06:06)
「明日からもっとたくさんにしておくれ」
たらちゃん (土曜日, 29 10月 2016 08:19)
「お、おぬしは・・・」の後の言葉にドキドキしていたきみ麻呂は 「そっちぃーーー?」と叫びそうになったが、そこは我慢して…
ウエ (土曜日, 29 10月 2016 12:00)
「か、かしこまりました。」 と、また、頭を深く下げた。 それを見た八代井姫は 「頭を上げておくれ」と きみ麻呂の前に、右の頬を近づけた。 「きみ麻呂よ…」
オカ (土曜日, 29 10月 2016 17:44)
「お、おぬしは・・・」
菊 (土曜日, 29 10月 2016 18:27)
八代井姫が、目を開けると そこには・・・ 赤ふんどしの男が立っていたのであった。
真 (日曜日, 30 10月 2016 23:21)
「お、おぬしは・・・」 と、そこで我に返った八代井。 妄想は、そこで終わった。 いつもの日課を済ませた八代井は、窓を閉め、現実の世界へと戻った。 そう、特にその日の八代井は、続きを妄想する気分ではなかったのだった。 『桃子ちゃん・・・』 八代井は、ドレッサーの前に座った。 無印良品の乳液をつけ、少しだけ“くせっ毛”の髪をドライヤーで丁寧に乾かした。 そして八代井は、綺麗に並べてあるCDの中から、≪ONE OK ROCK≫を選んで、オーディオ機器へとセットし、ベッドに寝転がり、ゆっくりと目を閉じた。 八代井は、Takaの声が、一番好きだ。 Takaの声を聴くだけで、理由もなく涙が出てくる。 そう、その日も、Takaの歌詞に込めた熱い想いが、八代井の頬を濡らしていた。 と、そんな時だった。 携帯が鳴った。 直ぐにディスプレーを覗くと、それは、小春からのLINEだった。 「八代井ちゃん! おばんです!」 そう、万手山公園近辺に住む者たちは、54歳のご婦人も17歳の女の子も、夜の挨拶は、 「おばんです」なのだ。 『・・・小春ちゃん』 八代井は、平静を装っていつもと同じように“ブラウン・コニー”のスタンプを送信した。 『今晩ミー』 すぐさま、既読が付き、小春から返信がきた。 その返信の文章は、小春からのLINEが届いた時点で、ある程度、覚悟していたものだった。 「ねぇ、八代井ちゃん…桃子ちゃんのことなんだけど…」 覚悟していた八代井であったが・・・ 『やっぱりそうよね・・・どうしよう・・・』 と、返信を打つ手が止まってしまったのだった。
真 (火曜日, 01 11月 2016 06:33)
それまで寝ころんでいた八代井は、ベッドの上で起き上がり、両足の間にお尻を落として座った。 そう、女の子座りで。 携帯のディスプレーをじっと見つめ、 『どうしよう・・・』と それでも仲良しの小春からの問いかけに、答えられるところまで答えようと決め、一度止めた手をまた動かして、送信した。 『私も心配してるんだけど…』 仲の良い女の子同士のLINEとなれば、その返信の速さは、言わずと知れたものである。 既読がついてから返信までの時間が、いつもと違うのを小春は敏感に感じ取っていた。 それでも、桃子を心配する小春は、勇気を出して返信した。 「ねぇ、八代井ちゃん・・・もし、間違っていたらごめんね・・・八代井ちゃんは、桃子ちゃんが休んでいる理由を本当は知ってるんじゃないの?」
真 (火曜日, 01 11月 2016 06:34)
八代井は、小春のストレートな質問にその答えが見つからなかった。 八代井が、返信出来ずにいると・・・ 先に小春が送信してきた。 「八代井ちゃん、ごめん・・・わたし・・・あれぇ? 間違っちゃったかな! やっぱり!?八代井ちゃんも知らないんだよね!?」 八代井は、こう返信した。 『もし、分かったら、教えるね』 それが、八代井の精一杯の返事だった。 だが、その返事もとても不自然である。 何故なら、親友の八代井なら、既に桃子に聞いているはずである。 桃子と八代井の関係にあって、八代井がそれをしないはずがない。 あるいは・・・ 小春と同じように 「LINEしても、既読もつかないの」 と、返信してくるはず。 小春は、思った。 「八代井ちゃん・・・他の人には言えない何かを知っているんだわ」と でも小春は、これ以上は八代井を苦しめることになってしまうと思い、 『うん! もし、分かったら知らせてね! きっと、元気しているよね! 桃子ちゃん』 と、返信した。 短いやり取りだったが、小春の不安は、一層増したのだった。
真 (火曜日, 01 11月 2016 22:06)
翌日・・・ 2年2組の朝のホームルームは、同じような光景から始まった。 茂子の点呼が続き、そして 『中神桃子さん』 「・・・・・」 桃子の姿は、今日もなかった。 クラスの生徒全員が、桃子の机に視線を送った。 点呼を終えた茂子は、桃子のことに一切触れずに別の話を始めた。 だが、そんな茂子を学級委員長の貴子だけは、許さなかった。 「冬木先生!」 『なにかしら?』 「中神さんから、まだ何の連絡もないんですか?」 『ないわよ!』 「私たちは、中神さんのことが心配なんです!」 『・・・そう』 「ホームルームの時間に、みんなで相談したいのですが?」 『相談? 相談って、どういうこと?』 「どうして登校して来ないのか、その理由も分かりませんし・・・、このまま放っておくことができないからです」 『言いましたよね!』 「はい、先生は、高校は義務教育じゃないんだから、登校は自由だとおっしゃいました! でも・・・」 『分かっているなら、そんな必要はありません! あなた方には、受験に向けての勉強があるんじゃないんですか? 他人のことに貴重な時間を使っている暇など、無いはずですよ!』 「た、他人のことって・・・」 貴子は、茂子のその言葉に怒りを覚えた。 だが、その怒りは、すぐに諦めの気持ちへと変わったのである。 「分かりました。 先生には、もう頼りません! クラスの私達で、なんとかしますから!」 貴子のその言葉と同時に、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。
真 (火曜日, 01 11月 2016 22:09)
その日の放課後・・・ 野球部、テニス部、ホッケー部、サッカー部・・・ 校庭で練習する運動部の部員達が、部活動の準備を始めていた。 グランドの隅、一番校舎に近いところが、陸上部に与えられたスペースだ。 大河は、いつものようにラインカーで白線を引いた。 「これでヨシ!と」 大河が、ラインカーを用具入れに戻そうとその前までいくと、校舎の陰に数人の女の子たちの姿を見つけた。 「あれっ?・・・」 女の子たちの中に、八代井を見つけたのである。 「八代井ちゃんだ・・・」 八代井と大河は、同じ中学出身だった。 「何してんだろう・・・」 大河が、気にかけて見ていると、八代井が数人の女子に囲まれて何かを言われているのが分かった。 「えっ?・・・」 大河は、八代井の元へと走った。
真 (木曜日, 03 11月 2016 08:00)
大河は、女の子達の前に立った。 「おい! お前ら、何してんだよ!」 大河は、初対面の女の子の前では、何も話せなくなるシャイな男であるのだが、これが、時として別人となるのだ。 八代井が、よってたかっていじめられていると思った大河は、どこかのスイッチがONになったように、女の子達にくってかかった。 そんな大河を見て、女の子達は、何事もなかったように振る舞った。 そして、その中心にいた貴子が 『あなた、だれ?』 「10組の氷室だけど・・・八代井ちゃんのこと、いじめていたろう!」 大河が急に現れた理由を知った八代井は、 『氷室君・・・違うの』 「えっ? 何が違うんだよ! いま、八代井ちゃん、こいつらに囲まれて何か言われていたろう? 俺が来たから、もう大丈夫だ!」 『違うんだって! いま、みんなで、ちょっと相談事をしていただけなの!』 大河のどこかのスイッチが、さらにONになった。 「八代井ちゃん! 大丈夫だ! 俺が!」
真 (木曜日, 03 11月 2016 08:13)
大河は、まったくもって、面倒くさい男だった。 (八代井)『氷室君! 違うんだって!』 (大河)「いやっ、大丈夫だ! 俺に任せろ!」 スイッチON中の大河には、八代井の言葉は、届かなかった。 と、そこにいた小春が 『氷室君! 本当に違うのよ!』と 「あっ・・・こ、小春ちゃん・・・」 それまでパンパンに腫れていた風船が、一気にしぼむように小さくなって大河はおとなしくなった。 そんな大河を見て、 (貴子)『だれ? この変な奴!』 (八代井)『私と同じ中学の出身で・・・氷室大河君』 おとなしくなった大河に小春が近づいて、 (小春)『そっか、氷室君は八代井ちゃんと同じ中学だったのね! じゃぁ桃子ちゃんのことも知ってるでしょ!』 (大河)「えっ? 桃子ちゃん? ・・・中神さんのことですか?」
真 (木曜日, 03 11月 2016 08:21)
そこにいた女の子達は、桃子と仲のいい子たち、 八代井、小春、貴子、好子、敏子、陽子の6人だった。 夕べ、小春がLINEで八代井に聞いたことを、同じように他の子たちが、八代井に聞いている時だったのである。 『ねぇ、八代井ちゃん・・・桃子ちゃんに変わった様子はなかったの?』 それを大河は、八代井がいじめられていると勘違いをしたのである。 ただ、大河の目にそう映ったのは、八代井がうつむいて答えにくそうにしていたからであったのだが。 小春が、その場にいることを知った大河は、借りてきた猫のようにさらにおとなしくなった。 (八代井)「ねぇ、氷室君・・・なんか急に静かになっちゃったけど・・・」 (大河)「ご、ごめん・・・なんか俺・・・とんだ勘違いした? いじめられていたんじゃねーのかよ?」 (八代井)「うん! 違うよ!」 (貴子)「八代井ちゃんの知り合いじゃなかったら、許さなかったわよ!」 (大河)「・・・すみませんでした」 (貴子)「・・・っていうか、なんか、急に態度が変わったわね?」 (八代井)「小春ちゃんがいたからでしょ? 氷室君!」 (大河)「ち、ち、ちげーし!」 (八代井)「じゃぁ、なんで? さっきの氷室君、すごく頼もしかったわよ!」 (大河)「・・・・・」
真 (木曜日, 03 11月 2016 08:27)
小春は、少し微笑んで、 (小春)「まぁ、なんでもいいじゃん! でさっ、氷室君は桃子ちゃんのこと知ってるんでしょ?」 (大河)「はい、知っています! 小学校から一緒ですから」 (貴子)「なんで敬語?」 (八代井)「昔からこういう奴なの! 気にしないで!」 (小春)「へぇ、・・・それで、桃子ちゃんとは、すごい仲良しなの?」 (大河)「いえっ・・・ふ、ふ、普通です」 (貴子)「だから、なんで敬語?」 (八代井)「だから、昔からこういう奴なの! 気にしないで!」 (小春)「あのね氷室君、桃子ちゃんが学校を無断で休んでいるの! その理由が分からなくてさ・・・それで、いま、こうしてみんなで相談していたの!」 それを聞かされた大河は、八代井にとっては迷惑なことを口走ったのだった。
真 (金曜日, 04 11月 2016 07:39)
(大河)「それなら、八代井ちゃん! 一番仲良しなんだから、何か聞いてねーの?」 八代井は思った。 「せっかく、いいタイミングで現れてくれたのに・・・」 大河にふられた八代井は、観念したようにうつむいた。 そして、ゆっくりと話し出したのである。 『みんな、黙っていてごめん・・・実はね、わたし・・・桃子ちゃんとケンカしちゃったの』 そう言って、泣き出してしまった。 夕べのことがあった小春は、 「ごめん、八代井ちゃん・・・事情も知らずに・・・でも、どうして? 二人が ケンカするなんて・・・」 (大河)「お、俺・・・八代井ちゃんを泣かせちゃった?」 (貴子)「あんた、関係ないし!!!」 (大河)「・・・はい」 (小春)「ねぇ、八代井ちゃん・・・よかったら私達に聞かせて」 (八代井)「・・・うん」 すこし、落ち着いた八代井が語りだした。 『あのね・・・先週の金曜日に、桃子ちゃんが急に言ったの』 『来週から、学校を休むから! って』 『で、どうして? なんで休むの? って聞いたんだけど・・・』 『理由は、言えない! って』 『で・・・私、思わず怒っちゃったの・・・親友の私にも話せない理由なの? って』 『で・・・ケンカ腰で話すようになっちゃって・・・』 『最後には、あなたとは絶交よ! って、言われちゃったの』 『その後、何度かLINEしたんだけど・・・返事が来ないの』 『ごめん・・・小春ちゃん・・・昨日は、それが言えなくて・・・』 小春は、泣きながら話した八代井に近づき、 「そうだったのね、八代井ちゃん・・・私こそごめんね・・・」と
真 (金曜日, 04 11月 2016 17:17)
そこにいた誰もが、言葉を失っていた。 女の子達だけで話していた中に、大河が加わったことだけでも、面倒くさいのに・・・ あの男が現れたのである。 (英吉)「おいおい、緑色ジャージの大河君! 練習をさぼって何をしているのかな?」 (大河)「あっ、やべっ!」 (貴子)「だれ?・・・」 (小春)「10組の担任みたいよ! ほらっ、廊下でお座りさせられていた・・・」 (貴子)「あ~ぁ・・・」 (大河)「だから、やめろって! その呼び方」 (英吉)「おぉ~、そうだった! で、なんだよ、大河君! 女の子達に囲まれてのお楽しみ会か? 抜け駆けなんて、ずりーな!」 (大河)「・・・ちげーし」 (貴子)「だれ?」 (小春)「だから、10組の担任だって!」 大河は、慌てて英吉の腕を引っ張り、離れたところで英吉に事情を説明した。 「ふん、ふん! ほ~ なるほど!」 と、英吉のどこかのスイッチがONになった。 英吉は、女の子達に近づき、 (英吉)「事情は聴いたよ! なに? 何日も学校を休んでいるのか? その桃子ちゃんっていう子」 (貴子)「・・・はい」 (英吉)「あれ、小春ちゃんがいるっていうことは、2組だな?」 (大河の心の叫び)「おい! なんだよ! すっかり名前まで覚えてんのかよ! 普通、教師は、ちゃん付けで呼ばねーだろーよ!」 そして英吉は、そこは教師らしくきちんと尋ねた。 (英吉)「何日休んでるの?」 (貴子)「もう三日です」 (英吉)「三日間も無断で?」 (貴子)「・・・はい」 貴子は、英吉に何気なく聞いた。 「もし、先生のクラスに、無断で休んでいる生徒がいたら、大塚先生ならどうされますか?」 貴子の質問に対する英吉の言葉に、全員が唖然とするのだった。
真 (金曜日, 04 11月 2016 17:18)
(英吉)「おい、大河! 今日の練習は休みだ!」 (大河)「はぁ? なんで?」 (英吉)「お前、桃子ちゃんとは、小学校から一緒なんだろう?」 (大河)「えっ? あっ・・・うん」 (英吉)「なら、一緒に来い!」 (大河)「はぁ? 一緒に来いって? どこに?」 (英吉)「決まってんだろうよ! 今から桃子ちゃんの家に行くんだよ! 」 (大河)「はぁ?・・・」 英吉の言葉には、さすがに驚いた女の子達だったが、貴子だけは冷静だった。 (貴子)「大塚先生・・・桃子ちゃんのことを心配してくれるのは、ありがたいんですけど・・・いきなり知らない先生に来られても、桃子ちゃんが・・・」 (英吉)「知らない先生? ・・・そっかぁ、そうだよなぁ・・・でも大丈夫だ!」 (貴子)「大丈夫と言われましても・・・もし、私のところに知らない先生が来たとしたら、その対応に困ってしまうと思うんです」 (英吉)「大丈夫だ! うまく話すよ!」 (貴子)「う~ん、でもぉ・・・、大塚先生は、担任でもないのに、どうしてそこまで・・・」 英吉は笑って言った。 (英吉)「担任じゃない? 担任じゃなくても、この高校の生徒だろう! なら仲間じゃないか! それで、十分じゃないのか? 桃子ちゃんに何かあったら大変だろう? なぁ、大河!」 (大河)「えっ?・・・あっ、・・・う・・・ん」 (貴子の心の叫び)「もう、まったく・・・面倒くさい先生!」
真 (金曜日, 04 11月 2016 17:20)
それでも、他のクラスの桃子のことに、そこまで一生懸命になってくれる英吉が、とても頼もしく思えた貴子だった。 「冬木先生とは大違い!」 英吉を頼りたい気持ちも芽生えていた貴子だったが、突然見知らぬ先生に来られたときの桃子のことを考えると、さすがに認める訳にはいかないと、 (貴子)「それは、担任である冬木先生の仕事だと思います!」 (英吉)「担任?・・・あぁ、そっかぁ、確かにそうだな! で、冬木先生は、なんて言ってるの?」 貴子は、視線を落として言った。 (貴子)「高校は、義務教育じゃないから、来る・来ないは自由! そう言って・・・桃子ちゃんのところに行くとは言ってくれませんでした」 (英吉)「えっ?・・・そっかぁ・・・」 それは、英吉の癖なのだが、考え事をするときは、まるで公園の熊のように、歩き回るのである。 そのモードに突入した。 (英吉)「どうして、冬木先生は・・・う~ん・・・なんでだぁ・・・う~ん・・・」 と、あっちに行ったり…こっちに行ったり… 3往復ぐらいして、英吉は立ち止まり、ぽつりとつぶやいた。 (英吉)「あれっ?ところで、君たちが桃子ちゃんのところに行くという選択肢はないのか? 」 (貴子の心の叫び)「それを、これから相談しようと思っていたんですけど! もう、まったく面倒くさい先生! 」 そして、英吉は、 「う~~~ん・・・」 と、また、あっちに行ったり…こっちに行ったり…
真 (金曜日, 04 11月 2016 17:21)
そんな英吉を見て (大河)「すみません・・・面倒くさい先生で」 (貴子)「本当にそうね! 面倒くさい! でも・・・氷室君がうらやましい!」 (大河)「えっ? どうしてですか?」 (貴子)「だって・・・生徒のことを一生懸命に心配してくれて・・・うちの担任とは大違いよ!」 (大河)「・・・そうですかぁ」 大河とのそんな会話を交わした貴子はふと思った。 (貴子)「ねぇ、八代井ちゃん・・・氷室君・・・私のこと嫌ってるのかな?」 (八代井)「なんで? そんなことないよ!」 (貴子)「じゃぁ、なんで敬語?」 (八代井)「だからぁ・・・昔からそういう奴なの・・・ 気にしないで」 歩き回っていた英吉が、立ち止まった。 (英吉)「よし! 俺は、冬木先生と話してみる! お前たちは、友達として、今出来ることを考えてみてくれ!」 (貴子)「・・・はい」 (英吉)「おい、大河! 行くぞ!」 (大河)「はぁ? 桃子ちゃんのところにかよ? 意味分かんねーし!」 (英吉)「どアホ! 部活だよ!」 (大河)「・・・だよな」
真 (金曜日, 04 11月 2016 17:23)
英吉に袖口を引っ張られ、連行される大河 「おい、放せよ! カッコ悪いだろー!」 『ここにお前だけ置いていく訳いかねーからな!』 「引っ張んなくても、ちゃんと部活に戻るし!」 『なぁ、大河・・・』 「なんだよ、先生・・・」 『可愛かったな!』 「はぁ? ・・・なんだよそれ!」 『いやっ、全員可愛かったなぁと思ってさ!』 「・・・うん、確かに」 「なぁ、先生・・・」 『なんだよ、大河・・・』 「治せよ! その癖」 『・・・治らねーと思うよ!』 「・・・あぁ、やっぱり」 そんな二人の後姿を見ながら貴子は、ぽつりとつぶやいた。 『すごく男らしい人! カッコ良かったなぁ・・・』
真 (日曜日, 06 11月 2016 00:52)
部活に戻った大河は、直ぐにストレッチを始めた。 英吉から学んだストレッチを、一つひとつこなしていると・・・ 何故か、その日に限っては、テニス部女子の練習する声が、妙に気になった。 『そ~れっ!』 『ファイト~!』 「お、おぉ~ テニス部女子! いいねぇ~」 耳を澄ませば、それは体育館の方角からも聞こえてきた。 『モンキーパンチ先輩! ファイトで~す』 『・・・・・』 「あれっ? モンキーパンチ先輩って、あの赤パンの子だよなぁ・・・腹減って声が出ないのかなぁ・・・」 その日の大河が、女子の声が気になるのもやむを得ない話だった。 なぜなら、大河は、1年以上女の子と会話をしていなかったのだから。 これは、紛れもない事実である。 男子クラスの宿命、 登校しても女子と話す機会は、皆無だった。 (女好きの一部のしこった男子を除いて) 2年続けて男子クラスにいたことで、大河の女の子の前での“緊張シー”は、克服されることはなかった。 そして大河は、わずか10分前の出来事を思い出していた。 「可愛かったなぁ、あの女の子達・・・名前なんていうのかなぁ・・・」 大河の頭の中には、貴子、好子、敏子、陽子の顔が思い浮かんでいた。 おそらくは、その時の大河の顔が相当に、にやけていたのであろう。 夢心地の気分を一括する声が飛んだ! 『おい、そこの緑ジャージ!』 「やっべ!」 と、大河が振り返ると・・・
真 (日曜日, 06 11月 2016 00:59)
英吉が、公園の熊のように、あっちに行ったり、こっちに行ったり・・・ 「先生! ストレッチ終わったよ! 練習始めよーぜ!」 『・・・・・』 「おい、先生! 聞こえねーのかよ!」 『・・・はっ?・・・なんだ?』 「はぁ? 練習始めるよ!」 『そっか・・・』 「そっかじゃなくてさ・・・今、そこの緑ジャージって呼んだろう?」 『あぁ~ なんか、スゲーにやけてたから、呼んでみただけ』 「はぁ? なんだそれ!・・・練習始めるぜ!」 『練習? あぁ~ ・・・』 「あぁ~ じゃなくてさ! 今日は、コーナーの走り方を教えてくれるって言ったべ!」 『・・・・・』 「・・・だめだ、こりゃ」 そう言って、大河も英吉の歩みに合わせ、二人並んであっちに行ったり、こっちに行ったり。 「なぁ、先生・・・」 『なんだよ、大河・・・』 「気になるんだろう?」 『うん? 何が?』 「・・・桃子ちゃんが無断で学校を休んでいることだよ」 『まぁなぁ・・・』
真 (日曜日, 06 11月 2016 01:04)
歩きながら英吉は、歌を口ずさんでいた。 ≪~もう逢えないかもしれない~~~≫ 『なぁ、大河・・・』 「なんだよ、先生・・・」 『桃子ちゃんって、どんな子なんだ? 』 「どんな子って? 顔?」 『うん! 可愛いのか? ・・・って、そうじゃなくて! お前と一緒にいると、女好きのエロ教師になっちまいそうだよ!』 (大河の心の叫び)「もう、なってんじゃねーのかよ!」 『なんか言ったか?』 「言ってねーよ! 心の叫びだよ!」 『桃子ちゃんって、真面目な子なのか?』 「うん! すごく真面目で、どちらかと言えば、おとなしい子」 『ふ~ん・・・』 「桃子ちゃん・・・まだ子供の頃にお母さんを亡くしててさ・・・家は、俺んちの近所なんだけど、すっごい大きな家に住んでて・・・、家政婦さんもいるんだぜ! 若くてすっごい綺麗な家政婦さん!」 『なに! 綺麗な家政婦さんだと?』 「うん! あぁ、そう言えば、2組の冬木先生に似ているかも」 『ま、マジか!』 「・・・ってさ、どうしてそっちの話ばっかり、食いつきがいいんだよ!」 『大河が・・・』 「そっか・・・いやっ、先生が喜ぶかなと思ってさ・・・」 『すまねーな・・・大河』 「くらねーよ!」
真 (月曜日, 07 11月 2016 06:36)
「なぁ、先生・・・」 『なんだよ、大河・・・』 「PTA会長って、偉いのかよ?」 『PTA会長? あぁ、偉いんじゃねーの?』 「ふ~ん・・・」 『って、なんだよ? PTA会長がどうしたんだよ?』 「桃子ちゃんの父親だよ!」 『はっ? 中神・・・えっ? この学校のPTA会長の中神会長って・・・、桃子ちゃんは、PTA会長の娘なのか?』 「あぁ、そうだよ! 地元の有力者! 桃子ちゃんには悪いけど・・・俺は、あまり好きじゃないタイプ。 ・・・威張っててさ・・・」 『そうだったのかぁ・・・』 『なぁ、大河・・・』 「なんだよ、先生・・・」 『おかしいと思わねーか?』 「何がだよ?」 『PTA会長の娘が、三日も無断で欠席するか?』 「そんなの、俺には分かんねーよ!」 『冬木先生が、知らないはずないよなぁ・・・』 「さぁな、俺には分かんない」 そう言って、英吉の歩き回るスピードが速まった。 一生懸命に隣を歩く大河。 「なぁ、先生・・・」 『うん?』 「気になるなら、行ってこいよ! 先生らしくねーぞ!」 『らしくない?』 「先生なら、直ぐに行くんじゃねーのかよ! 冬木先生のところにさ!」 『・・・いいのか? 行って?』 「今までだって、ずっと一人で練習してきたんだ! 一日や二日、先生がいなくたって、ちゃんと練習してるよ!」 『・・・分かった、大河・・・すまねーな』 「くらねーよ!」 『悪いーな!』 と、英吉は、大河を残して体育教官室へと走ろうとした時だった。 『あっ、そうだ! なぁ、大河・・・もう一つ気になることがあったんだ!』 「なんだよ?」
真 (月曜日, 07 11月 2016 06:38)
『なぁ、大河・・・』 「なんだよ、先生・・・」 『八代井ちゃんって、可愛いなぁ』 「なんだよ、いきなり!」 『大河の昔の彼女か?』 「はぁ?」 『だって、女の子がたくさんいるところに行って、「八代井をいじめる奴は許さねー!」 って、言ったんだろう? 恥ずかしがり屋のお前にしたら、珍しいと思ってさ!』 「まっ、まぁな~ ・・・なんか、スゲー困っている様子だったから・・・八代井ちゃん」 『そっか・・・てっきり昔の彼女だったのかと思ったよ!』 「ちげーし! それに・・・八代井ちゃんには、ちゃんと彼氏がいるみてーだし」 『ほ~ そうなのか?』 「なんか、“きみ麻呂”っていう彼氏らしい」 『き、きみ麻呂? 随分と古風な名前の彼氏だな!』 「うん・・・うわさ・・・だけどね!」 と、英吉は、また、あっちに行ったり…こっちに行ったり… 『きみ麻呂ねぇ・・・ う~ん・・・』 「なぁ、先生・・・」 『なんだよ、大河・・・』 「行くんじゃねーのかよ?」 『えっ? ・・・おっ! そうだった。 じゃぁな、大河』 「あぁ・・・気を付けてな 先生・・・頼むぜよ~ しっかりしてくれよなぁ・・・」
真 (火曜日, 08 11月 2016 01:48)
辺りは、もう暗くなり始めていた。 「やっべ! もう暗くなってきっちったぜ! 今日は、軽く流して終わりにすっか」 そう言って、グランドを5周した大河。 野球部の照明が、グランドを照らし始めていた。 その灯りの中でクールダウンのストレッチをしていると 『氷室君!』 それは、八代井だった。 「あっ、八代井ちゃん・・・」 『さっきは、ありがとう』 「いやっ・・・俺、すっかり誤解しちゃって・・・ごめん」 『氷室君らしいよ!』 「えっ? 俺らしい? どこが?」 『・・・あと先考えずに、突っ走って・・・』 「それって・・・褒められてんの?」 『もちろんよ!』 「・・・そっけ」 『それでね、明日も桃子ちゃんが休むようなら、みんなで桃子ちゃんの家に行ってみようってなったの』 「そっか・・・」 『氷室君が来てくれたから、みんなに打ち明けられる勇気が湧いたんだ! ありがとうね』 「いやっ・・・う・・・うん」 『ねぇ、氷室君・・・』 「なんだい、八代井ちゃん・・・」 八代井は、少し頬を赤くして言った。 『氷室君・・・私ねっ・・・』
真 (火曜日, 08 11月 2016 12:57)
八代井は、少し温めの湯船につかりながら、お気に入りの曲を歌っていた。 ≪放課後の校庭を走る君がいた 遠くで僕はいつでも君を探してた 浅い夢だから 胸を離れない・・・≫ 普段よりも長めの入浴に、のぼせ気味の八代井は、湯船の中でゆっくりと立ちあがり、そして浴室を出た。 脱衣所の等身大の鏡が、湯気に曇らされ、ちょうど顔のあたりが、ぼんやりと霞んでいた。 それは、八代井のルーティンであるから、いつものように部屋の窓を開け、そよ風で火照った躰を冷やし、 そして、小さな吐息をついて、こう言った。 『もぉ~ 大河君ったら!』
真 (水曜日, 09 11月 2016 07:15)
『もぉ~ 大河君ったら!』 『どうして、いつもふざけてばっかりいるのかなぁ・・・あいつは』 『あれじゃ、いつまで経っても、彼女なんか出来ないぞ!』 八代井は、夜空に光る“おとめ座”を眺めながら、そうつぶやいた。 そして、ふと気づいた。 『あれっ?・・・わたし・・・大河君って、名前で呼んでる・・・」 その日の夜に限っては、日課の妄想ではなく、放課後の大河との会話を思い出していた八代井だった。 『ねぇ、氷室君・・・』 「なんだい、八代井ちゃん・・・」 八代井は、少し頬を赤くして言った。 『氷室君・・・私ねっ・・・“ハナタカ”だったよ!』 「はぁ?・・・ハナタカ? ??? 兄弟?」 『はぁ? 兄弟??? ・・・って、それは若貴兄弟のことでしょ! もぉ~ ハナタカ!だったの!!!』 「・・・ハナタカ? って、鼻高? 誇らしいってこと?」 『そうよ!」 「なんで?」 『さっき一緒にいた女子たちが、八代井ちゃんはいいなぁ~ って』 「はぁ?・・・なんで?」 『だってさ、あんな場面で、血相を変えて飛んできてくれる男子は、そうはいないよ!って』 「だって、それは・・・、間違っちったから・・・」 『もぉ~!!! それを言っちゃぁ、身も蓋もなくなっちゃうでしょ!」 すると、何を思ったか大河は、「ビートたけし」の代表的なギャグ“コマネチ”のポーズをとって、 「ハナタカ! ハナタカ!」と 『もぉ~・・・真面目に話してるんだから、ちゃんと聞いてよ!」
真 (木曜日, 10 11月 2016 00:45)
八代井は、そんな大河に 『ちっとも変わんないなぁ・・・氷室君』と 「はぁ? なんか言った?」 『何も言ってない!』 『ねぇ、氷室君・・・』 「なんだよ? ハナタカ! ハナタカ!」 『もう、それ、いいから!』 「あっ、そう・・・で、なに?」 『貴子が、言ったの!』 「貴子?」 『そう、貴子! ほらっ、「だれ?」って、何度も聞いてた子!』 「あぁ、あの人・・・で、なんて?」 八代井は、少しだけ乙女チックに 『氷室君って、八代井ちゃんのことが、好きなんじゃないの? って』 「はぁ???」
真 (木曜日, 10 11月 2016 20:32)
八代井は、大河の表情を確認して、そしてこう言った。 『バァ~カ! ちゃんと否定しといたわよ!』 「お、・・・おぉ、そっか」 『うん・・・氷室君って、昔から、あんな奴だから! って』 「あんな奴って? どんな奴だよ?」 『う~ん・・・あんな奴は・・・、あんな奴だよ!』 その時、八代井は思った。 『わたし・・・“あんな奴”が、ちゃんと説明できない』と 八代井は、慌てて話を続けた。 『だって・・・氷室君は、誰にでも優しいもんね! さっきも、私だったから助けに来てくれたんじゃないんでしょ?』 「えっ?・・・」
真 (金曜日, 11 11月 2016 12:58)
大河は、返事が出来なかった。 八代井は、そんな大河の様子に 『氷室君・・・』と、そして、慌ててオチャラケた。 『うっそだぴょ~ん!』と、ウサギの真似をして 『もぉ~、氷室君は、バカがつくほど正直だから、直ぐに顔に出すからなぁ・・・ でも・・・ありがとね、氷室君 嬉しかったよ!』 「あっ・・・う、うん」 『ねぇ・・・氷室君・・・』 「なんだよ、八代井ちゃん・・・」 『また、私が困ってる時があったら、助けに来てくれる?』 「・・・あぁ」 『ホンとに?』 「・・・そんなに、しょっちゅう困んなよな!」 『えっ?・・・そ、それもそうよね』 八代井は、笑った。 『ごめんね、練習の邪魔しちゃったかな?』 「くらねよ!」 『そう、なら良かった! じゃぁね、氷室君」 「あぁ・・・じゃぁね!」 その日の別れの挨拶を交わした八代井は、笑顔のまま振りむいた。 だが・・・何故か直ぐには、一歩目が踏み出せなかった。 そんな八代井は、もう一度振り返ってこう言ったのである。 『ねぇ、氷室君・・・私と一緒に帰る?』
真 (日曜日, 13 11月 2016 06:33)
大河は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で 「はぁ?・・・」 八代井は、そんな大河を見て・・・ 『うっそだよ~~~! 慌てる氷室君の顔が見たかっただけだよ!』 「・・・からかうなよな!」 『・・・ごめん』 そして八代井は、それまで以上にもっと大きな笑顔を作ってこう言った。 『あっ、思い出した! 貴子がね、言ってたわよ!』 「なんて?」 『私も困ってる時には、氷室君に助けに来てもらいたいなぁって!」 大河は、困った表情を浮かべて 「・・・や、や、やだし!」 『なんで? 行ってあげなよ!』 「無理だし!」 『だから、なんで? 貴子、可愛いし、氷室君の好みの女の子でしょ?』 「・・・・・」
真 (日曜日, 13 11月 2016 06:36)
その都度、大河の表情が気になる八代井だった。 『もしかして、恥ずかしいんだ!』 「そ、それは・・・ち、ちげーよ!」 『じゃぁ、助けに行ってあげなよ!』 「無理だし!」 『そっかぁ・・・氷室君は、可愛い子とは話せないもんね!』 「そ、そんなことねーし」 『もう、貴子とは友達になったんだから、今度は普通に話せるでしょ?』 「友達?・・・まだ、なってねーし・・・無理」 『な~んで・・・そこが、分かんないんだよなぁ・・・私を助けに来てくれた時みたいに、女の子の前でもビシッと言えるくせに・・・どうして、同級生なのに普通に話せないの?』 「話せるし!」 『敬語で? でしょ!』 「悪いーかよ!」 『早く、大人になりなよ! 氷室君!』 おそらくは、これ以上からかわれるのが嫌だったのであろう。 大河は、逃げる格好を作ってこう言った。 「や、八代井ちゃんだったから、助けに行ったんだし! じゃぁな!」 そう言い残して、一目散に部室に向かって走って行った。 大河の背中を見送る八代井は、こう言った。 『もぉ~ 昔から“あんな奴”なのよね・・・深い意味のない事、言っちゃってさ!』 『・・・えっ?』 『そ、それとも・・・もしかして違うの?・・・ねぇ、氷室君』 八代井は、作り笑顔で言った。 『・・・違くないか! もし、そうだったら、一緒に帰ろうって言ってくれたわよね!』 『早く、彼女、見つけろよーーー! 氷室大河ーーー!』
真 (日曜日, 13 11月 2016 06:39)
窓から見える夜空が、とても綺麗だった。 八代井は、大河との会話を思い出したあと、日課の妄想を始めた。 と・・・ 『えっ? きみ麻呂?・・・きみ麻呂ぉ~』 それまで積み上げてきた妄想で、ようやく月明かりに見たきみ麻呂の顔が、その日は、思い出せなくなっていたのだった。 慌てて、目を強く閉じて妄想を続けると、やっときみ麻呂の後ろ姿が浮かんできた。 『き、きみ麻呂・・・』 すると、きみ麻呂のその先に、綺麗な姫が立っているではないか。 しかも、二人の姫が。 きみ麻呂は、二人の姫に近づくように歩き出した。
真 (日曜日, 13 11月 2016 18:58)
『き、きみ麻呂・・・いずこへ行くのじゃ?・・・行かずに、わらわのそばにいておくれ! きみ麻呂よ!』 八代井姫は、慌ててきみ麻呂の名を呼んだ。 だが、その声はきみ麻呂には届かなかった。 二人の姫も、きみ麻呂に近づくように歩きだした。 それまで、五葉松の下に立っていた二人の姫が、月明かりに照らされ、顔がおぼろげに見えた。 『そなた達は・・・』 二人の姫の顔は、見覚えのある顔だった。 それは・・・ 貴子と小春だった。 貴子と小春は、綺麗な十二単に身を包み、そして、歩み寄るきみ麻呂を二人で抱きしめようと両手を広げた。 八代井は、慌てて強く閉じていた目を開け、現実の世界へと戻ってきた。 『うわっ! びっくりしたぁ~ どうして? なんで、貴子と小春にそっくりな姫が登場してきたんだろう??? 』 『・・・そっか、今日は放課後まで一緒にいたからだね」
真 (日曜日, 13 11月 2016 19:03)
とても静かな夜だった。 雲一つない空には、無数に輝く星が光っていた。 『すごいなぁ・・・2000年も前の輝きが、いま、私の眼の中に飛び込んできてるのよね・・・」 と、流れ星が・・・ 『あっ・・・』 突然の出来事に、慌てて両手を合わせようとしたが、 『もぉ~・・・願い事出来なかったじゃぁ~ん』 『・・・って、いま考えても、出てこないや! 私の今の願い事って、なんだろう・・・』 流れ星の綺麗な光は、既に暗闇の中に消えていた。 それでも八代井は、流れ星を見れたことを、とてもラッキーなことと喜んだ。 『な~んか、いろいろあったなぁ・・・今日の私の大切なこの時間・・・』 八代井は、そう言って、そっと窓を閉めた。 そして、いつものように音楽をかけようとCDラックの前に立った。 『今日は、何を聴こうかなぁ・・・』 と、珍しく、全部のCDを見ていくと、とても懐かしい曲を見つけた。 『あぁ、懐かしいなぁ・・・この曲・・・』 それは、八代井が中学生の時に、同級生たちみんなで観に行った映画の主題歌だった。 オーディオ機器にCDをセットし、ベッドに寝転んで、歌詞カードを手にとった。 前奏が流れ始めた瞬間に、八代井は、中学時代へとタイムスリップしていた。
真 (日曜日, 13 11月 2016 19:12)
(辻)「おい、大河! 映画館に来るの、本当に初めてなのかよ?」 (大河)「うん!」 (辻)「中学3年にもなって、映画に行ったこともなかったって、カッコ悪いなぁ!」 (大河)「・・・う、うん」 (八代井)「ねぇ、辻君!」 (辻)「なんだよ、仲山!」 (八代井)「そんな言い方しなくったって、いいでしょ!」 (辻)「だって、事実を言っただけだぜ!」 (大河)「いいんだよぉ~ 八代井ちゃん・・・俺んち、貧乏だから・・・」 (八代井)「氷室く~ん・・・」 (八代井)「ねぇ、氷室君・・・私の隣で観る?」 (大河)「うん!」 (桃子)「え~ 八代井ちゃん! 私と一緒に観る約束だったでしょ!」 (八代井)「大丈夫! 桃子ちゃんが右隣、氷室君が私の左隣で! ねっ、それならいいでしょ、桃子ちゃん」 (桃子)「そっか! さすがぁ、八代井ちゃん!」 映画も後半になり、感動のシーンが続いていた。 すると・・・ (桃子)「ねぇ、八代井ちゃん・・・隣、大丈夫?」 八代井は笑って、そっとうなづき、左隣を見た。
真 (日曜日, 13 11月 2016 19:17)
そこには、感動シーンに声を出して号泣する大河がいた。 そして・・・ 八代井の回想シーンと、ベッドの上で聴いている曲が重なり合った。 ≪限られた時の中で どれだけの事が出来るのだろう… 言葉にならないほどの想いを どれだけアナタに伝えられるのだろう… ずっと閉じ込めてた胸の痛みを消してくれた 今 私が笑えるのは 一緒に泣いてくれた君がいたから・・・ 一人じゃないから、君が私を守るから 強くなれる もう、何も恐くないよ・・・ 時がなだめてく、痛みと共に流れてく 日の光がやさしく照らしてくれる ≫ 歌詞カードを握りしめ、聴いていた八代井の頬には、綺麗な涙が光っていた。 そして八代井は、AIの歌声にあわせて、一番好きなフレーズを一緒に口ずさんだ。 ≪一人じゃないから、私が君を守るから あなたの笑う顔が見たいと思うから・・・ ≫ その歌詞に、涙があふれ、八代井は歌えなくなってしまった。 『楽しかったよねっ・・・あの頃』
真 (月曜日, 14 11月 2016)
八代井は、左の頬を濡らしていた涙をぬぐって、天井を見上げた。 目を閉じると、瞼の後ろに“ハナタカ・ハナタカ”と、コマネチポーズでおどける大河が映し出された。 『大河君・・・』 『とんだ勘違いだったけど・・・カッコ良かったよ・・・』 『ありがとね・・・守ってくれて』 八代井は、瞼の後ろの映像が、消えるまで目を閉じていた。 おどける大河の姿が消えると、目を開けて、今度は右側に体の向きを変えた。 すると、その視線の先に、クラスのみんなで撮った写真が見えた。 八代井は、そっと手を伸ばし、大切なものを扱うように写真を持った。 それは、高校1年の時の文化祭の後に撮った写真だった。
真 (水曜日, 16 11月 2016 06:53)
クラスの女の子達が、それぞれの決めポーズで並んでいた。 最後列の右端に八代井と桃子が並び、二人とも「虫歯ポーズ」で“おすまし顔” その隣には、小春と果南が「指ハートポーズ」で。 『やっぱり可愛いなぁ・・・果南ちゃんも小春ちゃんも』 写真の女の子達は、それぞれに笑顔で、皆、自分の可愛らしさをアピールしていた。 そう、男子クラスの集合写真とは大違いである。 男子クラスのそれは、中央には必ず“ヤンキー座り”で、はすに構える奴が。 メガネを45度に傾け、上目使いで睨みつけている。 さらには、寒さに耐え、学生服の袖をまくりあげている奴。 カメラのレンズに視線を合わせず、なぜか右45度に空を見上げる奴。 コマネチポーズで、足をがに股にしている奴・・・ 見るに堪えない写真ばかりだ。 それに引き替え、八代井の視線の先には、 唇に指をあて、アヒル口で決める陽子。 頬に丸ポーズの好子。 猿ポーズで、気取る恵子。 指・手イニシャル文字ポーズで決める喜美子と敏子が。 そして、写真の中央最前列に目をやると、そこには・・・ 右手の親指と人差し指でVの字を作り、あごにあてる「バッキュンポーズ」で決める貴子が写っていた。 『・・・貴子』
真 (水曜日, 16 11月 2016 21:35)
八代井は、放課後のことを思い出した。 英吉と大河が去ったあと、貴子を中心に話し合った女の子達は、桃子が、もう一日学校を休むようなら、みんなで桃子の家に行こうと決めて、解散した。 解散したあとに、貴子が八代井を呼び止めて、二人で話したのだった。 『ねぇ、八代井ちゃん・・・』 「うん? なぁに、貴子」 『さっきの男の子・・・』 「あっ、氷室君のこと?」 『そう、氷室君・・・氷室君って、八代井ちゃんのことが、好きなんでしょ? あれっ? もしかして二人は、お付き合いしているの?』 「え~ いきなり何を言うかと思えば・・・好きでもないし、もちろん付き合ってもいないわよ!」 『えっ? そうなの? ・・・だってさぁ、あんなに一生懸命になって八代井ちゃんのことを守ろうとして・・・』 「氷室君って、いつもあんな感じだし、・・・それに、誰にでも優しいんだよ」 『ふ~ん・・・そうなんだぁ・・・わたし、てっきり氷室君は八代井ちゃんのことが・・・本当に違うの? ただの、同級生?』 「ち、違うってば! そう、ただの同級生だよ!」 『だとしたら、・・・すごい人! 氷室君って』 「えっ?」
真 (水曜日, 16 11月 2016 21:49)
貴子は、校庭の方を見ながら、話を続けた。 『だってさぁ・・・八代井ちゃんなら出来る? もし、お友達がいじめられていたとして、あんな感じで、飛んできて「俺が来たから、もう大丈夫だ!」なんて・・・』 「・・・分かんない」 『私なら・・・足がすくんで動けなくなるか、もしかしたら、見て見ぬふりをしちゃうかもしれない・・・もちろん、それが、とても大切な人だったとしたら、話は別だけど・・・』 「とても大切な人?」 『そう・・・とても大切に思ってる人なら』 八代井は、少し考えてこう言った。 「だって・・・、氷室君とはずっとお友達だし・・・氷室君は、お友達には、誰にでもそうする人だから・・・」 『そっかぁ・・・友達思いの人なのね!』 「うん!」 『なら・・・私も困ってる時には、氷室君に助けに来てもらいたいなぁ・・・』 「えっ?・・・」 『だって、私には、あんなふうに一生懸命に守ってくれる男の子・・・いないんだもん!』 「そ、それって・・・」
真 (金曜日, 18 11月 2016 01:06)
貴子は、慌てた表情を浮かべる八代井に 『ねぇ、誤解しないでね! 私も氷室君とお友達になりたいなって意味よ!』 「あっ、う、うん! もちろん分かってるわよ!」 『ねぇねぇ、どうしたら、八代井ちゃんとのように、私とも普通に話してくれるようになるのかな? 氷室君って』 「え~ ・・・分かんない」 『げっ、冷たいの! 八代井ちゃん』 「えっ?」 『嘘よ! ねぇ、八代井ちゃんから氷室君に言っておいてね! 私もお友達になりたいよ! って』 そう言って、貴子は上機嫌で帰っていった。 八代井は、スキップして帰る貴子の背中を見てポツリとつぶやいた。 「貴子・・・氷室君のことが、好きになっちゃったのかなぁ・・・」
真 (金曜日, 18 11月 2016 19:55)
八代井は、手に持った写真を元の場所に戻した。 天井を見上げると、中学時代の想い出の曲は、再生を終え、部屋を静けさが占領していた。 八代井は、もう一度、同じ曲を再生した。 自然と、大河との中学時代の想い出が蘇ってきた。 大河とは、これまで何の意識もせず、お互いにバカをやってきた。 いつも仲良しだった。 ただ、そこに「好き」という感情は、全く無かった。 互いに、男として、女として・・・相手を意識したことがないからだ。 これまで、いろんな事を大河に相談してきた。 大河は、どんなことでも嫌がらずに聴いてくれた。 いつも、必要とするときは、そばにいてくれるものと思っていた。 もちろん、それはこれからも変わらないはずだと・・・ 大河をよく知る八代井だからこそ、そう思っていた。 だけど・・・
真 (日曜日, 20 11月 2016 07:08)
AIの歌声が、急に耳に入ってきた。 そう、八代井の好きなフレーズの箇所になったからだ。 何故か、急に胸が苦しくなった。 それと同時に、急に八代井の目の前に二人の姫が現れたのである。 妄想の時間でもないのに・・・ 「えっ?・・・」 八代井は、そのとき初めて気づいた。 二人が、何故、姫となって「きみ麻呂」の前に現れ、両手を広げて抱きかかえようとしたのか・・・ その理由がようやく理解できたのだった。 「行かないで! 大河・・・」 「小春ちゃんのところにも・・・貴子のところにも・・・」 そして・・・ 八代井は、自分の気持ちを確かめるように、こう言った。 「大河君を好きっていうことじゃないの ・・・でも、誰のものにもならないで! ずっと、私だけを守っていてほしいの!」 八代井は、布団を頭までかぶって、こう言った。 「だって・・・そうでなかったら・・・私・・・辛いもん」 こうして八代井の中に“大河を失いたくない”という気持ちが芽生え始めたのだった。 そして、このことで女の子達の友情が・・・
真 (日曜日, 20 11月 2016 22:56)
大河をグランドに残し、体育教官室に戻った英吉は、すぐに茂子のいる教員室へと向かっていた。 体育教師が、普段歩かない廊下に、幾分緊張気味の英吉。 廊下ですれ違う生徒ひとり一人に「こんちわ!」と、声をかける英吉。 だが、英吉を知らない生徒の中には、英吉のそれを無視する生徒もいた。 茂子のいる教員室の前に立ち、ひとつ、大きく息を吐いてドアを開けた。 「失礼します! 2年10組担任、大塚英吉です! 冬木先生はいらっしゃいますか?」 体育会系と言ってしまえば、それまでであるが、普通、教師が教員室に入る際に、名乗って入ることはない。 そこにいた教員の視線が、全て英吉に集まった。
真 (月曜日, 21 11月 2016 18:16)
英吉のすぐそばにいた教師が、 『冬木先生なら、一番奥の席だよ!』 「あっ、ありがとうございます」 と、その教師は、歩き出した英吉を呼び止めた。 『大塚先生・・・』 「は、はい」 『普通、教師は名乗らずに入ってきますよ!』 「あっ、でも外の壁に「学年・クラス、氏名、用事のある先生の名前をはっきりと」と、書いてありましたけど・・・」 『それは、生徒に言ってることですよ!』 「えっ・・・自分は・・・ 自分は、生徒も教師も変わらないと思います! 挨拶は必要だと思ったので・・・」 その教師は笑った。 『そう言えば、私も教師になりたての頃は、そんなふうに思っていましたけど・・・』 「・・・僕は、ずっとこのまま変わらずに挨拶を続けたいと思います」 その教師は、あざ笑うように英吉を見上げて言った。 『分かったから、冬木先生のところへどうぞ』 「はい、失礼します」 奥に向かって歩き出した英吉の視線の先に茂子が。 茂子は、あからさまに迷惑そうな表情で待ち構えていた。 『大塚先生、どうなさいましたか?』 茂子は、他の教師になるべく聞こえぬよう、小声で尋ねてきた。 「はい、実は・・・、冬木先生のクラスの中神桃子さんのことで・・・」 『えっ?・・・』
真 (月曜日, 21 11月 2016 18:18)
茂子は、 『ここでは・・・』 と、慌てて席を立ち、英吉を導いて廊下へと出た。 廊下に立った二人。 茂子は、鬼の形相で英吉に向かって言った。 『中神さんのことで、私に何の用事があると言うのですか?』 あまりにもの勢いに、たじろぐ英吉であったが、 「は、はい・・・実は、今日、生徒から聞いたんですが・・・中神さんが、学校を休んでいると・・・」 茂子は平静を装った。 『はい。 それがどうかしましたか? 大塚先生には全く関係のないことですよね!』 「そ、そうかもしれませんが・・・うちのクラスの生徒も心配していたものですから・・・」 『大塚先生のクラスの生徒? どのクラスの生徒が心配していようが、それは関係ないことですから! どうぞ、お引き取り下さい』 英吉は、それでも食らいついた。 「いやっ・・・三日も無断で休んでいると聞きました」 『よく、そこまでご存じなんですね! ですが、高校は義務教育の場ではありません! 登校は本人が決めることですよね!』 「・・・冬木先生・・・先生のクラスの子も、うちの生徒もみんな中神さんが心配なんです! 冬木先生だって、心配されていると思いますけど・・・」 『はっ? 私が? 私は、心配などしていませんよ! それは教師の仕事ではありませんから! 教育を受けさせるのは、保護者の責任です! 教師は、生徒の保護者ではありませんし、教育を求める生徒に必要な知識を与えるのが仕事であって、日常の生活、特に家庭のことまで教師が責任を負うものではないと、私は思っていますから! どうぞ、早くお引き取り下さい!』 「・・・冬木先生」
真 (月曜日, 21 11月 2016 18:26)
「綺麗な花には棘がある」 英吉は、その言葉通りの場面に直面していた。 茂子は、鋭い棘を身にまとい、英吉を遠ざけようとしていた。 「美しい花には棘がある」 このことわざは、「美しい女性にご用心」という意味で使われている。 そして、この時の美しい花を、大半の男は薔薇だと思っている。 であるならば、何故、そう言われるようになったのであろうかと疑問が湧く。 薔薇の棘は、昆虫などの敵から身を守り敵を遠ざけようとするためについている訳ではないからだ。 薔薇の棘は、樹皮が変化したもので、芽がのび出したときからもう付いている。 そう、薔薇は、赤ちゃんのときからすでに棘を身にまとっているのだ。 薔薇の棘は、若いときには、茎と同じ色をしている。 棘は、茎の太さを倍近くにふくらませて、茎の働きを助ける役目をしているが、薔薇の一番の敵である虫たちは、棘などまったく気にせず、平気で薔薇を食いあらす。 棘では、虫たちを撃退できないのである。 そもそも、薔薇の原種は、花の色彩や香りで昆虫を引き寄せることによって繁殖してきたのであり、昆虫を遠ざけてしまうような棘を持ってしまえば、自身が滅びてしまうのである。 それなのに、ことわざでは、「美しい花には棘がある」と言われ続けてきた。 薔薇にとっては、全く迷惑な話だ。 薔薇にとって、人間は敵ではないのだから。 ちなみではあるが、サボテンの棘は葉であり、乾燥に耐えるために棘状になっているのであって、これも敵から身を守るためについているものではない。 おそらくは、昔からそうだったのであろう。 美しい女性には、男性を平気で蹴散らす人が多い。 それは、あくまで私見であるが・・・。 そして、蹴散らされることを恐れる男は、決まって言う。 「美しい花には棘がある」 「だから、自分は彼女にアタックしないのだ」と。 男のプライドが、そう言わせてきたのであろうか。 いずれにしても、男の身勝手さから、言われ続けていることわざなのであろう。 鋭い棘で、敵を遠ざけようと睨みつける茂子に、英吉は決してひるまなかった。 「俺は、教師だ!」
真 (月曜日, 21 11月 2016 18:28)
茂子の無責任な言葉に、怒りさえ覚えた英吉だった。 だが、そんな茂子に英吉は、表情を和らげて言ったのである。 「冬木先生・・・何か事情があるんじゃないんですか? もし、自分に出来ることがあるなら、相談にのりますから・・・」 それは、とんだ “かいかぶり” だった。 そして、その英吉の言葉が、茂子の癇に障った。 『私が大塚先生に相談する? 冗談じゃありませんよ! 大塚先生・・・偽善者ぶるのもいい加減にしてください!』 「そ、そんな偽善者だなんて・・・」 『大塚先生は、生徒に好かれる先生になろうとしているのかもしれませんが、私には、まったく興味がありませんから!』 「えっ?・・・」 そこまで言われても粘るのが英吉だ。 言うまいと決めていたことだったが、勢いで口走ってしまった。 「中神さんの父親は、PTA会長だそうですよね! もし、中神さんに何かあったら・・・」 『何かあったら? なんですか?』 「冬木先生が・・・」 茂子は、笑った。 『それは、ご心配いただきまして・・・もし、生徒のことで担任が責任をとれと言われるなら、私は、直ぐに教師を辞めますから! もともと長く教師を務めようとも思っていませんし・・・そんな心配は無用です』 茂子は、その言葉を最後に英吉に背を向け、教員室へと入っていった。 「冬木先生・・・」
真 (火曜日, 22 11月 2016 12:50)
冬木茂子は、大学を卒業して英語の教師になった。 だがそれは・・・、 茂子のそれまでの人生において、唯一の失敗によって辿り着いた場所だった。 「通訳として世界中を飛び回る」という夢を叶えるために臨んだ採用試験。 そこで、唯一の失敗をし、夢を絶たれた茂子は、滑り止めに合格していた教職を就職の道として選んでいたのだ。 そうして教員となった茂子だったが・・・、 諦めずに「通訳」という夢をずっと持ち続けていたのである。 茂子の目標は、同時通訳だ。 同時通訳は、話者の話を聞くとほぼ同時に訳出を行う、通訳の中でもいわゆる花形的な存在である。 他国の言語を即座に、そして正確に訳す能力が必要とされるだけでなく、相手の発言内容をある程度予測する能力も欠かすことができない。 並大抵の努力で叶う夢ではなかった。
真 (火曜日, 22 11月 2016 17:47)
今は、平成28年である。 昭和に育ってきた者にとっては、生きづらいときがある。 インセンティブ リノベーション インセンティブ マイノリティー オーガニック オンデマンド コンプライアンス・・・ 普通にカタカナで表現され、テレビでも、知っていて当然のごとく、当たり前のように英語が使われる。 英語が、国際共通語であるなか、また、グローバル化の進展の中で、英語力の向上は日本の将来にとって極めて重要だ。 英語の基礎的・基本的な知識・技能とそれらを活用して主体的に課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力などの育成が、特に重要な時代になった。 日本の英語教育では、特に、コミュニケーション能力の育成についての改善が必要だと言われている。 東京オリンピック・パラリンピックを迎える2020年を見据え、小・中・高等学校を通じた新たな英語教育改革が求められ、事実、小学校から英語の授業が始まっている。 世の中は、変わった。 英語が、話せない者にとってはとても辛い時代になったのだ。 茂子は、「これからは英語の語学力が求められる時代よ!」 と、英語を必死に学んだ。 高校時代、大学時代には、オーストラリアに留学もした。 同時通訳という夢を追い続ける茂子にとって、教師を辞めることは、全く未練のないことだったのである。 茂子の英語は、他の英語教師と比較しても群を抜いていた。 それを自覚する茂子は、自分の能力を、高校生に教える程度のものに埋もれさせたくはないと思っていたのだった。
真 (水曜日, 23 11月 2016 08:49)
茂子に、冷たくあしらわれた英吉は、翌日の朝・・・ 「おはよう!」 『あっ・・・お、おはようございます』 英吉は、校門の前に立って、登校してくる生徒たち全員に挨拶をしていた。 高校に入って、教師に校門で出迎えられるような経験のない生徒たちは、いきなり「なんで?」と、驚く生徒ばかりだった。 「よっ! おはよう! 大河」 『おぉ~ 先生おはよう! どうしたの?』 「見りゃぁ分かんじゃん! 挨拶だよ!」 『あのさ、それは誰でも分かると思うんだよ! だから、今日は、なんでいきなり校門の前に立ってんだ?って、聞いてんだよ!』 「なんだ、そう言うことか・・・ほら、昨日の2組の女の子・・・なんだっけ?」 『えっ? ・・・貴子ちゃん?』 「おぉ~ その貴子ちゃんを待ってんだけど・・・、来ないんだよ」 『なんで貴子ちゃんのこと? ・・・って、そっか! 昨日のこと? 2組の担任のところに行ったんだね? そのことだね!』 「あぁ、そうだ! 昨日のことを貴子ちゃんに伝えておかなきゃと思ってさ・・・」 『そっかぁ・・・で、ずっとここに立ってんの?』 「あぁ・・・」 『なぁ、先生・・・』 「なんだよ、大河・・・」 『ここに立っていても・・・無駄だよ!』 「無駄? なんでだよ?」
真 (水曜日, 23 11月 2016 23:18)
大河は、言った。 『たぶん、あっちだよ!』 「えっ? あっち?」 敷地の南側にある正門の前に立っていた英吉は、大河の視線の方角に振り向いた。 すると、その視線の先には、西門から登校してくる多くの生徒がいた。 「げぇーーーーー! あっちかよ!」 『あぁ・・・たぶん』 「早く言えよなぁ!」 『なぁ、先生・・・』 「なんだよ、大河・・・」 『日本語の使い方・・・間違ってるし』 「はぁ?」 『早く言えよな! って、言われたって、どうにもなんねーだろうよ!』 「・・・確かに」 『で、どうすんだよ? もう、ホームルームの時間になるぜ!』 「そっかぁ・・・朝のうちに話すのは諦めるかぁ・・・っていうかさ・・・なぁ、大河・・・」 『なんだよ、先生・・・』 「お前、どうして貴子ちゃんが、西門から登校してくるって知ってんだよ? お前、昨日まで知らなかった子なんだろう?」 『えっ?・・・そ、そ、それは・・・』
真 (木曜日, 24 11月 2016 23:58)
ちょうどその時、チャイムが鳴った。 それは、あと5分でホームルームの時間になることを告げるチャイムだった。 『やっべ! 遅刻しっちまう!』 と、大河は、その場から逃げ去ろうとした。 だが、そんな大河の詰襟には、英吉の右手がしっかりと。 「おい! 待てや!」 『は、はい・・・』 「説明しろよ!」 『・・・そ、それは・・・』 「早く・・・」 しぶしぶと大河は言った。 『だって・・・、彼女は西中出身だから、・・・登校は西門からだよ』 「西中出身? へぇ~ なんで初めて会った子の出身中学を北雄腹中出身のお前が知ってんだ?」 『えっ?・・・そ、それは・・・・・』 詰襟をつかまれ、うつむく大河を、遅刻寸前に登校してきた生徒たちが、横目で見ながら通っていった。 「そっか・・・白状しねーのか・・・分かったよ!・・・大河・・・部活が楽しみだな!」 『えっ? ぶ、部活? しごく気か? 脅すのかよ?・・・それって、パワハラだぜ! 先生』 「俺の辞書に、パワハラという文字はない!」 『・・・って、先生・・・パワハラの意味を知らねーだけだろう?』 「・・・そうとも言える!」 「とにかく、放してくれよ!先生・・・遅刻しちゃうよ」 『おっ!・・・俺もだ!』 二人は、急いで校舎へと向かった。
真 (金曜日, 25 11月 2016 00:01)
大河が、教室に着くと、すぐにバケラッタが近寄ってきた。 そう、野球部の佐藤博一だ。 「おい、大河! 朝から先生と何ジャレ合ってたんだよ?」 『げっ! 見てたのかよ、バケラッタ・・・まいったよ』 「どうした? 何か、やべーことでも見つかったのかよ?」 と、その時、英吉が教室に入ってきた。 『ち、ちげーから! 後で話すよ!』 教室に入ってきた英吉は、普段と様子が違った。 教壇に立ちながらも、どこか元気がなかったのである。 そんな英吉は、点呼が終えると、いきなりこう言った。 「お前たちに、聞きたいことがある!」 『なんだよ、朝からいきなり! 何が聞きたいんだよ、先生』 「うん?・・・あっ、うん・・・あのさ・・・」 『って、なんだよ! いきなり元気なくなっちったけど・・・どうしたんだよ? 先生・・・』 「・・・おぉ」 英吉は、クラス全員の顔を確認するようにながめ、そしてこう聞いた。 「俺は、頼りねー先生か?」 教室が、ざわついた。 『はぁ??? なんだよそれ』 こういう時は、学級委員長がまとめるものだ。 学級委員長の辻が、立ち上がって言った。 『はい! 頼りないです!』 「えっ?・・・そ、そっかぁ・・・やっぱりそうだよなぁ・・・」 クラスの全員が笑った。 「おい、辻! ちゃんと答えてやれよ! 先生、落ち込んでるぜ!」 『そうだな』と、辻は笑った。
真 (金曜日, 25 11月 2016 00:06)
辻は、クラスの生徒全員の笑顔を確認して、英吉に言った。 (辻)「先生・・・嘘だよ! すげー頼りにしてるよ! ・・・俺たち全員な!」 (英吉)「えっ?・・・本当か?」 (辻)「あぁ、本当だよ!」 英吉は、少しうつむいて、つぶやいた。 「でもなぁ・・・」 (辻)「どうしたの? 先生・・・何か、自信をなくすようなことでもあったの?」 (英吉)「あっ、・・・う、う~ん・・・」 (辻)「先生・・・俺たちで良かったら、聞くぜ!」 他の生徒たちも、口を揃えて言った。 「先生、どうしたんだよ!」 珍しく、しょげた顔で英吉は言った。 「ある先生に言われたんだ・・・偽善者ぶるのはやめろ! ってな」 「先生が、偽善者?」 クラスの全員が笑った。 だが、大河だけは、英吉が言った「ある先生」が、誰なのか察しがついた。 「先生・・・」 「笑うなよ~」と、小声で言った英吉は、話を続けた。 「俺はな、高校時代の恩師に憧れて、教職を目指したんだ。その恩師と出会っていなかったら・・・、俺は中途半端な大人になっていたと思う。」 「俺が、教職になりたい気持ちを友達に相談したときに、言われたんだよ・・・教師なんて、偽善者ばかりじゃねーのかよ? 英吉には似合わねーよ! ってな」 「その時、俺は、友達に言い返したんだ! そんなことねーよ! ちゃんと生徒と向き合ってくれる先生だって、たくさんいるんだ! 俺は、絶対に偽善者と呼ばれるような教師にはならねーから!ってな・・・それなのに・・・」 そう言って、話をやめてしまった英吉に、今度は、誠が席を立って言った。 「なぁ、先生・・・」
真 (金曜日, 25 11月 2016 20:29)
クラスいちの“しこりや”を自負する誠が、真面目に言った。 「なぁ、先生・・・先生を偽善者呼ばわりした人が、誰なのかは知らないけど・・・その人は、偽善者の意味を分からずに言ってるんだよ! ・・・っていうか、大塚先生のことをちゃんと理解していないだけだよ!」 『えっ?・・・』 「先生の中にはさ、俺達に勉強しろ!勉強しろ!って・・・それってさ、自分の教えたことが、生徒のテストの結果として高得点となって現れる・・・それで自己満足したいだけの先生だっているよな! 生徒には、本をたくさん読め!と言っておきながら、自分自身は全く本を読まない先生だって・・・俺たちだって、バカじゃないぜ! それぐらい、話を聞いていれば直ぐに分かるさ! でもさ・・・大塚先生は、いつもそうやって「自分は、教師として教壇に立つ資格があるのか」、「自分のような人間が生徒に道徳観や人生観を語っていいのか」って、悩んだり、ずっと学ぶ姿勢を持ち続けてるじゃん! そんな先生・・・俺たちは、知らないぜ! 大塚先生以外はな!」 『・・・誠』 英吉は、それでも尋ねた。 『いいのか? 俺みたいな教師が担任でも・・・俺は、無名の大学を出て、体育の教師で・・・お前たちに、勉強は教えてやれないし・・・』 「あっ、先生! その勉強の部分は頼りにしてないから大丈夫!」 『はぁ~~?』 「勉強は、塾でやってる! 全員! あっ、違う! 大河を除いて! 先生は、勉強よりも大切なことを、いつも俺たちに教えてくれてるだろう? 先生じゃなかったら、俺たち・・・」 『勉強よりも大切なもの?・・・』 「おい、先生、どうしたんだよ! 先生は、いつも言うじゃん! 仲間を大切にしろ!って。 それから、高校でしか出来ない経験をいっぱいしろ!って。 それに・・・先生は、いつも俺たちのことを一番に考えてくれてるし、絶対に嘘をつかないし・・・分からないことは、分からないとはっきり言うし・・・飾らないし・・・そんな人のどこが偽善者なんだよ! なぁ、みんな!」 誠は、振り返りクラスの仲間達をみた。 全員、笑って「先生! 誠の言うとおりだよーーー!」と 英吉は、少しだけ元気を取り戻した。 それでようやく収まると思った。 だが、誠が、ぽつりとつぶやいたのである。 そのことが引きがねとなって、大騒ぎになるとは夢にも思わずに。 「ただ・・・先生の場合・・・」 『ただ? なんだよ? 言ってくれよ、誠!・・・俺に、どこかダメなところがあるのか?」
真 (土曜日, 26 11月 2016 17:54)
誠は、言った。 「ただ・・・先生の場合・・・」 『なんだよ、・・・ 誠』 「女好きで、スケベなところ・・・早く治せよなぁ!」 全員が 「まったくだ!」と 『そ、それは・・・』 「先生のこと、心配してるから言ってんだよ! くれぐれも女子生徒には手を出すなよなぁ・・・先生が、それで首になったら、俺たち、困るからさ・・・」 『・・・おっ、おぉ』 「先生・・・とにかく、自信を失ったまま、俺たちの担任でいるのだけはやめてくれよ! 俺たちの担任なんだからさ!」 『・・・分かった』 と、三度うなずいて、自分を納得させた英吉だった。 だが、急に何かに気付いたように突然叫んだのだ。 『あぁーーー! 思い出した!』 「今度は、なんだよ~~」 『俺に、隠し事をしている生徒がいるんだ! いま、女好きって言われて思い出した!』 その言葉に、一人だけ両手で顔を覆って 「まったく、誠が、余計なこと言うから・・・」と そう、大河である。
真 (土曜日, 26 11月 2016 22:54)
学級委員長の辻が、席を立ち、 「おい、誰だよ! このクラスにそんな奴がいるのかよ?」 大河が、おもむろに立ち上がった。 「大河なのか? ・・・お前、先生に何隠し事なんかしてんだよ!」 『そ、それは・・・』 辻は、何かを察したかのように 「先生! ちょっとタイム~!」 と、大河のところまで言って、小声で聞いた。 「おい、大河・・・女好きでって、先生言ったけど・・・まさか、あのことをしゃべったのか?」 『しゃべってない!・・・しゃべってないけど・・・』 「けど、なんだよ?」 『先生の前で初めて話した子の出身中学が、どこだって、言っちまったんだよ』 「大河・・・それ、やべーよ!」 もう英吉は、いつもの元気な英吉に戻っていた。 (英吉)「は~い、そこの辻君! 大河君! なに相談してるのかなぁ・・・」 (辻)「あっ、いやっ・・・な、なんでもありません」 そう返事した辻は、もう一度小声で (辻)「おい、大河・・・どうすんだよ!」 (大河)「どうにもなんねーよ!」 (辻)「話すなら、うまくごまかせよな!」 (大河)「・・・お、おぉ」 (英吉)「はいはい! なんか聞こえましたけど・・・うまく、ごまかせとか・・・」 (辻)「いやっ、そ、そんなこと言ってませんけど・・・」 (英吉)「はい! それでは大河君! 正直に話してもらおうかな」 大河は、うつむきながら言った。 (大河)「か、隠し事なんかしてません!」 (英吉)「おや? じゃぁ、言ってごらんよ! どうして話したこともなかった2組の貴子ちゃんの出身中学を知っていたのかな?」 英吉の言葉に、クラス全員が凍りついた。 「それっ・・・やべーよ・・・」
真 (土曜日, 26 11月 2016)
言葉が見つからずに、もじもじしている大河 そんな様子を見て、教室の一番後ろで、清美が誠に小声で言った。 「なぁ、誠・・・」 『なんだよ、清美・・・』 「先生・・・随分と高いところまで、登っちまったみてーだぜ!」 『・・・あぁ』 「スカイツリーより、たけーぜ!」 『・・・あぁ』 「少し、おだて過ぎたんじゃねぇ?」 『あぁ・・・、そうみてーだな』 「もう、間に合わねーよな?」 『あぁ・・・大河も白状するしかねーべ!』 「・・・そうだな」 英吉の催促が飛んだ。 「お~い、大河君! 正直に言ってもらおうか!」 大河が、クラスの仲間達の顔を見渡すと、誰もが「しゃーねよ!」という顔をしていた。 それを確認した大河は、回りくどい説明ではなく、ストレートに白状したのである。 「先生、実は・・・」
真 (月曜日, 28 11月 2016 00:00)
英吉は、大河がしぶしぶと白状した話を黙って聞いていた。 そしてこう言ったのである。 「なんで、・・・なんで俺のこともすえてくれねーんだよ!」 それは、クラスの全員が恐れていたセリフだった。 (大河)『だって・・・』 (英吉)「だってもくそもねーし!」 (大河)『だって・・・先生に話したら・・・』 (英吉)「もちろん、俺もすえてもらうさ!」 (大河)『でしょ! だから、言わなかったっていうか・・・クラスの誰もが反対するし・・・』 英吉が、教室を見渡すと 全員が大きくうなずいていた。 (英吉)「おめーら! ・・・冷てーし」 (全員)「・・・・・」 (英吉)「出せ!」 (全員)「・・・・・」 (英吉)「持ってんだろう? 出せよ! 大河!」 大河は、このままそれを出さなければ、収まりがつかないと思い、しぶしぶと一冊のノートを出した。 英吉は、大河から渡されたノートを広げて言った。 「おぉ~ なるほどぉ~~ えっ? おぉ~・・・なになに? へぇ~~・・・」 (全員)「・・・・・」
真 (月曜日, 28 11月 2016 00:03)
ノートを満面の笑みで眺める英吉。 教室の一番後ろで、清美が誠に小声で言った。 「なぁ、誠・・・」 『なんだよ、清美・・・』 「やっぱり、予想していた通りだったな!」 『・・・あぁ』 「俺もすえろ! って」 『・・・あぁ』 「本当に、俺たちと一緒に先生もやる気なんかな?」 『だんべな』 「だって・・・あれでも一応教師だぜ!」 『しゃーんめ! 女好きなんだから』 「しかし、困った先生だよなぁ・・・女好きで」 『まったくだ! まぁ、独身、彼女いない歴23年だからなぁ・・・』 「そっか・・・でも、これで教師と生徒が! なんてなったら、まじーよな?」 『そりゃぁ、もちろんまじーよ! だから、先生にばれないようにやってきたんだからな! ・・・おぉ~ 想像しただけでも、これからが心配だぜ!』 「そうだよなぁ・・・」 『先生のこともすえっけど・・・、あとは、俺たちが、先生を見張るしかねーべな!」 「・・・そうだな」
真 (月曜日, 28 11月 2016 00:06)
英吉は、相変わらず“にやけ顔”でノートを見ていた。 そんな様子に、誠が清美に尋ねた。 『なぁ、清美・・・ところでいま、バイオレットは、誰だっけ?』 「桃子ちゃん!」 『相変わらずかぁ ・・・じゃぁ、オピニオンは?』 「鈴ちゃん」 『おぉ~ ・・・って、“くん”じゃなくて?』 「“ちゃん”だよ! “くん”は、シュガーだよ!」 『へぇ~ “ちゃん”になったんだ! じゃぁセーラーは?』 「セーラーは・・・貴子ちゃん」 『・・・アニマルは?』 「もちろん!」 『モンキーパンチ!』 「!!!」 『そっかぁ・・・バラエティーに富んだメンバーになってきたなぁ』 「・・・そうだな」
真 (火曜日, 29 11月 2016 01:11)
生徒達をほったらかしで、ノートから視線を外す様子のない英吉に、生徒達は、教室の一番後ろに全員が集まって・・・ (辻)「もう、ばれちまったのはしょうがない! 大河を責める訳にもいかねーからな!」 (全員)「そうだな!」 (大河)「みんな・・・すまねぇ」 (全員)「くらねよ! 大河」 (辻)「大河も、気にするなよ!」 (大河)「ホントにすまねぇ」 (辻)「で! これからが、大切だ!」 (全員)「そうだな!」 (清美)「まさか、辞めるっていうんじゃねーべな?」 (辻)「まさか! みんなだって、続けてーべ?」 (全員)「うん、うん・・・うん、うん」 (誠)「こうなった以上、先生のことも、すえるしかねーよな?」 (辻)「そうだなぁ・・・あれで、すえなかったら・・・ぐれるよな」 全員、振り返り英吉を見て (全員)「・・・うん・・・ぐれるな」 (辻)「しかし困った先生だぜ!」 (全員)「・・・まったくだ」 (清美)「すえたら、みんなで見守るしかねーよな!」 (辻)「・・・そうだな」 (辻)「なぁ、誠・・・」 (誠)「なんだよ、辻・・・」 (辻)「今度、何かあった時には・・・あんまり登らせるなよな!あいつのこと! 調子こむからさ!」 (誠)『あぁ・・・今度は、ちゃんと本当のことを言ってやるよ!』 (全員)「なんて?」 (誠)『俺たちだから、担任が務まってるんだぜ! ってな!』 全員 「・・・それが、いいな」 2年10組、全員の考えが一致した。 ところで・・・、2年10組は、クラス全員で何をしていたのか・・・ 想像はついているかもしれないが、どう想像しようが、それは決して当たらないような事。 男女共学の学校において、不幸にも男子クラスを経験した者でしか分からないことである。 やもすると、昭和の時代の男子クラスもそうだったのか? と、思われては、たまったものではないで・・・ これ以上の書き込みは、控えさせていただくとしよう。 ところで、大河が渡したノートは・・・ 言うまでもなく、英吉に没収されたのだった。
真 (火曜日, 29 11月 2016 18:50)
一方、2組のホームルームは・・・ 最悪の雰囲気だった。 点呼を終えた茂子は、こう言った。 『中神さんは、今日も連絡もなく休んでいますが・・・』 『あなた達には、説明しましたよね! これは中神さん個人の問題だと!』 『私は、言ったはずです! あなた達には、他人のことにおせっかいをやいている時間はないはずだと!』 クラスの誰もが、うつむいて茂子の顔も見ずに聞いていた。 茂子は、それを承知で話を続けた。 『昨日・・・10組担任の大塚先生が、私のところに突然きました』 『そして、中神さんが無断で休んでいることを、私のせいだ! と言ってきました』 八代井が、それに反応した。 「お、大塚先生が、そんなことを言ったんですか?・・・」
管理者 (水曜日, 30 11月 2016 06:30)
サイトが重いので、リレー小説だけ別サイトにしました。 リレー小説別サイト リレー小説 http://shosetu.jimdo.com/
時の過ぎ行くままに(春) (木曜日, 26 4月 2018 21:53)
「全編」って、タグが見つからず、始めから読めません(^_^;)
はる (木曜日, 26 4月 2018 21:59)
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マコト (木曜日, 19 5月 2016 07:32)
妙先生から、ガッちゃんは1週間の入院が必要だと告げられた。
津路は、先生の言うことなら何でも聞くと言った。
津路は、宇都宮に帰るという予定を変更し、毎日見舞いに来ることをガッちゃんに約束した。
「明日も来るから・・・」
『・・・クゥ~』
その様子を妙先生は、微笑ましく眺めていた。
だが、津路にはもう一度厳しく言って聞かせたのである。
『あのね、あなたがしっかりしないと、ガッちゃんは長生きできないんだからね!』
「・・・はい」
『・・・って、ところですっかりガッちゃんって呼ぶようになっちゃったけど・・・それでいいのかしらね?』
「あっ、そうですよね」
『でも、もう今日は休ませてあげてちょうだい! また、別の日によく二人で相談して!』
「・・・はい」
そして津路は、妙先生に
「あのぉ~・・・」
『なに! もうこの際だから、何でも言いなさい!』
「朝まで、駐車場をお借りしても・・・」
『・・・お好きにどうぞ!』
津路は、駐車場の一番はじに車を移動させ、関口動物病院の看板の灯りの下で眠ったのだった。
翌朝、診察開始の時間を待って、ガッちゃんの元へ飛んでいく津路
探偵として、他にやることがあるだろうよ! と、言いたいところであるが、津路は、ガッちゃんのこと以外は、何も考えようともしなかった。
津路は、その日も駐車場を借りて眠った。
二日目の夜からは、ガッちゃんの名前を考え始めていた。
可愛い女の子の名前となれば、普通なら・・・
ショコラ、プリン、クッキー、チロル、イチゴといった、名前を考えそうなものだ。
(誰かに影響されたかのように、何故か食べ物に関連する名前ばかり?)
だが、津路に限っては、彼女の名前に、苗字を付けて考えたのだ。だから、
津路ショコラ・・・津路プリン・・・それは、あり得ないのだ。
何故に、苗字を付けようとしたのかは分からないが、それが津路なのだ。
津路・・・梅子
津路・・・千里
津路・・・八千代
津路・・・オマツ?
「う~ん・・・どうもしっくりこない名前だなぁ」
「なんか、短くてインパクトのある名前がいいんだけどなぁ・・・」
そう、ここまで来た時点で、愛読者のあなたであれば、この次に津路が思い浮かべる名前が容易に想像できるであろう。
さぁ!
そして、ガッちゃんは、その名前を喜んで受け入れてくれるのだろうか・・・
マコト (金曜日, 20 5月 2016 12:13)
津路は、二つの名前を思い浮かべていた。
一つは、結衣!
何故か、女の子の名前で一番可愛いのは“結衣”だと思っている津路であった。
「ゆい~」
「うん! これは、気に入ってもらえそうだな!」
そしてもう一つは、モン!
これは実に語呂がいい。 津路モン!
うん!五右衛門のようだ!
ただ・・・さすがに、これはガッちゃんも嫌がるかもしれないと覚悟はしていた。
そんなふうに、新しい名前まで考えて見舞いに行ったのに・・・
それは、ガッちゃんが入院して三日目のこと
津路がいつものように受付に行くと、事務員さんが、
『先生からお話がありますので、ちょっとお待ちください』
「えっ? ガッちゃんに何かあったんですか?」
『・・・すみません、そこでお待ちください』
と、待合所を指した。
「ガッちゃん・・・」
それからの待ち時間は、津路にとって地獄のような時間だった。
受付の人が動くたびに「自分ですか?」と、覗き込み・・・
ようやく、津路の名前が呼ばれた。
診察室に入ると、妙先生から見せられたものに、津路は愕然とするのであった。
「えっ?・・・」
マコト (金曜日, 20 5月 2016 12:17)
津路が診察室に入ると、ガッちゃんが妙先生のひざの上で『ワン!』と、尾をふって出迎えてくれた。
「ガッちゃん!」
ほっとすると同時に、津路はガッツの体に見慣れないものを見つけた。
「あれっ?」
『どうぞ、お座りください』
「あっ、はい・・・先生・・・それは?」
『あぁ、これ? 首輪よ! 見て!』
と、首輪の背中の部分が見えるようにすると、そこには
“ガッツ”と、名前が書かれてあった。
「えっ? ・・・ガ、ガッツですか?・・・先生、今日はガッツの・・・あっ、ガッちゃんの・・・いやっ、そのぉ・・・名前を考えてきたんですけど・・・」
『あぁ、そのこと? それならもう必要ないわよ!』
「はぁ?」
『だって、私とガッツで相談して決めたから! この子がガッツのままがいい! ってね』
「・・・そ、そうなんですか・・・」
妙先生が言うには、明らかにガッツと呼ばれたときに、嬉しそうに応えてくれたのだそうだ。
だから、『あなたは、津路さんが名付けたように、やっぱりガッツのままがいいのよね』
と、さっそく首輪をこしらえ、そして、そこに名前を付けてくれたのだった。
『この裏には、関口動物病院の名前も書いてあるから! ガッツが万が一にも迷子になってしまった時のためにね!』
と、妙先生は少しいたずらな顔で津路に言った。
「あっ、そ、それは・・・どうも・・・ありがとうございます」
そして妙先生は、
『今日、連れて帰っていいわよ! この子の生命力には驚いたわ。もう元気になったから、退院していいわよ』
「えっ、本当ですか? ありがとうございます」
『津路さん! くれぐれも! 分かっているわね!』
「はい! ずっと相棒でいてほしいので、しっかり約束事は守って! ですよね」
妙先生が、ガッツに向かって
『行きなさい』
と、ガッツは『ワン!』
と、その様子は妙先生に“ありがとう”と、言っているようだった。
ガッツは、妙先生のひざから飛び降り、津路のひざの上にジャンプし、喜びを体いっぱいで表現した。
妙先生に、深々と頭をさげ、礼を言って診察室を出てきた津路は、受付に行って保険証を事務員に提示したのだ。
『これは?』
「あっ、退院していいと言われたので、お会計を」
『で、この保険証は???』
事務員に、呆れた顔で、あなたの保険証を出されてもと言われたのは、容易に想像がつくであろう。
そして
「こ、こ、こんなにかかるのかよぉ・・・」
と、初めて動物病院の治療費がバカ高いことを知らされた津路だった。
ちなみではあるが・・・
ズボラな津路は、領収書の明細書に目を通そうとはしなかったが、そこには、しっかりと“首輪代30,000円”と書かれてあったのだった。
マコト (金曜日, 20 5月 2016 12:19)
病院を出た津路は、助手席に乗って嬉しそうにしているガッツに
「宇都宮に一度戻るからね」と
車を走らせていると、ガッツが津路に『ワン!・・・クゥ~』と
それは、ガッツのトイレのサインであった。
その時の津路には、そのタイミングでのリクエストが、運命に導かれたものであろうとは、知る由もなかった。
「そっか、ちょっと待ってな」
と、ようやく車を停められそうな場所を見つけて停車させた。
そして津路は、申し訳なさそうに、
「ごめんなぁ・・・先生との約束事なんだよ」
と、慣れない“リード”を首輪につけ、車を降りた。
用を済ませたガッツに
「少し、散歩するか?」、『ワン!』と
ぎこちない二人の散歩であったが、ようやく様になってきたころ、ガッツが、
「くん、くん・・・くん、くん」と、辺りの匂いをかぎだした。
そう、それは理が運ばれた病院での様子と、全く同じ光景であった。
「どうした? ガッツ」
ガッツは、明らかに匂いを追うように、ぐいぐいと津路の持つリードを引っ張って、進んでいった。
そして、その行先は、旧家の農家風の家に向かっていた。
「おい、ガッツ! そこからは、人の敷地だから行けないよ!」
『ワン! ワン! ワン!』
ガッツが、何かを訴えるかのように吠えたのであった。
マコト (金曜日, 20 5月 2016 12:21)
そこは、農村地帯ののどかなところだった。
農家風の家が点在し、見渡す限り水田が広がっていた。
「ガッツ、どうした? この家に何かあるのか?」
と、そんな二人の様子に気付いたのか、家の中から一人の男が出てきて、こっちに向かって歩いてきた。
近づいてくるその男を見て
「・・・えっ?」
津路は写真でしか見たことがなかったが、それは、まぎれもなく理だった。
理に違いないと思ったのである。
それは、ガッツの様子でも、理であるという裏付けになっていた。
「理君じゃないのか?」
ガッツは、リードを引っ張って行きたがっていたが、一瞬、津路の手が緩んだことで、リードが離されガッツはその男に向かって走っていった。
「あっ!・・・」
その男の前に行って『ワン!ワン!』と、嬉しさを現しているガッツ
だが、その男は、ガッツに触れることもなく
『どちら様ですか?』と
「あっ、あのぉ・・・」津路は一瞬、「理は記憶を・・・」と、考えたが、ストレートに体当たりすることを選択したのだ。
「自分は、津路と申します・・・大変、ぶしつけなことをお尋ねしますが、有栖川 理さんでいらっしゃいますよね?」
『はっ? 有栖川?・・・い、いえ・・・違います』
と、その男は津路から視線を外した。
「えっ・・・違いますか?」
その男は、津路に背を向けて、家に戻ろうと歩き出した。
ガッツは、それを追った。
マコト (金曜日, 20 5月 2016 12:23)
ようやく、状況を冷静に判断できるようになっていた津路が
「ガッツ! 戻っておいで!」
津路に呼ばれたガッツは『クゥ~』と、寂しそうな顔をして止まった。
そう、
ガッツは、自分を救ってくれた恩人の匂いを忘れることはなかったのである。
散歩をしているうちに、理の匂いに気付き、匂いが強い方へ進んできていたのであった。
そして、自分を救ってくれた恩人と再会できたはずだったのに・・・
でも、その男はガッツに触れることもなく去って行ってしまった。
そして、津路は、その男を呼び止めることは出来なかったのである。
ガッツは、動かないままその男の背中をずっと見ていた。
おそらくは、寂しさに耐えられなかったのであろう、『ワン! ワン! ワン!』
と、その男を呼び続けていた。
「ガッツ・・・」
津路は、ガッツに近寄り、そして抱き上げた。
「ガッツ・・・理君だと思ったのか?」
「いや、きっと理君なんだろうな、ガッツがここまで匂いをたどってきたんだもんな」
『・・・クゥ』
ガッツの表情は、とても悲しそうに見えた。
「ガッツ・・・よく分からないけど・・・きっと何か事情があるんだよ!・・・きっとな」
と、ガッツを強く抱きしめた。
津路は、理が運ばれた病院のドクターの話を思い出していた。
「全ての記憶を失っているだろうって、ドクターが言っていたよなぁ・・・」
「でも、もう少し話だけでも聞いてくれても良さそうなのに・・・」
「ガッツは、誰にでも愛想をふりまく訳じゃないし、おそらくはガッツの匂いの記憶は正しいはずなんだ・・・だから・・・」
と、その時だった。
「すみません・・・」
と、津路に話しかけてきた者がいた。
マコト (金曜日, 20 5月 2016 17:36)
それは、理と思われる男が戻った家から出てきた高齢のご婦人だった。
その歩みは、高齢であるがゆえの、ゆっくりと、右手に持つ杖の支えを借りての歩行だった。
『すみません・・・』
と、その婦人が津路に声をかけてきたのである。
「あっ、はい・・・」
『さきほど、うちの優(マサル)と、何かお話をされていたようですけど・・・』
「優さんと? あっ、はい」
『うちの優をご存じなのですか?』
「優さんというお名前だったんですね・・・いやっ、実は、私の探している人にそっくりだったものですから、お声掛けさせていただいたのですが・・・私の探している人は、理という名前なので他人の空似だったようです」
と、そのご婦人は、近くの土手に腰をおろして、何か考え事をしているようだった。
しばらくして
『理さんというんですか? あなたのお探しになられているお方は』
「はい・・・有栖川 理、年齢は44歳です」
『それで、どういったいきさつでお探しに?』
津路は、とっさに自分が探偵であることを隠した。
「自分の弟なのですが、群馬県の山中に車を乗り捨て、その後の足取りは、長野の病院で一日だけ入院していたことまでは、つきとめたのですが・・・その病院を抜け出してしまったようで・・・もしかすると、何かの事情で記憶を失っているかもしれないんです」
お婆さんは、もう途中から涙を浮かべて、津路の話を聞いていた。
『・・・そうでしたか』
津路は、お婆さんのそんな様子を見て、おそらくは何か事情があるのだろうと、直感した。
津路は、そのお婆さんの横に腰をおろして、柔らかい口調で話を始めた。
「私は、栃木に住んでいるんです。 あっ、この子はガッツといいまして、さっきお話しした弟が車を乗り捨てた場所で、出会った子犬なんです」
「てっきり、男の子だと思って、ガッツと名付けたんですけど・・・実は、女の子でして・・・でも、なんか気に入ってくれているみたいなので、そのままガッツと」
お婆さんは、津路の話をゆっくりとうなずきながら聞いてくれた。
「ガッツとは、運命的な出会いなのかなぁ・・・なんて思いながら、いま、一緒に弟探しの旅をしているところなんです」
「きっと、群馬の山中で、弟は事故に巻き込まれたか何かで、記憶を・・・」
「もしかすると、ガッツは、その時のことを見ていたのかもしれないんです」
「ここまで来たのも、このガッツが匂いを追って・・・群馬の山中で弟とガッツの間に何かあったのかもしれないなんて、勝手に思っているんですけど」
「弟の理は・・・今は、どこで何をしているのかも分からないのですが・・・もし、何かに苦しんでいるようなら、そこから救い出してあげたいなと思って・・・うん、弟を待っていてくれる人もたくさんいるものですから・・・」
津路は、栞や栞の父親の顔を思い浮かべ、自分に言い聞かせるようにお婆さんに話した。
お婆さんは、目を閉じていた。
それでも、抑えることができない涙が、お婆さんのほほを濡らしていた。
マコト (金曜日, 20 5月 2016 17:38)
津路は、悩んでいた。
「さっきの男は理に間違いないはずだ! そうでなかったら、ガッツがここまで来るはずがないし、何より、ガッツがあんなふうに、喜びを表現するはずがない」
それでも、お婆さんの涙に気付いていた津路は、
「いま、このお婆さんを問い詰めれば、何かを白状してくれるかもしれない! でも・・・」
「お婆さんの様子をみると・・・何か話したくない事情があるかもしれない・・・」
悩んだ津路であったが、お婆さんが自ら話してくれるのを待つことを選んだ。
ようやく、お婆さんが口を開いた。
『おたくさんは、有栖川さんといいましたかね?』
「あっ、私は津路です。津路俊成といいます」
『あれぇ、ご兄弟で苗字が違うのですか?・・・』
津路は、「あっ、そうだった」と、慌てずに
「あっ、自分は結婚して苗字が変わりまして・・・で、今は津路です」と
『津路さん・・・あなたがお探しの理さんとやらは、どんな暮らしをしていたのですか?』
「え~、それが・・・」
と、理がどんな男であったのか、津路が知る全てを話した。
栞と新婚であったこと。
その栞が、ずっと理の帰りを待っていること。
会社の社長をしていて、従業員たちからの信頼もあつく、誠実な男であったこと。
そして・・・
高校時代に野球でケガをして、左の太ももに、傷があること。
頭にハゲがあること。
と、理の身体的な目印となることも話した。
それを聞かされたお婆さんは、おそらくは、優が理であると確信したのであろう。
意を決したように
『津路さん・・・』
と、話をしようとした。が、その時だった。
5歳ぐらいの女の子が、2歳ぐらいの男の子の手を引いて、お婆さんのところに来たのである。
そして、お姉ちゃんが
『ばっちゃん、ばっちゃん、おかあちゃんが・・・おかあちゃんが』
と、泣きながら何かを訴えてきた。
お婆さんは、
『どうしたぁ、また苦しそうにしているのかい?』
と、慌てる様子もなく、お姉ちゃんを抱きかかえたのである。
津路は
「どうされましたか・・・」
お婆さんは、ゆっくりと話した。
『家で、この子達の母親が・・・ちょっと体を患っていましてねぇ・・・』
「行ってあげないと!」
『あぁ、そうだねぇ・・・でも、行っても何もしてあげられないんですよ』
「えっ?・・・」
そして、お婆さんは津路にこう言い残して帰っていったのだった。
『津路さん・・・少し、お時間をもらえますかねぇ・・・また、2、3日たったら来てください・・・その時にお話しをさせていただきますから』と
津路は、二人の孫と一緒に帰るお婆さんの後姿を見送ったのだった。
マコト (土曜日, 21 5月 2016 09:11)
お婆さんが、家に入るのを見届けた津路は、
「ガッツ・・・行こう」と、ガッツを抱き上げた。
『クゥ・・・』と、寂しそうに津路を見つめるガッツに
「ガッツの気持ちは分かっているよ。また、ここに来るから・・・」
と、リードを持ち直して、ガッツを降ろしたのだが、ガッツは動こうとはしなかったのである。
「ガッツ・・・何か、事情があるんだって・・・きっと、お前のことも思い出してくれるさ、なぁ、だから・・・」
それでも、ガッツは動こうとはしなかった。
仕方なく、またガッツを抱きかかえた津路だった。
帰り道、抱きかかえられたガッツは、理であろう男が入った家をずっと見つめていた。
歩きながら、津路は、これからのことを考えていた。
「お婆さん・・・2、3日たったらって言ってたなぁ・・・」
「とにかく、お婆さんを問い詰めることだけはしないようにしよう!」
と、心に強く思った津路だった。
車に戻った津路は、
「さて、これからどうしよう・・・」
と、お腹がすいていることに気付いた。
「ガッツも、ご飯だよなぁ」
と、関口動物病院で半ば強制的に買わされたドッグフードを取り出し
「ガッツ・・・、今日からは、これがご飯だよ!」
と、車の後部座席にドッグフードを用意した。
「なんか、豆粒みたいなこれがご飯かよ~・・・ガッツ、食べてくれるのかな?」
と、そんな心配は無用だった。
それは、既に関口動物病院で対面していたものであったのだから。
「おぉ~ 美味そうに食べてくれた! 良かった」
「さて、自分はどうしようかな?」
と、ガッツが食事を終えたことを見届けて、車を走らせた。
走り出してすぐだった。
田園地帯の外れに、外見は褒められたものではないが、何故か旨そうな料理を出してくれそうな定食屋さんを見つけた。
「おっ、ここでいいや!」
と、ガッツを車に待たせ、定食屋に入った。
「いらっしゃい!」
高齢の店主と、おそらくは夫婦であろう奥さんらしき人が迎えてくれた。
マコト (土曜日, 21 5月 2016 09:12)
津路は、壁に貼られたメニューに目をやり、
「なにか、おすすめのメニューは、ありますか?」
出てきたご婦人が、
『そうだねぇ、“おしぼりうどん”なんかどうですか?』
「“おしぼりうどん”? って、どんなお料理なんですか?」
『辛味大根のしぼり汁に信州味噌を溶かして食べるんですよ』
「そ、そうですか、ではそれをお願いします」
『“おしぼりうどん”ひとつ』
と、店主に注文を告げると、ご婦人との何気ない会話になった。
『どこから、いらしたんですか?こんな田舎町に』
「栃木です」
『あれぇ~、随分と遠くから・・・いや、てっきり・・・』
もう、すでに津路は分かっていたが、あえて
「てっきり? もしかして、中国人にでも見えましたか?」
半分は「違いますよ!」の返事を期待はしていたが・・・
『はいぃ~ ほら何ていいましたかねぇ・・・昔の中国の偉い方で・・・』
津路は、もうこの際だからと
「毛沢東ですか?」
『あぁ、そんなお名前でしたかねぇ・・・そっくりだなと思いましてね』
『いやぁ、昔の偉い方に似てるんですから、お幸せですねぇ・・・』
「・・・そ、それは、どうも」
なんとも返事に困る会話であったが、“つかみ”は、OKだった。
だが、このご婦人との会話が、この後思いもよらぬ方向にいってしまうのである。
マコト (土曜日, 21 5月 2016 09:13)
津路は、職業がら、いつものように
「実は、この人を探していましてね・・・この長野にいるのではないかと思って、探しに来ているんですけど」
と、理の写真をご婦人に見せた。
ご婦人は『どれ、どれ・・・』
と、写真を見た。
すると、その瞬間に明らかに表情を変えたのである。
その様子を見た津路は、
「なるほど、近くの定食屋さんだし、優君とやらは、ここにも来ているんだな」
と、津路は、さほど驚きはしなかった。
だが、ご婦人は、
『こんな人は知らないね! どんな関係の方か知らんけど、うどん食べたら、さっさと帰っておくれ!』
と、さっきまでの和やかな雰囲気が一変してしまったのである。
津路には、明らかにご婦人が動揺しているように見えた。
だが、津路は、慌てなかった。
探偵業の津路には、何度も出くわす光景だからだ。
「あれれ、そうでしたか」
「いやぁ、しかし長野は空気が美味しいところですよね。緑も綺麗で・・・みなさん、親切な人ばかりで、自分も、住みたいなぁなんて思っちゃいましたよ」
と、するりとかわしたのであった。
“おしぼりうどん”が運ばれてきて、津路はそれを頬張った。
「うんめぇ~! いやぁ、美味しいです!」
と、さっきまでの雰囲気を取り戻そうと試みた津路であったが、ご婦人も、店主も会話をしてくれようとはしなかった。
津路は、そんな時は決して粘ったりはしないのである。
「ご馳走様でした。すごい美味しかったです。また、食べに来たいです」
ごく普通の会話を交わして、津路は店を出た。
そして・・・
「なるほどなぁ・・・これは、何か相当な理由がありそうだな」
と、探偵として培ってきた経験から直感を働かせた津路だった。
マコト (土曜日, 21 5月 2016 23:15)
津路が車に戻ると、ガッツが嬉しそうに迎えてくれた。
だが、すぐに『くん、くん・・・くん、くん』
と、津路の匂いを嗅ぎまわるガッツ。
「な、なんだよ~~」
『ワン! ワン!』
それは、『おめ~だけ、旨いモン食ってきたな!』
という、ガッツの訴えだった。
それに気づいた津路は、
「だって、妙先生がダメだって言ったんだよ! 恨むなら妙先生を恨んでくれよな!」
と、まったくお門違いな言い訳をする津路だった。
ガッツは、首をかしげて
『・・・クゥ~』
車を走らせながら、津路はガッツにさっきの出来事を報告した。
津路の言葉を全て理解できるはずもないガッツではあるが、津路の言い回しや、声のトーンで、ガッツには津路の思いが通じているようだった。
「なぁ、ガッツ・・・」
「いまの定食屋さんで、理君の写真を見てもらったんだよ」
『ワン!』
理という単語には、必ず反応するガッツだった。
「それでな、その店の人が、何かを隠しているようなんだよ」
「さっきのお婆さんといい、定食屋さんのご婦人もそうだけど・・・なにか、事情がありそうなんだ」
「これは、あくまでも推測だぞ! まぁ、探偵としての推理にすぎないんだけど」
「理君は、病院を抜け出し、この地まで来たんだと思う。そして、何かの事情で、さっきの家に住むようになって・・・」
「探されると困る何かの事情があるんだと思う・・・そうでなかったら、あそこまで俺を邪魔者扱いしないと思うんだ」
「何が、あるんだろうなぁ・・・」
『・・・クゥ~』
「そうだよなぁ、ガッツだって知りたいよな」
「それと、5歳くらいの女の子と、ちっちゃな男の子もいたけど・・・お母さんが病にふせているような話だったし・・・あの子たちの父親はどうしたんだろうな」
「ひとつ、どうしても理解できないのが、優君と言ったけど・・・彼が、理君だとしたら、いや、理君なんだろうけど、どうして、自分の昔のことを知っているかもしれいという人が訪れてくれたのに、それを避けようとしたんだろうな・・・それが、どうしても理解できないんだよ」
『・・・クゥ~』
車は、交差点の赤信号に止められた。津路は、ガッツに視線をやり
「ガッツ・・・お前も嬉しかったんだよな! きっと、お前を助けてくれたんだろう? あの山中で、理君が」
『ワン!』
「さっきは寂しかったな、ガッツ・・・でもな、ガッツ・・・理君はお前を嫌いになった訳じゃないんだからな、それだけは、信じてやってくれよ・・・ガッツ」
『ワン!』
「理君・・・記憶を取り戻すようなことは、ないのかなぁ・・・栞さんが待っているんだよ、ずっと」
「理君だって、栞さんのところに戻りたいはずなんだけど・・・」
「なんか、悲しいなぁ・・・ガッツ」
『・・・クゥ~』
マコト (日曜日, 22 5月 2016 21:33)
津路とガッツは、その日も車中泊
シートを倒して眠る津路の右手には、理の写真が持たれたままだった。
ガッツは、助手席で見守るかのように、そんな津路をじっと見ていた。
『・・・クゥ~』
と、その様は、理への思いよりも、津路を案じているかのようにみえた。
次の日・・・
津路は、理の家の見える場所に車を停めて、様子を伺っていた。
すると、草刈り機を背負った理が出てきた。
辺りは、一面に水田が広がっていた。
水をたっぷりと蓄えた水田には、苗が植えられ、緑が鮮やかだった。
ずっと草刈りの作業を続ける理
「ずいぶんと、たくさんの水田があるんだなぁ・・・この辺り、全部がそうなのか?」
と、思われるぐらいに、理はほとんどの水田の草を刈っていった。
しばらくすると、遠くから、ひとりの老婆が風呂敷を持って理に近づいていった。
老婆は、理に深々と頭をさげ、風呂敷を土手にひろげた。
どうやら、それが、10時のお茶のようであった。
「ふ~ん、ご近所さんが、お茶を用意してくれているのかぁ・・・」
わずかばかりの休憩をとって、理は老婆に頭をさげ、そして、また草刈り作業を始めた。
お昼の時間が近づくと、今度は、別の家から、また老婆が理に近づいていった。
同じように、風呂敷をもって。
そう、それは理の昼食であった。
「もしかすると、理君は、ご近所さんの草刈りをみんな引き受けているのかもしれないなぁ・・・だから、お茶やお昼まで・・・」
津路が、一日、村の様子を見て感じたのは、若い者を一切見かけなかったことだった。
「もう、ここは限界集落なんだろうなぁ・・・」
「えっ? もしかして、理君は、そんな村人達のために・・・」
何故か、そんな気がした津路だった。
理に差し入れを持ってきたのは、全てが高齢の方ばかりで、理も申し訳なさそうに、それをいただき、そんな光景を3度も目にしたのだから、津路がそう思うのも不思議ではなかった。
「ガッツ・・・理君、あんなに働いているんだなぁ・・・」
『ワン!』
「でもさぁ・・・えっ?・・・嘘だろう」
その時、突然に・・・
津路の思考の中に、理に対する“ある疑念”が湧いたのであった。
マコト (月曜日, 23 5月 2016 00:24)
津路は、車を走らせその日の車中泊の場所へと向かった。
いつもなら、自分に話しかけてくれる津路が、黙って運転しているのが、納得できなかったガッツは『ワン!』
と、ひとつ、津路を呼んだのである。
「あっ・・・ごめん、ガッツ」
「ちょっと考え事をしていたから・・・」
それでもガッツは再び
『ワン!』と、あたかも『なに、ぼーっとしているんだよ! 運転大丈夫かい?』
と、津路を心配しているかのようであった。
「ごめん、ごめん・・・」
それでも、その日の津路は、ガッツに話しかけることはしなかった。
なぜなら、その時に考えていたことが、あまり良い話ではなかったからだ。
津路が抱いた理に対する疑念とは・・・
「理君は、もしかしたら、記憶を失っていないのかもしれない」
「社会の重圧からの逃避、あるいは何かの事情で、今の生活を投げ捨て・・・ここに逃げてきたのかもしれない」
「ただ・・・長野の病院で聞いた体に打撲と頭を強く打っていたというドクターの話を信じれば、群馬の山中で事故にあったことには、間違いないだろう」
「だとしたら・・・、」
「一度失った記憶を取り戻しているのかもしれない」
「もし、記憶を失ったままだとするならば、自分を知っているかもしれない人間には、もっと話を聞きたがるはず」
ただ、津路の理に対する疑念は、あくまでもひとつの仮定にすぎなかった。
津路が、ひとりの人間として素晴らしいところは、決して自分が考えたことが絶対に正しいのだ! とは、しないところだった。
その考えは、相手を疑ってのことなのだから。
それは、探偵という職業がら、様々な想定をするということに近いのかもしれないが、津路は、人を信じるところから始まり、悪いところには、必ず何かの理由があるからだと、そういう考え方をする人間だった。
『・・・クゥ~』
と、ガッツが甘えようとしたが、その日の津路の頭の中は、理のことで一杯であったのである。
その日の車中泊に適した場所をみつけた津路は、ひとつの決心をして、眠りについたのだった。
マコト (月曜日, 23 5月 2016 22:18)
翌日・・・
津路は、一昨日に行った定食屋さんに向かった。
開店前の忙しい時間であったが、お客様がいないところでと思った津路は、つき帰されるのを覚悟で店に入った。
「こんにちは」
予想はしていたが、それ以上に冷たく「もう来ないでおくれと言ったはずだけど」と、あしらわれた。
「す、すみません」
「どうしても、今日、お話ししたいことがありまして・・・」
だが、奥さんは「帰っておくれ! あんたにお話しすることは何もないよ!」、店主も奥で「帰ってもらえ」と、息巻いていた。
それでも津路は
「話を聞いていただければ、すぐに帰ります。少しの時間でいいので、どうしても聞いてもらいたいです・・・そうでないと・・・」
津路が、丁寧にお願いしたことで、
『こっちは、開店前で忙しい時間なんだ、分かったから手短にしてくれ!』
と、津路の前に立った店主が、「座れ」と椅子を指して言ってくれた。
「・・・本当に、すみません」
そこからは、自分が探偵であり、理の帰りを信じて待っている人のために、なんとか理を探し出してあげたいと。
そして、夕べ考えた理に対する疑念と、自分の思いを語った。
そこまでは、店主は、ただ黙って津路の話を聞いていた。
だが、もうすでに優と行き会っていること、そして、母親が、今日にでも何かを話してくれることになっているのだと、話をした途端に態度を一変させた。
店主は
『おい、探偵さんとやらよ! いま、なんて言った? オツネさん(優の母親)が? えっ? なに? 話すと約束したのか?』
「・・・はい」
店主は、考え込み、そしてこう言った。
『探偵さんよ、あんたは、人探しさえ出来れば、それでいいんだろうけど・・・んじゃ、なんで、ここに来たんだい? オツネさんから直接聞けばいいだろうよ!』
すると、調理場で店主と津路の話を聞いていた店主の奥さんが、出刃包丁を持って店の入り口に立ったのである。
『あんた、何言ってんだい! この人をオツネさんのところには行かせやしないよ!』
と、息を荒くして叫んだ。
店主も叫んだ。
『おい!何やってんだ、やめろ!!!』
マコト (火曜日, 24 5月 2016 12:08)
探偵をやっていれば、常に身の危険と隣り合わせの津路
こんな場面には、幸か不幸か慣れていたのである。
だから、慌てることなく、奥さんにこう言った。
「奥さん、聞いてください・・・私は、優さんを、いやっ理君を連れて帰ることが目的じゃないんです」
『何、適当なことを言ってんだい! そんなの信じられないね!』
「落ち着いて、聞いてください。私は、優さんが理君だと確信しています。ただ・・・、たとえ優さんが理君だったとしても、一番大切にしたいのは、優さんの気持ちなんです」
「私は、これまでの理君の生き様を彼に伝えて、それでも、優さんがこの地での生活を望むのだとすれば、私は、黙って帰ります」
店主が言った。
『探偵さんよ! それを信じろって言われたって無理だなぁ・・・あんたらには“成功報酬”ってものがあるんだろう?』
「ご主人・・・詳しいですね」
「そうですね、理君を探し出して連れて帰るのが、私の仕事です」
「連れて帰ることで成功報酬は生まれます」
「ただ・・・実は、昨日一日中、優さんの様子を見させていただいたんです。草刈り作業をする優さんのところに、ご近所のご婦人がお茶や昼食を・・・それを嬉しそうにいただく優さんの様子を」
「それに、奥さんだって、優さんを守ろうと出刃包丁まで持ち出して・・・」
「きっと、相当な事情があるんだと思います」
「オツネさんが、何を語るのかは分かりません。自分の前で、泣いていましたから・・・」
「オツネさんが、理君ではないというなら・・・それはそれで」
「もし、理君だと言ってくれたとしても、いま置かれた状況を説明してくれるなら・・・どうなるかは、分かりません。分かりませんが、私は、真実が知りたいんです」
「真実を知ったうえで、どうするかは考えたいと思いますけど・・・だから、オツネさんの話を聞く前に、自分で確かめておきたいんです」
「そして、優さんが今の生活を続けたいというなら・・・」
「ただ、これだけは理解してください。 優さんが・・・いやっ、理君がもし、記憶を失ったままで、帰りたいと、昔の自分を取り戻したいと願っているのだとするならば・・・理君には、その帰りをひたすら信じて待ち続けている奥さんがいるんです」
「もし、自分がそんな境遇になってしまったとしたら・・・そう考えると、彼に、優さんに伝えてあげるのが、自分だけに出来る務めだと思っているんです」
「もし、ご主人に息子さんがいらして、その息子さんが何かの事故に巻き込まれ・・・帰ってこなくなってしまい、ただひたすら待ち続けているんだと、そう想像してみてください。私は、願わくば誰もが幸せに暮らして欲しいと思っています」
「成功報酬? そんなもの、私には関係ありません」
「いま、店の外で・・・私の車の中にガッツという子犬が乗っています。ガッツは、おそらくは理君に命を救われたんだと思います。ガッツも理君に会いたがっていて・・・それで、ずっと一緒に旅をしているんです・・・今は、もう自分の娘のようになってくれましたけど」
と、照れ臭そうに、ガッツを案じるかのように窓の外を眺めた。
そして・・・
「う~ん、理解してもらえないかもしれないですけど・・・そんな馬鹿な探偵も世の中にはいるんですよ・・・だから、いつも貧乏探偵なんですけどね」
そう言って、津路は笑った。
さっきまで、すごい剣幕で立っていた奥さんも、ようやく出刃包丁を降ろしていた。
店主は、目を閉じて考え込み、
『探偵さんよ! あんたを信じるよ! あんたのその目は嘘をついていないってな!』
そして・・・
店主の知ること全てを語ってくれたのである。
マコト (火曜日, 24 5月 2016 18:07)
『探偵さんよ・・・』
「あ、あのぉ・・・津路といいます」
『おぉ、津路さん・・・』
店主が、ひとつひとつ丁寧に思い出すように語りだした。
『あれは、寒い日でなぁ・・・、彼がこの村にやってきたのは、そして、この店に立ち寄ったのはな』
『何も持たずに、ただ、歩いてきたんだろうなぁ・・・お腹が空いていたようで、店の前でずっと立っていたんじゃよ』
『声をかけてあげようと、店の外に出たんじゃが、いやぁ、その時は驚いてなぁ・・・この村に住んでいた男が、1年前に事故で亡くなったんじゃが、歳も背格好もそっくりでなぁ・・・本当に生まれ変わりかと思うほど、似ていたんじゃよ』
『そう、店の前に立っていたのが、あんたが会った優君じゃよ!』
『声をかけると、小さな声で「いまは、お金が無いんですけど・・・」と、言うんで、理由も聞かずに振舞ってやったんじゃが・・・』
『食事を終えると、自分から話を始めてなぁ・・・自分が誰なのか、名前も分からないって・・・長野の病院を抜け出してきたと言ってたなぁ』
『自分が誰なのかも分からないくせに、何故か、自分を待っていてくれる人がいるような気がするんだと・・・だから、居ても立っても居られなくて病院を抜け出して、あてもなく歩いてここまで来たんだそうだ』
『まぁ、記憶のどこかに、きっとあんたが言っていたその男の奥さんのことが、あったのかもしれんなぁ・・・』
『それで、これからどうするんだい?と尋ねたんじゃが、やはりあてもないってな』
『そんな男をほっておけんだろう?・・・とにかく、一度、病院に戻るように言ったんじゃよ』
『だけどなぁ、自分は直ぐにでも待ってくれている人のところに行かなきゃならないって・・・どこで、誰が待っていてくれるのかも分からんのになぁ・・・』
『その時は、とにかく病院に戻るように引き留めていたんじゃ』
『それでなぁ・・・、神様のおぼしめしとでも言うんだか、ちょうどその時にオツネさんが、孫二人を連れて食事に来たんじゃよ』
『さっき、この村に住んでいた男が、1年前に事故で亡くなったと言ったが、そうじゃ、その男が、オツネさんのひとり息子じゃよ』
『飲酒運転の男にはねられてなぁ』
『その事故で亡くなった男の名が・・・優じゃ』
『名前の通り、気の優しい男でなぁ・・・村人みんなが優をあてにして・・・田んぼの草刈りまで、優がやってくれていたんじゃよ』
すると、堪えきれなくなったのであろうか、店主は涙をふいて、
『そしたらなぁ、オツネさんの孫の5歳になるお姉ちゃんが、「とうちゃん! とうちゃん!」って』
『まぁ、どうして父ちゃんが急にいなくなったのか、理解できる歳じゃないんだから、仕方ないが、「とうちゃん! とうちゃん!」ってな』
『まぁ、見てられなかったよ、可哀想でな』
『オツネさんもその男を見て、びっくりしてなぁ・・・でも、直ぐに正気に戻って、「父ちゃんじゃないんだよ!」って、オツネさんも涙でなぁ』
『子どもには、そんなことは理解できやしないよ、お姉ちゃんが、とうちゃん抱っこして! ってな』
津路も、その光景を思い浮かべて涙にくれていた。
マコト (水曜日, 25 5月 2016 00:36)
店主は、話を続けた。
『その男は、どうすればいいのか困った様子でなぁ・・・』
『そしたら、オツネさんが孫を叱ったんじゃよ「父ちゃんじゃないって何度言えば分かるんだい!」ってな』
『その子は、大泣きしてなぁ・・・「とうちゃんだよ、とうちゃんだよ」って』
『そしたらなぁ・・・』
『きっと、優しい男なんじゃろうなぁ・・・その男は、そっと孫を抱き上げてくれたんじゃよ』
『誰も止められなかったんじゃよ・・・抱っこなんかするな!とな』
『実はなぁ、事故で優が亡くなったあと、奥さん、そうじゃ、その子達の母親は心労で倒れてなぁ・・・今も、体調は芳しくなさそうなんじゃが』
『だから孫たちのことは、オツネさんがほとんど一人で育てていて・・・』
「ご高齢でしたよね・・・杖を持たれていました」
『あぁ、そうじゃな・・・あの歳で、孫二人を育てるのは無理じゃと、村人たちも、皆、心配してなぁ・・・』
『母親の体調が回復するまで、児童養護施設に預けるよう、私も言ったんじゃが・・・オツネさんは、私がなんとかみるからと』
『オツネさんは食事を作るのも大変でなぁ、ちょくちょくこの店に孫二人を連れて、来てくれていたんじゃよ』
『それで、その日も・・・』
『孫たちは嬉しそうに「とうちゃん、オムライスが食べたいよ」ってな』
『孫たちが、食事をしている間にオツネさんには、その男が何故ここにいるのか、それと、その男には、優の家のことを話して聞かせてやったんじゃ』
『そしたらなぁ・・・』
店主は、テーブルに置いてあった水を飲み、ひとつ大きく息を吸って話を続けた。
『その男は、こう言ったんじゃよ』
『自分を待っていてくれたのは、この子達だったんでしょうかね、ってな』
『最初は、意味が分からなかったんじゃが、その男が「神様が、自分に優になれって言ってくれているような気がします」ってなぁ・・・』
『オツネさんは、それじゃこれまでの人生が・・・誰かが必ず待っていてくれるはずだから、いつか必ず記憶を取り戻せるから、とにかく今は病院に戻るようにと言ったんじゃよ』
『だけどその男は、下の2歳の男の子にオムライスを食べさせていてなぁ・・・もう、自分は決めてしまったと言わんばかりに・・・』
『それでも、オツネさんは許しはしなかったんじゃよ! 自分の息子の優は、もうこの世にはいないんだと、どこの馬の骨か分からん人間が、優の代わりなど務まるはずがないってな』
『まぁ、あんたなら言わなくても分かるだろうが、オツネさんは、その男のことを思って、その男を待ってる人のことを思って、言った言葉なんじゃがな』
『さっき、あんたは、その男が、記憶を取り戻しているかもしれないって言っておったが、それは無いんじゃ・・・だとしたら、辛すぎるだろう? なぁ・・・津路さんよ』
津路は、理由も分からずに、勝手に想像を膨らませていた自分を恥じた。
マコト (水曜日, 25 5月 2016 00:38)
津路は、深々と店主に頭を下げ、
「自分が恥ずかしいです、事情も分からずに、勝手な思い込みをして・・・ご主人、それで、その男はどうなったんですか・・・」
『あぁ・・・それでな、オツネさんは孫二人を連れて帰って行ったんじゃよ』
『孫が「とうちゃんは? とうちゃんは一緒に帰らないの? とうちゃん、とうちゃん」って泣きながら、それでもオツネさんは孫の手を引いてなぁ』
『その男は、黙ってその様子を見ていたよ』
『それから、直ぐだったなっ、その男が「お金は、必ず返しにきますから」と、礼を言って出て行こうとするから、「どこに行くんだい? 病院に戻るんだろう?」って、聞いたんじゃが・・・ありがとうございましたと、丁寧に礼を言われてな』
『まぁ、病院に戻るしかないだろうと思っていたんじゃが・・・次の日の朝、オツネさんから電話があってな』
『その男が、オツネさんの家の前に立っているって言うんじゃよ、だから、慌てて行ったんじゃ、その男のところにな』
『ずっと、夜通し立っていたんじゃろうなぁ、直ぐに車に乗せてここに連れて帰ってきたんじゃ』
『朝ごはんを食べさせて、よく話してやったんじゃよ・・・記憶を取り戻して、元の生活に戻るのが自分のため、待ってる家族のためなんじゃよってな』
『それで、病院まで送るからと言ったんじゃがなぁ・・・』
『結局は、病院には戻らないって・・・これが、自分に与えられた運命なんだと思うって言ってなぁ・・・』
『だから、言ってやったんじゃよ。いま、優になって、あの家を支えていくのはいいが、もし、途中で記憶を取り戻したら、お前は、必ずここから出て行くだろう? それじゃ、子供達は、また悲しい思いをするんじゃぞ!ってな』
『それを言えば、分かってくれると思って言ったんじゃがなぁ・・・』
「それで、なんて言ったんですか?・・・その男は」
『あぁ・・・その男は、言い切ったよ! 自分は、もう昔の記憶を思い出すことはありませんってな』
『万が一にも、自分を探す人がいたならば、追い返してくださいって』
『本当に、驚いたよ・・・そこまで言われたんで、仕方なくオツネさんのところに行ったんじゃ・・・話をしにな』
『オツネさん・・・泣いていたよ。優が生き返ったようだってな・・・孫たちは、とうちゃん、とうちゃんって・・・』
『それで、子供たちの母親にも話をしたんだが・・・母親は、自分が体を患っていることを相当に申し訳なく思っていたんじゃろうなぁ・・・途中で記憶を取り戻して、出て行くならそれはそれで構わないから、子どもたちのために、一時だけでも父親の代わりになってほしいと、泣いて頼まれたんじゃよ』
『母親の旦那ではなく、子どもたちの父親代わりとしてな』
「・・・そうだったんですかぁ」
『あぁ・・・随分と悩んだよ、はたして本当にそれでいいんだろうかってな』
『帰って、その男と何度も話をしたんじゃが、意志は固くて・・・こっちが折れたんじゃよ』
『それで、その男は優と名乗って、オツネさんの家に住んでいるんじゃよ』
『亡くなった優と同じように、ご近所の草刈り作業まで・・・その様子をみていると、本当に優が生き返ったようでなぁ・・・』
店主は、涙をふき、津路の顔をみてこう言った。
『何度もお願いされたんじゃ、自分を探す者がいたら、それは、もう自分ではないので、追い返してくれってな』
『だから、この話をしていることは、約束を破っていることなんじゃよ』
『村人全員がこのことは承知していることなんじゃ・・・おそらく、村の誰に尋ねても“知らんよ”と、答えるはずじゃ』
『ただな・・・、オツネさんが津路さんに話をするかもしれないって言うから、このことを話したんじゃ』
そして、店主は最後にこう言ったのである。
『あとは、津路さん・・・あなたに全部お任せするよ』
『オツネさんも、辛いんだと思う・・・あんたは、言ってくれたよな、みんなが幸せであってほしいって』
『わしらは、その言葉を信じて、全部を津路さん、あんたに任せるから』
店主は、そう言って立ち上がり深々と頭をさげて
『よろしくお願いします』と
マコト (水曜日, 25 5月 2016 00:41)
その時の決断は、多くの人間の将来を左右するものだった。
津路は、もちろんそのことを承知していた。
だから、そのプレッシャーに押しつぶされそうだったが、それでも、店主に、
「ありがとうございました、自分は、オツネさんの気持ちを聞きますが、最後は・・・」
『最後は、どうするんかね?』
「はい・・・、優君の気持ちを確認してきます」
『・・・そっかい、すまないなぁ・・・よろしくお願いするよ・・・津路さん』
「はい」
津路は、定食屋を出た。
ガッツが津路を迎えてくれた。
「ガッツ、あのな・・・」
車を走らせながら、いま、店主に聞いてきたこと全てをガッツに話した。
ガッツは『クゥ~・・・ワン! クゥ~・・・ワン!』
と、まるで津路の話の全て理解しているようだった。
車を一度止めて、しばらく考え込む津路
それを助手席で、優しく見守るガッツがいた。
「ガッツ・・・あのな、俺・・・この仕事を最後に探偵の仕事は辞めようと思う」
「きっと、俺には探偵の仕事は向いていないんだと思う」
「・・・でもな、探偵の仕事をやってきて良かった、だって、ガッツと出会えたんだもんな」
『ワン!』
そして津路は、意を決したようにオツネさんと優のところに向かったのだった。
マコト (水曜日, 25 5月 2016 22:33)
オツネさんと優の家に着いた津路は、ガッツの首輪にリードを付け、一緒に車を降りた。
ガッツは降りると同時に『ワン!ワン!』と、優を、いや、理を呼んでいるようだった。
そのガッツの声に気付いたのであろう、優とオツネさんが一緒に家から出てきた。
「優君も一緒かぁ・・・」
と、オツネさんの歩みに合わせてゆっくり歩いてくる二人を待った。
と・・・
その時の優の表情に、もう津路は気が付いていた。
「オツネさん・・・今日、俺が来ることを優君に話をしたんだな・・・だから優君も一緒に・・・」
津路は、オツネさんと優が二人で一緒に出てきたことと、優の表情を見た瞬間に気持ちは決まっていた。
「ひとつだけ聞いて、そして・・・帰ろう」と
近づいてくる優に、ガッツは尾を振って『ワン!ワン!』と、嬉しさを体いっぱいに現していた。
「ガッツ・・・」
近づいてきた優が、開口一番に津路にこう言ったのである。
『私たちは、あなたに用事はありませんから・・・お帰り下さい』
それは、津路が想像していた通りの言葉だった。
だから津路は、
「あっ、私は、一つだけ聞きたいことがあって来たんです」
『えっ? 一つだけ? なんですか? それは・・・』
「はい・・・」
津路は優に向かってこう尋ねた。
「優さん・・・こちらでの生活はどうですか? 昨日、草刈り作業をされている優さんをお見かけしましたが、すごく生き生きとされていて・・・ここでの暮らしは、どうですか?」
優は、予想外の質問に面食らったが、すぐに、それが津路の最終確認であるということに気付いて
『この人は、自分を連れて帰ろうとはしていないんだ・・・』
そう、心のなかで確認し、
『はい! ここでの暮らしは、幸せです』
と、答えたのであった。優の目には、すでに涙が浮かんでいた。
津路は、ひとつ大きく息をすって
「そうですか、分かりました・・・美味しいお米が採れるといいですね・・・お婆さん、お体を大事になさってくださいね、私はこれで、失礼しますね」
そう言って、深々と頭を下げた。
もう、優もオツネさんも全てを理解していた。
二人とも、涙を流して
『津路さん・・・お気をつけて』と
津路は、ガッツのリードを強く握って
「さぁ、ガッツ! 帰るよ」
ガッツに目をやると、ガッツは『クゥ~』と、すごく悲しそうな表情を浮かべていた。
「ガッツ・・・あのな、この人は優さんって・・・」
すると、もうその瞬間に『ワン! ワン!』と、吠えたのである。
「えっ?・・・ガッツ、お前・・・」
優が、津路に尋ねてきた。
『この子犬は?・・・』
津路はこう答えたのである。
「ある男が、この子の命を救ってくれたようなんです・・・それをこの子は覚えていて・・・」
と、ガッツをもう一度見ると『クゥ~』と、津路と優の両方の顔を覗き込んでいた。
「ガッツ・・・お前・・・優さんと暮らしたいのか?」
『えっ?』
「・・・ガッツは、そう言ってます」
『それじゃ、津路さんが・・・これまで、ずっと一緒に暮らして来られたんですよね?』
「いやっ、もし引き取っていただけるなら、自分はその方が・・・予防注射の仕方も分かりませんし・・・何より、仕事の邪魔だったんですよ、正直なところは」
『津路さん・・・』
そして、津路はリードを優に手渡し
「お願いします」と
ガッツは『クゥ~』と、また寂しそうな表情を浮かべた。
津路は、
「ガッツ・・・優さんのことを頼むな!」
『クゥ~』
ガッツの表情は、津路に対してごめんなさいと言っているようだった。
優は、全てを理解していた。だから津路に向かって、
『津路さん・・・ありがとうございます、ひとつだけお願いがあります』
「うん? なんですか?」
『この村で暮らしていくことは、私が決めたことです。津路さん、あなたにはなんの責任もありません・・・それだけは、本当にお願いします』
津路は笑顔を浮かべて
「はい」と答えた。
ガッツは、ずっと津路を見ていた。
それを振り切るように
「おい、ガッツ! 優さんを困らせるなよ! 幸せにな・・・ガッツ」
そして、優とオツネさんに一礼して、振り向いて歩き出した。
ガッツの『ワン!ワン!』と津路を呼ぶ声に、津路の涙は止まらなかった。
「頼むぞ、ガッツ・・・守ってやってくれ! 理君を あばよ!」
津路は、二度と後ろを振り向かずに帰っていった。
ガッツに涙を見せないために。
マコト (木曜日, 26 5月 2016 20:18)
≪萌仁香だよ~、久しぶりの登場だね≫
≪物語が、あっちに行ったり、こっちに行ったりして・・・どう?着いて来れてる?≫
≪第三章は、随分と長くなっちゃったから、一気に説明して終わりにしちゃおうかなぁって考えたりもしたんだけど・・・美子都と健心、希咲と玲飛がどうなったのかも、まだ話していないし・・・それに、蒼が現れて仲間になって・・・まだ、バーベキューの話も残ってるし・・・≫
≪あぁ、でもねっ・・・バーベキューである事が起きるんだけど、またこれが仲間を苦しめるようなことになっちゃうの≫
≪そう言えばね、津路君は、宇都宮に戻ってきて・・・依頼人である栞の父親には、何も報告しなかったの。優のことは、墓場まで持っていくと決めてね≫
≪だから、健心が、栞の父親のところに行ったけど、何も進展することはなかったのよ≫
≪健心は、蒼のために、なんとか理の手掛かりを探せないかと頑張ったんだけど・・・結局は何もつかめなかったの≫
≪ということで、バーベキューの話から再開するけど、もし、早く結末を知らせて欲しいという人がいたなら、どんどん話を進めるから、言ってね!≫
≪仲間達に起きる辛いことは、なるべくなら、語りたくないものね≫
≪じゃぁ、また萌仁香は物語に戻るけど・・・みんなは、これからも仲間達を見守ってあげてね≫
マコト (木曜日, 26 5月 2016)
美子都は、いつものように週末、花風莉(ハナカザリ)に居て、来客用のお茶菓子を頬張っていた。
「(しかし、よく食べるわね) ねぇねぇ、美子都・・・」
『なぁに? 萌仁香』(食べながらの返事なので、たぶん、そう返事した)
「来週末よねっ! バーベキュー」
『うん! 楽しみよねぇ』
「美子都・・・決まった?」
『えっ? 何が?』
「ほらっ! 一番大切なこと!」
『え~、私の一番大切なことってなんだろう・・・』
「バーベキューの肉・・・どこの部位を買うのか!」
『萌仁香ぁぁぁぁぁーーーーーー!!!! あんた、最近、健心や可夢生(カムイ)に似てきたんだけど!』
「エヘッ! って、ところでさ、健心の従兄弟の家に贈るお花、どうしよう・・・」
『そうね、どんな花なら、喜んでもらえるかしらね?』
「う~ん、バーベキューの時にお庭を見せてもらって、その後に贈るっていうのも“あり”かなぁ・・・」
『そうね! そうしよう! ・・・って、私なら“花よりみたらし団子”なんだけどなぁ』
「・・・あんたね、そういうことばっかり言ってるから、健心や可夢生にいじられるのよ!」
『そっか、こんなところで話していたら・・・ばれちゃうモンね!』
「何が?」
『ほらぁ、お花見のとき、二次会から参加する女子の分まであった“みたらし団子”、ぜ~んぶ、私が食べちゃったこと!』
「そうよ! こんなところで言ったら、バーベキューのとき、差し入れが“みたらし団子”だらけになっちゃうからね!」
『・・・それ・・・嬉しいかも』
『ねぇ、萌仁香ぁ・・・でも、バーベキューでお肉を食べた後は、甘いデザートが必要よねぇ・・・』
「・・・そ、そうね」
『あぁ、でも、お肉の後に甘いデザート食べちゃったら、その後はラーメンも食べたくなっちゃうかも・・・』
「 (-_-;) それ・・・いつもの逆パターンのコースだよ」
(美子都さんへ・・・リレー小説もパートⅡとなり、ここから読む人のために、ご丁寧な説明、ありがとうございます)
そんな、毎度交わされる食べ物に関する会話を済ませ、二人の会話は、バーベキュー参加者の話題になった。
「ねぇ、ねぇ美子都・・・津路君って覚えてる?」
『津路君? サッカー部の? 中国の偉い方に似てる人?』
「そうそう!」
『その津路君がどうしたの?』
「バーベキューに参加するんだって!」
『へぇ~、でも私、高校卒業してから津路君には、一度も会っていないなぁ』
「うん、私も! きっと、他のみんなも会ってないよ」
『津路君って、いま、何してるの?』
「世界に羽ばたく津路工機の社長さんだって」
『津路工機? そうなんだぁ』
「津路君・・・なんかね、8~9年前ぐらいまで探偵をしていたらしいの」
『へぇ~、探偵さんかぁ・・・』
『ねぇ、蒼は来るよね?』
「もちろんよ!」
マコト (金曜日, 27 5月 2016 17:24)
6月4日、土曜日
バーベキューの日になった。
当日の買い出し当番は、萌仁香と美子都、玲飛と健心の四人。
四人は、美子都の車で八尾藩に向かった。
『え~、絶対に足りないよ!』
「え~、絶対に買い過ぎだから!」
と、萌仁香と美子都で“肉のグラム数”で意見が合わなかったが、結局は、300g×(人数プラスワン)の量で萌仁香が折れた。(実話である)
八尾藩に入り、ふと健心に目をやると、どう考えてもバーベキューには必要のない食材を買い物カートに入れ、皆からの突っ込みを待っているようだった。
だが・・・、誰も、健心を相手にするはずもなく、ようやく萌仁香が「返してきましょ!」と相手をしてくれた。
四人は、一足先にバーベキュー会場に着き、早速準備に取り掛かった。
「トン、トン、トン」
「美子都、旨いなぁ・・・初めて料理する姿見たけど・・・」
『え~、料理って言っても、ただ、玉ねぎを切ってるだけでしょ! ・・・ねぇ、そんなことよりさぁ、健心・・・』
「なんだよ? 美子都」
『とっても、大切な話があるの』
「えっ? 大切な? それって、急ぎの話なの? ここで話さなきゃならない話?」
『・・・う、うん』
「・・・なにぃ?どうしたの?大切な話って・・・なに?」
と、健心が恐る恐る尋ねると
『私ね、バーベキューのために、昨日の晩御飯だけ抜いたの! 晩御飯だけね! だからねっ、今日はたくさん食べちゃうと思うの! だからねっ、私のこと“大食い”だって思わないで! だからねっ、昨日の晩御飯を抜いたんだからね!』
「・・・う、うん分かった(-_-;)」
準備万端、あとは仲間たちの到着を待つだけとなった。
「お~、可夢生(カムイ)、壮健(ソウケン)、杏恋(アレン)に深音(ミノン)」
『遅くなってごめん、お~、すごい庭だなぁ』
「きゃ~、素敵なお庭。 こんなところでバーベキューだなんて、幸せ~」
仲間たちは、続々と集まってきた。
有音(アルト)に衿那(エリナ)に雄利(ユウリ)、沙月(サツキ)も少し遅れてやってきた。
「あとは・・・蒼と・・・あっ、津路君だね」
『蒼には、迎えに行くよって言ったんだけど、ちょっと用事を済ませてから遅れて来るって』
「そっか・・・じゃぁ、ぼちぼち始めようか」
『そうね』
カンパ~イ
“ジュー”
「キャ~ お肉! おっ肉! おっ・に・く! お肉~~~!!!」
仲間たちは、まるで子供のようにはしゃいだ。
それは、53歳の仲間たちにとっての命の洗濯であった。
女の子たちは、四阿に入って、暑い日ざしを避け、おしゃべりと食べ係
男の子たちは、せっせと肉を焼き続けたのであった。
マコト (金曜日, 27 5月 2016 21:53)
少しの時間が過ぎて美子都が健心に
『ねぇ、健心・・・蒼が来る前に、みんなに話してあげようよ!』
「あぁ、そうだなぁ・・・」
と、健心は、みんなの前で、蒼と出会った時のことから語った。
玲飛と健心が、居酒屋・居心家で蒼と出会ったこと。
蒼が、栞の告別式にいなかった理由。
栞が蒼に手紙を残していたこと。
蒼が、まだ、理が生きていると信じていること。
健心たち7人が、居酒屋・居心家で蒼から聞かされた話を、他の仲間たちに伝えたのである。
そして、健心が、栞と蒼の父親のところに行って、話を聞いてきたが、何の手がかりもなく、進展していないことも。
そのことを健心から初めて聞かされた仲間たちは、
「そうだったのかぁ・・・」
と、二人の悲運な人生に涙ぐむ者もいた。
そして、萌仁香が、
『ねぇ、蒼は本当に優しい子なんだ! 仲良くしてね』
「はいよ~」
仲間たちは、蒼が来るのを首を長くして待った。
マコト (金曜日, 27 5月 2016 21:55)
バーベキューは、和やかな雰囲気で時間が過ぎていった。
しばらくすると1台の車が、駐車場に入ってきた。
「なぁ、誰か来たぞ!」
それは、津路だった。
高校卒業以来、仲間たちと対面するのが初めてだった津路は、
「よっ!」
と、明るく笑って皆にあいさつした。
『つ、津路ぃ~』
「おぉ~、健心、壮健、可夢生に玲飛に有音、久しぶり~・・・女子の皆さん、津路ですぅ~」
津路のその様は、高校時代から少しばかり“そり込み”を伸ばし、あとは、そのままの津路だった。
「おぉ~久しぶりだなぁ、津路! 変わんねーな!」
『そっけ? 相変わらずいい男だべ!』
「・・・ まぁ、座れよ! 乾杯しようぜ!」
カンパ~イ
35年ぶりに会った仲間たちは、早速、津路に質問攻め
「いま、仕事は何やってんだよ?」
『あぁ、津路工機っていう会社』
「へぇ~、何やってる会社なんだよ?」
『工作機械器具とか、まぁ、一般機械器具の関係だよ』
「そなんだ・・・あれっ? 津路ってさ、栃木県警に就職したじゃなかったっけ?」
『あっ、・・・うん』
「そうだ、思い出した! 刑事を辞めて探偵になったって誰かが言ってた! 探偵はどうしたんだよ?」
『・・・あっ、・・・うん? うーん』
仲間たちには、その部分にだけは触れてくれるなと思っていた津路であったが、そうは問屋が卸さないのが世の常。
『いやっ・・・もう8~9年も前に辞めたよ』
「なんで?」
津路は、その質問にはいつもこう答えるのであった。
『あんまりむいていなかったんだわなぁ、それに思ったより儲からねーしさ』
「ふ~ん・・・で、探偵の時はどんな仕事が多かったんだよ、 聞きてーな!」
『ほとんどが浮気調査かな・・・まぁ、楽しい仕事じゃなかったよ』
「・・・そなんだ」
と、仲間たちの探偵話への興味は、それぐらいで薄らいだ。
津路は、心の中で
『探偵時代のことは、思い出したくないんだ・・・良かった、これぐらいで済んで』
と、ほっと胸をなでおろしたのであった。
マコト (金曜日, 27 5月 2016 21:57)
バーベキューも、津路が加わったことで、さらにボルテージも上がり仲間たちのテンションもMAXへ。
そんな場面で、ようやく蒼が来たのである。
「ねぇ、萌仁香・・・あれ、蒼の車じゃない?」
『あっ、ホンと、蒼が来たよ~ みんなぁ~』
車から降りてきた蒼は、無地のチュニックに七分丈のチノパン姿
薄化粧で、しかも健心の大好きなポニーテール!
ただ一言! “可愛い”
有村架純似の蒼の登場で、男の子たちの様子は一変、表情が明らかに崩れるのが分かった。
それに気づいた美子都が
『健心・・・ 伸びてるし!』
「えっ? 伸びてる? 津路の身長が?」
『ちげーし! あんたの鼻の下』
仲間たちは、ハイタッチで蒼を出迎えた。
“しこりやの壮健”だけは、ハグで蒼を迎えようとしたが、後ろから玲飛の蹴りが飛んできた。
「痛ぇ~」
健心だけは、恥ずかしさのあまり、ハイタッチも出来ずに
「こ、こんにちは」と
だが、一人だけ蒼の存在を知らない男がいた。
そう、津路である。
蒼が近づいてきて、「はじめまして、蒼です。よろしくお願いします」
と・・・
津路の脳裏から離れない、9年前のあの事が鮮明に思い出された。
「えっ? この人・・・」
マコト (金曜日, 27 5月 2016 21:59)
9年前に理の捜索依頼を受けた時の津路は、写真を出して人に尋ねるたびに、理と一緒に写る栞の笑顔を何百回も見ていた。
そう、有村架純似の栞の顔を忘れるはずがなかった。
それでも、蒼ですと自己紹介された津路は、
『えっ? 他人の空似なのか・・・』
と、とにかく返事をと思い
『つ、つ、津路です』と、返した。
蒼の仲間たちへの挨拶が終わると、早速に“しこりやの壮健”が、
「僕の隣へどうぞ・・・いま、最高に旨いお肉を焼くからね!」と
女の子の扱いは、どうあがいても壮健には敵わない他の男の子たちであった。
男の子たちは、「俺の焼いた肉が最高だ!」と競い合って肉を焼いた。
その様子を女の子たちは
「男の子は、分かりやすいわね!」
と、四阿から眺めていた。
津路は、チラっ!チラっ!と、蒼を見ていた。
そして、おもむろに健心の隣へ移動して尋ねたのである。
「なぁ健心・・・」
『なんだい? 津路』
「蒼さんって、何組だったっけ?」
『あっ、そっか・・・津路は知らないんだよな。 高校は違うんだ。でもな、同級生だよ!』
「そうなんだぁ・・・えっ? って、誰かのお友達?」
『あぁ、友達だよ! ・・・全員の!』
「そ、そっか・・・俺だけか、お初は・・・で、なぁ、蒼さんの苗字は?」
『随分と、聞いてくるなぁ・・・さては、一目ぼれしたか? あれっ? 津路は、独身だっけ?』
「まぁ、独身だけど・・・って、それはどうでもいいから苗字を教えてくれよ!」
『御子柴さん! 御子柴 蒼さんだよ!』
「御子柴さん?・・・そうなんだ」
『おいおい津路、ちょっと早すぎやしないかい? 蒼さんは、俺たち全員のアイドルなんだから、勝手に手を出すなよな!」
「あっ、うん、分かってるよ!」
津路は、御子柴という苗字を聞いてほっと胸をなでおろした。
「良かったぁ・・・やっぱり他人の空似なんだ! 栞さんとは、関係ないんだなぁ・・・
栞さんは、有栖川さんだったもんな!」
だが、次の瞬間だった。
「えっ?」
たらちゃん (土曜日, 28 5月 2016 12:07)
「御子柴…さん?
え?
理くん捜索のクライアントは御子柴社長…
え?」
固まっている津路に美子都の手が飛んできた。
「やだぁー津路くん!」
「痛っ」
「もう、わかりやすいんだから!ほら!壮健!蒼の隣り、津路くんとかわって!私達と違って、久しぶりに参加した津路くんに話をさせてあげて!」
マコト (土曜日, 28 5月 2016 19:32)
「えっ? やだよ!」
と、壮健は断った。
「だって、それじゃ、物語は進まねーじゃん!」
と、訳の分からないことを口走る壮健だった。
マコト (月曜日, 30 5月 2016 22:12)
(美子都)『えっ? や、やだだとぉ~??? ・・・あんた、何を企んでんのよ! 壮健!』
(壮健)「いや、別になにも! ・・・っていうか、蒼が俺に隣にいてくれ!って・・・なぁ、蒼、そうだろう?」
(美子都)『出たぁ~! あんたね、いつもそういう事ばっかり言ってるから“しこりやの壮健”って、言われんのよ!』
(壮健)「そうだよなぁ~、蒼~」
(美子都)『無視すんなぁ~!!! ・・・それに “物語が進まない”とか、何、訳の分からない事、ぶつぶつ言ってんのよ! こんな場面で、物語を左右するような書き込み、出来る訳ないでしょ! さっさと書き込みしなさいよ! こっちは、待ってんだから!』
そんな二人のやり取りを仲間たちは、
(健心)「なぁ、萌仁香・・・」
(萌仁香)『なぁに? 健心・・・』
(健心)「あの二人・・・何を話してんの?」
(萌仁香)『・・・わからん』
(健心)「物語って、なに?」
(萌仁香)『・・・わからん・・・可夢生は分かる?』
(可夢生)「まったく、わからん! 玲飛は、分かるか?」
(玲飛)「美子都が、スキーのリフトから落ちてから、どう人生を生きて行ったか! っていう物語じゃねーの?」
(全員)「・・・なるほど」
そんな、いつもバカやってる仲間たちを横目に津路は、昔の記憶をたどっていた。
そして、気づいたのである。
「栞さんの父親の苗字は、御子柴さんだった! 栃木では珍しい苗字だから、よく覚えているけど・・・間違いなく依頼人は御子柴さんだった」
「えっ?じゃぁ蒼さんは?・・・、確か、栞さんも理君も俺と同い年だったはずだ・・・ということは、蒼さんと栞さんは双子の姉妹?・・・そう推理するのが、一番自然だ」
そう考えた津路だったが・・・
津路は、あえてそれ以上確かめようとはしなかった。
それを聞いてどうなるものでもなかったからだ。
津路は、これ以上関わりたくないと考え、少しでも早くその場から帰りたいと思っていた。
だが、35年ぶりに会った同級生が、一生懸命に準備してくれたバーベキューであったがために、お開きになるまで何事もないことだけを願って、その場から帰ることはしなかった。
でも・・・、
そう都合よくいかないのが人生である。
蒼が、理に関することを話しだしたのだ。
『健心さん・・・父のところに行って色々と聞いて来てくれたんですね!』
「あ、う、うん・・・でも、何の進展もなく・・・ごめんなさい」
『いいえ~ 健心さんの優しいお気持ちだけで・・・、ありがとうございます』
壮健が
「そんな、水臭い言い方するなよ、蒼! 俺たち、仲間だろう!」
すかさず、玲飛が
『って、壮健は何もしてねーべ!』
「確かだ!」
と、笑いで、蒼の気持ちをほぐしてくれる男子たちであった。
だが・・・
可夢生が何気なく言った言葉で、津路の「何事もなく・・・」という願いは、全て吹っ飛んでしまうのである。
「なぁ、今日は、元・敏腕刑事! 元・名探偵の津路がいるんだから、津路の意見も聞いてみたいよな! 何か、妙案を言ってくれるかもしれないぜ!」
『おぉ~、本当だ! なぁ、津路・・・』
「な、なんだよ?」
『蒼さんが、人を探しているんだ、聞いてやってくれよ!』
「・・・えっ?」
マコト (月曜日, 30 5月 2016 23:32)
この場にいた仲間達は、皆、蒼の言う通り、理は必ずどこかで生きていると思っていた。
いやっ・・・思っていたと言うよりは、願っていたというのが、正しいだろうか。
そんな仲間達が、可夢生の言葉に反応するのは、ごく自然な流れだった。
女の子達も、「ねぇ、津路君・・・蒼の話を聞いてあげてよ」と
だが、津路はこれ以上、過去の記憶に触れられたくなかった、だから・・・
「いやっ、俺はもうその仕事からは、すっかり足を洗って・・・だから、勘も働かないしさ・・・勘弁してくれよ!」
津路のその返答に、普段はあまり怒りを現さない健心が、怒鳴ったのである。
『津路! なんだよ、その言い方は! ここにいるみんなが、蒼さんのことを心配しているのに! おい、津路!ふざけんじゃねーよ!!!』
今にも飛び掛かりそうな剣幕で健心は、立ち上がった。
その姿を見て美子都は
「健心・・・あなたが、ここまで怒るなんて・・・」
と、自分が健心を止めなければならないと思ったが、何も出来ずに、ただ、健心の顔を見るだけだった。
誰も、何も言わなくなった。
その場を収めるには、蒼のこの言葉しかなかったのであろう。
「ごめんなさい・・・楽しいバーベキューのはずが、私が理の話をしたばかりに・・・」
その言葉で、津路のかすかな期待も、全て消えた。
「やっぱり、探しているというのは、理君だったのか・・・」
健心は、蒼の言葉に、はっとした。
そして、隣にいた萌仁香が、
「ねぇ、健心・・・健心の気持ちも分かるけど・・・津路君だって・・・悪気があって言ったんじゃないから!」
ようやく冷静になった健心は、我に返って
「す、すまなかった津路・・・つい・・・」
そんな流れになってしまえば、もう津路も逃げるわけにはいかなかった。
ひとつ大きく息を吸って、
『健心・・・俺もすまなかった・・・適当な返事をしたくなかったので・・・』
そして、津路は意を決して言ったのである。
「蒼さん・・・理君の話を聞かせてください」と
マコト (火曜日, 31 5月 2016 12:58)
でも・・・
蒼は、首を横にふった。そして、
「津路さん・・・いいんです・・・せっかくのバーベキューが・・・それに、理は・・・」
と、言いかけた。
だが、蒼の理を諦めるような言葉を仲間達は、全員で言わせなかったのである。
『蒼!』
「蒼さん・・・」
『蒼、諦める気なの?』
「手伝ってくれる仲間が増えたのよ!」
『蒼・・・もう一度、みんなに話して』
蒼には、自分の気持ちを理解してくれる仲間達の言葉が、何よりも嬉しかった。
だから、蒼は、涙をいっぱいためて「うん」と、うなずいてゆっくりと・・・津路と仲間達全員に聞かせるように丁寧に話を始めた。
それは・・・
栞と仲の良い双子であったこと。
姉の栞を特別扱いする父親がいたこと。
栞のことが大好きだったから、いつも自分が一歩ひいていたこと。
高校時代から理を好きだったが、突然の告白に、理が投げてくれたボールを掴むことが出来なかったこと。
理は、待っていると言ってくれたが、自分が大学を終えて戻ってきた時には、理はアメリカに行って仕事をしていたこと。
ずっと、理のことが好きだったこと、ずっと待っていたこと。
栞が、理と見合いすることになって、それでも、大好きな栞の為に自分が身を引いて、栞を応援したこと。
・・・でも、それまで想い続けてきた理のことを簡単には、忘れられなかったこと。
そして・・・
理と栞は、栞の誕生日に入籍し、夫婦になったこと。
その報告に栞が来てくれた時には、自分はもう心を病んでしまっていたこと。
理は、仕事で群馬に行った日に、自分のところに向かうと言って・・・、群馬の山中で車を乗り捨て、そして行方不明になってしまったこと。
理のことを、自分が隠しているのではないかと栞に疑われたことで、心が全て壊れてしまったこと。
初めてその話を聞かされた者は、号泣していた。
一度聞かされていた萌仁香や美子都も、涙を止められずに聞いていた。
そして・・・
それまでの話を、目を閉じて聞いていた津路が、蒼に聞いたのである。
「いま、栞さんは?・・・」
マコト (火曜日, 31 5月 2016 22:52)
津路以外の仲間達全員が、蒼の返事を知っていたために、
「津路・・・」
『津路君・・・』
と、首を横に振ったのだ。
それを見て津路は
「・・・えっ?」
そんな津路に蒼が、小さな声で
『病気で3か月前に亡くなりました』と
その、蒼の返事に津路は言葉を失い、目の前が真っ暗になった。
そして、津路をさらに追い込むかのように蒼が言った。
『姉の栞は、最期まで理が生きていると信じていました。必ず自分のところに帰ってきてくれると』
津路は号泣し、自分のした事を悔いた。
悔やんでも悔やみきれなかったが。
「津路・・・」
『津路君・・・』
仲間達の誰もが、津路の涙の本当の意味を知らなかった。
だから萌仁香が、
『津路君・・・悲しい話でしょ・・・津路君は、本当に感情豊かなのね』
と、助け船をだしてくれた。
少し落ち着いた津路に健心が、
「なぁ、津路・・・お前の刑事や探偵として培ってきた能力で、なんとか理君を探すことはできないか?」
と、津路が、まじまじと健心の顔をみた。
そこで、津路が閉じ込めていた記憶の全てを思い出したのである。
「えっ? 健心・・・健心は理君にそっくりじゃないか!」
津路の頭の中は、ぐちゃぐちゃになっていた。
理のことは、自分が墓場まで持って行こうと決めていたが、いま、こうして再び理を待ち続けている人が目の前に現れた。
しかも、その理が、同級生の健心にそっくりなのである。
津路は、思った。
「このバーベキューに呼ばれたのは・・・あの時に理君を連れて帰ってこなかった俺に対する天罰なのか・・・」と
津路の気持ちは揺れ動いた。
「ここで、蒼さんに理の居場所を・・・」
それが、優しい津路の本来の気持ちだった。
それでも必死に自分の気持ちを押し殺した。
「言えない・・・いま、この場で、自分は理の居場所を知っているんだと・・・言えないよ」
津路は、あふれ出る涙を止めることが出来なかった。
すると、蒼が津路の隣まできて、
『津路さん・・・』
と、うつむいて涙で揺れる津路の肩にそっと手を置いたのである。
マコト (水曜日, 01 6月 2016 12:59)
蒼は、津路の背中にそっと手を置き
『津路さん・・・優しいんですね』と
そして蒼は、
『もう少し、話を聞いてください』と、津路の隣で話を続けた。
それは、
蒼の心の病も、時間と環境で立ち直ることが出来たこと。
栞が亡くなったことを伝えてくれなかったのは、自分に対する父親の優しさであったこと。
アメリカで暮らしていた自分のところに、栞の訃報が届いたのは、栞が亡くなってから1カ月も後であったこと。
日本に戻ってきたときに、父親から栞の手紙を渡されたこと。
その手紙で、栞の気持ちの全てを知ったことを
蒼は、仲間たちに全てを話した。
そして・・・
蒼は、もうこの時には、自分の人生を大きく変える決断をしていたのである。
『わたし・・・理のことを待つことをやめます』
「・・・えっ?」
それを聞かされた健心も美子都も、仲間達全員が納得しなかった。
「どうして?・・・蒼さん」
『蒼・・・理君のことを忘れるっていうことなの?』
「蒼・・・」
だが、蒼が次に言った言葉で、誰もが蒼の気持ちを受け入れたのである。
マコト (水曜日, 01 6月 2016 21:37)
蒼は、すこし下を見ながらこう言った。
『理を忘れることなど、絶対に出来ないです・・・でも』
『わたし・・・皆さんと出会えたから・・・わたしは、皆さんから助けをもらうんじゃなくて、皆さんと一緒に生きていきたいと思ったの』
『だって、私のことを心の底から思ってくれるお友達って・・・皆さんしかいないんだもの』
『こうして皆さんと出会えたのは、きっと理が逢わせてくれたんだと思うの』
『だから・・・』
「蒼・・・」
『蒼さん・・・』
そして、蒼は笑顔で言った。
『わたし・・・これからの人生、前を向いて歩いていきます』
『ねっ! 津路さん』
と、うなだれる津路を元気づけるかのように言った。
その言葉は、決して蒼にとって悪い言葉ではなかった。
でも、萌仁香は、
「ねぇ、蒼・・・女の子は良しとしても、男の子は、こんなやつらばかりだよ! それでもいいの?」
『おい! なんだよ~ こんなやつらって、どういう意味だよ!』
「言葉のまんま! こんなやつら!」
『う~ん・・・あっ! もしかして、俺達、今、褒められたんかな?』
「そうそう、こんなやつら!ってね!」
蒼は、そんな萌仁香に微笑んで
『萌仁香ぁ・・・ありがとう』
「蒼・・・」
そして蒼は、そっと立ち上がり仲間たちに向かって
『わたし・・・健心さんと玲飛さんと出会って、そして萌仁香たちにも・・・そして、こうして皆さん達にも・・・だからわたし、皆さん達の仲間に加わりたいです』
こんな時は、壮健の出番である。
「おいおい、何言ってるんだい! 蒼は、もうとっくに俺たちの仲間だろう、ベイビー!」
『・・・壮健さん』
(美子都)「出たぁ~ 壮健の女殺しの決め台詞!」
仲間たちは、それぞれに蒼に向かって笑顔を贈った。
そして・・・
(可夢生)「さっ! バーベキュー再開しようぜ!」
(美子都)『わたし、お腹すいちゃったよ!』
(萌仁香)「げっ、げげ! さっき、随分と食べたよね?美子都・・・えっ? 人数プラスワンの量でも足りなかった?・・・ごめん・・・私の分もいいから、好きなだけ食べて」
(美子都)『は~い!』
(萌仁香)「それに、あんたが言ってきかないから、わざわざ焼き鳥まで串に刺して用意したんだからね!」
(美子都)『は~い!』
(萌仁香)「あっ、それと欽子が来れなくなっちゃったから、私の分も食べといて!だって」
(美子都)『は~い!』
笑顔で萌仁香に答えると、今度は男子達に視線を送って、
(美子都)『ねぇ、男子ぃ~・・・飲んでばかりで食べないの? 私が食べちゃうぞ!』
(男子全員)「・・・ど、ど、どうぞ、どうぞ!」
男子達は、幾度も経験をして学んでいたのである。
そう返事をしないと、美子都が不機嫌になることを。
しかも、「私は、野菜が好きだから! 量は食べられるだけで、足りないと騒ぐ訳じゃない!・・・と、いいながらも、肉は3倍食べるわ、足りない足りないと騒ぐわ・・・経験とは素晴らしい、美子都の扱いを覚えた男子達であった。
(可夢生)「なぁ、健心・・・やっぱり足りなかったな・・・肉」
(健心)「あぁ、考えが甘かったな・・・次回は、3人分としてカウントしようぜ」
(可夢生)「いやっ・・・、5人分でもいいかもしれない」
(健心)「だなっ!」
仲間たちのバーベキューは、時間の許される限り続いた。
マコト (水曜日, 01 6月 2016 23:34)
蒼は、壮健と、ずっと作り笑顔の津路の間に入って、楽しく過ごしていた。
『ねぇ、健心・・・』
「なんだい? 美子都・・・」
『今日は、本当に楽しかったね!』
「うん! 秋になったら、またやろうな!」
『そうね! 今度は日曜日にやればもっと多くの人が参加できるのかなぁ・・・』
「そうだな! そうしよう」
和やかな雰囲気のまま、バーベキューは終わった。
そして・・・
このバーベキューをきっかけに、物語は大きく動き出すのである。
そう、蒼が「理のことは忘れる」という決断をしたことと、津路と出会ったことが、悲劇の始まりであったのである。
そのことを、仲間たちの誰もが知る由もなかった。
物語は、いよいよ最終章に入ろうとしている。
最終章では、仲間達を不幸のどん底へ突き落す出来事が・・・
ご愛読されている方にお願いがあります。
もし、この小説に“ハッピー”、“友愛”、“癒し”を求める方がいるとするならば、この先は、しばらく読まないことをお勧めします。
大変に期待を裏切る結末が待っているので・・・
ただ、その悲劇を最小限にする方法があります。
それは、悲劇をハッピーエンドに変えるあなたの書き込みです。
どうか、仲間たちを救ってあげてください。
仲間は、素晴らしいものなのですから・・・
愛は、美しいものです。
でも、ときに人を不幸にしてしまうことがあるのも、愛の計り知れない力です。
愛するが故に・・・
愛の大きさの分だけ深い奈落の底が待っていることを、仲間たちは知らないのだ。
マコト (木曜日, 02 6月 2016 12:57)
バーベキューから3ヶ月が過ぎたある日・・・
可夢生が、血相を変えて花風莉に来た。
「萌仁香!・・・おっ、美子都も来ていたのか」
萌仁香も美子都も、可夢生の表情がいつもとは違うことに、直ぐに気付いた。
萌仁香が、『可夢生、どうしたの? 何かあったの?』と
可夢生も椅子に座って、話し出した。
「聞いたか? 壮健のこと・・・」
『えっ? 壮健がどうかしたの?』
「・・・やっぱり知らなかったかぁ」
『だから、壮健がどうしたのよ? もったいぶらないで教えてよ!』
「じゃぁ、蒼のことは?」
『えっ? 今度は蒼のこと? 蒼とは、しばらく会ってないけど・・・美子都は会ってる? そう言えば、最近ご無沙汰よね?』
『うん、私も・・・でっ、二人に何があったの?』
その時の可夢生は、どちらのことを先に話そうかと悩んだが、可夢生は、結論から先に言うことを選択した。
「蒼が、津路と入籍したんだってさ!」
『えっ? いま何て言ったの? 蒼が、津路君と?・・・えっ? 壮健とじゃなくて、いま、津路君とって言った?』
「あぁ、そうだ、津路と蒼が入籍したって」
二人は、突然にそんな話を聞かされ、頭の中は混乱していたが、萌仁香が
『えっ? じゃぁ、壮健の話って何? さっき壮健のことって言ったよ! 蒼のことは、それから聞くけど・・・壮健の話を早く聞かせてよ! 蒼と津路君が入籍したことに、何か関係があるの? ねぇ、可夢生』
可夢生は、萌仁香の反応に少し面食らった。
だが、話の順序としては、決して間違いではないと思った。
その食い違いが、可夢生の話をチグハグなものにしてしまったのである。
「落ち着いて聞いてくれよ・・・壮健のやつ・・・心を病んで入院したんだ」
『えっ? 壮健が?』
マコト (木曜日, 02 6月 2016 19:45)
可夢生は、話を続けた。
「実は、蒼と津路が結婚したことに、壮健が関わっていてさ・・・」
『えっ? 何それ! 二人の結婚と壮健がどうして? 壮健が、二人をくっつけたの? えっ? でも、どうして心を病まなきゃならないの? ねぇ、分かんないよ、早く聞かせてよ』
「あぁ・・・壮健のやつ、バーベキューの後すぐに蒼に交際を申し込んだらしいんだけど、蒼は、それを断ったんだそうだ・・・だって、そうだよなぁ、いくら理のことを待つことを辞めると言ったって、高校時代からずっと思い続けてきたんだぜ! それが、いきなり初めて会った男に、直ぐに交際を申し込まれてもさ・・・」
『えぇ~、だって、蒼は前を向いて歩いて行くって、私達に宣言したのよ! 壮健が、申し込みしたって、それはごく自然な成り行きじゃないの?』
「あぁ、そうかもしれないけど・・・壮健のやつ、きっと人生で初めてフラれたのかもしれないな! この歳になって初めて挫折を味わったんだろうなぁ」
『そ、それは、そうかもしれないけど・・・えっ? それで心を病んでしまったの?』
「それがなっ・・・壮健のやつ、蒼に断られてストーカーに変貌しちまったんだよ!」
『えっ?・・・壮健が? ストーカーに?』
「あぁ・・・」
『えっ? 嘘でしょ! からかわないでよ、可夢生!』
「俺だって、聞かされたときには、自分の耳を疑ったよ」
『え~・・・、それで、それでなに? どうして、そのことで、蒼と津路君が? え~、分かんないよ可夢生、何が、どうなっちゃったの?』
「きっと、壮健は、蒼に断られたことが相当にショックだったんだろうなぁ・・・自分が好意をよせた人に、振り向いてもらえないなんてこと、いまの今まで、一度もなかっただろうから・・・」
「壮健なりに、一生懸命やったんだろうな、蒼に好きになってもらいたくて」
「その一生懸命さが、結果的にストーカー行為になっちまったっていうことなんだろう・・・電話、メール、まちぶせ、押しかけ・・・最後は無言電話までするようになって・・・」
「それで、蒼は、壮健のストーカー行為を津路に相談したんだそうだ。 元・刑事、元・探偵の知識を頼ったんだろうな・・・それがきっかけで、二人が急接近したんだってさ」
「結局、蒼は、民事保全法上の接近禁止仮処分の申立てをしたんだそうだ」
「そのことで・・・、壮健は、壊れちまったんだな」
「壮健の性格から言ったら、俺たちに相談することも、出来なかったんだろうなぁ・・・」
可夢生の説明に対して、萌仁香も美子都も、もう、じゃべらなくなっていた。
その時の二人には、津路と蒼のことよりも、壮健を心配して、どうしてこんなことになってしまったのか、頭の中はそれだけだったからだ。
可夢生は、そんな二人を元気づけたいと思って・・・
ただ、それだけのためだったのに、可夢生が、冗談まじりに言った言葉が、仲間たちを分裂させることになってしまうのである。
「しかし、まいったなぁ・・・これが、健心や玲飛だったらなぁ・・・あいつらなら、高校時代からフラれっぱなしだから、こんなことにはならなかったんだろうけどな!」
その可夢生の言葉に萌仁香が切れた。
『はぁ? こんな時に何言ってんの? 可夢生! いま、そんな冗談が言える状態じゃないでしょ!』
美子都も同じ気持ちだった。
ただ、萌仁香は、それだけでは済まなかったのである。
その時の気持ちを、八つ当たりの言葉に変えて可夢生に投げてしまったのだ。
『いったい、男子達は何をやってたの? 壮健のことを守れなかったの? ・・・それでも仲間だって言えるの? あんた達は!』
そんな萌仁香の言葉に、可夢生も切れてしまった。
「はぁ? 何言ってんだい? いくら仲間だって、相談してもらえなかったら、こっちだって、どうにもなんねーだろうよ!」
『男子は、そうやって逃げるのね! 情けないわ』
「はぁ?・・・」
その時に、一番冷静だった美子都が仲裁に入っていれば、そんなこじれることもなかったのかもしれない。
美子都が、その時に考えていたのは、これから壮健のことを、みんなで支えていってあげなければならないんだと、ただ、それだけを考えていたのである。
だから、もう、それに気づいた時には、修復不可能な状態になってしまっていたのである。
『可夢生の話を聞いてると、まるで壮健が蒼に交際を申し込んだことが、悪かったみたいに聞こえる! それに、蒼と津路君のことよりも壮健のことを先に話すべきでしょ! 可夢生が、そんな冷たい人間だったなんて知らなかったわ!』
「あぁ、どうせ、冷たい人間だよ!」
ようやく、止めなきゃと気づいた美子都の
『ねぇ、やめようよ』
と、その言葉より、先に萌仁香が、
『可夢生なんて、もう信じられない! 帰って!』
「あぁ! 言われなくても帰るよ!」
『えっ? 萌仁香ぁ・・・可夢生も』
仲間たちの絆が、音をたてて崩れていった瞬間だった。
マコト (金曜日, 03 6月 2016 12:30)
萌仁香も美子都も黙っていた。
初めに口を開いたのは美子都だった。
「ねぇ、萌仁香・・・」
萌仁香は、返事もせずに泣いていた。そして
『可夢生のバカ!』と
「ねぇ、萌仁香・・・萌仁香の気持ちも分かるけど、可夢生が言うのも少しは・・・」
『えっ? なに? 美子都は可夢生が正しいっていうの?』
「ち、違うわよ! 萌仁香・・・今は、私たちがもめている場合じゃないと思って・・・」
萌仁香は、可夢生が言った言葉が、どうしても許せなかった。だから、可夢生を擁護しようとする美子都の言葉など、受け入れられるはずがなかったのである。
『ねぇ、美子都・・・悪いけど美子都も帰って! 私は、壮健のことで頭がいっぱいなの!』
「・・・萌仁香ぁ」
美子都は、これ以上萌仁香に何を言っても、今日は無理だと思った。だから、
「・・・う、うん・・・ねぇ、萌仁香・・・近いうちに壮健を見舞いに行ってみよう・・・ねっ、萌仁香・・・今日は帰るね」
返事もせずに黙っている萌仁香に「またね」と。
返事もしない萌仁香を横目に美子都は店を後にした。
美子都は、駐車場まで行く間に何度も振り返った。
『ごめん、美子都』
と、店から出てくる萌仁香を思い描いて。
でも、萌仁香が店から出てくることはなかった。
「萌仁香・・・」
美子都は、車を運転しながら、さっきの光景を思い出していた。
「わたし・・・私が、萌仁香と可夢生を、もっと冷静にしてあげられていたら・・・」
そう考えると、自然に涙があふれてきた。
「・・・そうよね ・・・こんな時は、時間をおかない方が」
そう言って車を停め、携帯を取り出して可夢生に電話をかけた。
「・・・えっ? なに? これ」
それは、可夢生が美子都からの電話を着信拒否の設定をしたとしか考えられない電話の応答だった。
「え~・・・可夢生・・・どうしてぇ~」
「私達とは、もう縁を切ったとでも言いたいの? ・・・可夢生」
マコト (金曜日, 03 6月 2016 20:16)
美子都は、居ても立っても居られなくなり、車を飛ばして花風莉に戻った。
「もぉ~、どうすんのよぉ~萌仁香」
花風莉の駐車場に入った。
「・・・えっ?」
花風莉は電気が消え、既に暗くなっていた。
「もう閉店? この時間に閉店するなんて、今までなかったのに・・・」
美子都は、暗くなった花風莉の駐車場で、うなだれて思考を停止させた。
どれくらいの時間が経っていたであろうか、ようやく、我に返った美子都は、健心に電話することを選択した。
「健心・・・出て、お願い!」
だが、往々にして、そんな時は誰にも電話がつながらないものである。
「もぉ! 健心のバカ!」
車のエンジンをかけ、駐車場を出ようとした時だった。
バックに戻した携帯が、鳴ったのである。
「あっ、健心からだ!」
そう思ってディスプレーを見ると、それは・・・蒼からだった。
「えっ・・・」
美子都は、電話にでることをためらった。
それは、いま、聞かされた津路とのことで電話をしてきたのだとすれば、どう応えていいのか、全く考えられなかったからだ。
心のどこかで、壮健がこんなことになってしまったのは、蒼が断ったからだと思っていたからだったのかもしれない。
「・・・どうしよう」
美子都は、それでも“蒼は私たちの仲間よね”と、蒼からの電話に出た。
「もしもし・・・」
『美子都、元気ぃ~?ご無沙汰ぁ~』
それは、蒼のいつもの電話の声と話し方だった。
それでも、その時の美子都には、意識しないところで拒絶反応をおこしていたのであろう。
「あっ、う、うん・・・元気だよ」
と、普段とは違うトーンでの返事になっていた。
『あれっ、いま忙しかった? なんか・・・』
「いやっ、ごめん、ちょっと運転中だったの、あっ、でも、いま車を停めたから」
『そっか、ごめん・・・あのね!』
美子都は、蒼の“あのね!”の言葉で覚悟した。
「津路君とのことだ・・・」
だが、蒼の“あのね!”は、別のことだった。
『私ね、萌仁香のお店のブログを読んだの!』
「・・・あっ、そう、・・・読んだんだ」
『うん! そしたらさ、来週、花風莉でアレンジメント教室があるって記事が載っていたの!参加したいと思ってさっ、・・・さっきから何回か萌仁香のところに電話してるんだけど、忙しいのかなぁ・・・つながらないの・・・、それで、もしかして美子都が萌仁香のところに行ってたりしないかなぁなんて思って、電話しちゃったんだ』
図星だった。
美子都は、電気が消えた花風莉を眺め、心の中で「そうよ!」と。
でも、声となって出てきた言葉は、
「あ、私もしばらく花風莉に行ってないんだぁ・・・きっと、そのうち折り返しの電話があるわよ」
と、偽りの言葉と、萌仁香に対する期待の言葉だった。
『そっかぁ・・・でも、どうしたんだろう萌仁香・・・いつもなら、直ぐにかかってくるんだけどなぁ・・・』
美子都は、とにかくその状況から逃げ出したかった。だから、
「あっ、蒼・・・わたし、外出中で用事があるの・・・ごめんね」と
『いやっ、私こそごめんなさい・・・またね、美子都』
「あっ、うん、またね蒼」
美子都は、電話を切ってうなだれた。
「わたし、蒼のことが大好きなはずなのに・・・」
美子都の心の中には、虚しさだけが残った。
美子都が、花風莉の駐車場を出ようと、もう一度エンジンをかけたときだった。
美子都の携帯が鳴った。
「えっ?・・・」
美子都は、恐る恐るディスプレーを見ると、それは・・・健心からだった。
「健心・・・」
急いで電話に出た。
「もしもし・・・」
『なんかよう?』
「・・・えっ?・・・なに、それ・・・」
でも、そんな冷たい健心の言葉などお構いなしに美子都は、機関銃のように今日の出来事を健心に説明した。
『ふ~ん・・・それで?』
「はぁ?・・・」
次に健心が言った言葉に美子都は、愕然とするのである。
『それって、俺には関係ないと思うんだけど・・・』
そう言って、健心の電話は切れた。
「・・・えっ?・・・な、なんなの・・・これ・・・」
「ねぇ、いったいみんなどうしちゃったの? 仲間のことが心配じゃないの?」
美子都は、見つけようにも、その時にあてはまる言葉が見つからなかった。
唯一でてきた言葉だった。
「私達、どうなっちゃうの・・・」
こんな状況になると、涙も出なくなるものである。
美子都は、ただ呆然と車を走らせ、家路についたのだった。
マコト (土曜日, 04 6月 2016 07:12)
美子都が、自宅について、車庫に車を納めて降りてきたときだった。
「よっ!」
美子都に声をかけてきた男がいた。
街灯の逆光で見えにくかった。
「えっ? 誰なの?」
ようやく暗闇に目が慣れて、その男が見えた。
「ギャー!」
「そ、そ、そ・・・えっ?・・・そ、そ、壮健? 壮健なんでしょ? どうしてここに?」
『・・・そこまで、驚くか? もしかして、おまえ、お化けだと思ったのか? 勝手に殺すなよ! ほらっ! ちゃんと、足二本ついてるだろう! 』
「いやっ・・・あの、・・・にゅ、にゅ、にゅ、・・・入院してるんじゃ?」
壮健は笑った。
すると、それと同時に数人の人影が、美子都の前に現れたのである。
「えっ?・・・蒼・・・可夢生・・・萌仁香・・・えっ? 健心・・・どうして、みんな? えっ? なに? どういうことなの?」
それは・・・一週間前のことだった。
仲間達が花風莉に集まって、緊急会議が開かれていた。
(健心)「こないだの集まりで、美子都がドタキャンしたこと・・・、本人に代わって謝るよ」
(可夢生)「ホントだよ! この時期にインフルエンザにかかるか?」
(蒼)「え~、でも仕方ないんじゃないの? 本人だってかかりたくてかかった訳じゃないんだし・・・」
(萌仁香)「蒼は、優しいわねぇ・・・でも、だめ! こういうのを甘やかすと、あいつは・・・また、ドタキャンなんかされたら、困るモン!」
(壮健)「まぁ、俺は、こないだは欠席しちゃったから、何とも言えないけど・・・」
(可夢生)「まぁ、自己管理という意味では、なってないわな!」
(萌仁香)「そうね!」
(健心)「最近、あいつ、冷たいんだよな! バーベキューの時なんか、玲飛を乗せるために、俺・・・途中で車を降ろされて、そこから歩かされたんだぜ!」
(萌仁香)「それは健心の普段の行いが悪いからでしょ!」
(健心)「・・・そうでした(-_-;)」
(可夢生)「少し、お灸をすえてやったほうが良さそうだな!」
(萌仁香)「賛成!」
(蒼)「え~・・・可哀想だよ・・・お灸をすえるって、どうするの?」
(健心)「あのさ・・・やるなら大掛かりにやろうぜ!」
それから、それぞれにアイデアを出し合い、ストーリーがまとまった。
(蒼)「え~、私も参加なのね? まぁ、いまここにいる時点で、同罪ね! でも、そんなにうまくいくのかな?」
(萌仁香)「大丈夫よ! 美子都なら、絶対に私たちが考えた通りに行動するから!」
(蒼)「萌仁香、すごい自信ね!」
(萌仁香)「もちろん! だって・・・」
(蒼)「仲間だもん! でしょ」
(萌仁香)「せいか~い!」
(男子達)「・・・女子は、怖いな(-_-;)」
そんな、緊急会議が開かれていたことを知らなかった美子都は、仲間達の芝居に、筋書き通りの行動をしてくれたのである。
(蒼)「まだ、病み上がりなんだから、無理しちゃだめよ! はい、これ!」
(美子都)「えっ? ケーキ? 」
(萌仁香)「はい、これ! 元気になって良かったわね! もう、ドタキャンするなよ!」
(美子都)「えっ? 大福? ・・・って、ちょっと待った!」
ようやく、インフルエンザを心配してくれたのと一緒に、ドタキャンしたことに対する罰のために、仲間たちが、ぐるになって芝居をしていたことに気付いた美子都は、
「ちょっと待ったーーーーーー!!!!!!」
と、近所迷惑も関係なく、その場で暴れだしたことは、容易に想像がつくであろう。
(美子都)「もぉ~、あんた達ったらぁ・・・」
と、うれし泣きでお嬢様座りの美子都に健心が
「俺は、やめよう! って、止めたんだ! はい、これ! みたらし団子」
もちろん、美子都は分かっていた。
「嘘つけーーー!!!!! あんた、主犯格でしょ!」
逃げる健心を追いかけまわす美子都を見て他の仲間たちは、
「まぁ、これで懲りただろうよ! もう、ドタキャンしなくなるんじゃねーかな」
『そうね、そう願いたいわね』と
家に入った、美子都は悔しいのと、嬉しいのと・・・
その交互に現れる感情に背中を押されて、仲間達からいただいた「ケーキ、大福、みたらし団子、カリントウ、おはぎ」を一気に完食したのであった。
マコト (土曜日, 04 6月 2016 22:03)
皆、それぞれに普段通りの生活を送っていた。
仲間達の集まりもご無沙汰していたある日・・・
蒼が、花風莉に遊びに来た。
「萌仁香ぁ・・・」
『あっ、いらっしゃい、蒼』
「遊びに来ちゃった」
『そこに座って! いま、珈琲いれるね』
「ありがとう」
蒼は、いつも綺麗な花に囲まれて働いている萌仁香がうらやましかった。
「いいなぁ・・・萌仁香は、いつも綺麗な花に囲まれて・・・」
『うん? そうねぇ・・・でも、大変なのよ!』
「そうねっ、素人の私には分からない苦労も、たくさんあるんだろうなぁって思うよ」
『苦労っていうか・・・まぁ、でも、毎日とても充実してるかな』
「いいなぁ・・・それがうらやましい」
『蒼は? まだ、居酒屋に行ってるんでしょ?』
「・・・辞めたんだぁ」
『えっ? そうだったの? 何か、辞めなきゃならないようなことでもあったの?』
「それは、ないんだぁ・・・ただ、毎日が平凡で・・・」
『平凡? 平凡って、ある意味幸せなことなのかもよ』
「そっかぁ・・・そうなのかもしれないわね、・・・あっ、それでさっ、相談があるんだぁ・・・萌仁香」
『相談?・・・なにぃ?』
「あのね、萌仁香・・・」
それまで、珈琲の準備で立っていた萌仁香も、蒼の隣に座った。
『どうしたぁ・・・蒼、相談って』
「私、お仕事探してハローワークに通っているんだけど、ちょっと気になる会社を見つけたんだ」
『気になる会社?』
マコト (月曜日, 06 6月 2016 12:57)
少し顔を赤らめて話す蒼だった。
萌仁香は、それに気付いていた。
「えっ? 気になる会社って?」
『・・・うん・・・津路工機なの』
「って・・・つ、津路君の会社?」
『うん! 事務員さんを募集しているみたいなの・・・わたし、一度、OLをやってみたかったんだぁ・・・』
「へぇ~そうなんだ」
『ねぇ、萌仁香ぁ・・・津路君ってどんな人なの? とても優しそうだし、楽しい人よね』
「あっ、う、うん・・・楽しい人よね・・・でも、あまりよくは知らないのよ・・・」
『そっかぁ・・・』
「ねぇ、蒼・・・」
『なぁに? 萌仁香』
「津路君とは、バーベキューの一度しか会っていないのよね?」
『・・・うん』
「そっかぁ・・・ほら、美子都のドタキャン予防措置活動やったでしょ! 蒼が津路君と入籍したっていうストーリーの・・・」
『・・・うん』
「あの時さぁ、可夢生の悪知恵ストーリーに、蒼は断るかと思ったら・・・津路君との入籍話に、なんか嬉しそうだったよね?」
『えっ?・・・そ、そんなことないよ!』
蒼は、明らかにほっぺを赤くして、恥ずかしそうにうつむいた。
「まさか・・・」
『えっ? まさかってなに?』
「一目ぼれでもした? 津路君に・・・」
『バカぁ・・・そんなことある訳ないでしょ!』
「・・・って、その顔が“ある”って言ってるけど」
『・・・・・』
「で、どうする? 津路君のことは、健心が一番付き合いがあったんだけど・・・健心に相談してみる?」
『えっ? 津路君との結婚を?』
「・・・・・ちがーから(-_-;) 津路君の会社に勤めることよ!」
『あっ、あ、それね! うん! 健心さんにいろいろ聞いてみたい!』
「・・・分かった(-_-;)」
マコト (火曜日, 07 6月 2016 00:14)
萌仁香は、それなら早くと携帯を取り出し、健心にLINEした。
と、数分も経たないうちに、
『よっ! 萌仁香! ・・・あ、ど、どうも・・・蒼さん』
と、健心が花風莉にやってきた。
「えっ? 早っ!」
『あぁ、ちょうどそこのセブンイレブンにいたんだよ!』
「そっか・・・っていうかさっ、私と蒼への挨拶が違い過ぎるんだけど!」
『えっ? そ、そんなことないよ!』
健心の蒼に対する挨拶は、明らかに違かった。
「もぉ~、美人には相変わらず弱いんだから! 健心は!」
『・・・・・そんなことないよ(-_-;)』
そんな二人のやり取りを蒼は、
『いいなぁ・・・私も、そうやって健心さんとも普通に話せるようになりたいなぁ・・・』
「蒼! あのね・・・それは、なかなか難しいのよ・・・この人の場合はね! ・・・って、まぁ、そのことはまた今度ということにして・・・あのさ、健心・・・」
『おっ、そうだ! なんだい? 相談したいことって?』
「それがさぁ・・・」
萌仁香は、蒼からの頼みを健心に説明した。
その話を聞いた健心は、
『・・・なるほど! 津路はいいやつだよ! じゃぁ、俺から津路に頼んであげるよ!』
「えっ? ホンとですか? 健心さん」
『あっ、は、はい・・・任せてください、僕に』
萌仁香が、すかさずそこに突っ込みを入れてきた。
「はぁ? ぼ、僕にだぁ? なに、その“僕”って! 気持ち悪いんだけど!」
『ぼ、僕は僕だよ!』
「もぉ、美人には言葉づかいが、どうしてそこまで違うのよ! あんたわ! ったく! ちょっとこっちに来なっ!」
『はぁ?・・・なんで? やだよ!』
「いいから,こっちに来なさいよ! 健心」
萌仁香にポロシャツの首の部分をつかまれ、外に出された健心は、
『なにぃ・・・? 中じゃ話せないことなんだろう?』
「さすがに、あんたは感がいいわね! そうなの! あのね・・・」
と、蒼がどうやら津路に気があるかもしれないことを伝えた。
『う、う、う・・・うそっ、まじで?』
「分かんないけどね! その可能性は高いわよ!」
『・・・・・・』
「えっ? なに? あんた、もしかして落ち込んでんの? あんたには、美子都がいるでしょ! 美子都が!」
『・・・・・・』
「ってさ、そう言えば、美子都のドタキャン予防措置活動のあとは、どう? ケンカしてない?」
『う、う、うん?・・・うん、ケンカはしていない・・・』
「なによ、それ? ケンカは!って」
『・・・ずっと、機嫌悪い!』
「・・・まじで?」
『うん・・・おかげさまで、あれから毎晩、みたらし団子の差し入れさせられてる』
「アハッ! 美子都らしいわね! ・・・えっ? ・・・ってさ、昨日、私も“みたらし団子・レアチーズタルト・SOYJOY・ほかドリンク”を差し入れして来たのよ!」
『まじで? ・・・いま、成長期だからな・・・』
「・・・そうね(-_-;) ・・・って、本論に戻ろうよ!」
『そうだな』
マコト (火曜日, 07 6月 2016 19:49)
健心と萌仁香が戻ってくるのを待っていた蒼は、
「ねぇ~、なんか私のことを話していたの?」と、心配顔で。
『あっ、ち、違いますよ、蒼さん・・・美子都のことでちょっと・・・』
「そっか、あぁ、良かった!」
『いい子だなぁ、可愛いなぁ、・・・蒼』
そう、心の中でつぶやく健心に、蒼が
『健心さん・・・私に、OLが務まると思いますか?』
「大丈夫ですよ! だって、オフィスのレディだから」
『・・・???』
と、やっぱり健心と、綺麗な女性との会話には、通訳が必要であった。萌仁香が、
『あっ、蒼! いま、健心は、あまり気負わなくても大丈夫だよっていう意味で言ったみたいよ!』
「うん! 分かってる!」
『えっ? 分かるんか~い? ・・・案外、お似合いなのかもね・・・この二人』
と、天然素材の二人に、微笑むしかなかった。
「じゃぁ、2~3日待ってください、蒼さん・・・ 津路のところに行って、話してくるので」
『はい、お願いします、健心さん』
健心は、ニコニコして帰っていった。
「ねぇ、萌仁香・・・」
『なぁに、蒼』
「健心さんって、お茶目よねぇ・・・わたし、あんな人が旦那さんだったらいいなぁ・・・たくさん尽くしちゃうんだけどなぁ」
『は~~ぁ? なに、それ・・・津路君が好みじゃなかったの? (蒼って・・・分かんない)』
「健心さんなら、きっといい返事を持ってきてくれるよね!」
『・・・そ、そうね』
マコト (水曜日, 08 6月 2016 22:55)
花風莉を出た健心は、蒼から頼みごとをされたことに上機嫌。
それでも、萌仁香の言葉を思い出して、
「蒼が、津路のことを?・・・あいつ、あれで結構もてるんだよなぁ・・・日本人離れした顔してるからなぁ・・・って、俺も東南アジア系だった(-_-;)」
と、“一人ボケ突っ込み”をかましながら、「このまま津路のところに行っちゃえ!」
と、車を走らせた。
「おぉ、これが津路の会社か!」
健心は、会社の前の駐車場に車を停めて、『事務所』と案内板で示された方に歩き出した。
すると、事務所ではなく、倉庫のような建物の奥の方から
『おぉ~、健心!』
それは津路だった。
「よっ!津路」
『どうした? 珍しいな! 健心・・・こないだのバーベキューでは、世話になったな』
「うん、楽しかったな・・・今日は、津路にちょっと頼みごとがあってな」
『頼みごと? ほぉ~・・・まぁ、入れよ!』
と、事務所に通された。
中に入った健心は、
「す、すげ~!!!」
と、事務員の数と、宝塚歌劇団のような美女の多さに衝撃を受けた。
『どうした? 健心!』
「いやっ、なんでもない!」
健心は、奥の社長室に案内され、豪華なソファーに腰をおろした。
『珈琲がいいか? お茶? どっちがいい?』
「あっ、じゃぁ、珈琲をいただくよ」
津路は、インターフォンで
『珈琲を二つ頼む!』
「はい、社長、かしこまりました」
健心は、津路がとってもカッコよく見えた。
「おぉ~、社長! って、感じだな!」
『なに、言ってんだよ! 小さな会社だぜ! これで、結構大変なんだよ! それに長く勤めてもらっていた事務員に急に辞められちゃってさ・・・』
健心は、「おぉ~、これは話が早い」と思った。
二人が、雑談をしていると、珈琲を持った事務員が社長室に入ってきた。
『おぉ、夏美君、ありがとう! こいつは、小野寺健心! 俺の高校時代の同級生なんだ!』
「そうですか」
と、柔らかい笑みを浮かべた。
それは、堀北真希似のとても綺麗な女性だった。
健心は、その女性にみとれて、ずっと固まったまま。
夏美が出て行くのをロボットのような動きで見届けると
「き、き・・・綺麗な人だなぁ・・・」
『うん? 夏美君か? あぁ、なかなか気のきく女性でな! 助かってるんだよ』
「しかし、すごいなぁ・・・」
『うん? なにが?』
「たくさんの事務員さんがいるんだな! それも、みんな綺麗な女性ばかりで・・・」
『いやいや、ホンと、小さな会社だよ』
『ところで、健心・・・頼みごとってなんだい?』
マコト (木曜日, 09 6月 2016 12:55)
健心は、夏美の綺麗さに顔が緩んだままであったが、
「おっ、そうだった」
と、今日の本題に入った。
「あのさっ、・・・津路の会社で事務員さんを募集しているんだって?」
『うん? おぉ~、そうなんだよ。さっき言ったように、長く勤めてもらっていた事務員に急に辞められちゃってさ・・・って、そのことと、今日、健心がここに来たのと関係があるのか?』
「あっ? う、うん・・・実はな、ハローワークで津路のところの求人を見た人がいてさ・・・」
『おぉ~、なに? その人が健心の知り合いなのか? 健心が推薦するなら、即採用するぜ!』
「えっ? そうなのか?」
『あぁ・・・でっ、どんな人なんだい?』
健心は、満面の笑みをつくって言った。
「蒼さんだよ!」
『・・・えっ』
蒼であると聞かされた津路の表情は、明らかに変わった。
その時の健心は、津路はきっと驚きの表情をしたのだろうと思い、
「いやぁ、さっきの夏美さんといい、他の事務員さんも、みんな綺麗な女性だよなぁ・・・なんだよ!津路は、綺麗な事務員さんしか雇わないのかよ! って、思ったぐらいだよ! で、蒼さんなら申し分ないよなぁ ったく、幸せ者ぉ!」
健心は、この話の流れなら、津路は、二つ返事でOKしてくれると思っていた。
だが、津路は、
『健心・・・申し訳ないけど・・・』
「えっ? なんで? いま、俺の推薦なら即採用するって言ったばかりだろう? それに、津路だって、蒼さんが国立大学卒で、性格も申し分ないことは分かっているんだし・・・ほらっ! なにより、津路の大好きな美人さんだしさ! 問題ないよな?」
『・・・健心 ・・・本当にすまないけど』
「津路・・・」
健心は、直ぐに少し言い方が悪かったことを反省した。
だから、素直に詫びる気持ちで、
「津路・・・ごめん・・・ちょっと調子に乗りすぎた。・・・でもさ、どうしてダメなのか聞かせてくれよ・・・俺、津路とは一番仲が良かったからと、蒼さんにお願いされたんだよ・・・だから、理由ぐらい教えてもらえないと・・・蒼さんに伝えられないよ・・・津路」
だが津路は、健心の顔を見ずに
『すまないが、帰ってくれ! 忙しいんだ!』
と、健心に背中を向けて立ち上がった。
「津路・・・」
健心は、津路にかける言葉が見つからなかった。
ただ、ここで津路とケンカになることだけは避けたいと考えた健心は、黙って津路の言葉に従うことを選択したのである。
「津路・・・珈琲、ごちそうさま・・・また、機会があったら仲間達で一緒に飲もうな」
津路が、健心の言葉に返事することはなかった。
社長室を出て、珈琲を運んでくれた夏美に軽く会釈をして事務所を出た。
健心は、車に乗り込み
「いったいなんなんだよ! 津路のやつ・・・どうして蒼さんじゃダメなんだ? その理由ぐらい聞かせて欲しかったぜ・・・津路」
車を発進できずに、考え込んでいると、それまで、抑えていた感情が、ふつふつと湧いてきた。
「津路! ふざけんなよ!」
・・・と、その時だった。
マコト (木曜日, 09 6月 2016 20:47)
堀北真希似の夏美が、事務室から出てきて健心の車に近づいてきたのである。
“コンコン”
『すみません・・・』
「えっ?・・・ま、ま、真希さん」
と、窓を開けると夏美は、ちょっと照れくさそうに
『あのぉ・・・黒河夏美です。 いま、真希と・・・』
「あ、あ、ごめんなさい・・・そうでした。夏美さんでしたよね・・・堀北真希さんに似てるなぁって思ったので、つい・・・」
夏美は、少しだけ笑みを浮かべたが、
『あのぉ・・・ちょっといいですか?』
と、神妙な顔をした。
健心は、車から降りて夏美の前に立った。
「夏美さん・・・どうかしましたか?」
『小野寺さんとおっしゃいましたよね? 社長と高校時代の同級生だと・・・』
「あっ、はい・・・高校時代は、よく二人でバカやっていました。津路は、昔からいい奴でねぇ・・・」
『ひとつお尋ねしたいんですが・・・社長は、6月ごろ、バーベキューに出かけて行ったんですけど・・・確か、高校の同級生たちと卒業以来に会うんだと、すごく喜んで出かけていったんですが・・・』
「あっ! それなら、自分も参加して、楽しく飲んできましたよ」
『そうでしたかぁ、良かったです。・・・それで、その時の社長の様子がどんなだったか、お聞きしたいんですが・・・』
「えっ? その時の様子? ・・・普通でしたけど、なにか?」
『実は・・・、社長、そのバーベキューに行った後から、様子がおかしいんです・・・だからバーベキューの時に何かあったのかと、ずっと考えていたんです・・・』
「えっ? バーベキューのあとから?」
健心は、その時の津路の様子を思い出していた。そして、
「う~ん・・・楽しく飲んでいたと思いますけ… あっ!」
『えっ? 何かあったのですか?小野寺さん!』
健心は、バーベキューの時、蒼の話に仲間達の誰よりも涙を流し、考え込んでいる様子の津路を思い出した。
「もしかして、津路は・・・」
『えっ? 小野寺さん・・・思い当たることがあったのですか?』
健心は、意を決して夏美に言った。
その時に何をどう考えたのか・・・
「夏美さん・・・お、俺と・・・付き合ってください!」
『・・・はぁ?』
マコト (木曜日, 09 6月 2016 23:48)
夏美は、健心の言葉に、大きな目をさらに大きくして、
『お、お、小野寺さん・・・いま、なんて?』
「はっ??? あっ、あのぉ・・・いきなりの付き合ってくださいって、誤解されるような言い方をしてごめんなさい・・・実は・・・」
健心は、バーベキューの時に、蒼のことで津路が過剰な反応をしていたように感じたこと、そして、今日は、この会社で事務員を募集していることを知ったその蒼が、入社を希望していることを津路に伝えにきたが、急に態度を変えられ、そして断られたことを夏美に伝えた。
そして健心は、頭をかきながら夏美に言った。
「あのぉ・・・ごめんなさい・・・津路がどうして急に態度を変えて断ったのか、それとバーベキューのあとに、どう様子が変わったのか・・・いろいろ聞きたいと思って、ここじゃなんだと、場所を変えて聞きたいなと・・・それで、つい、“付き合ってください”なんて言い方してしまいました・・・ごめんなさい」
夏美は、笑顔で健心を見ていた。そして、夏美はこう言った。
『健心さん・・・うちの社長と、なんか似ていますね。 自分のことよりも、他人のことで一生懸命になって・・・そんなところが、好きです』
「・・・えっ? す、す、好き? 俺のことが???」
おそらくは、夏美は健心の最後の言葉は聞こえていなかったのであろう。
『健心さん・・・じゃぁ、今日仕事が終わってからお会いしましょうか?』
「・・・は、は、はい」
夏美は、事務服のポケットからメモ用紙を取り出し
「はい・・・これ、私の番号です」
と、健心に渡した。
「えっ、・・・」
と、健心はロボットのように固まり、
「あ、ありがとうございます」
「じゃぁ、のちほど・・・」と
健心は、一度帰宅して勝負服の一張羅のジャージに着替えた。
「やっぱり、男はこれじゃなきゃ!」
よく分からない理論であるが・・・
そして、時間を見計らって夏美との待ち合わせ場所に向かった。
その頃、仕事を終えた夏美も着替えを済ませ、健心の待つ場所に向かっていた。
黒河夏美・・・
年齢は、健心と同じ53歳である。
髪は黒く、ミディアムロング・内巻きワンカールに綺麗にまとめられ、自然に整えられた眉に、薄化粧
一言で、美人である。
堀北真希が中学2年生のとき、バスケットボールの部活動の帰り道、畑でスカウトされた話は有名であるが、夏美も同じようにバスケットボールに明け暮れた学生時代を送っていた。
蒼が、有村架純似で・・・同じようなタイプと思うであろうが、夏美は“大人”という表現がぴったりな女性である。
実は・・・
夏美と津路は、仕事のパートナーとして、もう20年以上の付き合いなのである。
そう、だから、津路探偵事務所時代にも、事務員をして津路を支えてきていたのであった。
そんな夏美は、初対面の健心が馴染むまでに時間を要するタイプの女性であるはずなのだが、何故か、今回の健心は凛々しかった。
健心は、一張羅のジャージに身を纏い車を走らせた。
マコト (木曜日, 09 6月 2016 23:51)
二人の待ち合わせ場所は、夏美が一度行きたいと思っていた“ハニー・シー”だった。
養蜂園が運営するカフェらしく、“はちみつ”にこだわったパンケーキを始め、蜂蜜をかくし味に使用したパスタやピッツァなどを出してくれるお店だ。
健心が、先に着いた。
店に入ろうと中の様子を伺った・・・健心の足は止まった。
「・・・無理」
そう、店内は、若い女の子だらけだったのである。
やむを得ず、健心は駐車場で夏美を待つことにした。
間もなくして夏美が来た。
『ご、ごめんなさい・・・待たせてしまいましたね、小野寺さん』
と、何故だろうか・・・男は、決まってこんな言い方をする。
「いやっ、自分も遅れちゃって・・・いま、着いたところなんです」と
たいがいの女子は、分かっている。
『優しいのね』と
『わぁ~、わたし、ずっと来たかったの! このお店』
「そうなんですか・・・」
『入りましょう!』
「あっ、・・・はい」
お客さんの全てが、若い女の子だった。
もちろん・・・浮いた。
一張羅のジャージが。
奥の席に案内され、店員さんからメニューを渡された。
健心は、「食事はまだですよね?」と、晩御飯を勧めた。
『あっ、・・・はい。 どうしよぉ~、みんな美味しそうで悩んじゃう~』
男は、そのギャップに弱いものだ。
大人の雰囲気たっぷりでありながら、可愛い少女のような一面を覗かせる。
男たちは、知らないのである。
それが、女の子の武器であることを。
そして、こんな状況において女の子は、こんなことも言う。
『彼と一緒だったらなぁ、違うものを頼んでシェアするんだけどなぁ・・・』
そしてもちろん男は、目の前にぶら下げられた餌に食らいつくのである。
「あっ、良かったら二つ選んでもらっても構いませんよ! 一緒に・・・」
だが・・・
もちろん撃沈されるのである。
『あっ、わたし・・・ごめんなさい・・・初めての方に、変なことを言ってしまって・・・』
「あっ、いやっ・・・そ、そうですよね」と
マコト (日曜日, 12 6月 2016 20:52)
結局、健心が“小エビのハニートマトクリームパスタ”
夏美が、“ホウレン草とキノコのハニークリームパスタ”を
そして、“生ハムとルッコラのピッツァ”を二人で、夏美には“ドルチェプレート”も追加した。
ピッツァは、8分の2を健心が、そしてその残りを夏美が頬張った。
世間一般的には、逆なのかもしれない。
だが、美子都の食べっぷりに慣れている健心には、驚きはなかった。
それは、既に美子都で免疫が出来ていたからだ。
健心だって、簡単に免疫を手に入れていた訳ではない。
最初は衝撃を受けた。
「こ、こ、こんなに食べる女子が世の中にいるのか!」と
美子都は、カラオケボックスに入れば、必ずインターフォンに一番近い席に座り・・・、
気が付けば、料理が運ばれてきている。
「え~、○○君が食べたいっていうから頼んだのにぃ~ もぉ~!あぁ、もったいない! 仕方ないなぁ、私が!」
もちろん仲間達は分かっている。
「はいはい・・・どうぞ、召し上がってください」
そんな美子都のことを仲間達は、豪快に食べることが、美子都の元気印といつも見守っているのであった。
ところで、本編に戻るが・・・
二人は、特に緊張することもなく食事をしていたが、いわゆるデート的な雰囲気は、食事が終えるまでだった。
そこからは、健心も夏美も顔つきまでも変えて話しを始めた。
「夏美さん・・・津路は、バーベキューのあと、どんなふうに様子がおかしいんですか?」
『はい・・・時々、ぼーっと考え込んでいたり、とにかく、あまり笑わなくなってしまったんです・・・あんなに、明るい俊成く・・・あっ、津路社長だったのに』
「そうなんですかぁ・・・」
『小野寺さん・・・蒼さんという方のことを聞かせてください』
「・・・はい」
と、健心は蒼について話をした。
当然、理のことも含めて。
『小野寺さん・・・その、理さんの捜索の件って、いつ頃の話ですか?』
「う~ん、・・・8~9年前です」
すると、それまでの固い表情の夏美の顔がさらに強張ったのである。
それを見た健心は、
「えっ? 夏美さん・・・何か思い当たることでも?」
『あっ! いえっ・・・なんでもありません』
健心は気づいていた。
明らかに夏美は、何かを隠していると。
そんなときの健心は、話題を変えるのであった。
「ところで、夏美さんは、いつから津路の会社に?」
おそらくは、夏美は、理の捜索の話題に戻ってほしくなかったのであろう。
健心に話題を変えられたことで安堵の顔を浮かべ、明るく、そして口数も多く話し出した。
『はい、もう20年近くなりますね・・・津路社長とは・・・』
健心の思惑通りかどうかは分からないが、夏美は余計なことまで話してしまう。
津路が、あるとき、突然に探偵事務所を閉じて、津路工機を親から継いで社長となり、そして夏美も一緒に津路工機で働くようになったことを。
健心は、気づいた。
理の失踪の時期と、津路が突然に探偵事務所を閉じた時期が一致していることを。
そして、そのことで健心の頭の中では、ある仮説が一つのものとしてつながったのである。
マコト (日曜日, 12 6月 2016 20:53)
健心は、少しの戸惑いはあったが、その仮説を夏美に告げることを決意した。
「夏美さん・・・」
『あっ、・・・はい』
「これから、自分の考えたことを話します。あくまでも仮説です。決してこれが正しいと決めつけているものではありません。・・・聞いていただくだけで結構ですから」
夏美は、黙ってうなずいた。
健心は、順を追って語った。
津路は、探偵時代に理の捜索の依頼を受けていたのではないか。
それは、理の失踪・捜索と、津路が探偵を辞めた時期がほぼ同じであることから・・・そう考えれば、全てのことがつながる。
理を探している時に、何かがあった・・・それは、探偵を辞めることを決意させるような何かが。
津路が、どうして探偵を辞めようと考えたのかは分からない。
それでも、おそらくは辛い思いをして、苦渋の選択をして辞めたのであろう。
それから津路は、津路工機の社長として、頑張って働いてきた。
そこに、仲間達からバーベキューに誘われ、卒業以来、同級生たちに会った。
そして・・・そこで、蒼に会った。
おそらくは、蒼の顔を見た瞬間に、津路の中で封印していた昔の記憶が蘇ったのであろう。
だから、自分に「蒼の苗字は?」と尋ねたのだと思う。
津路が、元刑事と探偵であったことで、仲間達は津路の意見を求めた。
おそらくは、思い出したくない記憶であったがために、津路はそれを断った。
でも、結局は・・・
蒼が語ったことで、津路は堪えきれずに号泣した。
それは、
蒼が栞の妹であること、栞が理を待ち続けたまま亡くなったこと、そして蒼が今でもずっと理を待ち続けていること。
それを聞かされた津路は、相当に辛かったんだと思う。
それを考えると・・・もしかすると津路は、理の居場所の手がかりを掴んでいたのかもしれない・・・そして、それを依頼人である栞の父親には告げられなかった・・・そう、考えると、全ての説明がつく。
バーベキューの時に、蒼の話に異常なまでに涙を流した津路は・・・
その異変に気付いてやれなかった自分が、本当に情けなく思う。
高校時代からの親友として。
津路は、バーベキューから帰ったあとも、蒼の話が忘れられなかったのであろう。
だから、ぼーっと考え事をしたり、心から笑えなくなってしまっているのではないか。
これまで、話してきたことが、もし、当たっているとするならば・・・
今日、津路にお願いした蒼の就職のことも・・・
津路に何もしてやれなかった自分が、さらに津路を苦しめるようなお願いをしたのかと思うと・・・情けないとしか言いようがない。
そして、健心は最後にこう言った。
「夏美さん・・・もしかすると、津路は俺の顔も見たくないはずです」
『・・・えっ? どうしてですか?』
「・・・理は、自分と双子のようにそっくりなんです。亡くなった栞さんも、蒼さんも・・・理が戻って来てくれたと思うぐらいに」
『えっ?・・・小野寺さん』
そして、何かを知りながらも、それを隠そうとした夏美の気持ちを変えるには十分であろう言葉を贈った。
「夏美さん・・・俺、もし、津路が何かに苦しんでいるのなら・・・津路を救ってやりたいんです」と
マコト (日曜日, 12 6月 2016 20:55)
夏美は、しばらくうつむいていた。
そして、ようやく顔をあげて健心に向かって、こう言ったのである。
『小野寺さんって、推理作家のような方ですね! なんか、ばかばかしくて笑ってしまいますよ!』
『私は、ずっと津路社長のそばにお仕えしてきましたけど・・・小野寺さんが考えた仮説とやらによると、津路社長は、探偵として依頼人を裏切るようなことをしたということになりませんか? ・・・そんなことはあり得ないですよ、津路社長に限って』
『ましてや、私は、津路探偵事務所で事務員として働いていましたから、どこからどんな依頼があったのか、全て承知していましたけど、小野寺さんが話したような依頼は、全くありませんでしたから』
期待外れの夏美の返事に、健心は言葉を失った。
さらに追い打ちをかけるように夏美が、
『小野寺さんは、蒼さんという人をうちの会社に入れてあげたいだけなんじゃないですか?』
「・・・夏美さん」
健心は、もうそこまで言われてしまえば、引き下がるしかないと思った。
「すみません・・・確かにそうですよね・・・夏美さんの言う通りです」
「津路に対しても謝らせてください」
「ただ・・・夏美さん・・・これだけは信じてください」
「俺・・・今日、津路と会って・・・津路は、とっても辛そうに俺を追い返したんです・・・だから・・・」
「・・・あっ、でも、それも俺の勝手な憶測ですね」
「俺・・・津路にもう一度会ってきます。あっ、蒼さんの就職のお願いではありません。もし、俺に出来ることがあるなら・・・もう一度会って・・・」
夏美は、立ち上がってこう言った。
『そんな必要はないと思いますけど・・・同級生の方が社長にお会いするのを止める権利は、私にはありませんから・・・』
『小野寺さん・・・社長をさらに苦しめるようなことだけは・・・お願いします』
『私は、これで失礼します』
そう言って、店を出て行ってしまった。
健心は、その後姿を見つめることしか出来なかった。
マコト (月曜日, 13 6月 2016 20:34)
実は・・・
黒河夏美は、津路にずっと…ずーっと想いをよせ続けている女性なのである。
夏美は、津路が探偵事務所を開いたときから、津路を支え続けてきた。
探偵と言えば、人の秘密を陰で探り、依頼人が有利となることだけを考え、任務をこなすと思われるだろうが、津路の仕事ぶりは、そうではなかった。
常に双方が良くなることを考えながら・・・とても人情味あふれた仕事ぶりだった。
夏美は、そんな津路が大好きであったのである。
ただ、依頼人の心情を察して、ややもすると報酬を受け取らずにタダ働きをするようなこともあり・・・それを必死に支え続けてきたのが夏美であった。
疲れて帰ってくれば、それを労い、食事から身の回りのことまで・・・独り身の津路にとっては、なくてはならない存在だった。
人前では夏美君、津路社長と呼び合うが、二人でいれば“ナッちゃん”、“俊成くん”と呼び合っていた。
そんな夏美は、当然、津路からのプロポーズを待ち続けていた。
だが、身の危険を伴う探偵という仕事であることが、津路を思い留まらせた。
「もし、自分の身になにかあったら・・・」
夏美は、それを分かっていた。だから、結婚というゴールは望まず、ずっとそばにいて津路を支えてきた。
それは、探偵事務所を開いて、ちょうど10年目のときだった。
「あのぉ・・・人探しをお願いしたいのですが・・・」
栞の父親だった。
『どうぞ、こちらへお座りください』
それは、たまたま夏美が留守の時だった。
栞の父親の依頼内容を全て聞いた津路は、こう言ったのである。
「御子柴さん・・・理さんは、きっとどこかで生きていますよ! 栞さんを残して、しかも妹の蒼さんとの誤解を解こうとしていた男が、自殺などするはずがありません! 自分、精一杯に探させてもらいますから、早速、その群馬の峠道に行ってみます」
栞の父親は涙をいっぱいにためてこう言った。
『そのようなことを言ってくれた方は、津路さん・・・あなたが初めてです。 津路さん・・・白状しますが、この件をお願いする探偵事務所は、ここで3つ目なんです』
『自分のところを信用できないのなら他に行ってくれと、お叱りを受けるのではないかと最初は黙っていようと思いましたが・・・津路さんに会えて良かったです。 どうか・・・、どうか、よろしくお願いします。 無事に探し出していただいた時には、いくらでもお支払いたします・・・娘のためにどうか』
「御子柴さん・・・私は、今回のお仕事・・・お金のためには働きません! 理君を待ち続ける栞さん、そしてもとの仲の良い姉妹に戻れるよう・・・そのために働きます。 それでいいですよね? 御子柴さん」
『津路さん・・・ありがとうございます、よろしくお願いします』
栞の父親は、立ち上がり何度も何度も頭を下げて津路の手を握った。
「必ず見つけますよ! 待っていてください、御子柴さん」
父親から、わずかばかりの調査必要経費だけを受け取り、津路は承諾書を渡したのであった。
マコト (月曜日, 13 6月 2016 20:43)
栞の父親が帰って直ぐだった。
外出していた夏美が戻ってきた。
『ただいま! 俊成くん・・・あれっ? お客様いらしていたの?』
「あっ、う、う~ん・・・ちょっとした簡単な仕事を受けたよ」
夏美は、もうその時の津路の返事の仕方で分かるのであった。
『まぁた、大変なお仕事を受けたのね!』
津路が、そんな返事をしたときは、決まってお金にならないような、そして、やりようによっては大変な依頼を受けたときなのである。
そんな夏美は、
『俊成くん! いつ、仕事に取り掛かるの?』
「えっ? あっ、う、う~ん・・・今日にでも出かけようかな」
『・・・そう・・・分かった・・・ちょっと待ってて! 着替えと、ちょっとした物用意するから』
「えっ?」
『だって、俊成くんが“ちょっとした簡単な仕事”って言った時には、しばらく帰ってこないことが多いでしょ!』
「あっ、いやっ・・・」
『えっ? 違うの? 簡単なお仕事って、う~ん、例えば、ラーメンを食べた後にデザートの店、そして焼き肉食べ放題の店に「はしご」しているかどうか調査してくれ! な~んていう簡単なお仕事なの?』
「・・・確かに、そんな依頼を受けたことがあって、実際にそんな行動をしていた女性を尾行したことあるけど・・・まぁ、ホンとに簡単なお仕事だから」
『うん、分かった、俊成くん!』
事務所の奥に入り、津路の身支度を済ませた夏美は、
『はい、これ! たまには、連絡をちょうだいよ! これでも心配しているんだからね!』
「ありがとう・・・ナッちゃん」
『行ってらっしゃい、俊成くん』
津路は、そのまま車に乗り込み群馬に向かった。
そして・・・
津路は、出かけて行ったその日にガッツと出会ったのである。
津路とガッツが出会うことが出来たのは、夏美の支えがあったからなのであった。
マコト (火曜日, 14 6月 2016 20:01)
夏美に帰られてしまった健心は、ひとり、ハニー・シーから帰れずにいた。
「どうしよう・・・」
蒼に対してどう説明したらいいのか、考えがまとまらなかったのである。
健心は、ひとつ溜息をついて、ふと店内を見渡した。
すると、少し離れた席で健心に笑顔で会釈をする女の子に気付いた。
「あっ・・・」
それは、萌仁香の娘のミーちゃんだった。
「ミーちゃん・・・」
ミーちゃんは、親子でありながら双子と間違えられるほど、萌仁香にそっくりな女の子で、花風莉の看板娘である。
健心も会釈で応えると、ミーちゃんは嬉しそうに立ち上がり、健心のところに来た。
『ケンちゃんさん! デートだったんですか? 綺麗な女性でしたね!堀北真希さんにそっくり!』
健心のことをケンちゃんさんと呼ぶミーちゃんは、いつもの明るい笑顔でするどい突っ込みを入れてきた。
「あっ、いやっ・・・デ、デ、デートではないんだけど・・・」
『ケンちゃんさんが、こういう女性が好むお店によく来たなぁって、ちょっとびっくりしたんですけど・・・デートじゃなかったんですか?』
「あっ、いやっ本当にデートじゃないんだ! でさ、このことはお母さんには内緒にしてもらえるかな?」
『え~、ほらぁ、それが怪しいですよ! ケンちゃんさん!』
「・・・確かに・・・いやっ、でも本当にデートじゃないんだって! それは信用してくれないかな?」
『は~い、分かりました。でも、どうかしたんですか・・・なんか、最後のころの会話が聞こえてきちゃったんですけど・・・』
「・・・えっ?聞こえた? ・・・いやっ、・・・実は、蒼さんのことで、ちょっとなぁ」
『蒼さんのこと? あぁ、そう言えば、今日、お店で話していましたよね! 蒼さんの就職のこと・・・』
「うん・・・それで、ちょっとあって・・・」
『そうだったんですか・・・あっ、わたし・・・ごめんなさい・・・立ち入ったこと聞いちゃって・・・ケンちゃんさん、何か事情があるんですね! 大丈夫です、母には内緒にしておきますから!』
「ごめんね、ミーちゃん」
ミーちゃんは自席に戻っていった。
その後姿を見送った健心は、長居は無用と気づき、直ぐにハニー・シーを出たのであった。
マコト (火曜日, 14 6月 2016 23:40)
自宅に戻った健心であったが、蒼に対してどう説明すべきなのか、決めかねていた。
「もう、採用する人が決まっちゃったんだって!」
そう蒼に答えたかった健心だったが、ハローワークに通っている蒼には通用しない嘘だと、その言い訳は、消去法により真っ先に消し去った。
「どうしよう、やっぱり・・・」
夏美に、全否定された健心であったが、どう考えても自分がたてた仮説が、一番につじつまが合うと思った。
そして、健心は決断した。
「夏美さんは、絶対に違うと否定したけど・・・」
「もしも、本当に津路が悩み苦しんでいるんだとするならば、そこから救い出してやれるのは自分しかいない!」
「ならば、蒼さんのことよりも、津路のことを優先すべきだよな!」
「いま、俺が真っ先にやらなければならないことは・・・そうだよ! やっぱり津路にもう一度会ってこよう! 蒼さんのことは、それからもう一度考えればいい」
その結論に達した健心は、ようやく眠りについた。
その晩・・・
健心は夢を見た。
何故か、不思議な夢だった。
それは、自分と玲飛、そして萌仁香と娘のミーちゃんの四人でホタルを探しに行く夢だった。ホタル探しには、健心も一緒に行ったはずだったのに・・・
(萌仁香)「ホントにいるのぉ?・・・ホタル・・・こんな暗いところで、大丈夫?」
(玲飛)「くらねよ! ぜってーいっから!」
(ミーちゃん)「お母さん・・・ホンと大丈夫なの?」
(萌仁香)「・・・だ、だ、大丈夫よ! だって、玲飛が自信満々に言ってるじゃない!」
(玲飛)「なんだい? ミーちゃん・・・くらねから・・・って、ほれ! いた! いたいたいた! こっちきちろ!」
(ミーちゃん)「・・・お母さん、お願い! 通訳して」
(萌仁香)「こちらに来なさい! っていう意味みたいよ」
(ミーちゃん)「・・・わぁ~~~、ホンとホタルだぁ! すご~い!」
(玲飛)「言ったべ!」
(ミーちゃん)「ケンちゃんさん! ほ、ホタルいたよ! ねぇ、ケンちゃんさん!・・・えっ? ケンちゃんさん? ねぇ、お母さん、ケンちゃんさんがいないよ!」
夢は、そこで終わった。
一緒に行っていたはずの自分が、何故か途中でいなくなる・・・そんな夢だった。
マコト (水曜日, 15 6月 2016 23:41)
翌日・・・、
健心は仕事を休み、津路のところにいくことを決めていた。
「津路、頼む! 俺の話を聞いてくれよ!」
そう何度も頭の中で繰り返し、津路の会社に向かった。
街中を抜け、津路の会社が近づいてきた。
健心は、交差点の信号が青に変わるのを待ちながら、ふと、空に目をやった。
その日は、雲が低く垂れ込め、今にも降り出しそうな曇天だった。
何かを暗示するかのように
マコト (木曜日, 16 6月 2016 12:58)
津路の会社が見えてきた。
「津路! いてくれよ!」
駐車場に車を停めた。
事務室に向かおうとしたが、昨日と同じように倉庫のような建物に津路がいるのではないかと考えた健心は、事務室には入らず奥の建物を覗いてみた。
だが・・・、津路はいなかった。
「いないかぁ・・・」
健心は、夏美に会うことを覚悟で事務室に入った。
「こんにちは」
予想はしていたが、夏美が出迎えた。
「あっ、昨日は・・・」
と、挨拶を交わそうとした健心であったが、夏美が事務的に、
『いらっしゃいませ、どちら様ですか』
と、初対面であるかのように接してきたのである。
しかも、夏美の視線は明らかに冷たいものだった。
「あっ・・・小野寺と申しますが、津路社長にお会いできればと・・・」
『アポをお取りになられていらっしゃったのですか? ただいま、津路は外出しておりますが・・・』
「そ、そうですか・・・今日はお戻りになりますか?」
『津路の本日の予定では、お客様のご要望にはお応えできないかと・・・』
「・・・そうでしたか・・・では・・・」
出直してくることを伝えよとする健心より早く夏美が、
『まずは、アポを取ってからお越しいただくようお願いします。そうでないと、お客様とのお時間をお取りすることは出来かねます。津路は、しばらく忙しくしており、3週間先までは、スケジュールがいっぱいです。スケジュールは、私が管理するよう津路から言われておりますので・・・』
会社で津路に会うことは無理だと思った健心は、夏美の話を素直に受け入れ、深々とお辞儀をして事務室をでた。
駐車場に停めてある車までついて、健心はつぶやいた。
「夏美さん・・・俺をどうしても津路に会わせたくないんだな」
と
マコト (金曜日, 17 6月 2016 02:48)
そんなことを考えているところに、
「えっ?・・・」
健心が車に乗り込む前に雨が降り出した。
「降ってきちゃったかぁ・・・」
エンジンンをかけ、ワイパーのスイッチをONにして、ギアをバックに入れた。
健心は、ひとつだけ大きく息を吐いて、そしてルームミラーで後方を確認して車をバックさせた。
と、車が動き出したその時だった。
「あっ!」
マコト (金曜日, 17 6月 2016 12:57)
ルームミラーの中に、傘をさして立っている女性を見つけたのである。
「あっ!」
健心は慌ててブレーキを踏み、車を停車させた。
「夏美さん・・・」
傘をさして立っていたのは、夏美だった。
夏美は、険しい表情をしながら、車から降りた健心に近づいてきた。
そして、健心に向かってこう言った。
『小野寺さん・・・昨日、お話ししましたけど・・・どうしても社長に会うと言うのですか?・・・あなたが、社長に会うことで、社長が辛い思いをすることは、考えてはくれなかったのですか?』
少しの時間、口を真一文字に結んで考えていた健心であったが、ゆっくりと話を始めた。
「夏美さん・・・昨日、一晩考えました。確かに夏美さんの言う通り、私の仮説は間違っているかもしれません。でも・・・何度考えても・・・」
「あの明るくて屈託のない津路に、もう一度戻ってほしいんです。だから・・・」
「会ったからと言って、津路が話をしてくれるかどうかも分かりません。でも、俺は、津路の高校時代からの仲間として、津路の力になってやりたいんです!」
そう、夏美に向かって言った。
健心の気持ちを聞かされた夏美は、表情を変えずに健心に最後の確認をしたのである。
『どうしても、だめですか? 小野寺さん』
健心は、黙ってうなずいた。
と、その健心を見て夏美は、傘を投げ捨てた。
そして・・・
マコト (金曜日, 17 6月 2016 19:54)
雨は、急に強くなっていた。
その雨の中、夏美は傘を開いたまま投げ捨てた。
そして、事務服のポケットに隠し持っていた果物ナイフを取り出したのである。
「あっ!・・・」
たじろぐ健心に、ナイフを右手に持って夏美が、
『小野寺さん! 私は、俊成君を守りたいだけなの!』
と、叫んだ。
そして・・・
マコト (土曜日, 18 6月 2016 08:18)
夏美は、ナイフを振りかざし、そして・・・
夏美自身の左腕を切りつけたのである。
ナイフは、夏美の白いブラウスを切り裂き、夏美の左腕をも傷つけた。
赤い血が、白いブラウスを真っ赤に染めた。
健心は、何が起こっているのか、頭が真っ白になっていた。
夏美は、そんな健心を構うことなく、今度は、そのナイフを両手に持ち替えて、その刃先を夏美自身の胸に向けたのである。
ようやく、夏美の行動を止めなければならないことに気付いた健心
「な、夏美さーん! 止めるんだ!」
『止めろですって? あなたは、私の願いを受け入れてくれなかった人! そんな人の話を、どうして聞かなきゃならないの!』
「と、とにかく止めてくれ!夏美さん!」
強い雨で、真っ赤な血が地面を赤く染め始めていた。
「と、とにかく止めてくれ!夏美さん!」
すると・・・
夏美は、急に膝から崩れ落ち、うなだれたのである。
そのスキを見て健心は、夏美に駆け寄り、ナイフを奪い取った。
ナイフを奪おうとする健心に、夏美が抵抗することは一切なかった。
夏美は、顔を上げ、血に染まったナイフが健心の手に持たれていることを確認すると・・・
「キャー!!! 助けてーーー!!!」
急に、叫んだのである。
そして、事務所の方に走り去って行った。
すぐに、男の従業員が様子を見に来た。
そして、ナイフを持つ健心に気付くと
『け、け、警察! 警察を呼んでくれ!』
と、叫びながらまた事務室に逃げていったのである。
数分後・・・
けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。
健心は、10人以上の警官に取り囲まれた。
何が、どうなってこうなったのか・・・
その時の健心の思考は、全て停止していた。
おそらくは、健心を制止させようとする警官の声も、健心には届いていなかったであろう。
自分の周りを取り囲む警官にようやく気付いた健心は、自分の右手にナイフがあることにも気づいて、慌ててそのナイフを手放した。
それと、同時に複数の警官が健心に飛び掛かった。
健心は駐車場の地面に顔を押し付けられ、両手を後ろに回された。
直ぐに時刻と現行犯逮捕が告げられ、健心の腕に手錠がかけられた。
健心は、抵抗することもなく警察車両に乗り込み、そのまま連行されていった。
夏美は、少し遅れてきた救急車に無表情のまま乗り込み、病院へと向かった。
さらに強くなった雨が、現場に流れた夏美の血を洗い流しているかのようだった。
マコト (土曜日, 18 6月 2016 19:54)
健心は、科沼警察署に連行された。
すぐに、刑事による取り調べが始まった。
氏名、年齢、住所、職業・・・刑事の聞き取りに、健心は全て正直に答えた。
だが・・・
何故、事件を起こしたのか、健心の犯行なのか、ならば、その動機は・・・、健心は全てを黙秘した。
当然、黙秘することで、自分が不利となって送検されることも説明を受けた。
それでも、健心は犯行を否認することもなく、全てを黙秘した。
健心は、津路を守りたかった。
当然、自分の犯行ではなく、夏美が自身でやったことを話せば、そうなった理由も説明しなければならない。
そうなれば、津路のことまで言及されることを恐れたからだ。
取り調べが始まって、3時間が経った頃だった。
「おい、小野寺・・・被害者の供述がとれたよ! お前、被害者の女性に言い寄って、交際を断られたことに腹を立てて、それで、カッとなって切りつけたそうだな! 間違いないか?」
健心の目から、一粒の涙が落ちた。
「夏美さん・・・」
マコト (日曜日, 19 6月 2016 21:08)
健心の事件のことは、仲間達に直ぐに知れ渡った。
「健心のやつ!」
「アイツなら、やっても不思議はないわな!」
と、仲間達の多くは、報道をそのまま信用していた。
事件を知った美子都は、花風莉に居た。
とても一人では居られなかったからだ。
「美子都・・・まさか、新聞をそのまま信じてるんじゃないんでしょうね? きっと何か事情があるのよ!」
『えっ?・・・だって、萌仁香・・・健心は認めているんでしょ? どうしようもないじゃない! 健心が認めているんだから・・・』
そう言って、泣き崩れた。
萌仁香は、泣きじゃくる美子都を隣で見守った。
そして、ようやく美子都が落ち着いてきたころに、話をしたのである。
「ねぇ、美子都、聞いて! 健心は、まだ美子都に話していなかったようだから話すけど・・・」
「私と蒼で健心にお願い事をしたのよ! 蒼が津路君の会社に勤めたいって言うので・・・」
『えっ? なにそれ? 聞いてないよ』
「うん、そうよねぇ、健心って、そういうところ無精だもんね・・・あっ、それでね、津路君と一番仲の良かった健心にお願いしたの・・・蒼が津路の会社に勤められるように頼んできてって」
『えっ? なに? もしかして、そのことをお願いしに行って事件を起こしたってこと?』
「あっ、いやっ、それは分からないんだけど・・・ねぇ、美子都・・・だから、きっと何か事情があるのよ!」
『そうだったの・・・健心のやつ、そこで綺麗な女性をみかけて言い寄ったわけね!』
「え~? 美子都ぉ・・・」
それから少し、考えていた美子都だったが、ふと、笑みを浮かべてこう言ったのである。
『良かった・・・私は健心の妻でもなんでもないんだもの! 危く犯罪者の妻になるところだったわ』
「ねぇ、美子都ぉ、何、訳の分からないこと言い出すのよ! あなたが健心を信じてあげなくて、どうすんのよ!」
『もう、私は嫌なの! 無精だかなんだか知らないけど・・・私には、何も話さないで勝手に行動して・・・栞のときだってそうだったでしょ! 今回だって・・・何があったのかは知らないけど・・・結局は、女の人を傷つけたのよ! そんな男なの、健心は!』
「・・・美子都ぉ」
萌仁香は、そんな美子都にかける言葉を見つけることが出来なかった。
と、その時だった。
マコト (日曜日, 19 6月 2016)
『お母さん、美子都さん・・・』
ミーが、二人のところに来たのである。
「ミー・・・ なに? 用事が無いなら向こうで仕事していなさい!」
『ねぇ、お母さん・・・ ケンちゃんさんが逮捕されたって本当なの?』
「あなたには、関係ないことよ!」
『だって、ケンちゃんさんが、そんなことするはずがないって・・・お母さん達が、一番に分かっているんじゃないの?』
「・・・そ、それは・・・とにかく、あなたが口を挟むことじゃないから!」
『・・・・・』
その日の朝・・・
ミーは、新聞の記事を読んで、被害にあった女性が健心と一緒にいた女性ではないかと気づいたのである。
『えっ? これって・・・もしかしたらハニー・シーでケンちゃんさんと一緒にいた人のことじゃないの?』
『ケンちゃんさん・・・どうして?・・・えっ? ケンちゃんさんが私に言った、お母さんには内緒にしていてねって、どういうことだったの?・・・』
そんな、ミーは、ずっとその時の健心の言葉を思い出しながら仕事をしていたが、美子都が目を赤くして店に入ってきて・・・そして萌仁香とのさっきの会話を・・・、
ミーには、その二人の会話が聞こえてしまっていたのであった。
『美子都さん・・・ケンちゃんさんを信じてあげないの?』
ミーは、悩んだ。
『ケンちゃんさんには、お母さんには内緒にと約束したけれど・・・』
悩んだミーであったが、健心との約束を破ることを選択した。
そして、二人のところに来たのである。
マコト (日曜日, 19 6月 2016 21:17)
(ミー)『ねぇ・・・お母さん、美子都さん・・・わたし・・・』
(萌仁香)「ミー! あなたには、関係ないって言ったでしょ、しつこいよ!」
(ミー)『ねぇ、お母さん、違うの・・・わたし・・・』
(萌仁香)「えっ? 何が違うの? はっ? あなたが何か知ってるとでも言いたいの?」
ミーは、『うん』と、うなずいた。
(萌仁香)「えっ? 何を知ってるの? ミー! 早く話しなさい!」
ミーは、ハニー・シーで被害者らしき女性と健心が会っていたことを話した。
もちろん・・・
「はっ? なに? 健心は、事件の前にも被害者の女性と会っていたの?」
と、余計に美子都が怒りだすことは、ミーには分かっていた。
だから、うまく理解してもらえるように、ゆっくりと説明を続けた。
(ミー)「わたし・・・聞こえちゃったの・・・二人の会話が」
(萌仁香)『えっ? ホンとに? それで、どんな会話だったの?』
(ミー)「う~ん、なんかね、社長さんにケンちゃんさんが会うことを、私には止められないとか、社長を苦しめないでやってほしいとか・・・そんな会話だったの」
(萌仁香)『えっ? それで、あなたはどうしたの?』
(ミー)「・・・うん、その女性が先に一人で帰っちゃったから、ケンちゃんさんの席まで行って・・・デートですか? って、ひやかしちゃったの。 そしたら、ケンちゃんさん、違うよって否定して・・・、お母さんには内緒にしてくれって」
(美子都)『なに? なんなの?私にじゃなくて萌仁香に内緒にしてくれって言ったの? はぁ? どういうことよ、それ!』
(萌仁香)「ねぇ、美子都ぉ・・・もし、健心が美子都に対して後ろめたいことがあるなら、美子都にも内緒にって言ったはずよね! きっと、健心は津路君と何かがあって、その女性に会ったんじゃないのかなぁ・・・そのことを私には、知られたくなかったのよ」
(美子都)『・・・私には、分かんない・・・でも、どうして女性をナイフで傷つけるようなことまでしなきゃならないの? まったく、そんな必要ないじゃない!』
(ミー)「ケンちゃんさん・・・女性が帰ったあとにね、すごく考え込んでいるようにしていたの・・・なんか、少し辛そうにも見えたの・・・ねぇ、お母さん・・・その女性が、どうしても社長さんにケンちゃんさんを会わせたくなかったんだとしたらさぁ・・・それに、ケンちゃんさんが社長さんに会えないからって、女性をナイフで傷つける必要があると思う? ねぇ・・・、本当にケンちゃんさんが切りつけたのかな?」
(萌仁香)「えっ?・・・何を言い出すの? それは・・・健心が認めているんだから・・・」
(ミー)「例えば、ケンちゃんさんが、誰かをかばっているとか・・・」
(萌仁香・美子都)「えっ?・・・って、誰を?」
(ミー)「その女性には、ケンちゃんさんを社長さんに会わせたくない理由があるんだろうから・・・その女性? それとも、社長さん?・・・分かんない」
(萌仁香)「ミーは、その女性が、自分で傷つけたとでも言いたいの? それなら、健心は警察でそう話すはずでしょ・・・って、それを警察で言えない理由があるっていうの?」
(ミー)「分からない・・・でも、私が知ってるケンちゃんさんは、女性をナイフで切りつけたりするような人じゃないもん!」
(萌仁香)「ミー・・・」
(美子都)「ミーちゃん・・・」
(ミー)「ねぇ、美子都さん・・・事件の真相は、よく分からないけど・・・まずは、ケンちゃんさんを信じてあげてほしいです・・・わたし」
(美子都)「ミーちゃん・・・あなたの方が、私達よりずっと大人ね! そうね、ミーちゃんの言う通りね」
(ミー)「美子都さん・・・」
こうして、三人は健心を信じることを選んだのであった。
マコト (月曜日, 20 6月 2016 12:59)
ずっと、黙秘を続ける健心に、今度は別の刑事が、取調室に入ってきた。
それは、遠藤健一のような強面で渋い声の刑事だった。
「おい、小野寺さんよ! 今度は、俺が相手させてもらうよ!」
『刑事さん・・・本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません』
「あぁ、構わんよ!」
『す、すみません・・・』
「それで、事件のことは何にも話さないんだってな?」
『・・・・・』
「何か話せない事情があってのことなんだろう?」
『・・・・・』
「まったく、相変わらずそうやってだんまりかい? お前のことは、いろいろ調べさせてもらったよ! なに? 十何年も、母校で野球の指導をしていたんだと?」
『あっ、指導というか・・・一緒に野球を楽しんでいただけです』
「ったくなぁ・・・誰に聞いてもお前は、そうやって、前に出ようとはしないらしいなぁ・・・昔の刑事ドラマのセリフじゃねーけど、教え子たちが泣くだろうよ!」
『教え子ではないです、一緒に野球を楽しんでいた後輩です。あいつらは、泣きません!』
「それは、お前がやっていないからだろう? だから、そうやって自信を持って言い切れるんじゃねーのかい? ん? どうなんだよ、違うのか?」
『・・・・・』
「小野寺さんよ・・・あんたの周りからの証言だと、あんたは女性の前では、何にも話せないぐらい緊張シーなんだそうだな! 特に綺麗な女性の前ではな! そんなあんたが、自分から綺麗な女性に言い寄るなんてあり得ないっていう証言が、ほとんどなんだよ!」
『・・・・・』
「ったく! いい加減何か話せや! ・・・あぁ、そう言えばな、被害者の傷は、たいしたことないそうだ」
『刑事さん、ほんとですか? 良かったぁ・・・』
「でな、医師が言うんだよ、傷が不自然な切られ方だってな。右利きのあんたが切ったようには、思えないとまで言われているんだよ! そうなると、事件現場に他に誰かがいたか・・・あるいは、被害者本人が自ら・・・って、まぁそれはないだろうけどな。 医師の見立てを信じれば、お前はやってないという可能性があるんだが・・・黙秘しているということは、やっぱりやったんだろう? ん? どうなんだい、小野寺さんよ!」
『・・・・・』
「あんたには、呆れたよ・・・で、どうなんだい、母校の野球は?」
『はい! 後輩たちは本当に頑張っています。 キャプテンは、二誌中出身で、頭はいいやつなんですが、ちょっと責任感が強すぎて・・・で、それを支える二人の副キャプテンなんですが、片方がエース候補でして、そいつがもっと成長してくれれば、で、もう片方が・・・』
「あのさ!小野寺さんよ! それぐらい事件のことも話せや!」
『・・・・・』
「なぁ、小野寺さんよ・・・このままだと、お前は送検されて裁判に、そこでも黙秘するようなら・・・、昔のドラマじゃねーけど、裁判にかけられて有罪になる確率は99.9%だ!それでもいいのか?」
『・・・・・』
「いったい、お前は何を守りたいんだ! 自分が一番大切じゃねーのかよ!」
『・・・・・』
「分かったよ・・・お望みどおりにしてやるよ!」
その日・・・
健心は、身柄と一緒に送検されたのであった。
マコト (月曜日, 20 6月 2016 22:45)
健心の身柄が、送検された頃・・・
津路は、夏美が入院する病院に居た。
「良かったなぁ・・・明日には退院出来るんだって?」
『うん! ごめんね、心配かけて俊成くん!』
「いやっ、傷がたいしたことなくて、本当に良かった」
『・・・うん』
「そう言えば・・・健心のやつ、送検されたそうだ」
『・・・・・』
「ずっと、黙秘したまま・・・」
『・・・・・』
実は、その前日・・・
津路は、刑事の事情聴取で、健心が聞かされたことと同じことを別の刑事から伝えられていたのであった。
「被害者の傷口が不自然なんだそうです・・・何か、思い当たることはありませんか?」
『えっ?・・・あっ、いやっ・・・ありません』
「右利きの容疑者が、切りつけた傷とは思えないと医者は言っていますが・・・」
『・・・わ、分かりません』
「まぁ、警察としては被害者の供述を信用していますが・・・何度確認しても被害者は容疑者に切られたと言っていますし・・・」
『そ、そうですか・・・それで健心は、何て言ってるんですか?』
「・・・ずっと黙秘したままです」
「社長さんは、事件の前日に容疑者に会っていますよね?」
『あっ、はい』
「どんなお話を?」
『あっ・・・いやっ、なんか近くまで来たので寄ったと、世間話をしただけです』
「そうですか・・・容疑者は、どうしてナイフを持って会社まで来たんでしょうかねぇ・・・事件当日も社長さんを訪ねてきたそうですよね? 二日続けて世間話ですかねぇ・・・それで、社長さんが不在だと知ると、容疑者は素直に帰った。そして、被害者が駐車場へ出て行ったあと事件が・・・どうも、不自然なんですよねぇ・・・」
『・・・・・』
「容疑者は、ずっと黙秘しているんです。何かを隠しているとしか思えないのですが・・・社長さんは、容疑者とは高校時代からの親友だと伺いましたが・・・」
『・・・はい』
「容疑者は、こんな事件を起こす人間だと思っていましたか?」
『えっ?・・・あっ、いいえ・・・あのっ、刑事さん、健心は、健心はどうなるんですか?』
「このままだと、逮捕、送検・・・明日にでもそうなるでしょうねぇ」
津路は、うつむいて言葉を失った。
「健心・・・」
マコト (火曜日, 21 6月 2016 12:55)
刑事は、帰っていった。
「健心・・・」
「ナッちゃん・・・」
津路は、刑事の説明で全てを悟ったのである。
「健心は、蒼さんの採用を理由もなしに断わられたことで・・・それに、バーベキューの時のこともあって、きっと、理君の捜索に俺が関わっていたことに気付いたんだ」
「だから、そのことを俺に伝えようとして、もう一度俺のところに・・・」
「ナッちゃんは・・・傷口が不自然って、それは自分で自分の腕を・・・やっぱりそうだろうなぁ、だって、健心が俺に会いに来るのに、ナイフを持ってきているはずがないもんなぁ・・・ナッちゃん・・・ナッちゃんは、俺に健心を近づけたくない一心で・・・」
津路は、二人のぞれぞれの思いに気付いたのである。
「あの時の俺の判断は正しかったのか・・・俺が理君を連れて帰ってくれば、栞さんは・・・蒼さんだって、ずっと苦しみ続けていたんだ・・・」
「俺は、バーベキュー以来、ずっとそのことを考えていた。 おそらくは、相当辛そうに見えていただろうなぁ・・・ナッちゃんには。 そんな俺の事をナッちゃんは、そばで黙って見守っていてくれた・・・」
「健心・・・」
「お前は、俺の力になりたいと思って来てくれたんだよな・・・そして、俺を守るために黙秘しているんだろう?」
津路は、泣き崩れた。
「健心、お前ってやつは・・・すまない」
「ナッちゃん・・・自分の腕に傷をつけてまで、俺のことを・・・でも、どうして言ってくれなかったんだ・・・ナッちゃん」
そんな津路は、夏美が真実を語ってくれることを願って、病院に見舞いに行ったのである。
それでも・・・、
「ナッちゃんが何も話してくれなかったら・・・その時は・・・」
と、心に決めて。
マコト (火曜日, 21 6月 2016 20:58)
「そう言えば・・・健心のやつ、送検されたそうだ」
『・・・・・』
「ずっと、黙秘したまま・・・」
『・・・・・』
その二つの言葉に、何も返事をしなかった夏美に、津路の期待はもろくも崩れていた。
「ナッちゃん・・・、何も話してはくれないんだなぁ」
それでも、夏美の気持ちを知りたかった津路は、ベッドで横になっている夏美に話しかけた。
「ナッちゃん・・・」
『うん? なぁに、俊成くん』
「あのさ・・・あっ、・・・いやっ、・・・傷口は痛まないかい?」
『えっ? ・・・あっ、うん』
「あのさ、ナッちゃん・・・健心のこと・・・どう思ってる?」
『どうって?』
「あっ、いやっ・・・許せるとか、許さないとか・・・」
『はぁ? 俊成くん、なに訳の分からないこと聞いてんの? 私を傷つけた人をどうして許せるというの? それともなに? 許してやってくれって頼んでるの?』
「そ、そういう意味じゃないんだけど・・・あいつとは高校時代からの親友だから・・・」
『はぁ? 親友? だって、今までずっとあの人と会う事なんかなかったでしょ?』
「そ、そうだけど・・・ずっと会っていなくても親友であったことには、変わりはないし・・・それに、みんなで集まるようになってさ、これからは仲間達で楽しくやっていこうみたいな・・・だから・・・」
『えっ? なに? 俊成くんは、私があなたの同級生からこんなことをされて・・・それでも、まだ高校時代のお友達とお付き合いをしていく気なの?』
「えっ?・・・」
津路は、その時に理解した。
このままだと、高校時代からの仲間たちと一切付き合いを絶つしかないのだと。
夏美は、傷のある左腕を上にして、津路に背中を向けるように、向きを変えた。
そして、しばらくは津路も口を開くことはなかった。
病室に見舞いの時間の終わりを告げるアナウンスが流れた。
「ナッちゃん・・・明日、退院のときに迎えに来るから」
おそらくはタヌキであったのであろうが、目を閉じたまま夏美が応えることはなかった。
津路は、ナースステーションに立ち寄り、「よろしくお願いします」と深々と頭を下げ、病院を出た。
病院を出ると、外は雨だった。
「また、降ってきたのか・・・」
家路についた津路の車の中では、ワイパーの動く音だけが、聴こえていた。
マコト (水曜日, 22 6月 2016 12:16)
翌日・・・
津路は、夏美の病院に向かう前に会社に出勤した。
すると、営業開始時間より随分と前であったのに、駐車場に普段見かけない車が一台停まっていた。
「うん? 誰だ?」
と、津路は、首をかしげながら社長専用の駐車場に車を停めた。
すると、先に停まっていたその車から、一人の男が降りてきて、津路の車に走り寄ってきたのである。
「おい、津路!」
『あっ・・・』
マコト (水曜日, 22 6月 2016 19:44)
それは、玲飛だった。
玲飛は、事件後・・・
健心がそんなことをするはずがない!と、もし、それが事実なのだとしたら、自分でそれを確認したいと、津路のところにやってきたのであった。
「津路・・・なんか、大変なことになっちまったな」
『あっ、・・・うん、そうだな』
「なぁ、津路・・・俺さ、アイツが、健心がそんなことするはずがないって、ずっと考えてて・・・なぁ、津路・・・俺・・・」
『まぁ、落ち着けよ、玲飛』
と、津路は玲飛に事務所に入ってゆっくり話そうと促した。
「あっ・・・うん」
社長室に通された玲飛は、
「いやっ、ど~も! さすが社長だな、津路」
『いやいやっ、そんな・・・でさ、すまん! まだ、社員が出社していないもんで、これで・・・』
と、缶コーヒーを差し出した。
「突然に、ごめん・・・津路」
『いやっ、いいんだ・・・仲間のピンチだもんな』
「仲間? ・・・津路」
二人で缶コーヒーを飲みながら、やっと二人とも普段の表情に戻ってきた頃だった。
社長室を見渡していた玲飛が、ポツリとつぶやいたのである。
「やっぱり、ミーちゃんだよな!」
『はぁ?』
マコト (木曜日, 23 6月 2016 06:39)
玲飛の突然のふりに、津路はすかさず答えた。
『いやっ! 絶対にケーちゃんだぜ!』
「はぁ?ケーちゃん? 津路、おかしくねー?」
『バカやろ~! ケーちゃんの良さが分からねーんだよ、玲飛には』
それは、バカな男たちの青春時代の思い出話である。
社長室を見渡した玲飛が、壁に貼られたピンクレディのポスターに気付いて、
「俺は、ミーちゃんだな!」
それに、食らいついた津路が『絶対にケーちゃんだぜ!』と
ただ、玲飛には、それを口にする理由があったのである。
「アイツもケーちゃん派だったよ!」
『アイツ? ・・・健心か?』
「あぁ・・・」
『そっか・・・俺と同じだったんだな・・・』
「高校時代、よく、健心とケンカしたよ! ケーちゃんのどこがいいんだよ! 大食いミーのどこがいいんだよ! 大食いだけど、優しいんだぜ、ミーは! ホントに大食いだけどな! ってな」
『で・・・どっちが勝ったんだい?』
「勝ち負けなんかねーよ! とにかく、お互いがそれぞれに好きな女の子の話をしていただけさ」
『・・・青春だよなぁ』
「なぁ、津路・・・俺は、どうしても納得できないんだよ」
『・・・あぁ』
「百歩譲って、本当に健心が切り付けたとしよう・・・それでも、なに? 津路のところの事務員さんに言い寄って、それを断られたことにカッとなって? ねーよ! そんな話、健心がそんなことするはずがねーって!」
『・・・・・』
「なんで、黙ってんだよ! 津路」
『あっ、う、うん・・・』
「津路は、信用しているのか? その話を」
と、そこまで玲飛に聞かれた津路は、
『なぁ、玲飛・・・』
「なんだよ、津路!」
『俺・・・健心に会ってくるよ!』
「えっ?・・・健心に?」
『あぁ、・・・拘留中に接見できるはずだからな』
「そ、そうなのか? じゃぁ、俺も一緒に連れて行ってくれよ!」
『いやっ、玲飛・・・俺、健心に聞きた・・・いやっ、とにかく最初に俺一人で行かせてくれ!』
「分かった・・・津路、頼むな! 何かあったら必ず連絡してくれよ!」
『・・・あぁ』
津路の言葉に納得して、玲飛は帰っていった。
マコト (木曜日, 23 6月 2016 12:25)
玲飛が帰ってから、仕事の整理を済ませた津路は、夏美の病院に向かった。
「ちょっと、遅くなっちまったな、急がなきゃ」
津路は、車を走らせながら昨日の夏美のことを思い出していた。
「ナッちゃん・・・昨日の帰り際、返事をしてくれなかったなぁ・・・今日、ちゃんと謝らなきゃな」
病院に着いた津路は、夏美の病室に向かった。
「ナッちゃん、お待たせ~!」
津路は、明るい声で病室に入った。
「あれっ?」
夏美は、病室に居なかった。
「トイレにでも行ったのかな?」
と、その時だった。
マコト (木曜日, 23 6月 2016 20:59)
柴咲コウ似のナースが、夏美の病室に入ってきた。
よくもまぁ、女優さんに似た人が現れるものだと言いたくもなるが、これが、本当にみんなそっくりなのである。
『津路さん!』
「あっ、看護婦さん」
ナースは、少しだけすまなそうな顔をして言った。
『津路さん・・・夏美さんは、もう退院されました』
「えっ?・・・」
『昨日、津路さんからお聞きしていた通り、津路さんが来るのを待って、退院する予定だったのですが、何か急用が出来たとかで・・・』
「えっ? 急用ですか?」
『はい・・・で、もう間もなく津路さんが来る頃だからと、お引止めしたのですが・・・津路さんには、もう連絡をしたからとおっしゃって・・・』
「い、いえ、私のところに連絡などありません」
『やはり、そうでしたか・・・』
「やはり?」
『はい・・・何か、少し様子が変だったものですから・・・それに、夏美さんが退院されたあと、ベッドメイキングをしていましたら、この手紙があって・・・津路さんあてです』
「えっ?」
マコト (木曜日, 23 6月 2016 23:56)
そう言ってナースは、夏美が残していった手紙を津路に渡したのである。
「すみません、いま、ここで読んでも・・・」
『どうぞ』
津路は、急いで封を切り手紙を読み始めた。
と、読み進むにつれて手紙を持つ手が震えだしたのである。
最後まで読み終えた津路は、
「いつ、いやっ、何時ごろ退院していきましたか?」
と、柴咲コウ似のナースの手を握り、聞いたのである。
『あっ・・・』
「あっ、ご、ごめんなさい」
と、慌てて握った両手を放し津路は
「ナッちゃ・・・夏美は、何時ごろ?」
『あっ、今から1時間ぐらい前です』
「何か、言っていませんでしたか? どこに行くとか・・・」
『いいえ・・・最後は、笑顔でナース達に「お世話になりました」と・・・』
津路は、呆然と立ちすくんでいた。
そんな津路にナースが
『津路さん、どうされました? 手紙にはなんて書かれて・・・』
その声に、ようやく気付いた津路は
「えっ?」
『津路さん・・・夏美さんの手紙にはなんて?』
「あっ・・・」
それは、ナースに打ち明けられる内容ではなかった。
とにかく、その場から夏美を探しに行きたいと思った津路は、
「退院の手続きは?」
『もう、済んでいます。 夏美さんが全部ご自身で・・・』
「そうでしたか、お世話になりました」
それだけを言い残して、津路は病室を飛び出していった。
「ナッちゃん・・・」
マコト (木曜日, 23 6月 2016)
夏美から津路に贈られた手紙である。
大好きな俊成くんへ
俊成くんと一緒にいて、もう20年、今までいろいろなことがあったよね。
初めて二人で動物園に行ったとき、熊の前ですごく嬉しそうにしている俊成くんを見て、私もとても幸せな気持ちになったことを今でも覚えているよ。
こんな言い方をしたら俊成くんに叱られるかもしれないけど、その時、俊成くんのそばで守りたいと思ったんだ。
その気持ちは、ずっと変わることはなかったんだよ、俊成くん。
俊成くんが、探偵をしている時は、いつも無事に帰ってくることだけを願って待っていたの。
だって、俊成くんは、依頼者の方の気持ちになって、いつも突っ走しっちゃうんだもの。
でもね、そんな俊成くんが大好きだったの。自分のことよりも、他人のために頑張る俊成くんが。
私には、俊成くんにはなれないって思っていたの。おかしいでしょ、私は女の子なのにね。
急に探偵を辞めるって言った時の俊成くん、本当に辛そうだった。
群馬の山中に車を乗り捨てて行方不明になった人の捜索だったわよね。
あの時、俊成くんは、2か月も帰って来なかった。
そして、帰ってきて直ぐに、探偵を辞めるって。
その理由は、私なりに分かっていたのよ。だって、俊成くんのそばで、ずっと見守っていた私だもの。
きっと、見つけたのよね。それでも、その人を連れ戻せずに帰ってきたんでしょ。
そして、それを依頼人のお父さんに告げられずに。
きっと人には言えない辛さがあったんでしょうね、しばらく、笑うこともなかったんだもの、俊成くん。
俊成くんが、どれほどまでに辛かったのか、私は、ぞばで見守ることしかできなかった。
本心をちょっとだけ言えばね、本当は、少しは私にも分けてほしかったんだよ。
でも、私に話さないのが、あなたの優しさ。
そう思っていいのよね、俊成くん。
あの時は、探偵という危険な仕事を辞めてくれることに、嬉しい気持ちもあったけど、でもね、俊成くんのことだから、ずっと辛い気持ちを背負っていくんだろうなぁって。
だから余計に、お父さんの会社を継ぐことになったときに俊成くんが言ってくれた言葉が、嬉しかったんだぁ、そばにいてくれないかって言ってくれたことが。
俊成くんの胸に飛び込みたい気持ちだったよ。
不器用な私だから、俊成くんが喜んでくれるようなことは、うまく出来なかったけど、それでも私なりに、俊成くんのことだけを考えて生きてきたの、ずっと。
ここまで読んだ津路は、もう涙でいっぱいだった。
「ナッちゃん・・・」
津路は、涙を鎮めるかのように、ひとつ大きな息をはき、5枚目をめくった・・・が、そこには、それまで以上に津路のほほを濡らすことが書かれてあった。
マコト (木曜日, 23 6月 2016 23:59)
俊成くん
私、あなたに、別の苦しみを与えてしまうところだった。
私の腕の傷は、私自身がやったことなの。
健心さんは、俊成くんが思っている通りの人よ。
事件の日、健心さんは、俊成くんを心配して来てくれたの。
私も、頭では分かっていたつもりなの。
それでも、俊成くんの過去の辛い思い出に触れないで欲しかった。
ただ、それだけだったの。
でも、気付いたら、自分で自分の腕を
そして、それを健心さんがやったようにしてしまったの。
でも、どうして? 私には、理解できない。 健心さんは、どうして何も話さないの?
自分は、何もしていないのに、どうして他人をかばえるの?
どうして私のためにそこまで出来るのって、最初は思ったけど、でも違うんだよね、俊成くん、あなたを守るためなのよね。
いいなぁ、俊成くん。 私には、そんな友達、一人もいなかったよ。
私、刑事さんから、傷口が不自然だよと言われたの。
でも、怖くて何も言えなかった。
きっと、直ぐに分かることだろうと思っていたし。
弱虫だよね、わたし。
俊成くん、ごめんなさい
私、あなたの大切なもの、私の身勝手で奪い取ってしまうところだった。
昨日の俊成くんを見ていて、分かったの。
俊成くんは、昨日、私から話してくれるのを待っていてくれたのよね。
ごめんなさい、私には出来なかった。
あなたに嫌われることが怖くて。
私の大好きな俊成くんには、いつも笑っていてほしかったの。
バーベキューに参加した後から、俊成くんは、またあの時の顔に戻っちゃったんだもの、私、見ているだけで辛くて、だから、
でも、それは全部私の言い訳なのよね。
わたし、俊成くんがうらやましかったのかなぁ
バーベキューに行くんだ! 高校時代の仲間に会えるんだ!って、本当に嬉しそうに話していて
私は、俊成くん達とは違う学校
でも、同じ年だから、一緒にくっついて行きたかった。
だって、本当に嬉しそうに話すんだもの、俊成くん。
でも、俊成くん
辛かったでしょ、そんな楽しい場所で、昔のことを思いだすような出会いがあって。
話して欲しかったなぁ、私に。
あっ、誤解しないでね、俊成くんを責めているわけじゃないからね。
俊成くん、
私ね、いま、やっと思えるようになったの。
私が、頼りなかったからなんだって。
ごめんなさい、こんなわがままな私を、ずっと支えてくれたのは、俊成くん、あなただけでした。
俊成くん、
わたし、あなたの奥さんになりたかった。
初めての告白よね。でも、最初で最後の私からの言葉。
わたし、あなたのそばから離れます。
だって、あなたのそばにいる資格がないんだもの。
あなたの大切な人を、苦しめてしまったずる賢い女。
そんな私だけど、最後のお願いを聞いてください。
俊成くんから、警察に言って事件の本当のことを話してください。
そして、健心さんに伝えてください。
ごめんなさい、そしてありがとうって。
あっ、あとね、わがままで一つ加えさせてもらえるなら、俊成くんを苦しめたりしたら承知しないからねって(笑)
俊成くん、
私のことは、忘れてください。
決して、追わないでね。
わたし、強くなるから。
さようなら
大好きな大好きな大好きな大好きな、俊成くんへ
追伸
あなたの部屋の鍵は、いつものところに置いておきます。
私の部屋の鍵は、捨ててくださいね。
病院を飛び出した津路は、急いで車に乗り込み、そして、ひとつ大きく息を吐き出して、こう言った。
「健心・・・お前なら分かってくれるよな、・・・すまん、健心」
と
マコト (金曜日, 24 6月 2016 12:24)
ちょうどその頃
健心は、検事の取り調べを受けていた。
検事は、名取裕子似の、亀丸検事だった。
一通りの聞き取りを終えた亀丸検事は、健心を厳しく問い詰めた。
『さて、どうして事件のことは、何も語らないのかしら?』
「・・・・・」
『被害者の女性を切り付けたことを認めるの? 認めないの?』
「・・・・・」
『・・・そう、警察での取り調べと同じように、何も話さいつもりなのね』
健心は、下を向いて至極申し訳なさそうに、少しだけうなずいた。
『小野寺さん・・・勘違いしないでほしいんだけど、黙っていて許されるとは思わないで下さいね! 私は、女性であるから余計なのかもしれないけど、女性を平気で傷つけるような男を、私は、絶対に許さないの!』
「・・・はい」
『少し、聞き方を変えます。小野寺さん、あなたは被害者に対して殺意があったのではありませんか? だとしたら、殺人未遂として起訴させていただきます。事件を起こしておきながら、何も話さないあなたを、私は厳しく処罰させていただきます! 殺意があったのではありませんか?』
「えっ・・・」
それまで、下を向いていた健心は、その言葉に驚いて亀丸検事の顔を見た。
険しい表情の亀丸検事は、
『今日の、取り調べは以上です』
と、看守に向かって『連れていきなさい』と、強い口調で言ったのだった。
さすがに殺人という言葉を聞かされた健心は、足取り重く部屋を出て行った。
「これが、検察っていうところなんだ・・・」
と、心の中でつぶやいて。
マコト (土曜日, 25 6月 2016 08:06)
それは、亀丸検事の取り調べも三日目になっていた時だった。
『小野寺さん・・・相変わらず事件のことは、何も話してくれないけど・・・一つ、お知らせしておくわよ』
「あっ・・・は、はい」
『被害者の夏美さん、退院したわよ』
「えっ、ホントですか・・・良かったぁ」
亀丸検事は、その時の健心の真に喜ぶ表情を見逃さなかった。
だから、少し言い方を柔らかくして言ったのである。
『でもね、自宅には、ずっと戻っていないのよ』
「えっ? ・・・実家にでも?」
『う~ん、それがね、少し状況が違うみたいなの』
「えっ?・・・」
『あなたが、何も話してくれないから、事件の真相を調べようと、夏美さんのところに行ったんだけどね・・・』
『夏美さんは、津路社長の迎えを待たずに退院したみたいで・・・、それと、夏美さん・・・、津路さんに手紙を残していったそうよ』
『津路さんは、夏美さんが先に退院したことを知らずに病院に行って、ナースからその手紙を渡され、そして、その場で読んだそうよ。 津路さん・・・泣きながら手紙を読んで、飛び出していったらしいの。そして、津路さんもその後の行方が分からないのよ』
「えっ?・・・夏美さん・・・つ、津路もですか?・・・」
『え~、そうよ・・・それって、どういうことが考えられるのかしらねぇ・・・あなたになら想像がつくのではないかしら?』
「け、検事さん・・・」
亀丸検事は、優しい表情で言った。
『小野寺さん・・・私、あなたにちょっと意地悪な言い方をしちゃったわよね、殺意があったのではないかって』
『でも、あなたは、それを聞かされても全く変わることなく黙秘を続けて・・・あなたには、きっと守りたい人がいるんでしょ?』
健心は肩を揺らして泣き出した。
『いいわ! 事件のことは、私も納得するまで調べさせてもらうから。あなたにはもう少しここで我慢してもらうからね』
「け、検事さん・・・津路と夏美さんは・・・」
『それは、そのあと・・・誰かが心配してくれることでしょう』
亀丸検事は、表情を変えて、看守に向かって『連れていきなさい』
と、健心を部屋から出したのであった。
マコト (土曜日, 25 6月 2016 21:09)
花風莉に、スーツ姿の女性が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
ミーが出迎えた。
『えっと、あなたが進藤萌仁香さんで、よろしかったかしら』
ミーが、母親の萌仁香と間違えられるのは度々である。
だが、初めてのお客様にいきなり間違えられ、少しだけおへそが斜めに。
「違います」
『あっ、ごめんなさい・・・えっ? だってそっくり・・・でも、全然お若いわよね、ごめんなさい・・・娘さんかしら?』
「・・・はい、母は今、配達に出ています」
『待たせていただいてもいいかしら?』
ミーは、「やだよ!」と、言いたかったが母と同年代のその女性をさすがに粗末に扱うことも出来ないと店の奥に案内した。
席に座った女性は、さっきとは打って変わって、優しい表情で、
『ごめんなさい、わたし、検事の亀丸と言います。お母さんのことは、写真で拝見しただけなの・・・でも、あまりにも似ていたもので』
「け、け、検事さん?」
どうしてであろうか
何一つ悪い事をしていなくても、検事という言葉を聞かされ、緊張してしまうのは。
亀丸検事は、一枚の写真を鞄から取り出した。
『これ、お母さんでしょ?』
その写真は、健心が逮捕されたときに、警察が健心の家から押収したバーベキューの時の集合写真だった。
「あっ、はい!」
ミーは気づいた。
「検事さん! もしかして、ケンちゃんさんのことで?」
『はっ? ケンちゃんさん? ・・・あっ、小野寺健心さんのことかしら?』
「あっ、はい」
『あなたも、小野寺さんのことをご存じなの?』
「し、し、知ってるなんつーもんじゃありませんよ!」
『はぁ?』
「えっ? あれっ? なんか、わたし・・・変なイントネーション?」
検事が突然に現れ、健心のことを聞きに来てくれた興奮で、思わず健心言葉になっていたミーに、亀丸検事は思わず微笑んだ。
『だいじだよ!・・・あっ? 私もなんかなまってるかしら?』
と、笑ってミーの緊張をほぐしてくれたのだった。
ミーは、機関銃のようにしゃべりだした。
「け、検事さん! 聞いてください! ケンちゃんさんは・・・」
マコト (土曜日, 25 6月 2016 21:12)
ミーが、亀丸検事に健心のことを話し出して、間もなくだった。
「あっ、 お母さん!」
萌仁香が配達から戻ってきた。
亀丸検事は、立ち上がり
『検事の亀丸です。進藤萌仁香さんですね、今日は、小野寺健心さんのことで、お邪魔させていただきました』
「えっ? 検事さん? 健心のことで?」
それからは、萌仁香も加わって、健心の人となりから話した。
そして、バーベキューの時のことまで聞いた亀丸検事は、萌仁香に尋ねた。
『津路さんが、探偵をやめた時期をご存知ですか?』
「えっ? 津路君ですか? あぁ、確か9年、10年くらい前だと・・・」
『そうですかぁ・・・随分と参考になるお話を伺うことができました。ありがとうございました。また、何かお聞きしたいことができた時には、お邪魔させていただきますね』
と、立ち上がった。
だが、ミーは、亀丸検事に最後まで食らいついた。
「検事さん・・・ケンちゃんさんは? ケンちゃんさん、逮捕されちゃうんですか?」
『う~ん、正確にお話しをするとね、もう逮捕はされているのよ! 起訴をして裁判にかけるかどうか・・・それを決めるのが私のお仕事」
「えっ? そ、それじゃ起訴されちゃうんですか?」
亀丸検事は、笑ってこう言った。
『さぁ、それはどうかしらね・・・でも、これだけは言えそうよ! 小野寺さんは、あなた達を簡単に裏切るような人じゃなさそうね! 今は、あなた達が彼を信じてあげないと、ねっ!」
「検事さん・・・」
『お邪魔しました』
そう言って、亀丸検事は帰っていった。
二人の話を聞いた亀丸検事は、既に仮説をたてていたのである。
そう、健心が考えたものと同じ仮説を。
そして、事件に関しては、不自然な傷口のことも重ね合わせて、健心が夏美をかばっているのだと。
マコト (日曜日, 26 6月 2016 21:38)
病院を飛び出した津路は、急いで夏美のマンションに向かっていた。
「ナッちゃん、いてくれよ!」
「健心・・・すまない、待っていてくれ! 今は、ナッちゃんのところへ・・・すまない、健心」
人生には、「あの時に・・・たら・・・れば・・・」と、後になって言いたくなる、そんな出来事が、幾度か訪れる。
津路と夏美、二人の人生にとって、まさしく、その時の津路の運転が「あの時」になろうとは、夏美のところに急いでいた津路に、知る由もなかったのである。
その日は、朝からどしゃぶりだった。
ワイパーを最高速度に上げても、強い雨が前方を見づらくしていた。
そして、夏美の手紙を思い出しながら運転していた津路は、涙でさらに視界を狭くさせていたのであった。
マコト (日曜日, 26 6月 2016 21:39)
津路が、夏美が去ったあとの病室でナースから手紙を受け取った時には、夏美は、タクシーでマンションに戻っていた。
夏美は、悩んでいた。
「俊成くんが、ここに来たらどうしよう・・・」
それは、一睡もせずに想いの全てを綴った手紙
自分一人で決めた「さよなら」
それでも、手紙を読んだ津路が、自分を追いかけて来てくれるかもしれないという気持ちがあったからだった。
夏美は、化粧台の前に座り、薄い化粧をした。
そして、視線を少し上げた。
その視線の先には、熊と一緒に嬉しそうに微笑む津路の写真があった。
「俊成くん・・・」
涙が、いましたばかりの化粧を落とした。
「バカ、夏美! しっかりしろ! 自分で決めたことでしょ!」
そう言って、化粧を直した。
夏美は、少し大きめな鞄に下着と着替えを詰め込み、そして最後に津路の写真を入れた。
そして西側の壁に掛けられた時計に目をやり、
「俊成くん・・・来なかったね」
と、大きく息をはいた。
玄関まで鞄を持って行き、下駄箱から別の靴を取り出して履いた。
最後にもう一度部屋を見渡して、玄関のドアノブに手をかけた。
だが・・・
その手が震えだして、ドアを開けることが出来なかった。
夏美は、分かっていたからだ。
そのドアを開けた瞬間に、一人になることを。
夏美は、玄関でしゃがみ込み、それまで気丈にしていたのが、嘘であったかのように肩を揺らして泣いた。
どれくらい泣き続けていたであろうか。
ようやく、上を向いた夏美は、もう一度、壁にある時計に目をやった。
そして、小さな声で、こう言った。
「俊成くん・・・わたし・・・あの時計に背中を押されるまで、ここで俊成くんを待ちたい・・・いいよね、俊成くん・・・最後の私のわがままだから」
11時35分を指すその時計は、からくり時計だった。
夏美は、1時間おきに出てくる鳩に、いつも元気をもらっていたのだ。
「夏美、元気? ファイトね」
と、言ってくれているかのように、家に一人でいる時の応援団長だったのである。
夏美は、ドアを開けて津路が入ってきて・・・そして抱きしめてくれることを思い浮かべていた。
からくり時計の振り子の音だけが、聴こえている中で。
マコト (日曜日, 26 6月 2016 21:40)
津路は、10時に病院を出ていたのだ。
病院から夏美のマンションまでは、車を飛ばして20分ぐらいの距離である。
だが、その日の強い雨が、津路の車の進行を遅らせた。
最短距離にルートをとっていたが、突然に渋滞が現れた。
「えっ? 事故かなぁ・・・」
焦る津路は、それを待てずにUターンをして、距離は遠くなるが、郊外の農道を通って行くことを選択した。
その農道は、夏美とよくホタルを探しに来た道だった。
「ナッちゃんは、ホタルを見るのが大好きだったよなぁ・・・今年は、うまく見つけられずに・・・来年も一緒に来ようなって言ったよね・・・ナッちゃん」
津路の涙が止まることはなかった。
農道を走っていくと、1台の軽トラが、ハザードランプを点滅させて停まっているのが目に入った。
「あれっ? あの軽トラ、なんか随分と傾いているなぁ、」
近づくにつれて、何故、軽トラが傾いているのかが分かった。
「あれっ、脱輪しちゃったんだ・・・雨で前が見づらかったのかなぁ」
津路の車を擦れ違いさせるには、十分の幅があった。
津路は、そのまま横を通り抜けようと、スピードを緩めて車を進めた。
ちょうど、軽トラが隣にきたときに車内を覗き込むと、すごく高齢のおじいさんが、津路に助けを求めるかのように、津路の方を見ていた。
「あっ・・・」
急いでいた津路は、目をつぶって、その軽トラの横を通り過ぎた。
だが・・・
少し行ったところで車を停め、傘をさし、おじいさんのところに向かったのである。
「大丈夫ですか?」
高齢のため、耳も遠かったのかもしれないが、強い雨が津路とおじいさんの会話を遮った。
津路は、ジェスチャーで
「自分! 押す! おじいさん、運転!」
と合図を送った。
おじいさんは、それを理解できたのか、ゆっくりと深く頭を下げた。
雨の中の脱出作業は、困難を極めた。
「ダメだ!」
と、傘を投げ捨て、軽トラを力いっぱいに押したが、おじいさんの運転では、アクセルをふかし過ぎて、タイヤは空回りするばかり。
余計に、軽トラは沈んで行ってしまった。
と、その時、クラクションの音が津路の耳に届いた。
「良かった、手伝ってもらおう」
と、その車に近づくと、中年風のおじさんが、窓を開けて
「おい、なにやってんだよ」
『あっ、おじいさんの軽トラが脱輪しちゃったみたいで、手伝っ』
「バカやろー! こっちは急いでんだよ! はやく、その車をはじによせろよ!」
津路の願いは叶わなかった。
津路は、濡れた服で車に乗り込み、そして自分の車をはじによせた。
「バカやろー!」
その男は、もう一度津路を怒鳴りつけ、走り去っていった。
近所の農家の人が、トラクターを持ってきて、軽トラを救ってくれた時には、11時50分になっていた。
「まいったな、1時間半もかかっちゃった・・・ナッちゃん」
びしょ濡れであることも気にせずに、津路はナッちゃんのところへ急いだ。
マコト (日曜日, 26 6月 2016 21:42)
二人の運命を決める時になった。
マコト (日曜日, 26 6月 2016 21:44)
津路が、ドアを開けて入ってきて、そして夏美を抱きしめた。
そんな光景をずっと待っていた夏美の耳に、応援団長の声が聞こえてきたのである。
ポッポー、ポッポー
応援団長は、12回、夏美の背中をおした。
「夏美、大丈夫だよ! あなたなら頑張れるから」
夏美には、そう聞こえた。
「俊成くん・・・こんなみじめな女の子なんか、早く忘れてね」
そう言って夏美は、凛として立ち上がり、鞄を持ち、部屋を出て行った。
それから、5分も経っていなかった。
「ナッちゃん!ナッちゃーーーん」
誰も居ない部屋に津路が入ってきたのは。
もちろん、ほんの5分前まで、夏美が待っていたことなど、津路には、知る由もなかった。
津路は、テーブルの上に置かれた、走り書きの手紙を見つけた。
そこには、こう書かれてあった。
俊成くん、
この手紙を読んでいるということは、私のところに来てくれたの?
ありがとう・・・でも、やっぱり私は一人で生きて行きます。
私が、世界一嫌いな女の子、それは私自身
そんな、女の子がいつまでも俊成くんにまとわりついていちゃいけないの。
マンションは、兄に頼んで処分してもらうことにします。
さようなら、俊成くん
その手紙は、濡れてにじんでいた。
それは、びしょ濡れの津路がにじませたものではなく、夏美の涙だった。
夏美の部屋には、津路の嗚咽だけが響き渡っていた。
マコト (月曜日, 27 6月 2016 12:25)
花風莉を出て、検察庁に戻った亀丸検事は、直ぐに健心の取り調べを始めた。
『さてと、小野寺さん・・・』
健心は、これまでの亀丸検事とは、表情も声のトーンも違うことに直ぐに気付いた。
「あっ、・・・はい」
『今日ね、あなたをケンちゃんさんって呼ぶ人に会って来たわよ』
「えっ? み、ミーちゃんにですか?」
『そうよ! あなた、ミーちゃんと仲良しなのね?』
「あっ、・・・隠し撮りの子分に任命しました」
『はっ? 隠し撮り? なにそれ?』
「はい・・・萌仁香と美子都の、食べ歩きツアーの・・・」
『はぁ? まぁ、いいけど・・・ それからミーちゃんのお母さんにも会ってきたわよ!』
二人の名前を言われ、そしてその時の亀丸検事の表情で、もう、健心は覚悟を決めていた。
「二人は、私のことを憎んでいましたよね・・・」
『小野寺さん・・・あなたねぇ、もう少し自分のことを知りなさいよ! 二人は、一生懸命にあなたの無実を、私に訴えてきたのよ!』
「えっ?・・・」
『まっ、そのことはいいとして・・・ さて、小野寺さん、これから私の考えた一つの仮説を話します。あなたは、黙って聞いていてください。いいですか?』
「えっ? 仮説ですか?」
『え~、そうよ! たぶん、あなたも気づいて行動して・・・それで今回の事件が起きたのかなと・・・ いま、あなたが逮捕され拘留されているのは、状況証拠だけ。しかも、あなたは、ずっと黙秘を続けている。そんな中で、私が起訴を決めるには、どうして今回の事件が起きたのか、それを明確にできない以上、起訴はできません。 だから、進藤萌仁香さんのところに話を聞きに行ってきたのよ。そこでミーちゃんにも話が聞けたから・・・もし、私の仮説が合っているとするならば・・・小野寺さん・・・あなたは本当にバカね! バカがつくほどお人よしよ!』
黙ってうつむく健心に、亀丸検事の話が始まった。
『小野寺さん・・・あなたは・・・』
マコト (月曜日, 27 6月 2016 21:50)
亀丸検事の仮説は、全て正しかった。
ずっと、うつむいたまま聞いていた健心に、亀丸検事は最後にこう言った。
『蒼さんが待ち続けている人のことを、津路さんがどれくらい知っているのかは、分かりません』
『ただ・・・津路さんがどんなに辛くても、ずっと秘密にしておかなければならない理由があるなら・・・それは、いくらあなたが津路さんを心配しても、どうにもならないことなのかもしれないわよ・・・』
『それとねっ、小野寺さん・・・あなたが、夏美さんのことをかばうと、夏美さんはそのことを一生背負って生きて行くことになるのよ! それって、どうなのかしらね? もし、あなたが夏美さんの立場にたつとしたら、それは、辛くてたまらないはずだけど・・・』
『小野寺さん・・・わたし、夏美さんが心配なのよ! 津路さんにあてた手紙にどんなことが書かれていたのか・・・想像でしか言えないけど・・・もし、自分がしたことを悔いて・・・そんなことになったら、あまりにも悲しすぎるじゃない』
『今回のことは、誰もが、自分のことよりも相手のことを考えて・・・』
『なのに・・・結果的にみんなが不幸になるようなことになってほしくないの!』
健心は、その言葉にハッとして、目が覚めた。
「検事さん・・・」
それから健心は、亀丸検事に全てのことを話した。
亀丸検事は、優しい顔でこう言った。
『そう・・・良く話してくれたわね、小野寺さん。 あぁ、それとね、誤解しないで欲しいんだけど・・・津路さんの探偵時代のことは、あくまで私の仮説ですからね! これが、誰かに伝わることもありませんし・・・』
『小野寺さん・・・きっとあなたなら・・・』
と、その途中で健心は、立ち上がり、看守の制止を振り切って、膝を床につけて
「検事さん、お願いします。早くここから出してください」
と、土下座をしたのである。
亀丸検事は、健心が頭を下げている間は、微笑んでいたが、健心を椅子に座るよう看守に合図して、表情を変えてこう言った。
『早く出してください? あなたね、わたしにこれだけ面倒をかけておきながら、随分と身勝手なことを言うのね!』
「・・・す、すみません」
『そんな簡単に、あなたの言うことを聞く訳にはいきません』
「・・・あっ、・・・は、はい」
『あなたには、罰を与えます』
「・・・罰ですか・・・はい」
亀丸検事は、立ち上がり柔らかい表情に変えてこう言った。
『小野寺さん、あなたには罰として・・・夏美さん、津路さんのことを頼みます!』
「えっ?・・・」
『だって、あなたにしか頼めないでしょ!』
「検事さん・・・」
亀丸検事は、自席に座ってこう言った。
『小野寺健心さん、取り調べは以上です! あなたを嫌疑不十分で不起訴処分とします』
その日のうちに、健心は釈放された。
地検の前で、庁舎に向かって深々と頭を下げる健心を亀丸検事は検事室の窓から見つめていた。
『小野寺さん・・・二人のこと、頼むわよ』と
マコト (火曜日, 28 6月 2016 13:00)
健心が釈放された日の三日前のこと・・・そう、夏美がマンションを出て行った日、
夏美は、自分の車でマンションを出て、長旅についていたのであった。
それは、いつ帰るのか、そしてどこに帰るのかも分からない旅だった。
それを承知で夏美は、車を走らせていた。
津路は、夏美が去った部屋を、ひとり、見渡していた。
いろんなことが思い出されてきた。
キッチンでは、
「ナッちゃん、初めてチャレンジしたパンケーキ・・・焦がして真っ黒にしちゃったよなぁ・・・それでも二人で“旨い、旨い”って」
「パッションフルーツをいただいたから、食べにおいでよ!って・・・結局、二人とも食べ方が分からなくて・・・ネットで調べたよなぁ」
壁に貼られたカレンダーに目をやると、7月2日、3日に丸が記されてあった。
「金沢に旅行するって言って、チケットも全部準備していたんだろう? ・・・ナッちゃん」
部屋の中には、二人の想い出がいっぱいつまっていた。
ふと、化粧台の上に目をやった。
「あっ!・・・持っていったのかなぁ・・・ナッちゃん」
自分が熊と一緒に撮った写真が無くなっていることに気付いたのである。
男が、こんな状況におかれた時には、そんな考えをするのかもしれない。
「ナッちゃん・・・俺たちの思いでの場所に行ったのかもしれない・・・」
津路は、部屋を飛び出して、二人が初めてデートした動物園に車を飛ばしたのであった。
マコト (火曜日, 28 6月 2016 23:05)
津路は、運転しながら、これまで困ったときや、諦めたくない時に、必ず口にする言葉を何度も言っていた。
「念ずれば通ず、念ずれば通ず、念ずれば・・・ 」
津路の大好きな、いやっ、簡単に諦めない自分でいたいがために、いつも口にしていた言葉であった。
広辞苑で調べれば、“心に強く思う事で願った道が開ける”とでも、記述されてあるのだろうか。
津路は、常に思っていた。
心を込めて祈るような思いは、
自分を動かし、
物事を動かし、
人を動かすものだと。
津路は、「執念」という言葉もよく使った。
同じように広辞苑で調べれば、“ある一つのことを深く思いつめる心。執着してそこから動かない心”とでも記述されてあるだろう。
だが、津路が探偵時代によく使った理由は、少し違かった。
津路が、大切に使っていた理由は、
執念・・・
今の心が、幸せを丸くする。
それが執念だと。
「念」という漢字を分解すれば「今」と「心」になる。
そう「今の心」だ。
津路は、いつも言い続けていた。
“今の心”が未来を創るのだ!と、
思わなければ、何も始まらないのだ!と。
そう、この時の津路は、“必ず夏美に会える”と、強く念じていたのであった。
マコト (火曜日, 28 6月 2016 23:06)
津路は、車を飛ばした。
それでも、急ぐ気持ちを少しでも抑えようと、夏美とよく車の中で聴いていた曲をかけた。
≪・・・人ごみに流されて変わってゆく私を あなたはときどき遠くでしかって・・・≫
普段、夏美と会話をしながらBGMとして流れていた曲も、一人の運転の津路には、その歌詞が心にしみた。
「遠くで?・・・冗談じゃないよ!」
と、津路は途中で次の曲をかけた。
≪・・・きっと何年たっても こうしてかわらぬ思いを 持っていられるのもあなたとだから・・・≫
「ナッちゃん・・・この曲が流れているときは、いつも一緒に口ずさんでいたよなぁ・・・」
自然と涙が流れた。
「ナッちゃん・・・逢いたい」
どうしてだろうか・・・
普段、一緒にいる人と、もうあえないかもしれないと思うと、愛しさが増す。
これが、一時の逢えないではなく、永久のものとなってしまえば、それは悲しさに変わるのであろうが・・・夏美と必ず会えると念じていた津路は、愛しさが何倍にもなっていた。
津路は、左手でコンソールボックスに手をやり、そして視線を送って
「ナッちゃん・・・必ず君を見つけ出すからね!」
と、動物園に向かう道を急いだ。
マコト (火曜日, 28 6月 2016)
動物園に着いた津路は、広い駐車場で夏美の車を探そうと考えたが、入り口付近に空いているスペースを見つけ、急いでそこに車を停めた。
右津乃宮動物園と書かれたチケットを手に、真っ先に熊のいる場所に向かった。
「えっ?・・・いない!」
津路が思っていた場所にいるはずのツキノワグマがいなかった。
「あれっ?・・・場所が変わったのかな」
そこには、セイウチが、気持ちよさそうにお腹を上にして昼寝をしていたのである。
それは、単に津路の勘違いだった。
近くにいた飼育員らしき人に
「クマ! クマ!」
と、ちょっと見、危ない雰囲気の津路
『熊ですか? あちらの角を右に曲がったところにいますよ』
津路は、小走りに熊の居る場所に向かった。すると・・・
「あっ!」
ネービーと薄茶のボーダーを着たショートカットの女性が一人で立っていた。
「ナッちゃん!」
そう思って、一つ落ち着かせるように深呼吸をして、その女性の横に立った。
『はっ?な、なんですか?』
それは、夏美ではなかった。
その女性は、歳の頃なら50代前半
嬉しそうにアイスクリームを頬張りながら、熊を眺めていたのである。
「ご、ごめんなさい・・・人違いでした」
『あっ、いえぇ・・・』
それでも、津路は、そのおばさんに
「あの・・・この女性を見かけませんでしたか?」
と、津路が唯一持っていた夏美の写真を、そのおばさんに見せた。
『あれぇ~、綺麗な人だねぇ・・・堀北真希さんに似てるねぇ・・・こんな可愛い女の子は、見かけませんでしたよ』
津路は、「すみませんでした」と、頭を下げ、別の場所を探そうと歩き出すと、
『あっ! 今日ね、一本松というパン屋さんに行ったんだけど、そこで、そんな感じの人と・・・あぁ、違う!違う! 今日は、パン屋さん臨時休業だったのよ! もう、お腹すいちゃってまいったわよ!』
「・・・で、結局は・・・」
ただの人騒がせなおばさんだった。
津路は、一礼をしてその場から去った。
さほど広い動物園ではなかったが、何周も回って夏美の姿を探したが、津路が夏美を見つけることはできなかった。
「ナッちゃん・・・」
マコト (水曜日, 29 6月 2016 19:34)
津路は、動物園の駐車場で途方に暮れていた。
エンジンをかけた津路であったが、次の行先が思い当たらなかった。
ハンドルにもたれかかり、目を閉じると、夏美の好きだった曲が流れていることに気付いた。
≪・・・もう二度と会わない方がいいと言われた日
やっと解った事があるんだ、気づくのが遅いけど
世界中の悩みひとりで背負ってたあの頃、
俺の背中と話す君は 俺より辛かったのさ≫
普段から、涙もろい津路であったが、この日は、夏美への想いがどれほどまでに深いものであったのか、それに気付かされるたびに涙が流れた。
熊の前で声をかけた女性が、夏美に見えてしまったこと・・・
それは、夏美が必ずそこにいてくれるはずだという思いもあって、そのおばさんが夏美に見えてしまった津路であったが・・・
普段から、夏美のことをあまり見ていなかったことを思い知らされた。
津路の会社は、現場は若い男性の従業員だが、事務をとるのは女性が多い会社だった。
津路は、ふと女性社員と交わした何気ない会話を思い出した。
(女性社員A)『社長!』
(津路)「うん? どうした? 若林くん」
(女性社員A)『うちの主人の話を聞いてくださいよ』
(津路)「どうしたぁ・・・新婚の若林くんが、もう、旦那の愚痴かい?」
(女性社員A)『昨日、前髪を1センチ切ったんですけど、気づいてくれなかったんですよ~』
(津路)「い、い、1センチ? それじゃ、気づかなくてもしょうがないだろう?」
(女性社員A)『いいえ! そんなことありません! 結婚する前は、必ず言ってくれましたよ! 切ったのかい? 似合うよ!可愛いよ!って』
(津路)「そっかぁ・・・そう言われてしまうとなぁ・・・、男は、いつもパートナーをちゃんと見ていないといけないことになるなぁ・・・」
(女性社員A)『当然ですよ!社長』
(女性社員B)「若林さん! 今だけよ、そんなこと言ってられるのは!」
(女性社員A)『え~、山田さん! それって、悲しくありません?』
(女性社員B)「そうねぇ、悲しいかもしれないけど・・・家事や子育てに追われて、そんなことも言ってられなくなっちゃうのよ! みんなそうよ!」
(女性社員A)『う~ん、私もそうなっちゃうのかなぁ・・・え~、でも山田さんは、いつもきちんとしていて、美容院も定期的に、洋服もセンスいいし・・・そんな、山田さんのご主人が、何も言ってくれないんですか?』
(女性社員B)「う~ん、言わないわねぇ・・・確かに、結婚前と新婚の頃は、若林さんのような思いもあったし、旦那も言ってくれていたけど・・・」
(女性社員A)『ひとつ聞いてもいいですか? 山田さん』
(女性社員B)「どうぞ、なに?」
(女性社員A)『山田さんは、誰のために、いつもそんな綺麗にしているんですか?』
(女性社員B)「えっ?・・・誰のため? もちろんいつまでも綺麗な私でいたいから・・・それって、自分のためでしょ? えっ? 若林さんは違うの?」
(女性社員A)『私は、違いますよ! 主人のため! ずっと愛されていたいから!ですよ』
(津路)「なるほどなぁ・・・もう、俺たちの年代になると、相手のためにっていう気持ちはないかもしれないなぁ」
(女性社員B)「そうですねぇ、社長・・・愛されたかったら、愛されるようにしていなきゃだめだっていうことなんですかね」
(女性社員A)『私は、女性が変わってしまうのは、全て男性が悪いと思います!』
(津路)「そうなのか? 女性はそんなふうに思っているのかい?」
(女性社員A)『はい、社長!』
(津路)「う~ん、まぁ、それの全部を否定はしないけど・・・、男性が変わってしまう原因に、女性が、構わなくなってしまったからということもあるんじゃないのかい?」
(女性社員A)『えっ? そ、そんなことありませんよ・・・私は、変わらないし・・・』
(女性社員B)『社長・・・結局のところは、男性も女性も、それぞれがそれぞれの方に原因があるって言ってるんですよね』
(津路)「そういうことになるなぁ・・・まぁ、愛し方にも、人それぞれに形はあるんだろうけどなっ!」
(女性社員B)「そうですねぇ、社長・・・って、そういう社長こそ、だめですよ! もっと、夏美さんのことを大切にしてあげなきゃ! いつまでも、当たり前のようにそばにいてくれるって思っていると、いつ、いなくなっちゃうか分からないですからね! 女の子って、愛想を尽かすと早いですから! 気持ちが冷めるのは」
(津路)「おいおい・・・脅かすなよ・・・ナッちゃんは、大丈夫だよ! 長い付き合いだからな!」
そんな会話を思い出した津路は、やっと気づいたのである。
「えっ?・・・俺は、愛想を尽かされたのか」
と
マコト (水曜日, 29 6月 2016 23:03)
津路は、自分が夏美に愛想を尽かされるはずがないと強がっていたが、これまでの夏美に対する自分の不甲斐なさを恥じていた。
「俺・・・ナッちゃんのこと、見ているつもりで、ちゃんと見ていなかった」
「それなのに、こんな俺の奥さんになりたいって・・・情けねーやつだよ、俺は!そんなことを彼女の方から言わせて・・・」
「仕事、仕事で旅行にも連れていってあげなかった俺に、20年も連れ添っていてくれたんだ・・・ナッちゃんは」
と、その時だった。
「旅行に?」
津路は、夏美が二人でいるときに、口癖のように言っていたことを思いだした。
『わたし・・・俊成くんと、一緒に行きたいんだぁ・・・二人で、一緒に見たいの』
それは、夏美の生まれ故郷でもある岩手県宮古市にある「浄土ヶ浜」だった。
夏美の生家は、もう誰も住む人がなく、夏美も帰る機会を失くしていたのである。
『綺麗なのよ~俊成くん・・・一緒に行きたいなぁ』
「ナッちゃん・・・」
夏美を必ず探し出すことを念じていた津路であったが、岩手に向かうことを躊躇させる思いがあった。
それは・・・
「俺がこのまま岩手に向かってしまったら、健心は・・・」
だが、そのためらいは、直ぐに打ち消された。
「すまん、健心・・・いまは、ナッちゃんのところへ行かせてくれ」
マコト (水曜日, 29 6月 2016 23:04)
津路は、宇都宮ICから東北自動車道に乗り、岩手へと向かった。
夜の下りの高速は、那須を過ぎて交通量も少なくなっていた。
途中、安達太良サービスエリアに立ち寄った津路は、トイレを済ませると、辺りに漂う香りに気付いた。
「あっ、桃の香り・・・」
その日、一食もしていないことに気付いた。
建物に入ると、真っ先に『ベーカリー Sun ADATARA』の「もものぱん」という看板が目に留まった。
「ナッちゃんが好きそうだなぁ・・・」
安達太良SAの一番人気であったようだが、桃の苦手な津路は、別のレストランを選び、そこで「伊達鶏五目わっぱそばセット」をいただいた。
「旨かった! 食べないともたないからな」
と、先へ急ごうと建物から出た。
津路は、車内の飲み物を買うために自動販売機に向かうと、2台の自動販売機の中央に子供の頃に憧れていたヒーローが立っていたのである。
「えっ?・・・ウルトラセブンだ!」
仁王立ちの凛々しい姿のウルトラセブンに「セブン~セブン~」と思わず口ずさんだ津路。
「へぇ~」
と、ペットボトルのお茶を購入すると、ウルトラセブンが
「ジュワッ!!」
という掛け声と一緒に目を光らせたのである。
もちろん、そんな時の男は、何かに理由をつけて、もう1本買うのである。
「眠気覚ましに珈琲も必要だよな!」
コインを入れ、缶コーヒーのボタンを
「ジュワッ!!」
その時の津路が、その日唯一笑みを浮かべた瞬間だった。
マコト (水曜日, 29 6月 2016 23:06)
安達太良サービスエリアを出た津路であったが、いきなりの満腹も手伝って、眠気が襲ってきていた。
「あっ!」
くっつきそうになった瞼に、津路は思わず声をだした。
両手で、自分のほほをたたき、眠気と闘った。
だが、人間の体は、そう都合よくは働いてくれないものである。
盛岡南ICまでは、安達太良SAから278キロも残っているなかでは、津路の体は限界であった。
次の吾妻PAまでの約30キロの道のりを必死に運転した。
「次で、少し休憩しよう・・・このままじゃ・・・」
吾妻PAに着いた津路は、車を一番はじに停車させた。
シートを倒して「ちょっとだけ・・・」
目が覚めたのは、翌日の朝だった。
「えっ?・・・こんな時間? 寝過ぎてしまった・・・急がなきゃ」
買ってあったお茶を飲みほして、また高速道路をひたすら走った。
ようやく盛岡南ICで降りた津路は、国道106号線を東進した。
浄土ヶ浜の看板が見えてきたときには、もう10時になろうとしていた。
「ナッちゃん・・・いてくれよ! いやっ、必ずここに来ているはずだ!」
愛する人を探さなければならないという思いが、ここまでの津路を突き動かしていたのであった。
浄土ヶ浜に初めて訪れた津路は、まず海岸へ行った。
生まれて初めて見る景色だった。
岩上には、ナンブアカマツをはじめとする常緑樹の群生が生い茂り、あたかも日本庭園のような美しい景観が醸し出されていた。
「綺麗だぁ・・・」
「ナッちゃん、こんな綺麗な場所で生まれ育ったんだなぁ・・・」
そこには、入り江を利用した海水浴場があり、日本の水浴場88選に選ばれるだけあって、見事なまでに素晴らしい景色。
海無し県に育った津路には、息をのむほどの絶景だった。
「ナッちゃん・・・この海を見せたかったのかなぁ・・・」
津路は、車を走らせ、1日中、夏美を探し続けた。
無謀と言われようが、その時の津路には、それ以外に夏美を探す手立てがなかったからだ。
津路は、念じ続けていた。
「必ず逢える」と
マコト (木曜日, 30 6月 2016 20:10)
陽が落ちていた。
「ナッちゃん・・・ここに来ているんじゃないの?・・・」
その時の津路は、夏美を探す手立てが他にない自分に、改めて夏美のことを見ていなかったことを悔いた。
夏美の趣味・・・夏美の友達・・・夏美の実家・・・夏美が頼りそうなところ・・・
何も分からなかった。
「俺、20年もナッちゃんと一緒にいたのに・・・」
暗くなった海からは、寄せては返す波の音だけが聞こえていた。
津路は、砂浜に座って暗くなった海を眺めていた。
「こんなことになってしまったのも、もとはと言えば・・・」
津路は、理を見つけたにもかかわらず、連れ帰って来なかったことを、夏美に伝えるべきであったのかと、そのことも悔やんでいた。
「喜びも苦しみも分かち合い?」
「俺には、・・・ないよ、ナッちゃん」
「ナッちゃんにまで、苦しみを分け与えることなど、俺の選択肢にはなかった」
「ただ・・・ ナッちゃんは、仕事から帰った俺をいつも笑顔で出迎えてくれた・・・俺は、それがあったからずっと頑張ってこれたんだ」
そう言って、津路はその日最後の涙を流した。
浜辺で、どれくらいの時間が経っていたであろうか。
海風が冷たくなってきたことに気付いた津路は、車に戻って次の日の朝を迎えた。
マコト (木曜日, 30 6月 2016 20:29)
翌日・・・
それは、津路が夏美を探し始めて3日目のことだった。
初めて、津路の携帯が鳴った。
「ナッちゃん?」
そう思った津路が、携帯のディスプレーをみると、そこには「小野寺健心」と書かれてあった。
「えっ?・・・健心」
地検から出た健心が、直ぐに津路に電話したのであった。
津路は、ためらうことなく電話に出た。
『津路か? 健心だよ!』
「健心! 自分の携帯から電話をしてきたっていうことは・・・」
『あぁ、そうだ! ちゃんと戻ってきたぜ!』
「健心・・・俺・・・」
『いいんだ! 津路! 何も言うな! それより、お前今どこにいるんだ?』
「・・・健心」
『いいから! なぁ、津路、どこにいるんだよ?』
「・・・岩手に来てる」
『岩手?』
それから、健心はどうしてこうなったのか、そして、津路と夏美が帰ってきていないと検事から聞かされたことを伝えた。
健心の想いを聞かされた津路は、涙ながらに、事件のことを詫びた。
「健心・・・すまない」
『いいんだ、津路・・・そんなことより、今は夏美さんのことだろう?』
「健心・・・」
『夏美さんは、そこに来ると思っているのか?』
「えっ? ・・・あぁ、・・・俺にはここしか思い当たる場所がないんだ」
『そっか・・・分かった』
そして健心は、こう言ったのである。
『津路、待ってろ! 俺もそこに行く!』
「えっ?・・・う、嘘だろう? 健心」
『こんな時に嘘をついてどうするんだよ! 待ってろよ! 今日中に行くからな』
電話は切れた。
「健心・・・本当かよ?」
健心は、急いで自宅に戻り愛車のトヨタポルテで岩手に向かった。
『新幹線の方が早いだろうけど、向こうで手分けして探すには・・・』
そう思った健心は、車で行くことを選択したのであった。
マコト (木曜日, 30 6月 2016 20:31)
健心の電話があってから5時間後・・・
津路が浜辺で海を眺めていると
『津路・・・』
「えっ?」
『よっ!』
「健心・・・」
平均速度○○○キロで東北道を休憩もせずに飛ばし、健心が津路の前に現れたのである。
「健心・・・お前、本当に来てくれたんだな」
『そりゃぁ来るさ!』
「って、早すぎねーかい?」
『おっ、お~・・・性能のいい車で来たからな!』
「・・・そっか・・・なぁ、健心・・・」
『なんだよ? 津路』
「・・・俺を殴ってくれ!」
『はぁ? なんだよ、いきなり・・・やだよ!』
「どうして? 俺は、お前に殴られて当然なことをしたんだ・・・夏美がお前にしたことだって、もとはと言えば・・・とにかく殴ってくれ!」
『やだって!』
「どうしてだよ?」
『・・・自分の手が、いてーから!』
「あのさ!・・・だって、お前は刑務所に入るかもしれなかったんだぜ! それをお前は・・・」
『なんか、成り行きでそうなっちたけど・・・いいじゃん! こうやって、今、ここにいられんだから!』
「おめーも、頑固だな! いいから、殴れって!」
『ったくうっせーな! 分かったよ! グーで殴ればいいんだな! うん? 3発か?』
「・・・いやっ、・・・できればパーで」
『いや、グーだろう!』
「いやっ、パーで・・・そっと1発でお願いします」
『バカやろ~! そんな訳いくかよ! グーで行くぞ、津路!』
と、健心は、姿勢を低くして、相撲の構えをした。
それを見た津路も、慌ててそれに合せ・・・
砂浜で、二人は相撲をした。
途中から二人とも涙を流しながら。
『こっちは、心配してんだよ、津路さんよ!』
「うるせーよ! こっちにも都合があんだよ!」
『都合? 都合ってなんだよ? ・・・そんなの、こっちには関係ねーんだよ!』
「なんでだよ?」
『仲間だからだよ!!!』
それを聞かされた津路は、体の全ての力を奪われ、健心に砂浜の上に投げ飛ばされた。
健心は、上機嫌に
『健心山の勝ち~』
と、行司の真似で軍配を持つふりをして、海に向かってそれを指した。
そして、上げた右手をそのまま津路の方に向け、津路の右手を引っ張った。
立ち上がった津路は、涙でいっぱいだった。
「健心・・・本当にすまなかった」
『ホンとだよ! お前がちゃんと検察庁に来てくれれば、あと二日早く出てこれたのにな!』
「って、そっちかよ・・・お前ってやつは・・・本当にすまなかった、夏美のことも出来れば許してやってほしい・・・健心」
『いいんだよ! もう、そのことは終わりにしようぜ! それより津路・・・早く、夏美さんを探さなきゃな!』
「あぁ・・・」
健心は、体の向きを変え、海を眺めて言った。
『なぁ、津路・・・綺麗な海だなぁ・・・夏美さんは、こんな綺麗なところで生まれ育ったんだな』
「・・・そうだな」
マコト (木曜日, 30 6月 2016 23:54)
二人は、砂浜の上に、海に向かって並んで座った。
そして津路は、二日間、この地で街の人に夏美を見かけていないか、訪ね回り、
もう、あとは探すエリアを広げるしかないこと、
あるいは、夏美が津路と一緒に見たいと言っていたこの浄土ヶ浜で、夏美を待ち続けるしかないと健心に伝えた。
それを聞かされた健心は、
「・・・そっか」と、うなずいた。
結局二人は、今日一日は、その場で夏美を待つことを選択した。
しばらくは、二人黙って海を眺めていたが、津路が重い口を開いたのである。
「なぁ、健心・・・9年前の理君のことなんだけどさ・・・」
『うん?』
その時の健心は、亀丸検事の言葉を思い出していた。
『津路さんがどんなに辛くても、ずっと秘密にしておかなければならない理由があるなら・・・それは、いくらあなたが津路さんを心配しても、どうにもならないことなのかもしれないわよ・・・』
健心は、津路が話してくれるなら、それを聞いて同じ苦しみを背負う覚悟は出来ていた。
だから、津路に
『なぁ、津路・・・夏美さんのことももちろんだけど、津路のことが心配でここまで来たんだからな・・・お前が、話してくれるなら、俺はお前と一緒になってこれからのことを考えてやりたいよ!・・・津路』
津路は、健心の言葉に「・・・そっか」と、二度うなずいた。
津路は、ひとつ大きく呼吸して、ゆっくりと丁寧に理の捜索のときに何があったのか、その全てを健心に語り始めた。
群馬の山中でガッツと出会い、そして、それからの出来事の全てを。
そして・・・、真実を語った。
「俺・・・理君を見つけたんだ」
『・・・そっか・・・さすが津路だな』
「さすがって、誉められたもんじゃないよ・・・だって、理君を栞さんのところに連れ帰ってこれなかったんだからな」
『・・・それは・・・でも、それには理由があったからなんだろう?』
「理由?・・・そうだなぁ・・・理由というよりは、理君自身が、望まなかったんだ」
『えっ? 記憶を取り戻したいっていう気持ちはなかったのか? 理君には』
「よくは分からない」
健心は、分かっていた。
津路がそのことで探偵を辞めたこと。
もし、その時に無理矢理でも連れて帰ってくるか、理の居場所を栞に伝えていれば・・・
それが、出来ないくらいの理由があったのだろうと。
そして、9年後に知らされた栞のこと、蒼が今でも待ち続けていること。
その時の決断が、今でも津路を苦しめていることを。
津路は、どうして無理矢理にでも、理を連れて帰ってこなかったのか・・・
理が、今でも住んでいるであろう家の、その時の状況を話し出した。
マコト (木曜日, 30 6月 2016 23:57)
津路の話を聞き終えた健心は、泣いていた。
『そっか・・・苦しい選択だったんだなぁ、津路』
「・・・あぁ」
健心は、涙がこぼれないように上を向いて言った。
『なぁ、津路・・・もし俺が津路の立場だったとしたら、・・・きっと同じ決断をしたよ』
「健心・・・」
・・・ありがとな」
健心は、「そうだったのかぁ・・・」と、深く息を吐きながら下を向いて考えていたが、こんな時はと、少し明るい表情に変えて
『しかし、よく見つけたよなぁ・・・すごいよ、そのガッツという子犬は! 自分を助けてくれた人の匂いを忘れなかったってことだろう?』
「・・・そうだなぁ」
『長野にいた二か月間、相棒として津路を支えてくれたんだろう?』
「あぁ・・・なんか俺の気持ちを全部分かってくれているような子犬でさ、ガッツは」
『そっか! あれっ? それで、二か月も一緒に旅をしたそのガッツとは、一緒に帰ってきたんだろう? 会ってみてーな! そんな賢いワンちゃんにさ』
「・・・・・」
『えっ? 津路・・・俺、なんか変なこと言っちまったのか・・・』
「・・・一緒には帰って来なかったよ」
『えっ? どうして?』
「理君と暮らしたかったんだろうな・・・理君から離れなかったんだよ」
『・・・・・
・・・ごめん、津路』
津路の目は、涙でいっぱいだった。
津路は立ち上がり、海に向かって歩き出した。
おそらくは、健心に涙をみられたくなかったのであろう。
波打ち際で立ち止まり、海を眺めていた。
健心は、そんな津路にかける言葉が見つからなかった。
言葉が見つからないなら、行動で示してやれと、健心も立ち上がり、津路の後ろまで走っていき、津路の背中をおもいっきり押して、津路を海の中へ。
「ばかやろー! 何すんだよ、冷てーだろう!」
と、同時に健心も海の中へ入ってきた。
『おんぼろ探偵~!』
と、両手ですくった海水を、津路におもいっきりかけた。
「バカっ! よせ! ・・・って、このやろ~」
二人は、海の中で、びしょ濡れになるまで海水をかけあった。
男なんて、そんな生き物である。
砂浜に戻ってきて・・・
「健心・・・着替えは、あるのか?」
『ねーよ・・・津路は?』
「・・・ねーよ!」
マコト (金曜日, 01 7月 2016 12:16)
びしょ濡れの二人は、濡れた洋服でロボット歩き
とりあえず車に戻ってみたものの、そのまま車に入ることも出来ず・・・
テトラポットの上で、反省会
「つめてーし」
『・・・あぁ、つめてー』
ふと、津路が言った。
「萌仁香に救われたな」
『えっ?・・・あっ、そ、そうだよな』
「はっ? なんだよ、なんか驚いたような口ぶりだな、健心」
『あっ、いやっ、そ、そうだよ! 萌仁香が救ってくれなかったら大変だったよな!』
「なぁ、健心・・・もしかして、お前、まだ萌仁香に連絡してねーのかよ?」
『えっ? ・ ・ ・ 』
津路は、呆れ顔で
「俺を心配して、飛んできてくれたのは分かるけどさぁ・・・健心、それはまずいぜ!」
『えっ? そ、そうだよな・・・そうだよ、まずいよ! うん、まずい、まずい!』
「今から、連絡しろよ!・・・って、まさか??? 美子都にも連絡してねーのかよ?」
『お、俺は・・・津路のところに急いでいたから・・・』
「おいおい、勘弁してくれよ! こっちまで、とばっちりくいそうだぜ! 大変なんだろう?美子都が怒りだすと?」
『あっ? うん? いやっ? ・・・た、大変だよ!』
「俺は、知らねーからな!」
『あっ、そっか! 分かった! 津路が検察に来て、俺を救っていてくれたら、こんなことには、ならなかったんだよ!・・・そうだよ! 津路が悪いんだよ!』
「あのさぁ・・・そ、それは、まぁ・・・そうも言えるけど・・・え~、勘弁してくれよ! なぁ、早く連絡しろよ! 二人に」
「わ、分かったよ! 津路に頼まれたんじゃ仕方ねーからさ!」
『ったく・・・、もうこの際、なんでもいいから!』
健心は、しぶしぶ立ち上がり、車に置いたままの携帯を取りにいった。
マコト (金曜日, 01 7月 2016 12:21)
実は・・・
健心が、釈放されたその日・・・、
何故か嫌な予感がした“おせっかいおばさん”の亀丸検事は、仕事帰りに花風莉に私用で立ち寄ったのであった。
『こんばんは~』
ミーが出迎えた。
「あっ、検事さん! ケンちゃんさん・・・ケンちゃんさんは、どうなりましたか?」
『えっ?・・・・』
「そのことで、来てくれたんですよね? ケンちゃんさんは?」
ミーの質問は、亀丸検事の嫌な予感が的中していたのである。
『小野寺さんから連絡ないの?』
「えっ? 連絡って・・・刑務所から電話が出来るんですか?」
『まぁ、正確に言うと検察だけど・・・小野寺さん、釈放されたわよ!』
「えっ? 検事さん、ホンとですか? わぁ~」
満面の笑みで、奥にいた萌仁香のところに飛んで行った。
萌仁香も、笑顔で出てきて
「検事さん・・・ありがとうございます」
『お礼を言われるのは、おかしいわよ! 正しい結果を導き出しただけよ! それも、お二人からお話を聞くことができたからね』
「良かったです、本当に・・・で、いつ釈放されるんですか?」
『う~ん、まぁ、分かることだから話すけど、今日、釈放されたのよ!』
「えっ? ホンとですか? えっ? ・・・け、検事さん、ちょっと待ってください!」
萌仁香は、急いで携帯を取り出し、どこかへ電話をかけた。
「もしもし・・・うん・・・うん・・・今日、釈放されたって・・・検事さんが、今、お店に来てくれて・・・そう、・・・うん・・・分かった」
萌仁香は、言った。
「すみません・・・いま、台風がここに来ます・・・5分で」
亀丸検事を奥の椅子に座らせ、待つこと・・・
「あっ、4分で来ました」
それは、美子都だった。
マコト (金曜日, 01 7月 2016 22:17)
美子都が、血相を変えて花風莉に入ってきた。
『萌仁香! どういうこと? 早く説明して! 』
萌仁香は、いつものこととは知りつつも、まずは美子都を落ち着かせようと、
「まっ、座って! ・・・こちら、亀丸検事さんよ」
『あっ? そっか、・・・すみません、お騒がせしました・・・わたし、朝倉美子都です』
『美子都さん? 初めまして、亀丸です』
これから何が始まるの? と、不思議そうな表情の亀丸検事に萌仁香が、
「美子都は、健心の婚約者なんです」
『こ、婚約者~? あらぁ、小野寺さんには、そんな大切な方がいらしたのね!』
「そ、そうなんです・・・」
美子都の血相は、変わることはなかった。亀丸検事に、
『検事さん、健心は、何時ごろ釈放されたんですか?』
「まったく、あいつは、婚約者にも連絡していないのね! ・・・ここで、正直に言ったら、台風さんが・・・」と躊躇していた、亀丸検事は、
『う、う~ん・・・ご、ご、ごろうまる?・・・あっ? ご、ごご? あれっ、何時ごろだったかしらねぇ・・・』と、しどろもどろ。
そんな亀丸検事に美子都は納得。
『午前中のうちに釈放されていたんですね! ・・・で、なんで、私に連絡もよこさないのかしらね!』
『・・・た、た、確かに、そうよねぇ~』
亀丸検事は、心の中でつぶやいていた。
『あいつ、津路さんのところに飛んで行ったのね!・・・ってさぁ・・・婚約者がいるなら、普通は、連絡ぐらいするでしょう!』
『・・・でもっ、二人のことを頼んだ私にも責任がある訳だし・・・』
『あぁ~、もう~・・・どうして、こうやって私を困らせるのよ! あいつ、今度、何かしでかしたら、無実の罪で刑務所に送ってやるからね!』
『・・・でも、あいつらしいわねぇ・・・津路さんのことで頭がいっぱいなのね!』
『・・・えっ?・・・でも、それって?・・・ただのバカ?』
と、つぶやいているうちに、気が付けば、美子都がえらい剣幕で萌仁香にかみついていた。
『もぉ~許さない!』
「美子都、まぁ、落ち着いてよ・・・」
『落ち着いてなんかいられないわよ!・・・あいつ、殺してやるーーー!!!』
「み、美子都ぉ~・・・検事さんの前だから!」
『検事さんの前?って、誰の前だろうと・・・、あいつは、そうでもしないと治らないのよ!』
マコト (金曜日, 01 7月 2016 22:18)
亀丸検事は、何故か笑ってしまった。
それに気づいた美子都が、
『検事さん! 何がおかしいんですか? 健心は、いつもこうなんですからね!』
「あっ、笑ったりしてごめんなさいね、美子都さん」
『あっ、・・・検事さんに謝ってもらいたい訳じゃないんですけど・・・ところで、検事さん』
「うん? なにかしら、美子都さん」
『健心は、本当に何もしていなかったんですよね?』
「あれっ? 婚約者の美子都さんは、最後まで信じていたんじゃないのかしら?」
『えっ?・・・も、もちろん信じていましたけど・・・でも、健心は逮捕されて、それを否定もしなかったんですよね?』
「そうねぇ・・・」
『健心は、どうして何も言わなかったんですか?』
「美子都さん・・・ごめんなさいね、それは検事の私からは言えないのよ」
『・・・そうなんですかぁ』
「う~ん、美子都さん・・・じゃぁ、少しだけ教えてあげるけど、小野寺さんは、大切な友達を守ろうとしたのよ! だから、責めないであげてね」
『えっ? それって、健心が夏美さんを守ったということですか? はぁ??? 夏美さんと健心は、そんな関係だったってことですよね!!!』
美子都は、立ち上がり、
『あったまきた! もう、だめ! 私、暴れる!!!』
そんな美子都を萌仁香が羽交い絞め、ミーが美子都の腹部にタックルして、二人がかりで抑えた。
マコト (金曜日, 01 7月 2016 22:19)
亀丸は、しゃべり過ぎた自分を反省した。
「もぉ~、めんどくさいなぁ」
と、つぶやきながら美子都に
「美子都さん・・・とにかく、小野寺さんを信じてあげて! わたしね、あんな人、初めてよ! バカがつくほどお人よしで・・・でもね、これだけは言えるみたいよ! とっても仲間を大切に思っている人よ!」
『そ、それは・・・私も、少しだけ知ってますけど・・・』
「うん? 少しだけ?」
『あっ、少しより、ちょっとだけいっぱい』
美子都は、羽交い絞めの萌仁香と、腹部タックルのミーを振り払い、
『私から、電話してみる』
と、ちょっと乙女チックに言った。
亀丸は「そうねぇ、きっと喜ぶわよ!」
『お騒がせして、っていうか、今回の件では、検事さんには大変なご迷惑をおかけしたんですよね・・・あいつ』
「いいのよ、そんなことは」
『でも・・・』
「おかげで、素敵なお花屋さんを見つけることができたから」
と、亀丸は、一番の笑顔で、美子都、萌仁香とミーに微笑んだ。
そして、
「くれぐれも、小野寺さんを責めないでね、美子都さん」
『はい、分かりました。 ありがとうございます、亀丸検事』
と、美子都は、警察官の敬礼をしてみせた。
それに応えて亀丸検事も。
そして、それから直ぐだった。
「健心!!! おめーわよ! 許さねー!!! 今すぐここにきて、土下座して謝れーーーーーーー!!!」
電話で怒鳴っている美子都に、萌仁香もミーも、ただ、目を閉じて首を横に振るだけだった。
亀丸検事は、そんな3人に苦笑いするしかなかった。
マコト (金曜日, 01 7月 2016 22:20)
車に携帯を取りにいった健心が、津路のところに戻ってきた。
「うん? どうしたんだよ! 早く電話しろよ!」
『あっ? う、う~ん・・・』
「早い方がいいぞぉ・・・健心」
『・・・そうだよな』
健心が意を決して、まずは萌仁香にお礼の電話をしようと、メモリーを検索していると、
「あっ・・・やべっ! やべっ、やべっ! やべ~よ津路! 美子都からだよ! おい、津路! なぁ、頼む! 電話に出てくれよ!」
『はぁ??? バカかお前は! 早く出ろよ!』
「だ、だめか・・・なぁ・・・津路・・・早く!」
電話を受けそうにない健心にしびれをきらした津路が、携帯を奪い取り、電話を受けた。
と、その途端に
「健心!!! おめーわよ! 許さねー!!! 今すぐここにきて、土下座して謝れーーーーーーー!!!」
夜の浜辺に美子都の声が響き渡った。
「・・・津路」
『俺は、知らねーよ!健心、ほら!』
と、携帯を健心に向けて投げた。
マコト (金曜日, 01 7月 2016 22:22)
健心は、頭を低くして、申し訳なさそうに電話にでた。
「はい、健心でございます。ホンと、ホントにただ今電話しようと思っていましたところでして・・・はい・・・はい・・・あぁ、それは・・・いえっ、あの・・・はい・・・はい・・・あのぉ、岩手です・・・あっ、なんでって・・・あのぉ・・・はい・・・それは・・・いいえ・・・そんな・・・はい・・・あのぉ、津路君と一緒に・・・はい・・・あのぉ・・・それは、ちょっと・・・はい、はいすいません、ごめんなさい、あのぉ、ごめんなさい・・・はい・・・帰ったら、ちゃんと訳は話しますので・・・はい・・・いえっ、・・・はい・・・あのぉ・・・はい・・・ごめんなさい・・・はい・・・」
頭を砂浜にこするぐらいに低くして電話で応える健心に、津路は助け船をだした。
『健心、代われ!』
と、健心から電話を奪い取って
『もしもし、津路です・・・はい・・・あっ、信用してあげてください、健心は僕と一緒に居ますよ!・・・はい、岩手です・・・はい・・・実は、夏美が・・・』
と、津路は、美子都に全てを話し出したのである。
それを心配そうに聞いていた健心が、
「おい、津路!」
津路は『ちょ、ちょっと待って!』
と、携帯をふさいで
『健心・・・いいんだ、美子都は仲間だろう! だから・・・』
健心は、ゆっくりと首を横にふった。
『健心・・・だって、それじゃお前の立場が・・・』
「いいんだ、大丈夫だ! 帰って、ちゃんと謝るから! だから、理君のことだけは内緒にするんだ! 津路!」
『健心・・・分かった』
再び、津路は美子都と話して、携帯を健心に返した。
「美子都・・・本当にすまなかった。 少しでも早く津路のところへと思った瞬間に、頭の中が津路のことでいっぱいになっちまって・・・うん・・・うん・・・ごめん・・・ホンとだよな・・・うん・・・分かった・・・(は、は、は、ハクション!) ・・・あっ? いやっ、ちょっと海で遊んだもんだから・・・いやっ、海水浴じゃなくて・・・まぁ・・・うん・・・そうだな・・・分かった」
健心は、最後に愛情のこもった最愛の言葉を美子都に贈ったのだ。
余計なことを言わなきゃいいのに・・・
「お土産、買っていくから・・・うん・・・良かった、機嫌直してくれて・・・うん・・・最初に、それを言えば良かったんだな!・・・ギャー、ごめんなさい、はい・・・はい・・・まったくであります、・・・はい・・・申し訳ございません・・・はい・・・はい・・・まったくであります、はい・・・はい・・・これから、萌仁香さんにも連絡して・・・えっ?・・・はい、あっ、そうなんですか・・・はい・・・分かりました・・・はい・・・よろしくお伝えください・・・はい・・・申し訳ございません・・・はい・・・はい・・・それでは失礼させていただきます、はい」
電話を切った健心はこう言った。
マコト (土曜日, 02 7月 2016 20:43)
健心は、90度に曲げた腰をもどして、津路にこう言った。
「良かったよ! あんまり機嫌悪くなかったから!」
『はぁ? あれで機嫌悪くないのかよ?』
「あぁ、普通だよ!」
『じゃぁ、機嫌悪くなったら、どんだけ怖いんだよ?』
「うん? 言いたいことを言ってくれた時は、大丈夫なんだよ!」
『ふ~ん・・・そんなもんなんだ』
「なぁ、津路・・・あんがとな」
『うん? 何がだよ』
「いやっ、お前が電話に出てくれなかったら、もっと大変なことになっていたよ」
『・・・って、どんだけ信用ねーんだよ!』
「まったくだな!」
『まったくだな!じゃねーよ! ・・・・なぁ、健心・・・』
「うん?」
『俺な、今回のことで、分かったんだ・・・夏美のことをちゃんと見てあげていなかったんだって』
「・・・そうなのか?」
『あぁ・・・だってさ、夏美のこと、なんにも分かっていなかったんだぜ! 夏美の友達、夏美の趣味、夏美の好みの服装・・・いろんなこと知らな過ぎだったよ、俺』
「そっか・・・って、俺もそうかもしれないけどな」
『健心・・・今回の俺じゃないけど、いつ、いなくなっちまうか分からねーぞ! 美子都も』
「えっ?・・・」
『俺みたくならねーように、普段から大切にしてやれよ! 美子都のこと』
「俺みたくって? なんだよ津路、はぁ?・・・夏美さんは、お前に愛想を尽かしていなくなったとでも思っているのか?」
『だってさ・・・』
「おい、津路! それは違うと思うな!」
『違う? どうしてそう思うんだよ?』
「確かに、津路は夏美さんの何も知らなかったのかもしれない。 だからって、津路を嫌いになんかならねーって!」
『嫌いにはなっていないかもしれないけど・・・夏美が残した手紙に書いてあったんだよ・・・』
「うん? なんて?」
『・・・俺の奥さんになりたかったんだよって』
「おっ、おぉ~ それって、プロポーズみてーなもんじゃん、そりゃぁ、すげーな」
『すげーな! じゃねーよ! 女の子にそんなこと言わせるなんて、情けねー男なんだよ! 俺は』
「う~ん・・・そうなのかな」
『そうだよ! だから、嫌いになったっていうんじゃなくて・・・待ちきれなくなったっていうか・・・とにかく愛想が尽きたんだよ!』
「ふ~ん・・・そっか! じゃぁ、もう栃木に帰ろうぜ!」
『えっ? なに? なんで?』
「お前は、夏美さんのことを今でも信じているんだろう?! だから、こうして夏美さんが一緒に見たいと言っていた場所で、待っているんだろう? 違うか? 愛想を尽かした人は、ここには来ねーよ! 心配なら、別の場所を探そうぜ!」
『健心・・・』
「いいか、津路・・・お前は夏美さんを一番に大切に思っていた! そうだろう? なら、それでいいじゃん! それのどこが悪いんだよ! 自信を持てよ!」
『・・・健心、そうだな』
マコト (日曜日, 03 7月 2016 21:11)
海風が冷たくなってきた。
「さみーな」
『おぉ・・・車に行くか?』
「そうだな・・・」
津路の車の隣に健心の車は停まっていた。
健心は、当然のように津路の車の助手席に歩いていった。
『おいおい、健心!』
「うん? なんだい?」
『健心の車が広くていいよな!』
「えっ? 津路の車だろう!」
『いやいや、健心様の車の方が、大変広うございまして、快適かと』
二人とも、びしょ濡れ砂まみれ。
車が、とんでもないことになるのを二人とも敬遠していたのである。
「だって、津路のために俺はここまで来たんだし!」
『俺は、来てくれって頼んでねーし』
「・・・確かに・・・って、さっき相撲で勝ったし!」
『はぁ? そんなの関係ねーし!』
「関係あるし!」
『んじゃ、俺は、美子都からの電話に出て、健心を救ってやったし!』
「・・・確かに・・・って、俺は、代わってくれって頼んでねーし」
『・・・確かに』
それは、ほぼ同時だった。
「じゃぁ、いいよ俺の車で」
『・・・いいよ、俺の車で』
「えっ?」
『えっ?』
「どうぞ、どうぞ!」
『どうぞ、どうぞ!』
結局は、ジャンケンに負けた健心の車に、二人は乗り込んだ。
『わりーね! 健心』
「おい、ケツをシートに着けるなよ!」
『はぁ? 無理だべ、それは』
「ほれ、そこ、あんまり動くなよ!」
『いやぁ~快適な車だね! シートも、ほれっ! ふかふかだぜ!』
「津路~~~!!!」
53歳、男盛り×2
こうもくだらないことをやっているとは、美子都たちは夢にも思っていないであろう。
マコト (日曜日, 03 7月 2016 23:22)
車に入って、二人はそれぞれに違うことを考えていた。
最初に口を開いたのは津路だった。
『なぁ、健心・・・』
「うん? どうした?」
『夏美は、本当にここに来てくれるんだろうか・・・不安になってきたよ・・・だってさ、家を出て、三日も経つんだぜ』
「う~ん、それは俺には分からないよ・・・でも、今はここで待つしかないんだろう?」
『そうなんだよなぁ・・・情けないよな』
「そんなことないって、さっき言ったろう!」
『あっ、う、うん』
『なぁ、健心・・・こうして、ただ待つだけなら俺一人で十分だよな! 健心は、帰って美子都さんのところに行ってくれよ!』
「津路は、どれくらいここで待つつもりなんだよ?」
『分かんない・・・気がすむまでになるのか・・・それとも・・・あぁ、どこか探す場所があればなぁ・・・そこに飛んでいくんだけどなぁ』
しばらく、二人とも黙っていたが、健心は、津路一人を残して帰るわけにはいかないだろうと考えていた。
マコト (月曜日, 04 7月 2016 12:57)
そんな健心には、もう一つの悩みがあった。
そのことを、津路に確かめるため、健心は重い口を開いた。
「なぁ、津路・・・」
『うん? なんだよ、健心』
「蒼さんのことなんだけどさ・・・」
『あっ・・・俺、すっかりそのことを・・・』
「う~ん、どうやって断ったらいいのか・・・俺には考え付かなくてさ・・・」
『すまなかったなぁ、健心・・・もとはと言えば、蒼さんの就職を断った理由・・・ちゃんとお前に伝えていれば・・・』
「津路、それは違うよ! 俺が、津路を苦しみから救ってやりたいなんて、カッコつけたことから、夏美さんを追い込むことになってしまったんだよ・・・すまない、津路」
『健心が謝るなよ! 俺も、ちゃんと夏美に話しておけば、こんなことには・・・』
「なぁ、津路・・・」
『うん?』
「理君は、いま、どうしているのかなぁ・・・幸せに暮らしているよな?」
『えっ?・・・』
「あっ、津路、誤解するなよ! こんな話をするとさ、あの時に俺が、って、またお前は自分が悪かったみたいなこと言い出すからさ!」
『だってさぁ・・・』
「言ったろう! 俺でも同じ決断をしていただろうな!って」
『健心・・・』
「幸せでいてほしいよな!」
『そうだなぁ・・・そうでなくちゃ俺が困るよ!』
マコト (月曜日, 04 7月 2016 20:41)
健心と津路が、夏美が来ることを信じて岩手にいたころ・・・
『萌仁香ぁ~』
「蒼ぃ~・・・久しぶりぃ~」
『わたし、健心さんのこと・・・』
「健心のこと? そうだったのね・・・蒼・・・あなた、責任を感じて・・・でも、大丈夫よ、蒼! 健心はね、昨日、釈放されたわよ!」
『えっ? ほ、ホンと? ねぇ、萌仁香ホンとなの?』
「もちろん、ホンとよ! 健心・・・何も悪い事していなかったって!」
花風莉に入れずにいた萌仁香は、外で泣き出した。
「蒼・・・大丈夫よ! あなたが責任感じることないからね!」
『・・・うん・・・でも私が健心さんにお願いしたことが、何か関係しているのかなと思って・・・ずっと、わたし・・・』
「大丈夫よ、蒼! いろいろ事情があったみたいよ」
『そうなの? ・・・で、健心さんに会った?』
「そ、それがさぁ・・・なんかね、いま、岩手にいるみたいなの」
『い、い、岩手?』
「うん! まぁ、そのことはゆっくり後で話すから、入って、蒼」
『ありがとう・・・萌仁香』
蒼は、健心が釈放されたことに一安心
元気な顔に戻って、椅子に座った。
「今日は、暑いね! これね、最高に美味しいから食べてみて!」
『あっ! ミニストップの冷凍ミカンパフェだ!』
「当ったり~!」
『白桃パフェもヤバウマよね!』
二人は、パフェを食べながら、近況を報告し合った。
蒼が、久しぶりに来た花風莉の店内を見渡していると、あるものが目に留まった。
『ねぇ、萌仁香・・・このダリア、すごい綺麗!』
「さすが、ダリア好きの蒼、よく気が付いたわね!」
『うん、もちろんよ~・・・だって、なんか本当に素敵なダリア・・・初めてよ、こんな綺麗なダリアを見たのは』
蒼は、席を立ってダリアの前まで行った。
ダリアの美しさに、蒼は涙目になるほどだった。
蒼は、ダリアから視線を外さずに聞いた。
『ねぇ、このダリア・・・』
マコト (月曜日, 04 7月 2016 23:18)
蒼は、ダリアが大好きだった。
蒼は、花風莉に遊びに来たときに、ダリアが置いてあると必ず買って帰った。
ダリアの花言葉には、たくさん意味があると言われているのをご存じだろうか。
良い意味の花言葉は
「華麗」、「優雅」
また、良く使われているダリアの花言葉として、「感謝」がある。
日頃お世話になっている人に、口では恥ずかしくて伝えにくい「ありがとう」という言葉でも、「感謝」という花言葉としてなら贈りやすいものだ。
だから、誕生日には「感謝」という花言葉を添えて、ダリアの花束をプレゼントする人が多いのだ。
また、あまり使いたくないダリアの花言葉もある。
それは、「裏切り」と「移り気」
だから、もしダリアの花を贈るなら、良い意味の花言葉を必ず添えてプレゼントするべきである。そうしないと、ダリアを貰った人が花言葉を調べて、「裏切り」や「移り気」という悪いイメージの花言葉だと勘違いしてしまうと、トラブルの原因になってしまう可能性があるからだ。
ちなみにではあるが・・・
ダリアは、ナポレオン一世の皇后が愛した花だった。
皇后、ジョゼフィーヌは、ダリアを自分だけの花にしたかったため、独占的に育てていた。
しかし、ある日、侍女がジョゼフィーヌを裏切り、ダリアの球根を盗み自らの庭でダリアを育ててしまった。
それを知ったジョゼフィーヌは、ダリアに飽きてしまい、心がダリアから移ってしまったのだ。
このことから、「裏切り」と「移り気」という花言葉が誕生したのだ。
蒼が、その花言葉の全てを承知していた訳ではなかったが、華麗に咲くダリアが大好きだったのである。
萌仁香も、もちろん、蒼がダリアが好きなことを分かっていた。
だから、蒼のためにもと思い、いろいろな情報を集めて、新たな仕入れ先を見つけていたのであった。
だから、蒼が目を光らせてダリアを見つめていてくれることが嬉しかった。
そんな蒼に、萌仁香は言った。
「信州から取り寄せたのよ!」
と
マコト (火曜日, 05 7月 2016 12:53)
ちなみにではあるが・・・
しかも、どうでもいい話であるが・・・
小生は、ダリアをダリヤと呼んでいた。
タイアをタイヤ
ピアノをピヤノ
リヤカーをリアカー・・・
決して、さからって使っている訳ではないのだが・・・
あらっ?
ダイヤモンド? ダイアモンド?
カシオペア? カシオペヤ?
竹内まりあ? 竹内まりや?
分からないままではあるが、小説の進行に、あまり影響が無いようなので。
もし、答えが分かる人がいるなら、小説の中でうまく答えてほしいところであるが・・・
マコト (火曜日, 05 7月 2016 21:04)
ダリア・・・
赤、オレンジ、白、ピンク、黄、藤色、ボタン色・紫色、
バラやチューリップと並び、バラエティーに富んだ植物である。
名前のある品種として認められものだけで、3万種あると言われている。
3百、3千ではなく、3万種だ。
種を採って蒔けば色々な形、大きさ、色のダリアが育つ。
気に入ったのを選んで球根で増やして、オリジナル品種にするのも面白い花である。
種類が多い分だけ、その綺麗さも様々である。
それは、“綺麗”、“綺麗ではない”という意味ではない。
花・・・
どんな花も、綺麗に咲き誇っている。
それぞれに色、形、匂いが違っていても、その花に似合ったものを備えているのだ。
「この花、綺麗だけど、この匂いが無ければなぁ・・・」
そんなものは、人間の勝手な理想論である。
そこには、その花であるからこその匂いが備わっているのだから。
人間だって、同じである。
人それぞれに、特徴があり、個性がある。
個性のない人間など、誰一人としていないのだ。
人と違うものを、個性と呼びたがる。
それは、大きな間違いだ。
大食い?
いいじゃないか! それも個性なのだから。
大食いだけど、優しい女の子だっている。
確かに、北陸のみたらし団子を食べつくした。
それは、そこにみたらし団子が山ほどあったからだ。
蒼は、自分で気に入ったダリアを選んで、花束にしてもらった。
『ありがとう・・・萌仁香』
蒼は、ダリアに気持ちを奪われ、健心と津路のことはすっかり忘れてしまった。
それで、いいのだけれど。
蒼は、ダリアを大切そうに抱えて帰っていった。
萌仁香も、
「良かったぁ・・・蒼、あんなに喜んでくれて」
と、蒼を見送ったのだった。
マコト (火曜日, 05 7月 2016 21:06)
蒼は、家に帰って、いつもの場所にダリアを飾った。
『本当に綺麗なお花だわ』
蒼が、ダリアを見ていると
『えっ?・・・』
微かにダリアが香ったように感じたのである。
ダリアは、元々は種で増える花であるが、球根で増えるようになると花粉を運んでもらう必要がなくなる為、香りもなくなるのだ。
そう、ミツバチマーヤも冒険する必要が無いのである。
そのダリアは、決して香りを放ってはいなかった。
だが・・・
まるで蒼に語りかけているかのように、美しく咲き誇っていた。
蒼は、ダリアに近づき匂いを嗅いだが
『気のせいかぁ・・・でも、本当に素敵なお花』
と、笑顔でいつまでもダリアを眺めていた。
蒼は、なぜかダリアに対して、感謝の気持ちがこみ上げてきていた。
『・・・ありがとう』
マコト (火曜日, 05 7月 2016 23:29)
健心と津路の岩手での車中生活も三日目になっていた。
「健心・・・ありがとうなぁ、付き合ってくれて」
『津路・・・ いいんだよ、そんなこと気にするな! ・・・でも、夏美さん、今頃どうしているんだろうなぁ』
「やっぱり、俺の考えが間違っていたんだな・・・」
『津路・・・』
その時の健心には、
『夏美は、ここには来ないんじゃないか? 諦めて他を探した方がいいんじゃないか?』
という気持ちもあった。
それでも、それを自分から先に口にすることはなかった。
津路は、
「健心は、帰ってくれ!」
と、心の中では思っていた。
それでも、その時の津路にとって健心の支えは、本当に心強かった。
だから、健心の優しさに甘えて、その言葉を出すことが出来ないでいたのであった。
深層心理という言葉の意味は、知るところであろう。
岩手の車中で、三日を過ごした健心と津路
この後、健心はあることを津路に告げる。
それは、まさに、健心の心の奥底に眠る深層心理が、心の叫びとして表に出てきた言葉であった。
もちろん、その時の健心には、どうして、そんなふうに思えたのか、健心自身、分かるはずもなく。
だが、その言葉で物語は、エンディングに向けて大きく動き出すのである。
慟哭(どうこく)のラストに向かって
仲間・第三章 ~青春協奏曲(コンチェルト)編~
いま、289話目である。
最終章に入って、しばらくたつところであるが、いよいよ、最終章の最終局面に突入していくのであった。
健心は、ずっと心に思っていたことを津路に伝えたのであった。
『なぁ、津路・・・』
マコト (水曜日, 06 7月 2016 12:44)
それは、今から7年前のことだった。
理(オサム)が、優(マサル)になって2年が経っていた。
あの時、5歳だったお姉ちゃんも小学校2年生に、弟は4歳、保育園の年中さんになっていた。
二人の母親の病も、自分のことは出来るぐらいまでに回復していた。
『お父さん、ただいまぁ』
「ただまー、とうちゃん、とうちゃん、ただまー」
『おかえりぃ~ 華純、大輔』
姉の華純が、弟の保育園まで迎えに行って帰ってきた。
「華純、いつもありがとうな」
『だって、お父さんには、畑のお仕事があるでしょ! 私に出来ることは、大輔を保育園に迎えに行くぐらいだもん!』
「そっか、華純・・・でも、ありがとうな」
『うん! お父さん』
華純と優が、仲良く話をしていると、必ず大輔が
「お姉ちゃんとばっか、とうちゃん!」
と、やきもちをやくのであった。
「大輔! 今日も保育園は楽しかったか?」
「うん! とうちゃん」
家の奥から、母親の百合子がゆっくりと出てきた。
『おかえりなさい、華純、大輔』
『お母さん! おかぁちゃん!』
『優さん、お仕事ご苦労様でした、もう上がれるのでしょう?』
「あぁ、今度はみんなの食事の準備だ! さぁ、今日は何にしようか?」
『優さん・・・いつもすみません・・・私の体がこんなでなかったら・・・』
「百合子・・・その話はしない約束だろう!」
『そうでしたね、ごめんなさい、優さん』
「さぁ、今日は、茄子のお新香と、たっぷりネギ納豆でいいか?」
『いいとも! お父さんのたっぷりネギ納豆は、世界一美味しいんだもん!』
「ぼくも、チュキだもん、なとぉ!」
「大輔も好きだもんな! なとぉご飯な!」
ごくありふれた家族の光景であった。
マコト (水曜日, 06 7月 2016 20:43)
晩御飯を済ませると、その後の片付けも優がやった。
『すまないねぇ・・・私も、この歳で、あまり動けなくてねぇ・・・』
それは、亡くなった“本物の優”の母親、
そう、津路と話をした高齢のお婆さんだ。
「大丈夫ですよ! お母さんは休んでいてください」
『ありがとう・・・本当に優しくしてもらって・・・』
「お母さん、その話はしない約束ですよね! 僕は、優ですよ!」
そんな会話の後には、必ず涙ぐむお婆さんだった。
優は、毎朝、華純を学校の登校班の集合場所まで連れて行き、見送ったあとに大輔を保育園へ、そして畑仕事をこなしていた。
相変わらず、ご近所さんから頼りにされ、田んぼの草刈りも、ほとんど一人でやっていた。
それは、それまでの社長としての人生から、事故にあい、記憶を失ったことで理に与えられた新たな人生だった。
もちろん、それは、理が優として生きて行くことを自ら選んだ故の、人生であるのだが。
優は、2年間、一日も休むことなく働いてきた。
暑い日も寒い日も
慣れない土地での、慣れない生活
質素な食事に、娯楽らしいものも何一つなく・・・
そんな優に、病魔の手が忍び寄っていたのである。
晩御飯の後片付けをしていた優が、急に頭を押さえて倒れてしまった。
バタン!!!
『えっ? 優さん! お父さん! とうちゃん!・・・』
マコト (水曜日, 06 7月 2016 23:44)
有栖川(アリスガワ)理・・・
彼は、9年前
群馬の山中で捨てられた子犬(ガッツ)を救おうとしてトラックにはねられた。
意識のない理を別の場所で遺棄しようとした犯人が、立ち寄った長野のサービスエリア
意識を取り戻した理は、そこでトラックの荷台から降り、そしてその場で再び倒れた。
運ばれた病院では、治療を受けることもなく、そこを抜け出してしまった。
それは、全ての記憶を失いながらも、
「誰か大切な人が、自分を待っていてくれるような気がするんだ」と
そう、それは・・・
妻として自分を支えてくれていた栞と、その双子の妹、蒼の仲を、元の仲良し姉妹に戻してあげたいと栃木に向かっている途中に起きた事故だった。
「誰か大切な人が・・・」
その想いだけで病院を抜け出し、もうろうとした意識のまま、理がたどり着いた場所
そこは、2年前に主の優を交通事故で突然亡くした家だった。
優の母親は高齢で、杖をつきながらの生活、そして、夫の優が亡くなったことを受け入れられずに床に臥せる妻の百合子、そして5歳の華純と2歳の大輔の4人が暮らしていた。
そのことを知った理は、優として新たな人生をそこで生きて行くことを選択した。
そのまま記憶を取り戻さなくてもいいと決意をして。
理の捜索を栞の父親から依頼された津路は、群馬の山中で雨に濡れた子犬を見つけた。
津路と子犬の旅が始まった。
その子犬には、ガッツと名付けたが、犬を育てたことのない津路の勝手な思い込みで、ガッツが女の子であったことを知る。
それでも、ガッツは、津路を慕った。
そして子犬は、しっかりと津路を支えた。
そして長野で・・・
ガッツが自分を救ってくれた理の匂いに気付く。
そしてガッツの導きで、津路は理を見つけることができたのだ。
理と会うことができた津路であったが、その時の理の想いを知った津路は、理を連れて帰ることはしなかった。
そう、探偵の仕事を放棄したのだ。
そして、それまで一緒に旅を続けてきたガッツも・・・
自分を救ってくれた理と暮らすことを選んだのであった。
ガッツを理に託し栃木に戻った津路は、栞の想いを考えると、自分のしたことが、どれほどまでに罪深いことであったのかと・・・・苦しんだ津路は、探偵を辞めた。
そして、それまでずっと支えてくれていた夏美と一緒に、親の会社「津路工機」を継いだ。
それから9年後・・・
花風莉に来た栞が、萌仁香と友達になる。
そして万手山公園で仲間たちが集まった花見。
そこで、健心と初めて会った栞は、行方不明の理が帰ってきてくれたと喜ぶ。
そう、理と健心はそっくりであったのである。
まるで双子のように。
栞は、精神を病んで入院した。
健心を理であると信じたまま。
そこで、健心は栞が、余命いくばくもないことを知らされる。
そこで健心は、理となって栞を支えた。栞が亡くなるまで。
それから、数か月が経って仲間達は、栞の妹、蒼に出会う。
蒼もまた、健心を理と見間違える。
仲間達は、理が姉の栞と結ばれたが、妹の蒼も理への想いが消えていないことを知る。
そして、蒼をバーベキューに誘った。
そこで、同じくバーベキューに誘われていた津路が、蒼と出会ったのである。
津路は、そこで、栞が理を待ち続けながら亡くなったことを聞かされ、改めて自分のしたことを悔いた。
津路が、理の捜索と何かしら関係があることに気付いた健心は、津路を苦しみから救ってやりたいという一心で・・・
そこで、夏美との事件が起きた。
津路のことを守りたい健心は、事件の真相を話そうとはしなかった。
それでも、仲間たちの想いが亀丸検事に届き、無事に釈放された。
そして・・・事件を悔いた夏美は、失踪した。
夏美を探して、いま・・・津路と健心は岩手にいる。
そして、そこで・・・
健心が、自分の想いを津路に伝えたのである。
それは・・・
マコト (木曜日, 07 7月 2016 21:08)
ずっと、黙っていた二人であったが、健心が意を決したように話し始めた。
『なぁ、津路・・・』
「うん? どうした健心」
『夏美さんなんだけどさ・・・俺は、ここには来ないような気がするんだ』
「・・・・・」
『津路、聞いてくれ! 俺が夏美さんだったとしたら・・・俺なら、大好きな人をその苦しみから救ってやりたいと考えると思うんだ!』
「そ、それは・・・きっと俺もそう考えるだろうけど・・・だからって、ここに来ないっていうのか?」
『いやっ、絶対とは言えない。それでも、・・・俺なら救うための行動をするよ』
「えっ? もしかして健心は・・・」
『そうだ! 俺なら、理君を探しに行く! そして、津路・・・大好きな人を、その苦しみから救ってあげたいと、行動すると思う!』
「健心・・・」
『なぁ、夏美さんは、理君の居場所が、ある程度予想がつくんじゃないのか?』
「あぁ・・・探偵事務所の経理全部をお願いしていたからな・・・理くんを探すために、俺が2か月間、長野に滞在していたことは、領収書を見て分かっていたと思うけど・・・」
「健心・・・でも・・・」
『行こう! 津路』
「・・・でも・・・やっぱり」
『怖いのか? 津路・・・逃げるな! 夏美さんは、いま、お前のために必死に理君を探しているのかもしれないんだぜ!』
「・・・・・」
『津路! 俺も一緒に行くから!』
「健心・・・
・・・分かった、頼む!」
二人は、栃木にいったん帰り、そして直ぐに長野に向かうことを決めて岩手を出た。
この時の健心を突き動かしたもの
それはもちろん、津路と同じように、夏美を探し出したいという思いが一番だった。
だが、健心の心の奥底にある想い、
それは、栞さんを病から救うことが出来ず、悲しい別れを経験したこと。
そして、また、自分の前に現れた妹の蒼が・・・今も理を待ち続けている。
「蒼には、幸せになってもらいたい!」
その想いが、健心を動かしていたのである。
そう、それは、蒼に対する想いであった。
健心は、気づいていなかったが、まぎれもなく蒼に対する想いが健心を長野に向かわせたのだった。
そこで、何が起きるのか・・・
健心は、そのことを知る由もなかった。
マコト (金曜日, 08 7月 2016 07:16)
バタン!!!
急に頭を押さえて倒れてしまった優に、百合子が駆け寄った。
「優さん! 優さん!・・・」
優は、返事をすることも出来ずに、頭を押さえたまま意識もないようであった。
『お父さん、お父さん! とうちゃん、とうちゃん!』
子どもたち二人の泣き声が、台所で響き渡った。
百合子は、急いで救急車を呼んだ。
「お母さん、華純と大輔のことお願いします」
『わかったよ~、行っておあげなさい! 優さんのことを頼むよ』
百合子は、辛い体調でありながらも、優に付き添うことを決めた。
子どもたち二人は、
『お父さん、お父さん! とうちゃん、とうちゃん!』
と、一緒にいくことを泣いてねだったが、百合子はそれを受け入れなかった。
『いやだよ~、ねぇ、お母さん・・・おかあちゃん・・・』
泣き叫ぶ二人を残して、救急車は病院へと向かった。
華純と大輔は、救急車を追いかけた。
「お父さーーーん、お父さーーーん、 とうちゃん、とうちゃん・・・」
『あっ! 大輔・・・』
暗い田舎道が、大輔の足をすくい、転んでしまった。
「とうちゃん、とうちゃん・・・いっちゃやだよ~」
近所の人達が、救急車のサイレンに驚き表に出てきていた。
そして、
「華純ちゃん、大ちゃん、大丈夫かい? 心配いらないよ! お父ちゃんは、必ず元気になって戻ってくるからね・・・」
そう、慰めて二人を抱きかかえた。
優と百合子を乗せた救急車のサイレンは、間もなくして聞こえなくなった。
「とうちゃん、とうちゃん・・・いっちゃやだよ~」
マコト (金曜日, 08 7月 2016 12:13)
病院に運ばれた優は、直ぐに処置室に運ばれ、そして検査された。
百合子は、辛い体でありながらも必死に検査が終わるのを待った。
長い時間を要して、ようやく百合子が呼ばれた。
そこで、百合子が医師から告げられたのは・・・
「このレントゲン写真を見てください」
「ここに、影があるのが分かりますか?」
「ご主人は・・・」
『・・・えっ』
百合子は、しばらくは、ドクターの話が耳に入らなかった。
そして、ドクターに何度も呼ばれて、ようやく・・・
「ご主人は、2~3年前に、頭を強く打ったことはないですか?」と
百合子は、正直に答えた。
『2年前に・・・』
そして、百合子は、優がそれ以前の記憶を失ったままであることも伝えたのだった。
マコト (金曜日, 08 7月 2016 12:15)
泣きながら、百合子はドクターに尋ねた。
『優さん・・・主人は・・・主人は、助かるのでしょうか?』
その病院に運ばれたことが、優の、いやっ、理に与えられた運命であったのであろう。
ドクターは百合子にこう伝えた。
「大丈夫です! 私の知り合いのドクターに名医がいます。彼なら、必ず救ってくれるはずです」
それは、『スーパードクター橋駒』のことだった。
ドクターに笑顔で大丈夫だと聞かされた百合子は、
『よろしくお願いします』
と、泣きながら頭を何度も下げた。
体が辛いことも忘れて。
そして・・・、
そのドクターは笑顔で、こうも言ったのである。
「奥さん、良かったですね! 橋駒ドクターの手術を受けられれば、失った記憶も取り戻すことが出来るはずですよ!」
と
マコト (金曜日, 08 7月 2016 12:17)
それは、百合子が、覚悟を決めなければならない言葉だった。
百合子は、無表情のままドクターに尋ねた。
『・・・本当に、記憶を取り戻すことができるんですか・・・』
ドクターは、得意そうに言った。
「スーパードクターですから! 奥さん、それを信じて橋駒ドクターの手術を受けましょう」
その時の百合子は、心の奥底にある本音が、言葉として出てきたのである。
『先生・・・手術をしないと、主人はどうなるんですか? 手術を受けなくても治る方法はないんですか?』
「心配ですか? そうですよね・・・いきなり手術が必要だと言われては・・・でも、奥さん・・・手術を受けなければ、このまま・・・ですから・・・」
『生きるためには、手術が必要だということですね?』
「安心してください。橋駒ドクターは、本当に名医で、何人もの命を救ってきたドクターですから!」
百合子は、ひとつ大きく息をして
『分かりました、先生・・・よろしくお願いします』
と、深く頭を下げたのだった。
マコト (金曜日, 08 7月 2016 12:19)
その日、優との面会の許しをもらえなかった百合子は、タクシーで帰宅した。
華純と大輔は、泣き疲れて眠っていた。
百合子は、そっと帰宅したつもりであったが、お婆さんが気付いて起きてきた。
「百合子さん・・・」
『お母さん・・・』
百合子は、ドクターから告げられたことの全てをお婆さんに伝えた。
それを聞いたお婆さんは、こう言ったのである。
「優さん、無理がたたったのかねぇ・・・分かったよ、百合子さん。 田畑全部を売り払ってでも、手術をしてもらおうねぇ・・・優さんの命には代えられないよね」
『お母さん・・・』
百合子は、その言葉で、優が記憶を取り戻さないために、手術を受けない方法はないのかと、少しでも考えてしまった自分を恥じた。
「百合子さん・・・覚悟をしなきゃならないね・・・」
百合子は、涙を流し、そして黙ってうなずいた。
ただ、お婆さんには、そして百合子にも、微かな期待があったのである。
それを期待と言っては、罪深いことなのかもしれないが、二人には、期待であったことには違いなかった。
それをお婆さんが、百合子のために・・・いやっ、二人の孫のために言ったのだ。
「百合子さん・・・優さんには、そのすごい先生の手術を受けてもらって、前のように元気になってもらわないとね・・・でも、百合子さん・・・優さんは、手術を受けても記憶を取り戻さないことだってあるかもしれないねぇ・・・」
その時の百合子には、お婆さんの言葉が、
『結果が出るまでは、そのことを、優に内緒にしておいても・・・』
そう聞こえたのだった。
百合子は、そっとうなずいた。
それでも、百合子は最後にこう言ったのである。
『お母さん・・・優さんの命が助かるなら・・・』
お婆さんは、優しい表情で、
「そうだね、百合子さん・・・」
と、うなずいたのだった。
それなのに・・・
マコト (金曜日, 08 7月 2016 23:13)
翌日・・・
百合子は、優のベッドの横にいた。
「ゆ、百合子・・・」
『優さん、気が付いたのね、良かったぁ・・・』
「俺・・・」
『急に倒れて、救急車で運ばれてきたのよ』
「そうだったのかぁ・・・すまない、迷惑をかけて・・・」
『そんな、何を言ってるんですか、優さん 早く、元気になってくださいね』
百合子は、それからドクターから告げられた病状を優に伝えた。
手術が必要であることも。
しばらく、考えていた優であったが、ぽつりと言ったのである。
「俺・・・手術は受けないよ!」
『えっ?・・・何を言い出すのかと思えば・・・それは、だめですよ、優さん』
優は、手術を受けるようなお金が今の家に無い事を、承知していたのであった。
だから・・・
優は、それ以降、百合子の話を聞かなくなってしまった。
記憶を失って、優として生きてきた理
社長として生きていたならば、無論、そのようなことを考える必要もないことであったろう。
それでも、その時に置かれた状況においては、手術を受ける訳にはいかないと、固く決めてしまった優であった。
そう、それが、優の・・・いやっ、理の運命だったのである。
マコト (金曜日, 08 7月 2016 23:14)
優は、決して手術を受け入れなかった。
百合子の説得も、そしてドクターの説得にも耳を貸さなかった。
百合子は、なんとしても優に手術を受けさせたかった。
お婆さんが、田畑を売ってでも・・・その台詞も、当然のように言った。
それでも、優は、かたくなに手術を拒んだ。
百合子が、最後の決断をする時がきた。
それは、百合子の前から優がいなくなること、それを当然承知したうえでの言葉だった。
ベッドで痛みに耐えている優に、百合子が重い口を開いた。
『優さん・・・いえっ、優さんの代わりをしてくれている、あなた!』
「えっ?・・・」
優には、思ってもいなかった言葉だった。
「えっ?・・・いま、なんて?」
『優さんの代わりをしてくれている、あなたにお願いがあります』
「・・・・・」
『手術を受けてください!』
「それは、何度お願いされても・・・断る」
『そうですか・・・あなたに万が一のことがあったら、私達家族が苦しむことになるのは、分かりますよね?』
「えっ?・・・」
百合子は、凛とした表情で、こう言った。
『あなたは、優さんではありません! いくら華純と大輔に好かれようとしても、あなたは、亡くなった優さんには・・・二人の父親ではないのですから』
『私は、体調を崩して、そして二人の子ども抱えていたから・・・それに、あなたも記憶を失って、私たちを頼ってきたから、だから、あなたを受け入れたのです』
『でも・・・あなたを、優さんだと思ったことなど、一度もありません』
『はっきり言って、出来れば出て行って欲しいと思ったことさえあります』
『手術代?・・・お金が心配ですか? そんな必要はありませんよ!』
百合子は、少しためらいながらも最後の言葉を言ったのである。
『手術を受ければ、昔の記憶を取り戻せることができるそうです』
『きっと、あなたには、裕福な家庭があったことでしょう。 記憶を取り戻して、どうぞ、家族の元へ帰ってください・・・そうすれば、手術代もお支払いできると思います』
全てを言い切った百合子は、病室から出ていった。
精一杯に涙をこらえて。
病室の外に出た時には限界だった。
あふれ出る涙を、止めることが出来ずに、
百合子は病院の屋上に行った。
そして、声を出して泣いた。
『私は、あなたの本当の名前も分かりません。 それでも、あなたの優しさに甘えて・・・子ども達だって、あんなにあなたを慕ってくれています』
『わたし・・・あなたにそばにいて欲しい』
『でも、・・・それは、もう無理なこと』
『お願いだから、手術を受けてください』
『そして・・・』
神に祈るような言葉も、それ以上は、百合子の涙が邪魔をした。
病院の屋上からの景色は、涙で全てがにじんでいた。
マコト (金曜日, 08 7月 2016 23:18)
百合子は、優の病室に戻ることなく、帰宅した。
涙で、瞼をはらした顔を見られたくなかったからだ。
華純と大輔が百合子を出迎えた。
『お母さん・・・お父さんは? お父さんは? 今日は元気になったんでしょ?』
「とうちゃん、とうちゃん、かえる、かえる」
百合子は、優しい顔で、二人を抱き寄せた。
『大丈夫だよ! お父さんは、すご~いお医者様が手術をしてくれるから、すぐに元気になるからね!』
そんな三人が抱き合うところに
「百合子さん・・・おかえりなさい」
お婆さんは、これまでの百合子の表情と、どこか違うのを敏感に感じた。
『お母さん・・・』
その、お婆さんの優しい表情に、百合子は堪えきれなかった。
その涙が、お婆さんには通じたのである。
「百合子さん・・・今日は、私がご飯をこしらえたよ! さぁ、四人で食べよう」
と、優しく言った。
『お母さん・・・』
子どもの前でなかったら、大声を出して泣きたかった。
それでも、母親として子供に不安を与えたくなかった百合子は、精一杯に元気な笑顔を子供たちに見せたのだった。
晩御飯を済ませ、子供たちが眠りについたころ、百合子は全てをお婆さんに話した。
「そうだったのかい、辛かったねぇ、百合子さん」
『お母さん・・・』
「いいんだよ、元の生活に戻るだけなんだよ、百合子さん」
涙で声にならない百合子に、お婆さんは、そっとハンカチを出して
「あなたの旦那の優さんだって、百合子さんのことをみていてくれるはずだよ! 子ども達だって、・・・いつか、きっと分かってくれる時がくるから・・・百合子さん」
百合子は、肩を揺らしながら、やっとの思いで
「・・・はい」と、うなずいた。
マコト (土曜日, 09 7月 2016 16:27)
翌日・・・
病院に着いた百合子にナースが近寄ってきた。
「奥さん・・・良かったですね、よく、ご主人は手術を決断してくれましたね」
と
それを聞かされた百合子は、ナースに深々と頭を下げた。
心の中で『優さん・・・ありがとう』
と、涙が自然とあふれてきた。
それは、優が、いやっ、理が命をつないでくれたことの喜びと、別れを覚悟した涙だった。
病室に入ると、笑顔の優がそこにいた。
「おはよう・・・百合子」
『あっ、は、はい・・・おはよう・・・優さん』
百合子は、理を前と変わらず優と呼んだ。
「ごめん、百合子・・・俺、手術を受けることに決めたから」
『はい・・・いま、そこで看護婦さんに伺いました。 よく、決断してくれましたね』
「俺、ビビりだからさ! ごめんなぁ、それが言えなくてさ・・・だって、カッコ悪いじゃん! この歳で手術が怖いから、ヤダ! って、駄々をこねていたなんてさ」
優の前では、一生懸命に涙をこらえていた百合子であったが、優の優しさに、その時ばかりは、堪えることが出来なかった。
それでも、うれし涙であるかのように笑顔を作って
『もぉ~、心配させて! 罰として、一日でも早く退院してもらいますからね!』
と、おどけてみせた。
百合子は、2年間、ひとつ屋根の下で暮らしてきたが、優の手に触れたこともなかった。
その時の百合子は・・・、優の胸に飛び込んで、ギュッと抱きしめてほしかった。
一家の主として、家計を支え、二人の子どもの父親代わりも務め、母親の面倒もみてくれた優
近所の農作業まで、自ら買って出て、百合子の家族、いやっ、村にとって、なくてはならない存在だった。
百合子は、
『もう、この人は・・・いなくなってしまうんだ』
と、退院して直ぐに出て行くことを覚悟した。
手術が成功して、元気になって
そう思っていた。
マコト (土曜日, 09 7月 2016 16:29)
優の手術が始まった。
橋駒ドクターは、日本での18もの手術のために、ベトナムから一時帰国していたのであった。
そのうちのひとつが、優の手術だった。
レントゲンでみる限り、そう難しい手術ではないと思われていた。
百戦錬磨の橋駒もそう思っていた。
手術中の赤ランプが点いた。
『優さん・・・』
手術室の前には、百合子もお婆さんも、子ども達二人も
そして、村の人たちも心配で駆けつけていた。
「大丈夫だよ~華純ちゃん! お父ちゃんは、必ず元気になるからね」
『うん!』
屈託のない笑顔で華純が返事した。
訳のわからない大輔は、村人たちがたくさんいることに上機嫌で、優が作ってくれた竹とんぼを一生懸命に飛ばそうと見せていた。
誰しもが、優の手術が成功することを信じて疑ってはいなかった。
手術室では、橋駒ドクターの的確な指示とスピーディーな作業で、順調に進んでいた。
だが・・・
突然に、橋駒ドクターが
「えっ?・・・」
と、その手を止めたのである。
「こ、これは・・・」
マコト (日曜日, 10 7月 2016 23:50)
栃木に戻ってきた健心と津路
「どうする? 津路」
『うん?』
「いやっ、もう今日はこんな時間だし、明日出発しようか?」
『そうだなぁ、・・・それに健心は、美子都のところに顔出して行かないとな!』
「げっ! いいよ!」
『はぁ? また、お前なぁ、そうやって無精なことしてるとな!』
「はっ、はい、はい! 分かりました、行ってきます」
『本当かよ? わりぃけど、信じられねーな!』
「げっ! ま、まじか?」
『あぁ! 信用できねー! ほれ、今、ここで電話してから行けよ!』
「いやっ、そこまで信用できねーかい?」
『あぁ、できねー』
「(・・・なんで、分かんだよ)」
「もしもし・・・あぁ、帰ってきたよ・・・うん・・・そうだな・・・あぁ・・・大丈夫!疲れてなんかないよ!・・・うん・・・津路も一緒に・・・うん・・・そうだな・・・えっ?・・・ギャー!!! 忘れました・・・はい・・・はい・・・まったくです・・・申し訳ありません・・・はい・・・おっしゃる通りです・・・はい・・・ごめんなさい・・・それでは、・・・はい・・・のちほど・・・はい・・・失礼します」
『どうしたんだよ? 健心・・・美子都に何怒られていたんだよ?』
「忘れた・・・」
『何を? ・・・あっ! お前、それは絶対にまずいんじゃねーの!』
「・・・うん」
『どうすんだよ?』
「・・・みたらし団子で、なんとかごまかす」
『それじゃ、お土産にならねーじゃん!』
「・・・今日は・・・20・・・いやっ・・・30本買っていくよ」
『30本? って、それじゃ、全然足りねーだろーよ!』
「 (・・・なんで知ってんだよ)・・・だよな」
『俺まで、とばっちりが来ねーように、頼むぜ、健心さんよ!』
「・・・はい、すいません」
みたらし団子50本を買い、美子都のところへ直行した健心
早速、みたらし団子を頬張りながら、こみっちりと小言を言いまくる美子都
ずっとお座りをさせられ、うつむいて聞いていた健心に、睡魔が襲ってきた。
始めのころは、うとうとと頭を揺らすタイミングが、美子都の小言にぴったり合っていたから、バレはしなかったが・・・
やがて、襲いくる睡魔に惨敗。
美子都のケリが飛んできて、睡魔と再び決闘、・・・そして再び惨敗。
再びのケリの痛みに耐えて、最後は、ようやく睡魔に勝利した。
さらにそれから2時間! 健心は、美子都の小言に耐えた。
ちなみにではあるが・・・
美子都の小言は、まったく耳に残らなかった健心であった。
マコト (日曜日, 10 7月 2016 23:52)
ようやく、美子都の小言も終わり、仲のいい二人に戻った。
『止めても無駄よね?』
「・・・ごめん」
『今度は、何日出かけるの?』
「・・・分かんない」
『ねぇ、健心・・・』
「うん? なんだい、美子都」
『ひとつだけ聞いてもいい?』
「なに?」
『どうして、あなたは、そんなに人のために頑張るの?』
「どうしてって・・・夏美さんが失踪したことも、俺にも原因があると思うから」
『原因?』
「うん・・・津路が辛い思いをしているなら、俺がそれを救ってやりたいとか・・・なんか、カッコつけたこと言ってさ・・・結局は、夏美さんを追い込む結果になってしまったろう?」
『・・・そっか・・・でもさ、今回のことだって、萌仁香が救ってくれたからいいけど、もし、刑務所にでも入ることになったら、どうしてた?』
「う~ん・・・どうだろうなぁ・・・たぶん、服役してたかもなぁ」
『はぁ? それって、大馬鹿者でしょ!』
「だってさ・・・分かんない・・・なんとかなるとしか思っていなかったから」
『・・・まったくぅ』
そして、健心は美子都に最愛の言葉を贈ったのである。
よせばいいのに、どうしてこの男は懲りないのか・・・
「お土産買ってくるよ!」
『あんたねーーー!』
「はっ、はい」
『そう言って、ちゃんと買ってきたことないわよね!』
「えっ? あっ、はい・・・いやっ?」
『今度こそ必ず買ってくるのね?』
「あっ、はい、必ず」
『絶対だな?』
「はい、あぁ、・・・それは・・・」
『忘れたらどうする?』
「いえっ、必ず・・・はい」
『今度は、みたらし団子じゃ騙されないから!』
「えっ?・・・はい、申し訳ありません」
『絶対に・・・絶対に忘れないでね、・・・私のこと』
「おっす!」
ハイタッチをして、健心は美子都の家を出た。
お座りさせられて、しびれていた両足を引きずりながら。
翌日・・・
「さぁ、行こうか、津路!」
『おぉ、健心!』
二人は、健心の車で長野に向かったのであった。
マコト (月曜日, 11 7月 2016 20:24)
「おばちゃん! ねぇ、おばちゃん!」
(小生と同い年の女の子で、“おばちゃん”と呼ばれたときには、「えっ? 誰のこと?」 と、真面目に自覚症状がないことから、わざとではなく、返事をしない女の子を幾人も知っているが・・・)
『・・・えっ? 私のこと?』
「ねぇ、おばちゃん、あそこの岩、カイジュウみたいに見えるね」
『あっ、う、うん・・・そうね、ほんとぉ~、カイジュウみたいね』
5歳ぐらいの女の子が、夏美に声をかけてきた。
堀北真希似の夏美も、5歳の女の子にかかると、“おばちゃん”と呼ばれてしまうのも、仕方のないところであろうか。
余談ではあるが、おばちゃん風の女の子が、駅で高齢のお婆さんに声をかけられるときは、
「お姉ちゃん、 輪ゴムあげるよ!」
と、“お姉ちゃん”と呼ばれるから面白いものである。
(小説に関係ない話に脱線してしまう癖は、どうにも治らないようである)
鳩時計に12回、背中を押されてマンションを出た夏美
少しばかりの、着替えをボストンバックに詰め込み、自分の車で旅立っていたのであった。
マコト (火曜日, 12 7月 2016 06:38)
西に向かった夏美は、途中、鬼押出し園に立ち寄った。
そう、群馬県嬬恋村にある鬼押出し園である。
浅間山の噴火で流れ出た溶岩が風化した結果、形成された奇勝が夏美の目の前に広がっていた。
『やっと来れたぁ・・・でも、やっぱり・・・俊成君と来たかったなぁ』
夏美は、寂しそうな、それでもこれから一人で生きていくことを決意した女性らしく凛とした表情で溶岩の数々を眺めていた。
『あ~ぁ、おばちゃんかぁ・・・子どもは正直だからな!』
と、笑みを浮かべていると、さっきの女の子が、今度は家族そろってやってきた。
「こんにちはー」
『こんにちは』
「さっきのおばちゃん!」
『あらっ、さっきのお姉ちゃんね!』
「おばちゃん、ひとりなの?」
「えっ?・・・あっ、おばちゃんと一緒に来た人はね、まだ、向こうにいるのよ! おばちゃんだけ、先に来ちゃったんだ」
「ちょっかぁ・・・じゃぁねっ、おばちゃん!」
『じゃぁねぇ・・・』
『もぉ~、そんな何回も“おばちゃん、おばちゃん”って言わなくったって』
と、心の中で苦笑い
夏美は、眼下に広がる景色を眺めながら、ぽつりとつぶやいた。
『まだ、向こうかぁ・・・おばちゃん嘘ついちゃったわね! ずっと向こうなんだよね・・・一緒に来ることは、ないんだよね』
と
マコト (火曜日, 12 7月 2016 06:41)
夏美が、ふと視線を上げると、白い煙が見えた。
それは、浅間山の火山活動による煙だった。
『鹿沼土は、あそこから飛んできたのねぇ・・・』
何故か、物知りの夏美だった。
鹿沼土は、赤城山の噴火によるものという説もあるが、いずれにしても大昔の火山の噴火によって、遠くから飛んできた火山灰が科沼周辺に積もったものである。
一口に鹿沼土といっても、同じ科沼でさえ、菊佐和地区などの北部と、南雄腹地区などの南部とでは、その質も異なるのだから、まぁ、自然とはすぐいものだと思う。
今、地表にある「黒土」は、その赤い火山灰の上に植物が生い茂り、腐植土層がたまって黒く変化したものだ。
いま、その上に人間は暮らしている。
火山が噴火すると、あたかも、火山が悪者であるかのように思う人もいるだろう。
それは、大間違いである。
大昔の噴火?
今日、明日にでも噴火するかもしれないのだ。それが火山だ。
地球からすれば、太平洋の中の一粒の米粒ぐらいの大きさの力を備えた人間の“予知”という能力で、監視されているところであるが。
いくら監視をされようが、地球には関係ないことである。
地球が生き物である以上、いつでも大昔のように火山灰を排出するのだ。
人間は、いつもそれに怯えている。
“天災は忘れた頃にやってくる”
昔の人は、良く言ったものだが、今となっては、それも間違いなのであろう。
忘れていなくても、やってくるのが天災なのだ。
その天災に対して、十分な備えがあったのか、あるいは、無かったのかで、被害は異なってくる。
人間は、地球が与えてくれているものを、人間のいい様に利用して生きているだけなのである。
石油を掘り、温泉をくみ上げ、宝石を掘り当てて大稼ぎして・・・
自然が与えてくれた恵みの恩恵で、人間は豊かな暮らしをしている。
地球は、多くの生き物に住むことを許可した。
人間は、その中で一番に偉い生き物だと思っている。
そう、人間は“知恵”という武器を備えているからだ。
人間が一番偉い! それも人間の勝手な思い込みであり、他のどんな生き物にも知恵は備わっている。
例えば・・・鮭
鮭は、産卵期になると、雌と雄がアベックとなって寄り添い、雄が雌を守る中で雌が産卵床を作る。
鮭の、そんな繁殖行動を目にして、サケを夫婦愛の鑑と考える人はたくさんいるだろう。
だが、実際には、美しい「夫婦愛」どころか、「自分の子孫をできる限り増やす」というクールな繁殖戦略が潜んでいるのである。
マコト (火曜日, 12 7月 2016 20:01)
何故か、夏美が鬼押し出し園に行って、浅間山の噴火をみたことから、鮭の話に飛んでしまったが・・・少しだけ
サケは降海する際に、体色が銀色に変化する。
それは、ある意味、「大人になる証」とも言える変化だ。
これが、産卵期になると、外見上の大きな変化がもう一度起こる。
それは、特に雄にそれが顕著であり、とても同じ魚とは思えないほどの「大変身」を遂げるのだ。
鮭は、産卵期を迎えると、自分の生まれ育った河川に遡上し、パートナーを探す。
そして、産卵床を作るという「重労働」を、雌は文句も言わずにこなすのだ。
十分な広さ、深さの産卵床が完成すると、雌は、雄に「いらっしゃ~い!」と誘い込み、体を震わせながら卵を産み落とす、そして、そこに雄が放精するのだ。
雄の作業が済むと、雌は、尾びれで砂利をはね飛ばし、そして卵を砂利で保護する。
こうした一連の行動を終えた雌は、しばらくの間産卵床を守ったのち、その生涯を閉じる。
その間、雄は何をしているかというと、雌が産卵床を作る間、他の雄が近寄らないように周囲を見張っているのだ。
ただ、ひたすら。
鮭のアベックは、夫婦愛の鑑という表現をしたが・・・
実は、鮭の雄は、雌への思いやりから、そういった行動をするのではなく、自身の子孫を増やすために行動しているのだ。
雄は、他の雄が近づいてくると、それを守るために争う。
だから、雄は鼻が曲がっていたり、背中がコブのように高くなっている。
自分の子のために体を張って、自分の命をかけて、守るのだ。
だが・・・
雄は、産卵床を掘ることも、埋戻しも一切手伝おうとはしない。
しかも、交配直後には、次の交配相手を探す目的で、産卵床から姿をくらますことさえあるのだ。
鮭の雄が、なぜ、そんな行動をするのか・・・
それは、そう、親から伝えられているからだ。
何故、鮭の話をしたか・・・
それは、人間が、この地球上で一番偉いと思っている人が多いという話から、こんな話になってしまった訳であるのだが・・・
マコト (火曜日, 12 7月 2016 20:02)
人間は、この地球上で、一番愚かな生き物かもしれない。
それは、この地球上で生きる物にとって絶対的な使命である「子に命をつなぐ」ことを、放棄してしまう人間が増え続けているからだ。
しかも、そのことを親が子にちゃんと伝えようともしない。
人間、個人個人が勝ち取った「権利」というものに言い訳をなすりつけて。
自分の時間が無くなるから!
私は、生涯独身でいたい!
子育ては、大変だから!
と、子どもの言い分を聞く親
だが、そんな親も祖父母になると、孫は可愛いけど、自分の時間も大切だから、出来る時しか面倒をみないよ!
結構な話である!
親は、自分の子どもが言う「自分の権利」を認めてやったのだから。
祖父母になった者は、自分の権利を守れたのだから。
少子化が取り沙汰されて、もうしばらくたつが、人間は・・・いやっ、日本人は、まず、真っ先に今生きる者のことを考え、それから、子孫繁栄のことを考える。
当然かもしれない。
いま、生きる者が一番大切なのであろうから。
自分の子、孫、そして孫の子・・・孫の孫の孫の時代・・・
そんな頃には、今、生きている者は、全員、墓場の中だ。
そして、いつしか、無縁仏になるだけだ。
田舎に住む者がいなくなり、都会に集中して住む者たちは、荒れた山が保水できなくなった水に、一気に襲われる。
最近では、鬼怒川の堤防が流されたニュースがあるが・・・
もっと、山の手入れができていれば・・・
そう、あれは天災ではなく、人間が生み出した“人災”なのかもしれない。
人間なんて、本当に勝手な生き物である。
今が良ければ、いいのだから。
夏美は、山頂付近から噴き出る白煙を眺め、ぽつりとつぶやいた。
『自然って、すごいなぁ・・・地球が、呼吸しているのね』
『わたしなんて、ちっぽけな存在・・・私、これから、何のために生きていくんだろう・・・』
と
マコト (火曜日, 12 7月 2016 20:03)
その日の夏美には、もう一か所、どうしても行きたい場所があった。
夏美は、鬼押出しをあとにして、そこに向かった。
鬼押ハイウェーから白糸ハイランドウェイに入り、そして、目的地に着いた。
『寒~い! わぁ~ 素敵ぃ~ わぁ~、すご~い わぁ~』
そこは、夏美が一度来たいと思っていた、軽井沢町にある「白糸の滝」だった。
その滝は、浅間山の伏流水が岩盤の間から湧き出して滝となっているため、雨の後でも水が濁らない滝である。
『あぁ~・・・この音なのね』
それは、大滝詠一の「ナイアガラ・ムーン」の冒頭で使われている音のことだった。
アルバム製作を手伝っていた山下達郎が、この滝まで中央高速を飛ばし録音したことで有名な滝の音だった。
大滝詠一の曲が大好きだった夏美は、そのことを知っていて、一度、その生の音を聞いてみたいと思っていたのだった。
夏美は、滝をずっと見つめていた。
岩肌に糸のような水が幾重にも降り注ぎ、滝水が白糸のように落ちていた。
滝を見ている時は、「無」になれた。
夏美は、頭をからっぽにして、その景色と滝の音に包まれていた。
マコト (火曜日, 12 7月 2016 20:04)
滝・・・
そのイメージは、雄大、偉大、轟音、やすらぎ、癒し、リラックス、・・・・見る滝、見る人によって異なるであろう。
川があり、滝がある。
夏美の目の前には、境界線や非日常というイメージが投影されていた。
境界線・・・
白糸の滝の最大の特徴であるが、それまで何年もの間、地下を渡ってきた水が、滝となって下界へと飛び出し、その水しぶきが空間を舞う。
「静と動」、「緩と急」
それが好きだという人も多いであろう。
好きなことをすると快感を覚えるというのは、万人が認める経験則だ。
だが、この時の夏美は・・・
ずっと、滝を見ていた夏美のほほが濡れ始めた。
それは、滝の水しぶきではなく、夏美が自然と流した涙が濡らしたものだった。
夏美は、津路がよく言っていた言葉を思い出していた。
「自分のことが好きと言える人は、人に優しく出来るんだよ」
「ナッちゃんには、いつも自分を好きでいてほしいなぁ」
「人は、どんな人だって完璧な人はいないんだから!」
「自分の悪いと思うところは、いつも気にかけて、治そうと心がけていればいいんだよ!」
「ナッちゃんの一番いいところ! それは、ナッちゃんのその笑顔だよ!」
夏美は、そんな津路の言葉に、今の自分を照らし合わせて、こうつぶやいた。
『わたし・・・今の自分が大嫌い!』
『俊成君・・・わたし・・・』
夏美は、暗くなるまで滝を見つめていた。
マコト (火曜日, 12 7月 2016 20:06)
その日・・・
夏美は、軽井沢に宿を探した。
当然のように、突然の宿泊申し込みに、ほとんどの宿が、夏美を拒んだ。
夏美が、諦めて車中泊もやむを得ないと考え始めていたときだった。
『あぁ~、なんか素敵』
と、小さな、ペンションを見つけたのである。
もう、その日の夏美は、慣れっ子になっていた。
「無理ですね!」
と、冷たくあしらわれることが。
車を駐車場に停め、ペンションの玄関で呼び鈴を押した。
『すみません・・・』
同年代の女性が出てきた。
「はい・・・」
『あのぉ・・・』
うつむき加減で、言葉を探している夏美に
「宿を探しているの?」
『あっ、は、はい・・・』
その女性は、笑顔でこう言ったのである。
「たいした振る舞いはできないけど、それでもいいかしら?」
『えっ? あっ、はい! よろしくお願いします。なんなら、素泊まりでもいいので・・・』
「大丈夫よ、なんとか、なるでしょう」
その女性は、振り向いて
「オーナー! お客様よ! なんか、お困りみたいなの・・・ 泊めてあげてもいいですよね?」
奥から、オーナーらしき、その女性の旦那さんと思われる男性が出てきた。
「こんばんは」
夏美が、お辞儀をして、その男性の顔を見た瞬間
『あっ!・・・』
と、息をのんだ。
『えっ?・・・嘘でしょ・・・』
小さなペンションの玄関で、夏美は立ちすくんでいた。
マコト (水曜日, 13 7月 2016 22:44)
出てきたオーナーに、夏美が驚いた理由・・・
それは、オーナーが、津路にそっくりだったのである。
まるで、津路と双子であるかのように。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔の夏美にオーナーが、
「あれっ、どうかしたの? えっ? 僕の顔に何かついてる?」
『あっ・・・ご、ごめんなさい・・・私の知り合いに、あまりにも似ていたものですから・・・』
「そうだったの・・・きっと何かの縁があってのことなのかな? どうぞ、泊まっていってください」
『ありがとうございます』
と、深々と頭を下げてお礼を言う夏美
53歳の女の子の一人旅
しかも、予約もなしに突然現れて・・・
普通に考えれば、断りたくもなるであろうが、そのペンションのオーナー夫妻は、夏美を拒むことなく受け入れてくれたのだった。
「どうぞ、入って!」
『ありがとうございます・・・あっ、荷物をとってきます』
駐車場に走る夏美、
嬉しかった。
人の優しさに触れて、こんなにも優しくされることが嬉しいことなのかと。
そんな時にも、また、津路がよく言っていた言葉を思い出して、
『俊成君が、言っていたことって、こういうことなのかなぁ・・・人には優しくしてあげなきゃねって』
夏美が、荷物を持って戻ってきた。
「え~ 大きな荷物ね!」
荷物の大きさを見て、オーナー夫妻は、当然のように違和感を覚えた。
『あっ? お、大き過ぎましたかね・・・』
「長旅の途中なのかしら?」
『・・・はい』
「そう。・・・ここによってくれてありがとう、楽しい夜にしましょう」
思わず、涙がこぼれた。
『ありがとうございます・・・』
マコト (水曜日, 13 7月 2016 22:46)
部屋に案内され、軽装に着替えた夏美は、部屋全体を見渡した。
『へぇ~、なんかとっても落ち着くぅ~』
部屋にはTVもなく、飾り気はないが、とても温かみのある装飾だった。
それは、日常の雑多なことから離れて、のんびりゆっくりと過ごして欲しいという、オーナーの想いが詰まった部屋だった。
少しして、オーナーの奥さんが夏美の部屋に入ってきた。
「宿泊者カード、書いていただけますか?」
『あっ、はい』
差し出された宿帳らしきノートに、夏美はペンを走らせた。
頭の中では、
『あらっ! わたし、今、住所不定だわ!』
と、なんとなく笑えてしまった夏美だったが、
それでも、これまで住んでいたマンションの住所を書いた。
栃木県科沼市晃・・・
そして、先に生年月日の欄に、昭和37年7月・・日と
ここまで書きながら、夏美は思っていた。
「これが私の、夢だったのかなぁ・・・」
夏美は、何のためらいもなく名前の欄にこう書いた。
「津路夏美」
初めて、その苗字の下に、自分の名を書いた。
宿帳を戻されたオーナーの奥さんは、
「あらっ! 寅年生まれ?」
『あっ、はい』
「ねぇ、ねぇ、わたし卯年生まれ! 38年3月生まれよ!」
『え~、じゃぁ同じ学年ですね』
「そうね! え~、でも見えな~い! 堀北真紀に似てるって言われるでしょ!」
『・・・たま~にですけど・・・』
夏美は、あえて深くは突っ込まずに、
『夏美です。今日は、本当にありがとうございます』
「いいえ、どういたしまして! 私は、多香子! あっ!旦那も同い年、名前は達也!」
『よろしくお願いします。 多香子さん・・・素敵なご夫婦でうらやましいです』
「旦那は、脱サラ! 私がペンションをやりたくて・・・夢を叶えてくれたのよ」
『素敵な、お話ですね』
多香子は、至極嬉しそうな顔を浮かべた。
と、同時に何か思い出したように
「あっ・・・そう言えば・・・」
マコト (水曜日, 13 7月 2016 22:48)
多香子は、夏美に聞いた。
「そう言えば、達也が誰かに似ているって?」
『・・・えっ? あっ、・・・はい』
多香子は、うつむき加減に返事をしたその夏美に気付き、さっと話題をすり替えた。
「あっ! いっけな~い、さぼってると旦那に叱られちゃうわよね!」
『・・・えっ? あっ、はい』
「また後でね! 夕ご飯の支度が出来たら、呼びに来るから!」
『本当にすみません・・・突然に来て、きっとご主人もお困りだと・・・』
「いいの、いいの!」
そして、ドアを開けて部屋を出ようとした時に、多香子はこう言った。
「ねぇ・・・」
『あっ、は、はい・・・』
『夏美って呼んでもいい?』
『えっ? あっ、はい』
「ぶぅ~!!! 呼んでもいいなら、そんな他人行儀な返事をしないでほしかったな!だって、同級生でしょ!」
『あっ、ごめんなさ・・・あっ、うん! もちろんいいよ!』
「良かった! じゃぁ、また後でね~」
そんな多香子に、夏美は、久しぶりに笑顔になれた気がした。
健心が、津路の前に現れて以来、ずっと・・・・
曇った表情と、泣き顔ばっかりだった夏美が、ようやく笑顔を取り戻せた。
ただ・・・
それが、ほんのわずかな時間だけになろうとは、夏美は知る由もなかった。
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:44)
1時間もして、多香子が呼びに来てくれた。
「夏美! ご飯の用意できたよ! たいしたもの作れなくてごめん! これ、オーナーからの伝言!」
『あっ、そんな・・・ありがとう・・・多香子さん』
「はぁ?」
『えっ?』
「なに? わたしが夏美って呼んでいるのに?!」
『そっか! ありがとう、多香子』
二人は、笑顔で部屋を出た。
1階の広いスペースには、宿泊者がみんな揃って夕食をいただけるように、テーブルが配置されてあった。
夏美が、多香子に案内されて進んでいくと
「お~、この方だね!」
『あれ~、綺麗なお嬢さんだこと』
「多香ちゃんに負けないぐらい、綺麗な人だね!」
『ほんと、ほんと』
夏美が、キョトンとしていると、多香子が
「みなさん、常連の方で、家族みたいなお付き合いをさせていただいているのよ! さっ、夏美もそこに座って!」
3組の宿泊が限度である小さなペンション
夏美を出迎えてくれたのは、2組の高齢のご夫婦だった。
多香子が、夏美を紹介してくれた。
「津路夏美さん! 実はね、・・・私と同い年で~す!」
夏美は、慌てて席を立ち
「夏美です! 今日は、突然お世話になることになりました・・・みなさんのご迷惑にならないように・・・よ、よろしくお願いします」
拍手が起きたと同時に
「多香ちゃんと同い年なの? 良かったね! 多香ちゃん、お仲間ができたね」
多香子は嬉しそうに
「はい!」と
一人のご婦人が、夏美に
『はじめまして、よろしくお願いしますね・・・ナッちゃん!』
夏美を「ナッちゃん」と呼んだのだった。
夏美は、津路以外にナッちゃんと呼ばれたことはなかった。
その瞬間にはもう、夏美も家族の一員になったような、そんな感覚になっていた。
夏美は、その展開に精一杯について行った。
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:45)
達也が料理を運んできた。
すると、夏美が耳を疑うようなことを達也が言ったのである。
「え~、皆さんの今晩のお料理ですが・・・、突然のお客様のために、材料を少しずつ減らさせていただきましたので、ご了承ください!」
夏美は
『えっ? はっ? い、いま、なんと?』
それは、まぎれもなく夏美が突然に宿泊することになったため、全員の食材を夏美に分けたという意味に他ならなかった。
夏美は、うつむき、小声で
『・・・そ、そんなぁ・・・』
と、その時だった。
常連客のお婆さんが、こう言ったのである。
「ナッちゃん・・・今の達也さんの言葉の意味が分かる?」
『えっ?』
「私たちに、ナッちゃんを仲間として、受け入れて欲しいという意味なんだよ」
『そ、そうなんですか?・・・』
「そうだよ~ 達也さんは、いつもあんな感じなんだよ! 私達夫婦は、そんなオーナーが好きでねぇ、毎年、ここにお邪魔させていただいているんですよ」
夏美が、料理に目を向けるとお婆さんが、
「見れば分かるでしょう、ねっ、どこも食材を削っているようなところは無いでしょ?」
『あっ、はい・・・すごいお料理です』
夏美が、お婆さんの話を聞いて、達也を見ると、もうその話は終わったかのように、料理を取り分けていたのである。
「はい! お口に合うといいんだけど」
と、達也が料理を手渡してくれた。
『あっ、ありがとうございます』
すると、多香子も達也も同じテーブルに座って食事を始めたのである。
「みなさん、どうぞ、召し上がってください」
「いただきま~す」
「夏美! どう? 」
『あっ、・・・う・・・うーーーーーん! 美味しい!』
多香子は、夏美の隣に座って満面の笑顔
まるで、大所帯の家族であるかのように、和やかに食事の時間が過ぎて行った。
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:46)
2組のご夫婦は、ここで知り合ったとは思えないほど仲が良かった。
互いの近況報告をして、孫の自慢話や、家族のことも
おそらくは、何度も一緒に宿泊しているのであろう、四人とも、笑顔を絶やすことなく、美味しい料理をいただいていた。
食事が終わると夏美は
『ねぇ、多香子・・・』
「うん? なぁに、夏美」
『わたし、後片付けを手伝いたい!』
「うん! 分かった。 一緒にやろう!」
2組のご夫婦は、もう部屋に戻って、1階には三人だけが残った。
達也は、明日の朝食の仕込みを始めた。
二人で食器を片づけていると多香子が、
「ねぇ、夏美・・・お酒飲めるの?」
『あっ、う~ん、少しだけ』
「ホンと? じゃぁ、後片付けが終わったら、夏美も一緒に飲もうよ!」
『えっ? でも、なんか図々しいような・・・』
多香子は、後片付けの手を止めて
「はぁ?」と
夏美も後片付けの手を止め、多香子の顔を見て
『・・・付き合うよ!』と
二人が後片付けの手を同時に動かし始め、多香子が
「よろしい!」と
夏美は、食事の時にひとりのお婆さんが言っていた言葉を思い出していた。
『一期一会かぁ・・・』
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:47)
多香子と達也は、夕ご飯とその後片付けまで終えたあと、二人でお酒を飲みながら、いろんな話をするのがルーティンだった。
後片付けを終えた多香子は、達也に「先にあがるわよ」と、声をかけ、夏美と一緒に食堂に戻った。
「夏美は、何がいい?」
『えっ? う~ん・・・』
「あまり飲めないのなら、甘いカクテルっぽいものにする?」
『夏美は、何を飲むの?』
「もちろん! 女は黙って冷酒よ!」
『じゃぁ、私も!』
「・・・って、飲めんか~い!」
『えへっ』
「じゃぁ、とっておきの冷酒を飲んじゃおうかな!」
『やったー!』
二人で向かい合わせに座って飲み始めると、達也もやってきた。
「ごめん、先にいただいちゃった」
《はいよ!》
夏美は、あらたまって
『あのぉ、今日はありがとうございました、とっても美味しかったです』
と、丁寧にお辞儀をした。
《夏美さん? だったよね! って、ナッちゃんでいいよね! 水臭いことはここではご法度だよ! 楽しく飲もうね》
『あっ、はい』
三人が揃ったところで、あらためて乾杯をした。
《同い年なんだって?》
『あっ、はい・・・バリバリの寅年です』
《栃木から?》
『そうです・・・科沼という街で、静かな、どちらかと言えば田舎町なの』
と、普通の会話から始まったのだった。
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:47)
夏美のひととなりも分かってくると、やはり話題はそこに行ってしまったのである。
「ねぇ、夏美・・・今回の旅は、どんな旅なの?」
『えっ?・・・』
「まぁ、どう考えても53歳・女盛りの夏美が一人旅、しかも泊まる宿もその日に見つけるような旅となれば、聞きたくもなるでしょ?」
『そ、そうね・・・』
「・・・話したくないの?」
夏美は、黙ってうつむいたまま。
すると、達也が
《おい、多香子・・・深い事情は聞かなくてもいいんじゃないのか?》
達也のその言葉でゴングがなった。
FIGHT!!!
「達也! いま、なんて言った?」
《だから、あまりナッちゃんを責めるなよと言ったのさ!》
「あのさ、どうして聞いちゃいけないの?」
《人には、言いたくないことや、言いたくても言えないような事情があるかもしれないだろう!》
「あっ、そう・・・達也は冷たいのね!」
《はぁ? どこが冷たいのさ!》
「だって、夏美が一人で苦しんでいるかもしれないのにさ、それを黙って放っておく訳でしょ?」
《それが、俺の優しさだよ!》
「私は、それを優しさだとは思わない!」
夏美は、自分のことが原因で、喧嘩を始めてしまった二人に
『ねぇ、喧嘩はやめてよ~』
と、仲裁しようとしたが、
「夏美は、黙ってて!」
『えっ?・・・』
「あのさ、夏美! これは喧嘩じゃないの!」
『えっ?』
「私たちは、こうやって自分の想いを相手に正直にぶつけ合うのよ!」
『でも・・・喧嘩じゃ』
「夏美も分からない人ね! 達也は達也なりに、あなたのことが心配なの! 私ももちろんそうよ! いい? いま、あなたのことで、二人は議論しているの! だから、二人で結論を出すまで黙ってて!」
夏美は、心の中で
『二人の結論って・・・私の意見は?・・・』
と、思ったが、それからも夏美と達也のFIGHTは続いたのであった。
夏美は、それを見守るしか出来なかった。
マコト (木曜日, 14 7月 2016 22:48)
《多香子の言い分も分かるよ! でもさ、俺の言い分も分かってくれよ!》
「なに言ってんの? もちろん分かってるわよ! 達也のことは、私が一番に分かってる!」
延々と続く二人の会話に、夏美は思った。
『この二人・・・私のことで、ここまで一生懸命になってくれているんだ・・・』
と
そんなことを思い、そして一生懸命になっている達也の顔をみていると、津路のことが思い出され、自然と涙が溢れてきた。
『俊成君も、こうやって私のことを心配してくれていたのかなぁ・・・』
その涙に気付いた多香子は、達也との会話を止めた。
「な、夏美・・・ご、ごめん」
『違うの・・・わたし、・・・嬉しいの』
「えっ? 嬉しい?」
『そう・・・だって、二人とも私のことで、こんなに一生懸命になってくれて・・・』
「・・・夏美」
『私ねっ・・・ここに、お泊りさせていただくのに、早々に嘘をついちゃったの・・・宿帳の名前・・・』
「夏美・・・分かっていたわよ」
『えっ?』
「だって、鞄に着けてあるキーホルダーのイニシャル・・・違っていたんだもの」
『分かっていたの?』
「う~ん、たぶん違うのかなぁって、・・・でもね、夏美が宿帳に名前を書く時の顔・・・とても幸せそうな顔をしていたわよ」
夏美が、それまで堪えていた別の涙が、一気に流れおちた。
それからは、夏美は自然と話を始めていた。
津路と出会った頃のこと
探偵事務所で、津路を支え続けてきたこと
会社を変わってからも、津路を支え続けてきたことも
夏美は、ずっと涙が止まらなかった。
達也は、黙って下を向いたまま夏美の話を聞いていた。
多香子は、夏美の顔をずっと見て、一緒に涙を流しながら。
そして、夏美はここであることを言ったのである。
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:09)
達也に向かって、夏美はこう言った。
『達也さん・・・俊成君は、あなたにそっくりなんです』
多香子が
「・・・あっ、だから私が聞いた時に、答えにくそうな顔をしたのね?」
『・・・うん』
「そんなに似ているの?」
と、夏美はその言葉に、自分の鞄から1枚の写真を出した。
「え~ 達也だ!」
と、写真を達也に渡して
《ホンとだぁ・・・この写真、俺? って、聞きたくなるぐらい似てるね》
それは、熊の前で笑う津路の写真だった。
そして、それから夏美は、一人旅を始めた理由を語ったのである。
健心が、津路を心配して会社にきたこと
健心が、二度目にきたときに起こした事件のこと
健心が、逮捕されても、黙秘していたこと
そして・・・
置手紙を残して、津路に別れを言い、家を捨てて旅に出たことを
「夏美・・・」
《ナッちゃん・・・》
このペンションに来て、久しぶりに笑顔を取り戻した夏美であったが、それは、ほんのわずかな時間で、前の辛そうな顔に戻ってしまった夏美であった。
多香子が、そっと聞いた。
「ねぇ、夏美・・・あなたは、これからどこに行こうとしているの? その途中で、ここに寄ってくれたんでしょ?」
夏美は、ひとつ大きく息を吐いて、こう言った。
『・・・長野に行こうと思ってるの』
と
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:09)
「長野?って、お隣の長野県のこと?」
『・・・うん』
「そこに、何をしに行くの?」
夏美は、全てを打ち明けた。
『俊成君が連れて帰ってこなかった理さんという人を探しに・・・』
「えっ? 住所は分かっているの?」
『・・・分からない』
「それで、どうやって探すつもりなの?」
『俊成君が、長野に居た時の領収書で、ある程度の範囲は分かっているの。だから・・・それを頼りに捜し歩いてみようかと・・・』
「無茶よ! しかも、夏美一人で、探そうとしているんでしょ?」
『・・・うん』
「夏美・・・ひとつ聞いてもいい?」
『なぁに、多香子・・・』
「その理さんという人を探すことができたとして・・・夏美・・・あなたはどうしたいの? 栃木に連れて帰ろうと思っているの?」
『・・・分からない』
「分からないって?」
『自分でも分からないんだぁ・・・自分で、どうしたいのか』
「・・・夏美」
『わたしね、俊成君が、どうして理さんを連れて帰って来なかったのか・・・その理由を知りたいだけなのかもしれない。 だって、とっても辛そうだったの・・・わたし・・・結局は、何もしてあげられずに、そばで見守ってあげることしか出来なくて・・・』
「夏美・・・私も夏美と同じように、きっと何もしてあげられなかったと思うよ!」
『多香子・・・ありがとう・・・でも、きっと多香子は違っていたと思う。 だって、多香子と達也さんは、どんなことでも二人で話して・・・二人でいろんなことを決めてきたでしょ? 私には、それが出来なかったの』
「・・・夏美」
『私ね、俊成君に必要とされていないとは思いたくないの! 私が、俊成君に別れを言って来たのは、私が、俊成君に相応しい女の子じゃないって分かったからなの!』
少しの間、静かな時間が流れたが、それまで夏美の話を聞いていた達也が、話を始めた。
《ナッちゃん、今でも俊成君のことが好きなんだね》
「達也! そんなの言わなくても分かることでしょ!」
《そうだけどさ・・・その理さんという人を連れて帰って来なかった理由・・・それを知るだけだっていいんじゃないのか?》
達也のその言葉で、再びFIGHTの時間となった。
「ねぇ、達也・・・それって、悲しすぎるでしょ? あなたは、夏美を苦しみから救ってあげたいとは思っていないの?」
《苦しみから? なぁ、多香子・・・いまのナッちゃんの苦しみって、なんだと思う?》
「そ、それは・・・」
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:10)
FIGHTの時間は、直ぐに終わったのである。
それは、達也が、二人に“男の想い”を伝えたからだ。
《ナッちゃんの今の苦しみって、いろんなことが分からないまま、俊成君と離れてしまったことじゃないのか?》
「そうよ! 私もそう思うわよ!」
達也は、優しい顔になって、二人に向かって話し出した。
《なぁ・・・ナッちゃん・・・多香子も聞いてくれ》
《その逮捕された・・・あっ、健心君?・・・健心君は、逮捕されて、どうして黙秘なんかしたんだろうなぁ》
《俺、同じ男として、これだけは分かるんだけど・・・俊成君を守りたかったんだと思うんだ》
《ナッちゃんが、自分の腕にナイフを向けて俊成君を守りたかったようにねっ!》
《それで、何が言いたいかって・・・健心君がそこまでしても守りたいと思える男なんだと思う! 俊成君は》
《ナッちゃんは、そんな俊成君だからこそ、好きなんだろう?》
《もし、俊成君が男友達から信頼され、愛されるような男でなかったとしたら・・・俺には出来ない! 自分が無実の罪で刑務所に入るなんて》
《そんな俊成君が、探偵を辞めてでも、連れて帰ってこなかった理君・・・きっと、それなりの事情があったんだと思う》
《俺ね、ナッちゃんには、俊成君がその時にどんな思いで連れて帰って来なかったのか・・・、それを知ってもらいたいと思う》
《もしかすると、そこには、ナッちゃんのことは苦しめたくないという俊成君の思いがあったのかもしれないから》
《全部を知って、そして自分で納得できて、それでそのままサヨナラをするなら・・・、俺は、何も言わない》
《でも、このままでいたら、ナッちゃんは、どこにも行けないまま、ただ立ち止まってしまうだけだと思うんだ》
《全てを知ったうえで、自分の進む道を決めて欲しい・・・ナッちゃんには》
夏美も多香子も、男らしい達也を見た。
夏美は、
『ありがとう・・・達也さん』
多香子も
「なんか、カッコいい・・・今日の達也」
と、ようやく三人とも笑顔になれた。
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:12)
『多香子・・・わたし・・・多香子と出会えて良かった!』
「そう・・・私も、夏美と出会えて良かったよ」
『達也さんもありがとう・・・って、 ・・・ い・な・い!』
多香子は、笑ってこう言った。
「きっと、恥ずかしくて、トイレにでも行ったんじゃないかな?」
『恥ずかしい?』
「うん、そうよ! 達也は美人に弱いから!」
『はぁ?』
「ほらっ! 恥ずかしがり屋さんが帰ってきたわよ!」
《はっ? なんか言った?》
「なんでもない!」
『面白い夫婦ね!』
「ところでさぁ、夏美・・・長野に行って、宿はどうするの? まだ、決まってないんでしょ?」
『あっ・・・う、うん』
「ねぇ、達也~ 長野までは、車でどれくらい?」
《片道、1時間から場所によっては1時間半かな・・・》
「1時間半かぁ・・・どうする?夏美」
『えっ? どうするって?』
「決まってるでしょ! ここから、通うのよ! 長野に」
『えっ? ホンとにいいの?』
「あのさ!」
『は、はい! お願いします! 理さんを見つけ出すまで、ここに泊めてください』
「って、あらぁ~ 残念! 予約でいっぱいだったわ!」
『え~、うそぉ~』
「はい! 合格! それでよし!」
『はっ?』
「ちょっと、確かめちゃった! 本当にここに泊まりたいと思ってくれているのか」
そんな二人の会話を、達也は笑って見守っていた。そして、
《ナッちゃん、ごめんね!》
『えっ?』
《多香子は、いつもこんな感じのくだりなんだよ!》
『そうなの? もぉ~、意地悪ーーー!!!』
三人は、テーブルの上に道路地図を広げて、長野の下調べを始めたのだった。
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:13)
『優さん・・・』
「・・・百合子」
『気が付きましたね、優さん・・・いま、先生を呼んできますから』
「ゆ、百合子・・・」
『あっ、はい・・・優さん』
「手術は成功したのかな・・・」
百合子は、優しい顔を浮かべて
『はい』
と、答え
『先生を呼んできますね』
そう言って、部屋を出て行った。
精一杯に涙をこらえ、部屋を出て行った百合子は、ナースステーションに向かった。
橋駒ドクターと看護婦二人が、優の部屋に入っていった。
百合子は、看護婦の
『一緒にどうぞ』
という促しに、首を横にふり、病室の外で待つことを選んだ。
橋駒ドクターが優の病室から出てくると、百合子に
「しっかり支えてやってください・・・優さんには、あなたしかいないのですから」
と、その言葉に百合子は、深々と頭を下げた。
「優さんが待っていますよ! どうぞ、行ってあげてください」
と、看護婦の言葉に背中を押されて、百合子は優の病室に入っていった。
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:14)
部屋に入った百合子を優が笑顔で迎えた。
『優さん・・・痛みませんか?』
と、白い包帯がぐるぐる巻かれた頭部に視線を送ると
「うん、大丈夫だよ、百合子・・・心配をかけてごめんね」
『早く、元気になってくださいね、優さん』
百合子は、笑顔を絶やさぬように、ベッドのそばに置いてある椅子に座って優を見た。
『先生は、どうおっしゃっていましたか?』
「傷口がふさがれば、すぐにでも退院出来るって」
『そうですかぁ、良かったですね、優さん』
「あぁ・・・でも・・・」
百合子は、優の言葉の意味が直ぐに理解できた。
だから、先に百合子の方から話をしたのである。
『優さん・・・お話があるのですが』
「うん? どうしたの? 百合子」
『村のお隣の三平さん、ご存知ですよね?』
「あぁ、もちろん! 三平さんがどうかしたの? 僕がいない間に、草刈りでもしてケガをしたんじゃないよね?」
『もぉ~、優さんは、こんな時でも三平さんのことを先に心配されるんですね!』
「あっ、いやっ・・・突然に三平さんの話が出たから・・・それで、三平さんがどうしたの?」
『はい・・・三平さんの息子さんが、東京で大きな会社の副社長さんをされているそうなんですが・・・その方に、今回の優さんの入院費をお借りしたいと・・・』
「えっ? どうして? 見ず知らずの僕のために? 三平さんの息子さんが?」
『はい、村の人、皆さんが優さんのことを心配していて・・・三平さんから言われたんです・・・自分の息子に頼んであげるから、よかったら頼ってくれって。 それに、村の人達から、少しでも役立ててくださいと、カンパを頂いたんです』
「えっ・・・でも、どうして僕のために、そこまで皆さんが」
『優さん・・・あなたは、村の人のために自ら率先して草刈りをしたり、力仕事が必要であれば飛んでいったり・・・村の人達は、みんなあなたに感謝しているんですよ』
「でも、そんなことで・・・」
百合子は、優しい表情で、こう言った。
『優さん・・・あなたが人に優しくしてきたことが、こうして返ってきたんですよね』
優の目には、涙があふれていた。
「俺・・・ごめんなぁ百合子・・・迷惑をかけて」
すると、優がゆっくり左手を百合子の方に上げたのである。
「・・・百合子」
の言葉に、百合子も
『優さん・・・』
「百合子・・・ありがとう」
二人は初めて手をつないだ。
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:16)
翌日・・・
村人たちが、優の病室に見舞いに来た。
「みなさん・・・本当にご心配をかけて・・・」
『よかったなぁ、優! 早く退院できそうなんだってな!』
「あっ、はい・・・それより、皆さん・・・百合子から話を聞きました。 なんか、俺のために皆さんが・・・」
『優、なに水臭い事言ってんだい! 村人たちは、み~んなあんたに感謝しているんだ! 早く元気になってもらわなきゃ、こっちが困るんだよ!』
「おいおい、助六さんよ! なんだい? 退院早々に、優をこき使おうとしてるんじゃないんだろうなぁ?」
『てあんでぇい! こちとら、優なんかいなくったって、・・・いなくったって・・・いやっ、・・・すまねぇ、優がいなきゃ困るわなぁ・・・』
村人たちは、嬉しいはずなのに、何故か涙目で、それでも嬉しそうに話した。
「優よ! おめーさんには、少し無理をさせちまったようだって、みんな話してるんだよ! すまなかったなぁ・・・勘弁してくれな!」
『勘弁だなんて、何を言ってるんですか、助六さん!』
そして優は、村人たちの一番後ろで静かにしていた三平に向かって
『三平さん・・・本当にありがとうございます、しっかり働いて・・・』
「いいんだよ、優! 俺の自慢の息子だ! 東京で出世しちまったから、もう、こっちに帰ってくることはねーけど、それでも、村のことを心配してくれてるんだよ。優の話をしたら、二つ返事でな。なんなら、返さなくてもいいって! ただ、そう言ったんじゃ、おめーさんじゃ、必ず断るだろうなと思ってさ・・・」
『三平さん・・・』
「息子は副社長で、なんだか、社長が急にいなくなっちまって苦労しているみてーだけど、社長が帰ってくるまで自分が会社を支えるんだって、社員全員で頑張ってるんだってよ! 」
『そうなんですかぁ・・・三平さん、本当に自慢の息子さんなんですね!』
「まぁなぁ・・・いくら自慢できても、離れて暮らしているからなぁ・・・寂しいけど、体に注意して、人様のために元気に働いてくれているならな! 親は、それで、満足するしかねーんだわなぁ」
『三平さん・・・』
マコト (金曜日, 15 7月 2016 21:19)
ここまで、小説を読んでいただいた方へ
この小説の結末が、とても悲しいもので終わると仮定して、
もし、それを望まない方がいるならば、是非、この先の書き込みを、その方に託したい。
なぜならば・・・
小生が考えている結末が、その仮定したものであるからだ。
小生には、自信が無い。
小生の考えた筋書きで、皆が、何かを得てくれるのか。
毎日の通勤電車の中で、小説を読んでくれた人、
毎日の家事を済ませてから、ようやく自分の時間が出来て、寝る前に楽しみにパソコンを開いてくれた人、
毎日、何度も更新を確認してたぜ!と、言ってくれた人
みたらし団子で、いじられまくった人に・・・
そんな人たちに対して、これでいいのだろうかと。
小生が、小説で何を伝えたかったのか、想いが伝わるのか・・・
半ば、強制的に小生の考えた筋書きに付き合わされてきた方に、最後になって「あとは、自分の好きなように仕上げてくれ!」とは、とても無責任な話だと思われるであろうが・・・
やはり、ハッピーエンドを望む方もいると思うので。
小生の考えた結末は、次の書き込みで一気に話が終わります。
だから、次の書き込みまでには、数日待ちます。
その前に、あなたの思う「仲間」を、ここに書き込んでください。
あなたなら、出来るはずです。
よろしくお願いします。
・・・って、
「んなぁ、ここまできて、書ける訳ないでしょ!」
と、叫んだ あ・な・た!
出来るって!
読んでみたいんよ!
あなたの「仲間」を
よろしく~~~
たかが、リレー小説なんだから!
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:40)
『津路さん・・・このお花畑が・・・』
「・・・そうだよ、蒼さん」
蒼は、栞の写真を胸に抱いて、
畑一面に咲き誇るダリアを見つめていた。
そして、栞の写真を優しい顔で見つめ
『栞・・・ここが理さんのお花畑だよ・・・見えるでしょ』
『本当に綺麗だよ・・・理』
『ありがとう
・・・理 』
仲間達と、夏美も多香子も達也も、
そして、百合子と三平さんの息子も、
村の人たちも、
皆が、蒼のそばに立って、まるで太陽のように光り輝く一面のダリアを見つめていた。
蒼は、振り向き、そして仲間達に向かってこう言った。
『ありがとう、津路さん』
『ありがとう・・・みなさん』
『わたし・・・みなさんに会えて良かった』
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:41)
栞と蒼という、とても仲のいい双子の姉妹がいた。
二人は、どんな時も一緒に行動をしていたが、二人の父親は、姉の栞だけを特別扱い。
姉想いの蒼は、いつも自ら一歩下がって、厳しい父親から栞を救っていた。
二人は、同じ高校へ進学し、そこで理と出会う。
蒼は、理に恋をした。
理も蒼が好きだった。
だが、互いの気持ちをうまく伝えられずに・・・そのまま、32年が過ぎた。
32年ぶりに高校の同窓会が開催された。
そこで、栞と蒼は、ちょっとした“いたずら”をする。
それは、栞と蒼が入れ替わって、同窓会に参加するとう“いたずら”だった。
同窓生達は、誰一人として、二人が入れ替わっていることに気づかなかった。
だが、同窓会の代表を務める理だけは、蒼のことを「蒼だろう」と呼んでくれたのだ。
その時、蒼は、自分の気持ちに気付いた。
「今でも、理のことが好き」と
その同窓会をきっかけに、双子の姉妹の人生が、大きく動き出すのである。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:42)
あれほど栞にだけ厳しかった二人の父親も、もうその頃には、ただ二人の幸せを願う優しい父親になっていた。
同窓会の時に撮った、「栞と理と蒼」の三人の写真を見た父親が、
栞が、理に気があるのではないかと、勘違いをしてしまう。
そのことがきっかけで、栞が理と結ばれることになる。
栞の幸せを願う蒼は、理のことを諦めるが、ちょっとしたことで、あれほど仲の良かった栞と蒼が、互いに憎み合うようになってしまった。
それを知らされた理は、群馬での仕事を終えたあと、蒼のところに向かったのである。
その日が、大雨により高速道路が閉鎖されていたため、山道を通って帰ることを選択した理は、群馬の峠道で、一匹の子犬を見つける。
雨に濡れた子犬を救おうとして、そこで、理はトラックにはねられてしまったのである。
事故を起こしたトラックの運転手は、意識のない理を見て、別の場所で遺棄しようと、理をトラックの荷台に乗せ、西へと走った。
理は、途中、意識を取り戻し、トラックがサービスエリアで停まったすきに、荷台から降り、歩き出したが、そこで再び意識を失くし、そばにいた人が呼んでくれた救急車で長野の病院へと運ばれた。
理が、その日、蒼のところに行くと聞かされていた栞は、
理が帰って来ないのは、蒼のせいだと決めつけてしまう。
そのことで、蒼は心を病んでしまう。
心に傷を負った蒼は、日本に戻らない決意をして単身渡米したのであった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:43)
理は、事故の際に頭部を強く打ち、全ての記憶を失っていたのだった。
だが、「自分のことを待っていてくれる人がいるはずなんだ」と、ただ、その思いだけで、帰る場所も分からぬまま病院を抜け出してしまう。
治療を受けることもなく、病院を抜け出してしまった理が、救いを求めてたどり着いた先が、百合子の家だった。
百合子の家は、2年前に、百合子の夫・優を事故で亡くし、5歳の女の子と2歳の男の子、そして高齢のお婆さんの4人暮らしだった。
百合子は、夫を事故で亡くしたことをきっかけに、病にふせていた。
それを知った理は、百合子の夫・優の代わりとなって生きて行くことを選択したのである。
理は、優となって百合子を支えながら、その地に住む村人たちのためにも一生懸命に働いた。
突然に行方が分からなくなってしまった理を、栞は、ずっと待ち続けた。
それを不憫に思った父親が、理の捜索を津路探偵事務所に依頼したのである。
依頼を受けた津路は、理の車が残されていた群馬の山中に行き、そこで子犬を見つける。
そう、その子犬が、理が助けた子犬だったのである。
津路は、その子犬に“ガッツ”と名付け、一緒に理探しの旅を続けた。
旅の途中、ガッツが、自分を救ってくれた理の匂いに気づく。
走るガッツを追いかけると、そこが理の住む家だった。
理を見つけた津路だったが、そこで“理の想い”を知る。
探偵としての仕事を全うして、理を待ち続ける栞の為に無理にでも理を連れて帰るべきか、百合子を支えたいという“理の想い”を叶えてやるのか・・・
悩み苦しんだ津路であったが、理を連れて帰ることなく、栃木に戻ってきたのである。
栃木に戻ってきた津路は、良心の呵責に苦しみ、探偵をやめることを選択する。
津路は、親の会社を継ぐことになるのだが、傷ついた津路を支え続けたのが、探偵事務所時代から事務員として一緒に働いてきた夏美だった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:44)
理が、優となって3年が経った。
5歳だった女の子は、小学3年生に、
2歳だった男の子は、保育園の年長さんになっていた。
病にふせていた百合子も、自分のことが出来るまでに回復していた。
子供達は、優しい理を父親としてとても慕っていた。
そんなある時・・・
無理に働いてきたことがたたって理は倒れてしまう。
だがそれは、3年前の事故で頭部に損傷を受けていたことが、直接的な原因だったのである。
家計の苦しい家庭事情を知る理は、それを理由に手術を拒絶する。
だが、百合子から、
「手術を受ければ昔の記憶を取り戻すことが出来る!」
「記憶を取り戻して、もとの幸せな家庭に戻れ!」
「・・・そうすれば、手術代が払えるはずだ!」
と、冷たく突き放されてしまう。
だが・・・
理には、それが百合子の優しさだと分かっていた。
百合子を苦しめたくなかった理は、橋駒ドクターの手術を受けるのだが・・・
手術を終えた理は、村人、三平の息子の助けを借りて退院する。
退院した理は、百合子の家に戻って、それまで通り暮らしたのだった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:45)
理の事故から、10年が経っていた。
ある時、栞が、花風莉に訪れた。
花風莉には、想いを話すことができる“電話ボックス”があった。
そこに入った栞であったが、受話器をもったまま何も話せず立ちすくみ、涙ぐむ。
そこで、花風莉の店主・萌仁香は、
栞が、行方不明となった理のことをずっと待ち続けていることを聞かされる。
栞が、同い年であることを知った萌仁香は、栞に自分たちの仲間になるようにと、花見に誘ったのである。
そこで、栞と健心が出会った。
栞は、健心を見て“理が戻ってきてくれた”と勘違いする。
それは、理と健心が、まるで双子であるかのように、そっくりだったからだ。
そのことをきっかけに、栞は、心を病んで入院させられてしまう。
入院する栞を見舞った健心は、そこで栞が余命いくばくもないことを知らされる。
健心を、理であると信じて疑わなかった栞に、健心は、理になり切って栞を支え続けた。
だが・・・
栞は、天国へと旅立った。
ずっとアメリカに住んでいた蒼は、栞が亡くなったことを知り帰国する。
栞は、亡くなる前に蒼に手紙を残していた。
その手紙を読んだ蒼は、栞が自分を憎んではいなかったことを知り、ようやく元の仲のいい双子の姉妹に戻れたのであった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:46)
それから数か月後・・・
仲間達は、蒼と出会う。
そこで、蒼が栞の妹であること、そして、今でも理のことを待ち続けていることを知った仲間達は、蒼を元気づけようとバーベキューに誘う。
そこで、津路と蒼が出会った。
津路は、栞が理の帰りを待ち続けながら亡くなったことを知り、絶句する。
落胆した津路を心配した健心は、津路を苦しみから救おうとするが、それを夏美が拒んだのである。
津路をずっと思い続けてきた夏美が、自分の腕に傷をつけてまで、津路を守ろうとしたのだった。
津路から健心を遠ざけたいと考えた夏美は、健心に罪を押し付けてしまう。
傷害罪で逮捕された健心は、自分が事件のことをしゃべれば、津路が苦しむことになると考え、ずっと黙秘を続けた。
だが、仲間達の支えと、亀丸検事と出会ったことで、健心は無事に釈放される。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:47)
罪を犯してしまったことを悔いた夏美は、置手紙を残してマンションを出ていった。
津路に別れを告げて。
マンションをでた夏美は、長野に向かっていた。
それは、津路がどうして探偵を辞めたのか、その苦しみを自分も知りたかったからだ。
夏美は、長野に向かう途中、軽井沢で小さなペンションに宿をとった。
そこで多香子と達也に出会い、二人から長野で理を探す勇気をもらったのである。
一方、
夏美の手紙を読んだ津路は、夏美を追いかけて、二人の想い出の場所“右津乃宮動物園”に行く。
そこに夏美が来ないと考えた津路は、夏美が一緒に行きたいと言っていた岩手に向かったのである。
釈放された健心も、岩手に行き、津路と一緒に夏美が来るのを待った。
しかし、健心の想いで、夏美が長野に向かったのではないかと考えた二人は、栃木に戻り、そして直ぐに長野に向かったのだった。
そして・・・
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:48)
『えっ?・・・』
「どうした? 津路」
『いやっ・・・景色が変わっているんだ!』
「景色?」
『あぁ・・・ここは水田だったはずなんだ』
「ここで間違いないのか?」
『間違いない! 健心・・・あの家が、理君が住んでいる家だよ』
「そっか・・・」
二人の目の前には、畑一面にダリアが咲き誇っていた。
二人が、その素晴らしさに見とれていると、畑のはずれから一人の男が近づいてきた。
「どちら様ですか?」
『あっ、私は、あのお宅に住む理さん、あっ、いやっ、優さんにお会いしたくて来ました』
その男は、「えっ?理さん?」と、津路の言いかけた言葉に驚いた表情を浮かべた。
そして、その男は、津路に返す言葉を探しながら、健心を見た。
「えっ?・・・社長!」
と、声を出して驚き、健心に駆け寄ったのである。
その男は、三平の息子、羽石颯太(ハネイシソウタ)だった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:50)
健心に駆け寄る颯太の目は、もうすでに涙が溢れていた。
「社長!」
『えっ?』
颯太は、ようやく我に返ったかのように
「あっ・・・社長のはずがありませんよね・・・す、すみません」
健心には、理解ができていた。
それは、もちろん理が自分と瓜二つであることを承知していたからだ。
颯太に向かって健心は言った。
『私は、小野寺健心といいます。 いま、私のことを、有栖川理さんと、お間違いになられたんですよね? 自分は、理さんにそっくりであることを知っています』
「あっ、はい・・・」
『私たちは、ある人を探しています。そのことで理さんに話を伺いたくて来ました』
津路も、二人の会話に加わった。
「自分は、津路です! 津路俊成といいます」
「えっ? ほ、本当ですか? 本当に津路さんなんですか?」
驚く颯太は、ダリア畑の方を向いて、ゆっくりとこう言ったのである。
「有栖川社長・・・ 社長が心配されていた津路さんが来てくれました。 いいですよね? 全てを話しても・・・」
と
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:51)
颯太は、うつむいてこう言った。
「有栖川社長は・・・亡くなりました」
『えっ・・・』
津路も、健心もその言葉に絶句した。
涙を流す二人に、颯太は
「申し遅れましたが、私は、羽石颯太といいます」
「この地で生まれ育ち、そして有栖川社長の元で、ずっとお仕えしてきた者です」
颯太は、ダリア畑の方を向いて話を続けた。
「このダリア畑は、有栖川社長が残してくれたものなんです」
「もう、10年になりますよね、津路さんがここで社長に会ったときから・・・」
「事故にあって、全ての記憶を失くし、たどり着いたのが、私が生まれたこの地だったなんて・・・私は、いやっ、社員全員が社長の帰りを信じて待っていたんです」
「社長は、7年前に倒れて手術を受けたんですが、完治は難しかったようで・・・」
「退院された社長は、元気になった百合子さんと、このダリア畑を始めて・・・ようやく出荷できるようになったんです」
「ですが、そんな矢先にもう一度倒れて・・・病状が悪化するにつれて、昔の記憶が蘇ってきたんだそうです」
「それで半年前、社長が私のところに連絡をくれて・・・」
「社長は、全て話してくれたんです、私にだけ」
「社長は、津路さんのことをすごく心配されていました」
「津路さんが、ずっと苦しんでやいないかと・・・」
「社長は、言っていました・・・津路さんには本当に感謝していると」
津路は、その言葉に肩を揺らして号泣した。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:52)
健心も泣きながら、それでも、津路の肩に手を置いて
「津路・・・」と
抑えられない涙のまま、津路はようやく颯太に尋ねた。
「いつ・・・いつ、お亡くなりになったのですか?」
その問いに、颯太が答えた日を聞いて、健心は大声を出して泣き出した。
「なぁ、津路・・・理君が亡くなった日は・・・その日は、奥さんの栞さんが亡くなった日なんだ」
それを聞いた颯太は、
「えっ? 奥さん? 栞さんが亡くなったんですか?・・・そ、そんなぁ」
と、今度は颯太が大声を出して泣き出した。
「社長・・・」
『羽石さん・・・』
「社長は、ずっと悩んでいたんです・・・栞さんに連絡をするべきか、でも、百合子さんの気持ちを考えると」
「社長は、自分の最期を知っていたようで、こんな姿を見せて悲しませたくないと、結局は、連絡することを選ばなかったんです・・・栞さんに会いたかったはずなのに・・・」
溢れる涙をふこうともせず、颯太は言った。
「有栖川社長は、栞さんと一緒に旅立ったんですね・・・」
健心が、颯太に言った。
「栞さん・・・自分と初めて会った時に、自分のことを理さんだと思って・・・自分が、最後まで理さんになって、支え続けたんですが・・・栞さんは、最期まで理さんが帰ってくると信じて、待ち続けていました。 あっ、羽石さん・・・誤解しないでください。 理さんのことを責めている言葉ではありませんから」
『・・・はい』
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:53)
三人が、悲しみにくれていたところへ、理が住んでいた家から一人の女性が出てきた。
『颯太さん・・・』
それは、百合子だった。
理は、颯太に全てを語って亡くなったが、百合子には、最期まで記憶が蘇ったことを伝えてはいなかった。
全ての事情を知った颯太は、理が亡くなったことである決断をした。
それは、理が残したダリア畑を百合子と一緒に守るということだった。
颯太は、会社を専務に託して、実家へ戻って来た。
颯太は、それまで村を守ってくれていた理のように、がむしゃらに働いた。
そんな颯太には、ある悩み、苦しみがあった。
そう、それはあの時の津路と同じように、栞に伝えてあげるべきか、どうかという悩みだった。
「百合子さん・・・」
『そちらの方たちは?・・・』
「あっ・・・はい・・・」
その時の颯太の困ったような表情で、健心も津路もすぐに理解できた。
「羽石さんは、百合子さんに真実を話していないんだ」と
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:54)
颯太が、健心を見て驚いたのと同じように、百合子が
『えっ・・・ま、優さん・・・・』
と、健心を見た。
颯太は、その場をやりすごそうと
「いやぁ、自分もびっくりしましたよ! いるもんですねぇ、他人の空似っていう人が」
と、百合子の気持ちを落ち着かせた。
「あっ・・・、じ、自分たちは、ダリア畑があまりにも綺麗だったものですから、ちょっと見させていただいていました」
『そうですか・・・』
と、優しく微笑む百合子
それでも、颯太も津路も健心も涙ではらした顔が、百合子には分かった。
百合子は、優が残してくれたダリア畑を一緒に守ってくれている颯太に感謝していた。
そんな颯太が、仕事中に、ダリアを見つめ、時々考え込む姿を何度も見ていたのである。
『きっと、何かを悩んでいるのね・・・颯太さん』
だから、その時の百合子は、こう言ったのである。
『ねぇ、颯太さん・・・あの人達・・・颯太さん、何か私に隠し事をしていない?』
『私ね・・・』
そう言って、ダリア畑の方に視線を送り
『私、颯太さんには本当に感謝しているのよ』
『優さんが残してくれた、このダリア畑を一緒に守ってくれて・・・』
『ねぇ、颯太さん・・・間違っていたらごめんなさいね・・・優さんは、なくなる前には、昔の記憶を取り戻して、そのことを颯太さんには、話していたんじゃないの?』
「えっ・・・百合子さん」
『もし、そうだとしたら、私は優さんのご家族に会って、謝りたいの・・・』
そう言って、声を出して泣き出した。
「百合子さん・・・」
そこにいた颯太も津路も健心も、その時初めて百合子の想いを知ったのだった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:55)
そこにいた誰かが、悪いわけではない。
もちろん、百合子だって、颯太だって・・・津路だって
悲しい運命にあやつられ、それでも、一生懸命に生きてきただけなのである。
「百合子さん・・・」
颯太は、全てを百合子に語った。
百合子は、ダリア畑から一度も視線を外すことなく、颯太の話を最後まで聞いた。
話を聞き終えた百合子は、振り返り、津路に向かって、深々と頭を下げた。
涙に混じった百合子の声が、ようやく聞こえた。
『津路さん・・・ありがとうございました。 そして、本当にお辛い思いをさせてしまって・・・』
それ以上は、涙で聞きとれなかった。
颯太が、百合子に寄り添って言った。
「百合子さん・・・百合子さんは、何も悪いことしていませんよ・・・」
「津路さんだって、もちろん有栖川社長だって・・・」
『そうねっ・・・』
『ねぇ、颯太さん、津路さん・・・優さん、いえ、理さんは、栞さんと一緒に旅立って・・・理さんは、栞さんのところに戻れたのよね?』
そう言って、泣き崩れた。
みんな、ダリア畑を見つめていた。
健心が、百合子にそっと聞いた。
「百合子さん・・・栞さんには、蒼さんという双子の妹がいるんです。 その蒼さんは、今でも理さんを待ち続けています。 蒼さんに、全てを伝えて、・・・そしてこのダリア畑を見せてあげてもいいですか?」
百合子は、健心に
『ぜひ、ぜひそうしてください。 優さん、あっ・・・理さんが喜んでくれるはずです』と
そこにいた誰もが、ようやく落ち着きを取り戻した時だった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:56)
『俊成くん・・・』
津路が振り返ると、そこには夏美が立っていた。
「な、ナッちゃん!」
決して諦めずに、探し続けていた夏美が、現れたのである。
夏美は、健心がいることに気づいて
『あっ・・・小野寺さん・・・』
それからは、夏美も全ての事を聞いて、そこにいた誰もが全てを知ったのだった。
健心が、先に謝った。
「ごめん・・・俺が、夏美さんの気持ちも考えずに、勝手なことをしようとしたばかりに・・・」
『小野寺さん・・・わたし・・・』
「いいんだ! 何も言わなくて・・・それより・・・」
と、津路の方を見ると、なにやら、もじもじと
津路は、健心に約束をしていたのである。
「ナッちゃんに逢えたら、俺、その時にプロポーズするから!」と
もじもじする津路に向かって、健心は言った。
「おい、津路! お前、なにしてるかなぁ・・・津路さんよ!」
『あっ、ちょ、ちょっと待ってて!』
そう言って津路は、百合子と颯太に、なにやら伺いをたてているようだった。
津路の話を聞いた百合子は、笑顔になって
『夏美さん! なんかね、津路さんがあなたにお話があるみたいよ!』
「えっ?・・・ゆ、ゆ、百合子さん・・・」
慌てる津路を無視して百合子は続けた。
「こんな時にいいのかって、変な気をつかって、私たちに聞いてきたんだけど・・・あなたに大事な話があるみたい! 聞いてあげてね」
百合子が振り返ると、津路は相変わらずもじもじと
「えっ? あらっ? 津路さん・・・津路さん! もぉ~、まったく男の子は、世話が焼けるわね! 早く言ってあげて」
マコト (月曜日, 18 7月 2016)
津路は、夏美の前に歩いていった。
健心と百合子、颯太は並んで二人を見守った。
夏美の前まで行った津路だったが、またもじもじと
(健心)「もぉ~、ばっちり決めろよ! 津路」
(百合子)「可愛いじゃない、なかなか見れないわよ! 53歳のこんなシーン」
(颯太)「俺なら、ぐっと抱き寄せて、キスをしちゃいますけどね!」
(百合子)「ふぅ~! カッコいいわね、颯太さん! あっ! ようやく始まるみたいよ!」
津路は、ようやく口を開いた。
「ナッちゃん・・・お、俺・・・俺は、俺のままで変われないけど・・・俺の味噌汁作って下さい! お願いします」
(百合子)「わぁ~、ベタなプロポーズ! っていうか、意味分かんないんだけど・・・」
夏美は、こう答えた。
「・・・やだ!」
(百合子)「そりゃぁそうよ! なに? 俺は変われないって? 嘘でも生まれ変わってって言えば素直に応えるのに、女の子は」
(健心)「ごめん・・・あれが津路なんです」
津路は、慌ててポケットから、あるものを取り出した。
それは、結婚指輪だった。
ずっと、ポケットに入っていたものだから、包装はぐちゃぐちゃに
「こ、こ、・・・これ!」
(百合子)「あちゃぁ~、最悪な渡し方」
(健心)「ごめん・・・あれが津路なんです」
夏美は、こう言った。
「なんだか、知らないけど・・・いらない! 私は、何にもいらないから!」
(百合子)「でしょ~! そうなるわよ!」
(健心)「百合子さん・・・なんとかしてあげてくれませんか?」
(百合子)「え~、嫌よ! あの二人が決めることでしょ?」
指輪も拒絶された津路は、もうパニック状態
自分が思い描いていた通りに進まないプロポーズ劇に、やぶれかぶれで“素”の津路に。
夏美に抱きつき
「ナッちゃん! 俺は、ナッちゃんが好きだ! 離れたくないんだ! どこにも行かないでくれ! 俺のお嫁さんになってくれ!」と
抱き着かれた夏美も、ようやく笑顔になって
「俊成くん! わたし、その言葉をずっと待っていたの! わたし、何にもいらないんだよ、俊成くんがそばにいてくれれば!」
と、両手を津路の背中にまわして、強く抱きしめた。
「おめでとう、津路!」
『津路さん、良かったですね!』
マコト (月曜日, 18 7月 2016)
三人が、津路と夏美のそばに行って、皆が笑顔になれた。
そして、百合子はダリア畑を見てこう言った。
「優さん・・・いいえ、理さん、良かったですね、あなたが心配していた津路さんが、ようやく笑顔になってくれましたよ」と
健心は、百合子と颯太に、蒼を必ずここに連れてくると告げた。
「百合子さん、颯太さん・・・じゃぁ、また」
『健心さん・・・津路さん、夏美さん・・・本当に、ありがとうございました。 蒼さんのことでは、また辛い役目をお願いすることになってしまいますけど・・・蒼さんには・・・』
「大丈夫です! 百合子さん・・・颯太さんも、これからも綺麗なダリアを育てて、理さんの想いを、たくさんの人に分けてやってくださいね」
百合子も颯太も笑顔で
「はい」と応えた。
健心たちは、振り向いて歩きだした。
と、その時だった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:58)
「ワン! ワン! ワン!」
『えっ?・・・』
大きな犬が走って来たのである。
その犬は、津路に向かって走っていた。
『えっ? ガッツなのか?』
それは紛れもなく、ガッツだった。
ガッツは、津路に飛びかかり、喜びを体いっぱいに現した。
『ガッツーーーーーーー!!!』
百合子が言った。
「ガッツの名前も知っていたんですか? 珍しいです、ガッツは、知らない人には、決してなつかないんです!」
津路は、ガッツとのいきさつを話した。
「そうだったんですかぁ、この子が・・・、ガッツが全ての始まりで、そして、こうして津路さんたちと逢うことが出来たんですねぇ・・・」
『元気でいたか? ガッツ!』
「ワン!」
しばらくは、津路とガッツの会話が続いた。
『可愛がってもらっているんだろう?』
「ワン!」
『しかし、大きくなったなぁ』
「ワン!」
『ガッツ・・・優さんが、いなくなって寂しいか・・・』
「クゥ~」
『そっか・・・』
『大好きだったんだな! 優さんのことが』
「ワン!」
百合子も颯太も健心も・・・二人の絆の深さを見せられた。
子犬だったガッツが、10年経った今でも、その時に大切にされた津路を忘れることがなかったからだ。
そして・・・
津路とガッツの二度目の別れの時になった。
『じゃぁな、ガッツ! 元気でなっ!』
涙をこらえ、津路は振り向き歩き出した。
だが、その時だった。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 20:59)
「ワン! ワン! ワン! クゥ~ クゥ~」
ガッツが津路に、まとわりついて離れないのだった。
『おい、ガッツ! 離れろよ!!!』
それは、一緒に連れて行ってくれと言っているようだった。
津路とガッツのいきさつを知った百合子は、ガッツの様子を見てこう言ったのである。
「津路さん・・・ガッツは、津路さんと一緒に行きたいと言ってるんじゃないですか?」
『えっ?・・・』
「津路さん・・・この子は、優さんと、そして津路さん、あなたの二人に助けられたことを忘れていないんですよね・・・今までは、優さんのそばで幸せだったんでしょうけど・・・津路さん・・・もし、良かったらこの子の気持ちを受け止めてあげてください・・・優さんはもういないんですから・・・」
『百合子さん・・・』
津路は、百合子の言葉に立ち止まって、ひざをついて、ガッツと向き合った。
『ガッツ・・・俺と一緒に行きたいのか?』
「ワン!」
それを確認した津路は、立ち上がってこう言ったのである。
『ふざけるな、ガッツ! お前は10年前に優さんを選んで、俺から離れてここに残ったんだ! 今さら、俺と一緒に帰りたい? わがままもいい加減にしろ!』
ガッツは、津路の言葉に驚いた表情を浮かべて、こうべを垂れた。
健心が
「おい、津路ぃ~・・・そんな言い方しなくったっていいだろうよ・・・見ろよ、ガッツ、すげー悲しそうにしてんだろうよ!」
百合子も
『津路さん・・・お気持ちは分かりますけど・・・そんな言い方したらガッツが・・・』
津路は、黙ってガッツを見たまま、二人の言葉に返事を返さなかった。
そして・・・
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:00)
津路は、ガッツに向かってこう言った。
『ガッツ! あのダリア畑を見ろ!』
ガッツは、津路が指さす方を見た。
『なぁ、ガッツ・・・あのダリア畑は誰が育ててきたんだ?』
『お前の大好きな優さんだろう? 違うか?』
「クゥ~」
『お前は、あのダリア畑の中で、たくさん遊んだんだろう?』
『なぁ、ガッツ・・・優さんはいなくなってなんかいないんだぞ! あのダリア畑の中で、お前を見守ってくれているんだ! 分かるか?』
『優さんを嫌いになったのか? 違うだろう! それに・・・、これからは、優さんに代わって百合子さんを守るんだろう? なぁ、ガッツ!』
すると、ガッツは立ち上がり、ダリア畑の中に走って行ったのである。
しばらく走り回って、津路の方に向かって
「ワン! ワン! ワン!」
と、吠えたのである。
『ガッツ・・・』
津路の目には、それまで我慢していた涙が溢れだしていた。
それを、ガッツに見せぬようにと、背中を向けてしゃがみこんだ。
すると、ガッツが津路に走り寄って、津路のほほを・・・
『おい、やめろよ~ ガッツ、 ガッツってば』
「津路・・・」
『ガッツ・・・ガッツは、津路さんの言葉が全部理解できるのね』
「百合子さん・・・津路って、いいやつでしょ!」
『はい』
津路は、立ち上がってこう言った。
『ガッツ! また、ここに来るから! 百合子さんのことを頼むぞ!』
「ワン! ワン! ワン!」
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:02)
健心と、津路と夏美は、百合子と颯太、そしてガッツに手を振って車に向かって歩き出した。
すると、夏美が津路に
『あっ! 私は、一緒に帰るんじゃなかったんだっけ』
「そうだった!・・・って、今日までの間、どこにいたの?」
『軽井沢だよ! 今日も軽井沢から来たの!』
と、軽井沢で出会った多香子と達也の話を津路に聞かせたのだった。
「なぁ、ナッちゃん・・・」
『なぁに、俊成君』
「今度、みんなでここに来る時には、そのペンションでお世話になった二人も一緒に来てもらおうよ!」
『うん!』
歩きだして、また夏美が何かを思い出したかのように
『ねぇ、俊成君』
「なんだい? ナッちゃん」
『もらってあげてもいいよ!』
「えっ? 何を?」
『はっ? わ、分かんないの?』
「うん! ナッちゃん、何を言ってるの? 分かんない」
その二人の会話を、離れて聞いていた健心は、小声でつぶやいた。
「津路・・・指輪だよ」
『ねぇ、俊成君・・・冗談だよね? 本当に分からないの?』
「うん! 分かんない! えっ? なに? 言ってよ!ナッちゃん」
『そっ! じゃぁいい! 私も分かんないから』
「へんなの! ナッちゃん」
健心は、助け舟を出そうか迷ったが・・・
『さぁ、栃木に帰ろうぜ!』と
夏美は
「うん! 私は、軽井沢によってから帰るね」と
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:03)
車に乗った健心と津路は、表情を変えた。
「津路・・・栃木に帰って、大仕事が待っているんだよな」
『あぁ・・・そうだな』
「なぁ、津路・・・美子都と萌仁香に手伝ってもらおうと思うんだけど、どう思う?」
『健心、それがいいよ!』
「・・・そうだな・・・なぁ、今、電話してもいいか?」
『あぁ』
健心は、ひとつ大きく呼吸して
「もしもし、美子都か? うん・・・なぁ、美子都・・・理さん・・・」
電話の向こうの美子都の泣き声が、津路にまで聞こえた。
あらためて、悲しみが込み上げてきた健心と津路だった。
「うん、分かった。近くなったら、また電話する・・・うん・・・ありがとう、美子都・・・あっ、うん、萌仁香にもよろしく伝えてな・・・あぁ、分かった、じゃぁあとで」
二人は、車の中で会話をすることも出来なかった。
時間が経つにつれて、余計に悲しみが増していったからだ。
そんな雰囲気を変えようと、健心が津路に言った。
「なぁ、津路・・・さっき、夏美さんが、もらってあげてもいいよ! って言ってたろう!」
『あぁ! って、なんだよ! 盗み聞きしていたのか?』
「違うよ! 聞こえるような声で会話していたろうよ」
『あっ? うん? うん、そうかも』
「でさ、お前本当に分かんなかったのかよ?」
『分かんねーよ!』
「まじかぁ・・・なぁ、津路・・・指輪だよ! 普通、分かると思うけど・・・」
『ギャァーーー!!! 健心! だめだ 戻れ! 早く、ナッちゃんのところに戻ってくれよ!』
「 (-_-)zzz 」
『おい、健心、何、寝てんだよ! って、馬鹿! お前運転中だろうよ!』
「あっ、そっか」
『健心! 頼むよ!』
「津路・・・もう手遅れだよ!」
『えっ? うそ・・・嘘だって言ってくれよ!』
そんな津路に、健心はこう言った。
「津路・・・二人になったら、もう一度やり直せよ! 夏美さんは、もうどこにも行かないよ! それをお前が信じなくてどうすんだよ!」
『あっ、そっか! んなら、早くそれを言えよ! 健心』
「・・・はい、はい」
そんな会話で、一瞬は盛り上がったが、やはり、二人ともそれ以上は、言葉を発する気持ちになれなかった。
栃木に入って、サービスに寄った健心が、美子都にもう一度電話をした。
「分かった・・・、あと30分ぐらいで行く」
電話を切った健心は津路に伝えた。
「蒼さん・・・いま、花風莉にいるって」
『・・・そっか』
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:04)
健心と津路が花風莉に着くと、美子都が駐車場まで出てきた。
『健心・・・』
「美子都・・・」
『健心、ごめん・・・わたし、蒼に何にも話せなかったの』
「あぁ、いいんだ」
『わたし・・・』
と、美子都はもう涙を流していた。
「バカだなぁ、俺達がしっかりしなくてどうすんだよ、美子都!」
そう言って、健心は美子都を勇気づけた。
いつもと違って、頼もしい健心だった。
それなのに・・・
三人が花風莉に入ると、奥のテーブルに蒼がいた。
『あっ、健心さ~ん、お久しぶりでーす!』
「蒼さん、こんにちは」
と、健心が蒼を見ると
「えっ?・・・」
蒼が、両手いっぱいにダリアを抱きかかえていたのである。
「そ、そのお花は・・・」
『え~、健心さん、お花の良さが分かるのね! さっすがぁ~! このダリアは、萌仁香が探してくれたのよ! 私の一番好きなお花』
健心が、花風莉を見渡すと、店いっぱいにダリアが並べてあった。
萌仁香が言った。
「これねっ、長野からお取り寄せしているのよ! こんな綺麗なダリアがあるって知って・・・ねぇ、すごい綺麗でしょ!」
「えっ? ・・・長野から?」
健心がダリアに目をやると、そこには生産者の名前が書かれてあった。
生産者の名を見た健心は、泣き崩れてしまったのである。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:04)
「これは・・・」
そこには、こう書かれてあった。
「優の花農園」
肩を揺らして泣き続ける健心に蒼が
『えっ? どうしたの、健心さん・・・このダリアが、どうかしたの?』
健心が、思い描いていた蒼への説明の手順は、もう崩れ去っていた。
「蒼さん・・・このダリアは・・・この“優の花農園”の優さんとは・・・」
健心の話に、泣き崩れる蒼を、美子都と萌仁香が一生懸命に支えた。
健心は、理の想いと、百合子の想いをゆっくりと話した。
話を聞き終えた蒼は、ずっと目を閉じていた。
閉じた瞼からは、涙がひとつ、そしてまたひとつと流れ落ちていた。
萌仁香が、蒼の肩を抱いて
「蒼・・・」
『うん、ありがとう・・・萌仁香・・・わたし、大丈夫』
「蒼・・・」
『だって、理は、今・・・私の手の中にいるんだもの・・・そうですよね? 健心さん』
健心は、目を真っ赤にしてうなずいた。
蒼は、店の外にそっと目をやりこう言った。
『全ては、あの電話ボックスに栞が入ったことから始まったのよね』
「えっ?・・・」
『栞は、萌仁香と出会って、そして健心さんに支えられ・・・理の居場所は津路さんが・・・私と栞のところに理が帰ってきてくれたのも、みなさんがいてくれたから・・・このダリアだって・・・』
蒼は、ダリアを愛おしそうに抱きしめて
『このダリアと私を引き合わせてくれたのも、萌仁香が、いてくれなかったら・・・』
『ありがとう、萌仁香、美子都・・・健心さん、津路さん』
「蒼・・・」
健心が、蒼に言った。
「蒼さん・・・ダリア畑を見に行こう・・・理君が待っているよ」
『えっ? 本当にいいの?』
「あぁ、百合子さんも待っているよ・・・」
美子都が
「蒼・・・みんなで行こうね!」
『うん! 美子都』
ようやく、蒼に、かすかな笑顔が見えた。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:05)
蒼は、四人に見送られて帰っていった。
美子都が、健心と津路を労った。
『お疲れ様でした。 蒼も、これで良かったんだよね? 理さんと一緒に前に進めるんだもの』
「あぁ、・・・そうだな」
『津路君も良かったわね! 夏美さんと逢えて』
「うん! 健心のおかげだよ!」
「津路! それは違うよ! 津路が、諦めずに探し続けたからだよ!」
『そうよ! 津路君』
「まぁ、いつかは必ず戻ってくると思ってたけどな!」
「はぁ?・・・ホントか?」
「・・・いえっ・・・思っていませんでした」
「だべなぁ」
ようやく笑顔の戻った美子都が、健心に言った。
『あっ! そうだ、健心! もらってあげてもいいよ!』
「はっ? なに? 美子都 何言ってんの? 分かんないんだけど」
『ねぇ、健心・・・冗談でしょ? まさか忘れたとは、言わせないわよ!』
「はぁ?・・・・あっ、やっぱり分かんない」
その会話を聞いて、津路は健心に小声で言った。
「なぁ、健心・・・まさか、お前・・・お土産買ってくるとか言ってなかったんだべな?」
『ギャァーーー!!! 津路! だめだ 戻れ! 早く長野に戻るべ!』
「 (-_-)zzz 」
『おい、津路! 何、寝てんだよ! って、馬鹿! お前運転中? じゃねーけど! なぁ、津路! 頼むよ!』
「健心・・・もう手遅れだよ!」
『えっ? うそ・・・嘘だって言ってくれよ!』
そんな健心に、津路はこう言った。
「健心・・・ 美子都は怒らねーよ! それをお前が信じなくてどうすんだよ!」
『あっ、そっか! んなら、早くそれを言えよ! 津路』
自信をつけた健心が美子都に
「忘れました!! お土産」
『健心ーーーーー!!! あんたね、§◆☆Σ〓○&・・・』
「・・・はい、・・・はい・・・申し訳ございません・・・はい・・・はい」
「津路の嘘つき!!!」
萌仁香は津路に
『津路君・・・あの二人は、ずっとあのままだから』
「・・・そうだな」
ようやく美子都にお許しをいただいた健心は
「今度の土曜日・・・蒼さんを連れて」
『うん!』
すると、津路は
「俺、ナッちゃんと軽井沢によってから、向こうで合流するから」
「そっか、そうだったな」
花風莉のダリアが、夕陽にあたって、より綺麗にひかり輝いていた。
マコト (月曜日, 18 7月 2016 21:07)
『津路さん・・・このお花畑が・・・』
「・・・そうだよ、蒼さん」
蒼は、栞の写真を胸に抱いて、
畑一面に咲き誇るダリアを見つめていた。
そして、栞の写真を優しい顔で見つめ
『栞・・・ここが理さんのお花畑だよ・・・見えるでしょ』
『本当に綺麗だよ・・・理』
『ありがとう
・・・理 』
仲間達と、夏美も多香子も達也も、
そして、百合子と颯太も、
村の人たちも、
皆が、蒼のそばに立って、まるで太陽のように光り輝く一面のダリアを見つめていた。
蒼は、振り向き、そして仲間達に向かってこう言った。
『ありがとう、津路さん』
『ありがとう・・・みなさん』
『わたし・・・みなさんに会えて良かった』
そして蒼は、百合子のそばに言ってこう言った。
『百合子さん・・・理は、いえっ・・・優さんは、百合子さんのそばで、幸せだったんですよね・・・ありがとう』
そう言って、百合子の手を握った。
百合子は、涙をいっぱいにためて、それでも笑顔で
「・・・はい」
そう応えて・・・、
でも、こらえきれずに、蒼の胸に顔をうずめて声を出して泣いた。
百合子も、気をしっかり持ち直して、みんなに向かってこう言った。
『わたし・・・理さん・・・優さんに逢えて幸せでした。 でも、これからも幸せでいれるのは、みなさんが居てくれたからです』
『わたし・・・みなさんに会えて良かった』
そう言って、ダリア畑の方に振り向いて大声を出した。
『優さーーーん! これからも、私を守ってね!』
それを聞いた蒼も
『理ーーー! これからも、私を守ってね!』
と
二人の間に走り寄ったガッツが
「ワン! ワン! ワン!」
と
風が吹いて、かすかではあったが、ダリアの優しい香りがした。
栞と蒼と理と百合子編 ~ 完 ~
マコト (水曜日, 20 7月 2016 20:29)
その日は、花風莉のフラワーアレンジメント教室の日だった。
美子都は、その教室に生徒として参加していた。
『あぁ~、お腹すいたぁ』
「大丈夫よ! ちゃんと用意してあるから~」
レッスンも終え、ようやく美子都のお楽しみの時間となったのである。
美子都の前に、あんドーナツとフルーツゼリーが、花風莉オリジナル珈琲と一緒に並べられた。
『やったぁーーー!!! さすが萌仁香先生!』
「気に入っていただけたかしら?」
『ありがたく、いただきます! う~ん、美味しい~~~』
“花風莉のフラワーアレンジメント教室の生徒”となることは、美子都の念願だった。
噂によると、アレンジメントの技術習得よりも、おやつがお目当てだという話もあったが、いずれにせよ、生徒になったのである。
こんなふうに、仲間達の生活も、普段通りの生活に戻っていた。
その日の教室では、“優の花農園”のダリアが教材として使われた。
実は、“優の花農園”のダリアは、科沼で静かなブームとなっていたのである。
マコト (水曜日, 20 7月 2016 20:50)
美子都は、携帯を取り出し、あんドーナツとフルーツゼリーの写真を撮り、LINEで、どこかに写メを送っていた。
そんな様子に気付いたミーちゃんが
「え~、美子都さん・・・どこに送ったんですか?」
『うん? 仲間達よ! 自慢してやったの! ほらぁ~、旨そうだろう! どうだぁ、どうだぁ! って』
そう言って、美子都は満面の笑み
「仲良しでいいなぁ・・・ みんな高校の時のお友達でしょ?」
『そうよ! 32年ぶりに同窓会をやって仲良くなった人も、たくさんいるのよ!』
「私も、歳をとってから、美子都さんのように仲良くお付き合いできる人がいるのかなぁ・・・」
『いるわよ! 私が、この花風莉にくるようになったのだって、萌仁香と一緒に同窓会の幹事をしたのがきっかけだもの』
「そうでしたよね」
『だから、幹事長の可夢生には感謝してるんだ!』
「えっ? 可夢生さんに?・・・だって、その時の代表をしたのはケンちゃんさんですよね?」
『あぁ~、あいつはお飾りよ!』
「お飾りぃ~?」
『そうよ! 人には、それぞれに役割があるのよ!』
「ふ~ん・・・その役割が、お飾り?・・・分かんない」
『いいの、いいの! ミーちゃんも私ぐらいの歳になれば、その意味が分かるようになるわよ!』
「ふ~ん・・・ねぇ、美子都さん・・・」
『なぁに、ミーちゃん・・・』
「寛司・・・寛司は元気にしていますか?」
『あっ、そっかぁ・・・ミーちゃんは、うちの寛司と高校の時の同級生だったのよね!』
「はい・・・」
マコト (木曜日, 21 7月 2016 06:41)
美子都は、笑顔でこう続けた。
『寛司、元気にしているわよ! 今年から社会人一年生、それなりに苦労しているみたいだけど・・・』
「そっかぁ・・・頑張ってるんですね、寛司・・・会いたいなぁ」
『あらっ、そうなの? じゃぁ、寛司に言っておくわよ! 』
朝倉寛司、23歳
母、朝倉美子都(53歳)
父、大槻玲飛(美子都の元夫)
寛司は、今年、帝応大学を卒業し大手製薬会社に入社した。
製薬会社での職種は、SAS
分かりやすく言えば、医薬品開発業務の仕事だ。
この業界では、異例中の異例で、大学院の研究生を経ることなく、その才能を買われて入社した。
将来の医薬品開発の第一人者になると期待されている男である。
マコト (木曜日, 21 7月 2016 19:34)
「ただいま、母さん」
『おかえり、寛司 お風呂にする? 食事にする? それとも・・・』
「・・・・・
母さん、いい加減、そのくだりは止めてくれよ! それ、意味分かって使ってんの?」
『えっ?』
「・・・まぁ、いいか・・・言っても治らないんだから」
『はっ? なんか言った?』
「なんでもない!」
『食事してきたの?』
「あぁ、友達と済ませてきたよ!」
『友達って、誰と?』
「はぁ? いいだろう、誰だって!」
そんな返事をすると、必ずライダーキックが飛んでくるのである。
「わ、わ、分かったよ! 言うよ! 愛子とだよ!」
そんな初耳の女の子の名前を聞くと、必ず美子都ノートを取り出し
『はい、ちゃんと言って! まず、名前は?』
「え~・・・もう俺は23にもなったんだから、いい加減に子離れしてくれよ!」
老眼鏡をかけ、ノートに向かう美子都は、寛司のそんな返事に表情を変えると、ウェストポーチを持ち出し、それを腰に付けて、
『昭和の女をなめるなよ! ライダー~~~変身! トォー!!!』
と、重い体にムチ打って飛び跳ねた。
「わ、わ、分かった、言うよ! 」
『はい、名前!』
「片桐愛子さん」
『片桐? まぁ、いいか』
『はい、年齢!』
「23歳、僕と同い年だよ!」
『仕事は?・・・』
質問は、次から次へと続いたのである。
この時の美子都は気づいていなかったが・・・
片桐愛子、23歳
父は、片桐壮健なのである。
愛子は、明知大学を卒業し、今年、寛司と一緒に入社した女の子
職種は、CRC
分かりやすく言うと、治験関連の事務作業、業務を行うチームの調整など、治験業務全般のサポートを行うチームに配属されたが、主に治験に協力いただける被験者さんへの対応を任されることになるのだった。
美子都は、老眼鏡をおでこに乗せ上目づかいで聞いた。
『彼女?』
「はぁ?・・・」
マコト (木曜日, 21 7月 2016 22:13)
『まっ、今日のところは、これぐらいでいいか!』
と、ようやく寛司を解放した美子都
寛司は、やれやれとお風呂へ
風呂から出てきた寛司が、ポンポンで部屋を歩いていると
『あなたねぇ、お母さんだって、一応レデェーなんだから!』
「はっ? レデェー?」
『そうよ! レデェーでしょう!』
「・・・あっ、レディね・・・母さん! 明日、また早いから先に休むよ!」
と、美子都は何かを思い出したように
『あっ! 寛司! 話があったんだわ』
「なに? 早く言ってよ! 団子」
『花風莉のミーちゃんが、あなたに逢いたがっていたわよ!』
「花風莉? ミーちゃん? 誰? それ」
『え~、あんた花風莉を知らないの?』
「・・・うん」
『今ね、長野からダリアを取り寄せてね、すごい人気のお花屋さんよ!』
「ふ~ん・・・で、ミーちゃんって?」
『進藤・・・進藤美優ちゃんよ!』
「あぁ、進藤かぁ・・・って、進藤、お花屋やさんやってるの?」
『うん! お母さんと一緒にね!』
「高校卒業してから、会ってないけど・・・覚えていたんだ? 俺の事」
『もちろんよ! 逢いたがっていたわよ! あなたに』
「ふ~ん・・・」
マコト (金曜日, 22 7月 2016 00:05)
翌日・・・
「愛子! おはよう」
『あぁ、朝倉君! おはよう』
母親のライダーキックに、歩き方がぎこちない寛司に、
『どうしたの? びっこひいてるけど・・・』
「あっ、いやっ・・・ちょっとね」
子離れできない母親に、ライダーキックをくらってと、さすがに言えない寛司は、その場をうまくやり過ごした。
『じゃぁ、今日も一日頑張ろうね!』
「おぅ!」
相武紗季似の愛子の入社に、社内では、すでに愛子の争奪戦が勃発していたのだった。
実は・・・寛司もそのうちの一人であったのである。
ちなみにではあるが・・・
寛司は、朝倉美子都似である。
美子都をそのまま23歳の青年にすると、寛司になるのであった。
マコト (金曜日, 22 7月 2016 12:31)
その週末・・・
アレンジメント教室を終えた美子都が、お楽しみのティータイム中に
『あっ! そうだ! ミーちゃん・・・寛司に話しておいたからね!』
「えっ? ホンとですかぁ・・・あ、ありがとうございます」
美優は、至極嬉しそうに笑った。
美優が、
「寛司は、なんて言っていましたか?」
と、聞こうとしたが、美子都は、好物の“みたらし団子”でシマリス状態。
“話しかけてくれるなオーラ”を発していた。
「み、美子都さん・・・」
と、次の言葉を飲み込んでしまった美優は、それでも、美子都の言葉を信じて両手を胸の前で合わせ
「良かった!」
と、店の仕事に戻って行った。
若い女の子の恋心を理解できる者であれば、その時の美優の笑顔が、寛司に対する特別な想いがあるのかもと、感じていたであろうが・・・
残念ながら、その時の美子都には、それと感じる感覚は持ち合わせていなかったのである。
昭和の女が、“淡い恋心”というものから遠ざかってしまったがためなのか、
はたまた、ただ単に、鈍感だったためなのか。
いずれにせよ、美子都がもう少し、美優に気を使っていれば・・・
ティータイム中は、それまでの生徒とは別人のように元気な美子都だった。
そんな時だった。
花風莉の駐車場に、1台の車が停まった。
それに気付いた萌仁香が、
「あらぁ、健心だよ! あれ、健心の車だよね!」
美子都が外に目をやると、健心と、もう一人若い女の子が車から降りてきた。
『えっ?・・・誰? 誰なの?・・・』
マコト (金曜日, 22 7月 2016 22:09)
まさか、美子都が花風莉に来ていようとは・・・
健心は、美子都に見られているとも知らずに、花風莉の駐車場で指をさして、女の子になにやらお店の説明をしているようであった。
美子都が、その日、たまたま車検で代車を乗ってきていたがために・・・
美子都は、険しい表情に変わっていた。
『誰なのよ!』
と、その女の子をみると、若いころの“森高千里さん”にそっくりな女の子だった。
『へぇ~、健心のストライクど真ん中な女の子ね!』
サラサラな長い髪が、印象的な女の子だった。
それでも、ノースリーブのカットソーにカジュアルなデニムパンツとスニーカー
女の子、女の子することもなく、ボーイッシュでまさに健康美溢れるという表現がぴったりな女の子だった。
普段、美子都には見せたことのないようなアヒルな、あっ、いやっ、ニヒルな健心に、
『な~んか、あったまきた!』
と、ようやくシマリス状態を脱した美子都が、店を飛び出していった。
「美子都ーーー!!!」
と、萌仁香の制止も聞かずに。
マコト (土曜日, 23 7月 2016 18:10)
花風莉の駐車場で・・・
『あ~ら、健心! こんにちは!』
「おぉ~ 美子都!」
少しは落ち着いて話せばいいものを、美子都は
『そちらの女性は誰? ずいぶんと綺麗な女の人を連れて歩いているのね!』
と、鬼の形相で健心に言った。
「だ、誰って・・・」
『はぁ~ 言えないような間柄なんだ!』
「はっ?・・・」
と、次に健心が言った言葉に美子都は・・・
マコト (月曜日, 25 7月 2016 08:16)
5分後・・・
花風莉の店の奥にあるテーブルには、
笑顔の萌仁香と美優
健心と髪の長い女の子
鬼の形相だった美子都は・・・
ひとり、小さくなっておとなしく座っていたのである。
「ねぇ~ 美子都・・・ 食べないの?」
と、萌仁香がみたらし団子を美子都に差し出したのに
『あっ、わたし・・・私は、さきほど美味しくいただきましたので・・・』
「はぁ? 珍しいこと言うのね、美子都!」
『そ、そんなぁ・・・私は、本当にもういただきましたから・・・萌仁香さん』
「はっ? なに? も、萌仁香さん? さん? って、なによ、気持ち悪いわねぇ 美子都! いつものように食べなよ! 美子都」
腹の中では、
『もぉ~、いい加減にして! 私を、そんなにいじらないで!』
と、思っていた美子都であったが、
『あっ、わたしは、本当に・・・ホッ、ホッ、ホ』
そんな美子都に、健心は、こう言って助け船を出したのである。
「大丈夫だよ、美子都! 全部、話してあるから!」
髪の長い女の子も
『はい』
と、美子都に微笑んだのだった。
マコト (月曜日, 25 7月 2016 12:59)
実は、5分前・・・
健心は、駐車場で鬼の形相の美子都にこう言っていたのである。
「娘の梨花(リカ)だよ!」
『えっ? ・ ・ ・ り、り、梨花ちゃんだったの?・・・』
梨花は笑顔で
『こんにちは、美子都さん!』
『あっ・・・あ、こ、こんにちは』
それならそうと早く言ってくれよ! という眼差しの美子都であったが、自身も、健心の話を遮るように話していたことは分かっていたので、その時の美子都は、鬼の形相をただひたすら“仏の美子都”の顔へ戻すことに全力を費やすことしか出来なかったのである。
梨花とのそんな初対面を終え、花風莉に入った直後であったがために、元気のない美子都だったのである。
小野寺梨花、23歳
父親は、小野寺健心
母親は、奥谷希咲(健心の元妻)である。
希咲に似て、美人である。
梨花が笑うと、希咲が笑ったときの“あの笑顔”が思い出される。
仲間達の誰もが
『わぁ~、その笑い方・・・希咲にそっくりね』と
そんな梨花であるが、なぜ、“森高千里”さんに似たのかは不明であるが、長い髪が印象的な女の子だ。
今年、早畑大学を卒業した梨花は、ある製薬会社に就職した。
そう、その製薬会社は寛司が勤務する会社とはライバル関係にあり、常に技術競争、販売競争を繰り広げている会社なのである。
梨花は、愛子と同じように「CRC」
主に治験に協力いただける被験者さんへの対応を任されることになるのだった
仲間たちが、花風莉で談笑しながらも、
『はぁ・・・』
と、ため息をつき、元気のない美子都
健心の娘・梨花に初めて会った美子都は、とんでもない初対面の印象を与えてしまったと悔いたが、時すでに遅しであったのである。
マコト (月曜日, 25 7月 2016 20:06)
だが、梨花はとても気の優しい女の子
しかも、健心から、美子都がどんな女の子であるのか聞かされていたため、
「皆さん、ホンと楽しい人達ですよね!」
と、美子都に声をかけた。
『えっ?・・・そ、そうでしょう!』
と、それまで黙っていた美子都であったが、ようやく普段の優しい美子都に戻った。
そして
『ねぇ、ねぇ梨花ちゃん! このみたらし団子はね! ・・・』
その後、美子都がどうしたのかは容易に想像がつくであろうから、説明は割愛する。
美味しそうにみたらし団子を頬張る美子都を優しく見守る梨花に、萌仁香が聞いた。
「ねぇ梨花ちゃんはいくつなの?」
『はい、23歳になりました。 今年、社会人一年生です』
「えっ? じゃぁミーと一緒じゃない?」
『えっ? ミーさん? ですか』
「うん! うちの娘よ! 待って、いま、呼ぶから! ミー! ミー、こっちに来なさいよ!」
呼ばれた美優が、テーブルのある部屋に来た。
「ミー、健心の娘さん! 梨花さんよ!」
『えっ? ケンちゃんさんの? ・・・こんにちは、美優です』
『こんにちは、梨花です』
萌仁香が、
「梨花さんね、あなたと同い年なんだって!」
『え~、ホンと? じゃぁ、ぜひお友達になりたいなぁ』
そんな美優に梨花も、笑顔で
『はい! 私も、ぜひ!』
その時が、美優と梨花の初めての出会いであった。
マコト (月曜日, 25 7月 2016 20:08)
健心が、店内に目をやると、そこには店いっぱいにダリアが置かれてあった。
「たくさんあるね!」
萌仁香も嬉しそうに
「うん!」
萌仁香、健心と美子都は、感慨深げにダリアを見つめていた。
「ほんと、綺麗よねぇ・・・」
健心が、梨花に説明しようと
「梨花! このダリアがな・・・」
と、振り向くとそこにはもう梨花はいなかった。
「・・・って、いねんかい! どこ行った?」
面々が、店の外に目をやると、美優と梨花が庭先で談笑していた。
『ねぇ、健心・・・二人は、もうすっかりお友達になったみたいね!』
「あぁ、そうだな! 萌仁香」
年寄り組の三人が、二人の様子を見ていると、梨花が
『やったーーー!!!ホンとだぁ~ すごい! ゲットできたぁ』』
と、スマホを突き上げた。
(美子都)『何してるのかしらね? あの二人』
(健心)「ポケモンGOじゃねー?」
(美子都)『はぁ? なにそれ?』
(萌仁香)「えっ? ま、ま、まさか知らないの? ポケモンGO」
(美子都)『・・・う? うん・・・』
(萌仁香)「梨花ちゃん・・・きっと、レアなポケモンをゲットしたんじゃないのかな?」
(健心)「えっ? いるの?」
(萌仁香)「うん! いるよ! 花風莉の庭にね!」
(健心)「えっ? 早く言ってくれよ! 俺も捕まえてくるわ!」
庭先では、美優と梨花、そして健心が、スマホを見せ合い、なにやら会話をしている。
(美子都)『ねぇ、萌仁香・・・』
(萌仁香)「なぁに? 美子都」
(美子都)『あの人たち、いったい何をしているの?』
(萌仁香)「だから・・・ポケモンGOだって!」
(美子都)『 (-_-)zzz 』
健心が帰ってきた。
(健心)「ありがとね! ゲットできたよ!」
(萌仁香)「どういたしまして! なんかねぇ、お花の匂いで、いろんなポケモンが集まってくるみたいよ!」
(健心)「そなんだ! 分かった、時々捕まえにくるから!」
(萌仁香)「いつでも、どうぞ! 私は、もうたくさんゲットしたわよ!」
(健心)「すげーな!」
(美子都)『 (-_-)zzz 』
美優と梨花は、庭でいつまでも楽しそうに会話をしていたのだった。
マコト (火曜日, 26 7月 2016 12:57)
「お~い、梨花! そろそろ帰るぞ!」
『は~~い!』
帰り支度をしながら梨花は、美優に
「じゃぁ、近くなったら連絡するね!」
『うん!』
(萌仁香)「えっ? あなたたち、もう何か約束したの?」
(美優)『いいでしょ! なんだって』
(萌仁香)「何か、楽しいこと決めたんでしょ! お母さんたちは抜きで!」
(美優)「そうよ! 楽しいこと」
(萌仁香)「え~ 私にも教えてよ!」
美優は、萌仁香の言葉に梨花の方を向いて、
(美優)「うるさいでしょ~! うちの親」
そんな会話に健心が加わった。
(健心)「梨花! なんだ? またコンパでもやるのか?」
(梨花)「うん! お父さんも来る?」
(健心)「そうだなぁ・・・どうしようかな?」
と、そんな会話になれば美子都も黙っていない。
(美子都)『は~ぁ??? コンパ? 健心が? 出るの?』
(健心)「あぁ・・・梨花から誘われちゃさぁ・・・」
(美子都)『なに考えてるのよ! この53歳のオヤジわ!』
すると、梨花がこう言って笑ったのである。
(梨花)「美子都さん・・・お父さんとは、いつもこんな感じで話すんですけど、もちろん一度もついてきたことないですよ!」
(美子都)『はっ?』
(梨花)「うちの親子は、隠し事をしないようにしていたら、何でも話すようになっちゃって・・・お父さんには、全部話すんです」
(美子都)『そ、そうなの? 健心』
(健心)「あぁ・・・この歳になってコンパだなんて・・・そんな“年寄りの冷や水”みたいなことしないよ!」
(美子都)『いやいや、そっちじゃなくて・・・梨花ちゃん、何でも話してくれるの?』
(健心)「うん? あぁ、話すね・・・」
(美子都)『そうなのねぇ・・・』
その時の美子都は、自分の息子・寛司と・・・思い出していた。
美子都は、健心だけに聞こえるような小声で
(美子都)「ねぇ、健心って、うるさい父親だったの?」
(健心)「その逆だよ! な~んも言わないし、聞かない! あまりにも聞かないから、逆に言ってくれるんじゃないの? よく、分かんないけど・・・まぁ、親は子供を信じてやるしか出来ないからさ!」
そう言って笑った。
母と息子
父と娘
性別は違っていても、親子であることには変わりはない。
その時の美子都は、健心親子が、とてもうらやましく思えたのであった。
マコト (火曜日, 26 7月 2016 21:24)
花風莉を出た健心と梨花
車に乗り込んで直ぐに梨花が
『友達に電話してもいい?』
「あぁ、いいよ!」
梨花は、サンキューとスマホを取り出し
『あっ、朝彦? うん・・・うん・・・あのさ、お友達が出来たの! 同い年の子・・・うん・・・えっ? 美優ちゃん!・・・うん・・・お花屋さん・・・そう・・・うん?花風莉っていうお店・・・うん・・・でさ、飲もうよ! ・・・うん・・・うん、分かった!・・・うん、じゃぁその時!』
電話を終えた美優に健心は
「朝彦・・・元気にしてるか?」
『うん! お仕事も頑張ってるよ!』
「そっかっ・・・お前らがまさか同じ会社に勤めるようになるなんてなぁ」
『そうねっ』
新城朝彦 23歳
父親は、新城可夢生である。
高校時代から、可夢生の家によく遊びに行っていた健心は、朝彦のことをよく知っていた。
朝彦が梨花と同じ会社に就職したことも、なんでも話してくれる梨花から聞いて知っていたのである。
当然、健心から朝彦のことをいろいろ聞かされていた梨花が、朝彦と仲良くなるのは至極当然であった。
朝彦は、“綾野剛”似の今どきの好青年である。
父親の可夢生の血をしっかり受け継いだのか、正義感、責任感の強い同性からも好かれるタイプの男である。
「楽しく飲んで来いよ!」
『うん!お父さん』
「軍資金はいらないのか?」
『え~、お父さん! 私はもう社会人よ! いつまでも子ども扱いしないでよ!』
「いやっ、いくつになっても父さんの子どもには、違いないだろう?」
『えっ? ・・・そっか! じゃぁ、お言葉に甘えて』
「 (-_-)zzz 」
『寝るなぁーーー!!!』
結局は、健心の財布から「キジ」が飛んで行ったのであった。
さようなら・・・福沢諭吉様 また会う日まで。
マコト (火曜日, 26 7月 2016 21:25)
健心と梨花が帰ったあと・・・
花風莉には、元気のない美子都がいた。
「どうしたの?美子都・・・」
『えっ? なに? 萌仁香』
「もぉ~、ぼーっとして! 何か考え事していたの?」
『あっ、いやっ・・・なんでもない』
「あのね! なんでもない人が、そんな顔してないから!」
『えっ? なに? 変な顔してる?』
「もぉ~・・・美子都」
実は・・・
その時の美子都は、娘の桃子のことを思いだしていたのであった。
桃子、 25歳
父親は、大槻玲飛
母親は、朝倉美子都
それは、桃子が15歳の時だった。
その時の桃子は、両親の離婚には反対はしなかった。
だが・・・
桃子は、父親の玲飛と暮らすことを選んだのである。
美子都は、玲飛と離婚してから、桃子とは一度も会っていなかった。
美子都は、そのことに納得がいかなかった。
『どうしてお父さんなの? 私のどこが気に入らないの?』
桃花は、決して答えなかった。
それ以来、親子としての連絡も取らず、10年が過ぎていた。
桃花は、玲飛が美子都に会うことは、拒否はしなかった。
だが、玲飛に一つだけ条件を出していた。それは、
「お母さんには、私のことは、何も話さないでね!」
だった。
母と娘でありながら、連絡ひとつ取れない美子都
健心と梨花の仲良しなところを見せられ・・・
「ねぇ、美子都・・・」
『なぁに、萌仁香・・・』
「あのさっ、間違っていたらごめんね! 美子都・・・もしかして桃子ちゃんのこと考えていたんじゃないの?」
『えっ?・・・』
マコト (火曜日, 26 7月 2016 21:27)
突然に萌仁香にそんなことを言われ、思わず“すっとんきょう”な顔になってしまった美子都。
『な、なんで分かるのよ・・・萌仁香』
「えっ? だって、同じ釜の飯を食べてきた仲間でしょ!」
『う~ん・・・その同じ釜の飯っていう部分が微妙な使い方だけど・・・うん・・・』
「やっぱりそうだったのね・・・美子都・・・梨花ちゃんを見ている時の美子都・・・いつもと違っていたんだもの」
『えっ? 違った?』
「うん! 梨花ちゃんを健心の娘とは知らずに、健心につっかかっていったことをいじっていたけど・・・美子都・・・もしかしたら桃子ちゃんと重ね合わせているのかなぁって・・・だからさっきは、賑やかにしてあげた方がいいかなぁって思ってさ! たっぷりいじった訳よ」
『萌仁香ぁ・・・そうだったのね、ありがとう! さすが私の竹馬の友ね!』
「う~ん・・・その竹馬のっていう部分が微妙な使い方だけど」
「ねぇ、美子都・・・桃子ちゃんは元気にしているんでしょ?」
『・・・それが・・・分からないんだ』
「えっ? 玲飛に聞いてないの?」
『・・・うん』
「どうして?・・・美子都」
『だって・・・私が捨てた娘だもの・・・』
「はぁ? 捨てた? それは違うわよね! 美子都」
『だって・・・』
下を向いて涙ぐむ美子都に萌仁香が
「ねっ、美子都! 私が、それとなく玲飛に聞いてみようか?」
その時の美子都の判断が、悲劇をさらに加速させることになろうとは・・・
美子都も萌仁香も知る由もなかったのである。
『えっ?・・・でも・・・』
「大丈夫よ! 私、聞いてみるから」
『う~ん・・・』
マコト (火曜日, 26 7月 2016 21:28)
実は・・・
桃子は、玲飛の反対を押し切って19歳で結婚していた。
もちろん、そのことを美子都は聞かされていなかった。
桃子は、20歳で子どもを授かった。
難産であったが、無事に優希(ゆうき)という男の子が生まれた。
そう、美子都の孫だ。
桃子の夫は、仕事に追われ、出張続き。
優希が熱を出しても、母親という頼る場所がなかった桃子は、一人で必死に頑張った。
孫が熱を出したと、飛んできてくれる人が誰もいなかったからだ。
若くして結婚した二人には、当然のように経済的にも苦労した。
そのため、桃子は、優希を生後6カ月から保育園に預け、自分もパートで働いた。
誰かに甘えたいときもあった。
それでも桃子は、自分で選んだ道が間違いではなかったと思いたいがために、決して泣き言は口にしなかった。
大好きな人との暮らしは、とても幸せなものだったからだ。
そう・・・幸せだったのである。
それは、優希が5歳になって、保育園にも楽しく通っていたある日のこと
あることが起きた。
その日を境に桃子の人生は・・・
そのことを美子都は知らなかったのである。
マコト (水曜日, 27 7月 2016 21:56)
梨花と美優は、「居酒屋ニチョウ」にいた。
『この居酒屋さんって、個室だったのね!』
「あれっ? 梨花は、ここ初めてなの?」
『うん・・・なかなか来る機会がなくてさ・・・』
「素敵なお店でしょ!」
『うん!』
「お料理もね、リーズナブルなのよ! あっ! 美優、聞いて!今日ね、私のお財布に福沢さんがいるのよ!」
『はっ?』
「ケンちゃんさんが、楽しく飲んで来いって出してくれたの!だから、今日は私に任せて!」
『ケンちゃんさんって・・・ケンちゃんさん?』
「そう!」
『へぇ~ 優しいお父さんでいいなぁ』
「え~・・・ただのオヤジだよ! すごくストイックにダイエットしたかと思えば、今は臨月に近いし・・・最近は温泉が趣味で、一緒に連れていかれるし・・・とても不思議な人」
『え~ でも仲良しよねぇ』
「仲良しかなぁ・・・よく分かんないけど・・・早く再婚してもらって、私もお嫁さんに行かなきゃ!」
『へぇ~ お父さんに再婚してもらいたいの?』
「そうねぇ・・・だって、これからボケた時に・・・私が面倒みるの? まぁ、娘だからそれは仕方ないことでしょうけど・・・できればねっ」
『・・・そっかぁ』
『しかし、遅いわねぇ・・・ 朝彦!』
「えっ? いま、朝彦って言った?」
『そうよ! えっ? どうかした?』
「ねぇ、その朝彦っていう人・・・綾野剛に似てる?」
『えっ? うん! 似てる!』
「朝彦って、新城朝彦君?」
『当たり~! 私と一緒に入社した同僚!』
「私の高校の時の同級生だよ!」
『えっ? そうだったのぉ~』
「へぇ~ 朝彦君が来るのかぁ・・・懐かしいなぁ、朝彦君が梨花と同じ会社に就職していたなんて、びっくり~」
『ほんとね、びっくり! えっ? じゃぁ、もう一人も美優の同級生ってこと?』
「えっ? どういうこと?」
『朝彦が言っていたの! 高校の時の同級生を連れていくよ! って』
「うそ~、なんか同窓会みたいになりそう! でも、誰が来るんだろう・・・」
期待に胸を膨らませる美優であったが、この時の出会いが、それぞれの人生を大きく動かすことになろうとは、思ってもいなかったのである。
マコト (水曜日, 27 7月 2016 22:12)
30分後・・・
朝彦が、梨花と美優の待つ部屋に現れた。
「ごめん、梨花! 仕事が伸びちゃって・・・」
『お疲れ~ 朝彦! 大丈夫よ! 先に女子二人で楽しんでいたから』
「ごめん、ごめん」
『あれっ? 朝彦・・・もう一人連れてくるって言ってたよね?』
「あぁ・・・来てるんだけど、それがさぁ・・・」
と、入り口の方を向く朝彦
『どうかしたの?』
「・・・うん? う、う~ん・・・早く入って来いよ! 寛司!」
「えっ?・・・」
至極申し訳なさそうに朝倉寛司が入ってきた。
「ちわっ」
寛司が現れて、一番驚いたのは美優だった。
『か、寛司くん?・・・』
寛司は、右手を頭の後ろにやって
「よっ、進藤・・・おふくろからは聞いていたんだけど・・・こっちから連絡もせずに・・・ごめん、進藤」
『びっくり~~ 久しぶりね、寛司くん!』
「あぁ、進藤・・・綺麗になったな」
そんな会話に
『ねぇ~ そちらのお二人さん! 挨拶はそこそこに、早く、始めようよ!』
「ご、ごめん・・・」
『ゴメン、梨花』
その部屋に四人が揃った。
それは、みんな同い年の23歳
偶然にも、梨花が誘ったのが、美優の同級生の朝彦
そして、朝彦が誘ったのも、同級生の寛司だったのである。
結果的に、美優は逢いたかった寛司と久しぶりの再会をはたし、朝彦も加わって、プチ同窓会となったのである。
そう、その時が寛司と梨花が初めて出会った時だったのである。
この時の四人は、自分の親たちが、みんな高校の同級生であることを知るはずがなかった。
当然、寛司と梨花も、まさか自分の母親と父親が婚約していようとは・・・
「かんぱ~~い」
四人が意気投合するのに、時間はまったく必要なかった。
マコト (水曜日, 27 7月 2016 22:15)
「えっ? うそ? 本当にその会社なの?」
それは、梨花と朝彦が、寛司と同じ業界の会社に勤めていることを聞かされたときの寛司の驚きの声だった。
寛司は、驚いて一瞬考え込んだが、それでも
「お互い、切磋琢磨して頑張っていこうな! 梨花ちゃんとも、せっかく友達になれたんだし、俺たちで医薬品業界を支えていくんだ! みたいなさ!」
と、笑った。
梨花も朝彦も
「そうだよな! きっと縁あってこうして出会えたんだから、大切にしていこうぜ! 俺たちの付き合いをさ」
「おぉ、そうだな 朝彦! 梨花ちゃん!」
それを見守る美優は、寛司から視線を外すことなく
「頑張って! 寛司君!」と
梨花が
『え~ 美優・・・寛司君にだけ?』
「ご、ごめん・・・梨花も朝彦君も!」
「次、なに飲む?」
『わたし、カシスリキュールがいいな!』
「おっ! 梨花ちゃんは、カシスリキュール! あとは?」
『私は、ブラッディ・メアリー! 寛司君よろしく!』
と、梨花がこんなことを言った。
『ねぇ、美優・・・なんか寛司君に幹事クンをお願いしているみたいだよ!』
「えっ? ほ、ほんとね!」
『じゃぁ、わたしは・・・そうねっ・・・よし! “カンチ”って呼ぼうかな! カンチ!』
寛司は
「あぁ、好きに呼んでくれて構わないよ! 進藤も寛司でいいぞ!」
『え~ そうしたらカンチだって、美優!って呼んであげなよ! 私は、梨花! そうしてよ! カンチ!』
「そうだな、梨花! じゃぁそうしよう、美優、ブラッディ・メアリーだよな!」
美優は、少し恥ずかしそうに
「う、うん・・・よろしくね、か、か、寛司」
それから四人は、名前を呼びあうようになった。
梨花だけは、朝倉寛司を“カンチ”と呼んだ。
マコト (木曜日, 28 7月 2016 21:22)
四人の初めての飲み会も終わりの時間になった。
最後に寛司が、こんなことを言った。
(寛司)「また飲もうぜ!」
(梨花)『そうね! ぜひ』
(朝彦)「あぁ、そうだな!」
(美優)「私も!」
(寛司)「なぁ、みんなに頼みがあるんだけど・・・、次回は、俺と同期入社の女の子も呼んでいいかな? “愛子”っていうんだ」
(梨花)『同期の?いいんじゃないの、楽しそう! ねっ、美優!』
(美優)「うん!」
(寛司)「愛子は、同い年で、梨花と同じCRCなんだ!」
(梨花)『えっ? じゃぁ、ぜひお友達になりたい!』
(美優)「ねぇ・・・そのCRC? って、なに?」
(寛司)「そっか、美優には、なんのことか分からないよな! CRCは、医薬品業界の職種の一つで、主に治験に協力いただける被験者さんへの対応が仕事なんだ!」
(美優)「ちけん? 亀丸検事のいる?」
(寛司)「はっ? 検事?・・・あぁ、その地検じゃぁないんだぁ美優」
(梨花)『カンチ! 私が、美優に説明してあげるね!』
(寛司)「あぁ、その方がよさそうだな!」
(梨花)『あのね、新しい医薬品は、それを販売するためには、臨床試験が必要なの。その試験が治験と呼ばれるものなんだけど、製薬会社が実施計画書をつくり、医療機関に依頼する形が一般的なのよ。 私のお仕事、CRCが、病院で行う治験の際に、協力いただける被験者さん・・・う~ん・・・そのお薬が有効か、有効ではないのかって、実際にお薬を試していただく方・・・その方へのいろんなケアをさせていただくのが、私のお仕事なの』
(美優)「大変なお仕事なのね・・・」
(梨花)『う~ん・・・そうねぇ・・・私たちのような医療機関の職員が被験者になることは禁じられていないんだけど・・・参加を断ると不利益を受けるおそれがあるとして、自発的な参加同意に十分な配慮が必要とされるの・・・要するに新しいお薬を人体実験する訳だからね・・・たくさんのリスクもある訳だし・・・』
(美優)「なんか、すごく難しい話・・・私にはよく分からないけど、これだけは言えそうね! みんな、命を救うお仕事に携わっているのね」
(梨花)『・・・そうね』
(美優)「じゃぁ、私は、みんながいつも心が癒されるように・・・」
(梨花)『美優! その先は私に言わせて! 私たちは、花風莉のお花に癒されて頑張ります!』
(美優)「梨花・・・うん!」
美優も梨花を嬉しそうに笑った。
マコト (木曜日, 28 7月 2016 23:39)
四人が、店を出て外でタクシーを待っていると、梨花が寛司の隣に行って、
『ねぇ、カンチ! アドレス交換しよう! まずは、LINEから!』
「はいよ!」
そんな二人の様子を美優は、一歩下がって見守っていた。
心の中では
「美優も交換しようぜ!」
と、寛司が言ってくれるはずだと思いながら。
なぜか、寛司と美優が楽しそうにやり取りする様に、変な気持ちを覚えた美優だった。
「えっ? なに? この気持ち・・・美優のバカ! 子どもじゃぁあるまいし!」
交換を終えた二人だったが、その後も談笑していて、美優が描いていた展開には、なりそうになかった。
梨花のように自分から頼もうかと悩んだ美優だったが、うまくそのタイミングがつかめなかった。
そしてようやく、決心がついたとき・・・
「えっ?・・・」
タクシーが、到着してしまったのである。
「じゃぁ、また!」
『じゃぁね! カンチ!』
「おっす! 美優もまたね!」
『あっ、・・・う、うん、またねぇ寛司 朝彦も、またね!』
タクシーを見送った美優と梨花
『さっ、私たちも帰ろう! 美優』
「うん!・・・って、私たちのタクシーは?」
その言葉に梨花は、広い駐車場を見渡し
『ほらっ、あそこに停まってるよ』
「えっ?」
それは、健心タクシーだった。
「え~~ ケンちゃんさんが迎えに来てくれたの?」
『うん!』
「えっ? ケンちゃんさんって、娘のことが心配で、迎えにまで来てくれるの?」
梨花は笑ってこう言った。
『そんなことしないわよ! うちのケンちゃんさんわ!』
「えっ? でも、迎えに・・・」
『白タクよ! 今日は、時間が遅いから・・・それでも5,000円で契約したの!』
「えっ? 白タク? ようは、お金を払うの? ケンちゃんさんに?」
『そうよ! そうでなかったら、絶対に来てくれないわよ! うちのケンちゃんさんわね!』
「お・も・し・ろ・い・・・親子」
マコト (木曜日, 28 7月 2016 23:41)
『お待たせしました!・・・って、寝てるし!』
梨花は、窓ガラスをノックして健心を起こした。
『お待たせしました!』
「あっ、ご、ご利用ありがとうございます! 健心タクシーです」
『ねぇ、美優が前に乗って道案内して』
「えっ? うん、分かったぁ」
二人が、健心タクシーに乗り込むと梨花は
『自宅までお願いします! ・・・おやすみなさい』
「はぁ?・・・」
と、美優が後部座席をみると、もう梨花は幸せそうな顔でスヤスヤと。
「よ、よろしくお願いします」
「かしこまりました! ご自宅までお送りさせていただきます」
『ケンちゃんさん親子って、楽しいですね!』
「そうですかぁ・・・父親と娘の関係って、よく分からないですけど・・・どうなんでしょうかねぇ・・・」
『そ、そんな丁寧な話し方されると・・・こっちが緊張しちゃいますよ、ケンちゃんさん!』
「あっ、いやっ、私は今、ケンちゃんさんではなく、あっ・・・ケンちゃんさんですけど・・・今は、健心タクシーのドライバーですから」
『“けじめ”ってやつですか? 遅くまで飲んでいた娘が、車に乗り込んで、あとはよろしく! って、普通じゃ考えられないですよ』
「う~ん、どうなんでしょうねぇ・・・梨花は、もう大人ですし・・・お客様ですから!」
『あっ、そうなんですってね! なんか、ケンちゃんさんと契約したとか・・・梨花から聞きました』
「はい・・・」
『ケンちゃんさん・・・ケンちゃんさんから、梨花にいろいろ聞くんですか?』
「えっ? 何をですか?」
『誰と一緒に飲んできたのか・・・とか、何を食べてきたんだ? とか』
「聞かないですよ! 自分が子どもだったら、親にいろいろ聞かれても、うるさいだけですもんね」
『そ、それは・・・確かに・・・梨花を信用しているんですね!』
「信用はしていませんよ!」
『えっ?』
「信用はしていませんが、・・・信頼はしています」
美優は、右手の人差し指をアゴにあてて
『う~ん・・・私には、その違いが分からないです』
健心は笑って、こう言った。
「ミーちゃんも親になったら二つの言葉の違いが分かるようになりますよ!」と
マコト (金曜日, 29 7月 2016 20:23)
美優はずっと、右手の人差し指をアゴにあてたまま
『え~信頼はしているのに・・・信用はしてないの??? え~でも、信用はしてないけど、信頼はしているんでしょ!!! ・・・無理・・・分かんない』
と、考え込んでいた美優だった。
しばらくして「あっ!」と、何か思い出したかのように、後部座席で梨花が爆睡していることを確認し、健心にこう言った。
『ケンちゃんさん・・・』
「あっ、はい・・・」
『梨花が、ケンちゃんさんのこと言っていましたよ!』
「あぁ・・・」
と、次に健心が言った言葉に、美優は驚いた。
「きっと・・・ただのオヤジだよ! すごくストイックにダイエットしたかと思えば、今は、妊娠5か月ぐらいだし・・・最近は温泉に一緒に連れていかれるし! 不思議なオヤジ! そんな感じで言ってましたか?」
さすが父親としか言いようがなかった。
ただ・・・
梨花は、臨月と言い、健心は・・・5か月と言った。
美優は、横目で健心を確認して、
『梨花が正しいわ!・・・きっと本人の願望から5か月と言ったのね!』と
そんな驚きで、思わず肝心な話を忘れるところだったが、
『梨花・・・ケンちゃんさんには、早く再婚して欲しいって・・・』
「おぉ~、そんなこと言ってましたかぁ・・・きっと、この先、オヤジがボケた時に自分が面倒をみるのか? って、心配なんでしょう・・・ただ、梨花の場合は・・・まぁ、娘だからそれは仕方ない! って、そんな感じで言ってましたか? 優しい子ですもんね! 梨花は」
美優は、二度目の驚きで、黙ってうなずくしか出来なかった。
健心は、笑ってこう言った。
「もし、またそんな話になったら、言ってあげてください! 親の面倒をみることなんかより、自分の幸せを考えろ! って」
そして、こうも言ったのである。
「誰か、いい人がいたら紹介してあげてください! 梨花のやつ・・・男前な子だから」
『えっ? 男前? ですか?・・・梨花が?』
「えぇ、そうです! 梨花は男前な女の子ですよ!」
『それってどういうことですか?』
「う~ん・・・親が話すより、これからあいつと付き合っていけば、きっと分かると思いますよ!」
美優は、後部座席をみて
『え~・・・こんな可愛い女の子が男前って・・・』
「まぁ、娘でなかったら・・・間違いなく惚れてますよ! それぐらいいい子ですよ! 親の自分が言うのもなんですけど・・・きっと、女性からはもっと好かれるタイプじゃないですかね・・・梨花っていう子は」
美優は思った。
『娘でなかったら、惚れてますよ! って、人前で自信満々に言うケンちゃんさんもすごいけど・・・確かに梨花は・・・』
そして、美優は53歳のオヤジが思う「男前な女の子」について聞いたのである。
マコト (金曜日, 29 7月 2016 20:24)
『ケンちゃんさんが思う、ケンちゃんさんが好きになる「男前な女の子」って、どんな子ですか?』
「男前な女の子かぁ・・・」
健心は、美優の問いかけに丁寧に話し始めた。
「芯が強い人だよねっ!
外見上は頼りなげに見えても、やすやすとは外圧に屈しない意志を持っている。
ちょっとやそっとのことでは音を上げない。
裏で何を考えているか分からない八方美人タイプの女性はたくさんいるけど・・・「男前女子」は、どんな人を前にしても態度を変えないよね。
女の子に限らず、人は、どうしても自分の気に入らないことがあると悪口や陰口を言ってしまうことがあるけど・・・「男前女子」はそういうことは言わず、どうしたら互いにうまくいくかを考える前向きな思考を持ってるよね。
仕事のパートナーとウマが合わないことがあっても「こういう人もいるんだ!」と受け止めて、決して悪口を言わない。
それよりもどうしたら、仕事を円滑に進められるかということに頭を使う。
相手の悩みは何も解決しないで、ただお互いの愚痴や悩みを言い合うだけで、何も解決しなかったけど、しゃべることでスッキリした。
女性はそういう生き物でもあるよね! あっ、それが悪いとは思ってないからね!
だけど、本当に悩んでいるときは的確なアドバイスがほしいよね! その点、男前女子は男性的思考でなんとか解決方法を見出そうとする。
そんな女の子は、同性からも頼りにされるでしょ!
ただね・・・
曲がったことが嫌いで、思ったことをはっきり口にするから、仕事でぶつかることも多いかもしれないね・・・梨花も、きっと苦労するだろうなぁって。
それでも、自分の道は自分で切り開いて行かなきゃね!
ケンちゃんさんは、黙って見守ってやるしか出来ないから!」
赤信号で止められた健心が、美優を見てこう聞いた。
「ミーちゃんからしたら、すごく冷たい親に見えるでしょ?」
『そ、そんなことないです・・・だって、ケンちゃんさんは、黙ってるけど、心配はしてくれてるんだもの』
美優は、健心の話を聞いていて、なぜか美子都のことが思い出された。
そして、健心にこう尋ねたのである。
『美子都さんも、男前女子ですよね!』
「はぁ?」
と、予想外の質問に慌てる健心
「プップー!!」
青信号でも発車しない健心の車を後続車が、クラクションで催促。
「おっと・・・」
健心の慌てる顔で、その答えは分かった美優だった。
マコト (金曜日, 29 7月 2016 20:25)
美優の家に着いた。
『ケンちゃんさん! お母さんを呼んできますから、待っててください!』
「そんなことしなくて大丈夫だよ!」
『え~ でも・・・お世話になったのに、黙って帰したら私が叱られますから!』
「うん? 叱られたら、こう言ってください! 健心タクシーのドライバーだったので帰った!と」
『・・・でも』
「大丈夫! ・・・あれっ、梨花は寝てるね! じゃぁ、ご利用ありがとうございました」
健心タクシーは走り去った。
家に戻った美優が
『ケンちゃんさんに送ってもらったの』
と、萌仁香に話すと
「ダメじゃない! それなら、ちゃんとお礼を言うのが親の務めなんだから!」
美優は、
『ほらぁ・・・だから、言ったのに・・・』
と、思っているところに
「どうして、帰したの? あなたらしくないわね!」
『ケンちゃんさん、言ってた。 もし、お母さんに叱られたら、健心タクシーのドライバーだったので帰った!と、言えって』
萌仁香は、右手の人差し指をアゴにあて、しばし考えると
「なるほど! そういうことか! あいつらしいわ! さぁ、寝よう~っと」
美優は思った。
『私には、お母さん達のことは・・・無理! 理解できない』と
マコト (土曜日, 30 7月 2016 20:41)
それは、父と娘のごく普通の会話だった。
『おはようございます、お父さん』
「おはよう、梨花」
『昨日は、大変お世話になりました』
「毎度、ご乗車ありがとうございます」
『昨日はね、美優と美優の高校時代の同級生二人が一緒だったのよ』
「おぉ~ そうだったのか」
『朝彦とカンチ』
「朝彦を誘っていたもんな! うん? カンチってなんだ?」
『カンチ? そっか・・・寛司よ』
「か、寛司?・・・」
『えっ? どうかした? 寛司を知ってるの?』
「ミーちゃんと同級生で、寛司? ・・・あっ、いやっ・・・なんでもない」
『はっ? お父さん、何か隠してるでしょ!』
「あっ、いやっ・・・なんでもないよ!」
と、健心が曖昧な返事をすると・・・
『はい、お父さん! そこにお座りして!』
「・・・えっ? な、なんで?・・・」
『あなたは、いま、私に隠し事をしようとしました!』
「あっ、・・・そのぉ・・・いえ、隠し事などしていません・・・はい」
梨花は、鬼の形相で
『お・す・わ・り!』
「・・・はい」
健心は、梨花のいう事をきいて、リビングの床の上にお座りをした。
『それでは、始めます! あなたは、いま、私に何かを隠そうとしましたね?』
「・・・はい」
『よろしい! さて、何を隠そうとしたのですか?』
「あのぉ・・・」
『大きな声で! 聞こえません!』
「・・・はい・・・親が全員55会のメンバーだったものですから・・・ちょっと驚いただけです」
『55会? 美優のお母さん、朝彦のお父さんは・・・うん、確かに! えっ?カンチの親もお父さんと同級生なの?』
「はい・・・たぶん」
『たぶんってなに?』
「寛司君・・・朝倉って苗字でしたか?」
『そうよ!』
「では、間違いありません! 朝倉美子都さんの御子息かと・・・」
『美子都さんって、花風莉でお会いした“みたらし団子”の美子都さん? な~んだ、そういうことだったのね!』
梨花が、笑顔に戻ったことを確認した健心が、立ち上がろうとすると・・・
マコト (土曜日, 30 7月 2016 20:42)
『はい! あなたは、お馬鹿さんですか?』
「えっ?・・・」
『親が同級生っていう理由だけで、それを隠そうとはしませんよね?』
「あっ・・・いやっ・・・ですから、驚いただけで・・・何かを隠そうだなんて・・・はい、ございません」
と、健心が作り笑顔で立ち上がろうとすると、
また、梨花は、鬼の形相に戻って
『お・す・わ・り!』
「・・・はい」
『あなたは、私に言いますよね! 隠し事はないほうがいいよな!って』
「・・・はい」
『高校時代のように、1時間、お座りしますか?』
「えっ?・・・」
『高校時代は、毎日、教員室の前でお座りさせられていたんですよね? 毎日!』
「・・・はい・・・よく御存じで」
『だって、あなたの自慢話でしょ?』
「・・・はい、そうでした! いやぁ、もう毎日でしたよ! だから、たまにお座りさせられない日があると、校長先生が、あれっ? 昨日は寂しかったぞ! な~んて言ってねぇ、もう大変でし・」
『いりません! その講釈、今は!』
「・・・はい・・・ごめんなさい」
少し考えていた梨花は、元の優しい顔に戻って
『お父さん・・・どうぞ、お座りをやめてください』
「えっ? い、い、いいんですか?」
『はい』
と、笑って梨花はこう言った。
『お父さん、大丈夫だからね! これまで通り、美子都さんとは仲良くしてくださいね!』
「はっ?」
『お父さん、私に聞いたでしょ! 再婚した方が、梨花が早くお嫁に行けるのかな?って・・・花風莉で、お父さんと美子都さんが仲良く話しているところを見ていて・・・それで、お父さんが慌てて隠そうとしたことで、もう、理解できましたから』
「はっ? な、何を言っているのか、分かりません」
梨花は笑って
『カンチと兄妹になるかもしれないんだぁ・・・ふ~ん・・・そうなのねぇ』
健心は慌てて
「いやっ、そ、それは分からないから・・・梨花は梨花で、自分のことを考えてくれれば・・・」
『はっ? なにそれ! もしかして私がカンチに一目ぼれでもしたって思ってるの?』
「梨花・・・」
健心は知っていた。
梨花が、男の子を気軽にあだ名で呼ぶときは・・・
梨花は、台所に向かって歩き出し、
『そっか! な~んだ、そうなんだねっ! さっ、朝ごはんの用意しなきゃね!』と
「梨花・・・」
マコト (土曜日, 30 7月 2016 20:44)
健心と梨花が、そんな会話をしていた頃・・・
それは、母と娘のごく普通の会話だった。
『お母さん、おはよう!』
「おはよう! ミー」
『お母さん! 昨日ね、寛司と一緒だったの!』
「えっ? 寛司って、美子都のところの?」
『そう!』
そう言って、美優は、寛司と一緒に飲むことになったいきさつを萌仁香に嬉しそうに話した。
「そうだったのぉ~ 良かったじゃない、あなた、寛司君に会いたがっていたんだから」
『うん!』
萌仁香は、美優の嬉しそうに話す顔を見て思った。
「ミー・・・寛司君が好きだったのね」と
そして・・・
健心と梨花が、美子都の話をしていた頃、
萌仁香と美優が、寛司の話をしていた頃・・・
それは、母と息子のごく普通の会話だった。
『おはよう! 寛司」
「うん? あっ・・・うん」
『寛司、おはようーーー!!!』
「あっ、おはよう」
『昨日は、上機嫌で帰ってきたけど・・・誰と一緒だったの?』
「えっ? 誰でもいいじゃん」
『はぁ? 少しは話してくれたっていいじゃない!』
「高校の時の同級生だよ!」
『へぇ~ 母さんが知ってる人?』
「知らない人だよ!」
そう、あっさり答えた寛司だったが、心の中では
「あっ! 美優は、母さんの知ってる人の娘だった」
と、気づいた。だが、
「まっ、いっか! 嘘は言ってないからな」
と、何も語らず、その場をやりすごした。
『今日も、お仕事、遅いの?』
「うん・・・食事は外で済ませて来るね、母さん」
『そう・・・分かった』
その日の二人の会話は、それだけだった。
マコト (月曜日, 01 8月 2016 19:57)
寛司、美優、朝彦、梨花
そこに愛子も加わって、5人は、互いに支え合う仲間となっていった。
寛司と愛子の勤める会社と梨花と朝彦が務める会社は、ライバル会社であったために、いらぬ誤解を招かぬよう、会社の他の社員には、5人の付き合いは、伏せておくことがいいだろうとなった。
その日も“居酒屋ニチョウ”に集まった仲間達
何故か、愛子が落ち込んでいた。
(梨花)「ねぇ、愛子・・・なんか今日は元気がないぞ!」
(愛子)「うん・・・ちょっとね」
(梨花)「聴くよ! 話せることなら・・・言って、愛子」
(愛子)「・・・うん」
(寛司)「愛子、俺が話すよ・・・」
(愛子)「えっ?・・・」
(寛司)「昨日・・・愛子がずっとケア・サポートしてきた被験者さんが、亡くなって・・・」
(梨花)「・・・ごめん愛子・・・何も知らずに」
(愛子)「大丈夫、ごめん・・・仕事の辛いことは、ここに持ちこまないようにしなきゃね、せっかく楽しく集まってるのに」
(梨花)「愛子・・・それは違うよぉ~」
(美優)「そうよ、愛子! 楽しいことだけじゃなく、辛いことだって分かち合って・・・それが仲間でしょ」
(愛子)「梨花・・・美優・・・」
男の子たちは、女の子の涙に弱いものだ。
しかも、その女の子が“相武紗希似”の愛子となれば、なおさら
その日は、寛司も朝彦も愛子の隣で、しっかりと支えていたのであった。
マコト (月曜日, 01 8月 2016 19:58)
治験
治験とは、治療を兼ねた臨床試験(治療試験)を省略した言葉である。
ひとつの薬が誕生するには、長い研究開発期間が必要となる。
培養細胞や動物でさまざまなテストが繰り返され、有効性の確認と安全性の評価が行われる。
そして、最後の段階でヒトを対象に試験が行われる。
それが「治験」だ。
一口に治験と言っても、いろいろなパターンがある。
なかには、有償ボランティアとして施設に宿泊しながら生活し、新薬を定期的に摂取する健常者を対象に行う治験モニターというものや、実際に対象の病気にかかっている患者(糖尿病やガン等々)に対して行うものもある。
有償ボランティアでの治験の一例をあげれば、1ヵ月の治験に参加し60万円ほどを謝礼として受け取るものもある。
だからではないが、会社で健康診断を受けていないニートやフリーター、個人事業主、時間がある大学生などには、言葉は正しいかどうか分からないが、おすすめなバイトになっているのだ。
今の例は、あくまで健常者を対象に行う治験モニターのことであり、いろんな詐欺めいたこともあるようなので、くれぐれも小説の中での話だとお考えいただきたいところであるが。
マコト (月曜日, 01 8月 2016 19:59)
CRCの仕事は、時にとても辛い思いをする。
それは、梨花も例外ではない。
被験者さんが亡くなったのが、今回が初めてだった愛子であったため、落ち込み方は尋常ではなかった。
梨花は、そんな愛子の様子をみて、
『わたしも、いつか愛子のように・・・』
そう考えると、胸がとても苦しくなった。
これまで、多くの被験者さんによる治験への協力により、新たな医薬品、治療方法が生まれてきた。
そして、そこに医学の進歩があった。
例えば、それが、抗がん剤であるとするならば、激しい副作用と闘ってくれた被験者さんがいたからこそ、副作用の少ない抗がん剤が生まれてきたのである。
そう、それは寛司のようなSAS・医薬品開発業務の仕事に携わる者によって、これからも永久に続けられていくのだ。
そして、愛子も梨花もその最前線で働いていくのだ。
新人CRCは、治験が被験者を病から救ってくれるものだと信じて、一緒にケア・サポートをする。
だが・・・
治験は医学の進歩に貢献するが、患者さんにとっては、メリットがないものもあるのだ。
なかには、病状の進行を抑えるのが主たる目的ではないものでさえあるのだ。
治験は、患者さんの病状とは関係なく、機械的に薬が投与される。
薬のデータを得るために、通常の何倍もの検査を受けながら。
治験が、被験者にとって、利益がなく、医学の進歩のためだけに行われているのだと、言っている訳ではないので、誤解はしてほしくはないが・・・
医学は、これを繰り返し進歩してきたのである。
だが、人道的に当然ではあるが、期待に反して病態が急速に悪化した時には、その治験は止められる。
そんな時には、被験者のケア・サポートする、愛子や梨花の存在は大きなものであるのだ。
美優は、ずっと元気のない愛子のそばに行ってこう言った。
「愛子・・・今度のお休みは何か用事ある?」
『えっ? 何もないよ』
「なら、花風莉においでよ!」
『美優のお花屋さん?』
「そう! アレンジメント教室があるから・・・良かったら」
『ホンと? うん! 行く!』
と、そこに梨花が
「え~ 私も行きたい!」
『お待ちしています』
ようやく、女の子三人が笑顔になった。
マコト (火曜日, 02 8月 2016 20:04)
そして、その週末の花風莉では・・・
「いらっしゃい、愛子」
『わぁ~ 話に聞いていた通り可愛いお店ね』
「ありがとう、愛子! もうすぐ、梨花も来ると思うんだ! そこに座って! いま、珈琲いれるね!」
『うん! ありがとう、美優』
そんなところへ、萌仁香が市場から戻ってきた。
「いらっしゃいませ、店主の進藤萌仁香です」
『あっ、はじめまして、わたし、美優さんと仲良くさせてもらっています、片桐愛子です』
「片桐さん・・・愛ちゃん、可愛いお名前ね、よろしくねっ!」
『はい! 今日は、美優さんにお誘いいただいて、アレンジメント教室に入れていただきました。初めてなので、よろしくお願いします』
「はい、一緒に頑張りましょうね!・・・片桐さんかぁ・・・私の同級生にも片桐っていう人がいるんだけど・・・お父さんのお名前は?」
『あっ、片桐壮健といいますけど・・・』
「あらぁ、やっぱり・・・だって、どことなく似ているもの! 壮健に」
『父をご存じなんですか?』
「55会のメンバーよ!」
『55会?』
「うん、高校時代の同窓生の仲間達よ」
『そう言えば、父は、3年前の同窓会の時、学生服を着たとかって・・・』
「そうよぉ~! って、ほらっ! その時にセーラー服を着た人のお出ましよ!」
『えっ?・・・』
マコト (火曜日, 02 8月 2016 20:05)
『ただいまぁ~!』
美子都が、萌仁香に頼まれた配達から戻ってきた。
『お届けして来たわよ!』
「ありがとう!」
『健心のやつ、なんか、きょとんとして・・・自分がいただけるお花だって、思っていないのよね!』
「そっか、・・・可夢生も健心には、何も話していなかったのね」
『そうみたい! なんか、私が行ったら、はぁ? って、驚いてた』
その日、健心と可夢生はある祝賀会に参加していた。
その会の幹事を務める可夢生からの依頼で、お花を届けてきたのであったが、萌仁香の気遣いで美子都が配達に行ってきたのである。
『暑かったぁ~』
と、美子都が言うのと同時に、萌仁香と美子都の携帯の着信音がした。
二人同時に携帯を見ると
『あいつ、いつの間に!』
「ほんとだ! ちゃんと可夢生のところにお花を届けた証拠写真になってるね!」
『もぉーーー あいつわ! えっ? しかも秘密のアルバイトだぁ? 』
【何撮ってんのぉーーー】
【丼にするぞ!】
送信と
すると健心から
【花屋のプーさん!】
と返信がきた。
『プーさんだぁ?・・・あのやろぉ~!!!』
【花屋のブーさん】
【おつかいブーさん】
送信と
マコト (火曜日, 02 8月 2016 20:06)
美子都たちのそんな様子に美優が
「ねぇ、愛子・・・あの人達、何してると思う?」
『えっ? LINEでしょ?』
「あっ、そうなんだけど・・・誰とラインしてると思う?」
『えっ? 誰って・・・私の知ってる人なの?』
「そうよ! 梨花のお父さんよ!」
『えっ? 梨花の?』
「そう! それでねっ・・・」
と、ちょっとだけいたずらな表情を浮かべてこう言った。
「あの人・・・寛司のお母さんよ!」
『えっ? か、寛司の? へぇ~ 優しそうで素敵なお母さんね!』
愛想のいい愛子は
『こんにちは はじめまして・・・片桐愛子といいます。 今日初めて、花風莉のアレンジメント教室に参加させていただきました』
と、笑顔で美子都に声をかけた。
美子都は、ようやくブタマークのスタンプが見つかったようで、LINE送信を終えた。
「あっ、ご、ごめんなさい・・・わたし、この店の店員ではないんですけど・・・朝倉です、朝倉美子都と言います・・・よろしくお願いしますね」
すると、萌仁香がすかさず
「ねぇ、美子都・・・壮健の娘さんよ!」
『えっ? 壮健の? うわっ! 壮健にこんな可愛らしいお嬢さんがいたの!」
と、驚く美子都であったのだが、
それから2時間後・・・
マコト (水曜日, 03 8月 2016 22:13)
うなだれて、それでもみたらし団子を頬張る美子都を、周りの女子たちが一生懸命に慰めていたのである。
アレンジメント教室を終えた面々
テーブルに並べられた、いつもの“みたらし団子”
花風莉には、ルールがある。
それは、まずは美子都が味見をしてからでないと、他の者は手を付けられないというルールである。
(萌仁香)「ねっ、美子都!」
(美子都)「えっ? (モグモグ)・・・なに?(モグモグ)」
(萌仁香)「どう? いいの?」
(美子都)「えっ? (モグモグ)・・・なにがいいのって?(モグモグ)」
(萌仁香)「みたらし団子! いいの?」
(美子都)「あっ、どうぞ、どうぞ(モグモグ)」
(萌仁香)「もぉ~ 美子都ったら! 元気だしなよ!」
(美子都)「・・・(モグモグ)・・・(モグモグ)・・・←二本目 」
(萌仁香)「しょうがないよぉ~ 男の子は、どこの家でもそうじゃないの?」
(美子都)「・・・(モグモグ)・・・(モグモグ)・・・」
(愛子)「そうですよ! まぁ、私も父にはあまり話しませんけど・・・」
(美子都)「・・・(モグモグ)・・・(モグモグ) ←三本目 」
萌仁香は、美優からいろんな話を聞かされて何でも知っている。
それに引き替え、美子都は寛司が何も話してくれない!
そのあまりにもの違いに、ショックを隠せずにいたのであった。
そして・・・
梨花が、そんな美子都に追い打ちをかけた。
マコト (水曜日, 03 8月 2016 22:15)
落ち込みながらも、みたらし団子を頬張り続ける美子都に、
(梨花)「私も父には、話してあります」
美子都は、梨花のその言葉に反応した。
(美子都)「えっ? 梨花ちゃんも寛司のことを健心…あっ、お父さんに話したの?」
(梨花)「あっ・・・はい」
(美子都)「えっ? 聞いてたんだぁ・・・健心のやつ」
(梨花)「えっ?」
(美子都)「あっ・・・ごめんね、こっちの話」
(梨花)「はっ?・・・」
(美子都)「でっ! お父さん・・・何か言ってた?」
梨花は、美子都の「何か言ってた?」の意味を直ぐに理解した。
だから・・・
「お父さん・・・カンチ…あっ、寛司のこと話したら、驚いていましたけど・・・」
『・・・そうよねぇ ・・・そりゃ驚くわよね』
その後、美子都がさらに驚くことを言ったのである。
「わたし、寛司と兄妹になるのかな? 楽しみにしてるよ! って、言っておきましたから!」
『・・・はっ???』
目を真ん丸にした美子都に、梨花は笑顔で軽く会釈をした。
美子都は慌てて
「お父さん、梨花ちゃんに何か言ったの?」
『あっ・・・いえっ、何も言わなかったですけど・・・慌てるお父さんを見れば・・・』
「えっ?・・・梨花ちゃん、そ、それは誤解? いやっ、誤解というか・・・そう決めた訳ではないのよ・・・」
と、精一杯にその場を取り繕った。
それでも、梨花に誤解されぬよう、こうも言った。
「梨花ちゃんのような娘がいたら、幸せだけどね」と
梨花は、嬉しそうな表情を浮かべて
「はい」
と、答えたのだった。
だが、問題はここからであった。
マコト (水曜日, 03 8月 2016 22:16)
残ったみたらし団子を完食した美子都は
『おつかいに行ってくる!』
「はっ? もう、お花の配達はないわよ! 美子都」
『ち、違うの! とにかくおつかい!』
そう言って、美子都は花風莉を出て行った。
そして・・・
『もしもし・・・』
それは健心への電話だった。
『あんたね! なんで言ってくれなかったのよ! 梨花ちゃんが、寛司と仲良くしていること!』
一通り、文句を言った美子都だったが・・・
『えっ? ・・・そ、そうなの?・・・寛司をカンチって?・・・そうなの?・・・間違いないの? ・・・うん・・・うん・・・梨花ちゃん本人が、自分の気持ちに気付いていないんじゃないかって?そういうこと?・・・うん・・・そうだったの・・・うん、分かった・・・ご、ゴメン健心・・・うん・・・うん、分かった』
美子都は、健心から梨花の中に寛司に対する恋心が芽生え始めているかもしれないと聞かされたのであった。
マコト (木曜日, 04 8月 2016 12:58)
健心との電話を終えた美子都は、直ぐに花風莉に戻った。
アレンジメント教室を終えた生徒たちは、もう花風莉にはいなかった。
『あれっ? 梨花ちゃん、愛ちゃんも帰っちゃったの?』
「うん」
『ねぇ、萌仁香ぁ・・・梨花ちゃんのことなんだけど・・・』
美子都は、健心から聞かされたことを、そのまま萌仁香に話したのである。
『わたし・・・どうしよう・・・』
「どうしようって相談されても・・・」
それが、萌仁香の正直な気持ちだった。
子どもの幸せを願わぬ親などいない。
もちろん、萌仁香も美優が素敵な恋をして幸せをつかんでくれることを願っていた。
その美優が寛司に好意を持っているにもかかわらず、美子都はいま、目の前で、寛司と梨花のことを相談してきた。
後になって思えば、何故、あの時あんな言い方をしてしまったのか・・・
萌仁香は、そんな言葉を美子都に言ってしまうのである。
「美子都・・・あなた、なに血迷ったことを言ってるの? あなたは健心と婚約しているんでしょ? 子どものことより、自分の幸せを考えるべきじゃない? 親の幸せが、子どもの幸せでもあるのよ!」
『えっ?・・・も、萌仁香ぁ・・・それ、本気で言ってるの?』
「もちろんよ!」
『えぇ・・・萌仁香らしくない・・・嘘でしょ? 嘘って言ってよ!』
萌仁香は、もちろん分かっていた。
今の言葉が嘘であることを。
それでも美優の幸せを願うあまり、
「嘘なんか言ってないわよ! えっ? なに? 美子都は、もしかして、梨花ちゃんが寛司を好きになるなら、自分は健心と離れるとでも言いたいの? ばかばかしい! そんなの親の勝手なエゴよ!」
『えっ・・・萌仁香・・・どうしてそんなこと言うの・・・』
美子都は、自然と涙が出てきた。
美子都には、萌仁香の言葉が受け入れられなかった。
『萌仁香・・・わたし、あなたの気持ちが分かんない・・・子供のことより、自分のことを大切にするなんて』
萌仁香は、仕事をするふりをしながらこう言った。
「それは残念・・・見解の相違ね!」
『萌仁香ぁ・・・』
マコト (木曜日, 04 8月 2016 21:15)
人生には、それまでの自分の生活を一変させるような出来事がある。
それは、引っ越しや転職であったり、人との出会いもその一つである。
美子都の生活は、萌仁香と出会ったことで、それまでとは間違いなく変わっていた。
それは今から、4年前・・・
綺麗な住宅街の中に、ひっそりと、小さなお花屋さんがオープンした。
そう、それが花風莉である。
もちろん、店主・萌仁香の生活も一変した。
始めは、慣れぬ仕事に弱音をはくこともしばしばだった。
それでも、萌仁香は美優と一緒に頑張って、受け取る人が心から喜んでいただけるお花を作り続けた。
店をオープンさせて一年が経とうとしていたときだった。
「同窓会をやるから手伝ってくれ!」
それは、可夢生からの連絡だった。
店をオープンさせ、ようやく軌道に乗りかけていた萌仁香は、可夢生の希望に応えらえるのか悩んだが、クラスの幹事を受ける決心をした。
同窓会までの幹事会は、10回以上を数えた。
店の切り盛りに忙しい萌仁香だったが、幹事会には必ず参加した。
幹事会を重ねるごとに、萌仁香は“ある想い”が強くなっていった。
それは、同窓会に参加してくれる女の子に、幹事会からの気持ちを伝えたいという想いだった。
そして、そのことを同窓会の代表に伝える決心をしたのである。
萌仁香は、代表とは、ほとんど面識がなかった。
「この人、何考えてるか分かんない・・・変な人?」
それが、代表に対する萌仁香の第一印象だった。
『代表、あのぉ・・・同窓会の時にね・・・』
「・・・そっか、分かった」
『いいの?』
「あぁ・・・進藤さんの想いがみんなに伝わるような演出をしよう!」
代表に事前の了解を得た萌仁香は、幹事会でこう言ったのである。
『参加してくれる女の子全員に、お花を贈りたいの!』
すかさず、代表がフォローした。
「進藤さんの提案なんだ! みんな了解してくれ! それで・・・サプライズで、男子から渡そう!」
幹事会が最高に盛り上がった瞬間だった。
その時、隣にいた美子都が、萌仁香にこう言ったのである。
「当日の準備、手伝わせて!」
『えっ? 当日は、いろいろ忙しいんじゃないの?』
「大丈夫よ!」
そして同窓会当日・・・
幾人ものクラス幹事が、花風莉に集まっていた。
萌仁香の気持ちを理解してくれた面々だった。
全員で1本、1本気持ちを込めてラッピングした。
すると代表が
「このシールを貼ってくれないか」
そう言って取り出したシールには、参加者への感謝の気持ちと、花風莉から提供を受けたお花であることが書かれてあった。
萌仁香は思った。
『代表って・・・変な人じゃなかったのね!』
マコト (木曜日, 04 8月 2016 21:17)
そんなサプライズで、32年ぶりに開催された同窓会は大いに盛りあがった。
そして、この同窓会をきっかけとして、仲間達の交流はさらに深まっていったのである。
萌仁香と美子都
二人の深い交流も、やはりこの同窓会がきっかけだった。
二人は、三年間、同じ校舎で学んだ。
二人が通った高校は、少子化の影響をもろに受け、今は生徒数720人となっているが、その当時は1,350人というマンモス高だった。
互いに別々の運動部に入り、スポーツに汗した二人であったが、学生時代は、特に交流もなく青春時代を過ごした。
卒業してからは、車で数分の距離に住んでいた。
それでも、友達としての交流は、一切なかった。
そんな二人が、ここまで親交を深め、無二の親友となったのは、共に同窓会にクラス幹事として臨んだからだった。
『萌仁香ぁ・・・女子、み~んな喜んでくれたね!』
「うん! 美子都がお手伝いしてくれたおかげ!」
『え~、私だけじゃないでしょ! み~んな!』
「そっか!」
それが、同窓会を終えた時の二人の会話だった。
マコト (木曜日, 04 8月 2016 21:19)
クラス幹事として臨んだ同窓会
激動の一年間が過ぎ、そして同窓会が終えると、そこには、嘘のように静かな日々が待っていた。
あるとき、おつかいに出た美子都が、花風莉の横を通ったときだった。
「えっ?・・・」
花風莉から、いい香りがしてきたのである。
「これ・・・みたらし団子の匂いだ!」
美子都の足は、自然と花風莉に向いていた。
「こんにちは」
『わぁ~ 美子都ぉ~ 久しぶりぃ~』
「同窓会以来ね! 萌仁香・・・お仕事中で、悪いかなぁって思ったんだけど・・・」
『ぜんぜん大丈夫よ! 入って! いまね、ちょうどお茶にしようと思って・・・いただきもののみたらし団子があるんだけど、一緒にどう?』
「えっ? なんか悪いわぁ・・・」
その日以降、美子都は毎週のように花風莉に行くようになった。
ここまで小説を読んできた人は、間違いなくこう思うであろう。
「みたらし団子を食べに行ったんだろう!」
残念ながら、それは違う。
「ねぇ、萌仁香・・・」
『なぁに、美子都・・・』
「同窓会終わったらさ、なんか急につまんなくなっちゃって・・・」
『えっ? 私もそうよ!』
「萌仁香も?」
それから、二人でたくさんのことを話した。
それは、「え~ あぁ、そうだったのぉ~」
と、聞かなければ知らずに終わってしまうようなこともたくさんあった。
「ねぇ、萌仁香・・・お客さんでもないのに、お店にお邪魔しちゃ悪いわよね?・・・」
『え~、美子都は、そんなことに気をつかっていたの?』
「・・・だって」
『気にしないで、遊びに来てよ! ・・・会いたいからさ!』
「えっ?」
『元気印の美子都に!』
互いに、元気を分けあい、時には悩み事を相談し、励まし合い・・・
二人の固い絆が結ばれるまでに、そう時間は必要なかった。
マコト (金曜日, 05 8月 2016 12:13)
よく二人で食事にも行った。
そうである!
あの伝説の「海老トマトらーめん」→「亀田珈琲にはしごしてデザート」→「晃棒台へ移動して焼き肉食べ放題」
大食いの美子都に、時には「はぁ」と、ため息をつくこともあった萌仁香だったが、美子都は、なくてはならない存在となっていった。
それは、美子都も同じだった。
毎週、萌仁香にアレンジしてもらったお花と、月曜日には一緒に出勤するのが、何よりもの楽しみになっていった美子都だった。
そして、花風莉がオープンして3年が経ったころ・・・
萌仁香は、ある目標を持って、仕事に励んでいた。
それは、お花のコンクールで賞をいただくということ。
そのコンクールは、日本で最大規模の伝統ある花の展覧会だった。
大きな展覧会への出展に向け、萌仁香は、睡眠時間を削ってその準備をした。
美子都とLINEで交わす、日常の会話からも、萌仁香がへとへとになっていたことは明らかだった。
「萌仁香、大丈夫? ・・・ご飯は食べたの?」
そんな美子都からのメッセージも、準備に集中していた萌仁香には、なかなか届かなかった。
それを心配した美子都は、車をとばし、差し入れを
そんな日が何週間も続いた。
そして・・・
マコト (金曜日, 05 8月 2016 20:07)
展覧会の日になった。
萌仁香の努力が報われ、展覧会で受賞することが出来たのである。
「美子都ぉ・・・もらえたよ!」
『ヤッターーーーー!!!』
自分のことのように喜ぶ美子都に
「ありがとうね・・・美子都」
『えっ? 私にお礼を言うなんておかしいでしょ! 萌仁香が頑張ってきたからよ! 良かったね、萌仁香・・・おめでとう』
「・・・ありがとう、・・・美子都がそばにいてくれたからだよ」
思い起こせば、蒼のもとへ理が育てたダリアを届けたのも、花風莉の店主・萌仁香だった。
仲間達の様々なことが、花風莉を中心に動いていた。
週末には、必ず花風莉に行き、アレンジメント教室の生徒としても自己研磨していた美子都
共に同窓会の幹事として過ごした時から始まった、二人の友愛
それがいま、音をたてて崩れて行こうとしていた。
『萌仁香ぁ・・・見解の相違ってどういうことよ?』
「言葉の通りよ!」
『あなたが、そんな考え方をするはずがないもの! 何かあるなら言ってよ!』
「えっ? 何かって? 何もある訳ないでしょ!」
健心に対しては、いつもカッカして怒る美子都であるが、この時の美子都は、いたって冷静に受け答えしたのである。
『萌仁香ぁ・・・』
だが、萌仁香は、美子都に向かってこう言ったのである。
「帰って! 話の合わない人とは、一緒にいたくないから!」
『・・・萌仁香』
マコト (金曜日, 05 8月 2016 20:09)
これは、あくまでも偏見であるので、それを承知の上で読んでいただきたいのだが・・・
女の子の友情はハムより薄い! いやいや、サランラップより薄いのだ!
特に、男性のことがからむと、昨日までの友情が信じられないほど簡単に終わりを迎えたりするものだ。
男の友情の場合・・・たとえそこに女性がからんだとしても、
「親友のあいつが好きになったのなら・・・俺は身を引くよ!」
あり得る話である。
事実、そういう経験をした者もいるだろう。
この時の萌仁香は、娘の美優の幸せを守るなら、美子都との友情が壊れてもいいと思ってしまったのである。
そう、それが“母親”という生き物だ。
萌仁香は、美子都に対してこう言った。
「あなたは、自分の幸せを考えるべきなの! 梨花ちゃんが寛司君と? そんなのあり得ないわよ! だいいち、寛司君の気持ちは確かめたの?」
『・・・そ、それは・・・』
「でしょ! なら、寛司君と梨花ちゃんを近づけないようにすることだって出来るんじゃないの?」
その言葉で、とうとう美子都の堪忍袋の緒が切れた。
『萌仁香! あなたって人は! 分かったわよ! あなたとの付き合いもこれまでね!』
美子都は、荷物を手に花風莉を出た。
『さようなら・・・』
あっけなく二人の友情は幕を閉じた。
マコト (金曜日, 05 8月 2016 22:35)
美子都が、花風莉を出ると・・・
「美子都さん!」
そこに美優が立っていたのである。
『み、ミーちゃん!・・・』
美優は、涙をいっぱいにためてこう言った。
「美子都さん、待ってください・・・」
『えっ?』
「ごめんなさい・・・聞くつもりはなかったんですけど・・・お母さんとの会話・・・聞こえちゃったんです」
『ミーちゃん・・・』
「きっとお母さんは・・・お願いします! 美子都さん、店に戻ってください!」
『えっ?』
「だって、私のことで美子都さんとお母さんの仲が悪くなるなんて・・・私には耐えられません」
『えっ?・・・ミーちゃんのことで?』
「・・・はい・・・おそらく」
『どういうことなの? ミーちゃん・・・』
美優は、歩き出し、花風莉のドアを開けてこう言った。
「お母さん・・・やめて! お願いだから!」
『ミーちゃんのこと? どういうことなの?』
マコト (金曜日, 05 8月 2016 22:36)
萌仁香が、美優の声で店の奥から出てきた。
「ミー・・・なに? やめてって、どういうこと?」
美優は、振り向いて美子都に、
「美子都さん・・・わたし・・・寛司君のことが・・・」
そこで、我慢していた涙が、次の言葉を打ち消した。
『えっ? ミーちゃん・・・なに? えっ? あなた、寛司のことを?』
そのやりとりに、萌仁香はうつむいているだけだった。
美優は、ひとつ大きく息をすって話を続けた。
「美子都さん・・・わたし、寛司君のことが好きなんです! 大好きなんです! きっとお母さんは、私の気持ちに気付いていて・・美子都さんにひどいことを言ってでも、私の幸せを考えてくれたんだと思います。 私のことで、美子都さんとお母さんの仲が悪くなるなんて、私には耐えられません! だって、あんなに仲良くて、お互いに支え合ってきた仲間ですよね! お母さんと美子都さんは」
『ミーちゃん・・・』
美優は、今度は萌仁香の方に振り向いてこう言った。
「お母さん、ごめんなさい・・・美子都さんとの会話、聞こえちゃったの・・・お母さん・・・ありがとう・・・でも、大丈夫だから!」
『ミー・・・ 大丈夫って?』
「わたし、寛司君とうまく向き合っていくから!」
『うまくって?』
「もし、寛司君が梨花ちゃんを選ぶなら、それはそれ! わたし、寛司君に好きになってもらえる女の子になるように頑張るから!」
『美優・・・』
マコト (金曜日, 05 8月 2016 22:37)
それから・・・
萌仁香と美子都は、美優に命ぜられるまま、奥の椅子に座わらされていた。
美優が珈琲二つをテーブルに置いた。
(美優)「これ飲んで!」
(萌仁香)「いま、飲んだばかり!」
(美優)「いいから、飲んで!」
(萌仁香)「・・・はい」
(美優)「美子都さんも飲んで!」
(美子都)「・・・はい」
(美優)「それで、どっちが先にごめんなさいするのかな?」
(萌仁香)「美子都!」
(美子都)「萌仁香!」
(美優)「あのさ、それじゃ先に進まないんだけど・・・どっち?」
(萌仁香)「美子都!」
(美子都)「萌仁香!」
(美優)「相変わらず、二人とも強情ね!」
(萌仁香)「私は、美子都と違って素直です!」
(美子都)「はぁ? 私こそ萌仁香と違って素直ですから!」
美優は、二人の様子を見て楽しんでいるようだった。
(美優)「じゃぁ、仕方ないから聞きます! お母さん・・・私、お母さんに寛司君とのことを頼んだりした?」
(萌仁香)「・・・いいえ」
(美子都)「ほらっ! やっぱりね! だから、先にごめんなさいするのは萌仁香だから!」
(萌仁香)「はぁ?」
(美優)「じゃぁ、仕方ないから聞きます! 美子都さん! 美子都さんは、お母さんの言葉に何か理由があるとは、考えてあげなかったんですか?」
(美子都)「そ、それは・・・だって・・・」
(萌仁香)「だって、何よ! 親の気持ちは、美子都だって分かるでしょ!」
(美子都)「そ、それは・・・分かるわよ!」
(萌仁香)「ねっ! だから美子都が先にごめんなさいしなよ!」
(美子都)「やだっ! だって、それならそうと言ってくれたら良かったじゃない!」
(萌仁香)「そ、それは・・・だって・・・」
(美子都)「だって、何よ?」
(萌仁香)「ミーから頼まれていた訳じゃないし・・・」
(美子都)「そうでしょ! だから、それが一番の原因よ! 早く、言ってごらんよ! ごめんな・・・ほらっ! さい! って」
(萌仁香)「・・・やだっ!」
そんなバカ親達に向かって美優が言った。
(美優)「あのさ! もともと子どもの恋愛に口を突っ込む親ってどうなんでしょうか!」
(萌仁香)「・・・・・」
(美子都)「・・・・・」
そして、美優が笑顔になってこう言った。
(美優)「お母さん・・・ありがとう・・・大丈夫、私、素敵な女性になるから!」
(萌仁香)「ミー・・・」
(美優)「美子都さんも、自分の幸せより先に・・・素敵なお母さん! わたし、美子都さんのこと、だ~い好き!」
(美子都)「ミーちゃん・・・」
そして、萌仁香と美子都は同時にこう言った。
(萌仁香・美子都)「ごめんなさい」
マコト (月曜日, 08 8月 2016 20:09)
美子都は、息を吹き返した。
『あ~ぁ、 心配したらお腹すいちゃった!』
「はぁ?・・・さっきみたらし団子何本食べたと思ってんの?」
『う~ん・・・二本?』
明らかな嘘である。
『わたし、おつかい行ってくる! 何か食べたいものない?』
「ないわよ!」
『萌仁香に言ってないから! ミーちゃんよ!』
「え~ 美子都さん・・・私も大丈夫です」
『なに言ってんの! 若い時に食べなくて、いつ食べるのよ!』
萌仁香も美優も同じことを考えていた。
「50歳になってからだね!」と
美子都だって、大食いだ!大食いだ!と言われ続けているが、実は、若い時は、そんなに食べる子じゃなかったのである。
それが、あることをきっかけに・・・
そのことは、小説の進行上、不必要な説明となるので割愛するが。
美優に何もいらないよと断られた美子都は、ちょっと寂しそうな表情を浮かべた。
でも、萌仁香がこう言ったのである。
「・・・ありがとう、美子都」
『えっ? なんで?』
実は、萌仁香には分かっていたのである。
おつかいに行って、美優と自分を二人にしようとしたことを。
美子都は、「ざ~んねん!」と笑った。
そして、萌仁香は少し困ったような顔をして美子都に聞いたのである。
「ねぇ、美子都・・・」
マコト (月曜日, 08 8月 2016 20:10)
(美子都)「なぁに、萌仁香・・・」
(萌仁香)「ミーのこと・・・寛司君に話す?」
(美子都)「寛司に? 言わないわよ~! だって、子どもの恋愛に口を挟むな!って、ミーちゃんから注意されたばかりだもの」
(美優)「注意じゃないですけど・・・」
(美子都)「ミーちゃん、冗談よ、冗談! でも、寛司のどこがいいのかなぁ・・・無口だし、何考えているか分からないし・・・まぁ、顔はイケてるけどね!」
先に書かれてあったことを覚えているだろうか。
そう、寛司は、美子都をそのまま男の子にした顔なのである。
美優は、ちょっと驚いた顔をした。
(美優)「へぇ~・・・家じゃ無口なんですね!」
(美子都)「えっ? 外では違うの?」
(美優)「いろんなこと話してくれますよ! それに、すごく優しいし・・・お母さんのDNAを受け継いでるんですよね!」
(美子都)「寛司が優しい? 女の子に?」
(美優)「はい!」
(美子都)「そんな、リップサービスしてくれなくても大丈夫よ! ミーちゃん」
そんな会話の中にも、美子都には心配なことがあった。
それは梨花のことだった。
もちろん、萌仁香もそのことは分かっていた。
「ねぇ、美子都・・・」
『うん? なぁに、萌仁香』
「梨花ちゃんのこと・・・」
『そうね・・・私からしたら微妙なところだけど・・・』
少し考えて美子都は、美優にこう言ったのである。
『ねぇ、ミーちゃん・・・』
「はい・・・」
『私さ、寛司のことをよく知らないダメな母親よね』
「そ、そんなことないですよ! 美子都さん」
『でもね、子どもの幸せを願うのは、ミーちゃんのお母さんと同じ。 寛司には、早く素敵な恋をして、幸せになってもらいたいの』
「はい! 私も、そう思います」
『それでね、ミーちゃん・・・』
マコト (火曜日, 09 8月 2016 20:56)
『それでね、ミーちゃん・・・』
とは言ってみたものの、次に続くいい言葉が見つからない美子都
そんな美子都をみて、美優が先にこう言った。
「ぜひ、私のことを応援してください!」
『あっ・・・う、うん・・・そうね、ミーちゃんのことをね・・・』
そして、一番の笑顔でこうも言ったのである。
「でも・・・梨花のことも応援してくださいよ!」
『えっ?』
美優は続けた。
「わたし・・・梨花のことが大好きなんです! 優しいし、気遣い出来る子だし、ケンちゃんさんのように・・・」
『えっ? 健心のように? ・・・って、ほら、ほめる言葉が見つからないんでしょ!』
「あっ、いやっ・・・そうじゃなくて・・・ケンちゃんさんのように、よく分からないですけど、なんかほっとけないっていうか、あっ! 一家に一台! 必要な存在ですよね!」
『 (それ、ほめてないけど) 』
「とにかく、梨花と一緒にいると楽しいんです! だから、ずっと友達でいたいんです!」
『ずっと友達で?』
「はい!」
『そっかぁ・・・でも、恋敵になるかもしれないのよ!』
「はい! 分かっています」
『それでも友達でいられるの?』
「はい!」
『ミーちゃんは強い子ね』
美優はこう言った。
「美子都さんには、梨花のことも応援してもらいたいんです! あっ、でも私のことも忘れないでくださいね!」
そう言って笑った。
美子都も萌仁香、美優の言葉にほっとしたのである。
そう・・・
それは、美優の言葉をそのままに信用したからだ。
マコト (火曜日, 09 8月 2016 20:57)
それから、二週間が経った。
「母さん! どうしたの? その指?」
『えっ? あっ、これ?』
「うん! アイスキャンディーじゃないよね?」
『寛司ーーー!!! どうして、あんたは、そういうことを平気で言うの!』
「いやいや、これでも一応心配してんだけど・・・」
『あらっ・・・そうなの』
「母さん・・・今日は、友達と飲んでくるから、遅くなるよ!」
『そう・・・分かった』
その日は、いつものメンバーの梨花、美優、朝彦、愛子の5人で飲む日だったのである。
『あっ、そう』
と、そっけない美子都の返事に、寛司にしては珍しいことを言った。
「母さん・・・最近、僕に何も聞かないね!」
『えっ?・・・だって、あまり話したがらないし・・・』
「ふ~ん・・・それだけかなぁ・・・何かあったんじゃないの?」
『な、な、なんにもないわよ! バカなこと言わないで!』
「って、その母さんの慌て方が、何かありました! って、言ってるんだけど・・・」
『えっ? ホントに何もないわよ!』
「ふ~ん・・・ねぇ、母さん・・・」
『な、なに!』
「おぉ~こわっ!」
『だ、だからなに? 何が聞きたいの?』
一呼吸して、寛司が聞いた。
「母さん・・・再婚しないの?」
マコト (火曜日, 09 8月 2016 21:00)
あまりに突然な質問に、美子都の表情は、おかちメンコに。
『はぁ? いきなり何を言い出すかと思えば・・・どうして突然そんなこと聞くの? 再婚なんかしないわよ!』
「どうして? 僕がいるから?」
『はぁ? 違うわよ! あなたは、もう立派な社会人になったんだし、なんなら、一人暮らしを始めてもいいのよ! あなたのことは、もう何も心配していないから!』
「そうなの? 僕が一人暮らしをしたら、母さん、ひとりぼっちになっちゃうじゃん!」
『ひとりぼっちに? ならないわよ!』
「なるじゃん!」
『ならないの! 私には、たくさんの仲間がいるんだもの』
「ふ~ん・・・友達って、そんなにあてになるものなの?」
『なるわよ! 貴方にもたくさんのお友達がいるでしょ』
「・・・いるけど」
『困ったときに助けてくれる! それが真の友達なのよ。お母さんには、そんな友達がたくさんそばにいてくれるの』
「ふ~ん・・・」
その時の美子都は自分のことよりも、寛司が、美優と梨花と、どういう関係でいるのか、それを聞きたい気持ちでいっぱいだった。
でも、それは当然聞けるはずもなく。
こんな時の母親は、こう切り返すのだ。
『私のことなんかより、自分はどうなのよ! 彼女ぐらいいるんでしょうね!』
「ははっ! 彼女? 特定の彼女はいないけど!」
『な、なによそれ! 特定のってどういうこと? まさか、何人もの彼女がいるんじゃないでしょうね?』
一昔前の美子都だったら、間違いなくウェストポーチを腰に付け
『彼女は一人! そんなの決まってるでしょ! 昭和の女をなめるなよ! ライダー~~~変身! トォー!!!』
と、重い体にムチ打って飛び跳ねていたであろう。
だが、美優とのことがあってから、美子都は少し変わっていたのである。
そんな美子都に対し、寛司は、昭和女には聞き捨てならない言葉を言ったのである。
「彼女なら、3人いるよ!」
と
マコト (水曜日, 10 8月 2016 12:59)
さすがに寛司が言ったその言葉には・・・
と、思いきや、それでも美子都は静かに
『3人? あぁ、そうなの・・・仲良くやるのよ』
と、寛司も驚くような言葉と、リアクションのない美子都だった。
「ねぇ、母さん・・・」
『うん?』
「どうして、何も言わないのさ!」
『何も?』
「そうだよ! 母さんにはあり得ないでしょ! 彼女が3人!だなんて」
『・・・そうね』
言い返せるはずがなかった。
なぜなら、美優との約束だからだ。
『ミーちゃんも、梨花ちゃんのことも両方応援するって・・・こういうこと?』
と、自問自答しても、答えがみつかるはずもなく・・・
『3人?』
この時の美子都の頭の中には、萌仁香、壮健、そして健心の顔が思い浮かばれていた。
『どうして、こんな身内ばっかりと・・・ごちゃごちゃしなければいいんだけど』
マコト (水曜日, 10 8月 2016 20:55)
寛司と美子都との会話は、それ以上は続くこともなく・・・
「行ってきます・・・母さん」
そう言って、寛司は仕事に行った。
そして、その日の夜
寛司や美優たちは、いつものように居酒屋ニチョウに集まった。
5人は、とりあえずのドリンクをオーダーし
「かんぱ~い」
その日の、注文係は梨花だった。
『ねぇ、お腹すいてない? 夏バテ対策に今日は食べようよ!』
「そうね! 梨花」
明るく応える愛子。
皆からオーダーを聞いて、部屋に備え付けられているタッチパネルの機械を操作する梨花、
それを朝彦がサポートしていた。
「こうだよ!」
『わぁ~ さすが朝彦! ありがとう、出来た』
その日は、土曜日で特に混んでいたこともあり、なかなか料理が届かなかった。
「今日は、混んでるみたいだからな! しょうがないよ」
そう言って、皆をなだめるのは寛司の役割だ。
マコト (水曜日, 10 8月 2016 20:56)
だが、待っているのも限界に達しそうになった頃、ようやく1品だけ届いた。
『あれぇ~ それ最後に追加でお願いしたものなんだけどなぁ・・・』
困ったような顔で梨花が言った。
それを察してか、朝彦が
「俺・・・タッチパネルの操作を間違えたかな?」
と、店員さんに確認した。
店員は、「えっ? す、すぐに確認してきます」
そう言って、帰っていった。
『いくらなんでも、遅いよね』
美優の言葉に、皆はうなずくだけだった。
すぐに別の店員が、血相を変えて現れた。
「すみません・・・失礼します」
扉を開けて入ってきた店員を見て、梨花が驚きの声をあげた。
『亮介!』
マコト (木曜日, 11 8月 2016 20:49)
『亮介じゃないの!』
梨花の言葉に、その店員も驚きの表情を浮かべた。
だが、
「大変お待たせをして申し訳ございません。手前どものミスがありまして・・・急いでお料理をお造りいたします。 申し訳ございませんでした」
と、梨花と会話を交わすことなく、丁寧に謝罪し急いで帰っていった。
『えっ、・・・亮介』
梨花は、何も言わずに帰っていった店員を、寂しそうな表情で見送るしか出来なかった。
美優が聞いた。
「梨花ぁ・・・知り合いなの?」
『・・・う、う~ん・・・』と、言葉を濁して答えなかった。
それから数分で、オーダーした料理が続々と運ばれてきた。
扉が開き、料理が運ばれるたびに、店員を確認する梨花だった。
何かあるのかと、梨花の様子をずっと見守る仲間達。
料理が全て揃うと、梨花がようやく口を開いた。
『亮介はね・・・』
マコト (金曜日, 12 8月 2016 22:07)
『亮介は、私の弟なの』
「弟? 梨花の? 梨花には弟がいたの?」
梨花は、少しだけ寂しそうな顔をして続けた。
『お父さんとお母さんが離婚したとき・・・私は、高校2年生、亮介は中学3年生だったの。 両親は、「お前たちの好きにしなさい」って・・・それで、私は、お父さんのところに・・・亮介はお母さんを選んだの』
美優が言った。
「ということは、さっきの亮介君? 亮介君のお父さんは、ケンちゃんさんっていうことなのよね?」
『そうよ』
「別々に暮らし始めてから、梨花は亮介君と会っていなかったの?」
『いやっ、それから何度かは会っていたけど・・・亮介が大学に入ってからは、一度も会っていないの・・・でも、どうして、ここで働いているんだろう・・・すごく頭のいい子でね・・・、実はね、私のお母さんは、薬剤師なの! だから、私達の仕事とも少しは関係しているんだけど・・・亮介もその道に進みたいって、頑張って唐京薬化大学に進学したはずなんだけど・・・』
「え~、すごーい! 唐京薬化大学なんて」
『そうね・・・』
マコト (土曜日, 13 8月 2016 08:18)
奥谷亮介(オクタニリョウスケ)、21歳
母親は、奥谷希咲
父親は、小野寺健心である。
今は、母、希咲のもとを離れ一人暮らしをしながら大学へ通っている。
中学時代まで父親・健心の影響を受け、半ば強制的に野球をやらされていた。
その反抗心からか、両親の離婚の際には、父親を選ばず母親・希咲と暮らすことを選んだ。
そんな亮介は、高校に行って野球を捨てようと考えていた。
だが、亮介と一緒に進学した中学時代のチームメイト達は、それを許さなかった。
「亮介! お前と一緒に野球がしたいんだ! お前がやらないのなら、俺たちも野球をやめる!」
仲間達からのその言葉で、亮介は野球部への入部を決めた。
高校野球は、学校の机の上で学んだことよりも、亮介を大きな男へと育んだ。
高校を卒業したとき、亮介は思った。
「オヤジ・・・オヤジの言っていた野球を通して学ぶこと、って、こういうことだったんだね・・・オヤジ」
「俺、野球を続けてきて良かったよ」と
亮介は、大学へ進学してからは、アルバイトをしながら薬剤師を目指して真面目に大学に通っていた。
亮介にそっけなくされ、梨花4は、とても寂しそうにしていた。
それに気づいた寛司が・・・
自分のことを話し出したのであった。
「あのね、実は俺にも・・・」
マコト (土曜日, 13 8月 2016 08:21)
寛司は、自分の身の上話を始めた。
(寛司)「あのね、実は俺には姉さんがいるんだ」
(愛子)「えっ? 寛司にお姉さん?」
(寛司)「うん・・・2歳年上の姉さん・・・境遇は梨花と全く同じなんだ」
(梨花)「私と?」
(寛司)「うん・・・両親が離婚した時に自分は母親と・・・姉は父親と暮らすようになってさ」
(梨花)「ホンとね・・・うちと同じように、姉弟で別々に暮らしたのね」
(寛司)「父さん・・・離婚してからは、急に厳しい親に変わっちゃったらしくて・・・姉さん、そんなこともあって、若くして結婚したんだ・・・父さんの反対を押し切ってさ」
(梨花)「そうだったの・・・それで、今は連絡し合ってるの?」
(寛司)「結婚して父さんのうちを出たときに会ったのが最後かな」
(梨花)「お姉さん・・・幸せに暮らしているんでしょ?」
(寛司)「分かんない・・・父さんのところにも連絡をよこさないって・・・もちろんお袋のところにも」
(愛子)「お父さんも寂しいでしょうね・・・」
(寛司)「そうだね・・・」
付き合いを重ねていくことで、徐々にではあったが、互いの家庭環境を知っていった仲間達であった。
マコト (日曜日, 14 8月 2016 19:36)
梨花は
『なんか、ごめんね、私の家のことで・・・せっかく楽しく飲んでいたのに・・・』
仲間達は、もちろん、そんな気遣いのできる梨花を責めることはなかった。
気分を変えたかった梨花が、突然、こんなことを言った。
『そうだ! みんなでバーベキューやろうよ!』
「えっ? バーベキュー? いいねぇ~ でも、どこでやるの 道具は?』
『私のお婆ちゃんの生まれた家よ! 道具も全部揃ってるんだ!』
「へぇ~ すごーい! いつ? いつにする?」
梨花は、満面の笑みを浮かべて言った。
『来月の最初の日曜日ね! 準備は私に任せておいて!』
仲間達は、全員そろって言った。
「了解!」
実は、55会で、その日その場所でのバーベキューを計画していたのである。
梨花は、健心から
「梨花も来るか?」
と、誘われていたのであった。
だが、さすがに自分だけ、親の同級生に交じってということに、気が引けていた梨花であったのだが、自分の仲間達が一緒なら! そう考えて、寛司達を誘ったのである。
飲み会を終えた梨花が帰宅して、健心に早速報告した。
『ただいまぁ~』
「おかえり、梨花」
『お父さん、あのね! バーベキューに私も行く!』
「おぉ~、そっかい・・・気が変わったのか?」
『う~ん、私一人じゃ寂しいと思ったんだけど・・・お友達も連れて行っていいでしょ?』
「あぁ、もちろんいいよ! バーベキューは賑やかな方がいいもんな!」
『サンキュー! って、ゴメン、私、明日も早いから、お風呂に入って先に休むね! じゃぁ、また近くなったら! 』
「はいよ」
と、遅い時間であったがために、そのメンバーが美優や寛司達であることまで話さなかった梨花だった。
PON (日曜日, 14 8月 2016 21:18)
その時健心は
「直前になってインフルエンザになるんじゃねーぞ」
という一言だけ伝えたのだった。
マコト (月曜日, 15 8月 2016 18:59)
梨花が、バーベキューのことで多くを語らなかったのには、実は、もう一つ別の理由があったのである。
そう、それは亮介のことだ。
『お父さん・・・今日、亮介に会ったよ! 亮介、元気だったよ!』
そう、伝えたかった。
だが、亮介は、料理が遅れたことをお詫びに言いにきてからは、一度も顔を出すこともなく、帰り際も姿を現さなかった。
『亮介・・・』
梨花は、諦めて居酒屋を出た。
亮介のことを健心に話そうとも考えたが、
「なんで、地元の居酒屋で働いているんだ?」
と、健心の心配事を作るだけだと思い、話せなかった梨花だった。
梨花は知っていた。
健心が、亮介には内緒で大会のたびに亮介が野球をする姿を見に行っていたことを。
『お父さん・・・球場まで足を運んでいるなら、亮介にあって、アドバイスを送りたかったんだろうなぁ』
そんな健心に、何も言えなかった梨花だった。
だから、普段ならたくさん会話する梨花も、その日に限っては最低限のことしか話さなかった。
弟想いの梨花であるがゆえに、余計に健心には話せないと思ったのであった。
55会のメンバー達は、着々とバーベキューの準備を進めていた。
可夢生は、二度目の案内メールを送信し、
健心は、ホームセンターでテントを購入、そして従兄に連絡し鮎の手配を
萌仁香は、参加者の車の配車を考え、
玲飛は、ビールサーバーの点検を
そんな中・・・
美子都は、
『私が参加しなかったら、バーベキューは始まらないもんね! 食べなきゃ!』
と、好物のみたらし団子を
そう、健心から言われたインフルエンザ対策に余念がなかったのである。
マコト (火曜日, 16 8月 2016 12:59)
バーベキューの日が近づいてきたある休日・・・
梨花の携帯がなった。
『あっ! カンチからだわ! もっしも~し、わたしリカちゃん』
「おっ・・・相変わらず明るいな!」
『だって、カンチからの電話だもん! で、どうしたの? 珍しいじゃない』
「あっ、うん・・・なぁ、梨花は今日は何してんの?」
『えっ? ・・・今日は特に用事はないけど・・・なんで?』
「いやっ・・・」
寛司は、すこしためらいながらも
「じゃぁ、付き合えよ!」
『えっ?・・・付き合えって?』
「いやっ、暑いしさ・・・お袋から、うまいかき氷屋さんがあるの聞いたんだ! 一緒に食べに行こうぜ!」
『えっ? なに? カンチ・・・それってデートのお誘い?』
「違うよ! ・・・ドライブだよ! 一人じゃ寂しいからさ・・・暇なんだろうから連れていってやるよ!」
『えーーーなに、それ!!! じゃぁ行かない!』
「なんで? 暇なんだろう?」
『・・・行かない・・・行きたいけど』
「な、なんだよ、それ! どっちなんだよ?」
『・・・・・』
返事をしない梨花に、寛司はこう言って電話を切ったのだった。
「一時間後に迎えに行くから! じゃぁな!」
いきなり切られた電話に梨花は
『はぁ? 切ったぁ! ・・・わたし、迎えに来たって行かないからね!』
マコト (火曜日, 16 8月 2016 19:37)
一時間後・・・
「おはよう」
寛司の車に、ポニーテールにカジュアルな服装の梨花がいた。
『もぉ~、もうちょっとうまい誘い方してよね!』
「ごめん・・・」
『で? どこのかき氷屋さんに連れていってくれるの?』
「あっ、い、今市だよ!」
『へぇ~・・・美味しいの?』
「お袋のお勧めでさ・・・」
二人のデートは、こんな雰囲気でスタートしたのであった。
梨花にとって、寛司の運転は、とても居心地が良かった。
それは助手席に座った者でしか味わうことのできない感覚だ。
車内には、80年代の懐かしい曲が流れていた。
そう、それは美子都が青春時代に聞いていた曲だった。
梨花は、それを口ずさんでいた。
「知ってるの?」
『えっ? オフコースのこと?』
「うん! ずいぶん古い曲だけど・・・」
『だって、お父さんがよく聞いていた曲だもの』
「そっか、同じだ! 俺はお袋が好きで、よく聞いていたから」
≪それでもいま君が あの扉を開けて
入って来たら 僕には分からない・・・≫
しばらく一緒に歌った二人であった。
寛司の車は杉並木を走った。
今市に近づくと、渋滞していた。
『混んでるね』
「そうだなぁ・・・」
渋滞から気を紛らわそうとしたのか、寛司が突然に聞いてきた。
「なぁ、梨花・・・」
『なぁに? カンチ』
マコト (水曜日, 17 8月 2016 22:18)
寛司は、どこか嬉しそうな顔で聞いた。
「スタンダード決めクイズ出すから答えてよ!」
『スタンダード決め? って』
「お袋から教えてもらったんだけどさ・・・まぁ、とにかく質問するから、素直に答えてよ!」
『わ、分かった』
「第一問! 桜餅の葉っぱを一緒に食べる? 食べない?」
『え~、そういう質問なのね! わたしは・・・一緒に食べる!』
「ほ~、なるほど! じゃぁ第二問いくよ! アジフライにかけるのは醤油? それともソース?」
と、そんな寛司の質問に梨花は素直に答えていった。
途中、梨花は
『え~ カンチはどっちなの?』
と、寛司の答えも聞きたがった。
それでも寛司は、
「俺のことはいいから、まずは梨花が答えてよ!」
と、素直に答えることを促した。
「第12問! 梨花の右手を見て長いのはどっち! 人差し指? それとも薬指?」
「第13問! 待ち合わせ! 梨花は待つ派? 待たせる派?」
「第14問! 仕事で重要なのは・・・結果? それとも経過?」
「第15問! 好きな人と一緒に歩くときは・・・腕を組みたい? それとも手をつなぎたい? どっち?」
「第16問! あなたは、愛したい派? それとも愛されたい派?」
「梨花・・・最後の質問いくよ!」
『えっ? 次が最後なの? 分かった』
「第20問! 梨花は・・・今の自分のことが好き? それとも、好きじゃない?」
『え~・・・』
最後の質問のときは、ちょうど赤信号だった。
寛司は、助手席で真面目に考えて、答えを導き出す梨花を見ていた。
梨花は、最後の質問に笑顔でこう答えた。
『答えは・・・好き! だって、誰かに愛されたいって思うなら、まずは好きになれる自分でいなきゃ! それがお父さんの口癖なんだもの! ここで、嫌いって答えたら・・・』
梨花は、少し恥ずかしそうな顔でそう言った。
寛司は、最後の質問を終えてこう言ったのである。
「良かったぁ・・・なぁ、梨花」
『うん?』
「ひとつだけ・・・」
『なにが? ひとつだけなの?』
「ひとつだけ違うけど・・・あとは全部俺と同じだよ!」
『え~ なんかすごーい! って・・・どの質問が違ったの?』
「・・・・・」
『はっ? どこ? どの質問?』
「・・・・・」
『答えたくないの? え~、なにそれ! どの質問よ!答えろーーーカンチ!!!』
マコト (木曜日, 18 8月 2016 03:21)
寛司は、それよりも違うことを梨花に伝えたかった。それは
「梨花・・・お袋と20問全部同じ答えだったよ!」と
寛司は、梨花の質問には答えずに・・・
「梨花、着いたよ! あれ見て!」
梨花に、正面を見るように言った。
『わぁ~ すごい人!』
「まいったなぁ・・・混むよとは聞いていたけど、ここまでとは・・・どうする?」
『どうするって?』
「並ぶ?」
梨花は、満面の笑みで
『当たり前でしょ! 美味し良いものをいただくには、行列は付き物だよ!』
それは、よく聞かされた台詞だった。
そう、それは美子都がよく言う台詞であった。
「そ、そうだよな・・・せっかく来たんだもんな!」
線路を渡ったところにある駐車場に車を停めた。
二人で歩き出すと梨花が
『ねぇ、カンチ・・・つなぐ?』
「えっ?・・・な、なにを?」
『手』
寛司は、慌てて
「デ、デートじゃないから! あっ!早く並ばなきゃ! 急げ~!!!」
そう言って、歩くスピードを速めた。
梨花は、照れる寛司を楽しむかのように
『私の方が速いよ!』
と、言って寛司を追い越して行った。
マコト (木曜日, 18 8月 2016 19:57)
梨花と寛司が、かき氷屋さんの行列に並んでいた頃だった。
休日を家でのんびりしていた健心の携帯がなった。
「おぉ~ 萌仁香からだ! なんだべや?・・・はっ?」
萌仁香からのLINEには、こう書かれてあった。
『バーベキューに、春香(ハルカ)が参加したいって! 健心に聞いてみてって!』
健心は、一瞬、ためらったが、こう返信した。
「春香かぁ・・・久しぶりだな! ぜんぜん構わないよ! そう伝えて!」
健心がためらったのには、理由があった。
「春香・・・まさか、あの“伝説の飲み会”の時の話はしないよな」と
息子、娘たちとは別のところで、メンバー達のバーベキューの準備は着々と進んでいたのであった。
マコト (木曜日, 18 8月 2016 19:57)
寛司と梨花は、かき氷屋さんに着いた。
『カンチ、すごい人! きっと、それだけ美味しいのよね!』
「そ、そうだな」
次に分かったのだが、二人が見た店の前で並んでいた人は、受付を済ませたお客さん達だけだったのである。
その日は、店の奥の別の場所で、受付を待つ人が、約100人は並んでいたのであった。
「ま、ま、まじか・・・」
寛司は、思わず帰りたくなった。
だが、そこは女子と男子の違いなのであろう。
もう、梨花は待つことを楽しんでいたかのようであった。
梨花を見ていると、同じような女子の姿が、直ぐに思い出された。
「お袋も、同じだ!」と
よく、寛司は美子都に連れられて、行列に並ばされた。
『寛司! ここは美味しいから、頑張って並ぼうね!』
寛司も、その言葉だけには、逆らえなかった。
『変身! トォー!!!』
だけでは済まない! 食い物の恨みは・・・って、やつだ。
ようやく、受付の順番になったが、再び、寛司に衝撃が走った。
「・・・はぁ?」
それは、かき氷の値段だった。
寛司には、800円という値段が理解できなかったのである。
それでも2時間待って、食べたかき氷に
「これが、天然氷ってやつなんだな!」
と、その手間暇に値段が加算されていることに納得した寛司だった。
マコト (金曜日, 19 8月 2016 05:08)
『美味しかったねぇ、ありがとうカンチ』
梨花の笑顔で、2時間並んだ疲れは全て消え去った。
寛司は、そんな梨花に
「少し、ドライブしようか?」
『うん!』
二人は、所野経由で霧降高原に向かった。
山を登っていくと、天気が急変し、名前の通り、霧が一面に立ち込めていた。
視界は数メートル、カーブもきつく・・・
そんな状況での寛司の運転は、とても丁寧だった。
『大丈夫か? 梨花』
そんな些細なことが、梨花には嬉しかった。
途中、“チロリン村”と書かれた看板が目に飛び込んできた。
「なんだっけ? チロリン村って」
『え~ 私も分かんないよ、カンチぃ』
「寄ってみようか?」
『うん!』
チロリン村の駐車場に車を停めて、施設に近づいた二人は、愕然とした。
「梨花・・・」
『・・・うん』
「・・・ごめん」
『・・・いいの』
「知らなかったもんで・・・」
『・・・いいんだって』
「いく?」
『・・・いかない』
「・・・だよな」
『・・・うん』
マコト (金曜日, 19 8月 2016 05:12)
二人が目にしたものは・・・
今さっき、今市で食べたかき氷屋さんと同じ看板だった。
そこにいる客は皆、ゆったりとデッキに座ってかき氷を食べていたのだった。
「ここでなら、二時間待たずに・・・もう一度食べる?」
『もう、食べられないよ~』
「・・・だよな・・・ごめん、知らなかった」
『いいの! だってカンチと2時間並んで食べたことが、楽しい思い出になったもん!』
「・・・そっか・・・なら、いいんだけど」
苦笑いの二人は、大笹牧場に向かった。
六方沢まで行くと寛司が
「あぁ・・・残念だな」
『なぁに? 何が残念なの?』
「いやっ、ここからの景色は最高なんだよ! 霧がなければなぁ・・・この下は谷底まで130m以上あるんだよ!」
『えっ? この橋の下? 130m? 無理!無理無理!』
それは、逆ローゼ型のアーチ橋「六方沢橋」だ。
どうやら、梨花は、高いところがあまり得意ではないようだった。
「苦手なの?」
『う・う・う・・・ん』
女の子が、弱いところを見せると、それを守りたくなるのが男の性
寛司は、目を閉じて怖がる梨花に
「もう通り過ぎたよ!」
と、笑って教えてあげたのだった。
『ほ、ホンと? 良かった! ありがとう・・・カンチ』
大笹牧場も、霧が全てを覆っていた。
「残念だね、ごめんね・・・俺の選定ミスだよな」
決して寛司が悪い訳ではないが、綺麗な景色を見せられなかったことを素直に謝る寛司に、梨花は
『そんなことないよ! 霧に包まれた牧場・・・なんか想像して景色を思い浮かべるのも素敵よね!』
と、男の子にとっては、最高な返事を返してくれたのだった。
『お父さんにお土産!』
「そっか」
と、寛司は籠を持って。
会計を済ませて、外に出ると・・・
さっきまでの霧が嘘のように、晴れ渡っていた。
『カンチ、見て~!!!』
二人が目にしたのは、あたり一面の“ひまわり畑”だった。
梨花は、子供のようにはしゃいで
『ねぇ、カンチ!行こう』
梨花は、寛司に追いかけて欲しいかのように、ひまわり畑を走った。
それは、あたかもサリンジャーの小説の描写のようだった。
あれ??? それは、『ライ麦畑でつかまえて』だったか?
マコト (金曜日, 19 8月 2016 20:15)
それから二人は、食事をしようと、明治の館に向かった。
「さすが、世界遺産だよな! 混んでるね」
『そうね、でも、東照宮に来るのは、世界遺産になってから初めてよ!』
「そっか、俺もだ!」
明治の館に着いた二人は、コースをオーダーした。
『ねぇ、カンチ! なんか、本当にデートみたいね』
「えっ? う、う~ん・・・」
だが、寛司は
「あっ、そう言えばさ・・・」
と、話題を変えてしまった。
食事を終えた二人は、二荒山神社へと向かった。
参道を進んでいくと、拝殿正面の神門の右手に1つの根から2本の杉が仲よく寄り添う「夫婦杉」、そして、左手には同じく1つの根から2本の立派な杉と小ぶりな1本の杉が並ぶ「親子杉」が目に入った。
『え~ わたし、知らなかった』
「なにが?」
『ねぇ、カンチ・・・この神社は縁結びで有名な神社だったのね』
「えっ? そうなの?」
梨花は、勝手に想像していたのかもしれない。
『カンチ・・・ もしかして、この神社に連れて来てくれたのは・・・な~んてね!』
マコト (金曜日, 19 8月 2016 20:16)
突然ではあるが・・・
日光には、伝説があることをご存じだろうか。
それは、日光にデートしたアベックは、必ず別れるという都市伝説だ。
梨花と寛司の初デートの時にする話しではないが・・・
事実、存在した伝説だ!
それも高い確率で。
休日を一緒に過ごした寛司と梨花は、たくさんのことを話した。
互いに話して初めて知ることばかりだった。
梨花には、とても嬉しいことがあった。
それは、いろんなことに対する価値観が、寛司と同じであるということ。
『価値観が同じって、とても大切なことよね・・・カンチ』
日光をあとにして、薄暗くなった杉並木を通って走る寛司の車
『楽しかったぁ、カンチありがとう』
「俺も楽しかったよ! 梨花」
車の中には、楽しく話す梨花と、それを笑顔で聴く寛司がいた。
梨花の家が近くなってきた。
寛治は、手前の交差点を右折して、車を停めた。
そして・・・
「なぁ、梨花・・・」
梨花は、思ってもいなかった言葉を寛司から聞かされるのであった。
マコト (土曜日, 20 8月 2016 20:17)
寛司は、公園の駐車場に車を停めた。
公園の街灯が、二人の顔を微かに照らし出していた。
運転中は、梨花の話にうなずくだけだった寛司が、話し出した。
「なぁ、梨花・・・」
『うん? なぁに、カンチ』
「梨花の誕生日っていつ?」
女の子が、誕生日を聞かれれば、それはそれなりの想いが湧くであろう。
梨花は、嬉しそうに
『3月12日だよ!』
「そっか・・・」
『えっ? なに? そういうカンチは?』
「俺? 俺は11月18日」
そして寛司は、梨花が想像もしていなかったことを言ったのだ。
「俺が、兄貴になるんだな!」
『えっ?・・・』
マコト (土曜日, 20 8月 2016 20:19)
『そ、そうね、カンチの方が早く生まれたんだもんね』
「いやっ、そういうことじゃなくて・・・」
『えっ? ・・・なに? どういうこと?』
「俺が、兄貴! そして梨花が俺の妹になるんだよな! ・・・俺たち兄妹に」
『・・・カンチ』
そのことは、梨花だって分かっていた。
分かっていたからこそ、寛司を異性として意識せずにこれまで接してきた。
でも、突然の電話に、梨花の深層心理が言葉になって体外へと飛び出してしまったのである。
『デートのお誘いなの? カ~ンチ』と
心の奥底では、寛司を異性として感じたい本当の梨花がいたのであった。
梨花は、純粋に嬉しい気持ちで、今日一日を過ごしてしまった。
知らずに済めば、思いも募ることはなかったのかもしれないが・・・
寛司の魅力を知るには、一緒に過ごしたわずかな時間だけで十分だった。
寛司の言葉に、梨花はうつむいて
『そっか・・・カンチもちゃんと分かっていたのね』
「うん?」
『私のお父さんと、カンチのお母さんのこと』
「・・・うん」
『分かっているなら、どうして私のことをドライブになんか誘ったのよ!』
そう言いたい気持ちもあった。
でも、優しい寛司に、もちろんそんな言葉はかけられなかった。
梨花は、寛司の本心を聞くのが怖かった。
どういう気持ちで、今日一日、自分と過ごしていたのか。
わずか数時間前の寛司の笑顔が、思い出された。
梨花は、
『カンチのバカー!』
そう言って、胸に飛び込みたかった。
それでも・・・
梨花は、ひとつ大きく息を吸って、笑顔を作ったのである。
そして・・・
マコト (日曜日, 21 8月 2016 09:34)
『ねぇ、カンチは、私にどんな妹になってもらいたい?』
「えっ?」
『私ね、カンチがお兄さんになるの、すごく嬉しいよ!』
「・・・梨花」
『もしかして・・・私が妹じゃ不満なの?』
「そ、そういうことじゃなくて・・・」
『じゃぁ、私が妹になるのが嬉しいのね?』
「・・・・・」
梨花は、返事が出来ずにいた寛司を無視して
『良かった! さっそくお父さんに報告しよう~っと!』
「えっ? なんて?」
『決まってるじゃない! 仲良し兄妹が誕生しました! って』
寛司は、梨花の言葉に何も返すことはなかった。
マコト (日曜日, 21 8月 2016 23:04)
『まったねぇ~ カンチ!』
そう言って、車から降りた梨花は、寛司の車が見えなくなるまで見送った。
『カンチ・・・行っちゃった』
梨花は、自宅とは別方向に歩き出した。
ちゃんと気持ちの整理がついていなかったからだ。
それは、別れ際に寛司が
「なぁ、梨花・・・」
『うん? なぁに カンチ』
「・・・いやっ、な、なんでもない・・・今日は、付き合ってくれてありがとう! 楽しかったよ!」
と、何かを言いかけて・・・うつむく寛司の、寂しそうな顔が目に焼き付いてしまったからだった。
『カンチ・・・私に何かを言いたかったの?・・・』
梨花は、あてもなく歩いた。
ふと気が付くと、高校の正門が目に入った。
『ここ・・・カンチが通った高校だよね』
梨花は、科沼高校の前にいた。
『私もこの高校に通っていたら、カンチともっと早く出会えることができたのかなぁ・・・』
一筋の涙が、梨花の頬を濡らした。
動けずに、しばらく校舎を見ていると
「梨花!」
一台の車が停まって、梨花の名を呼んだのである。
「えっ?・・・」
マコト (月曜日, 22 8月 2016 12:47)
突然ではあるが・・・
55会のメンバーたちは、仲間が台風の被害にあわないことを願って、台風が早く通り過ぎてくれるのを待った。
『あまり雨を降らせないで! お願い』
『中トロも鰻重も食べられなくてもいいから! だから・・・台風さん! 雨をたくさん降らさないで!』
川が氾濫することがないよう、ただただそれを願った。
マコト (月曜日, 22 8月 2016 22:24)
「梨花!」
それは、朝彦だった。
朝彦は、助手席側の窓を開け運転席から梨花の名を呼んだ。
『えっ?・・・朝彦』
梨花は朝彦に背中を向け、慌てて涙を拭いた。
そして精一杯に作った笑顔で朝彦を見て
「朝彦! どうしたの?」
「それは、こっちの台詞だよ! 梨花こそこんなところで何をしているの?」
賢い人は、咄嗟にそれなりの嘘が言えるものだ。
『ポ、ポケモンGOだよ!』
「まじかぁ・・・えっ? レアなポケモンでも出るの? ここ」
『う、う~ん・・・噂で聞いたんだけど・・・いないみたい』
そう言って、梨花は事なきを得た確信をもって普段の笑顔を作った。
「こんな遠くまで、一人で歩いて来たの?」
『あっ、う、う~ん』
もちろん朝彦には、お見通しだった。
優しい男の子は、こんな時には、うまく話を合わせてくれるのだ。
「しかし、奇遇だなぁ、こんな所で会って・・・でさ、実は俺も今からポケモン探しに行くところなんだけど、良かったら一緒に行こうよ!」
梨花も、朝彦のその嘘は、お見通しだった。
『えっ?』
返事にためらっている梨花に
「行こう、梨花! 乗りなよ!」
朝彦は、車から降りてきた。
そして、梨花の右手を強引に握ったのである。
「さぁ、行こう! 梨花」
マコト (月曜日, 22 8月 2016 22:32)
強引な朝彦に、梨花はされるがまま車に乗り込んだ。
「暗くなって、女の子が一人で歩いているなんて物騒だよ!」
『えっ? あ、・・・うん』
こんな時、優しい女の子なら、男の子の嘘を暴いてあげるものだ。
そうしないと、男の子が嘘をつき通さなければならないことを知っているからだ。
梨花は、朝彦の顔を見て
『朝彦・・・こないだの飲み会の時に、俺はポケモンなんてやらないよ!って、言ってなかったっけ?』
「あ、あれ~ そんなこと言った? 言ったかなぁ~ じゃぁ、嘘だってバレてたか?」
『もぉ~ 朝彦ったら!』
この会話で、いつもの二人になれた。
車に乗るまでは、強引な一面をみせた朝彦だったが、それは梨花に対する優しさだった。
当然、梨花もそれは分かっていた。
こんな時には、二人の共通の話題を出すしかないものだ。
「最近、仕事どう?」
『うん、なんとか・・・朝彦は?』
「俺も、ぼちぼち頑張ってるよ」
話題は、自然と5人の話になった。
「寛司の会社も大変みたいだよな」
『えっ?そうなんだぁ』
「愛子も頑張ってるかな?」
『愛子? うん、きっと頑張ってるわよね』
『あっ! そう言えばさ、バーベキューよろしくね!』
「おぉ~ そうだそうだ! バーベキュー楽しみだよな! 梨花のお婆ちゃんちなんだって?」
『うん! 綺麗なところよ!』
「楽しみだなぁ」
この後朝彦は、梨花からあるお願い事をされるのであった。
マコト (火曜日, 23 8月 2016 12:49)
『ねぇ、朝彦ぉ~ バーベキューの日なんだけどさ・・・朝彦にお願い事してもいいかなぁ』
「おぅ! なんなりと言ってくれよ!」
『じゃぁさ、美優を迎えに行ってくれない? 美優の家に一番近いんだからさ』
「えっ? み、美優を?」
『そう! 美優を! 朝彦が! 一人で!』
女の子は、男の子の微妙な変化を簡単に見抜くものだ。
動揺を隠せない朝彦に
『えっ? いやなの?』
「そ、そうじゃないけど・・・」
『けど、なに?』
「いやっ、お、女の子は女の子で一緒に行く方がいいんじゃないの?」
『はぁ?なに、そのつまんないこだわり!』
梨花は少しいたずらな顔を浮かべて
『ねぇ、朝彦・・・もしかして美優と二人になるのが恥ずかしいの? 』
「ば、バカなこと言うなよ!」
『やっぱりぃ~ 美優と二人じゃ恥ずかしいんでしょ!』
「この歳になって、恥ずかしいとか、ある訳ないだろう!」
『じゃぁ、迎えに行ってくれる?』
「・・・・・」
マコト (火曜日, 23 8月 2016 21:18)
男は、単細胞である。
恥ずかしいものは、恥ずかしいのだ。
梨花は、困った顔の朝彦にさらに追い打ちをかけた。
『ねぇ、朝彦・・・私と二人で車に乗るのは平気で、美優とは恥ずかしいって、どういうことかしら?』
「そ、それは・・・美優とは、知り合ってまだ間もないからだよ!」
『えっ? 間もない? 私とそんなに変わらないわよね?』
「り、梨花とは・・・会社でよく合うし・・・」
『ふ~ん・・・じゃぁ、美優ともっと会えば平気になるのかな? もっと二人で会えばいいじゃん!』
「はぁ? なに言ってんだよ! そ、そんな必要が、どこにあんだよ!」
『あなたには、あるんじゃないの?』
「はぁ?・・・まったく、意味わかんね!」
会話は、そこで中断した。
梨花は、
『朝彦って、分かんない人! 私の手を強引に握ったりするかと思えば・・・』
そう言って朝彦が掴んだ右手を見た。
その右手は、寛司とつなぎたかった右手だった。
朝彦の手の温もりが残っていた。
梨花は、我に返って朝彦にこう言った。
『なんかね、朝彦、カッコ良かったよ!』
「はぁ? なにが?」
『私を車に乗せようと、強引に・・・』
「強引にするのが、カッコいいのか?」
『いやっ、そうじゃないけど・・・』
「じゃぁ、なに?」
『う~ん・・・なんでもない! ただ、男の人が女の子を守ろうとしてくれる時って、カッコいいなって思っただけ』
「はぁ? なに訳の分からないこと言ってんの? 梨花」
『いいの、いいの! 分からなくて』
梨花は、車の外を流れる景色に目をやり、ひとつ大きく息を吐いた。
隣で運転する朝彦は、梨花を一度だけ見て
「変なやつ~」
と、笑った。
マコト (火曜日, 23 8月 2016 21:20)
そんな時、“噂をすればなんとやら”で、梨花の携帯がなった。
『あっ! 美優からだよ! もっしも~し・・・うん・・・そう・・・えっ? 私に話しが?・・・うん・・・うん、明日?・・・うん、大丈夫だよ!・・・うん、分かった・・・うん・・・うん・・・じゃぁ、明日ね!』
美優からの電話を終えた梨花は、ちょっといたずらな表情を浮かべてこう言った。
『ほらぁ、噂をしていたから、かかって来たよ! 美優から』
「ふ~ん」
『でね、なんか私に話があるんだって! 明日、会うんだ! せっかくだから朝彦のことも話してくるね!』
「はぁ? なに? なにを話してくるのさ!」
『うん? だから、バーベキューの時には、朝彦が迎えに行くからね!って』
「はぁ?・・・俺、まだ承知してないけど!」
『あらっ! そうなの? じゃぁ・・・別の人にお願いしなきゃ・・・』
「別の人って? ・・・もしかして寛司のことか?」
『えっ? そ、そうなるのかな・・・』
男の子だって、女の子の微妙な変化に気付くものだ。
「梨花・・・なんか、寛司には行ってほしくないって顔してるけど・・・」
『えっ? ち、違うわよ! 誰が美優の家に近いのかなぁって考えていたの! あっ! 愛子の家の方が近いわよね! 愛子に迎えに行ってもらうわよ!』
梨花に対する優しさからなのか、いい切っ掛けだと考えたからなのかは分からないが、朝彦は梨花に伝えた。
「じゃぁ、いいよ! 分かったよ、迎えに行くよ! 梨花に頼まれたから、仕方なくだからな!」
『あら、ホンと? じゃぁ、よろしくね!』
梨花は、朝彦に感謝していた。
どう見ても普通ではなかった梨花に、朝彦は何も聞かずに、ただそばに居てくれたからだ。
『朝彦・・・ありがとう』
そう、言葉にして言いたかった。
それでも、笑顔で普通の自分でいることが、唯一、梨花に出来ることだった。
弱っているとき、誰かにそばにいてほしいとき、
そんな時に優しくされ、自分を支えてくれる人に、気持ちが・・・
それが女の子なのだろうか。
『朝彦・・・送ってくれてありがとう』
「うん! ・・・なぁ、梨花・・・大丈夫か?」
『えっ? 何が? 大丈夫って?』
「い、いやっ、仕事さ! 仕事!」
『仕事? うん、大丈夫! 私、頑張る!』
「そっか! じゃぁ良かった。 俺、帰るわ」
梨花は
『ありがとう・・・朝彦』
と、朝彦の車を見送ったのだった。
マコト (水曜日, 24 8月 2016)
梨花が家に帰ると、健心はいなかった。
『あれっ? 出かけたのかなぁ・・・お父さん』
階段をトントンとのぼって、自分の部屋に入った。
FANCLのクレンジングで化粧を落とし、鏡に映る自分の素顔を見た。
一人になって、今日一日のことが順に思い出されてきた。
自然に涙があふれてきた。
寛司は、いつも笑顔で梨花を見ていてくれた。
強引で、それでも照れ屋で、優しい朝彦も思い出された。
梨花は、鏡に映る自分に向かってこう言った。
『今日だけは、泣いてもいいかな・・・』
その言葉と同時に、こらえていた分の涙が流れ落ちた。
どれくらいの時間が経っていたであろうか。
梨花は、大きく息を吸って鏡に映る自分に語りだした。
『梨花! あなたのお父さんは、自分のことよりも梨花のことを考える人なんだからね! くれぐれもカンチのことを気付かれちゃいけないんだからね! 分かった? 梨花』
『それから、・・・梨花! きっとね、朝彦は美優のことが・・・応援してあげるんだぞ! いい、分かった? 梨花』
部屋の電気を消して、ベッドに入った梨花は、ゆっくりと目を閉じた。
マコト (水曜日, 24 8月 2016 22:10)
翌日になった。
梨花の車に美優が乗り込んできた。
「ごめんね、梨花・・・付き合わせちゃって」
『いいのよぉ~ 美優 それより、今日のランチどこにする?』
「えっ?・・・考えてなかった、ゴメン」
『じゃ~ぁ・・・あっ! 益子でお父さんの同級生がカフェをやってるところがあるって!そこに行こうよ!』
「あぁ、それってBRANCH(ブランチ)っていうお店かなぁ?」
『そう! あっ、美優もお母さんから聞いたことあるの?』
「うん! 一度、行ってみたかったんだぁ・・・ずるいと思わない? いつも私は、お留守番なのよ! お母さん、お盆休みにも行ってきたんだって! 美子都さんも一緒に!」
『そうだったのぉ』
「お母さん、まいった!って」
『えっ? 何が?』
「美子都さんも一緒だったから、BRANCHだけじゃ足らずに、もう一軒はしごして・・・満腹中枢が破壊されそうだった!って」
『美子都さんらしいわね!』
「でもさ、歳をとると、たくさん食べられるようになるのかな?」
『えっ? それは関係ないんじゃない?』
「だって、美子都さん言ってたよ! 50歳を過ぎてから食べるようになったって」
『ふ~ん・・・』
Chanomi-Café Branchは、我妻衿那(ワガツマ・セリナ)のお店だ。
萌仁香や美子都たちはもちろん、健心もお忍びで時々出かけていた。
二人は、近況報告をしながらBRANCHに向かった。
マコト (水曜日, 24 8月 2016 22:11)
二人がBRANCHに着くと、衿那が厨房から出てきた。
「いらっしゃいませ・・・あれっ? 美優ちゃん? 美優ちゃんよね?」
「あっ、はい! こんにちは衿那さん」
「来てくれたのね! 遠いところ、ありがとう! 」
「はい」
美優は、衿那と明るく挨拶を交わした。
「美優ちゃんのお友達?」
と、衿那は梨花の方を向いて美優に聞いた。
「はい! あっ、衿那さんのよく知ってる人の娘さんなんですよ!」
梨花は、笑顔で軽く会釈をした。
すると、衿那は
「なるほどねぇ・・・可愛い娘さんだこと」
『えっ? 衿那さん、もう誰の娘なのか分かっちゃったんですか?』
「もちろんよ! 健心の娘さんでしょ!」
『そ、そうです! ケンちゃんさんの娘さん! 梨花です』
『小野寺梨花です、こんにちは・・・わたし、そんなに父に似ていますか?』
と、半分迷惑そうな、半分照れたような顔をした。
「だって、目元なんかそっくりだもの」
それは確かに、梨花がよく言われることだった。
梨花は、すぐに気になったことを聞いた。
『父は、私の話をよくするんですか?』
「う~ん・・・そんなよくってほどじゃないけどね」
衿那は、笑って
「まぁ、立ち話もなんだから、どうぞ、そこに座って」
そう言って、厨房に入って行った。
マコト (水曜日, 24 8月 2016 22:12)
衿那は、冷たいお水とオシボリを二つ、そしてメニューを持って戻ってきた。
そして、二人の前に座った。
『今日は、ゆっくり出来るんでしょ?』
「あっ、は、はい衿那さん」
『萌仁香は、元気にしてる?』
「あっ、はい」
『健心はどう、相変わらず?』
梨花は、その微妙な言い回しに、苦笑いで
「はい・・・たぶん、相変わらずなんだと思います」
『・・・そう』
衿那は何かを言いたそうな表情を浮かべたが、
『あっ、注文が決まったら呼んでね!』
と、また厨房に戻っていった。
衿那は、奥から
『可愛らしい子ね・・・梨花ちゃん』
と、美優と二人で仲良くメニューを見て、悩んでいる梨花の姿を見ていたのであった。
マコト (木曜日, 25 8月 2016 12:57)
実は・・・
それは、美優と梨花が来た数日前のこと。
突然、BRANCHに健心が現れた。
『おぉ~ 健心! いらっしゃい! えっ? 一人?』
「あっ、う、う~ん・・・一人」
こんな時の健心は、突然にこんな言い方をするのだ。
「衿那の顔が、急に見たくなっちゃってさ!」
『アハッ! なに訳の分からないことを言うかな、健心ったら!』
「やっぱり、バレた?」
『え~ でも嬉しいな! 座ってよ』
「う、うん」
「いつもの!」
『はっ? いつもの? って、そんな何回も来てないでしょ! って・・・たしか健心はカレーを頼んでくれていたわよね!』
さすが、BRANCHの店主である。
何度来ても、カレーを頼む健心を覚えていたのであった。
『待って~ 直ぐに作るね!』
健心は、天真爛漫な笑顔の衿那が、大好きだった。
とても、ほっとするのだ。
健心から、衿那に何かを話すことは、まず皆無であった。
BRANCHでの会話は
『ねぇ、健心・・・』
『そう言えば、健心・・・』
『そうだ、そうだ! 健心!』
と、衿那からの話に答えるだけの健心だった。
そう、その日も同じだった。
食事を終えた健心のところに、二つの珈琲を持って衿那が来た。
『私も、一緒に休憩してもいい?』
「あっ、うん、もちろん!」
衿那には、健心が店に入って来た時から分かっていた。
健心の前に座った衿那は、
『ねぇ、健心・・・私に何か話があるんじゃないの?』
と
「えっ?」
と、驚いた表情を浮かべたが
「話っていうか・・・なぁ、衿那・・・」
『なぁに? 健心』
健心は、思いつめた表情に変え、目の前に置いてある水を一気に飲み干して話し出した。
「俺、衿那のこと・・・」
マコト (金曜日, 26 8月 2016 06:33)
健心は、いつもと違って真面目な顔で言った。
「俺、衿那のこと・・・」
『・・・えっ? 私のこと?』
「俺、衿那のこと・・・高校時代は知らなかったよな!」
『えっ? あっ・・・う、うん』
「衿那と、こうして友達になれたのは、同窓会がきっかけだよな」
『そうね・・・』
「ちょうど、店の開店準備で大変なときに、幹事としていろいろお願いしちゃってさ・・・」
『健心、もうその話はいいのよ!』
「いやっ、言わせてくれ! ありがとね! 衿那」
『健心・・・』
「それでさ・・・」
『あっ、う、うん、そうよね! わざわざその話に来た訳じゃないんでしょうから』
「・・・俺、衿那に相談したいことがあるんだ」
『相談? えっ? なに? 私に答えられることかしら?』
「・・・うん」
『健心には、私じゃなくても、他に相談できる人がたくさんいるじゃない! もちろん美子都だって、萌仁香だっているでしょ! それなのに、私に相談なんて・・・どうしたの? 健心』
「衿那、 実はさ・・・」
マコト (金曜日, 26 8月 2016 06:35)
健心が、衿那に相談したのは、梨花と寛司のことだった。
『そっかぁ・・・よりにもよって健心の娘さん・・・梨花ちゃんが美子都の息子さんをね・・・たしか、寛司君だったわよね』
衿那は、しばらく考え込んでいた。
そして健心に聞いたのである。
『ところでさ、例えばよ、例えば! 健心と美子都が夫婦になったとして、えっ? 子ども同士は他人でしょ? 別に結婚する気になれば出来るんじゃないの?』
健心は驚いたような顔で
「えっ? そうなのか? 俺・・・高卒だし、バカだからそういうことはよく分かんないけど・・・でも、あり得ないよな! 親子同士で夫婦なんて・・・」
『そうかなぁ・・・それほど変じゃないような気がするけど・・・』
「衿那は、そう思うの?」
『うん! だってさ、健心の娘さんが結婚する相手は、健心の息子になる訳でしょ! ねっ! だから、結果的に同じじゃない!』
「・・・なるほど」
『ねっ!』
「でもなぁ・・・」
『でも、なに?』
「梨花が、そうは思わないような気がするんだ・・・」
『そっかぁ・・・えっ? じゃぁ、梨花ちゃんに健心から言ってあげたら? 親のことは気にしないで、自分の好きなようにしなさい! ってさ』
「そ、そんなこと言ったら、梨花は余計に・・・」
『そっか、きっと優しい子なのね! 健心・・・もう、いろいろ考えずに見守るしかないんじゃない?』
「う~ん・・・」
『なるほど、そういう相談だったから、私のところに来たのね?』
「えっ? あっ・・・うん」
『私が、美子都の立場だったらどうするんだろう・・・私なら、子どものために、健心と離れるかもね!』
「えっ?・・・」
その時の健心の表情を見て衿那は笑った。
『子どもの幸せを願わない親は、いないからね! 健心たちは、あまり形に拘らないみたいなんだし・・・大丈夫よ!このままそっとしておきなさいよ! ねっ、健心』
健心には、衿那に聞いてもらった安堵感が漂っていた。
そして、帰り際に・・・
マコト (金曜日, 26 8月 2016 06:36)
「なぁ、衿那・・・」
『なぁに? 健心』
「美子都、お盆休みに来たんだってな?」
『うん! 来てくれたわよ!』
「なんかさ、ここからの帰り道に・・・二度目のランチをしたらしいぞ!」
『えっ? ラ、ランチを?』
衿那は、もう一度聞いた。
『ねぇ・・・ランチを?』
健心は、うなずいてこう言った。
「・・・うん・・・だって、二度目の食事の写真を見せてもらったけど、外はまだ明るかったし・・・」
衿那は、天井を見上げて
『足りなかったのかなぁ・・・ え~ でも、お腹いっぱ~~~い! って、言って帰ったわよ!』
「・・・そっか・・・やっぱり」
『えっ? やっぱりって?』
さすがに満腹中枢が破壊されているとは、言えない健心
「いやっ、こっちの話! 衿那、あんがとね!」
『うん! みんなが幸せになりますように!』
「そうだな・・・じゃぁ、また」
『またね、健心』
と、一度は店のドアを開けた健心であったが
「なぁ、俺が衿那に相談したことは、誰にも・・・」
衿那は、優しい笑顔で
『大丈夫よ、健心』
と、駐車場に出て見送ったのだった。
マコト (金曜日, 26 8月 2016 12:58)
健心と、そんな約束をしていた衿那は・・・
厨房から梨花を見て
『健心と約束したんだっけ・・・』
と、危なく三日前に健心が来たことを言いそうになったことを反省した。
「衿那さ~ん」
『は~い! 決まった?』
「私は、和風あんかけハンバーグ」
『私は、トマトパスタをお願いします』
美優と、梨花はそれぞれの好みのランチをオーダーした。
注文を聞いた衿那は、厨房で調理を始めた。
たまたまその日は、美優と梨花の他にはお客様はいなかった。
そのこともあって、二人の会話は、他のテーブルに気がねすることもなく始まった。
『あっ、美優・・・何か話があるって言ってたわよね・・・』
「う、う~ん・・・」
と、どこか話しにくそうな美優に梨花は、いきなりじゃまずかったのかなと反省も含め、話題を変えた。
『あっ! そうだ、思い出した!』
「な、なに? 梨花・・・」
『あのね、来月のバーベキュー! よろしくね』
「うん! 楽しみにしてるんだ」
別に聞こうと思っていた訳ではないが、その会話は衿那にも聞こえた。
『へぇ~ あの子達もバーベキューをするんだ!』
と、まさか一緒になることなど、知る由もなかった衿那だった。
『でさっ! 美優のお迎えは朝彦にお願いしたからね! 朝彦と一緒に来て!』
「えっ? あ、朝彦と?」
『そう! 朝彦、嬉しそうだったわよ!』
「そ、そうなの・・・」
『私は、一足先に行って準備して待ってるからね』
「・・・うん」
美優は、別に朝彦を嫌っている訳ではなかった。
だが、心の準備もないままの突然の話に・・・
こんな時の女の子は、さりげなく本音を漏らすのである。
「ねぇ、寛司も来るのよね?」
と、慌てて
「あっ、愛子も」
そんな美優に
『うん! 寛司のことは、愛子にお願いしようかと思ってるんだ』
「ふ~ん・・・そうなんだ」
そんな話の展開に、美優は余計に梨花への話がしづらくなってしまったのだった。
マコト (金曜日, 26 8月 2016 20:44)
それでも、自分から梨花を誘っておいて、何も話さない訳にもいかず・・・
美優は、思い切って口を開いた。
「ねぇ、梨花・・・」
『うん?』
「私ね・・・好きな人がいるの」
『えっ?・・・』
美優からの突然の話に、梨花は戸惑った。
だが、こんな時の女の子は、瞬時に答えを導き出せるものだ。
梨花の頭の中では
『好きになった相手が、二人の共通の友達だからこそ、相手の名前も言わずに、いきなりの“好きになっちゃった”宣言をしたんだろう』
『朝彦の迎えをした時に、美優は、さほど喜ばなかった・・・』
この二つで導き出されるのは、・・・そう、寛司の他にはいなかった。
だから、ある程度の心の準備をして美優にこう聞いたのである。
『ねぇ、美優・・・それって、カンチ?』
マコト (金曜日, 26 8月 2016 20:46)
美優は、頬をうっすらと赤くして
「・・・うん、 寛司君」
と、うなずいた。
それはベタな昼ドラのワンシーンのようだった。
≪ガチャーン!!!≫
厨房で、食器の割れる音がした。
それは、二人の会話を聞いてしまった衿那が、
『えっ? 美優ちゃんが・・・寛司君を』
その驚きで、トレーに乗せはぐり、床に落としてしまった珈琲カップが割れた音だった。
『ご、ごめんなさい!』
厨房から衿那の声がした。
「だ、大丈夫ですか? 衿那さん!」
『あわてんぼで・・・ごめんね、大丈夫よ』
二つの驚きがあった梨花だったが・・・
美優に
『え、えっと・・・あっ、そうよね! カンチを・・・』
「うん」
それを確かめた梨花は、恥ずかしそうにうつむいたままの美優に見られぬよう天井を見上げてひとつ大きく息を吐いた。
衿那は、梨花のその様子を厨房から見ていたのである。
「梨花ちゃん・・・やっぱり寛司君のことが好きなのよね・・・どうするの? 梨花ちゃん」
マコト (金曜日, 26 8月 2016 20:50)
衿那は、新しい珈琲を用意して、二人のところに来た。
「さっきは、ごめんね! 驚かせちゃったわね」
『大丈夫でしたか?』
「手が滑っちゃって・・・」
珈琲を二人の前に置いて、
『どうぞ! あっ、これ美優ちゃんちの珈琲なのよね!』
と、衿那は他には何も言わずに厨房に戻った。
申し訳ないとは思いつつも、椅子に座って二人の会話をこっそりと聞いたのである。
美優は、このまま寛司のことを好きになっていいものか、仲良しである梨花の気持ちを確かめておきたかったのだった。
「わたし、寛司君の優しいところにひかれちゃった」
『そっかぁ・・・確かにカンチは優しいもんね!』
「ねぇ、梨花・・・」
『うん?』
「梨花は、寛司君のことをどう思ってるの?」
『はっ? どうって?』
「もし・・・もしもよ、梨花が寛司君に気持ちがあるとしたら・・・その時は・・・」
美優は、お水を飲みほして
「わたし、梨花とはずっといいお友達でいたいの! だから、梨花と寛司君のことで争ったりするのが嫌だから・・・」
梨花は、笑った。
そして、美優にこう言った。
『美優・・・そんなこと心配していたの? もぉ~ 私だって同じよ! 美優とはずっといいお友達でいたいもん! あっ? そっか、それでカンチのことね! 美優・・・何も心配いらないわよ! 私は、カンチとは確かに仲良しだけど、異性として意識したことは一度もないから!』
「ホンと? ホンとにホンと?」
『うん! 美優、だからそんな心配いらないからね!』
「良かったぁ・・・」
厨房で椅子に座って聞いていた衿那だけは
「本当は、違うのよ! 美優ちゃん」
そう、こころの中で叫んでいたのであった。
こうして、55会の仲間達と、その子供たちはバーベキューを迎えることになるのであった。
だが、その中で唯一、一人だけは苦しみの真っただ中にいたのである。
そう、それは・・・ 朝倉寛司だ。
物語は、まったく違う世界へと突入するのであった。
マコト (日曜日, 28 8月 2016 07:21)
ここで、念のためにお伝えしておくが、
これは小説である。
だから・・・
美子都が、BRANCHからの帰り道に、はしごして、二軒目のランチをしたのも、そう、フィクションである。
あたかも、証拠の写真が存在しているような描写があったりして、真実のように語られていたが・・・そう、それもフィクションである。
そんな写真は、決して存在していない。
・・・と、思う。
この小説が、フィクションであることを今一度確認された上で、この先を読み、あるいは書き込みをされたい。
マコト (日曜日, 28 8月 2016 07:24)
ドーピング
今年、よく耳にした言葉だ。
本来、病気の治療や健康保持のために使われる薬物が、競技能力を向上させることを目的として使用されることがドーピングだ。
ドーピングの名前の由来には諸説あるが、一つ紹介するならば、南アフリカの原住民が儀式舞踊を演じる際に、景気づけのために飲用していたとされる「dop」というアルコール飲料に由来するという説だ。
薬物を使ってのドーピングが一般的に知られているが、試合の直前まで自分の血液を冷凍保存しておき、それを直前に再び体内に入れ、酸素運搬能力を高める「血液ドーピング」や、また、近年では細胞、遺伝子の調整を競技力向上のために行う「遺伝子ドーピング」などもあるのだ。
ところで・・・
2016年の夏、リオのオリンピックで日本は大いに盛り上がった。
日本が、史上最多のメダルを獲得し、次の東京オリンピックへの大きな弾みとなった。
リオまで応援に行けない多くの日本人がテレビの前で釘付けとなった。
「頑張れーーー!!!」
「ヨシ! いいぞ!」
人間は、身勝手な生き物である。
勝負に勝った者は称賛するが、負けた者には
「おいおい、何やってんだよ~」
と、ヤジを飛ばす。
何やってんだよ?
答えは、決まりきったものであるのに、それをテレビに向かって投げるバカな奴がいる。
その者には、選手が精一杯やっているのが、分からないのだ。
いずれにしても、アスリートにとって、オリンピックは特別な大会なのである。
マコト (日曜日, 28 8月 2016 07:27)
2015年 秋、
世界のスポーツ界を驚かせる報告書が公表された。
それは、ロシアが国ぐるみで自国選手にドーピングをさせ、違反が発覚しないように隠蔽していたという内容だ。
本来なら取り締まる側までが薬物使用に協力していたところに、今までの事例とは違う深刻さがあった。
また、リオ五輪の開幕を間近に控えた2016年3月、
海外メディアが一斉に「中国が遺伝子操作で“超人”を作り出そうとしている」と報じ、世界に衝撃が走った。
近未来、スポーツはもちろんのこと、食料や資源の争奪や安全保障などの分野において、ますます熾烈を極めるであろう“国際競争”を勝ち抜くために・・・
中国は、国を挙げて人間の遺伝子改変を推進し、国民を“超人”へと改造していく方針だと報じている。
今、スポーツの世界において勝利を収めるためには、昭和の頃のように“気合・根性”だけではなく、テクノロジーを駆使したデータ解析に基づく論理的トレーニングや戦略が必須である。
「野球部は、泳ぐなよ!」
と、体育の授業でプールサイドで見学していた時代・・・
「水なんか、飲んでんじゃねぇー!」
と、根性で技術を磨いていた時代・・・
今になって思えば、ただ笑うしかない過去の話だ。
ただ、そうは言っても、最後は選手の気持ち次第なのである。
全国制覇をした白新学院の有名な話であるが、夏休み中の練習で、その日は3人の選手が救急車で運ばれた。
そう、熱中症だ。
ただ、変に誤解をされては困るので、しっかりお伝えするが、決して監督やコーチが過酷な練習を選手に課したからではない。
選手は、互いに切磋琢磨し、レギュラーを目指して競い合う。
自ずと、限界を超えての練習に挑む。
結果、気が付いた時には倒れているのだ。
自分の限界を認めたくないまま、挑んだ結果だ。
そして、その集合体に“頂点”という勲章が与えられたのである。
マコト (月曜日, 29 8月 2016 00:38)
オリンピックでの超一流の選手の活躍には目を見はるものがあった。
オリンピックに限らず、人がその持てる力を最大限に生かそうと懸命に努力する姿は、人の心を打つ。
リオのオリンピックは、私たちに多くの夢と勇気を与えてくれた。
だが、オリンピックとなると、各国がどれだけメダルを獲ったかを競い合うような、「国家対抗」のイメージがつきまとう。
実際、テレビ各局では、日本のメダルがいくつになり、第何位だ!と連日報道していた。
それでも・・・
選手のインタビューを聞いていると、「日の丸を背負って頑張る」と答えた選手もあったが、「自分の夢を実現する」という意識が強く感じられた選手も多かったように思われる。
国のためというよりもよい意味で自分のため、自分を応援してくれた仲間のために頑張るという意識だ。
選手一人ひとりが、自分の限界に挑戦して、夢を実現させた。
そして、その真摯な姿に私たちは心を打たれた。
国のために自分を犠牲にして頑張るというのではなく、自分が好きだから挑戦し、自分の夢だからメダルを狙うというスタンスだ。
ただ、国を代表して戦ったという思いは、どの選手にも共通してあったのだと思う。
メダル獲得者のインタビューで、多くの選手がこう言った。
「メダルは・・・重たいです」
と
その言葉には、たくさんの言い尽くせない思いが込められていたことだろう。
二度目のランチを済ませて
『おもた~い』
それもまた、別の意味で素敵な「重たい」であるが。
2020年東京オリンピックの開催に向け、今後、確実に日本のスポーツ界の熱量を急騰させていくことだろう。
ところで・・・
「スポーツが国にとって何の役に立つのか?」
「国が、税金を使ってスポーツを振興することに、どういった目的があるのか?」
そう考えたことはあるか?
マコト (月曜日, 29 8月 2016 12:58)
スポーツを振興する目的は・・・
スポーツは、人々に大きな感動や楽しみをもたらしてくれる。
それは、人間の健康保持に役立つことであろう。
お役所的発想であるが、これは、医療費の増大を抑制することが期待できる。
また、現代においては、スポーツによる関連産業の広がりが新たな雇用を生むという意味での経済効果も極めて大きいだろう。
ジョギングブームが起きれば、シューズが売れるだろうし、ワールドカップといった世界的なスポーツの祭典がもたらす経済効果も大きい。
ちなみではあるが、東京オリンピック開催による国内経済効果は2兆8342億円になるという報道があったのは承知の沙汰だ。
もちろん、日々の大食いによる経済効果も見逃すことは出来ないが。
もっと加えれば、スポーツを通じて国際交流が活性化するという側面もあるだろう。
スポーツは世界共通のルールの下に、言語と文化の壁を超えて行われるものだ。
よって、スポーツは、他国との相互理解や友好親善に大きな役割を果たす。
有名な話であるが、柔道好きのロシアのプーチン大統領は、井上康生監督であれば簡単に会ってくれたりするのだ。
だが・・・
これらの理由は、国がスポーツの振興に多額の税金を投入する理由のうちの表面的なものにすぎないのだ。
そう、表向きの。
先に、ロシアや中国の話をしたが、母国日本においても・・・
東京オリンピックに向け、日本国民の知らないところで、既に大きな国家プロジェクトが動き出していたのであった。
マコト (月曜日, 29 8月 2016 22:21)
オリンピック選手が、普段、どのような生活をしているのか・・・
水泳の萩野公介選手のように作新学院高等学校に通いながら、そして今回のリオでは、東洋大学文学部で学びながら、日々の練習を積み重ねてオリンピック出場を果たした選手もいる。
だが、社会人として、働きながら競技を続け、オリンピックを目指すものが断然多く、そしてその生活は、それぞれに違っているのだ。
例えば、社員ではなく、スポンサー契約の選手は・・・
スポンサーの用意した道具、シャツ、キャップ等を身にまとい、企業名をコマーシャルするのが仕事だ。
だが、それはほんのわずかばかりの選手だけである。
正社員、あるいは契約社員として、午前中に勤務し午後の練習に励む者。
もちろん、ごく普通に仕事をしながら、睡眠時間を削ってオリンピックを目指している選手もたくさんいる。
メダル獲得に期待の持てるトップレベルの選手には、国が設置した「味の素ナショナルトレーニングセンター」のような施設が用意されている。
そこは、JOC及びJOC加盟競技団体に所属する選手・スタッフが専用で利用している。
そして、隣接して建設されている「国立スポーツ科学センター」と『スポーツ情報・医・科』、あらゆる分野で連携を図りながら、「チームジャパン」として一丸となって取組んでいる。
ちなみではあるが、味の素ナショナルトレーニングセンターには、体操、バレー、バスケット、ハンドボール、バトミントン、卓球、水泳、柔道、レスリング、ボクシング、ウエイトリフティング、屋外には陸上競技、テニスコート、宿泊室まで用意されている。
選手にとって、とても恵まれた環境だ。
マコト (火曜日, 30 8月 2016 07:29)
それでも、そう言った施設でトレーニングできる選手は、本当にトップクラスだけだ。
多くの選手は、仕事とスポーツを普通に両立させ、頑張っているのだ。
日々の生活の、ちょっとしたこともトレーニングに結びつけるなど・・・
トップクラスであろうが、そうでなかろうが・・・
目指すものは同じなのである。
ふと、こんな話を思い出した。
台風によるダイヤの乱れを予想して、1本前の電車で出勤したメンバーからの目撃情報だ。
「あれ? 美子都・・・」
美子都は、ガラガラの電車の中で椅子には座らずに立っていたそうだ。
そう、ランチとディナーの後の、至福の時のためだ。
立っている時の美子都の頭の中は、
『何を食べようかな~ やっぱり・・・』
(台風の日に、こんな描写をしていますが、これもフィクションです)
(メンバーをはじめ、東北に住む方に被害がないことを願います)
いずれにしても、人間は、目標・目的のために何かを犠牲にしたり、
自分の夢のために、頑張ることが出来る生き物なのである。
マコト (火曜日, 30 8月 2016 12:58)
2020年、東京オリンピックにおいて野球、ソフトボール、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの5競技18種目が追加種目となることが決まった。
IOCが、オリンピック開催のメリットや魅力を高めるために、開催都市が複数の追加種目を提案する権利を認めた結果だ。
自国開催で、さらにメダル獲得の期待が高まるなか、多くのアスリートたちは、もうすでに“東京”に向けて、トレーニングを開始していることだろう。
そして、多くの学生達も、オリンピックを夢見て・・・
それは、寛司が入社して一か月が過ぎた頃だった。
「おい、朝倉!」
『はい! 課長!』
「今日は、ちょっと俺に付き合え!」
『はい! で、どちらへ?』
「今日な、オリンピック強化選手の選考会があるんだ」
『はぁ・・・課長のお知り合いの方でも出場されるんですか?』
「朝倉も面白いことを聞くな! 部下を連れて、仕事中、身内の応援に行くか?」
『あっ、それもそうですよね!』
「まぁ、いいから付き合え!」
『はい、課長 分かりました』
「君には、期待しているんだ! 頑張ってくれよ、 朝倉!」
それは、寛司の直属の上司、郷田(ゴウダ)課長からの言葉だった。
訳も分からぬまま、寛司は郷田と出かけて行った。
㈱天神製薬
それが、寛司が入社した会社だ。
天神製薬は、駅伝やマラソン選手を入社させて支援するなど、自他ともに認めるスポーツ選手にとって憧れの優良企業である。
だが、業績不振から会社の経営は、ここ数年、以前のような華々しいものではなくなっていた。
それは、ジェネリック医薬品の普及なども大きく影響していた。
天神製薬の特に新薬開発部門の社員は、会社の命運を握っていると言っても過言ではない状況に置かれて仕事をしていたのである。
マコト (水曜日, 31 8月 2016 06:33)
『課長! みんなすごいですねぇ。 自分は陸上競技を生で見るのは初めてなんです!』
それは、競技場での寛司の第一声だった。
「朝倉は、学生時代は勉強ばかりしてきたのか?」
『いやっ、・・・そ、そうですねぇ・・・でも、運動部の友達はたくさんいました』
「そっか・・・まぁ、しばらく選手たちの頑張っている姿を見せてもらおう!」
『はい、課長!』
郷田と寛司は、二人並んでオリンピック強化選手選考会を兼ねた大会を見守った。
この時の寛司は、すっかりこう思い込んでいたのである。
「うちの会社への就職希望者でも見に来たのかなぁ・・・うちの陸上部は、優秀な選手ばかりだもんな!」と
すると、郷田が
「朝倉! ここは君に任せるよ! 私は、煙草を吸いに行ってくる」
『えっ? 課長・・・ちょうど大学生が競技する時間になりましたよ!』
「はっ? 大学生? いつ、私が大学生を観に来たと言ったかね?」
『あっ、・・・いやっ、言っておりません。 ですが、課長・・・来年の就職希望者を観に来たのとは違うんですか?』
郷田は笑って
「そっか、君はそんなことを考えて観ていたのか! いやっ、それはすまなかった! 私が見たいのは、主に中高生なんだよ!」
『えっ? 中学生、高校生をですか?』
「あぁ、そうだ! 将来、オリンピック出場に期待が持てるような選手をな!」
『この選考会で、強化選手が選ばれるんですよね?』
「そうだな! だが、選ばれた選手は、うちの会社には関係ないんだ! お前は、それ以外の優秀な選手を見つけるのが、今日の仕事だ!」
『えっ?・・・』
寛司には、まったく理解出来ない郷田の言葉だった。
マコト (水曜日, 31 8月 2016 20:48)
午後になって競技場では、中学生、高校生の競技が始まった。
全国の予選を勝ち抜いてきただけあって、皆、好記録をマークしていた。
『課長! みんなすごい頑張っていますね!』
「あぁ、そうだな! ここで勝ち残れば将来を有望視され、アスリートとしての道筋が見えてくるからな! みんな必死だろう!」
『そうですよね・・・ところで、課長』
「なんだ? 朝倉」
『課長が、さっきおっしゃっていた意味が、いまいちよく理解できていないんですが・・・』
「何が理解できないんだ?」
『強化選手に残った選手以外で、優秀な選手を見つける訳ですよね?』
「あぁ、そうだ!」
『うちの会社とどう関係してくるんですか?』
寛司の質問に郷田は、笑ってこう言った。
「まぁ、いまは分からんでいい!」
『・・・分からないでも? ですか・・・』
「今日の君は、選手たちの頑張りを目に焼き付けといてくれれば、それでいい!」
『・・・は、はい・・・分かりました 課長』
寛司は、課長に命じられるまま、純粋に好記録を目指す選手たちの頑張りを、スタンドから見つめていた。
マコト (水曜日, 31 8月 2016 20:50)
競技会は、全て終了した。
優勝して、拍手喝采を浴びる者
惜敗して、涙する者
競技場の中の様々な光景が、寛司の胸を熱くした。
『課長・・・選手たちの頑張る姿っていうのは、美しいですね』
「あぁ、そうだなぁ・・・」
『課長は、何かスポーツをなさっていたんですか?』
寛司のその質問に、郷田は顔色を変えた。
一度は強張った顔をしたが、それを諦めの表情に変えてこう言った。
「やむを得んだろうな・・・もう、随分昔の話だ!」
『はっ? む、昔の話ですか?』
当然、寛司の頭の中では
『やらかした・・・かも』
という後悔の気持ちが浮かび上がっていた。
郷田は話を続けた。
「私も昔は、あんなふうにオリンピックを目指していたんだよ!」
『課長・・・申し訳ありません・・・存じ上げなくて』
「いやっ、いいんだ! 上司の昔のことまで把握するなんて、大変なことだろうし、ましてや君は、まだ入社したばかりだからな!」
『いやっ、それでも・・・会社のことはどんなことでも承知しているのが、社員としての努めだと思います・・・申し訳ありませんでした』
「いいんだ、いいんだ! 謝るな、朝倉!」
『・・・・・』
黙って、申し訳なさそうにしている寛司に、郷田は話を続けた。
マコト (水曜日, 31 8月 2016 20:52)
郷田は、立ち上がって、その競技のポーズを見せながら、
「私はなぁ、・・・やり投げの選手だったんだよ!」
『や、やり投げですか・・・あぁ、課長! すごい様になっています』
「あはっ! 本当に君は素直に面白い男だな! いま、言ったろう! オリンピックを目指していたって!」
寛司は、二度目の失言に、固まった。
「あぁ、でも嬉しいよ! 君のような素人目にも、私の投げ方が様になっているように映ったんだろう?」
『あっ・・・は、はい! カッコいいです! 課長』
だが、笑顔の郷田は、そこまでだった。
椅子に座って、とても寂しそうな顔で、さらに話を続けた。
「どうしても、敵わない選手がいてなぁ・・・」
「その選手は、私が高校時代からずっと目標にしていた選手でな!」
「大学時代の最後の大会・・・私にとっては、最後のオリンピック挑戦になってしまった大会なんだが・・・」
『えっ? 最後の? ですか』
「あぁ・・・最後のな! 死に物狂いで練習して臨んだ大会だったよ」
「・・・そこで、その選手に負けたんだ! ほんの数センチの差でな!」
『・・・課長』
マコト (木曜日, 01 9月 2016 12:57)
昔のことを思い出し、明らかに普通ではない郷田に、寛司は普通の質問を投げかけてしまう。
『課長・・・大学を卒業されてからも、選手を続けなかったんですか?』
寛司のその質問に、郷田は目を閉じて、ひとつ溜息をついてこう言った。
「・・・もちろん、続けたかったよ・・・もちろんな」
場の空気を読めない寛司だった。
それでも、寛司が素直な青年であると感じた郷田は、全てを寛司に話したのである。
「続けたくても、続けられない体にしてしまったんだ・・・」
『えっ・・・課長・・・す、すみません・・・』
「いやっ、誰でも同じことを聞いて来たよ! 私にな」
「私がオリンピックをかけて戦った試合に負けた日・・・仲間達が私を慰めるための残念会を開いてくれたんだ・・・」
「負けた悔しさで、自分自身を見失っていたんだろうな・・・全てを忘れようと、普段飲まないお酒を飲んでな・・・泥酔して階段を踏み外して、全治3か月の大ケガだ! そこで、私の選手生命は終わったんだよ」
郷田は少し表情を変えて、話を続けた。
マコト (木曜日, 01 9月 2016 21:52)
郷田は、少し強張った顔で話を続けた。
「私が、目標にしていた選手に負けた試合・・・」
「私は、もしかすると試合前から、既に気持ちで負けていたのかもしれない」
「試合当日・・・その選手を観て、私は驚きを隠せなかった・・・」
「以前の彼とは、別人のような筋肉を身にまとい、現れたんだよ! 私の前にな」
「彼は、既に勝負は決まっているかのような事を口にして、私の前から去っていったよ」
「きっと私にプレッシャーをかけたかったんだろうな」
「試合になって・・・相手の思う壺の結果になったよ」
「普段の練習では、彼の出した優勝記録よりも、私の自己ベストの方が上回っていたんだ」
「プレッシャーというものは、知らず知らずのうちに余計な力を働かせるんだよな」
「ただ、自分に悔いが残っているのは、その次の話なんだ」
「翌日、その選手のドーピングが発覚して・・・自動的に準優勝だった私が、オリンピックへという話になった訳さ」
「もう、分かるだろう? その知らせを聞かされたのは、病院のベッドの上だよ!」
「悔やんでも悔やみきれなかったよ・・・自分のバカさ加減にな」
『課長・・・』
静まり返った競技場に、寛司の小さな声がした。
マコト (木曜日, 01 9月 2016 21:54)
郷田は、寛司に話してすっきりしたかのように、今度は仕事の話を始めた。
「朝倉!」
『はい、課長』
「お前は、この人のところに行って書類を預かり、そのまま直帰しなさい!」
そう言って、郷田は一枚の名刺を寛司に手渡した。
『えっ?』
「大会事務局に行けば、その人に会えるはずだ! 話は通してあるから、朝倉、お前が行ってきなさい」
『は、はい! 分かりました 課長』
そして郷田は、去り際に寛司にこう言った。
「朝倉! お前は純粋な心を持った青年だな! 社会の縮図にけがされることなく、そのままのお前でいて欲しいと思う」
この時の寛司には、深い意味は理解できなかったものの、決して自分を否定された言葉ではないと考え、単純に喜びを覚えたのだった。
『あっ・・・は、はい! 課長・・・自分、少しでも早く会社の役にたてるよう、頑張ります』
そう言って、寛司は笑った。
寛司は、郷田から渡された名刺を持って、大会事務局の扉をたたいた。
『朝倉と申します! 天神製薬、郷田課長の代理で参りました』
奥から、名刺の人間が現れ、おもむろに書類封筒を寛司に手渡した。
「これを、郷田課長に・・・」
深々と頭を下げて、寛司はその部屋を出て行った。
マコト (木曜日, 01 9月 2016 21:56)
寛司は、競技場からそのまま直帰したのだが、郷田は、会社に戻って専務室を訪れた。
郷田は、専務室のドアの前で、緊張をほぐすかのように大きく肩を上げ、そして下げながら息を吐き出した。
≪トントン≫
「郷田です」
『入れ!』
「失礼します・・・専務」
『おぉ、郷田君・・・まぁ、かしこまらずに、そこに座りなさい』
「はい、専務」
緊張した顔で、郷田は言われるがまま、ソファーに座った。
そこは、天神製薬専務取締役の鷹家(タカイエ)専務の部屋だ。
『郷田君、どうだったね? 行って来たんだろう?』
「はい、そのご報告をと思いまして・・・」
『そっか・・・で、朝倉という社員は?』
「専務のおっしゃる通りの人間でした」
『どうだ?バカがつくほど、真面目な男だろう』
「はい・・・真面目で実直で・・・世間のことをあまり知らないと言いますか・・・」
『そっか! まぁ、やむを得んだろうなぁ、まだ入社したばかりなんだからな』
と、大声で笑った。
「・・・はい」
『ところで、良さそうな選手はいたかね?』
「選手のリストは、朝倉が! これから、じっくり選ばさせていただきます」
『くれぐれも、選定ミスのないようにな!・・・分かってるよな、 郷田課長!』
「・・・はい」
『会社の命運がかかっているんだからな!』
「・・・はい、鷹家専務」
専務室を出た郷田は、
「いよいよ始まるんだな・・・」
と、廊下の天井に視線をやった。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 12:45)
翌日・・・
『郷田課長、おはようございます!』
「おぉ~ おはよう、朝倉」
『課長! これをお預かりしてきました』
「ご苦労だったな!」
それは、昨日、寛司がオリンピック強化選手選考会の大会事務局から手渡された書類封筒だった。
郷田は、自席に座って封を切った。
封筒の中身は、名前や住所が書かれた名簿らしきものだった。
一通り書類を見た郷田は、それをテーブルに置いて、寛司にこう言った。
「朝倉! どうだ、昨日、気になった選手はいたか?」
『気になった選手ですかぁ・・・長距離走だったら、最後の最後に他の選手と接触して、優勝を逃してしまった高校生とか・・・ 最後まで優勝者と競って飛び続けていた高跳びの中学生とか・・・何人かいました』
「そっか・・・なるほどな・・・なかなかいいところを見ていたんだな! 朝倉」
課長から褒められた寛司は、まんざらでもなさそうに、右手を頭の後ろにやって、『そですか』と、あからさまに嬉しそうな顔をした。
「さて、ところでだ! 朝倉」
『あっ、はい!』
「君には、ちょっとやってもらいたい仕事があるんだ」
『はい! 課長! どんな仕事でしょうか』
「じゃぁ、早速説明しよう! 会議室に行こう」
そう言って、郷田と寛司は、会議室へと入って行った。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 12:47)
会議室の大きなテーブルに、二人は向き合って座った。
「朝倉・・・これを君に預ける」
『あっ、はい・・・』
と、郷田から渡された書類に目をやり
『課長・・・これは、昨日の競技会に参加した選手たちの名簿とその記録ですね! わぁ、すごい個人情報満載だ』
「あぁ、そうだな! だから、もちろん取扱い注意だぞ!」
『はい、分かりました』
寛司は、目を点にして書類を見入った。
「朝倉! それでな・・・」
『あっ、はい!』
「これから、とても重要な話をする! 心して聞いて欲しい!」
『・・・は、はい 課長』
郷田は、立ち上がって、会議室のブラインドを少しだけ開け、自社ビルの10階からの景色を見ながら、話し出した。
「我社には、いま、あるプロジェクトが進められているんだ」
『プロジェクト? あっ、それはもしかしたら“アスリート支援チーム”がやっている仕事ですか?』
「そうだ! まぁ君は詳しくは聞かされてはいないだろうが、とても重要なプロジェクトなんだ」
『・・・はい』
「チームの名前の通り、アスリートを全面的に支援していく話なんだが・・・てっとり早く言えば、我社で開発した薬で、選手の記録アップの手助けをするということだ」
寛司の顔色が明らかに変わった。
『えっ?・・・課長・・・それって、もしかして筋肉増強剤の開発ということですか?』
郷田は、寛司の質問に、
「くれぐれも誤解のないよう話をするが、当然、違法性のない薬を開発する訳だ! 君には、昨日、私の過去の苦い思い出を話したが・・・いわゆるドーピングとなるような薬を開発する訳ではない」
『そ、そうですよね・・・申し訳ありませんでした。私の勝手な先入観で・・・』
「やむを得ん話しだよ! 筋肉増強剤ってなれば・・・単純に思い浮かぶのは、フェアではない! っていうイメージだからな!」
『・・・はい』
郷田は、話を続けた。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 12:49)
「あと4年だよな・・・」
『4年? ですか?・・・あっ! 東京オリンピックのことですか?』
「そうだ!・・・国を挙げてのお祭りになるだろう! そして、当然のことながら多くのメダルが期待される」
『そういうことになりますよね、課長・・・開催国として、これまで以上のメダル獲得が当たり前のように期待されることになるんでしょうね・・・』
「そうだなぁ・・・選手は、計り知れないプレッシャーと闘いながら、それでも期待通り、いやっ、期待以上の結果が求められることだろう・・・もし、私が選手として出場したら・・・そう考えただけで、ぞっとする話だよ」
『選手の気持ちは、自分にはよく分からないのですが・・・やはりオリンピックとなると、相当なプレッシャーがあるんですかねぇ・・・』
「おいおい! それをオリンピックに出たくても出られなかった私に尋ねるのかい?」
『も、申し訳ありません・・・課長』
郷田は、笑って
「冗談だよ! 朝倉・・・」
そして、郷田は真面目な顔に変えて
「朝倉・・・さっき君は、“筋肉増強剤”という呼び方をしたが、我社で開発するのは、筋肉疲労の回復を早めるサプリメントのような薬なんだ!」
『そうなんですか・・・』
「君も薬のことは十分に学んで我社へ入ってきた訳だから、嘘は通用せんだろう?」
『いやっ、課長・・・嘘だなんて・・・そんなふうには思っていません』
「そっか、それなら良かった」
『・・・はい』
「ところで・・・君に頼みたい仕事なんだが・・・」
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:00)
郷田は、寛司の前に置いてある書類を指さし
「そこに書かれてある選手のうちの何人か・・・ちょっと調べて来てほしいんだ!」
『何を調べてくるんですか?』
郷田が寛司に命じたのは、目ぼしい選手の練習態度や、普段の生活態度、そして家庭の状況まで調べてくるというものだった。
郷田の話を聞いた寛司は、さりげなくこう言った。
『やっぱり経済的に安定した家庭で暮らす選手の方が、しっかり練習に取り組めているんですかねぇ・・・課長』
郷田は、寛司から視線を外して言った。
「いやっ、経済的に苦しい選手だって、たくさんいるんだ! 我々が支援するなら、逆に経済的に大変な家庭で頑張る選手の方がいいと思わんかね?」
寛司は、それまでとは違った顔をして、
『それもそうですよね! 天神製薬がバックアップする訳ですからね! そっかぁ・・・経済的に恵まれない選手をサポートする! さすが天神製薬!』
寛司は、おそらくは、今の話でやる気が出たのであろう。
嬉しそうに書類に目をやり
『どんな選手に会えるんだろうなぁ・・・』
すると、郷田は険しい表情で
「おい朝倉! 誰が選手と接触するように指示をしたかね?」
『えっ? ・・・この調査って選手には内緒でやるんですか?』
「当然だろう! もし、君のような男が目の前に現れて、期待だけ持たされ、結果、選ばれなかったとなったらどうだ? まだ、中高生の選手だぞ! 可哀想だとは思わんかね?」
『・・・はい・・・課長のおっしゃる通りです』
郷田は、そう言ってもう一度窓のそばに戻ってブラインド越しに外の景色を眺めた。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:02)
郷田の話は、それで終わりではなかった。
郷田は、窓のそばで振り向き、
「なぁ、朝倉・・・」
『はい、課長』
「君も、もう想像がついているだろうけど・・・君の調べてきた選手のうちから何人か、我社で開発したサプリメントのモニターになってもらう訳だ」
寛司は、また少し表情を変えてこう言った。
『課長・・・それって、治験ということですよね・・・』
「まぁ、そう堅苦しい言い方をせんでもいいだろう!」
『・・・あっ、す、すみません、課長』
寛司は、その返事の後に、さらに表情を変えて下を向いた。それを見た郷田は、
「うん? 朝倉・・・どうして、そんな難しい顔をしているんだ?」
寛司は、下を向いたままこう言った。
『筋肉増強のための薬は、使う成分によっては、副作用のリスクが高いということを思いだしたものですから・・・』
郷田は、厳しい表情でこう言った。
「朝倉・・・まだ、お前は薬の開発に関しては、経験が浅い」
「大学で、どういったことを学んできたのか知らんが、先入観だけで、物事を判断するのは良くないことだ!」
「いいか、朝倉! 我社の開発部門トップの社員達が揃って開発してきた薬なんだぞ! お前が、今からそんなことを心配していて、どうするんだ!」
寛司は、ようやく顔を上げ
『・・・はい』
と、返事をするのが精一杯だった。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:03)
その直後の郷田は、優しかった。
「朝倉・・・お前の気持ちは、よく分かった。 お前が心配するのも当然だよ! 選ばれた人間の一生にかかわることだからな・・・私は、お前のような人に寄り添うことができる人間を待っていたんだ! 頼むな・・・朝倉」
寛司は、凛とした表情で
『はい』と、うなずいた。
そして、郷田は寛司に命じたのである。
郷田が寛司の前に立ち、
「朝倉!」
と、寛司にも立つように促した。そして
「朝倉! お前を今日から“アスリート支援チーム”に加える。もちろん、新薬開発に関わる業務も当然やってもらうことになる! お前の持つスキルを存分に発揮してくれ!」
寛司は、引き締まった顔で
『はい! 課長』
と、背筋を伸ばして返事をした。
だが・・・、
社会人として、まだ1か月の寛司には、驚くことがさらに続いた。
郷田が、背広の内ポケットから帯のついた札束を出し、
「朝倉! 頼むぞ! これは、選手の調査費用だ」
と、札束を寛司に渡したのである。
寛司は、驚き、後ずさりした。
『か、課長! これは?』
「無理もないが、これが我社の特命に対する支出のやり方なんだ! 早く慣れろ!」
『は・・・は、はい』
「100万ある。 会社の金だから自由にとは言えないが、お前が必要と思うところに、お前の判断で使っていい金だ!」
丁重にお金を受け取った寛司は
『驚くことばかりでしたが・・・早く課長の期待に応えられるよう、頑張ります』
そう言って、頭を深々と下げたのだった。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:04)
その日、寛司は帰宅して・・・
「母さん、ただいまぁ・・・母さん? 母さん!」
美子都は、テレビの前で寛司に背中を向けたまま
『Д£@■#♂♪・・・』
美子都は、新作の“みたらし団子エキュート”の暴食中だったのだ。
もちろん寛司は慣れっこだった。
『おかえりなさい』
と、自分なりに通訳していた。
だが・・・
実際には『お土産は、なに?』だったことを寛司は知らない。
ようやく、言葉を発声できるようになった美子都は、
『おかえりなさい、寛司』
「ただいま、母さん」
美子都の前に座った寛司は、少し嬉しそうな顔でこう言った。
「母さん! 俺、明日から出張だから!」
『えっ? そうなの? で、どこに行くの?』
「明日、北海道!!!」
『えっ? カニ?』
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:05)
ここで、人間の脳の仕組みを語っておく方がいいだろう。
これは、偉い先生が言っているのだが、脳の中に情報が入ってきた時、この時なら「北海道」という言葉の情報が、耳から脳に達するとそれが符号化され、情報を記憶しやすいように“タグ付け”が行われるのだそうだ。
当然、「北海道」と・・・
その“タグ付け”は、間隔記憶・短期記憶・長期記憶の3つに区分けされる。
そうすることで、記憶するエネルギーを小さくしたり大きくしたりしているのだそうだ。
次に、符号化した情報が貯蔵されるのだが、この状態のことを“記憶”と考えるのは、まだ早いのだ。
情報は、3つの過程を経て初めて記憶が完成するのだそうだ。
最後の過程の検索は、検索サイトでの「キーワード検索」のイメージらしい。
脳内の情報は膨大にあるため、その情報を検索し、引き出すことによって、無事記憶できていると確認できるのだ。
これが記憶の過程だ。
さて、この時の美子都の場合・・・
寛司が言った「北海道」という言葉の情報から検索し、引き出されてきた記憶が・・・
そう、「カニ」であるのだ。
脳が勝手に「北海道」=「カニ」という“タグ付け”をしているのだ。
だが、美子都は至って健全である。
決して、間違った検索はされていないし、決して寛司にボケをかました訳でもない。
ふと、こんな話があったことを思い出した。
「ねぇ、美子都・・・」
『なぁに、萌仁香』
「バーベキューの時に、テントが必要だよねぇ・・・」
『そうねっ! こんな感じのテントがいいな! 今、写メ送るね!』
そう言って、次に美子都から送られてきた画像は・・・
クッキーの詰め合わせの写真だったのだ。
「ねぇ、美子都・・・」
『なぁに、萌仁香』
「なんでクッキー?」
『なんでって・・・えっ? だって・・・』
「前の文章を読んで!」
『あれっ? テント?・・・』
美子都の “天然”に、毎日楽しく暮らしている仲間達だった。
マコト (金曜日, 02 9月 2016 22:07)
「あのさっ! 母さんが登場すると、せっかくシリアスな小説になってきたものが・・・」
『えっ? なに? シリアス? 小説? はぁ?』
「・・・なんでもない! こっちの話」
「でさ、母さん・・・北海道だよ!」
『北海道? それもまた随分と急な話ね! ところで、何しに行くの?』
「何しにって・・・」
ここで寛司は、美子都に嘘の説明をしてしまったのである。
「新人は、営業所回りをするんだって!」
『へぇ~ そうなのぉ・・・』
「そ、そうだよ!」
『えっ? でもあなたは営業の仕事をする訳じゃないんでしょ?』
「ち、違うよ! 営業じゃないよ!」
『それでも営業所を回るの? ・・・えっ? 回る? もしかして、この話の流れだと、北海道以外の営業所も行くっていうこと?』
「あぁ、そうだよ! 北海道から、岐阜、島根、鹿児島・・・」
『ねぇ、寛司! 鹿児島? いま、鹿児島って言った? 奄美! 奄美の“パッションフルーツ”をお願い!』
「・・・結局は、そこに戻るんかい」
『えっ? なんか言った?』
「でさっ、一か月間ぐらい行ってるから! 留守中、母さん一人で大丈夫かい?」
『一か月? え~・・・だって、営業所5、6か所回ってくるだけなんでしょ?』
「・・・そ、そうだけど・・・いろいろあるのさ!」
『ふ~ん・・・ねぇ、寛司・・・』
「なんだい? 母さん」
『仕事はどう? 少しは慣れた?』
「あぁ、慣れたよ! 理解のある上司だし・・・仲間もできたし」
『そう、なら良かったわ! 困ったことがあったら、決して一人で抱えないのよ!』
「大丈夫だよ! 母さんも心配性だなぁ」
『そうね・・・親は、子どもがいくつになっても心配するものなの』
「そっか・・・なぁ、母さん・・・」
『うん?』
寛司は、姿勢を正して、こう言った。
「母さん・・・ありがとうね」
『えっ?・・・』
マコト (土曜日, 03 9月 2016 23:10)
『うわ~ 気持ち悪い! どうしたの? 急に! 寛司がそんなことを言うなんて・・・』
美子都の顔は、おかちめんこのようになっていた。
寛司がそんなことを言ったのは、今まで一度もなかったからだ。
初めてだった。
大人になった、自分の息子から感謝の気持ちを伝えられたのは。
「いやっ、こうしてやりたい仕事につくことが出来たのも、僕を大学まで行かせてくれたからなんだよなぁって思ってさ」
『おぉ~ なるほど! 少しは親への感謝の気持ちが芽生えた訳だ!』
美子都は、真面目にはなれなかった。
そう、真面目な話し方をしたのでは、涙がでそうだったからだ。
美子都は、みたらし団子を寛司に差し出し、
『食べる?』
「いやっ、いらないよ~」
『あらっ、もったいない! こんな美味しいものを! これね、エキュートの新製品なのよ!』
と、それを口に運ぼうとして・・・、でも途中でやめた。そして
『ねぇ、寛司・・・』
「なぁに、母さん・・・」
『友達を大切にするのよ!』
「えっ?」
『仲間をたくさん、つくりなさい! そして、寛司はいつも、仲間のために頑張るの!』
「仲間のため?」
『そうよ!』
「どうして、仲間なの?」
『仲間はね、困った時に必ずあなたを助けてくれるの』
「・・・うん」
『親はね、子供より先にいなくなるのよ!』
「う、う~ん・・・まぁ、人間の平均年齢の原則から言えばね・・・」
『もちろん、結婚して家族を大切にするのも当然だけど・・・仲間はね、家族とは違ったところで、必ずあなたを助けてくれる存在なの!』
「そう・・・なんだ」
『そうよ! 母さんが、今、こうして元気に働いていられるのも、萌仁香や衿那、杏恋や深音・・・それから男の子だって、可夢生や壮健・・・まぁ健心と・・・たくさんの仲間達に囲まれているからなの!』
「健心さんは、おまけなんだ・・・」
『えっ? なんか言った?』
「いやっ、なんにも」
「分かったよ!母さん」
『分かればよろしい!』
寛司は、知っていた。
美子都が、花風莉に毎週楽しそうに出かけていることを。
マコト (土曜日, 03 9月 2016 23:11)
美子都は、嬉しかった。
普段、あまり口をきかない寛司が、「母さん、ありがとう」と、
息子の成長が、素直に嬉しかったのだ。
それで、調子づいたのか美子都は、こんな話までしたのである。
『ねぇ、寛司・・・』
「なんだい、母さん・・・」
『あなたも、将来は結婚するんでしょ?』
「えっ、なに、いきなり!」
『いやっ、ほらっ、言ったでしょ! 親は先に・・・って! そうなったら、あなた、寂しくなっちゃう訳だし・・・』
「そりゃそうだけど・・・う~ん、まだ、全然考えたこともないけど、そうだなぁ・・・いつかは、するんじゃないの? 家族になりたいって思える人が目の前に現れたら」
『現れたら? えっ? あなた、言ってたじゃない! 彼女なら3人いるよ!って』
寛司は、笑った。
「そ、それは女の子の友達だよ!」
『な~んだ、そうなのかぁ・・・素敵な奥さんを見つけなさいよ!』
「ははっ! そうだね」
『そしたら、寛司もいつかは父親になる訳だぁ・・・なんか、考えられないな』
「母さんは、まだ僕を子ども扱いだよね!」
『そ、そんなことはないけど・・・』
この後、美子都は、自分の“子育て論”的な話を寛司に聞かせるのであった。
マコト (土曜日, 03 9月 2016 23:12)
『寛司も、小さいころは可愛かったのよ!』
「ゲッ! それって、今は可愛くないって意味?」
『ごめん、ごめん! そういうことじゃなくて』
「なら、いいけど・・・」
『こんな私でも、あなたの親でしょ!』
「はぁ? 親でなかったら、なんなのさ」
『まぁ、聞いてよ、寛司・・・親にはね、子供に対して、自ら生き方を示して、教えてあげるという大切な役割があるのよ』
「そ、そうだね・・・」
『ほらっ、どんな動物でも、子どもに泳ぎ方やら、飛び方、餌の取り方・・・一生懸命に教えるでしょ!』
「ど、動物に例えられちゃうの? 僕」
『寛司・・・子育てには“2種類”しかないのよ』
「えっ? 2種類?」
『そう、子育てには2種類しか』
「え~ なんだろう・・・」
寛司は、ズバリ分かったような顔をして
「あっ! “良くできました”と“良くできませんでした”かな?」
『違うわよ!・・・・・寛司には、まだ分からないわよね』
マコト (月曜日, 05 9月 2016 12:58)
美子都は、少しいたずらな顔で、
『違うわよ~ えっ? そしたら、私はどっち? “良く出来ませんでした”になっちゃうわよ!』
「いやいや、そこは、良く出来ましたでいいでしょう! だって、こんないい青年に育ったんだから!」
『自分で言うか!』
「・・・まったくだ」
『2種類とはね・・・“自分が育てられたように子育てをする”と“自分はこういうふうに育てられたから、自分の子どもには違う育て方をする”の2種類よ』
「なるほどねぇ・・・で、母さんは、どうだったの?」
『えっ?』
「だから、どっちの育て方を選んだの?」
『選んだ? 選んではいなかったんだから、母さんの親に育てられたように、愛情いっぱいに、あなたを育てたわよ!』
「へぇ~・・・」
『よく言うじゃない! 子は親の背中を見て育つ!って・・・知らず知らずのうちに、親から学んでいたのよね! あなたの育て方を』
「えっ? でも・・・」
『でも、なに?』
「僕・・・大食いじゃないよ! それに、大事な時にインフルエンザにかかったりしないし!」
『はぁ?・・・あなた、それどこかで誰かに吹き込まれてきたでしょ!』
「・・・・・」
『まぁ、いいけど・・・そういうことじゃなくてさ・・・今思えば、いろんな大変なことがあったけど・・・素直に育ってくれて・・・ありがとうね、寛司』
「おぉ~ 気持ち悪い!」
『まぁ、いいじゃない! めったにこんな話をしないんだしさ!』
「そうだね・・・母さん」
そう言って、美子都はまたみたらし団子を食べ始めた。
「おっと、もうこんな時間! 母さん、明日早いから、先に休むね」
『うん、気を付けて行ってくるのよ』
「あぁ・・・」
翌日・・・
寛司は、羽田空港から北海道へ飛んだのだった。
美子都を一人残して
マコト (月曜日, 05 9月 2016 23:11)
寛司が、北海道へ飛んだ日だった。
『郷田課長! 鷹家専務がお呼びです』
「えっ? 専務が・・・」
鷹家に呼び出された郷田は、直ぐに専務室に向かった。
「・・・なんだろう」
≪トントン≫
「郷田です」
『入れ!』
「失礼します」
郷田が専務室に入ると、知らない男がソファーに鷹家と向かい合わせに座っていた。
二人に凝視され、郷田は一気に緊張モードに
鷹家が、座ったまま普段とは違う丁寧な口調で話し出した。
『郷田君、君に紹介しよう! 九条将湊(クジョウ・マサト)さんだ』
鷹家の前にいた男は、歳の頃なら、30歳なかば
座ったまま、軽く頭を下げて、
「九条です」
と、言った。
慌てて、郷田も
「新薬開発課、課長の郷田です」
と、頭を下げた。
マコト (火曜日, 06 9月 2016 23:42)
郷田は、2年前にも同じような経験をしていた。
専務に呼び出され、そして突然紹介された男が、自分の上司「開発部長」になる男だったのである。
自分の息子と同じぐらいの若造に、アゴで使われたのだ。
郷田の頭の中には、一瞬にしてその時の記憶が蘇っていた。
製薬会社では、特別、珍しいことではない。
厚労省の30代の若手中堅職員が、業務経験の名目で、概ね2年間、部長クラスの待遇でやってくるのだ。
厚労省の給料とは別に、研修手当という名目で、多額の金銭を製薬会社から受け取って。
製薬会社にとっては、目の上のたんこぶである。
厚労省に常に監視されることとなり、不正があれば、すぐに全ての業務をストップさせられるのであるから。
もちろん、厚労省からの申し入れを断ることなど出来ない。
薬のことの全ては、厚労省の手の中にあるのだから。
郷田の悪い予感は的中していた。
「郷田課長! 九条さんには、開発部長として、2年間、お勤めいただくことになったので、くれぐれも粗相のないよう! 大丈夫だね、郷田課長」
郷田は、背筋を伸ばして
「はい」と答えた。
九条は、郷田の方を向きもせず、足を組み替えてソファーにふてぶてしく座ったままだった。
マコト (水曜日, 07 9月 2016 12:47)
九条は、桃郷大学医学部を卒業し、厚労省に入省した。
医師免許も持ち、将来は、厚労省の事務次官とまで言われている男であった。
九条は、着任したその日のうちから、その威厳を示した。
「郷田課長! この治験の結果には、資料が足りていません! 患者さんの途中の検査結果の資料を追加提出して下さい」
「郷田課長! この方・・・途中で治験を辞めた理由が、これでは不十分です! 多額の費用を投じ、そして多くの方の協力を得て、新たな薬が開発されていく訳ですから! ひとつたりとも無駄な治験があってはなりません!」
「郷田課長!これは・・・!!!」
「郷田課長!この資料は・・・!!!」
言われること全てが、九条の指摘する通り、不備があり、そして改善の余地があった。
九条の言い方は、やもすると厳しく聞こえそうであるが、郷田たちには九条の熱心さが伝わっていた。
「九条部長・・・さすが、医師免許を持っているだけあるよな! 俺たちが、もっと細心の注意をはらってやらなきゃ!」
郷田の部下たちも、自然に意識が変わっていった。
マコト (水曜日, 07 9月 2016 20:10)
九条の働きぶりに、郷田は、たじたじだった。
九条は、開発部の全てのところに九条なりの改善策を指示していた。
全て郷田に。
だが・・・、
郷田は、ひとつだけ腑に落ちないことがあった。
それは、アスリート支援チームへの指示は、郷田とのやりとりは全て飛ばされ、現場責任者の支援チーム青山(アオヤマ)リーダーに直接指示がなされていたからだ。
しかも、郷田のいない場所で。
「アスリート支援チームのことは、どうして自分への指示がないんだ?」
郷田のその思いは、日に日に強くなっていった。
マコト (水曜日, 07 9月 2016 21:23)
現在、我が国では、一年間におよそ40~50種類の新しい薬(新医薬品)が誕生している。
新薬の開発は、候補物質の探索にはじまり、さまざまな研究や試験が行われるのだが、薬によっては、10年以上もの長い開発期間と、200~300億円もの費用がかかるものさえあるのだ。
薬が製造販売されるまでには、
まず、基礎研究に2~3年。
これは、将来薬となる可能性のある新しい物質(成分)の発見や、化学的に創り出すための研究、候補物質のスクリーニングが行われる。
次に、非臨床試験に3~5年。
薬物の有効性や安全性を確認するため、毒性や薬物の動態、薬効等の生物学的試験研究が行われる、そう、動物を用いて。
次に行われるのが臨床試験だ。
薬物の人での有効性と安全性について試験が行われる。
そう、これが先に述べた「治験」だ。
治験は、患者さんの人権や安全の確保に最大限配慮しながら、三段階のステップを経て、「くすりの候補」の有効性と安全性などが慎重に調べられる。
そして、当然、「治験」には、厳しく決められた基準が定められているのだ。
基準には、次のようなことが定められている。
被験者の人権保護、安全性確保、治験の質の確保、データの信頼性の確保、責任・役割分担の明確化、記録の保存などだ。
治験のステップの第一段階。
健康な成人を対象に開発中の薬剤を投与し、その安全性を中心に薬剤が体にどのように吸収され、排泄されていくのかが確認される。
第二段階
比較的少人数の患者さんに対して、いくつかの使用法が試され、効き目と副作用の両方が調べられた上で、最適と思われる使い方を決めていく。
第三段階
多数の患者さんに対して薬剤を投与し、実際の治療に近い形での効果と安全性が確認される。
既存の薬に比べ効き目が上回るか、副作用が少ないなど何らかの優れた特徴がなければならないのだ。
これらの段階を踏まえて、ようやく新薬の承認申請、製造販売が許可されるのだ。
許可は、医薬品医療機器総合機構がその権限を持っている。
そして、その独立行政法人医薬品医療機器総合機構は・・・、
厚生労働省所管の独立行政法人なのである。
マコト (木曜日, 08 9月 2016 23:26)
支援チームの青山リーダーが、部長室に呼ばれた。
≪トントン≫
『青山です』
「入りなさい」
『九条部長! なにかご用でしょうか?』
「あぁ、君に確認しておきたいことがあるんだが・・・」
『はい、どのようなことでしょうか?』
「医薬品医療機器総合機構への新薬承認申請の準備は、進めているのかな?」
『はぁ・・・まだ治験がこれからになりますので・・・それからと考えていますが』
「それじゃぁ、いけないね! どんどん準備を進めないと!」
『は、はい』
九条は、椅子に座ったまま、くるりと背中を向け、
「もともと、この天神製薬は、この承認申請のやり方に問題があるんだよ!」
『と、いいますと・・・』
「許可をするのは、医薬品医療機器総合機構だが、君も知っているだろうが、そこは、厚生労働省所管の独立行政法人なんだよ!」
『はい・・・それは、私も承知しておりますが・・・』
「私は、この会社に来る前は、直接、そこと関わっていたんだよ!」
『そ、そうなんですか・・・それは、存じ上げておりませんでした』
「この会社の申請は、丁寧なところは評価させてもらっていたが・・・それだけでは厚労省の人間は、動いてはくれないということさ」
『・・・と、いいますと・・・』
「まぁ、そういった話は、良しとして・・・とにかく、早め早めに準備を進めなさい」
『はい、九条部長』
「ところで・・・その治験の準備は、進んでいるんだろうな?」
『はい! いま、朝倉が治験候補者の選定に飛び回っています』
「今回の治験は、この会社の命運を握っていると言っても過言ではない」
『・・・はい』
「朝倉が戻り次第、選定作業に取り掛かる」
『はい』
「さて、その選定作業なんだが・・・」
『えっ?・・・あっ、・・・はい、分かりました』
青山は、九条のその言葉に驚きを隠せなかった。
マコト (木曜日, 08 9月 2016 23:28)
その頃・・・
九条部長の着任により、会社の中では、大変なことになっていることなど、出張先にいる寛司には知る由もなかった。
そして、
寛司が、ようやく候補者の選定調査を終え、約一か月の出張から戻ってきた。
「母さん! ただいま」
『おかえり~ 寛司』
「母さん、お土産!」
『あらっ、嬉しい! 仕事で行ったんだから、お土産なんていいのにぃ~』
寛司は、知っていた。
その言葉が、口から出任せだということを。
「お金もなかったから・・・ゴメン! こんなものしか・・・」
そう言って、寛司が美子都の前に出したお土産は・・・
地域限定の「うまい棒」だった。
「母さん、うまい棒が好きだって聞いたから」
『はっ? あなた、それ誰かに吹き込まれてない? まっ、いっか』
そう言って美子都がお土産の袋を開けると、中から出てきたうまい棒の数々
きりたんぽスナック味、牛タン塩味、もんじゃ焼味、かば焼き味、辛子めんたいこ味・・・
美子都は、知っていた。
地域限定とはいいながらも、泡野のサン・ハウスに行けば、30本255円で売っていることを。
こんな時の美子都は、飛び跳ねて嬉しさを表現するのであった。
『ありがとう~ 寛司!』
そう言って、右手に牛タン塩味、左手にかば焼き味
そして、両足で辛子めんたいこ味を持ち(?)、一気に頬張る美子都であった。
そんな美子都を見て、寛司は思った。
「やっぱり母さんは、重要な存在なんだなぁ・・・」
「こうして、誰も望んでいないのに、自らネタを提供してくれて・・・」
「でも・・・確かになっ、母さんに登場してもらわないと、小説がつまらないもんな!」
寛司は、シマリスのように頬を膨らませて、「うまい棒」に食らいつく美子都を見て、こう思った。
「いやっ、待てよ! せっかくサスペンス風に、シリアスな展開になってきたのに・・・いったいどっちなんだろうなぁ・・・僕は、必要だと思うから、こうしてつぶやいているんだけど・・・」
「さて、明日から久しぶりの出社! 愛子は元気にしているかなぁ・・・」
「課長に、しっかり報告しなきゃな!」
「褒められるかな~? な~んてねっ! さっ、明日だ!」
自分のまとめてきた調査結果に自信満々な寛司であった。
マコト (木曜日, 08 9月 2016 23:31)
翌日・・・
一か月の成果を手に、意気揚々と出社した寛司は、郷田の出社を待った。
と、そこに青山リーダーが、寛司に声をかけてきた。
「おぉ~ 朝倉! やっと戻って来たか! ご苦労さんだったな」
『青山リーダー! おはようございます』
「どうだ、しっかり調査してきたか?」
『はい! やってきました! 自信あります』
「そっか、それは良かった! でな、朝倉・・・」
『あっ、はい・・・』
その時に、初めて九条の部長就任と、今回の調査の結果を踏まえて、治験の対象者の選定は全て九条の手に委ねられていることを聞かされた。
寛司の調査結果報告書は、郷田を経由することなく、青山に手渡された。
寛司は、自分が描いていた展開と違うことに、落胆した。
と、そこに、郷田が出社してきた。
「おぉ~ 朝倉! 戻って来たな」
『おはようございます、郷田課長、戻ってきました』
「ご苦労だったな」
『あっ、・・・はい』
寛司の浮かない顔を見た郷田は
「どうした? なんか元気がないぞ! いつもの朝倉らしくないな! まだ、疲れが残っているのか?」
『いやっ・・・郷田課長・・・』
寛司は、青山リーダーから聞かされ、そして調査報告書が既に自分の手元にないことを郷田に言った。
「そっか・・・朝倉、悪く思わんでくれ! 君のやったことは、必ず形となって活かされるはずだ!」
郷田は、寛司に丁寧に説明をした。
九条が厚労省の若手のホープであること、当然、厚労省を敵に回すようなことはできないこと、
そして、会社は組織で動いていること、自分たちは、その一部品にすぎないこと。
ただ、寛司にこうも言ったのである。
「朝倉・・・自分たち社員一人一人は、部品の一つにすぎないが、その部品に不良品があれば、組織全体がうまく機能しないんだ!」
「これから先、朝倉が勤めて行く中で、自分で納得の出来ないことも、幾度かあるかもしれない。 それでも、全てのことは、会社の利益につながるように動いていくことなんだと、頑張るしかないんだぞ!」
郷田は、優しい表情で
「分かるか・・・朝倉」と
『分かりました、課長・・・』
自分を納得させるしかない寛司だった。
マコト (金曜日, 09 9月 2016 17:22)
調査から戻った寛司は、青山リーダーのもとで働くことになっていた。
改めて、チーム内のメンバー達に、寛司が紹介された。
『朝倉寛司です。 今日から一緒に働かせていただきます。 皆さんにご迷惑のかからぬよう、頑張ります。 新人ですので、厳しくご指導ください』
チーム内に拍手が起きた。
寛司は、素直に嬉しかった。
まずは、仕事を覚えるために、アスリート支援チームで開発中の新薬のことを学んだ。
学生時代に、多くのことを学び、その職についた寛司であったが、実際に新薬開発の業務に触れ、不安もあったが、気合十分に仕事に取り組んだ。
リーダーからは、
「何か、分からないことがあったら、先輩達にどんなことでも聞くんだぞ!」
そう、言われていた寛司であったが、極力、自分の持つスキルと、これまでの膨大な資料から、自分の不明点をひとつひとつ解消していった。
チーム内の寛司に対する評価は、まずまずなものだった。
マコト (金曜日, 09 9月 2016 17:24)
2016年7月になっていた。
テレビでは、リオ・オリンピックでメダルが期待される選手のことが、連日、取り上げられ、注目の的となっていた。
寛司は、輝かしいアスリートたちを見ながら、自分の目で確かめてきた将来のメダル候補の選手達を思いだしていた。
『あの子達・・・今日も、トレーニングに励んでいるんだろうなぁ・・・東京オリンピックを目指して』
寛司も、少しだけアスリート支援チームの仕事が見えてきた時・・・
アスリート支援プロジェクト推進会議が開かれた。
その会議を取り仕切るのは、当然、九条部長である。
郷田課長を筆頭に、アスリート支援チームの面々が会議室に集められた。
寛司も含め、全員、緊張のなか九条が来るのを待った。
ドアが開き、九条が入ってきた。
寛司は、次の瞬間
『えっ?』
と、周りに聞こえそうなぐらいの声を発してしまったのである。
それは、九条に連れ添って愛子が入ってきたからだった。
『愛子・・・どうして・・・』
マコト (金曜日, 09 9月 2016 17:25)
覚えていない方のために、今一度説明するが、
片桐愛子
父は、片桐壮健である。
よく、人前で居眠りをこいて、顔に落書きをされる、あの片桐壮健だ。
愛子は、明知大学を卒業し、今年、寛司と一緒に入社した23歳の女の子。
職種は、CRC
分かりやすく言うと、治験関連の事務作業、業務を行うチームの調整など、治験業務全般のサポートを行うチームに配属され、主に治験に協力いただける被験者さんへの対応を任されていた。
愛子は、入社以来、“相武紗季”似の美貌から、社内で一番有名な新入社員となっていた。
そんな愛子が・・・
CRCとして、被験者へのサポートに飛び回っているはずの愛子が、寛司の目の前に現れたのである。
九条と一緒に入ってきた愛子は、持っていた資料を、九条が座る場所に丁寧において、自分は会議室のはじに座った。
寛司は、ずっと愛子の様子を見守っていた。
マコト (金曜日, 09 9月 2016 20:30)
アスリート支援プロジェクト推進会議が始まった。
九条は、椅子に座ってまま参加者全員の顔を確認すると、おもむろに席を立ち、こう言ったのである。
「これから、会議を始める」
「会議は、効率的に進めなければならない」
「だが、意見、質問のある者は、遠慮せずに発言して構わない」
そこまでは、誰もが理解できる九条の説明であった。
だが、次の言葉で誰もが、口を開くことのない会議となってしまうのである。
「先に、皆に伝えておくが、今日の会議内容は、既に専務、さらには社長まで了解を得た内容となっているので、それを踏まえた上で、発言をしてほしい」
「それでは始める」
九条は、配られた資料に沿って説明を始めた。
内容は、主にアスリート支援プロジェクトのこれからの進め方だった。
そんな大切な会議であるにも関わらず、寛司は、愛子のことが気になり、九条の話は上の空だった。
『愛子は、どうして、あそこに座っているんだろう・・・』
マコト (金曜日, 09 9月 2016 20:31)
実は・・・、
九条は、愛子を部長の専属秘書として、CRCから異動させていたのであった。
愛子が、同じ開発部に所属していたことから、部長権限での異動に、誰も意義を唱える者はいなかった。
もちろん、社内には、当たり前のような噂もたっていた。
「九条部長は、片桐の美貌に・・・」
そう噂がたつのも、当然といえば当然である。
ミス明知大学だった、愛子の美しさを考えれば。
寛司が、全国を飛び回っていた頃に、既に異動していたのだが、忙しくしていた寛司が、そのことを知る機会がなかっただけのことだった。
マコト (金曜日, 09 9月 2016 20:32)
会議に集中できないでいた寛司であったが、さすがに、その場面になれば、話は別だった。
九条の経過説明に、誰の意義も質問もなく、次の議題となった。
「え~、質問もないようなので、次の件にいく」
「次は、治験の対象者についてだ」
「これについては、朝倉の調査報告を踏まえて、選定した」
「名簿を見て、何か意見がある者はいないか?」
会議の開始と同時に配られた資料
寛司が、該当する頁を開くと、そこには「治験対象者名簿」と書かれた一枚の資料が添付されてあった。
そう、寛司も、他の社員も誰もが初めて目にする名簿だった。
寛司は、名簿を見て愕然とした。
『・・・えっ?』
そこには10名の名前が書かれてあった。
中学生5名、高校生5名の在席校名、競技種目などが細かに記されていた。
寛司が驚いたのには、理由があった。
10名のうち、寛司が実際に調査してきたのは、3名だけであったからだ。
しかもその3名は、寛司の報告書には、治験対象者としてのランクCを付けた者ばかりだったのである。
寛司が、治験に適していると考え、ランクAを付けた者が1名も掲載されていなかった。
寛司の頭の中は、混乱していた。
『何故だ! えっ? この選手は・・・』
『だめだ! この選手では』
そう考えがまとまった寛司は、おもむろに顔を上げ、手を上げようとした。
すると、視線の先に、青山がいることに気付いた。
青山は、寛司に向かって、首を二度、横にゆっくりと振ったのである。
そう、それは、九条に対して、意見を述べようとしていた寛司を制止させようとする合図に他ならなかった。
『青山リーダー・・・』
会議は、終わった。
九条が席を立ち、
「会議は、無事に終了した」
「この計画書通り、これから、チーム一丸となって頑張って欲しい」
「よろしく頼む」
そう言い残して、九条は会議室を出て行った。
すぐ後ろに愛子を携えて。
発言が出来なかった時以降の会議の記憶が、何もない寛司だった。
マコト (土曜日, 10 9月 2016 20:17)
九条と愛子が部屋を出て行った後の会議室は、静まり返っていた。
残された支援チームの面々に席を立つ者は一人もいなかった。
郷田も、納得がいかずに、資料を握りしめて、怒りをあらわにしていた。
だが、郷田には、課長としてやらなければならないことがあった。
そう、それは、会議で決められた通りのスケジュールに沿って、部下に仕事をさせなければならないことだ。
「さぁ、みんな、持ち場に戻ろう! これから大変になるぞ!」
いつもの、明るい部下たちの返事ではなかったが、課長の言葉に部下たちは「はい」と、ようやく席を立った。
郷田だけは、席を立たずに、部下たちが部屋を出て行くのを見守っていた。
そして、最後に青山リーダーが、郷田の前を通り過ぎようとした時だった。
「青山!」
郷田が、青山を呼び止めた。
『はい・・・』
と、青山は立ち止まった。
青山は、他の部下たちが部屋を出て、会議室に二人きりになるのを待った。
そして、固い表情のままこう言った。
『なんだ? 郷田!』
マコト (土曜日, 10 9月 2016 20:18)
実は・・・
郷田と青山は、同期入社の仲間だった。
入社してからは、互いに認め合うライバルとして、切磋琢磨してきた。
ライバルでありながらも、互いに助け合う、そんな仲間だった。
郷田が、細かなミスを犯した時にも
「青山、お前のおかげで助かったよ!」
『なに、水臭い事言ってんだよ、郷田! 気にしないで、どうだ、今晩、飲みに行こうぜ!』
「いやっ・・・でも・・・」
『・・・なぁ、郷田・・・ お前は、俺がミスった時には、今の俺と同じことを言ってくれたぜ!』
「あれっ、そうだったか?」
『あぁ~ 今日みたいな日に飲まなくて、いつ飲むんだよ! ってな!』
「青山・・・ありがとなぁ・・・じゃぁ、いつもの店にするか?」
『おぉ!』
他の同期入社のメンバーからも、うらやましがられる二人の仲であった。
二人は、同時に昇進していった。
主任・・・係長・・・課長補佐と
だが・・・
それは、5年前のことだった。
二人の意見が、初めて真っ向から対立した。
当時の部長から二人が意見を求められたとき・・・
(郷田)「このまま治験を続けるべきです」
(青山)「部長! 被験者のことを考えれば、一度ここで見直しを考えるべきです」
二人の意見は、全く逆の意見だった。
当時の部長の選択は・・・
郷田の意見を採用したのだった。
このことをきっかけに、当時の部長は、郷田を開発課の課長として推薦した。
そして、初めて二人の昇進に差がついたのである。
辞令と書かれた紙が、開発部の広いフロアの壁に貼りだされてあった。
それを見た青山は、
「おい、郷田! お前、課長に昇進だぞ!」
『えっ・・・お、俺が? 課長に? ・・・』
「良かったじゃないか、お前のこれまでの頑張りが評価された結果だよ!」
そう言って、純粋に仲間の昇進を喜び、それを素直に郷田に伝えたのであった。
それなのに・・・
マコト (火曜日, 13 9月 2016 21:44)
それから数日後だった。
郷田と青山の意見が対立していた治験に、予想外の結果が舞い込んできたのである。
郷田が、部長に呼ばれた。
「郷田君・・・君が進めろと提言していた治験・・・最悪の結果となってしまったよ」
『えっ? 部長・・・と、いいますと・・・』
「亡くなったんだよ・・・被験者が」
『・・・えっ』
郷田は、脳天を金槌で叩かれたような衝撃を受けた。
しばらく呆然としていた郷田であったが、大きく息を吸って部長に言った。
『申し訳ございません、私の判断ミスです』と
すると、部長は、郷田が予想も出来ないようなことを返してきたのである。
「はっ? 君のミスだと? 一体、君は何を言ってるんだ? それは、結局は、部長である私のミスだという意味になることが、君には分からんのかね?」
『えっ?・・・』
「ここで、ミスを認めたら私も君も終わりなんだよ! ましてや、私は君の課長への昇進を推薦した男だぞ! それが、分かるなら、軽々しく自分のミスだなどと口にするな!」
『・・・部長、でも・・・』
「でも、なんだ? もう後戻りは出来んのだよ! 郷田君・・・いいか、もちろん部下たちにも同じだ! 決して判断ミスだなどと、二度と口にするな!」
郷田は、こうべを垂れて、立っているのが精一杯だった。
マコト (火曜日, 13 9月 2016 21:45)
もう、開発部のフロアでは、被験者が亡くなったことが知れ渡っていた。
社員が、それぞれの場所で、ひそひそ話をしているなか、青山だけは、郷田が戻って来るのを待っていた。
それは、郷田が責任感の強い男で、自分の判断ミスであると言うのが分かっていたからだ。
ゆっくりな足取りで、郷田が戻ってきた。
郷田は、社員のほとんどが自分に視線を送っているのが分かった。
その視線を振り切るかのように、あえて真正面を向きながら、自席に座った。
青山は、直ぐに席を立って、郷田に歩み寄った。
「郷田・・・」
二人が、仲間であると言えたのは、この瞬間までだった。
青山が予想もしないことを郷田は言ったのである。
「大丈夫か? 郷田・・・」
『はぁ? 大丈夫ってなんだい? もしかして、被験者が亡くなったことか? 青山のその表情は、俺の判断ミスだとでも言いたそうだな!』
「えっ?・・・・ご、郷田・・・」
絶句する青山に郷田は、続けた。
『治験には、ひとつの間違いもなかった! 人の寿命は、神様しか分からないんだからな!被験者が亡くなったことも、我社の薬とは関係ないだろうし、強いて言うなら、大切なデータの一つに過ぎないんだよ!』と
青山は、怒りを通り越して、悲しさを覚えた。
「郷田・・・」
それでも青山は、自然と両手の拳を握りしめていた。
その拳で、郷田を殴りたかった。
その時は、まだ郷田が大切な仲間であると思っていたからだ。
だが、その気持ちを失わせることが、青山の頭の中をよぎった。
「郷田・・・お前は、“俺は課長だ!お前の上司だぞ!” そう言いたいのか・・・」
この日以来・・・
二人が、仕事以外で会話を交わすことはなくなった。
マコト (火曜日, 13 9月 2016 21:47)
アスリート支援プロジェクト推進会議が終わり、
会議室に二人きりになった、郷田と青山
誰も居ないところでは、昔のように呼び捨ての二人だった。
「なんだ? 郷田!」
と、青山は郷田の前で立ち止まった。
郷田は、青山の顔を見ぬまま
『青山は、知っていたのか?』
「何のことだ?」
『治験対象者の選び方だよ!』
「はぁ? 俺も初めて見せられた名簿だぜ! もしかして、郷田は俺を疑っているのか?」
『いやっ、そ、それは違うさ、青山・・・ただ、九条部長があまりにも強引だったから・・・』
「もし、不満があるなら、直接部長に言ってくれよ!」
そう言って、青山は会議室を出ようと歩き出した。
だが、その歩みが途中で止まり、青山は振り向かずにこう言った。
「郷田は、このプロジェクトのことで、部長から、何か相談されたことはあるのか?」
『・・・いやっ、・・・何一つ聞かれたことも、指示をされたこともない』
「・・・そうなのか・・・でも、課長という職は大変だなぁ・・・」
『えっ?』
郷田は、再び歩き出し、こう言った。
「今回のプロジェクトの最後の責任は、課長がとるんだろうからな!」
郷田には、その意味も、なぜ、その時に青山がそう言ったのかも分からなかった。
郷田は、青山の背中に向かって
『青山!』
と
返事をすることなく、青山は会議室を出て行った。
マコト (木曜日, 15 9月 2016 00:07)
アスリート支援チームの面々は、九条の強引な会議で、やる気を失っていた。
だが、郷田の言葉で心機一転、治験に向けての準備作業に取り掛かったのである。
「俺たちのプライドにかけて、しっかり治験に取り組もうじゃないか!」
『はい!』
10人の被験者に対して、10人のメンバーが選ばれ、寛司もその中の一人として選ばれた。
10人のメンバーは、各自、それぞれに担当する選手が決められた。
寛司は、中距離ランナー 氷室大河(ヒムロ・タイガ)17歳の担当となった。
それは、寛司が自ら志願して担当となったものだった。
『氷室大河君は、僕にやらせてください!』
大河は、寛司が一番気になっていた選手だったからだ。
大河は、オリンピック強化選手選考会レースで、他の選手との接触により転倒し、優勝目前で、それを逃した選手だった。
当然、寛司は、その後の頑張りを期待して調査に向かった。
だが、寛司が目の当たりにしたのは、目標を失い、練習に全く身の入らない大河だった。
選考会レースの際の大河の転倒は、明らかな走路妨害によるものだった。
大河も、高校の監督も抗議したが、それは受け入れられなかったのである。
失意の大河は、走ることが嫌になっていたのであった。
寛司は、一週間、大河の練習風景を監視した。
『頑張って、もう一度、あの時の輝きを取り戻してくれ!』
その思いで、寛司は大河を陰で見守り続けていたのである。
だが・・・
結局、寛司は調査報告書にその全てを記し、大河の評価で被験者候補“ランクC”をつけた。
それなのに・・・
会議で渡された名簿には、大河の名前が書かれてあった。
寛司が、九条に意見を述べたかったのが、大河のことだったのである。
寛司は、思った。
「大河が被験者になるなら、彼にしっかりとした目標を持たせてあげなければならない!」
と
マコト (木曜日, 15 9月 2016 22:37)
2016年8月の末になっていた。
リオ・オリンピックでは、日本人選手の多くが活躍し、その様子が連日放映された。
日本は、金メダル12個、銀メダル8個、銅メダル21個、計41個を獲得した。
これは、前回大会・ロンドンオリンピックの38個を上回る史上最高の獲得数だった。
金メダルの獲得数での順位は、アメリカ、イギリス、中国、ロシア、ドイツに次ぐ6位だった。
テレビでは、多くのコメンテーター達が、口を揃えてこう言っていた。
「東京オリンピックでは、リオ以上のメダルが期待されます!」
と
マコト (木曜日, 15 9月 2016 22:38)
寛司は、連日の残業にも耐え、来たる治験に向けての準備作業に追われていた。
そんなある日・・・
ようやく、仕事を終え、更衣室で着替えていると、寛司の携帯が鳴った。
「あっ、珍しい~ 美優からだ! もしもし~」
美優の電話は、久しぶりに5人で集まろうよ! という話だった。
そうである。
寛司に対する美優の気持ちを聞かされた梨花が、
『ねぇ、美優・・・久しぶりに集まろうよ! バーベキューの話もしておきたいしさ! それでさっ、カンチには美優から連絡して!』
「えっ? ・・・私が?」
『そうよ! いいじゃない、してよ~ その代り、朝彦と愛子には私から連絡しておくから! よろしく!』
と、その流れでの電話だったのである。
その時の寛司は、いろんなことで心が弱っていた。
連日の残業と、休日出勤・・・
美優の声を久しぶりに聞いた寛司は、思わず涙を流していた。
『ねぇ、寛司君・・・どうかしたの?』
「いやっ、なんでもないよ・・・でも、久しぶりに美優の声が聴けて、嬉しかったよ! じゃぁ、いつものところで!」
『うん!』
その言葉は、美優にとっては、天にも昇るような嬉しい言葉だった。
『私の電話を、こんなにも喜んでくれた!』
通話終了のボタンを押した美優は、スマホにキスをした。
そして思わず
『カ~ンチ!』と
でも直ぐに、
『あっ、いっけな~い! それは梨花の呼び方だったわよね!』
『ダメなんだからね! 分かった? 美優!』
『あぁ~ 早く寛司君に逢いたいなぁ』
スマホに語りかける美優の笑顔が、とても可愛らしかった。
マコト (木曜日, 15 9月 2016 22:40)
8月、最後の週末・・・
梨花と美優と朝彦が、「居酒屋ニチョウ」にいた。
(梨花)「ねぇ、美優・・・カンチは遅れるって言ってた?」
(美優)「いやっ、特別何も言ってなかったけど・・・」
そんな二人の会話に、すかさず朝彦が、
(朝彦)「えっ? 寛司には美優が連絡したの?」
(梨花)「なによ、朝彦! あなたも美優から連絡してほしかったの?」
(朝彦)「あっ、いやっ・・・そういう意味じゃなくて・・・珍しいなぁと思って! だって、今までずっと梨花が、全員に連絡してくれていたからさ・・・」
(梨花)「今回から、美優にも手伝ってもらうことにしたの! 朝彦は、私と会社で毎日のように会っているんだから・・・えっ? 私じゃ不満?」
(朝彦)「いえっ、決してそんなことはございません」
この流れから言えば、この質問は避けるべきだったのであろうが・・・
(美優)「そういう愛子は?」
質問を受けた梨花は思った。
「この流れのなかで、愛子への連絡は、カンチってことになるでしょ!」と
(梨花)「なんか、忙しいみたいで、来れたら来るって感じだったわよ!」
梨花の悪い予想は当たってしまう。
(朝彦)「えっ? だとしたら、愛子への連絡は、寛司の方が早くない? 梨花が連絡したの?」と
でも、こんな時の女の子の言い訳は、男の子には真似できないほど上手いのである。
(梨花)「愛子には、ちょっと聞きたいことがあったの! だから、私から連絡したのよ!」
(朝彦)「な~んだ、そっか!」
マコト (木曜日, 15 9月 2016 22:41)
男の子は、単純だ!
女の子の言葉を信じて疑わない。
だが、男の子だって、ただ黙って騙されている訳ではない。
時には「な~んだ、そっか!」と、信じたようなふりをしながら、全く信じていないことを、女の子たちは知らないのである。
先日も、こんなことがあった。
これは、花風莉での会話だ。
美子都が、健心が差し入れで持って来た“みたらし団子”を両手に持ちながら、
『ねぇ、健心!』
「なんだい、美子都・・・」
『あたかも、私が一日に二度のランチをしていて、しかも、その証拠の写真があるような発言、やめてよね!』
「えっ? だって・・・」
と、言って健心はスマホを取り出し
「ほらぁ・・・これ、二度目のランチの写真・・・これって、絶対に昼間だろう?」
『ちげーし!!! これはお店の照明で明るいんだし!』
「な~んだ、そっか!」
ちなみではあるが、その証拠の写真は、
≪としちゃんの旅・2016編≫に収納するので、どちらの話が正しいのか確認したい方は、どうぞご覧ください。
11月中ごろに世に出回る予定です。
ちなみにのちなみにですが、9月4日に放映したものは、その一部です。
話は戻るが・・・
この時の朝彦にとって、愛子のことはどうでも良かったのである。
なぜなら・・・
朝彦は、美優のことが好きになっていたからである。
そのことを、梨花も、もちろん美優本人もまだ気づいてはいない。
マコト (木曜日, 15 9月 2016 22:43)
(梨花)「どうする? 先に軽く初めていようか?」
(美優・朝彦)「そうね、 そうだな」
カンパ~イ!
(梨花)「ねぇ、来週よ! バーベキュー」
(美優)「そうね! ・・・でさぁ、実は、うちのお母さんも、同じ日にバーベキューだって言うのよ!」
(梨花)「あれっ、そっか! ごめん、言ってなかったわよね!」
(美優)「えっ? なに?」
(梨花)「あのね・・・」
梨花は、その時初めて二人に、当日は55会のメンバーと一緒にバーベキューをすることを説明した。
もちろん、二人はびっくり仰天!
(美優)「えっ? 梨花のお婆ちゃんの生まれた家って・・・そっか、ケンちゃんさんのお母さんの生まれた家っていうことよね!」
(梨花)「うん!」
すると、美優が浮かない顔で
「なんだぁ・・・」と
(梨花)「どうしたの? 美優」
(美優)「あのね・・・お母さんに、来週の日曜日は、美優が一人で店番ね! って、言われちゃったの」
(梨花)「あっ、そっかぁ、ごめんなさい、美優・・・わたし、すっかり、そのことを忘れちゃってた・・・美優のお母さんも、行くわよね! そうよねぇ・・・ごめん、わたし・・・本当に、ゴメン・・・どうしよう・・・」
(美優)「いいの、いいの! みんなで、楽しくやってきて!」
と、男の子は、こんな時に好きな女の子の前で、思いっきり“シコる”のである。
そう、片桐壮健のように。
(朝彦)「なぁ、梨花・・・バーベキューは別の日に設定できないか? 美優が、こんなに残念がっているところ、美優を抜きにして、俺は楽しめないぜ!」
(美優)「朝彦・・・」
だが、これがまた、微妙に難しいところなのだ。
朝彦は、今の言葉で、自分の株が上がったと思っていたのだが、
美優にとってみれば、自分の都合で、皆のスケジュールが狂うことを、手放しでは喜べないからだ。
マコト (金曜日, 16 9月 2016 12:39)
シコったあとの朝彦は、
「どうだ! 俺って優しいだろう!」
と、言わんばかりの顔で、梨花を見ていた。
だが、それを打ち砕くかのように美優が
『朝彦、ありがとう・・・でも、みんなが楽しみにしていたのに、それじゃ、私が辛いもん・・・』
ごもっともである。
こんな時の女の子は、こんな感じでその場を収めるのである。
梨花が、両手を顔の前で合わせて
『あぁ、ごめん! 実はね、私も別の用事が後から出来ちゃって・・・でも、みんなに声をかけた手前、バーベキューを優先したんだけど・・・ごめん! 別の日に設定するから、来週は無しにしてもらっていい?』
「梨花・・・」
もちろん、美優には分かっていた。
だが、単細胞の男子は、
「なんだよ~ 結局は、梨花も都合が悪いのかよ! じゃぁ、結論は早いじゃん! また別の日に!」
梨花は、至極申し訳なさそうに、
『ごめん、朝彦! 美優もゴメン!』
「梨花・・・うん、分かった」
美優は、目で「ありがとう、梨花」と
梨花も目で「大丈夫よ、美優」と
寛司と愛子は、その場にいなかったが、3人で、バーベキューは別の日にやろうと決めたのであった。
マコト (金曜日, 16 9月 2016 12:42)
いずれにせよ、梨花たちが、55会のバーベキューに参加することは無くなった。
これは、後から55会のメンバーに聞いた話であるが・・・
梨花たちのその選択は・・・正解だった。
何故なら、次のような場面を見ないで済んだからだ。
寛司は・・・
実父、大槻玲飛が、飲み過ぎて、“セイウチ”のように寝ていたところを見ずに済み、
さらには、美子都が、自分の狙っていた肉を他のメンバーに奪われ、粕尾の山にこだまするぐらいに吠えていたシーンを見ずに済み、
梨花は・・・
健心が、春香に
『ねぇ、健心! 私は、あなたに・・・』
と、あの伝説の飲み会の話で盛り上がっていた場面を見ずに済み、
愛子は・・・
実父、片桐壮健が、飲み過ぎて爆睡! その間に顔に落書きをされ、激写されているシーンを見ずに済み、
美優は・・・
萌仁香が、自信満々に焼いたパンケーキが、丸焦げになってしまい、
『鉄板が悪い!』
と、ぐだをまいていた場面を見ずに済み、
朝彦は・・・
あれっ、朝彦は???
幹事長として、その場の仕切りをしている新城可夢生だけは、55会メンバーの中で、唯一、まともな男だった。
と、まぁ、梨花達が、55会のメンバーに混ざるには、まだ10年早いのだ。
子ども達の知らないところで、親たちは・・・
それは、互いに知らない方がいいことも、たくさんあるのだから。
結局、その日の5人の集まりは、3人だけの飲み会になってしまったのだった。
寛司、そして愛子からも
「ごめ~ん、行けない!」
と
マコト (土曜日, 17 9月 2016 21:58)
梨花と美優と朝彦がニチョウで飲んでいた頃・・・
寛司は、大河の治験の準備に追われていた。
ここで、治験についての“ルール”について先に話しをしておく。
治験では、新薬の効果を検討するために、同じような症状の複数の患者さんに対して、実際には効果のない物質や、すでに効果が確認され市販されている薬剤との比較も同時に行われるのである。
被験者が、被験薬と対象薬のどちらを投与されているかを知ってしまうと、薬剤の効果が変化してしまうことがあるため、自分が、どちらを投与されているのかは、被験者本人には知らされないのだ。
さらに、この場合、投与する医師が、どちらの薬を投与しているかを知っていると、それが態度に表れてしまったり、有効性や安全性の評価に際して先入観が入り込んでしまったりすることがあるため、投与する医師にも知らされない場合があるのだ。
また、一つの新薬の治験においては、複数の被験者に対して薬の投与量をそれぞれに変え、さらには投与期間も変えるなど・・・、
データ収集のために、被験者には、自分がどれくらいの量を投与されているのかも知らされぬまま実行されるのである。
これが、治験のルールだ!
誤解のないよう追記するが、「治験」は、取りも直さず多くの人の幸せのために行われるのである。
そう・・・、多くの人の幸せのために。
マコト (日曜日, 18 9月 2016 22:17)
ここで、寛司が担当する氷室大河を紹介する。
氷室大河、高校2年生
はっきり言って、走ることしか能のない高校生だ。
大河の通う高校は、普通科の進学校。
周りの生徒は、少しでもいい大学に進学したいと、競って勉強をする生徒ばかり。
だが・・・
大河だけは、違った。
その高校に入ったときから、自分は進学をせずに就職すると決めていたのであった。
勉強がとっても嫌いだったからである。
「なんで、嫌いな勉強を、あと4年もしなきゃなんねーの!」
だが、それは大河が勝手に思っている理由であり、本当の理由は、
大河は、バカだったのである。
どんなバカかと言うと・・・
『これ、お婆ちゃんが作ってくれた洋服なのぉ~ 可愛いでしょ!』
と、言われれば
「孫にも衣装だな!」
と、真剣に返したり
外反母趾(がいはんぼし)の意味を、外面の良い母子家庭の母親だと思っていたり、
『あいつ、元気がないな! ちゃんと練習するように檄(げき)を飛ばしてこい!』
と、後輩部員に、“檄を飛ばす”の意味も知らずに、とんちんかんなこと言ってみたり、
「フレンチキス」は、唇を軽く合わせる「チュッ!」だと思って、
『すんべ! すんべ! フレンチキスでいいからさ!』 と、女の子に頼んでみたり、
アンパンマンの“ジャムおじさん”と“バタコさん”が人間だと思っていたり、
手持ち花火の先端の「紙の部分」に火を付けて、
『これ、火、つかねーし!』
と、先端の紙は火薬部分を保護する役割で、花火を使用する際は紙を、ちぎり取ってから着火することも知らなかったり、
「仏の顔も三度まで」は、三回まではOKという意味だと思っていたり、
丁字路(ていじろ)をT字路(ティーじろ)だと思っていたり・・・
と、こんな感じのバカな生徒なのだ。
走ること以外は。
大河は、レースに負けて、走ることが嫌いになりかけていた。
もちろん、この先、自分が被験者になることなど、知る由もなかった。
そんな彼の今後を話す前に、彼の生い立ちから語るとしよう。
マコト (月曜日, 19 9月 2016 21:59)
それは、大河が小学校6年生の時のこと・・・
元気のない大河に、姉の若葉(ワカバ)が
『ごめんねぇ、大河・・・』
「いいんだよ! 姉ちゃん。 俺、友達のところに遊びに行ってくるね!」
『・・・はい、いってらっしゃい』
若葉は、大河の5歳上の姉。
後に、大河が通うことになる高校の2年生だ。
『ほんとにごめんね・・・大河』
若葉は、涙をいっぱいにためて、明日、大河に持たせるお弁当の下ごしらえをしていた。
それは、大河の小学校最後の運動会のお弁当だった。
その日の夜・・・
若葉は、父親にもう一度お願いした。
『ねぇ、お父ちゃん・・・』
「なんだ?」
『大河が、可哀想だよぉ・・・お父ちゃんは、どうしてもダメなの?』
「すまんが、仕事を休むわけにはいかないんだ」
『大河は、我慢強い子だから何にも言わないけど・・・大河の小学校の最後の運動会だよ! それに、大河は言わないけど、応援団長に選ばれたらしいの! そんな晴れ姿を誰も見てやれないなんて・・・大河が・・・』
若葉は、涙をいっぱいにためてそう言った。
だが、父親は、黙っているだけだった。
病弱な母親は、長く入院していたのだった。
若葉は、母親に代わって、大河の面倒を見ていた。
これまでは、親戚にお願いして、昼食を一緒に食べさせてもらっていた大河だったが、親戚の子も中学生となり、明日の運動会は、誰も大河とお昼を食べてくれる人はいなかったのである。
無口な父親だった。
でも、決して子育てに無関心だった訳ではない。
入院費用を払うためには、休日返上で働かざるを得なかったのだ。
マコト (火曜日, 20 9月 2016 12:54)
運動会の日になった。
『大河・・・起きなさい! いいお天気よ!』
若葉に起こされた大河は、飛び起きて窓に走った。
「やった!」
『早く、顔を洗って、朝ごはん食べなさい』
「うん!」
たまごかけご飯を美味しそうに頬張った大河。
『大河、早く着替えてきなさい!』
「うん!」
何一つ新しいものではなかった。
体操着、帽子、運動靴・・・
それでも、若葉が真っ白に洗濯してくれた体操着を着て、
「姉ちゃん、ありがとう! 運動着、真っ白だよ!」
若葉は、嬉しそうな顔をした。
そして、早起きして作ったお弁当を大河に手渡した。
『大河、腕によりをかけて作ったからね!』
「うん! 姉ちゃん、ありがとう」
でも、若葉はちょっとうつむいて、
『大河・・・ごめんね』と
「なんで、姉ちゃんがごめんなの?」
『誰も行ってあげられなくて・・・お弁当、どこで食べるの?』
「う~ん、きっと教室だと思う! 先生に昨日話しておいたから!」
『ごめんねぇ・・・お姉ちゃんが、行ってあげられたら・・・』
「だって、姉ちゃんは学校じゃん!」
『でも・・・』
「大丈夫! あのね、6年生は午後の準備があるから、お昼休みも短いんだよ! だから、パッと食べて」
『え~ ちゃんと味わって食べてよね!』
「そっか、姉ちゃんが一生懸命に作ってくれたお弁当だもんね!」
『帰ってきたら、感想を聞くからね!』
「え~・・・」
『うそよ! 頑張ってくるのよ、大河』
大河は、おどけて言った。
「ガッテン承知の助だい!」
二人の兄弟は、父親の背中を見て育っていた。
父が、いつも口にする言葉は
「人に対する感謝の気持ちを忘れるな!」だった。
そして、それを自ら実行する父親だった。
若葉自身、まだまだ母親に甘えて、普通の高校生活を送りたかった。
でも、病弱な母親のいる家庭では、それは無理な話だったのである。
『大河・・・寂しいはずなのに・・・』
若葉は、真っ白な体操着を着て、走って学校に向かう大河を見送った。
マコト (火曜日, 20 9月 2016 21:13)
大河は、正直、寂しかった。
それでも応援団長として、青組を優勝に導き、最後の表彰式では、優勝旗を受け取った。
「母ちゃん・・・僕、頑張ったよ!」
運動会の後片付けを全部済ませて、帰宅した大河
「ただいまぁ・・・そっか、父ちゃんも姉ちゃんも、まだ帰ってないか・・・」
大河は、「一等賞」の紙が貼られたノートを三冊、ちゃぶ台の上に置いた。
疲れて帰ってきた大河は、いつの間にか、そのまま居間で眠ってしまった。
若葉が、学校から帰ってきた。
若葉は、疲れて眠っている大河を寝かせたまま、晩御飯の用意をして、それから大河を優しく起こした。
『大河・・・大河・・・』
「・・・あっ、寝ちゃった」
『大河! すごいじゃない! 一等賞だったんだね!』
と、若葉は嬉しそうにノートを持って言った。
「うん! 普通のかけっこと障害物、それとリレーの3つだよ!」
大河も、誇らしげに言った。
『大河は、足が速いのよね! 将来、オリンピックの選手になれるんじゃない?』
「え~ 僕は、将来プロ野球の選手になりたいんだよ!」
『えっ?・・・』
若葉は、大河にそんな夢があることを、初めて聞かされた。
『プロ野球の選手?』
「うん!」
『そっかぁ・・・じゃぁ、お姉ちゃん一生懸命に応援するね!』
「うん!」
『ねぇ、大河・・・じゃぁ、大河は中学校に行ったら、野球部に入りたいんでしょ?』
「・・・分かんない」
『えっ?・・・』
最後の「分かんない」は、明らかに大河の嘘だった。
何故なら、同級生たちは、スポ少の野球部に入り、毎週土曜日曜と練習していたが、経済的に余裕のなかった、大河の家では、それが出来なかった。
それでも、友達とキャッチボールをすれば、他の誰よりも速いボールを投げ、誰よりも遠くへボールを打ち返していた大河だった。
大河は、子どもながらに、お金のかかることは出来ないんだと分かっていた。
だから、自分が中学へ行っても野球部に入れるのか不安でいたのであった。
マコト (水曜日, 21 9月 2016 13:01)
もうすぐ、小学校最後の冬休みになろうとしていた。
大河の家では、もちろんクリスマスなど無縁だった。
それでも、父親がクリスマスの日に・・・
「これを食べなさい」
そう言って、二人の前に透明の丸いカップに入ったホールケーキの形をしたアイスクリームを置いたのである。
おそらくは、100円ぐらいのアイスであろう。
それでも、そのアイスはまさしくホールケーキの形をしていた。
(大河)「父ちゃん、スゲー!!!」
(若葉)「お父ちゃん・・・ありがとう」
(父親)「二人には、寂しい思いをさせてすまんな」
(若葉)「・・・お父ちゃん」
大河は、嬉しさのあまり飛び跳ねた。
「父ちゃん、いただきます!」
若葉は、そんな父親の優しさが無性に嬉しかった。
『ありがとう、お父ちゃん・・・いただきます』
と、一粒の涙を流して、そして美味しそうにアイスクリームを頬張った。
『美味しいね! 大河』
「うん!」
二人の笑顔が、なにより嬉しかった父親であった。
マコト (木曜日, 22 9月 2016 07:59)
小学校最後の三学期になったある日の夜・・・
大河が、珍しくトイレに起きた。
すると、居間から若葉と父親の会話が聞こえてきたのである。
『やっぱり、無理だよねぇ・・・お父ちゃん』
若葉の声は、泣き声だった。
「えっ? どうしたの姉ちゃん・・・」
大河は、思わず立ち止まり、二人の会話を聞いた。
「すまない・・・若葉」
『うん、しょうがないよね・・・お母ちゃんの病院が大変なんだもの』
「・・・若葉」
若葉は、高校の担任から、大学進学を勧められていたのである。
「若葉なら、東穂久大学の法学部も狙えるぞ!」
若葉の偏差値は、67だった。
右都宮大学の教育学部の偏差値が57程度であるのだから、いかに優秀であったのかは、容易に分かるであろう。
『でも、先生・・・』
「金銭的なことなのか? 若葉・・・」
『・・・・・』
「学費なら、奨学金を借りて、それで、大学生になったらアルバイトをしながら通っている生徒は、たくさんいるぞ!
『でも・・・』
「若葉の将来に関わることなんだぞ! お前、言ってたじゃないか! 夢があるって」
『・・・・・』
「若葉!」
『・・・父と相談してきます』
「そっか・・・若葉、もう3年生のクラス編成を決めなきゃならないんだ! 焦らせては可哀想なんだが・・・」
『・・・はい、先生・・・ご迷惑をかけてすみません』
「迷惑だなんて言うなよ、若葉!」
『でも・・・』
「大丈夫だ! お前が人の何倍も苦労して、弟の母親代わりをしていることも、クラスのみんが分かってくれているんだ!」
『えっ?・・・』
「若葉は、塾にも通わず、家事もこなしながら、いつ勉強しているんだろうって。 みんな、若葉のことを偉いなぁってな・・・」
若葉は、本当に勉強が好きだった。
マコト (木曜日, 22 9月 2016 08:01)
大河は、ずっと立ったまま聞いていた。
「姉ちゃん・・・」
大河は、子どもながらに姉と父親の会話の内容を理解した。
「姉ちゃん・・・本当は大学に行きたいんだぁ・・・でも・・・」
しばらくの沈黙のあと、若葉は、父親に向かってこう言った。
『お父ちゃん! 高卒でも入れる一番いい会社に入るからね! 期待してて!』
「・・・若葉」
若葉は、進学を諦めた。
それは・・・
大河のことを思ってだった。
『私が、この家を出ちゃったら、大河が・・・』
そして、自分も働いて、少しでも父親の負担を軽くしてやりたかったからだ。
翌日、若葉は担任に進学しないことを告げた。
マコト (木曜日, 22 9月 2016 22:20)
大河の小学校卒業式の日になった。
「ねぇ、姉ちゃん・・・」
『なぁに? 大河』
「本当に来てくれるの?」
『うん! 行くよ! だって、大河の小学校最後の日だもの』
「だって、学校は?」
『学校? 実はね、担任の先生が、私に宿題を出したのよ!』
「えっ? 宿題?」
『そう、宿題! 小学校の卒業式のあり方について、学んできなさいって! そしたら、たまたま、今日が大河の卒業式だったっていうことなの!』
「ふ~ん・・・じゃぁ、僕はラッキーだったんだね!」
『そうね、ラッキーだったわね、大河!』
もちろん、そんなことはあり得なかった。
若葉の大嘘だ。
前日・・・
『先生・・・私、明日遅刻してきてもいいですか?』
「遅刻? なにかあるのか? 若葉は、今日まで無遅刻無欠席だろう?」
『・・・だめですか?』
「理由を言いなさい! 就職する時に、皆勤賞は大きなポイントになるんだぞ!」
『・・・・・』
「どうした? 言えないのか?」
若葉は、うつむいたまま小さな声で言った。
『弟の・・・』
担任は、一瞬で理解した。
「すまなかった! 若葉! 分かったから行ってやれ!」
大河は、運動会が一人であったように、授業参観も誰にも来てもらえなかった。
そんな大河を不憫に思った若葉は、皆勤賞を諦め、大河の小学校最後の晴れ姿の卒業式に出ることを決めたのだった。
『ねぇ、大河・・・』
「なに? 姉ちゃん・・・」
『でも、ごめんね、学校の宿題で行くから、セーラー服だよ、・・・お姉ちゃん』
「ぜんぜんいいよ! だって、姉ちゃんの制服姿、カッコいいもん!」
『そう・・・ありがとね、大河』
卒業式が始まった。
一人ひとり名前が呼ばれ、校長先生の前に進む卒業生たち
次が、大河の番になった。
『大河・・・大きな声で返事するのよ!』
若葉は、保護者席の一番後ろで見守っていた。
と、次の瞬間だった。
『えっ?・・・大河』
マコト (金曜日, 23 9月 2016 23:21)
担任が、大河の名を呼んだ。
『氷室大河』
「はい!」
それは、それまでの返事の中で一番大きな声だった。
返事して階段を登り、校長先生の前に進むはずなのに、大河は・・・
後ろを振り向いて、こう言ったのである。
「若葉姉ちゃん! ありがとうございました!」
体育館は、一瞬にして静まり返った。
担任も、何が起きたのか分からず、呆然と立っていた。
だが、直ぐに全てを理解した担任が、真っ先に拍手を始めたのである。
わずかに遅れて、参列者全員の拍手が体育館に響き渡った。
保護者達は、一番後ろにいたセーラー服姿の若葉を探して、皆、拍手を贈った。
若葉の頬を涙が流れていた。
それを隠そうと、若葉はうつむいていた。
『大河・・・』
大河は、階段を登って校長先生から卒業証書を受け取った。
その凛とした姿が、大河の家庭の事情を知る者の涙を誘った。
その場にいた先生たち、誰もが、教員生活を振り返ってこう言った。
「こんな雰囲気の卒業式は、初めてだわ」
「会場の誰もが、生徒も、保護者も・・・“感謝”という思いに溢れている」
と
マコト (金曜日, 23 9月 2016 23:22)
若葉は、卒業式を見とどけて学校へと急いだ。
教室に着いたのは、ちょうど四時限目の前の休み時間だった。
若葉は、隣の席の女の子に
『遅刻しちゃった!』と
すると、その女の子はこう言ったのである。
「若葉・・・ご苦労様」
『えっ?』
「朝のホームルームの時に、先生が話してくれたわよ!」
『えっ? なんて?』
「若葉には、課外授業で小学校の卒業式のあり方を学んでくるように言ってある! くれぐれも言っておくが、遅刻ではないので! いいな! って」
『えっ?・・・先生が?』
その女の子は、笑って話を続けた。
「そしたらね、男子が言ったの!」
『なんて?』
「先生! それって、校長にバレたら、先生やばいんじゃないの? って、茶目っ気たっぷりにね!」
『え~・・・そしたら先生は、なんて?』
「もし、校長にチクった奴がいたら、ぶっとばす!って」
二人は、顔を見合わせて笑った。
若葉は、教科書を机に入れながら、こう言った。
『先生・・・ありがとう』と
マコト (土曜日, 24 9月 2016 17:37)
大河は、中学生となった。
三年間、着られるように二回りも大きな学生服を着て、3キロの道のりを自転車で通った。
入学して間もなく、部活動への入部説明があった。
生徒全員に、説明書が配られた。
大河は、その書類を見て、一瞬にして自分の入部先を決めたのである。
その日、帰宅した大河は、若葉に
「姉ちゃん! 俺、陸上部に入る!」
『えっ?・・・大河、野球部に入るんじゃなかったの?』
「陸上部の先生にスカウトされちゃってさ!」
『スカウト?』
「うん! だって、一番に駆け足が早いしさ!」
『・・・大河・・・あなた、もしかして・・・』
と、若葉が言いかけたときに大河はこう言った。
「姉ちゃん、言ってたじゃん! 大河はオリンピックの選手になれるよ!って」
そう言って、笑った。
『大河・・・』
「野球は、スポ少でやってきた奴にはかなわないよ! レギュラーになれないなら、陸上で県大会優勝! いやっ、日本一の中学生になってみせるよ!」
もちろん、大河の考えた嘘だった。
若葉が大学進学を諦めていたことが、大河に陸上部の入部を即決させていたのであった。
「野球部に入るには・・・、ユニホーム、スパイク・・・グローブもないんだ、俺・・・こんなにお金がかかるんだぁ・・・」
自分の気持ちを押し殺して陸上部に入ったが、一度決めたことは、とことんやる大河であった。
2年生、3年生にも負けないような練習に自ら取り組んだ。
マコト (日曜日, 25 9月 2016 23:33)
大河の母親の病状は、日に日に悪くなっていた。
母親が入院している病院は、若葉が通う高校からすぐのところにある上津賀病院だった。
若葉は、いつも学校帰りに母親を見舞っていた。
母親は、その度に
「若葉・・・いろんなことを我慢させちゃってごめんねぇ」
「大河は、元気にしているの?」
「大河は、陸上頑張っているの?」
「大河は?・・・」
「大河は?・・・」
いつも、大河を心配していた。
母親は、若葉から大河の様子を聞くのが、何よりもの楽しみだった。
もうすぐ夏休みになろうとしていた頃だった。
「今日もパンなの?」
それは、大河が初めて口にしたわがままだった。
その日も食卓には、少し硬くなったパンが置かれてあった。
それは、母親が食べられずに、若葉が病院から持ち帰ってきたパンだった。
そのパンも、ほぼ毎日のこととなっていたのである。
『ごめんねぇ、大河・・・晩御飯が毎日パンじゃ可哀想なんだけど・・・』
毎日、パンが持ち帰られていたことに、大河もその理由が、中学生なりに少しだけ理解できていた。
初めて口にしたわがままに、至極悲しそうな顔した若葉
大河は、すぐにそれに気が付いた。
「・・・ご、ごめん、姉ちゃん」
大河は、食パンにマーマレードをつけて、一気に頬張った。
「姉ちゃん、旨いよ!」
大河の家には、缶詰が山ほど置かれてあった。
母親の病院に見舞ってくれた方たちが、決まって缶詰を持ってきてくれていたからだ。
大河は、桃とミカンが食べられなくなっていた。
それは、缶詰の甘い桃とミカンを、嫌というほど食べさせられていたからだった。
その日の晩御飯が終えた時、若葉は、大河に言った。
『お母ちゃん、私には言わないけど・・・、きっと大河に会いたいはずよ』
その言葉に大河は
「・・・うん」
と、気のない返事をするだけだった。
マコト (日曜日, 25 9月 2016 23:35)
大河だって、毎日のように母親の顔を見たかった。
でも、やっと中学生になったばかりの大河には、辛すぎる光景だったのである。
やせ細った体に、幾本もの点滴がつけられ、
大河が見舞っている時も、
「大河・・・何時になった?」
「まだ、時間にならないのかい?」
それは、痛み止めの注射を待ちわびる母親の問いかけだった。
「まだだよ・・・お母ちゃん」
そのセリフを言うのが、何よりも辛かった。
病名は聞かされていなかったが、子供なりに想像はしていた大河だった。
母親も、そんな辛そうなところを大河には見せたくなかったのであろう。
若葉が、
『明日、日曜日だから大河を連れてこようか?』
心の中では、大河に会いたい気持ちがあっても、母親はそれを我慢した。
「大河は、陸上を頑張っているんだから・・・」
『お母ちゃん・・・』
そして、お盆のときだった。
その日は、父親と若葉と大河
三人で母親を見舞った。
母親は、その日も体調は良くなかった。
三人の帰り際に、母親が痛み止めの注射を懇願した。
大河は、子供なりに、注射を我慢すれば・・・
そういう気持ちだった。
だから、母親に
「我慢しなよ! お母ちゃん! さっき、僕が来た時に注射してもらったばかりなんだよ!」と
その言葉が、母親が聞いた大河の最後の言葉だった。
マコト (日曜日, 25 9月 2016 23:37)
その日で夏休みが終わる8月31日、早朝・・・
『大河・・・大河・・・起きなさい』
「えっ、 どうしたの? 姉ちゃん、 こんな朝早くに」
若葉は、涙をいっぱい流し、
『大河・・・お母ちゃんが・・・』
大河には、姉の涙で、それがどういう意味なのか、直ぐに理解できた。
親戚の叔母の車で病院に着いた大河は、ベッドの上で眠る母親と会った。
不思議と涙が出なかった。
母親の穏やかな顔を久しぶりに見れたからだ。
「お母ちゃん・・・もう痛みに耐えなくてもいいんだね・・・」
それでも・・・
ずっと母親の付き添いに粕尾から来てくれていた祖母が、
『大河・・・大河のお母ちゃんは、最期まで大河を心配していたんだよ』
その言葉で、大河も泣き崩れ、若葉と一緒に母親にすがり泣き続けた。
それから、どうやって家に帰ってきたのか、大河の記憶としては残っていない。
その日から、母親は、天国から大河を見守るようになった。
マコト (月曜日, 26 9月 2016 22:55)
翌年の春・・・
若葉は、市内の優良企業に就職した。
そこへの入社は、大卒でも難しい会社であった。
そして、さらにその2年後、大河が高校進学を決めるとき・・・
大河の中学校の担任は、栃木にある男子校に進学するよう説得していた。
そこは、若葉の通った高校よりも、もっとレベルの高い高校だった。
だが、大河は、あっさりとそれを断った。
そう、そこが男子校だったからだ。
就職を考えれば、工業高校に行きたかったが、それでは電車通学となり、家に迷惑になると考えた大河は、結局、自転車で通えるように、若葉と同じ高校への進学を決めた。
大学への進学は、まったく考えていなかったが、姉の背中を見て育った大河は、姉と同じように進学校を選んだのだった。
入学式には、父親も若葉の姿もなかった。
もう、高校生になった大河には、寂しさはなかった。
入学式の日、初めて登校した大河は、昇降口に張り出されたクラス分けの名簿に、自分の名前を探した。
「そっか・・・1組、2組は家政科なんだ」
3組・・・4組・・・5組
「あいつとあいつは5組なんだぁ・・・いいな、同じクラスで」
中学校の同級生の名前を見つけては、そんな思いをしていた大河だった。
6組・・・7組・・・
人間は、こんな時に不思議と変な不安に駆られるのである。
「えっ?・・・俺、本当に合格してんの?」
8組・・・
そして9組になった時だった。
「えっ?」
大河は、気づいた。
9組には女子の名前が一人もなかったのである。
「な、なに・・・これ・・・」
そして最後の10組の名簿へ・・・
「氷室大河」
しっかりと名前が記されてあった。
大河の選んだ高校は、その年は男子生徒の入学が多く、9組・10組が男子クラスとなったのである。
女子のいないクラス・・・
大河は思った。
「これって、男子校と変わんねーし!」
大河は、高校に行ったら直ぐに彼女をつくりたいと思っていた。
若葉も戸惑うぐらい大人になっていたのである。
2015年4月
大河の人生は、もう既にこの時、大きく曲がっていたのかもしれない。
マコト (水曜日, 28 9月 2016 00:17)
大河は、ごく普通の高校生活を始めた。
高校生になって初めて経験する男子クラスは、そこそこ居心地が良かった。
授業も、休み時間も・・・全てが男だらけの世界だった。
大河は、直ぐに同じクラスの佐藤博一(サトウ・ヒロカズ)と友達になった。
大河は、博一を“バケラッタ”と、あだ名で呼んだ。
大河の通う高校には、週に一時間の「クラブ活動」という授業があった。
音楽クラブにでも入れば、女子と友達になれそうな気がしたが、そんな柄じゃないことは、自分が一番分かっていた。
結局、大河は、バケラッタと一緒に「工芸クラブ」を選んだ。
初めてクラブ活動に出たときだった。
大河とバケラッタの前に、二人の女の子が現れた。
それは、家政科の女の子だった。
二人がどれほどまでに可愛い女の子であったのか、文章では書き表せないが、
山奥の中学校から出てきた二人には、見たこともないような可愛らしさだった。
バケラッタが、
「大河・・・どっちが好みだ?」
『はぁ?・・・』
「俺は、右! 大河は左だな!」
バケラッタは、勝手に大河の好みの女の子を決めたのである。
バケラッタが好みだと言ったのが、小春(コハル)。
そしてバケラッタが勝手に大河の好みだと言ったのが果菜(カナ)だ。
小春と果菜は、どんな時も一緒にいる仲良し二人組。
バケラッタに「大河の好みは果南だな!」と、勝手に言われた大河であったが、実は、それは図星だった。
大河は、毎週、クラブ活動で果菜と会えるのが楽しみになっていった。
顔を見ているだけで、幸せな気持ちになった。
だが、決して自ら果菜に声をかけることはしなかった。
正確には、恥ずかしくて声をかけられなかったのである。
そんなシャイな大河をからかうように、お調子者のバケラッタは、
「ほらっ、大河! 果菜ちゃんが来たぞ! ほらっ、大河! 果菜ちゃんと何か話せよ!」
と、果菜に聞こえるように大河をひやかした。
『や、やめろよ! バケラッタ』
そう言うのが、精一杯の大河だった。
そんな光景がずっと続くだけで、大河と果菜が会話を交わすこともなく、時は過ぎていった。
マコト (水曜日, 28 9月 2016 12:38)
中学陸上で、それなりの成績を残していた大河は、早速、高校の陸上部に入部した。
高校の陸上部は、自主的に練習するところだった。
練習する者は目の色を変え、だが、手を抜くのも自由だった。
それは、監督、指導者が練習のグランドにいなかったからだ。
それでも、大河は、“インターハイ出場”を目標にして練習に励んだ。
高校には、給食はない。
毎日、若葉が大河のお弁当を作ってくれた。
「姉ちゃん・・・ごめんね」
『大丈夫よ! ちゃんと早起きして作ってあげるから!』
大河は、若葉にリクエストをした。
それは、毎日、同じ弁当を作ってほしいというものだった。
大きな弁当箱に、平らに焼いた卵焼きで、白米を覆い、そこにマルハの魚肉ソーセージ3キレと味噌ピーを乗せた弁当だった。
大河は、白米に、味噌ピーの味噌が染みたところが好きだった。
大河を不憫に思う若葉は、
『毎日同じじゃ可哀想』
と、たまに豪華なおかずを入れようものなら、
「姉ちゃん! 同じがいいって言ったべ!」
と、それを拒んだ。
『大河・・・あなたはインターハイを目指すんでしょ! そしたら、栄養のバランスも考えて・・・丈夫な筋肉にならないわよ!』
アスリートにとっての“食”は、とても重要な要素である。
大河も、それは分かっていた。
それでも、大河は、同じ弁当を頼み続けた。
そう、自分の母親代わりとして、面倒をみてくれている姉に、迷惑をかけたくはなかったからだ。
「姉ちゃん! 俺は、いつもの弁当が一番好きなんだ!」
高校生になり、大人びた口調で話す大河になっていたが、姉を想う気持ちは、昔とまったく変わっていなかった。
若葉も、それは痛いほど分かっていた。
『同じでいいの?』
「うん! ・・・ごめんね、わがまま言って」
若葉にとってみれば、わがままでもなんでもなかった。
マコト (水曜日, 28 9月 2016 21:04)
始めから進学する気のなかった大河は、まったく勉強をしなかった。
それでも、一年生の一学期までは、クラスで二位の成績を残した。
まだ、中学校の知識でなんとか答えられる範囲の時期だったからだ。
二学期からの成績は、面白い様に下がっていった。
担任に
「大河ほど、成績の落ちた奴は見たことがないよ!」
と、言わせたほどだった。
大河は、放課後の部活動に備えて、ほとんどの授業を睡眠学習の時間に使った。
当然、教師に見つかり、廊下に座らされた。
校長室の前にも、何度も座らされた。
ある日・・・
大河は、その日も校長室の前で座らされていた。
「おぉ~ 氷室君!」
『あっ、こ、校長先生・・・』
「すっかり、君の名前を覚えてしまったな!」
『・・・はい・・・すみません』
「昨日は、学校を休んだのか?」
『えっ? い、いやっ、ちゃんと登校していました』
「あれっ? そっか・・・いやっ、ここに座っていなかったから、てっきり休んだのかと思ったよ! 何気に寂しかったぞ!」
『あぁ・・・あっ、はい・・・』
「なぁ、氷室君! 君は若葉君の弟なんだってな!」
『えっ?・・・あっ、・・・はい』
「お姉ちゃんは、優秀だったぞ!」
『はい!』
大河は、姉を褒められて嬉しかった。
校長は、全てを理解していた。
だから、大河にこんな話をしたのである。
「若葉君は、頑張っているか?」
『はい!』
「そっかぁ・・・もう3年も経つんだなぁ・・・若葉君の担任はなっ、私に内緒で君の卒業式に・・・まったく、困ったもんだ!」
『はっ? ぼ、僕の卒業式に? なんですか? 校長先生!』
「あっ、いやいや、こっちの話だ! なんでもない!」
と、笑った。
そして校長は、少しだけ表情を変えて
「若葉君に弁当を作ってもらっているのか?」
『えっ?・・・』
その言葉で、校長先生が自分の家の事情を承知していることが分かった。
『はい! すげー旨い弁当です!』
「そっか! 感謝しなきゃな! 若葉君に」
『はい! 校長先生』
「陸上は、どうだ?」
『はい、絶対にインターハイに出場します!』
「そっか! 吉報を楽しみにしてるよ!」
『はい! 校長先生』
そして、校長はこう言った。
「なぁ・・・氷室君・・・君が、毎日のようにここでお座りをしていても構わんがなっ・・・いいか、自分の道は、自分で切り開いて行くんだぞ! 分かったか? 氷室大河!」と
突然、校長にそんな言葉をかけられ、身の引き締まる思いをした大河であった。
とても、重みのある言葉だった。
マコト (水曜日, 28 9月 2016 23:34)
何故だろうか・・・秋を過ぎ冬が近づくと、いくつものアベックが誕生し始める。
「ふ~ん・・・あいつも、とうとう彼女ができたか」
大河は、中学校のときの同級生から「彼女ができたぞ!」と、聞かされる度に、それをうらやましく思っていた。
そして、それはもうすぐ二学期が終わろうとしていた頃だった。
バケラッタが、何か訳ありのような顔をして大河に話しかけてきた。
「なぁ、大河・・・」
『なんだよ? バケラッタ』
「今日の放課後、部活の前にちょっと付き合ってくれよ!」
『付き合え? なにすんだよ?』
「あぁ・・・ちょっとバスケ部の練習を見たいんだよ!」
『バスケ部? なんで見にいくんだい?』
「・・・実はなっ・・・可愛い子がいるって聞いたんだ」
『バスケ部に? ふ~ん・・・まぁ、いいけど』
放課後・・・
大河とバケラッタは、体育館に行った。
二人は、体育館の入り口に立ち、早速、バケラッタが女の子を見つけた。
「あっ、いた! あの子だ!」
『はぁ? ど、どの子?』
大河は、バケラッタが指さす方に可愛い女の子を探した。
『あの子か?』
大河が、見つけたのは、一人だけ赤パンを履いた女の子だった。
マコト (水曜日, 28 9月 2016 23:38)
その女の子は、バスケット部員らしい体型の子だった。
バスケットには必要のない大胸筋は、ほぼ無く、スリムな上半身。
その代りしっかりと育った大腿四頭筋が赤パンをパツンパツンにしていた。
一生懸命に練習に励んでいる証だ。
大河は、その子を指さし、
『あの赤パンかよ?』と
「はぁ? 赤パン? ちげーよ! あいつは、漫画を描くのが趣味で・・・だから“モンキーパンチ”って呼ばれてるんだよ!」
『モンキーパンチ? すげーあだ名だな! しかも、なげーし!・・・最初と最後を取って、モンチでよくね?』
「まぁ、今日は、あいつのことは、どうでもいいけど・・・」
『あぁ、そうだったな! えっ? んじゃ、どの子だよ?』
バケラッタは、少し顔を赤らめて言った。
「・・・その隣・・・白いTシャツを着てる子」
それは、大河も驚く可愛らしい女の子。
練習に備えて、一年生たちが道具の準備をしているところだった。
『へぇ~ なるほどね!』
と、大河は、いたずらな顔をして、
『どれ、んじゃ俺が言ってきてやるよ!』
「はぁ~?・・・」
『バケラッタが好きだ!ってさ』
「や、やめてくれ! 大河」
『なんで? 俺もバケラッタには、いろいろ言われてるからさ!』
「はぁ? お、俺・・・な、なんにも言ってねーし!」
『はっ? いやいや! 果菜ちゃんが来たぞ! ってさ』
「そ、それは、冗談で・・・」
大河は、今度は真面目な顔で、
『じゃぁ、言ってくる!』と
「わ、分かったよ、ゴメン! 大河・・・勘弁してくれ!」
と、ハエが前足をこするように両手を合わせて、大河を制止した。
青春である。
そんな大河にもう直ぐ転機が訪れるのを、大河自身、知る由もなかった。
マコト (木曜日, 29 9月 2016 21:54)
それは、大河が高校生になって初めてのお正月だった。
遅くの時間まで、「ゆく年くる年」を観ていた大河は、元日の朝、ゆっくりと起きてきた。
「明けましておめでとうございます」
父親、若葉、そして親戚の叔父叔母たちも、寝ぼけ眼の大河を笑顔で迎えた。
「おめでとう! 大河」
大河は、そこにいた全員の「おめでとう!」の言い方と、その笑顔に何故か違和感を覚えた。
叔母は、大河が起きて来るのを待ちわびていたかのように
『大河! 年賀状が届いているわよ!』と、年賀状を手渡してきた。
「あっ、す、すみません」
大河が年賀状を読み始めると、何故かそこにいた全員の視線を感じたのである。
大河は、まぁいいかと、年賀状を読み続けた。
最後の一枚になったときだった。
その年賀状の差出人を見て思わず、大河は固まった。
「えっ?・・・」
それは、小春からの年賀状だった。
大河は、瞬間的に
「果南ちゃんじゃなくて、小春から?」
と、思った。
大河は、小春からの年賀状を読みながら、ずっと感じていた違和感の正体にようやく気付いた。
「みんな、俺のリアクションが見たくて・・・」
だから、大河は、あえて平然と年賀状を読み続けた。
その年賀状には、こう書かれてあった。
アケオメ~~
大河がインターハイに向け
一所懸命に練習している姿を
いつも見ているよ~~~!!!
目標に向かって、これからもガ~ンバッ!
絶対にインターハイに行ってね!
そしたら…私、応援に行っちゃうかも(^<^)
マコト (木曜日, 29 9月 2016 21:55)
読み終えた大河を、叔母がひやかしてきた。
『大河・・・彼女なの?』
「ち、違いますよ!」
『でも、随分と大河にホの字の御様子ね! 小春ちゃん!』
歳をとると、なんてことのない文章が、どうやら恋文のように感じるようだ。
だが、そう言われてしまうと、大河もその気になってしまったのだ。
実は、大河は、工芸クラブで果南と会話を交わすことのないままきたが、ひょんなことで小春と話すことが出来るようになっていたのである。
バケラッタは、すでにバスケ部の女の子に気持ちがいっていたため、大河と小春は普通の友達として会話をすることが出来ていたのであった。
年賀状を読んだ大河は
「小春が・・・」
と、ご機嫌に。
小春は決して恋文として書いていないことは、冷静に読めば容易に分かることなのだが・・・
いずれにせよ、大河は「豚もおだてりゃ・・・」で、正月休み明けから、目の色を変えて練習に取り組んだのであった。
マコト (金曜日, 30 9月 2016 00:37)
大河は、2年生になった。
その日は、クラス分けの発表の日。
大河は、昇降口に張り出された名簿を当然3組から見た。
3組・・・4組・・・5組・・・
ふと、入学式の時の記憶が蘇ってきた。
「あの時は、びっくりしたよなぁ」
と、男子クラスに押し込まれた苦い経験を思い出した。
さすがに2年続けて男子クラスはないだろうと思っていた。
だから、その頃はまだ冷静でいられた。
だが、6組・・・7組・・・
ふと気づいた。
「悪が、一人もいないじゃん! まっさかぁ・・・」
それまで見てきた名簿に、できの悪い生徒の名前が、ほとんどなかったことに気付いたのであった。
大河の悪い予感は・・・的中していた。
「・・・まじか・・・俺、ま、また10組?」
10組には、出来の悪い生徒が揃っていたのである。
しかも、東大が狙える秀才組も揃っていた。
「な、なに? このクラス・・・」
ある意味、バランスは取れていたのかもしれないが。
大河が抱いていた「男女共学になって、楽しい高校生生活を」という夢が、2年連続で破れた瞬間だった。
だが、小春から年賀状を受け取って以来、練習に励んでいた大河は、直ぐに気持ちを切り替えた。
「工芸クラブで、小春に会える・・・」と
当然、大河は、2年生になっても、当然、工芸クラブに入った。
だが、そこに小春と果菜の姿は・・・
なかった。
そして・・・
2年になって、大河に、今度は違った転機が訪れることになるのであった。
マコト (金曜日, 30 9月 2016 00:39)
大河がインターハイを目標に頑張っているのを陰で応援していた校長が、大河のために、ある男を指名して、自分の高校の教師として呼び寄せたのである。
その男の名は・・・
大塚英吉(オオツカ・エイキチ) 23歳
新卒の新任教師だ。
実は、校長の教え子なのである。
この英吉が、また破天荒な男だった。
赴任初日・・・
大きなバイクにまたがり、ヤンキーヘルメットにサングラス。
そんな英吉を校長が、出迎えた。
「おぉ~ 来たな! 英吉!」
『校長! ご無沙汰です! お元気そうで』
「しかし、いきなり派手な登場だな!」
そう言われて、ヘルメットを取り、サングラスを外す英吉。
『今日から、よろしくお願いします』
と、英吉は、礼儀正しく深々と頭を下げた。
その様子を、朝練でグランドにいた大河が、たまたま見ていたのである。
「誰だ? あいつ!」
その日から、その男が、陸上部の顧問になろうとは、夢にも思っていなかった大河であった。
マコト (金曜日, 30 9月 2016 12:52)
英吉は、駐車場にバイクを停め、校長室に向かった。
≪トントントン≫
「大塚です! 失礼します!」
校長室に入ると、応接席に校長と高木教頭が座っていた。
『座れよ! 英吉』
「はい」
『どうだ、教師になった気分は?』
「はい、最高っす!」
赴任初日に、アディダスの三本線のジャージ姿。
しかも校長の前で、新任教師が軽いノリで会話することに、高木教頭は憮然とした表情で英吉を見ていた。
校長は、その高木教頭の表情に気付いて
『教頭先生! まぁ、そんな難しい顔をせんでもいいだろう!』
「はぁ、でも校長・・・少し緊張感に欠けているような・・・」
『まぁまぁ・・・英吉のことは昔から良く知っているが、悪い奴じゃないんだ! 大目に見てやってくれないか?』
「・・・はぁ、はい」
『さて、早速なんだが・・・英吉!』
「はい!」
『君には、2年10組の担任になってもらうことにした! 頑張ってくれ!』
「いきなり担任ですか?」
『そうだ! 不満か?』
「いえっ・・・分かりました」
『それとな・・・』
校長は、少しためらいをみせたが、こう言った。
『陸上部の顧問をやってもらいたい』
「えっ?・・・」
予想外の言葉に、英吉は固まった。
そんな英吉を見て校長は、
『教頭・・・すまんが、ここからは席を外してくれないか?』
「えっ? あっ、はい分かりました」
と、高木教頭を校長室から退出させた。
マコト (金曜日, 30 9月 2016 20:22)
校長室は、二人になった。
そこで、校長が二人でしか出来ない話を始めたのである。
「なぁ、英吉・・・」
『はい、先生・・・』
「お前は、もう走っていないのか?」
『・・・・・』
実は・・・
校長も、そして英吉も、オリンピックを目指したアスリートだったのである。
校長は、教員生活三十数年の間、陸上部の顧問として全国でも名の通った指導者だった。
校長と英吉との出会いは、英吉が中学生の時だった。
校長は、中学生の大会で、活躍する英吉を見つけた。
英吉の才能を見抜いた校長は、自分の元で、オリンピックを目指せる選手として英吉を育ててみたいと思ったのだった。
「あいつしかいない!」と
マコト (金曜日, 30 9月 2016 20:24)
それは、英吉が中学3年生の時だった。
「失礼します。突然、お邪魔して申し訳ございません。奈須山高校教員の逢坂といいます」
7年前の校長だ。その当時は、役付きのないただの教員だった。
英吉の姉が、逢坂を出迎えた。
『はぁ・・・高校の先生が、どのようなご用件でしょうか?』
「はい! 私は、奈須山高校で陸上部の顧問をしています。 先日の中学生陸上大会を拝見させていただきまして、こちらの英吉君の走りに大変驚きました。英吉君の高校進学のことで、ご相談させていただきたく、お邪魔しました。突然で、大変申し訳なく思っております・・・英吉君のお姉さまでしょうか?」
『あっ、・・・はい』
「英吉君は、まだ学校から戻ってきていないのですか?」
『あっ、・・・いえっ・・・はい』
「・・・そうですかぁ・・・あっ、それでは、ご両親様はご在宅ですか?」
『あっ、・・・い、いまは・・・いません』
と、そんな会話をしているところに英吉が、息を切らして戻ってきた。
「(はぁはぁ) 姉ちゃん、ただいま! 」
『お疲れ様ねぇ~ 英吉』
英吉は逢坂に気付き
「あれっ、おっちゃん 誰?」
それが、逢坂と英吉との出会いであった。
逢坂は、嬉しそうな顔をして英吉を見た。
『走ってきたのかね?』
「アルバイトだよ!」
『えっ? アルバイト? バイトで走ってきたのかい?』
「夕刊の配達!」
『えっ? 走って配達をしているのかい?』
「そうだよ! 悪い?」
「いやいや、そうじゃなくて・・・それって毎日のことなのかい?」
『おっちゃんも面白いこと聞くね! 夕刊って、毎日だろう?』
「そ、それはそうだが・・・えっ? 何キロぐらい走って配っているんだい?」
『分かんねー! い~っぱい!』
姉が、小声で
『20キロぐらいだと思います』
「20キロ?・・・」
「(はぁはぁ) って、ところで 誰? おっちゃん」
『すまん、すまん! 私は、奈須山高校で陸上部の顧問をしている逢坂です、はじめまして』
「顧問? 高校の先生?」
『そうだ!』
「先生が、僕のうちになんの用があって来てんの?」
逢坂は、目を光らせて英吉に向かい、
『君の大会での走りを見せてもらったんだ! 素晴らしい走りだったな!』
「大会? ・・・あぁ、なんか競える奴がいなくて、つまんなかった大会のこと?」
逢坂は、笑った。
『ぶっちぎりの優勝だったもんな!』
「別に、たいしたことじゃないけど」
『どうしてだい? 中学生のナンバーワンになったんだぞ!』
「別に嬉しくない! 毎日、走っていれば・・・他の奴らより、たくさん走っている! ただ、それだけのことでしょ?」
『う~ん・・・それでもすごいことだ、君の走りは! 高校に行っても陸上を続けるんだろう?』
「高校?・・・」
英吉の表情が、明らかに変わった。
マコト (土曜日, 01 10月 2016 21:24)
英吉は、笑って言った。
「高校には、行かないよ!」
『えっ?・・・』
逢坂が、まったく予想をしていなかった返事であった。
高校進学率が、98%程度である時代にあって、普通の中学生の男の子が、高校に進学しないという感覚がなかったのである。
ただ、驚いたのは逢坂だけではなかった。
英吉の姉が
『ねぇ、英吉! あなた、高校へは行かないって、どういうこと?』
姉も初めて聞かされた言葉だったからだ。
「姉ちゃん! 僕は、高校には行かずに働くよ! そしたら、母ちゃん、もっともっといい治療をしてもらえるんだろう?」
『・・・英吉』
実は・・・
英吉の家では、そう、大河の家と同じような事情があったのである。
母親が、ずっと病弱で入退院を繰り返し、ちょうどその時も入院中であった。
父親は、必死になって働いていた。
家事は、その時高校生だった姉が全てこなしていた。
英吉が、夕刊の配達をしていたのも、それが理由だった。
ただそれは、姉が言ったからでもなく、父親が頼んだ訳でもなかった。
英吉、自らやっていたことだった。
姉は、泣き出していた。
『英吉・・・』
逢坂は、その場をどう繕っていいのかも分からず、ただ、立ちすくんでいた。
すると英吉が、逢坂に向かってこう言った。
「ねぇ、先生・・・僕に何か言いにきたの?」
逢坂は、迷った。
それでも、正直に、ストレートに英吉に答えた。
『君をオリンピック選手に育ててみたくなったんだ! だから・・・』
だが、次の言葉が出なかった。
『奈須山高校に入学して、一緒に陸上をやろー!』
と
すると英吉が、また笑って言った。
「もしかして、スカウト? スゲー!!! でも、先生・・・そういうことだから! 別の中学生を誘ってやってよ!」
『英吉君・・・』
動揺していた姉だったが、
『先生・・・申し訳ありませんが、今日のところは・・・』と
マコト (日曜日, 02 10月 2016 23:10)
英吉の家を後にした逢坂は、その足で、英吉が通う中学校へと向かった。
午後7時を過ぎても、ほとんどの教師が残っていた。
逢坂が、学校の玄関までいくと、その姿を中学校の一人の教師が見つけて、直ぐにこう言った。
「あ、あれは奈須山高校の逢坂先生じゃ・・・」
それほどまでに、逢坂は名前も顔も知れ渡っている教師だった。
「失礼ですが、逢坂先生でいらっしゃいますよね?」
『あっ、はい 逢坂です』
直ぐに校長室に案内された。
校長に事情を説明すると、担任と陸上部の顧問が呼ばれた。
担任が、口を開いた。
「そうでしたか・・・英吉が、そんなことを」
『・・・はい。 私は、彼の才能にほれ込みました。 ただ・・・進学については、無理にお願いできませんし・・・』
「実は、もう進路相談はしていまして・・・まだ、悩んでいるはずなんですが・・・ところで、逢坂先生は、いつもこうして中学生のスカウトに足を運んでいらっしゃるのですか?」
『いえっ! 実は、長い教員生活の中で、初めてのことなんです』
「えっ? 初めて? 奈須山高校と言えば、陸上部で常に全国レベル! 先生が、生徒を集めているんじゃなかったんですか?」
するとその話に、陸上部の顧問が、緊張したおもむきで口を開いた。
「せ、先生・・・ご存じないんですか? 逢坂先生を慕って、奈須山高校で陸上がやりたいと、遠くからも生徒が通っているんです! 逢坂先生のお人柄、指導力に、願わくば逢坂先生の元へ自分の教え子を通わせたいと思っているのは、私だけではなく、中学校の陸上部顧問、ほとんどの先生がそうだと・・・じ、実は、私は逢坂先生に憧れて、陸上部の顧問をしているんです」
逢坂は、少し困ったような表情を浮かべ
『いやっ、頑張っているのは、生徒たちであって、私は、それを少しだけ手助けしてあげているだけなんです』と
校長が、
「うちの大塚英吉は、逢坂先生を初めて動かした選手なんですね?」
『はい!』
逢坂は、目を輝かせて言った。
『私は、多くの生徒を見てきました。走っている時の表情を見れば、いま、どういうことを考えて走っているのか、全部分かります。 英吉君は、私が今まで出会ったことのないような選手なんです! 彼のレース中の目、表情、しぐさ・・・全てにほれ込みました! 彼なら、将来、日の丸を背負って勝負ができる選手になれると、確信したんです!』
校長、担任、そして陸上部の顧問も驚きを隠せなかった。
だが逢坂は、席を立ち、深々と頭を下げてこう言った。
『自分は、大変な間違いをしてしまったのかもしれません・・・申し訳ありませんでした』
校長が、
「と、いいますのは? どんな間違いだったとおっしゃるのですか?」
『彼の家の事情など、いろんなことを考えもせずに、彼と一緒に陸上がやりたいという、私の勝手な思いで・・・結果的に、彼を傷つけてしまったのではないかと・・・悔いております』
「悔いている?」
『・・・はい』
すると、校長は表情を変えてこう言ったのである。
マコト (月曜日, 03 10月 2016 19:45)
校長は、優しい顔になってこう言った。
「逢坂先生・・・先生のお人柄なんでしょうね・・・先生は、本当に子供たちの気持ちに寄り添って・・・ありがとうございます。うちの大塚もそこまでご心配いただきまして」
『あっ、・・・いや、校長先生、そんな・・・』
すると校長は、「教師の仕事」に対する自分の思いを語りだした。
「生徒、ひとり一人と向き合って、生徒に寄り添い、少しでも生徒の力になれるよう、いつも生徒のことを考えている・・・それが教師というものですよね」
『はい・・・』
「うちの大塚も、自分の道は、自分で切り開いて行かなければならない! そこに、教師は少しでも力を貸す・・・いやっ、その道を誘導してやる。それが教師の仕事。ただ、そこには限界があるところなのかもしれませんよね」
『はい・・・』
「逢坂先生・・・先生は、大塚の才能を見抜いて、彼に、一つの道、一つの選択肢を与えてくれた。 決して、そのことは間違いではないですよね? 逢坂先生」
『はぁ・・・いやっ、でも校長先生・・・』
「私が、逢坂先生にそう言ったのには理由があります。 それは、先生が、大塚を思って言ってくれていることだと思うからです! 決して私利私欲のためでもなく・・・それだけ、うちの大塚には魅力があったということなんでしょうね」
『校長先生・・・』
そして逢坂は・・・
マコト (火曜日, 04 10月 2016 22:14)
翌日・・・
逢坂は、英吉の家を訪れて、「英吉を自分に任せてほしい」と父親に申し出た。
それは、英吉を逢坂の家に下宿させ、学費も逢坂が全て負担するという申し入れだった。
父親は、ずっと黙って逢坂の話を聞いていた。
「お父さん・・・英吉君のことを私に任せてください」
『逢坂先生は、そこまでして、うちの英吉のことを・・・』
そして、逢坂の気持ちは、父親に届いたのである。
『ありがとうございます・・・先生』
父親は、英吉に向かって、ゆっくりと話し出した。
「英吉・・・お前には、本当に寂しい思いをさせて・・・アルバイトまでさせ、しかも、高校も諦めるようなことまで考えさせて・・・本当に、不甲斐ない父親ですまない、許してくれ」
『父ちゃん・・・』
英吉は、涙をいっぱいにためていた。
「英吉・・・高校に行って陸上がやりたいか?」
『・・・・・』
「英吉・・・一生かかっても、この先生に恩が返せるか?」
『父ちゃん・・・』
父親は、逢坂に向かってこう言った。
「先生・・・英吉のこと、よろしくお願いします。 英吉には、一生かかってでも・・・」
そう言って、手のひらを畳に付け、額が畳に付くまで伏せて涙を流した。
「先生・・・英吉をよろしくお願いします」
と
英吉が、涙を流しながら、
「おっちゃん・・・」
「こらっ! 英吉! 先生に向かって、なんて言い方をするんだ!」
『お父さん、いいんですよ! まだ、ただのおっちゃんですから! なんだ? 英吉君』
「俺・・・日本一の高校生に成れるかな?」
『あぁ、君の頑張り次第だ!』
「俺・・・日本一の高校生になって、母ちゃんを喜ばせたい!」
「・・・そっか・・・分かった」
マコト (火曜日, 04 10月 2016 22:17)
英吉が、中学校を卒業し、逢坂の家に下宿を始める日になった。
その日、英吉は、迎えに来てくれた逢坂と一緒に母親を見舞った。
「母ちゃん!」
『英吉・・・よく来てくれたね』
「母ちゃん、この人が、逢坂先生だよ!」
「はじめまして 奈須山高校の逢坂です」
『主人から話は伺っています。 英吉の事、よろしくお願いします』
「ご安心ください。 やんちゃ坊主を育てることには慣れていますから!」
「やんちゃ坊主??? 先生、それって俺のこと?」
「他にいねーじゃん!」
そんな二人のやりとりを微笑ましい顔で見る母親。
だが、徐々に悲しみがこみ上げてきた。
『私が、こんな体じゃなかったら・・・』
それでも一生懸命に涙をこらえて笑顔をつくった。
『英吉・・・頑張り過ぎて、ケガなどしないようにねぇ』
「大丈夫だよ、母ちゃん! もともと元気だけが取り柄だからさ!」
『そっか』
「母ちゃん・・・」
『なんだい? 英吉・・・』
「俺・・・日本一の高校生になって、金メダル持って帰ってくるからね!」
『そう、楽しみに待っているよ・・・英吉』
病院をでて、逢坂の家に向かう途中、英吉はずっと涙を流していた。
それに気づいていた逢坂であったが、あえて何も言わずに車を走らせた。
その日から、二人のオリンピックを目指した挑戦が始まった。
来る日も来る日も、逢坂は英吉を走らせた。
「英吉! 母ちゃんと約束したんだろう! 日本一の高校生になるって!」
「英吉! お前はリオ・オリンピックに行くんだ!」
それが、逢坂の口癖だった。
英吉は、逢坂を信じて、苦しい練習に耐えた。
「俺・・・絶対にオリンピックに行くからね! 母ちゃん」
マコト (水曜日, 05 10月 2016 12:50)
奈須山高校陸上部には、その年も、逢坂を慕って多くの部員が入部してきた。
県外から電車で通う者までいた。
英吉が逢坂の家に下宿していることは、学校長と担任以外には知らされていなかった。
そう、例えて言うなら、岡崎友紀と石立鉄男のドラマ「おくさまは18歳」のように。
と、少し例えが悪かったようだが、英吉が、他の部員から色眼鏡で見られないようにと、校長の配慮だった。
もちろん逢坂は、英吉を他の部員と分け隔てなく扱った。
無難に高校生活を始めた英吉であったのだが・・・
実は、逢坂は、英吉に対してある不安を抱えていた。
英吉には、とんでもない欠点があったのだ。
その欠点とは・・・とにかく、お調子者なのだ。
英吉の場合、ただのお調子者ではなく、女好きのお調子者なのだ。
例えて言うなら・・・そう、バケラッタのような。
山奥から出てきた英吉が、都会の女の子に出会い、色気付き始めていた。
逢坂は、経験上、知っていた。
女好きの部員には、二つのパターンがあることを。
一つは、女の子に注目されたい一心で、練習に没頭する者。
もう一つは、グランドを走らず、女の子に走って、練習をさぼる者だ。
逢坂の英吉に対する唯一の不安だった。
そしてその不安は・・・
マコト (水曜日, 05 10月 2016 22:17)
ある時、英吉が逢坂にこんなことを言ってきた。
「先生! 俺、100mで勝負したい!」
『はぁ? どうしてだ?』
「だって、やっぱり陸上の花形は、100でしょ!」
英吉が100を選びたかった理由は、簡単だった。
女の子にもてるには、100で優勝して、目立ちたかっただけなのである。
逢坂は、直ぐにそれを見抜いた。
『やれやれ』
逢坂の英吉に対する不安は、その時に解消された。
『少しの間、楽しませてやるか』と
逢坂は、英吉が短距離向きの選手ではないことは、もちろん分かっていた。
それでも反対はしなかった。
『分かった! 好きなようにやりなさい!』
「先生、ありがとう!」
選手がやりたいことを応援する! それが、教育者としての逢坂の信念だった。
そして、それは全ての部員に対して変わらなかった。
ただ、その時の逢坂は、英吉に対して一つだけ条件を付けた。
「なぁ、英吉・・・もし、100で結果を出せなかったらどうする?」
『出す!』
「出せなかったら! って、言ってんだよ! お前は、母ちゃんに金メダルを持って行くって約束していたよな?」
『・・・した』
「だから、聞いてんだよ! 結果を出せなかったら?」
『そ、そんときは・・・先生の言う事、なんでも聞いてやるよ!』
「分かった!」
その日から、英吉は目の色を変えて練習に取り組んだ。
そして、迎えた一年生の大会
英吉の出した結果は・・・
それは、逢坂の予想とは違ったものになるのであった。
マコト (水曜日, 05 10月 2016 22:18)
エントリーした100mの予選、第6組
英吉は、そこを軽く突破し、準決勝へと進んだ。
「ほぉ~ 大したもんだ!」
だが、逢坂の予想はここまでだった。
「こんなもんだろう!」
準決勝、
英吉の予選でのタイムは、決勝まで残れるものではなかった。
だが、逢坂の目には、不思議と英吉の姿が輝いて見えた。
「英吉のやつ、なかなかいい表情してるなぁ・・・」
結果は、自己ベストを大幅に更新してギリギリ決勝進出を決めたのである。
「あいつが・・・ 決勝?」
逢坂は思った。
「やっぱり女の子の力はすげーんだなぁ」と
その時の英吉は、決して、特定の女の子の気を引くために頑張っていた訳ではなかった。
単純に「女の子にモテたい!」という、ただそれだけの、ある意味不純な動機が力となって、自己の記録を大幅に更新させたのである。
これが、「火事場の・・・」というやつなのか。
いずれにしても、男と女の関係で、これだけは言えるのである。
『男という生き物は・・・女性のために頑張るのだ! 』と
ただ・・・
「モテたい!」という気持ちだけで優勝できるほど、陸上は甘くはない。
英吉は、決勝では8位で敗れた。
レース後・・・
マコト (水曜日, 05 10月 2016 22:20)
英吉は、うなだれて逢坂の元へ戻ってきた。
「おつかれさん!」
『負けたよ・・・先生』
逢坂は、分かっていた。
「英吉なら、そう言うだろう」
「決勝まで残ったことで満足するはずがない」と
『先生・・・教えてくれよ! 俺は、どうすれば日本一の高校生になれるんだよ?』
「日本一? どうして、日本一に拘るんだ? 英吉!」
『だって・・・俺・・・』
その時の英吉は、母親との約束を思い出していた。
そして、不純な動機で100に挑戦し、惨敗したことを悔いていた。
その思いを閉じ込めて返事した。
『だって、やるからには・・・どうしても日本一になりたい! だから、言ってくれよ先生!」
それは、英吉が初めて逢坂にアドバイスを求めた瞬間だった。
逢坂は、あえて笑って言った。
「あっ、そうだ! 結果を出せなかった時には、何でも言うことを聞くって言ってたよな?」
『・・・言った』
「なんでも聞くってなぁ?」
『・・・だから、言ったよ!』
逢坂は、引き締まった表情に変えてこう言った。
マコト (木曜日, 06 10月 2016 12:57)
逢坂は、陸上トラックに目をやり、こう言った。
「英吉・・・」
『はい!』
「お前・・・明日から中距離の練習だからな!」
『・・・分かりました』
実は・・・
英吉が短距離に目の色を変えて取り組んだことは、逢坂にとっては好都合だったのである。
中距離走は・・・
スピードを出す瞬発力、
早いスピードを維持する持久力、
さらに運動を維持するのに必要な高い心肺能力。
その3つの能力を同時に鍛え、それぞれの能力をバランスよく整える必要がある。
ようは、陸上競技の中で、一番苛酷な練習が求められる競技なのである。
その苛酷さは、英吉も分かっていた。
英吉の高い心肺能力に非凡な才能を感じていた逢坂にとっては、
「100で勝負したい!」
という英吉の言葉は、棚から牡丹餅であったのだ。
「英吉なら、女の子にモテたい一心で、我武者羅にやるはずだ!」と。
そんな逢坂の目論見通り、英吉は、必死に練習し、大会では自己記録を大幅に更新した。ようは、スピードを出す瞬発力を磨き上げていたのである。
「英吉が持つ高い心肺能力にスピードを出す瞬発力が加われば・・・絶対に日本一になれる! いやっ・・・世界に通用する選手になるのも夢ではない!」
英吉は、早速、練習に取り組んだ。
中距離走は、短距離走とは違って、400メートルトラックをオープンコースで走り、トラックを数周する間に競技を行うため、レース戦略も重要となる。
スタート直後に多くの選手同士が激しくぶつかり合いながら良い位置取りを確保しようとしたり、逆に集団の中に入ってしまって、ポケット状態で失速、スパートの時期を逸してしまうなど・・・
英吉は、逢坂からそれらを徹底して鍛えられた。
「ダメだ! スパートをかけるタイミングが早すぎる!」
「ダメだ! そのコーナーではインを取れ!」
「ダメだ! ・・・ダメだ!・・・・英吉! お前は、中距離走で日本のトップになるんだろう!!!」
頑固者の英吉であったが、一度約束したことは、必ず守った。
「まったく、先生に余計なこと言っちまったなぁ・・・でもなっ、母ちゃんとの約束だからな!・・・先生の厳しい練習についていけば・・・」
英吉の記録は、みるみる伸びていった。
英吉の記録は、高校2年にして高校生の日本記録に並んだのである。
逢坂は、英吉の将来が、日に日に楽しみになっていった。
それなのに・・・
マコト (金曜日, 07 10月 2016 07:04)
それは、インターハイ県予選大会の時だった。
大切な大会当日の朝・・・
「英吉! お母さんが・・・」
それは、英吉の姉が、母親の危篤を知らせる連絡だった。
もちろん逢坂は、大会を棄権して母親の元へ行くように英吉を説得した。
だが・・・
「優勝の報告を持って行く! 母ちゃんとの約束だから!」
そう言って、英吉は逢坂の説得もきかず大会に出場した。
逢坂も、最後は英吉の言葉を受け入れたのだった。
結果は、大会新記録、日本記録を更新しての優勝だった。
レース後、
英吉は、逢坂の車で母親の元へと急いだ。
だが・・・
英吉が病院に着いた時には、母親はもう天国へと旅立っていた。
そう、それは、ちょうど、英吉が表彰台の上に立っていた頃に。
病室に入ると、泣き崩れる姉がいた。
「母ちゃん・・・」
英吉が、母親の元に近づくと、姉は立ち上がり、おもいっきり英吉の頬をたたいた。
≪ビシッ!≫
ぶたれて、立ちすくむ英吉に姉はこう言った。
『あなたは、お母さんより走ることの方が大切なの? お母さんは、最後の最後まで英吉の名前を呼んでいたのよ! 』
金メダルが、英吉の右手からすり落ちた。
廊下にいた逢坂の耳に、英吉がたたかれる音と、姉の言葉が届いた、
逢坂は、ためらいながら立ちすくんでいたが、意を決して病室に入りこう言った。
「私が英吉に大会に出るように指示しました・・・申し訳ありませんでした」
と深々と頭をさげ、そのまま動こうとはしなかった。
『先生・・・』
姉は、逢坂の言葉には、耳を貸そうともしなかった。
逢坂の説得を聞かずに大会に出場してしまったことが、16歳の小さな胸を押しつぶした。
「母ちゃん! 母ちゃん!・・・」
泣き叫んでも、その声は母親にはもう届かなかった。
マコト (金曜日, 07 10月 2016 12:57)
英吉は、そのことがきっかけで高校を退学した。
高校にいて、走る目的がなくなってしまったからだ。
逢坂の引き留めは、英吉には届かなかった。
逢坂の家での下宿生活から、父と姉の二人暮らしの家に戻った英吉は、アルバイトをして家計を助けた。
睡眠時間を削って働いた。
逢坂は、そんな英吉の元へ何度も何度も足を運んだ。
そして、ある時、一つの封筒を英吉に手渡したのである。
それは・・・
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:32)
逢坂が、英吉に渡したもの・・・
それは、大検の受検申込書だった。
そこには、手紙も添えてあった。
「自分の道は、自分で切り開いて行け!」
と、短い文章の手紙が。
そして、それから2年後・・・
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:34)
逢坂のところに、英吉からの手紙が届いた。
それは、大検に合格し、教員になることを目標に大学に通っているとう手紙だった。
その手紙には、こう書いてあった。
「先生・・・ 大学で“オリンピック出場”という夢にもう一度チャレンジしたかったけど・・・アルバイト無しでは大学に通えないんだ・・・だから、先生、許して欲しい」
そして、手紙の最後には、
「先生・・・僕の今の目標は、先生みたいな教師になることなんだ!」
と、書かれてあった。
逢坂は、この時に決めたのである。
「英吉が晴れて教師になれた時には・・・」と
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:35)
逢坂と英吉
二人は、そんな関係だった。
逢坂は、校長になった。
そして、今の高校に転任し、県の教育委員会に自ら何度も足を運んで、英吉を呼び寄せたのである。
そして・・・
英吉は、逢坂校長から
『陸上部の顧問をやってもらいたい』
と、言われて、返事が出来ずにいた。
しばらく考え込んでいたが、逢坂校長にこう尋ねたのである。
「先生・・・僕に陸上を教える資格があるんかな?」
『資格? 資格ってなんだ? 陸上部の顧問になるのに試験はないぞ!』
「そうじゃなくてさ・・・」
校長は、笑って席を立ち、窓から校庭を見た。そして、
『おぉ~ ちょうど今走っているじゃないか!』
「えっ?」
英吉も席を立ち校庭に視線を送った。
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:36)
校長は、窓から指さし、
『あそこで、上下緑色のジャージで走ってる生徒が分かるか?』
「あっ、はい」
『氷室大河と言って、英吉、お前のクラスの生徒だよ!』
「えっ? 2年10組っていうことですか?」
『そうだ!』
「先生、しかし、だせー格好で練習してる生徒ですね!」
他の陸上部の生徒は、遠目に見てもそれと分かるような、親に買い揃えてもらったウェアに身を包み練習していたが、大河だけは、学年で揃いの体操着を着て練習していたのだった。
校長は、英吉の言葉を笑って聞き流した。
英吉も、高校時代には、ダサい格好で練習していたことを知っていたからだ。
二人は、しばらく大河の様子を見ていた。
何気なく見ていた英吉であったが、徐々に表情を変えた。
「ねぇ、先生・・・」
『なんだ、英吉』
「あの、大河って子・・・」
『気が付いたか?』
「はい!」
『なかなかいい走りをしているだろう!』
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:38)
校長の言葉に、英吉は目を光らせて返事をした。
「はい!」
「先生、あの生徒は、もしかすると僕よりいい成績を残せるかもしれませんね! 種目はなんですか?」
『100だよ! どうしても短距離で一番になりたいらしい!』
「・・・そうですかぁ」
その時の英吉は、自分も不純な動機で短距離に挑んでいたことは、棚に上げていた。
「・・・100かぁ・・・」
校長は、英吉を座らせて、大河のひととなりを話し始めた。
『なぁ、英吉・・・大河はなぁ・・・』
英吉は高2の時、だが、大河は中1のときに母親を亡くしていること。
5歳上の姉が、この学校の優秀な生徒で、それでも経済的なことで進学せずに就職をしたこと。
大河は、そのことで入学当初から、進学を考えずに全く勉強をしていないこと。
そして、校長はこうも言った。
『最近・・・そうだなぁ、お正月の後ぐらいから、随分と気合を入れて練習しているんだよ、大河は』
『まぁ、おそらくは、何か人参でもぶら下げられたんだろう・・・さしずめ・・・女の子ってとこだな!』
図星であるが、どうして教師という生き物は、そこまで分かるものなのであろうか。
そして、校長はもう一度立ち上がり、窓から大河を見ながらこう言った。
マコト (金曜日, 07 10月 2016 21:40)
『なぁ、英吉・・・大河は、これから先、自分の道を自分で切り開いて行かなきゃならないんだ・・・』
「・・・そうですねぇ・・・自分で」
『あぁ、そうだ・・・あいつ自身でな』
「・・・はい」
『だけどな、英吉・・・あいつの姉さんもそうだったんだけど、気持ちが優しすぎるんだよ・・・それは決して悪い事ではないんだが・・・心配なんだ・・・あいつが』
「・・・先生」
『なぁ、英吉・・・お前が、あいつのそばにいて、あいつが歩む道のりの手助けをしてやってくれないか?・・・』
「えっ?・・・」
英吉は、大検の申込書と一緒に添えてあった、校長からの手紙を思い出していた。
「あの時、先生が、自分の進むべき道を示してくれなかったら・・・」と
英吉も立ち上がり、校長の横に立って大河を見ながらこう言った。
「先生が、僕をこの学校に呼んでくれたのは、大河のためだったんですね?」
校長は、笑ってこう言った。
『あぁ、半分はそうだ!』
「はっ? 半分?」
『そうだ、半分だ!』
「じゃぁ、残りの半分はなんですか?」
『おい! なんだぁ? 自覚していないのか?』
「自覚?」
『残りの半分は、お前を近くに置いて監視するためだよ! 悪さしないようにな! まずは、お前の女好きが心配だからな!』
「・・・・・」
英吉は、立ったまま目を閉じて、居眠りをしていた。
『おい、英吉! お前のその特技は、まだ健在なのかよ?』
「はっ?」
『お前は、廊下に立たされても、立たされたまま居眠りするって有名だったからな!』
「はぁ? そんなことありませんでしたよ!」
二人は、笑った。
そして、英吉は最後にこう言った。
「先生・・・ひとつだけ僕のわがままを言ってもいいですか?」
『なんだ? 言ってみろ!』
「大河には・・・中距離で勝負させたいです!」
校長は、微笑みまでもこらえて返事をした。
『英吉の好きなようにやればいい! ただ、これだけは言っておくが・・・あいつは、陸上に対しては、頑固だぞ!』と
校長も、大河には、中距離が向いていると思っていたのであった。
元アスリートの二人は、大河の中距離選手としての才能を見抜いていたのであった。
マコト (土曜日, 08 10月 2016 21:19)
英吉は、担任を持たされたことを喜んだが、少し、いやっ、相当不満もあった。
「女子高生に囲まれたバラ色の教師生活が・・・トホホ(T_T) 」
もちろん、女癖の悪さを知っていた校長の狙いだったことを知るはずもなく。
そんな英吉であったが、意気揚々と担任としての初日を迎えた。
当然のように、その日は一張羅の三本線のジャージだ。
一張羅と言っても、大学生時代にアルバイトでようやく買ったものであったが。
英吉は、2年10組の入り口に立ち「ヨシ!」と気合を入れ、勢いよくドアを開け、
「チャース!」と
どんな先生が担任になるのか、興味津々で待っていた10組の悪達は、当然、面食らった。
「はぁ?・・・・」
一番驚いたのは、大河だ。
「あいつ、・・・バイクの・・・」
当番が、決まりごとの「起立! 礼!」の号令
英吉は、黒板に向かって、でかでかと
「大塚英吉」と、名前を書き
「大塚英吉だ! よろしく!」
と、大きな声で挨拶をした。
ほとんどの生徒が
「なんだ、この先生・・・こいつと一年間やっていけるのだろうか・・・」
そう思い、リアクションも出来ずにいると、
英吉は、黒板にかかれた自分の名前の上に
「GTO」と書き足したのである。
それにはさすがに生徒も反応した。
「先生! GTOって、グレート・ティーチャー・オオツカ? ってことかよ?」
「先生、テレビの見過ぎだぜ~」
悪たちが、続いて騒ぎ出した。
英吉は、笑った。
そして、もう一度振り向いて黒板にこう書いたのである。
マコト (日曜日, 09 10月 2016 22:56)
「Ground Teacher 大塚!」
「校庭にいるのが、俺の仕事だ!」
「ようは、体育の先生だ!」
生徒達は、一様に「な~るほど!」と
英吉は、話を続けた。
「今年、初めて教師になった」
「はっきり言って、頼りねー先生だと思う!」
「だけど、お前たちから一番歳の近い教師だ! だから、俺はお前たちの気持ちは、他のベテラン教師よりも分かると思う」
「まぁ、とにかく楽しくやって行こうぜ! よろしくな!」
一人の生徒が聞いた。
『先生ーーー!! 体育の先生じゃ、なにか運動部の顧問になるんすか?』
「おぉ~」
と、さりげなく大河を見て
「陸上部だ!」と
それを聞いた大河は、特別、何も感じることなく、
「ふ~ん・・・そうなんだ」
これが、大河と英吉の出会いだった。
マコト (月曜日, 10 10月 2016 21:19)
英吉の初めての朝のホームルームは、とりあえず何事もなく終わった。
そして、英吉が2年生になって初めての授業、
一時限目の数学の授業になった。
大河にしては珍しく、教科書を開いてみた。
「微分・積分? はぁ? なんだこれ? なんて読むんだ? こんなの、生きていくのに絶対に必要ねーし!」
そう言って、教科書を閉じ、姿勢を正した。
そして、いつものように睡眠学習を始めたのである。
それは、睡眠学習を初めて直ぐだった。
「氷室! 起きろ!!!」
早速、先生に見つかり、お決まりのセリフを浴びせられた。
「氷室! お前は、昼休みに校長室の前でお座りだ!」
『ふぁ~い、分っかりましたぁ』
実は、2年になって、科目毎の先生も変わっていたのである。
その相手が悪かった。
その教師は、授業後に教員室に戻って、
「大塚先生! ちょっといいですか? 赴任早々に申し訳ないんですが・・・」
数学教師は、大河の居眠りについて、チクったのである。
「大塚先生から、ちゃんと注意してください!」
英吉は、
「も、申し訳ありませんでした・・・私から、きつく言っておきます」
と、深々と頭を下げ、数学教師に謝った。
だが、次の瞬間には、
「ったく、あの野郎~ 俺に恥をかかせやがって! 勘弁しねーからな!」と
大河は、二時限目も三時限目も・・・部活に備えて無駄な体力を使わぬよう、睡眠学習を続けた。
そして、昼休みなって
「行ってくるわ!」
と、数学教師が英吉にチクっていたことなど知らぬまま、いつものように定位置へと向かった。
校長室が見えてきたときだった。
大河は、驚いて声を発した。
「えっ?・・・」
マコト (月曜日, 10 10月 2016 21:24)
大河の視線の先、校長室の前には、既に先客がいたのである。
『おぉ~ 大河! 待ってたぞ!』
「はぁ~ぁ???」
『お座りするんだろう?』
「あっ・・・はっ、はぁい」
『まぁ、隣に座れよ!』
それは、英吉だった。
「先生、なんでお座りしてんの? もう何かやらかしたの?」
『アホか! 何かやらかしたとしても、教師が校長室の前にはお座りしねーだろうーよ!』
「そっか・・・って、先生のキャラならあり得ると思うけど!」
『うん、確かに! って、アホ! お前がお座りするって聞いたからだよ!』
「はぁ? それって、俺につきあって座ってるってこと?」
『まぁ、そんなとこだ!』
「はぁ? バカじゃないの?」
『まぁ、そう言うなよ! 大河!』
「って、先生・・・ところで、俺の名前をもう覚えたの?」
『あぁ!』
「ふ~ん・・・もう、クラス全員の名前を覚えたの?」
『はぁ? 俺が45人もの名前を一日で覚えられる訳ねーだろー!』
「うん? ・・・確かに! じゃぁ、なんで俺の名前は覚えたんだよ?」
英吉は、笑ってこう言った。
『実はな、俺も先生に直ぐに名前を覚えられてさ・・・』
「はぁ・・・」
『分かんねーのかよ? 俺も大河も・・・』
と、その会話の途中だった。
「先生、やべっ!!! 動かないで!」
と、大河は身をかがめて、小さくなって英吉の陰に隠れた。
『なにやってんだ? 大河』
マコト (火曜日, 11 10月 2016 12:53)
大河の様子を見て、英吉は直ぐに気付いた。
「さては、誰か来たな!」
と、大河の視線の先の方角に振り返ると、二人の女の子が、教員室に向かって歩いて来たのである。
そう、それは、小春と果菜だ。
「ははぁ・・・なるほど!」と、英吉は
「あっ! 思い出した! 仕事があったんだ、すまん、大河! お前に付き合ってやれなくなった!」
と、立ち上がった。
『おい、先生!なにやってんだよ!』
と、大河は英吉の腕を引っ張った。
まんまと英吉の罠にはまった。
「よせよ~ 大河!」と、大き目な声で
『ばっ、バカ! 名前を呼ぶなよ!』
時すでに遅しである。
「え~ 氷室君、そこで何してんの?」
小春が、大河に気付いてしまった。
『あっ・・・あのぉ~・・・はい・・・いつものお勤めです』
「そっか、私も分かり切ったこと聞いちゃった! 頑張ってね~ 氷室君!」
『あっ・・・ど、どぉも』
そのやりとりを英吉は、ほくそ笑んで見ていた。
「なるほどぉ~ 校長が言ってた人参って・・・二人のどっちかの子だな!」と直感した。
果南が、「行こっ!」と
あっさりと二人は、教員室へと入っていった。
『ったくぅ~ 先生が俺の名前を呼ぶから、見つかっちったべ!』
「なぁ・・・大河の彼女か?」
『はぁ??? ちげーよ! 』
「ふ~~ん・・・」
と、英吉は、大河が耳を疑うようなことを言ったのである。
「なぁ、大河・・・」
マコト (火曜日, 11 10月 2016 20:51)
『なんだよ? ・・・先生』
「本当に彼女じゃないんだな?」
『あぁ、ちげーよ! 』
「なら! ・・・俺は、お茶碗だ!」
『はっ? お茶碗? 先生、何言ってんの?』
「お前は、お箸にしろ!」
『はぁ???』
お茶碗とお箸で、おそらくはそれが英吉の右と左の意味だと理解した大河は、ちょうど一年前の光景を思い出した。
それは、バケラッタが
「俺は、右! 大河は左だな!」と
『先生・・・それって、先生は左の子が好みっていうこと?』
「あぁそうだ!」
『そうだ!って、自信満々に言われても・・・』
その時、大河は思った。
『はっ? ところで向かって左に立っていたのは小春だし・・・左側に立っていたのは果南だし・・・どっちだ?』
突然に話が飛ぶが、仲良し二人組には、立ち位置というものがある。
仲が良くなればなるほど、その立ち位置は固定されてくる。
そう、例えば、ピンクレディーのミーとケイのように。
ミーは、必ず右側、そしてケイは左側に立つ。
ただ、これには、理由がある。
それは、ケイが左利きだからだ。
うん? ということは、もし、ピンクレディーが漫才コンビを組んだとして、ケイがツッコミ担当だったとしたら、自分の利き手の方にミーを立たせていたということか?
と、脱線したが、小春と果南にも立ち位置があった。
大河は、思った。
『どっちだ? ・ ・ ・ って、そういうことじゃなくて! 先生!・・・先生が生徒に手を出す気なのかよ?』
英吉は、大笑いして言った。
「アホか! そんなことする訳ねーだろーよ!」
『えっ? だって、いま、俺の好みは・・・って』
「あぁ、言った! だってさ、男なんつーものは、可愛い女の子を見ているだけで、幸せな気持ちになるだろう?」
「うん? ・・・う、う~ん 確かに」
『なら、それでいいじゃん!』
「はぁ? それって、ただ見てるだけ?」
『あぁ、そうだ! それで、その子を振り向かせたかったら、何事にも頑張るだけさ!』
「・・・変な先生!」
マコト (火曜日, 11 10月 2016 22:46)
そして、英吉は、おもむろに立ち上がった。
「さってと、もう分かったから、俺はお座りやめるわ!」
『はぁ? 分かった? 何が? っていうか・・・』
「なんだよ? 大河」
『・・・なんでもねーし』
「言えや! 気持ちわりーから!」
『・・・別に、俺の隣に座ってても構わないけど!』
「はぁ? やだよ! 俺は、先生から座っているように命令されてねーし!」
『せっかく、一緒に座ってたんだから・・・このまま付き合えよ! 先生』
「やだよ!」
『っつうか、一人じゃ寂しいだろうよ!』
「寂しい? っつうか、ずっとこれまで一人で座ってたんだろう?」
『・・・そうだけど・・・』
「んなら、慣れてんじゃん!」
『慣れてっけど・・・って、先生・・・ところで、何が分かったんだよ?』
英吉は、真面目な顔に変えてこう言った。
「学校の廊下でのお座りは、膝に悪いってことがだよ!」
『えっ?・・・膝に?』
「そうだ! なぁ、大河・・・お前は陸上部だろう?」
『えっ? あっ・・・はい』
「適当に陸上やってるのか?」
大河は、顔色を変えて、大きな声で言った。
『違いますよ!!!』
だが、その威勢の良さも英吉の
「さっきの女の子のどっちかに好かれたくてだろう?」
で、撃沈されたのである。
「なぁ、大河・・・」
『なんだよ、先生・・・説教なら聞かねーぜ!』
「誰が、説教なんかするかぁ! ・・・これ!」
そう言って、英吉は、ある物を大河に手渡したのである。
『はっ?・・・』
マコト (水曜日, 12 10月 2016 12:56)
英吉が、大河に手渡したものは、黒縁の伊達メガネだった。
『メガネ? 先生、俺、頭は悪いけど、目はいい方だぜ!』
と、大河が、そのメガネをまじまじと見ると・・・
『はぁ???』
と、驚きの顔になって
『やだよ! こんなの出来る訳ねーし!』
と、怒り出した。
それは、ただの伊達メガネではなかったのである。
レンズに目が描かれてあるメガネだった。
『先生、バカじゃねーの! これで、寝てるのを誤魔化せって? 笑わせないでよ!』
「大河・・・真面目だよ!」
『はぁ? とても先生が生徒に言う話とは思えないんだけど・・・』
「真面目の真面目だ! 既に実証済みのメガネだ!」
『実証済み? 誰が? いつ?』
「俺が! 高校時代に! でさ、これが意外と見つからないんだよ! よく出来てるだろう?」
人間、あまりにもあきれると、口が開いたままふさがらないものである。
その時の大河もそうだった。
ようやく我に返った大河は、
「しかし、よくこんなもの持ってたんじゃねーの?」
『うん? う、うん・・・持ってた』
「まさか、先生になってまで、これを使って居眠りする気だったのかよ?」
『・・・・・』
「おい、おい先生! 寝るなよ!」
『あっ? お、おぉ~ ・・・まぁ、いつ何時、必要になるか分からねーからな!』
『はぁ~??? 先生・・・しかし、それでよく先生になれたね!』
「・・・確かに」
『先生なら、普通、生徒にもう授業中は寝るな! って、注意するんじゃないの?』
「確かに、それはそうなんだろうけど・・・大河、俺はなっ・・・自分で出来ない事、やってこなかった事は、人には言えないんだ! だから、真面目に授業を受けてこなかった自分が、大河に偉そうなことは、言えないだろう?」
『あのさぁ、先生・・・そこは、嘘でも授業中は寝るな!って、言うんじゃないの?』
「そうなのか?・・・」
『先生が、それを生徒に聞くなよ!』
「・・・確かに」
英吉は、真面目な顔になって言った。
マコト (水曜日, 12 10月 2016 21:40)
「すまない、大河 ・・・俺には、それしか思い浮かばなかった」
『それしかって? メガネのこと?』
「あぁ・・・」
『あぁ、って・・・そんな先生、どこにもいねーし! だってさ、もし、これがバレて、「大塚先生に言われてやりました!」 って、俺が言ったら、先生、大変なことになるんだぜ!』
「えっ?・・・そ、それもそうだな」
『そんなことも考えずに、今日初めて会った生徒に、そこまでやるのかよ? 一緒に座ってくれたりしてさ・・・』
すると英吉は、真顔になって言った。
「それで、大河の膝が守れるのなら!」
大河は、その言葉にハッとした。そして
『バッカみて! あきれたよ! 先生には』
「・・・すまん」
『すまん、って・・・謝るなよ! ・・・わ、分かったよ! そんなに膝に悪いなら、なるべく寝ないように、頑張ってみるよ! ・・・たぶん、無理だと思うけど・・・なるべく・・・』
「そっか! ありがとな 大河! 先生も、頼んでみるよ!」
『はぁ? 頼むって何を? 誰に?』
「うん? 数学の先生に・・・なるべく、お座りじゃなくて、起たせて下さい! って」
『・・・・・大丈夫かよ・・・この先生』
呆れるのを通り越していた。
そして、早速だった。
数学教師の怒鳴り声が教員室に響き渡った。
『大塚先生! あなたは、何を言っているのか分かっていますか? 生徒に寝るな!と指導するのが、教師の仕事ですよね!』
「す、すみませんでした・・・でも・・・」
『でも、なんですか? まだ、言いますか? お座りじゃなくて、立たせろ!と』
「あっ、いやっ・・・す、すみませんでした」
数学教師と英吉のやりとりを、校長は遠目にながめて、こう言った。
「英吉・・・残念だけど、この学校は、進学校なんだよ」
「だけどな・・・お前の好きなようにやるがいい!」
「最後の責任は全て私が・・・頑張れ! 英吉」
と
マコト (木曜日, 13 10月 2016 22:54)
英吉の教師としての初日
その日の放課後になった。
いよいよ、英吉の陸上部顧問としてのデビューの時が近づいてきた。
英吉は、部活動の時間が待ち遠しかった。
『さっ! いよいよだな!』
英吉が、体育教官室で部活の準備をしていると、二番目に若い体育の先生が、
「大塚先生! 今日は、よろしくお願いします!」
と、近寄ってきた。
『はっ? はぁ・・・今日? ですか?』
「はい! あれっ? 大塚先生忘れたんですか? 今日は、歓送迎会ですよ!」
『えっ? か、歓送迎…会? ですか?』
「はい~ 歓送迎会! 居酒屋ニチョウで! あなたは、歓迎される立場ですよ!」
人間の脳みそは、便利にできている。
興味のないことは、簡単に忘れる仕組みになっているのだ。
と、言いつつも、英吉の忘れる度合いは、人並み以上であるのだが。
その体育の教師は気づいた。
「大塚先生・・・部活動に出られないのが残念って顔してますよ!」
『あっ、はい・・・あっ、いえっ・・・』
「大塚先生、あまり気負わずに、ゆっくりやっていくことをお勧めしますよ!」
『えっ?』
「この学校の生徒は、教師が言わなくても自ら練習に取り組む真面目な生徒が多いですから! それに、どの部にも、将来、その競技を続けて、プロになれるような選手は、一人もいませんからね!」
そう、冷めた感じで言った。
『そうなんですか・・・』
「まぁ、部活動は明日からの楽しみとして、今日は、しこたま飲みましょうよ!」
『・・・そうですね』
と、今度は、英吉が気付いた。
『明日からって・・・明日は、土曜日で学校が休みじゃん!』
兎にも角にも、英吉は、歓送迎会へと気持ちを切り替えた。
と、次の瞬間だった。
『あっ!』
英吉は、あることに気付いた。
マコト (木曜日, 13 10月 2016 22:55)
英吉が気付いたのは、
歓送迎会に出席するための背広がないということだった。
実は、英吉は、一着も背広を持っていなかったのである。
採用試験などの時は、大学の友達から背広を借りて、受験していた。
それでも、社会人となれば、さすがに背広ぐらいは持っていなければ、公式の場に出る時に・・・それぐらいは、英吉も分かっていた。
ふと、父親との会話を思い出した。
「英吉! お前、社会人になって、背広がなかったら困るぞ!」
『大丈夫! 初めての給料で買うから』
「まぁ、これまでお前には、いろんなことを我慢させ、大学の学費も全部アルバイトで・・・一度ぐらい親父らしいことさせろ! 背広を買ってやるよ!」
『ありがとう、父ちゃん! でも、本当に大丈夫だから』
英吉は、しみじみと思った。
「父ちゃんの言うこと、聞いとくんだった」と
さすがに、三本線のジャージ姿ではまずいだろうと思った英吉は、あるところに向かったのだった。
マコト (木曜日, 13 10月 2016 22:56)
英吉は、校長に相談しようと思い、校長室に向かった。
校長室の前まで行くと、高木教頭が声をかけてきた。
「どうかしたのかね? 大塚先生」
『あっ・・・はい 校長先生にご相談がありまして・・・』
「校長? 校長はいま不在だよ! 急に教育委員会からお呼び出しがあって・・・あぁ、だから、今日の歓送迎会には少し遅れて参加するらしいぞ!」
『そうなんですかぁ・・・』
「急ぎの相談なのかね? 私でよければ聞くが・・・」
この時の英吉は、二つの選択肢を持って、校長のところに行っていた。
一つは、ジャージ姿のまま出席させていただく。
もう一つは、ジャージ姿が失礼になるのであれば、欠席すべきなのか。
校長に相談できないことが分かった英吉は、そのまま教頭に尋ねた。
『教頭先生・・・』
教頭は、憮然とした表情で言った。
「君と校長が、昔、どんな関係だったのかは知らんが、本当に君は失礼な奴だな!」
「背広が無い? 社会人として、恥ずかしくないのか?」
「君は、バスケ部の赤パンの生徒を知らんのか?」
『あ、赤パン? ですか?・・・』
「あの子はな、自分に合うサイズが・・・まぁ、今は、その話はいいとして・・・」
「社会人として、背広の一着も用意していないなど、聞いたことが無いよ」
「しかし、それでよく高校の教師になれたな! なにか、特別なコネクションでも利用したのかね?」
教頭の言葉は、英吉の右耳から左耳へとすり抜けていった。
ただ、
「社会人として、恥ずかしくないのか?」
その言葉だけは、反省をした。
『社会は、英吉の都合だけで動いているんじゃないんだからな!』
という、父親からの教えがあったからだ。
英吉は、教頭に深々と頭を下げ
『申し訳ありませんでした。背広は、お給料をいただいたら、直ぐに・・・それと、本日の歓送迎会は、皆さんの失礼にならぬよう、欠席させていただきます。本当に申し訳ありませんでした』
と、謝った。
教頭は、
「とにかく、学校に迷惑をかけるようなことのないよう・・・本当にお願いしますよ! 大塚先生」
「まったく、今どきの若い人は、何を考えているんだか・・・」
そう、英吉に聞こえるように独り言をいいながら去っていった。
英吉は、深々と頭をさげたままだった。
教頭を見送った英吉は、ある場所へと急いだ。
マコト (木曜日, 13 10月 2016 22:58)
英吉が、急いで行った場所は・・・
居酒屋ニチョウだった。
英吉は、駐車場から居酒屋に入るところに直立不動で立った。
そして、教員らしき人が店に入ろうとすると、
「2年10組担任の大塚です! 本日は、諸事情により歓送迎会に参加できず、申し訳ございません! 一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします!」
そう一人一人挨拶をしていった。
ほとんどの教員たちは、「はぁ? はぁ・・・」
と、不思議そうな顔で英吉を眺め、居酒屋へと消えていった。
もちろん、学校に関係のない客もいた。
「なにこの人?」
と、冷たい視線を送られることもしばしばだった。
それでも英吉は、
「あれ? 間違ったか?」
と、たいして気にもせず、挨拶を続けた。
英吉の中の“人に対する礼儀”として、挨拶をするべきだと考えての行動だった。
挨拶を初めて10分ぐらい経った時だった。
一人の女性教員が英吉に近づいてきて、英吉より先にこう言った。
『恥ずかしいので、私には挨拶をしないでください!』
それは、2年2組担任の、冬木茂子(フユキ・シゲコ)先生だった。
それが、英吉と茂子が初めて交わした言葉だった。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 12:52)
冬木茂子、23歳
英吉と同じ新採で、英語の教師。
2年2組、そう、小春や果南の担任だ。
松嶋 菜々子さんにそっくりな、とてもチャーミングな女性である。
通訳として世界中を飛び回ることを夢見て、大学では勉強ばかりしてきたが、外務省への入省は叶わず、 ・・・結果、滑り止めだった教師になった。
教師をただのつなぎの仕事として考えている。
とても美人だが、とてもクールな女性である。
話は、また突然とんでしまうが・・・
クール・ビューティーという言葉がある。
小生は、「クール・ビューティーな人」のことを「美人だけど、冷たそうな人」だと思っていた。
ところが、そうではないらしい。
「クール・ビューティーな人」とは、「知的で気品のある美人」という意味らしい。
恥ずかしながら、それを最近知った。
英語の嫌いな小生は、やむを得ず高校時代に一度も使ったことのない英和辞典を引っ張り出して、「COOL」を調べてみた。
したら、出て来るわ! 出て来るわ!
「COOL」の意味
涼しい、冷たい、少し寒い、涼しそうな、
さわやかな、
冷静な、落ち着いた、
熱意のない、冷淡な、
厚かましい、ずうずうしい、
すてきな、いかす、かっこいい
日本語は、涼しいときは「涼しい」
素敵なものは、「素敵な」と、ちゃんと違う言葉を使う。
それを「COOL」一個で使い回しすんな! と、バカな小生は思ってしまうのである。
さて、話を小説に戻そう。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 21:45)
茂子は・・・
『恥ずかしいので、私には挨拶をしないでください!』
そして、自ら
『2年2組担任の冬木です』
と、まるでモデルのような佇まいで言った。
「あっ、10組担任の大塚です」
『家政科とは校舎が別ですから、お会いする機会はありませんでしたけど・・・』
「同じ学年の担任ですので、よろしくお願いします」
英吉は、茂子の美しさに、一発KO状態だった。
「やっべ! すげ~美人!」
だが茂子は、冷たく言い放ったのである。
『同じ学年の担任? そういうことになるのですね! 残念ながら、私は、他のクラスの担任まで選ぶ権利を持ち合わせておりませんから!』
「・・・はっ?」
『願わくば、そうあってほしくなかったという意味です』
「・・・えっ?」
『大塚先生・・・お昼休みに校長室の前でお座りをされていたそうですね? うちのクラスの生徒から聞きました』
「あっ・・・はい」
『教師が、校長室の前でお座り? 教育者として恥ずかしくはないのですか?』
「あっ・・・いやっ・・・はい」
英吉は、決して言い訳をしなかった。
『大塚先生のような方と一緒にされたくはありませんので、必要のないことで、私に話しかけてくるのは控えてください!』
「・・・はい」
と、ちょうどその時だった。
「おぉ~ 茂子~ そんなところで何をしているんだ?」
と、高木教頭が声をかけてきた。
「し、茂子~?」
その呼び方に、驚く英吉だった。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 21:46)
嬉しそうな顔で近寄ってきた教頭に
茂子は、こう言った。
『あっ! 叔父様!』
そう、茂子は教頭の姪っ子なのである。
「こらこら! 叔父様じゃないだろう! 教頭と呼びなさい! 教頭と!」
と、目じりを下げて言った。
『エへッ! そうでした! ごめんなさい、叔父様・・・じゃなくて~ 教頭せ~んせっ!』
すると、教頭が英吉に気付き
「おい、君はどうしてここに居るのかね?」
『あっ・・・あのぉ・・・』
茂子が、すかさず口を挟んできた。
『教頭先生~ 大塚先生は、ここでうちの先生方ひとり一人に挨拶していたんですよ! 私は、迷惑だから、やめてくださいって先にお断りできましたけど』
「あ、挨拶? はぁ?」
英吉は、慌てて
「自分の不手際で出席できなかったものですから、せめて、お世話になる先生方にご挨拶をと思いまして・・・」
教頭は険しい顔で言った。
「こんな場所で? 他のお客様に迷惑になっているんじゃないのか? 君は、そんなことも分からんのか!」
『も、申し訳ありません』
「とにかく、ここから早く立ち去りなさい! 分かったか!」
『は、はい』
「さぁて、行こうかぁ、茂子~」
『叔父様、ここでは違うんじゃないんですか?』
「そっか! すまん、すまん! そうだったな! 行くよ、冬木先生!」
「はぁ~い」
二人は、店の中へと消えて行った。
それを、頭を深々とさげたまま見送る英吉だった。
居酒屋を後にした英吉は、ある場所へと向かった。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 21:46)
英吉が向かった場所。
それは、もちろん学校の校庭だった。
もう、辺りは暗くなっていた。
だが、野球部だけは、照明をつけ、大声を張り上げて練習していた。
「噂には聞いていたけど・・・頑張ってるなぁ、野球部」
そして、グランドを見渡し
「・・・いる訳ないか・・・陸上部員は・・・」
英吉は、グランドのはじに座って、しばらく野球部の練習を眺めていた。
こう、独り言をいいながら。
「高校野球かぁ・・・青春だなぁ・・・」
「いいなぁ・・・大声出して・・・やってるって感じするよなぁ・・・」
「くぅ~ いいねぇ! 選手同士で励まし合ったりしちゃって!」
「モテるんだろうなぁ・・・野球部員は」
「うん? マネージャーって、可愛いのかな?」
「ちっきしょう~! 陸上部だって、カッコいい男はいたんだけどなぁ・・・誰一人として、俺のこと騒いでくれなかったよなぁ・・・」
と、その時、野球部の硬式ボールが英吉の前まで転がってきた。
英吉は、それを拾って、グランドに投げ返そうとした。
すると、暗闇の中から一人の野球部員が近寄ってきたのである。
それは、2年10組の生徒だった。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 21:48)
「あれっ! 大塚先生!」
『おっ、おぉ~ お、お、お前は・・・』
「無理もねーよな! 今日初めて担任になったんだから! 佐藤だよ! 佐藤博一」
『おぉ~ そうだそうだ・・・バケラッタだろう!』
「ゲッ! もう覚えたのかよ! ・・・それも、あだ名で!」
『そうだよ、そうだよ! バケラッタだよ~ バケラッタ!』
「そう何回も呼ばなくてもいいから! ・・・って、先生、こんなところで何してんの?」
『うん? 野球部の練習を見てたんだよ!』
「はぁ? 先生は陸上部の顧問になったって言ってたじゃん!」
『うん? あぁ、そうだよ! 陸上部だ!』
「で、なんで、野球部の練習を眺めてんの?」
『いや、本当は今日から部活動に出るつもりだったんだけど、ちょっと用事が出来ちまってな』
「ふ~ん・・・で?」
『あっ、う、うん! で、用事が終わったから学校に戻ってきたんだけど・・・陸上部は・・・』
「陸上部は、暗くなる前に練習を切り上げるよ! もう、誰もいないよ!」
『そっか・・・そうだよな・・・あっ、でさ、陸上部って、土日も練習するのか?』
「してないよ!」
『そ、そっか・・・そうだよな』
『そっか・・・そっか・・・そうだよな』
と独り言を言って、『先生、帰るわ!』と、歩きだした。
「ねぇ、先生!」
『はぁ? なんだ? バケラッタ』
「泥棒になっちゃうよ!」
「はっ?」
『先生が持ってるボール!』
「あぁ、これか! お、おぉ~忘れてた。 頑張れ、バケラッタ!」
と、ボールをバケラッタに投げた。
バケラッタは、英吉のその様子で、何気に気付いたのだ。
「先生! 先生には残念なのかもしれないけど、陸上部は、そんなに一生懸命に練習してないよ!」
『うん? そっか・・・そうだよなぁ・・・』
そして、バケラッタは最後にこう言った。
「一人を除いてはね!」
『どういうことだ?』
「明日も、きっと、そいつは練習してるよ! 来れば分かるよ! じゃぁね! 先生」
バケラッタは、走って戻っていった。
マコト (金曜日, 14 10月 2016 21:49)
翌日・・・
朝早く目覚めた英吉は、昨日と同じジャージで学校へとやってきた。
まだ、誰一人として学校にはいなかった。
それもそうである。
朝の5時では。
体育教師全員に持たされていた鍵を使って、体育教官室に入った。
英吉は、自席に座って昨日のバケラッタとの会話を思い出していた。
「誰だろう? 大河かなぁ・・・他にも一生懸命に練習している生徒がいるのかなぁ・・・」
と、そんなことを考えながら目を閉じた。
目を閉じて直ぐだった。
(-_-)zzz
「さぁ~ いこうぜーーー!!!」
野球部の練習開始の掛け声で、目が覚めた。
ちょうど9時だった。
「やっべ、寝っちった!」
「おぉ、そうだそうだ! 陸上部は???」
そう言って、体育教官室から校庭を眺めた。
「・・・いた!」
一人、練習を始めようと、準備をする生徒を見つけた英吉は、体育教官室から飛び出し、その生徒のところへと走った。
マコト (土曜日, 15 10月 2016 20:52)
「おぉ~ 緑ジャージの大河君! おはよう!」
『はぁ? 先生・・・なにしてんの?』
「もしかして、一人で練習する気なのかな?」
『・・・そうだよ! 悪りーかよ!』
「いやいや、熱心でよろしい!」
『って、なんで、いるんだよ? 今日は、先生休みだろう?』
「は~ぁ? 言ったよな! 陸上部の顧問になったって」
『・・・言った』
「で、練習する生徒がいるなら、それに付き合う! これ、顧問として当たり前じゃね?」
『それって・・・当たり前なの? だって、今まで、練習に顧問の先生が出てきたことは一度もないよ!』
「そうなのか?・・・」
『・・・うん』
大河は、ラインカーで白線を引きながら、少しふてくされた言い方で、
『緑ジャージで悪かったよ!』
「いや、そんなことございません!」
『って、先生だって昨日と同じジャージじゃん!』
「・・・悪りーかよ!」
『悪くねーけど』
大河は、ラインカーを片づけて、ストレッチを始めた。
それを英吉は、黙って見ていたが、しばらくたって、
「大河! そのやり方じゃダメだ!」
『えっ? どこがどう悪いんだよ! 俺は、ずっとこのやり方でやってきたんだ!』
「すまん、言葉を間違えた・・・ダメじゃなくて、違うやり方もあるぞ!って言いたかったんだ」
『違うやり方? じゃぁ教えてくれよ! って、教えられるの?』
「アホ! 俺は、体育の教師だぞ!」
『あっ、そっか・・・忘れてた! 体育の先生だもん、ストレッチぐらい教えられるか』
と笑った。
英吉は、ジャージの上着を脱いで、ストレッチを始めた。
大河が、黙ってそれを見ていると
「おまえ、アホか? 一緒にやれや!」と
慌てて、大河も英吉の真似をしてストレッチを始めた。
『ふ~ん・・・なるほどねぇ 分かった、先生、ありがとう』
と、立ち上がり、軽く走り出した。
「お~~~い、そこの緑ジャージの大河君!」
『だから、その呼び方やめてくれって!』
「す、すまん・・・大河、まだ走り出すのは早いよ!」
『えっ? もう十分だよ! 体、温まったし』
「う~ん・・・もちろん個人差もあるけど・・・もう少し、俺に付き合え!」
『・・・分かったよ』
ストレッチの全てのやり方が、大河には初めてだった。
前の日に、自分の膝のことを心配して言ってくれた英吉の言葉を、その時は、真剣に聞いた大河だった。
マコト (日曜日, 16 10月 2016 20:33)
『さすが、体育の先生だね! ありがとう』
「ケガを防ぐためには、ストレッチを十分にしなきゃダメだ!」
『分かったよ、先生・・・じゃぁ、走って来るわ!』
「おっ、・・・おぉ~」
英吉は、大河の練習の様子をずっと見守った。
その日は、何も言わずに見守るだけと決めていた英吉であったが、思わず声を発してしまうのである。
大河が、短い距離のダッシュを始めた時だった。
「大河! 左腕の引きが弱い!」
『(はぁ、はぁ) えっ? 左腕?(はぁ、はぁ)』
「あぁ、そうだ! もう少し、左腕を後ろに高く引くんだ!」
大河にとっては、初めてのことだった。
自分の走り方に文句を言われたのは。
そう、走り方の指導を受けたことのない大河にしてみれば、英吉のその言葉が文句に聞こえてしまったのである。
『先生、陸上を分かって言ってんの?』
「うん? あ、あぁ・・・一応・・・体育の先生だからな」
どうして、人は、先入観を持って物事を見てしまうのであろうか。
この時の大河もそうであり、それを確認するかのように英吉を問いただしたのである。
『体育の先生って、陸上を専門に勉強してきたのかよ?』
「いやっ・・・専門ではないけど・・・」
『先生、大学で陸上部だったの?』
「・・・違う」
『えっ? じゃぁ、高校のときは?』
「えっ? ・・・こ、高校?」
英吉は、戸惑った。
昼休みの大河とのやり取りを思い出した。
『先生・・・嘘でも、先生らしく・・・!』と
だが、英吉は・・・
マコト (日曜日, 16 10月 2016 20:34)
英吉は、バカがつくほど正直者である。
うまく、誤魔化せばいいものを・・・
「高校は・・・卒業してない」
『はぁ? なにそれ? 高校を卒業しないで、どうして大学に行けたのさ?』
「・・・行けた」
『嘘つけよ! まさか、学歴詐称で教師になったのかよ? 嘘だろう! 高校を卒業してないって』
「・・・嘘じゃない」
『はぁ? まじ?』
「高校は卒業してないけど・・・大検に合格して大学に入った」
『大検?・・・あぁ、聞いたことある! なんか、不登校で高校をやめて・・・で、その試験に合格して大学に入ったっていう話』
「それだ!・・・って、不登校生じゃなかったけどな」
『へぇ~ そこまで言うなら本当なんだ! えっ? っていうことは、結局は陸上の経験がなかったっていうことじゃん!』
大河は、大学で陸上部に所属していなかった英吉の指導の全てを信じて聞きたくないという気持ちになった。
指導を受ける者が、指導者を信じていなければ、その結果は、言わずと知れたものとなる。
英吉は、大河の心を見透かしていながらも聞いた。
「なぁ、大河・・・大学で陸上をやっていなかった俺の話は、聞く気になれないか?」
『・・・別に ・・・そういうことじゃないけど・・・』
この時の英吉は、校長に言われたことを思い出していた。
マコト (日曜日, 16 10月 2016 20:36)
校長は、英吉にこんなことを言っていたのである。
「なぁ、英吉・・・」
『はい、先生』
「大河は、もう2年だ! この高校は進学校で、2年が勝負の時なんだ!」
『それって、あまり時間がないっていうことですよね?』
「そういうことになるなぁ」
それを思い出していた英吉は、大河にこんな言い方をしたのである。
「なぁ、大河・・・どうしたら、俺の話を聞いてくれるようになる?」
『えっ? だって、陸上部の顧問の話だもん・・・』
「聞かないだろう?」
『えっ?・・・』
「俺なら、聞いたふりをして、素人の話じゃ、それを真面目に取り組もうとはしないよ!」
『なにそれ? 先生なら、言うことを聞かせるのが当然なんじゃないの?』
「あぁ、それはそうなんだろうけど・・・指導者と指導を受ける者の間には、絶対的な信頼関係が必要なんだよ! お前は、俺を信用していない!」
『信用するもなにも・・・だって、先生は陸上経験がないんだろう?』
英吉は、勢いで言った。
「なぁ、大河! 俺と勝負しろ!」
『はぁ? 先生が俺に勝てる訳ないと思うよ! だって、俺は県で3位の選手だぜ!』
「おぉ~ そっか ・・・なぁ、大河・・・」
『なんだよ? もうおじけづいたのかい? 先生』
「いやっ・・・あのなっ・・・」
『なんだよ? はっきり言ってよ!』
『・・・800mで勝負してくれないか?」
『なにそれ! 結局は、100じゃ勝てる自信がないっていうことじゃん!』
「・・・・・分かった、じゃぁ100で!」
『先生、本気で言ってるの? で、なに? もし、先生が勝ったら、俺に、先生を信じろって言いたいの?』
「それは違う!」
『どう違うんだよ?』
「信じるか、信じないかは、お前が決めることだ!」
『ふ~ん・・・分かった。 じゃぁ、早速今から勝負する?』
と、英吉は慌ててこう言った。
「いやっ・・・一週間・・・一週間だけ、時間をくれ!」
大河は、笑って言った。
『分かったよ! いつやっても同じだろうけど!』
そう言って、大河は、また自分の練習に戻っていった。
マコト (水曜日, 19 10月 2016 00:25)
それから、次の土曜日の決戦に向けて、英吉のトレーニングが始まった。
英吉は、放課後の部活の時も、陸上部員をほったらかしで走った。
だがやはり、走ることをやめていた英吉には、無謀なチャレンジだった。
「(はぁ、はぁ) む、無理だ・・・(はぁ、はぁ)」
それでも、英吉は逢坂校長から教えられたフォームのひとつ一つを思い出した。
腕の振り方、足の上げ方、上体のおこし方、かかとの付き方・・・
火曜日・・・水曜日・・・木曜日・・・
英吉の変化が、大河の目にも明らかに映った。
『先生・・・真面目に勝負する気なんだ・・・』
当然、大河の練習にも熱が入った。
『まさか、素人に負ける訳いかねーからな・・・素人に』
逢坂校長は、校長室からその様子を眺めていた。
「英吉のやつ・・・まさか、大河に勝負でも挑んだんじゃないんだろうなぁ・・・」
マコト (水曜日, 19 10月 2016 00:27)
そして、土曜日になった。
その日は、野球部も遠征でいなかったため、広い校庭に、英吉と大河の二人だった。
「おぉ~ 大河」
『よっ! 先生』
「まぁ、一緒にストレッチでもやろうぜ!」
『そうだね!』
大河が、先にストレッチを始めた。
「大河・・・」
『なんだい? 先生・・・』
「お前・・・よく覚えたなぁ」
そう、大河のストレッチは、英吉が教えたそのものだったのである。
『体育の先生の教えだからさ! なんか、このストレッチに変えてから調子いいんだよ!』
「そっか・・・」
二人で、一緒に決戦に備えた。
短いダッシュを繰り返す大河
英吉は、ひたすらスタートの練習を繰り返した。
そして、その時が来た。
「大河・・・やろうか!」
『あぁ・・・』
「お前、間違っても手を抜くなよな!」
『はぁ? バカじゃないの! 俺は、人に負けるのが、なにより嫌いなんだよ!』
「はぁ? 嫌い? お前、県で3位なんだろう? っていうことは、たかが県で2人に負けてるっていうことだぜ!」
『はぁ?・・・あったまきた! さぁ、やろうぜ! 俺の実力を見せてやるよ!』
「そうこなくっちゃ!」
そんな二人のやりとりを、ある男が隠れて見ていたことなど、知る由もなかった英吉と大河だった。
マコト (水曜日, 19 10月 2016 00:28)
二人ともジャージを脱いだ。
「ほぉ~ 緑ジャージで走るんじゃねーのかよ?」
『真剣勝負だからな! 大会用のお古のウェアを借りたんだよ!』
「ふ~ん・・・」
『っていう先生だって、三本線のジャージじゃないじゃん! それ、どこのウェア?』
と、大河が英吉のウェアを見て大笑いした。
『先生! それ、ひっくり返しで着てるよ! 笑わせないでよ!』
「えっ? あれっ? そ、そっか? ちょっと借り物なんだけどさ! まぁ、気にすんなよ!」
『なに、先生・・・もしかして笑いを誘って、俺に勝とうっていうこんたんなの?』
大河の笑いは、止まらなかった。
「いやっ、ち、違うよ大河、 間違えただけだよ! そんな姑息な手段は使わねーよ」
『そうだよね! 俺だって、そんなことで、タイムを落とすような選手じゃないから! さぁ、勝負だよ! 先生!』
スタートラインに二人は並び、クラウチングスタートの姿勢をとった。
マコト (水曜日, 19 10月 2016 00:31)
二人のクラウチングスタートのフォームは違った。
大河は、ショートスタートスタイル
英吉はロングスタートスタイルだ。
大河のショートスタートスタイルは、バンチスタートとも言って、後ろ足のつま先が前足のかかとと平行になるようにブロックをセットする方法である。
この方法は、スタート後の1歩目が素早く接地するという利点があるが,ブロックを押す力が弱いために飛び出す勢いが弱いという欠点と、からだがすぐ起きやすいという欠点がある。
それに対して、英吉のロングスタートスタイルは、エロンゲーティッドスタートとも言って、後ろ足を前足のかかとから脛骨の長さ以上にブロックをセットする方法だ。
後ろ足が後方に位置するため1歩目の接地が遅くなるという欠点があるのだが・・・。
並んだ二人が静止し、そしてスタートの号砲が鳴った。
大河も、英吉も100m先のゴールを目指してスタートを切った。
スタートを切って直ぐに、英吉の不安は的中した。
それは、英吉は、もともとスタートが苦手で、ましてや中距離選手になってからは、クラウチングスタートの練習をしていなかったからだ。
スタートダッシュで、大河に差をつけられた。
だが、英吉は慌てなかった。
「勝負はラスト20mだ!」
マコト (木曜日, 20 10月 2016 23:29)
10分後・・・
英吉は、体育教官室にいた。
すると、そこに・・・
『英吉・・・』
「こ、校長先生・・・」
『随分と無謀なチャレンジをしたな!』
「えっ? ・・・先生、見ていたんですか?」
『あぁ・・・』
「どうして、今日のことを?・・・」
『お前の一週間の様子を見ていれば、容易に想像ができたよ!』
「校長先生・・・」
体育教官室に入ってきた校長は、英吉の隣に座った。
いつもと違って元気のない英吉に、校長はゆっくりと話し出した。
『懐かしいユニフォームだなぁ』
「あっ・・・はい」
『まだ持っていたのか?』
「はい、 ・・・捨てられませんでした」
「そっか・・・」
英吉が着ていたのは、奈須山高校陸上部のユニフォームだった。
と、校長は、英吉のユニフォームがひっくり返しに着られていることに気付いて、
『英吉らしいな!』
「えっ?」
『その、ユニフォームだよ! わざと、ひっくり返しで着て・・・英吉が、奈須山高校の陸上部だったことを、大河に知られたくなかったんだろう?』
「えっ? ・・・あっ、はい」
校長は、ひとつ大きく息をはき、立ち上がって窓際まで行った。
一人、グランドで練習を続ける大河に視線を送り、そしてこう言った。
マコト (木曜日, 20 10月 2016 23:31)
『なぁ、英吉・・・』
「はい・・・」
『お前が、落ち込んでいるのは、勝負に負けたことじゃなくて、残り10mであいつのスピードが落ちたことか?』
「さすが! 元、奈須山高校陸上部顧問ですね! 見ていて分かったんですね! 大河が、最後、力を抜いたのが」
すると校長は、笑ったのである。
『まだまだ、素人だなぁ・・・英吉先生は!』と
「えっ? それは陸上に対して、僕が、素人だっていう意味ですか?」
『違うよ! 教師としてまだまだだ! と、言ってるんだよ!』
「それって・・・どういうことですか? 教えてください、先生!」
『あいつは、最後まで力を抜いたりしていなかったよ!』
「えっ? いや、いま、先生だって言ったじゃないですか! 残り10mで!って。 あれは、わざと抜いたんですよ! ずっとゴールまで後ろを走っていた自分には、分かりました。 自分は、最後まで、大河の実力通りのレースをしてほしかったです!」
『だから、素人なんだよ! ・・・教師としてな!』
「えっ?・・・」
英吉は、不満げな表情を浮かべて言った。
マコト (金曜日, 21 10月 2016 22:53)
「どういうことなんですか? 教えてください先生!」
すると、校長は、一生懸命な英吉を茶化すかのように、突然話題を変えたのである。
『そうだ! そう言えば、昨日、居酒屋の前で先生方に挨拶をしていて、教頭に注意されたんだってな!』
「・・・い、い、今しますか・・・その話を」
『いやいや、笑えたよ! 校長から厳重注意してください!って、教頭が息巻いていたからな』
「・・・も、申し訳ありませんでした」
『いや、英吉らしくていいじゃないか! で、なに? その前に、教頭に相談したんだって? 歓送迎会にジャージで出席してもいいか?って』
「・・・はい」
『それは、留守にしていてすまなかったなぁ・・・私なら、どんどん参加しなさい!と、言ったんだが・・・悪かったな、英吉』
「えっ? 出席しても良かったんですか?」
『まぁ、あまり誉められたもんじゃないがな! 仕方ないだろう! 背広を持っていないんだろう?』
「・・・はい、いやっ、でも給料をいただいたら直ぐに・・・」
『あぁ、それはそうしてくれ! しかし、なかなか思いつかんぞ! 店の前で教師全員に挨拶をしよう! なんて考えはな! 笑えたよ!』
「・・・笑わないでください・・・せめて校長先生だけでも」
『すまん、すまん!』
校長は、また真面目な顔に戻って、大河を見た。
『あいつも、きっと悩んでいるんだろうなぁ・・・ 見てみろよ! 首を何度もかしげて・・・』
「えっ?・・・」
『なぁ、英吉・・・お前は、レースの後、大河を責めたのか?』
「いえっ! 責めてなんかいません!」
『そっか・・・じゃぁ、あいつに何て言ってやったんだ?』
「えっと・・・あれっ? ・・・確か・・・あっ! 何にも言ってません!! 腹減ってたから負けたかなぁって、教官室に戻ってきました」
『なんじゃそれ!』
校長は、大笑いして、そして、優しい表情で言った。
マコト (金曜日, 21 10月 2016 22:55)
『英吉も、悩んでいたんだな! 大河に何て言ってやれば良いのか分からずに・・・それで、ここに戻ってきたんだろう?』
「・・・先生」
『なぁ、英吉・・・』
「・・・はい」
『大河は、間違いなく迷っていたんだよ! それは、あいつの表情と、いつもと違う走りを見れば分かったよ!』
「えっ?・・・」
『私は、一年間、あいつをずっと見てきたからな!』
「先生・・・」
『間違いなく、あいつはもがいていた! レース中、ずっとな!』
『なぁ、英吉・・・知ってるか?』
「えっ? 何をですか?」
『あいつな、この一週間・・・一度も校長室の前でお座りしていないんだぞ!』
「えっ? ほ、本当ですか?」
『あぁ・・・これまで、何人もの教師がこみっちり注意しても、聞かなかったあいつが・・・お前が、何を言ったのかは知らんが・・・お前があいつと一緒にお座りして以来、一度もな!』
「・・・大河」
『そりゃぁ、大河だって混乱するわな!』
「はぁ?」
『だってよ、英吉みたいな破天荒な先生が突然目の前に現れて、突然、一緒にお座りしてくれて・・・でさっ ・・・英吉は、大河にたいしたことも言ってないんだろう? うん?』
「・・・はい・・・ご察しの通りです」
『まさか、お前・・・いやぁ、さすがに、それはないよな!』
「なんですか?」
『さすがに、お前の高校時代の目が描いてある伊達メガネの話なんかしてねーんだろうな?』
(-_-)zzz
『話したんかぁ・・・良かったなぁ、英吉! 大河が利口で! 大河に感謝しろ!』
「はい・・・って・・・あれっ? でも先生、それをどうして? あのメガネは一人の先生にもバレなかったですよ!」
『アホ! どアホ!!! バレてなかった訳ねーだろーが!』
「・・・はい・・・すみません ・・・バレてたんですか?」
『当たりめーだろーよ!』
「・・・・・」
そして、校長は英吉に、教師としての道標を示したのである。
マコト (金曜日, 21 10月 2016 22:57)
『なぁ、英吉・・・あいつは、英吉の一週間の練習を見ていて、おそらく気付いていたんじゃないのか?』
「何をですか?」
『お前が、陸上の素人じゃないっていうことをだよ!』
「えっ?・・・」
『まぁ、それを教えたのは、全国に名の売れた、元、奈須山高校陸上部顧問の逢坂先生!私だがな!』
(-_-)zzz
『おい! ここは、流れ的に寝るところじゃねーよ!』
「・・・あっ? えっ? は、はい」
『大河を見ていると、まるで昔のお前をみているようだよ!』
「えっ? それって、昔の俺に大河が似てるっていうことですか?」
『あぁ、そっくりだ! ガンコなところがな!』
「ガンコ? ・・・ですかぁ」
『あぁ。 おそらくは、あいつの中に、お前に教えてもらいたいという気持ちが芽生え始めていたんだと思う。 だけど、これまで自分の力で、道を切り開いてきたという自信と、それでも誰かにきちんと教えてもらいたいという思いと・・・ただ、それを口に出して素直に言えなかったんだろうなぁ・・・だから、勝負に負ければ、否応なしに英吉のいう事を聞くことが出来ると悩んだんだろうけど・・・』
「それで・・・力を抜いたんですね?」
『英吉よ! そこが、まだお前が未熟なところなんだよ!』
「えっ?・・・」
『あいつは、それでも、精一杯に走っていたよ! ただ・・・体は正直だ! 迷いが、そのまま走りになって現れただけなんだよ! 決して、あいつの心の中には、力を抜け!という気持ちはなかったはずだ! 私は、あいつの走りをみていてそう思った』
「先生・・・」
マコト (金曜日, 21 10月 2016 22:59)
そして、校長は最後にこう尋ねた。
『なぁ、英吉・・・お前の過去の栄光の話を、私が大河に話してきてやろうか?』
すると、英吉は、校長の質問に答えようともせずに、
「先生! ありがとうございます! 俺・・・早く、先生みたいな立派な先生になるから!」
そう言い残して、グランドに走って行ってしまった。
英吉の背中越しに
『おい! ユニフォーム! ひっくり返しのままだし!』
その声も届くこともなく。
校長は、目を細めて
『あれで、はい、お願いします! って、いうような男じゃないよな!英吉は。 それに、ユニフォームだって・・・』
そう言って、走る英吉の背中を眺めた。
そして、校長は
『必要なかったかぁ・・・私も、教師としてまだまだなんだなぁ・・・こんなもの用意までして』
と、右手にもった一冊の本を鞄にしまった。
それは、6年前のインターハイ予選大会の時の記録、
そう、英吉が、高校生日本記録で優勝した証が記された本だった。
マコト (月曜日, 24 10月 2016 06:54)
英吉が、グランドに戻ると大河が、近寄ってきた。
「メシ! 食ってきたかよ、先生」
『いやっ・・・メシ・・・なかった』
「まったく、しょうがねーよな! 俺、もう今日は練習あがるから!」
『えっ? 随分と早いあがりだな!』
「だって、明日から中間テストだぜ!」
『うっそ! まじか?』
「って、体育の先生には関係ねーのか? っつうか、担任だろう? しっかりしてくれよなぁ!」
『うん? ・・・うん』
「なぁ、先生・・・上がりのストレッチも教えてくれよ!」
『おぉ~、お安い御用だ!』
英吉は、クールダウンのストレッチを教え、そして大河の背中にまわって、肩甲骨あたりをさすった。
『う~ん・・・やっぱり、肩甲骨周りの筋肉が固くなってるな!』
「えっ? 肩甲骨? 陸上と関係あんの?」
『おおアリだよ!』
「ふ~ん・・・」
『肩甲骨はな、両端のところで、腕の骨と、鎖骨とつながっていて、それ以外は、どの骨ともつながっていないんだ! つまり、宙ぶらりんの状態なんだよ!』
「へ~・・・」
『どこにもつながっていない分、大きく動かすことが出来るのさ! 特に、腕を動かした時にセットで肩甲骨が動くから、腕の動きにとって肩甲骨は重要な役割を担ってるんだよ!』
「さすが、体育の先生だね!」
『おっ、おぉ~』
「で、俺は、そこが固いの?」
『あぁ、そうだ』
すると、大河は真面目な表情に変えてこう言った。
マコト (月曜日, 24 10月 2016 06:56)
「だから、左腕が強く引けないの?」
『えっ?・・・』
「えっ?って・・・先生、言ったろう! 左腕の引きが弱い!って」
『・・・言った』
「左腕の引きに注意してやれば、もっといいタイムが出せるっていうことなんだろう?」
『あぁ、そうだ』
「ちゃんと、そう説明しろよなぁ~ まったく」
『す、すまん』
そして、大河は、少し照れ臭そうに言った。
『カッコよかったよ!』
「はっ? 何が?」
『先生の走るフォームだよ!』
「はっ? どうした? お世辞言っても何にも出ねーぞ!」
『・・・お世辞じゃねーし』
「・・・そっか」
大河は、立ち上がり、あえて英吉に背中を向けて聞いた。
『なぁ、先生・・・誰に教えてもらったんだよ?』
「えっ?・・・だ、誰に?」
『っつうか、いつ、教えてもらったんだよ? 大学?』
「・・・違う」
『んじゃ・・・えっ? もしかして、高校中退するまで? 先生、陸上部だったの?』
「・・・それを聞いてどうすんだよ?」
『どうにもしない! どうにもしないけど・・・いいなぁって思って見てたんだ!』
「何を?」
『練習している先生の一週間! ・・・なんかさ、誰かからの教えを思い出しながらフォームを確かめるように、練習しているところをさ』
「・・・そうだったのか?」
『うん・・・ だって ・・・フォームをちゃんと教えてもらったことなんか、一度もないんだ・・・俺』
「・・・・・」
『ねぇ、先生・・・陸上部だったんでしょ?』
英吉は、ためらった。
それでも、嘘の嫌いな英吉は、全てを大河に話した。
自分と境遇の似ている大河に。
マコト (月曜日, 24 10月 2016 22:55)
英吉と大河は、校庭のすみっこの芝生に腰をおろして話した。
『へぇ~ 校長先生が、あの奈須山高校陸上部で有名な指導者だったなんて知らなかったなぁ。 校長先生、僕が練習していると、よく声をかけてくれるんだぁ・・・』
「そうだったのか・・・ずっと、大河のこと見ていてくれてたんだなぁ」
『うん、そうだねぇ・・・でもさ、その有名な先生からスカウトされたんでしょ? 先生、そんなにすごい中学生だったの?』
「う~ん・・・人よりたくさん走っていただけだよ! 夕刊の配達でな!」
『でも、すごいよ先生!・・・僕には真似できない』
「母ちゃんに、少しでも元気になってもらいたかったからな・・・」
『そっか・・・先生、お母さんのために・・・』
そして、あの大会の時の話になった。
『それで、ねぇ先生・・・それで、間に合ったんでしょ? お母さんのところに・・・』
大河の質問に、英吉はうつむいて答えた。
「・・・間に合わなかった」
『そんなぁ・・・』
心の優しい大河は、英吉の辛い過去の話に涙していた。
英吉は、どこかさっぱりしたような言い方で、
「それで、大塚英吉君は、学校を辞めたとさ!」
『えっ? それで辞めたの? どうして? どうして、高校を辞めなきゃならなかったの? そんなのおかしいよ!』
英吉は、一つ大きく息を吐いて言った。
「自分で決めたことだ! もちろん、逢坂先生は引き留めてくれたさ! でも、どうしてそう決めたのか、正直、分かんない・・・きっと、母ちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいだったんだろうな」
『・・・先生』
「でもなっ、学校を辞めた後も、逢坂先生が何度も何度も来てくれてな・・・大検の受検も逢坂先生が・・・」
『先生の歩む道を示してくれたのが、逢坂校長だったんだね』
「あぁ、そうだな」
大河は、しばらく黙っていたが、あえて明るく振る舞うように英吉に尋ねた。
『ねぇ、先生・・・ところで大会の結果は? 先生はトップを目指して頑張っていたんでしょ?』
「もちろん、やるからには、トップを目指していたさ!」
『なんか、先生らしいね! で? ところで大会の結果は? 教えてよ!』
「知りたいか?」
『うん! 知りたい!』
「どうしてもか?」
『うん、どうしても! で、もし、僕の県で3位という成績より上だったら、尊敬しちゃうな!』
「尊敬? 尊敬なんかしなくてもいいよ!」
『いいから、言ってよ先生!』
英吉は、少しだけ小さな声でこう言った。
マコト (火曜日, 25 10月 2016 22:32)
「トップでゴールしたよ! しかも、高校生日本記録を更新してな! たぶん、今も破られていないんじゃないか? あの時の記録は!」
人間、驚くことを言われたときには、まずは、この言葉を発するものだ。
『う、う、嘘でしょ、先生! ・・・ま、ま、マジで?』
鳩が豆鉄砲を食ったような顔の大河。
英吉は、大河にはお構いなしにその場で飛び跳ねて走り出した。
そして、10mほど行った先で、振り返り
「おい大河! お前、今、俺を尊敬するって言ったよな! ホッホーーー!!!」
そして、また走りながら
「そ・ん・け・い! そ・ん・け・い! ホッホーーー!!!」
と、訳の分からない踊りで、喜びを現していた。
驚きと、訳の分からない踊りの英吉に対するあきれた感情が、複雑に大河を襲った。
と、その時だった。
マコト (火曜日, 25 10月 2016 22:39)
大河の後ろから校長の声がした。
『氷室・・・』
「こ、校長先生・・・えっ? どうしてここに?」
『いやっ、英吉がお前に勝負を申し込んだという噂を聞きつけてな』
「えっ? そうだったんですか? で、ずっと見ていてくれたんですか?」
『・・・あぁ』
校長は、英吉を眺めながらこう言った。
『氷室・・・すまんなぁ』
「何がですか?」
『うん? 変な先生を担任と陸上部の顧問にして・・・』
大河は、笑って
「まったくです」と
『これを見てごらん!』
そう言って、校長は、さっき鞄にしまった本を大河に差し出した。
「これは?」
『6年前のインターハイ予選大会の時の記録だよ! 英吉の日本記録が載ってるぞ!』
すると、大河は、凛とした表情に変えて
「校長先生、ありがとうございます。 でも、大丈夫です!」
『うん? 大丈夫? 見ないのか?』
「はい! 僕、大塚先生のこと・・・信じていますから!」
校長は、笑みを浮かべて
『・・・そっか』
と、本をまた鞄にしまった。
二人は、英吉を見つめた。
「ねぇ、校長先生・・・」
『なんだ? 氷室』
「僕・・・大塚先生のこと信用はしますけど・・・」
『けど?』
「尊敬してもいいもんですかね?」
校長は、笑って
『さぁな・・・それはお前が決めることだ!』
「そうですよね!」
と、大河も笑った。
マコト (水曜日, 26 10月 2016 12:55)
校長が来たことに気付いた英吉は、踊りをやめて走り寄ってきた。
『校長先生!』
すると校長は、険しい顔に変えてこう言った。
「大塚先生! 明日から中間テストだというのに、何をしているんですか? 部活を許可しているのは、大会が近い野球部だけのはずですよ!」
『・・・はっ? は、はい?』
「私のところに、近所の方から通報が来ました! あなたの学校は、テスト前に部活を許しているんですか? とな」
『そうなんですか・・・も、申し訳ありません』
「分かったら、とっとと切り上げてください!!」
『は、はい!』
校長に注意された英吉は、大河に向かってこう言った。
『ほらぁ、だから言ったろう! 氷室君! わざわざ校長先生にご足労をかけることになってしまったじゃないか!』
「ひ、ひ、氷室君? はぁ?」
『テスト前だから、部活はいけないよ! って・・・さぁ、家に帰ってお勉強しよう!』
「・・・・・」
大河は、校長にだけ聞こえるように
「校長先生・・・」
『うん? どうした? 氷室』
「俺・・・やめます!」
『えっ?・・・』
たらちゃん (水曜日, 26 10月 2016 21:32)
「大塚先生のこと、尊敬するの…」
マコト (水曜日, 26 10月 2016 23:07)
校長は笑って、
『・・・そうだな! その方が良さそうだな!』と
(英吉)『おやっ? 氷室君! 何か?』
(大河)「・・・何でもありません」
中間テストを終えた日の部活から、大河と英吉の新たな挑戦が始まった。
『なぁ、大河・・・』
「なんだよ、先生」
『お前の目標はなんだ?』
「どうせ、日本一の高校生って答えなくちゃ、納得してくれないんだろう?」
『えっ? それは違うな! お前の目標だからな!』
「そうなの? でも・・・やるからには、日本一を目指したいよ! 先生がしてくれるんだろう? 日本一に!」
『大河! それも違うな! お前がなるんだよ! 自分自身の力で! 先生は、それを手伝うだけだ!』
「・・・分かったよ! なるよ先生! 日本一の高校生に!」
『そっか! でもなぁ・・・う~ん・・・今のままじゃ無理だ! 限界がある! それに、お前は自分の隠れた才能に気付いていない!』
「えっ? 隠れた才能? そんなものあんのかよ、俺に!」
『ある!』
「・・・ま、まさか・・・いやっ? ・・・違うよね! ・・・えっ? 中距離で勝負しろっていうのかよ? ・・・先生」
英吉は笑った。
『分かってんじゃん!』
「・・・・・」
『日本一になりたいんだろう?』
「・・・・・」
日本一の高校生、そしてオリンピックを目指した練習が始まった。
『大河! お前は、日本一の高校生になれ!』
「何回も言わなくても、分かってるよ! ったく! いいから、ちゃんと教えろよ~~~」
マコト (水曜日, 26 10月 2016 23:10)
5月になった。
茂子は、2年2組の朝のホームルームに向かっていた。
ピンクのワンピースで校舎の廊下を歩く姿、
本当に綺麗な女性である。
茂子をじっと見ていると、心のいちばん深い部分に、何かを投げ込まれたような気持ちになる。
男という生き物は、女性と出会ったとき、視覚、聴覚、嗅覚などで得た情報を心のある部分に届けるのである。
だが、その場所までは、くねくねと複雑に折れ曲がり、すごく奥の方だから直ぐには届かない。
幾度となくその女性と出会い、そしてその魅力を知る機会を重ねていくことで、ようやく心のいちばん深い部分まで届くのである。
だが、茂子の美しさは、出会った瞬間にそこにきちんと放り込まれてしまう。
そういう種類の美しさを持った女性なのだ。
教室に入った茂子は、まっすぐに教壇に立った。
「起立! 礼!」
『みなさん、おはようございます』
「おはようございま~す」
『はい! それでは、点呼を取ります』
茂子は、ひとり一人名前を呼びあげていった。
『佐藤恵子さん』
「はい」
『谷本敏子さん』
「はい」
『手塚好子さん』
「はい」
『中神桃子さん』
「・・・・・」
『中神桃子さん? 今日もお休みかしら? ・・・ はい、それでは次、仲山八代井さん!』
「はい」
その日も桃子は、学校を休んでいた。
マコト (水曜日, 26 10月 2016 23:24)
中神桃子(ナカガミ・モモコ)
部活は、チアリーディング部に所属し、一番の親友は、仲山八代井。
桃子と八代井は、中学時代からの親友で、いつも一緒にいる仲良し二人組。
二人とも、おさげ髪の似合う可愛い女の子だ。
名前順に並んだ席順
八代井の目の前には、主に座ってもらえない椅子が。
『桃子ちゃん・・・』
そう、心の中で呼びかけても、届くはずのない八代井の言葉だった。
全員の点呼が終った時だった。
学級委員長の貴子が声を発した。
「冬木先生・・・中神さんは、どうしてお休みしているんですか?」
その問いかけに、茂子は、2組の生徒全員が驚くようなことを言ったのである。
マコト (木曜日, 27 10月 2016 23:23)
茂子は、冷めた言い方で貴子に返した。
「知らないわよ!」
『えっ? 知らないって・・・先生のところに何の連絡もないんですか?』
「そうよ! 連絡もないわよ!」
そして茂子は、こう付け加えたのである。
「皆さんにお伝えしておきますけど・・・高校は義務教育ではありません! ですから、学校に来る・来ないは、あなた方の自由です!」
「例えば、今回の中神さんのように、無断で学校を休んでも構いません! 私は、それをありのままに評価するだけですから」
「進学するにも、就職するにも、その内申書には、そのまま書かれることになります」
「まぁ、中神さんの場合、これ以上無断欠席が続くようでしたら・・・、その前に処罰されることになるでしょうけど・・・」
それは、生徒の誰もが、予想もしない言葉だった。
教室がざわついた。
学級委員長の貴子だけは、茂子の言葉に食らいついた。
『冬木先生・・・その前に処罰って、どういう意味なんですか?』
「処罰? そうねぇ・・・退学まであり得るんじゃないかしら!」
『そ、そんなぁ・・・そうさせないようにするのが、先生のお仕事じゃないんですか?』
茂子は、言い放った。
「先ほど、説明しましたよね! 高校は義務教育の場ではないと!」
茂子のその言葉で、教室が静まり返った。
と、その中で、小春が声を発したのである。
「ねぇ・・・」
マコト (金曜日, 28 10月 2016 12:58)
小春は、八代井に向かって言った。
「ねぇ、八代井ちゃんなら知ってるんじゃないの? 桃子ちゃんが休んでる理由」
小春のその言葉に、果南も好子も敏子も恵子も喜美子も伸江も加代子も陽子も声を発した。
「桃子ちゃんは、風邪でもひいたの?」
「八代井ちゃんなら知ってるでしょ? ねぇ、八代井ちゃん!」
「このままじゃ、桃子ちゃんが・・・」
「八代井ちゃん!」
クラスの誰もが分かっていた。
桃子の一番の親友が八代井であることを。
八代井は、クラス全員の視線を集めた。
八代井は、教室のちょうど真ん中あたりで、身を小さくして小声で答えた。
『・・・私も、知らないの 』
教室がざわついた。
八代井も事情を知らない。
そのことがどういうことなのか・・・
勝手に会話をする生徒たち
それを茂子が制止した。
「静かに! 静かにしてちょうだい!」
そのあと、茂子は生徒たちへの伝達事項などを話したが、誰一人として、茂子の話を聞いている者はいなかった。
マコト (金曜日, 28 10月 2016 17:59)
その日の夜・・・
入浴を済ませた八代井は、普通の家よりも少し大き目な脱衣所で濡れた髪をバスタオルで拭きながら、お気に入りのパジャマに袖を通した。
ウサギの模様が可愛らしいパジャマだ。
バスタオルを頭からかぶったまま、二階の自分の部屋に戻った八代井は、火照った躰を冷やすように窓を開けた。
ライト・アプリコット色のカーテンが微かに揺れて、5月の爽やかな風が八代井の顔にあたった。
それは、八代井の一番好きな時間だった。
八代井は決まって、入浴後に窓を開け、夜空を眺めていろんな妄想をするのである。
その日も八代井は、妄想にふけっていた。
それは、まるで『なんちゃって源氏物語』のようなストーリーだった。
マコト (金曜日, 28 10月 2016 18:00)
『今宵も綺麗な月よのぉ~・・・』
十二単に身を包んだ八代井姫は、月明かりにうっとりしていた。
そのうち、あまりにもの心地良さに、うとうとと。
わずかな時間の居眠りを楽しんだ八代井姫。
目を開けて、ふと、縁側を見ると・・・
そこには、みたらし団子が置いてあるではないか。
『こ、これは・・・』
次の日も、八代井姫は同じように縁側で月夜を楽しんでいた。
そしてそれが、まるで習慣であるかのように、夢の中へと。
そして、目を覚ました姫の前には・・・
昨晩と同じように、山盛りのみたらし団子が、置いてあったのである。
『これは?・・・どなた様が・・・』
マコト (金曜日, 28 10月 2016 18:02)
八代井姫は、そのみたらし団子を誰が置いたのか、そればかりを考えていた。
そして、そんな日が五日続いて、六日目のことだった。
八代井姫は、いつものように十二単に身を包み縁側で月を眺めていた。
そして、いつものように、目を閉じて・・・
だが、それは“タヌキ”だったのである。
『わらわの前に、君の姿を現しておくれ』
すると、八代井姫が思っていたとおり、ある男性が現れる。
だが、その男は、八代井姫が思い描いていた君とは、違っていた。
その男の身なりは、粗末なもの。
“ふんどし”に、古びた着物を一枚はおっているだけ。
そして、その男の手には、それまで以上のみたらし団子が・・・
それを縁側へ、そっと置いた。
八代井姫は、目を開けて立ち上がり、
『おぬしは、誰じゃ!』
と、その男は、ハッとして、土下座をするがごとく頭を下げた。
「わ、わたしは・・・」
マコト (金曜日, 28 10月 2016 18:44)
「き、きみ麻呂と申します!」
両手と額を土間につけ、深々と頭を下げるきみ麻呂。
『きみ麻呂?・・・綾大路?』
八代井姫は、そっと近づいた。
『わらわに顔を見せておくれ』
きみ麻呂は、ゆっくりと頭を上げた。
月明かりが、きみ麻呂の顔を照らした。
『お、おぬしは・・・』
と、八代井姫は、その言葉を飲み込んだ。
そして柔らかな表情で言った。
『きみ麻呂とやら、なして、わらわのところへみたらし団子を?』
きみ麻呂は、八代井姫の美しさに、視線を残すことができず、
下を向いて、そして、ためらいながらもこう言った。
「ひ、姫があまりにもお美しかったものですから・・・」
その言葉に、八代井姫は、きみ麻呂の手をとった。
『きみ麻呂よ・・・』
八代井姫は、きみ麻呂の耳元でささやいた。
アイ (土曜日, 29 10月 2016 06:06)
「明日からもっとたくさんにしておくれ」
たらちゃん (土曜日, 29 10月 2016 08:19)
「お、おぬしは・・・」の後の言葉にドキドキしていたきみ麻呂は
「そっちぃーーー?」と叫びそうになったが、そこは我慢して…
ウエ (土曜日, 29 10月 2016 12:00)
「か、かしこまりました。」
と、また、頭を深く下げた。
それを見た八代井姫は
「頭を上げておくれ」と
きみ麻呂の前に、右の頬を近づけた。
「きみ麻呂よ…」
オカ (土曜日, 29 10月 2016 17:44)
「お、おぬしは・・・」
菊 (土曜日, 29 10月 2016 18:27)
八代井姫が、目を開けると
そこには・・・
赤ふんどしの男が立っていたのであった。
真 (日曜日, 30 10月 2016 23:21)
「お、おぬしは・・・」
と、そこで我に返った八代井。
妄想は、そこで終わった。
いつもの日課を済ませた八代井は、窓を閉め、現実の世界へと戻った。
そう、特にその日の八代井は、続きを妄想する気分ではなかったのだった。
『桃子ちゃん・・・』
八代井は、ドレッサーの前に座った。
無印良品の乳液をつけ、少しだけ“くせっ毛”の髪をドライヤーで丁寧に乾かした。
そして八代井は、綺麗に並べてあるCDの中から、≪ONE OK ROCK≫を選んで、オーディオ機器へとセットし、ベッドに寝転がり、ゆっくりと目を閉じた。
八代井は、Takaの声が、一番好きだ。
Takaの声を聴くだけで、理由もなく涙が出てくる。
そう、その日も、Takaの歌詞に込めた熱い想いが、八代井の頬を濡らしていた。
と、そんな時だった。
携帯が鳴った。
直ぐにディスプレーを覗くと、それは、小春からのLINEだった。
「八代井ちゃん! おばんです!」
そう、万手山公園近辺に住む者たちは、54歳のご婦人も17歳の女の子も、夜の挨拶は、
「おばんです」なのだ。
『・・・小春ちゃん』
八代井は、平静を装っていつもと同じように“ブラウン・コニー”のスタンプを送信した。
『今晩ミー』
すぐさま、既読が付き、小春から返信がきた。
その返信の文章は、小春からのLINEが届いた時点で、ある程度、覚悟していたものだった。
「ねぇ、八代井ちゃん…桃子ちゃんのことなんだけど…」
覚悟していた八代井であったが・・・
『やっぱりそうよね・・・どうしよう・・・』
と、返信を打つ手が止まってしまったのだった。
真 (火曜日, 01 11月 2016 06:33)
それまで寝ころんでいた八代井は、ベッドの上で起き上がり、両足の間にお尻を落として座った。
そう、女の子座りで。
携帯のディスプレーをじっと見つめ、
『どうしよう・・・』と
それでも仲良しの小春からの問いかけに、答えられるところまで答えようと決め、一度止めた手をまた動かして、送信した。
『私も心配してるんだけど…』
仲の良い女の子同士のLINEとなれば、その返信の速さは、言わずと知れたものである。
既読がついてから返信までの時間が、いつもと違うのを小春は敏感に感じ取っていた。
それでも、桃子を心配する小春は、勇気を出して返信した。
「ねぇ、八代井ちゃん・・・もし、間違っていたらごめんね・・・八代井ちゃんは、桃子ちゃんが休んでいる理由を本当は知ってるんじゃないの?」
真 (火曜日, 01 11月 2016 06:34)
八代井は、小春のストレートな質問にその答えが見つからなかった。
八代井が、返信出来ずにいると・・・
先に小春が送信してきた。
「八代井ちゃん、ごめん・・・わたし・・・あれぇ? 間違っちゃったかな! やっぱり!?八代井ちゃんも知らないんだよね!?」
八代井は、こう返信した。
『もし、分かったら、教えるね』
それが、八代井の精一杯の返事だった。
だが、その返事もとても不自然である。
何故なら、親友の八代井なら、既に桃子に聞いているはずである。
桃子と八代井の関係にあって、八代井がそれをしないはずがない。
あるいは・・・
小春と同じように
「LINEしても、既読もつかないの」
と、返信してくるはず。
小春は、思った。
「八代井ちゃん・・・他の人には言えない何かを知っているんだわ」と
でも小春は、これ以上は八代井を苦しめることになってしまうと思い、
『うん! もし、分かったら知らせてね! きっと、元気しているよね! 桃子ちゃん』
と、返信した。
短いやり取りだったが、小春の不安は、一層増したのだった。
真 (火曜日, 01 11月 2016 22:06)
翌日・・・
2年2組の朝のホームルームは、同じような光景から始まった。
茂子の点呼が続き、そして
『中神桃子さん』
「・・・・・」
桃子の姿は、今日もなかった。
クラスの生徒全員が、桃子の机に視線を送った。
点呼を終えた茂子は、桃子のことに一切触れずに別の話を始めた。
だが、そんな茂子を学級委員長の貴子だけは、許さなかった。
「冬木先生!」
『なにかしら?』
「中神さんから、まだ何の連絡もないんですか?」
『ないわよ!』
「私たちは、中神さんのことが心配なんです!」
『・・・そう』
「ホームルームの時間に、みんなで相談したいのですが?」
『相談? 相談って、どういうこと?』
「どうして登校して来ないのか、その理由も分かりませんし・・・、このまま放っておくことができないからです」
『言いましたよね!』
「はい、先生は、高校は義務教育じゃないんだから、登校は自由だとおっしゃいました! でも・・・」
『分かっているなら、そんな必要はありません! あなた方には、受験に向けての勉強があるんじゃないんですか? 他人のことに貴重な時間を使っている暇など、無いはずですよ!』
「た、他人のことって・・・」
貴子は、茂子のその言葉に怒りを覚えた。
だが、その怒りは、すぐに諦めの気持ちへと変わったのである。
「分かりました。 先生には、もう頼りません! クラスの私達で、なんとかしますから!」
貴子のその言葉と同時に、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。
真 (火曜日, 01 11月 2016 22:09)
その日の放課後・・・
野球部、テニス部、ホッケー部、サッカー部・・・
校庭で練習する運動部の部員達が、部活動の準備を始めていた。
グランドの隅、一番校舎に近いところが、陸上部に与えられたスペースだ。
大河は、いつものようにラインカーで白線を引いた。
「これでヨシ!と」
大河が、ラインカーを用具入れに戻そうとその前までいくと、校舎の陰に数人の女の子たちの姿を見つけた。
「あれっ?・・・」
女の子たちの中に、八代井を見つけたのである。
「八代井ちゃんだ・・・」
八代井と大河は、同じ中学出身だった。
「何してんだろう・・・」
大河が、気にかけて見ていると、八代井が数人の女子に囲まれて何かを言われているのが分かった。
「えっ?・・・」
大河は、八代井の元へと走った。
真 (木曜日, 03 11月 2016 08:00)
大河は、女の子達の前に立った。
「おい! お前ら、何してんだよ!」
大河は、初対面の女の子の前では、何も話せなくなるシャイな男であるのだが、これが、時として別人となるのだ。
八代井が、よってたかっていじめられていると思った大河は、どこかのスイッチがONになったように、女の子達にくってかかった。
そんな大河を見て、女の子達は、何事もなかったように振る舞った。
そして、その中心にいた貴子が
『あなた、だれ?』
「10組の氷室だけど・・・八代井ちゃんのこと、いじめていたろう!」
大河が急に現れた理由を知った八代井は、
『氷室君・・・違うの』
「えっ? 何が違うんだよ! いま、八代井ちゃん、こいつらに囲まれて何か言われていたろう? 俺が来たから、もう大丈夫だ!」
『違うんだって! いま、みんなで、ちょっと相談事をしていただけなの!』
大河のどこかのスイッチが、さらにONになった。
「八代井ちゃん! 大丈夫だ! 俺が!」
真 (木曜日, 03 11月 2016 08:13)
大河は、まったくもって、面倒くさい男だった。
(八代井)『氷室君! 違うんだって!』
(大河)「いやっ、大丈夫だ! 俺に任せろ!」
スイッチON中の大河には、八代井の言葉は、届かなかった。
と、そこにいた小春が
『氷室君! 本当に違うのよ!』と
「あっ・・・こ、小春ちゃん・・・」
それまでパンパンに腫れていた風船が、一気にしぼむように小さくなって大河はおとなしくなった。
そんな大河を見て、
(貴子)『だれ? この変な奴!』
(八代井)『私と同じ中学の出身で・・・氷室大河君』
おとなしくなった大河に小春が近づいて、
(小春)『そっか、氷室君は八代井ちゃんと同じ中学だったのね! じゃぁ桃子ちゃんのことも知ってるでしょ!』
(大河)「えっ? 桃子ちゃん? ・・・中神さんのことですか?」
真 (木曜日, 03 11月 2016 08:21)
そこにいた女の子達は、桃子と仲のいい子たち、
八代井、小春、貴子、好子、敏子、陽子の6人だった。
夕べ、小春がLINEで八代井に聞いたことを、同じように他の子たちが、八代井に聞いている時だったのである。
『ねぇ、八代井ちゃん・・・桃子ちゃんに変わった様子はなかったの?』
それを大河は、八代井がいじめられていると勘違いをしたのである。
ただ、大河の目にそう映ったのは、八代井がうつむいて答えにくそうにしていたからであったのだが。
小春が、その場にいることを知った大河は、借りてきた猫のようにさらにおとなしくなった。
(八代井)「ねぇ、氷室君・・・なんか急に静かになっちゃったけど・・・」
(大河)「ご、ごめん・・・なんか俺・・・とんだ勘違いした? いじめられていたんじゃねーのかよ?」
(八代井)「うん! 違うよ!」
(貴子)「八代井ちゃんの知り合いじゃなかったら、許さなかったわよ!」
(大河)「・・・すみませんでした」
(貴子)「・・・っていうか、なんか、急に態度が変わったわね?」
(八代井)「小春ちゃんがいたからでしょ? 氷室君!」
(大河)「ち、ち、ちげーし!」
(八代井)「じゃぁ、なんで? さっきの氷室君、すごく頼もしかったわよ!」
(大河)「・・・・・」
真 (木曜日, 03 11月 2016 08:27)
小春は、少し微笑んで、
(小春)「まぁ、なんでもいいじゃん! でさっ、氷室君は桃子ちゃんのこと知ってるんでしょ?」
(大河)「はい、知っています! 小学校から一緒ですから」
(貴子)「なんで敬語?」
(八代井)「昔からこういう奴なの! 気にしないで!」
(小春)「へぇ、・・・それで、桃子ちゃんとは、すごい仲良しなの?」
(大河)「いえっ・・・ふ、ふ、普通です」
(貴子)「だから、なんで敬語?」
(八代井)「だから、昔からこういう奴なの! 気にしないで!」
(小春)「あのね氷室君、桃子ちゃんが学校を無断で休んでいるの! その理由が分からなくてさ・・・それで、いま、こうしてみんなで相談していたの!」
それを聞かされた大河は、八代井にとっては迷惑なことを口走ったのだった。
真 (金曜日, 04 11月 2016 07:39)
(大河)「それなら、八代井ちゃん! 一番仲良しなんだから、何か聞いてねーの?」
八代井は思った。
「せっかく、いいタイミングで現れてくれたのに・・・」
大河にふられた八代井は、観念したようにうつむいた。
そして、ゆっくりと話し出したのである。
『みんな、黙っていてごめん・・・実はね、わたし・・・桃子ちゃんとケンカしちゃったの』
そう言って、泣き出してしまった。
夕べのことがあった小春は、
「ごめん、八代井ちゃん・・・事情も知らずに・・・でも、どうして? 二人が ケンカするなんて・・・」
(大河)「お、俺・・・八代井ちゃんを泣かせちゃった?」
(貴子)「あんた、関係ないし!!!」
(大河)「・・・はい」
(小春)「ねぇ、八代井ちゃん・・・よかったら私達に聞かせて」
(八代井)「・・・うん」
すこし、落ち着いた八代井が語りだした。
『あのね・・・先週の金曜日に、桃子ちゃんが急に言ったの』
『来週から、学校を休むから! って』
『で、どうして? なんで休むの? って聞いたんだけど・・・』
『理由は、言えない! って』
『で・・・私、思わず怒っちゃったの・・・親友の私にも話せない理由なの? って』
『で・・・ケンカ腰で話すようになっちゃって・・・』
『最後には、あなたとは絶交よ! って、言われちゃったの』
『その後、何度かLINEしたんだけど・・・返事が来ないの』
『ごめん・・・小春ちゃん・・・昨日は、それが言えなくて・・・』
小春は、泣きながら話した八代井に近づき、
「そうだったのね、八代井ちゃん・・・私こそごめんね・・・」と
真 (金曜日, 04 11月 2016 17:17)
そこにいた誰もが、言葉を失っていた。
女の子達だけで話していた中に、大河が加わったことだけでも、面倒くさいのに・・・
あの男が現れたのである。
(英吉)「おいおい、緑色ジャージの大河君! 練習をさぼって何をしているのかな?」
(大河)「あっ、やべっ!」
(貴子)「だれ?・・・」
(小春)「10組の担任みたいよ! ほらっ、廊下でお座りさせられていた・・・」
(貴子)「あ~ぁ・・・」
(大河)「だから、やめろって! その呼び方」
(英吉)「おぉ~、そうだった! で、なんだよ、大河君! 女の子達に囲まれてのお楽しみ会か? 抜け駆けなんて、ずりーな!」
(大河)「・・・ちげーし」
(貴子)「だれ?」
(小春)「だから、10組の担任だって!」
大河は、慌てて英吉の腕を引っ張り、離れたところで英吉に事情を説明した。
「ふん、ふん! ほ~ なるほど!」
と、英吉のどこかのスイッチがONになった。
英吉は、女の子達に近づき、
(英吉)「事情は聴いたよ! なに? 何日も学校を休んでいるのか? その桃子ちゃんっていう子」
(貴子)「・・・はい」
(英吉)「あれ、小春ちゃんがいるっていうことは、2組だな?」
(大河の心の叫び)「おい! なんだよ! すっかり名前まで覚えてんのかよ! 普通、教師は、ちゃん付けで呼ばねーだろーよ!」
そして英吉は、そこは教師らしくきちんと尋ねた。
(英吉)「何日休んでるの?」
(貴子)「もう三日です」
(英吉)「三日間も無断で?」
(貴子)「・・・はい」
貴子は、英吉に何気なく聞いた。
「もし、先生のクラスに、無断で休んでいる生徒がいたら、大塚先生ならどうされますか?」
貴子の質問に対する英吉の言葉に、全員が唖然とするのだった。
真 (金曜日, 04 11月 2016 17:18)
(英吉)「おい、大河! 今日の練習は休みだ!」
(大河)「はぁ? なんで?」
(英吉)「お前、桃子ちゃんとは、小学校から一緒なんだろう?」
(大河)「えっ? あっ・・・うん」
(英吉)「なら、一緒に来い!」
(大河)「はぁ? 一緒に来いって? どこに?」
(英吉)「決まってんだろうよ! 今から桃子ちゃんの家に行くんだよ! 」
(大河)「はぁ?・・・」
英吉の言葉には、さすがに驚いた女の子達だったが、貴子だけは冷静だった。
(貴子)「大塚先生・・・桃子ちゃんのことを心配してくれるのは、ありがたいんですけど・・・いきなり知らない先生に来られても、桃子ちゃんが・・・」
(英吉)「知らない先生? ・・・そっかぁ、そうだよなぁ・・・でも大丈夫だ!」
(貴子)「大丈夫と言われましても・・・もし、私のところに知らない先生が来たとしたら、その対応に困ってしまうと思うんです」
(英吉)「大丈夫だ! うまく話すよ!」
(貴子)「う~ん、でもぉ・・・、大塚先生は、担任でもないのに、どうしてそこまで・・・」
英吉は笑って言った。
(英吉)「担任じゃない? 担任じゃなくても、この高校の生徒だろう! なら仲間じゃないか! それで、十分じゃないのか? 桃子ちゃんに何かあったら大変だろう? なぁ、大河!」
(大河)「えっ?・・・あっ、・・・う・・・ん」
(貴子の心の叫び)「もう、まったく・・・面倒くさい先生!」
真 (金曜日, 04 11月 2016 17:20)
それでも、他のクラスの桃子のことに、そこまで一生懸命になってくれる英吉が、とても頼もしく思えた貴子だった。
「冬木先生とは大違い!」
英吉を頼りたい気持ちも芽生えていた貴子だったが、突然見知らぬ先生に来られたときの桃子のことを考えると、さすがに認める訳にはいかないと、
(貴子)「それは、担任である冬木先生の仕事だと思います!」
(英吉)「担任?・・・あぁ、そっかぁ、確かにそうだな! で、冬木先生は、なんて言ってるの?」
貴子は、視線を落として言った。
(貴子)「高校は、義務教育じゃないから、来る・来ないは自由! そう言って・・・桃子ちゃんのところに行くとは言ってくれませんでした」
(英吉)「えっ?・・・そっかぁ・・・」
それは、英吉の癖なのだが、考え事をするときは、まるで公園の熊のように、歩き回るのである。
そのモードに突入した。
(英吉)「どうして、冬木先生は・・・う~ん・・・なんでだぁ・・・う~ん・・・」
と、あっちに行ったり…こっちに行ったり…
3往復ぐらいして、英吉は立ち止まり、ぽつりとつぶやいた。
(英吉)「あれっ?ところで、君たちが桃子ちゃんのところに行くという選択肢はないのか? 」
(貴子の心の叫び)「それを、これから相談しようと思っていたんですけど! もう、まったく面倒くさい先生! 」
そして、英吉は、
「う~~~ん・・・」
と、また、あっちに行ったり…こっちに行ったり…
真 (金曜日, 04 11月 2016 17:21)
そんな英吉を見て
(大河)「すみません・・・面倒くさい先生で」
(貴子)「本当にそうね! 面倒くさい! でも・・・氷室君がうらやましい!」
(大河)「えっ? どうしてですか?」
(貴子)「だって・・・生徒のことを一生懸命に心配してくれて・・・うちの担任とは大違いよ!」
(大河)「・・・そうですかぁ」
大河とのそんな会話を交わした貴子はふと思った。
(貴子)「ねぇ、八代井ちゃん・・・氷室君・・・私のこと嫌ってるのかな?」
(八代井)「なんで? そんなことないよ!」
(貴子)「じゃぁ、なんで敬語?」
(八代井)「だからぁ・・・昔からそういう奴なの・・・ 気にしないで」
歩き回っていた英吉が、立ち止まった。
(英吉)「よし! 俺は、冬木先生と話してみる! お前たちは、友達として、今出来ることを考えてみてくれ!」
(貴子)「・・・はい」
(英吉)「おい、大河! 行くぞ!」
(大河)「はぁ? 桃子ちゃんのところにかよ? 意味分かんねーし!」
(英吉)「どアホ! 部活だよ!」
(大河)「・・・だよな」
真 (金曜日, 04 11月 2016 17:23)
英吉に袖口を引っ張られ、連行される大河
「おい、放せよ! カッコ悪いだろー!」
『ここにお前だけ置いていく訳いかねーからな!』
「引っ張んなくても、ちゃんと部活に戻るし!」
『なぁ、大河・・・』
「なんだよ、先生・・・」
『可愛かったな!』
「はぁ? ・・・なんだよそれ!」
『いやっ、全員可愛かったなぁと思ってさ!』
「・・・うん、確かに」
「なぁ、先生・・・」
『なんだよ、大河・・・』
「治せよ! その癖」
『・・・治らねーと思うよ!』
「・・・あぁ、やっぱり」
そんな二人の後姿を見ながら貴子は、ぽつりとつぶやいた。
『すごく男らしい人! カッコ良かったなぁ・・・』
真 (日曜日, 06 11月 2016 00:52)
部活に戻った大河は、直ぐにストレッチを始めた。
英吉から学んだストレッチを、一つひとつこなしていると・・・
何故か、その日に限っては、テニス部女子の練習する声が、妙に気になった。
『そ~れっ!』
『ファイト~!』
「お、おぉ~ テニス部女子! いいねぇ~」
耳を澄ませば、それは体育館の方角からも聞こえてきた。
『モンキーパンチ先輩! ファイトで~す』
『・・・・・』
「あれっ? モンキーパンチ先輩って、あの赤パンの子だよなぁ・・・腹減って声が出ないのかなぁ・・・」
その日の大河が、女子の声が気になるのもやむを得ない話だった。
なぜなら、大河は、1年以上女の子と会話をしていなかったのだから。
これは、紛れもない事実である。
男子クラスの宿命、
登校しても女子と話す機会は、皆無だった。
(女好きの一部のしこった男子を除いて)
2年続けて男子クラスにいたことで、大河の女の子の前での“緊張シー”は、克服されることはなかった。
そして大河は、わずか10分前の出来事を思い出していた。
「可愛かったなぁ、あの女の子達・・・名前なんていうのかなぁ・・・」
大河の頭の中には、貴子、好子、敏子、陽子の顔が思い浮かんでいた。
おそらくは、その時の大河の顔が相当に、にやけていたのであろう。
夢心地の気分を一括する声が飛んだ!
『おい、そこの緑ジャージ!』
「やっべ!」
と、大河が振り返ると・・・
真 (日曜日, 06 11月 2016 00:59)
英吉が、公園の熊のように、あっちに行ったり、こっちに行ったり・・・
「先生! ストレッチ終わったよ! 練習始めよーぜ!」
『・・・・・』
「おい、先生! 聞こえねーのかよ!」
『・・・はっ?・・・なんだ?』
「はぁ? 練習始めるよ!」
『そっか・・・』
「そっかじゃなくてさ・・・今、そこの緑ジャージって呼んだろう?」
『あぁ~ なんか、スゲーにやけてたから、呼んでみただけ』
「はぁ? なんだそれ!・・・練習始めるぜ!」
『練習? あぁ~ ・・・』
「あぁ~ じゃなくてさ! 今日は、コーナーの走り方を教えてくれるって言ったべ!」
『・・・・・』
「・・・だめだ、こりゃ」
そう言って、大河も英吉の歩みに合わせ、二人並んであっちに行ったり、こっちに行ったり。
「なぁ、先生・・・」
『なんだよ、大河・・・』
「気になるんだろう?」
『うん? 何が?』
「・・・桃子ちゃんが無断で学校を休んでいることだよ」
『まぁなぁ・・・』
真 (日曜日, 06 11月 2016 01:04)
歩きながら英吉は、歌を口ずさんでいた。
≪~もう逢えないかもしれない~~~≫
『なぁ、大河・・・』
「なんだよ、先生・・・」
『桃子ちゃんって、どんな子なんだ? 』
「どんな子って? 顔?」
『うん! 可愛いのか? ・・・って、そうじゃなくて! お前と一緒にいると、女好きのエロ教師になっちまいそうだよ!』
(大河の心の叫び)「もう、なってんじゃねーのかよ!」
『なんか言ったか?』
「言ってねーよ! 心の叫びだよ!」
『桃子ちゃんって、真面目な子なのか?』
「うん! すごく真面目で、どちらかと言えば、おとなしい子」
『ふ~ん・・・』
「桃子ちゃん・・・まだ子供の頃にお母さんを亡くしててさ・・・家は、俺んちの近所なんだけど、すっごい大きな家に住んでて・・・、家政婦さんもいるんだぜ! 若くてすっごい綺麗な家政婦さん!」
『なに! 綺麗な家政婦さんだと?』
「うん! あぁ、そう言えば、2組の冬木先生に似ているかも」
『ま、マジか!』
「・・・ってさ、どうしてそっちの話ばっかり、食いつきがいいんだよ!」
『大河が・・・』
「そっか・・・いやっ、先生が喜ぶかなと思ってさ・・・」
『すまねーな・・・大河』
「くらねーよ!」
真 (月曜日, 07 11月 2016 06:36)
「なぁ、先生・・・」
『なんだよ、大河・・・』
「PTA会長って、偉いのかよ?」
『PTA会長? あぁ、偉いんじゃねーの?』
「ふ~ん・・・」
『って、なんだよ? PTA会長がどうしたんだよ?』
「桃子ちゃんの父親だよ!」
『はっ? 中神・・・えっ? この学校のPTA会長の中神会長って・・・、桃子ちゃんは、PTA会長の娘なのか?』
「あぁ、そうだよ! 地元の有力者! 桃子ちゃんには悪いけど・・・俺は、あまり好きじゃないタイプ。 ・・・威張っててさ・・・」
『そうだったのかぁ・・・』
『なぁ、大河・・・』
「なんだよ、先生・・・」
『おかしいと思わねーか?』
「何がだよ?」
『PTA会長の娘が、三日も無断で欠席するか?』
「そんなの、俺には分かんねーよ!」
『冬木先生が、知らないはずないよなぁ・・・』
「さぁな、俺には分かんない」
そう言って、英吉の歩き回るスピードが速まった。
一生懸命に隣を歩く大河。
「なぁ、先生・・・」
『うん?』
「気になるなら、行ってこいよ! 先生らしくねーぞ!」
『らしくない?』
「先生なら、直ぐに行くんじゃねーのかよ! 冬木先生のところにさ!」
『・・・いいのか? 行って?』
「今までだって、ずっと一人で練習してきたんだ! 一日や二日、先生がいなくたって、ちゃんと練習してるよ!」
『・・・分かった、大河・・・すまねーな』
「くらねーよ!」
『悪いーな!』
と、英吉は、大河を残して体育教官室へと走ろうとした時だった。
『あっ、そうだ! なぁ、大河・・・もう一つ気になることがあったんだ!』
「なんだよ?」
真 (月曜日, 07 11月 2016 06:38)
『なぁ、大河・・・』
「なんだよ、先生・・・」
『八代井ちゃんって、可愛いなぁ』
「なんだよ、いきなり!」
『大河の昔の彼女か?』
「はぁ?」
『だって、女の子がたくさんいるところに行って、「八代井をいじめる奴は許さねー!」 って、言ったんだろう? 恥ずかしがり屋のお前にしたら、珍しいと思ってさ!』
「まっ、まぁな~ ・・・なんか、スゲー困っている様子だったから・・・八代井ちゃん」
『そっか・・・てっきり昔の彼女だったのかと思ったよ!』
「ちげーし! それに・・・八代井ちゃんには、ちゃんと彼氏がいるみてーだし」
『ほ~ そうなのか?』
「なんか、“きみ麻呂”っていう彼氏らしい」
『き、きみ麻呂? 随分と古風な名前の彼氏だな!』
「うん・・・うわさ・・・だけどね!」
と、英吉は、また、あっちに行ったり…こっちに行ったり…
『きみ麻呂ねぇ・・・ う~ん・・・』
「なぁ、先生・・・」
『なんだよ、大河・・・』
「行くんじゃねーのかよ?」
『えっ? ・・・おっ! そうだった。 じゃぁな、大河』
「あぁ・・・気を付けてな 先生・・・頼むぜよ~ しっかりしてくれよなぁ・・・」
真 (火曜日, 08 11月 2016 01:48)
辺りは、もう暗くなり始めていた。
「やっべ! もう暗くなってきっちったぜ! 今日は、軽く流して終わりにすっか」
そう言って、グランドを5周した大河。
野球部の照明が、グランドを照らし始めていた。
その灯りの中でクールダウンのストレッチをしていると
『氷室君!』
それは、八代井だった。
「あっ、八代井ちゃん・・・」
『さっきは、ありがとう』
「いやっ・・・俺、すっかり誤解しちゃって・・・ごめん」
『氷室君らしいよ!』
「えっ? 俺らしい? どこが?」
『・・・あと先考えずに、突っ走って・・・』
「それって・・・褒められてんの?」
『もちろんよ!』
「・・・そっけ」
『それでね、明日も桃子ちゃんが休むようなら、みんなで桃子ちゃんの家に行ってみようってなったの』
「そっか・・・」
『氷室君が来てくれたから、みんなに打ち明けられる勇気が湧いたんだ! ありがとうね』
「いやっ・・・う・・・うん」
『ねぇ、氷室君・・・』
「なんだい、八代井ちゃん・・・」
八代井は、少し頬を赤くして言った。
『氷室君・・・私ねっ・・・』
真 (火曜日, 08 11月 2016 12:57)
八代井は、少し温めの湯船につかりながら、お気に入りの曲を歌っていた。
≪放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから 胸を離れない・・・≫
普段よりも長めの入浴に、のぼせ気味の八代井は、湯船の中でゆっくりと立ちあがり、そして浴室を出た。
脱衣所の等身大の鏡が、湯気に曇らされ、ちょうど顔のあたりが、ぼんやりと霞んでいた。
それは、八代井のルーティンであるから、いつものように部屋の窓を開け、そよ風で火照った躰を冷やし、
そして、小さな吐息をついて、こう言った。
『もぉ~ 大河君ったら!』
真 (水曜日, 09 11月 2016 07:15)
『もぉ~ 大河君ったら!』
『どうして、いつもふざけてばっかりいるのかなぁ・・・あいつは』
『あれじゃ、いつまで経っても、彼女なんか出来ないぞ!』
八代井は、夜空に光る“おとめ座”を眺めながら、そうつぶやいた。
そして、ふと気づいた。
『あれっ?・・・わたし・・・大河君って、名前で呼んでる・・・」
その日の夜に限っては、日課の妄想ではなく、放課後の大河との会話を思い出していた八代井だった。
『ねぇ、氷室君・・・』
「なんだい、八代井ちゃん・・・」
八代井は、少し頬を赤くして言った。
『氷室君・・・私ねっ・・・“ハナタカ”だったよ!』
「はぁ?・・・ハナタカ? ??? 兄弟?」
『はぁ? 兄弟??? ・・・って、それは若貴兄弟のことでしょ! もぉ~ ハナタカ!だったの!!!』
「・・・ハナタカ? って、鼻高? 誇らしいってこと?」
『そうよ!」
「なんで?」
『さっき一緒にいた女子たちが、八代井ちゃんはいいなぁ~ って』
「はぁ?・・・なんで?」
『だってさ、あんな場面で、血相を変えて飛んできてくれる男子は、そうはいないよ!って』
「だって、それは・・・、間違っちったから・・・」
『もぉ~!!! それを言っちゃぁ、身も蓋もなくなっちゃうでしょ!」
すると、何を思ったか大河は、「ビートたけし」の代表的なギャグ“コマネチ”のポーズをとって、
「ハナタカ! ハナタカ!」と
『もぉ~・・・真面目に話してるんだから、ちゃんと聞いてよ!」
真 (木曜日, 10 11月 2016 00:45)
八代井は、そんな大河に
『ちっとも変わんないなぁ・・・氷室君』と
「はぁ? なんか言った?」
『何も言ってない!』
『ねぇ、氷室君・・・』
「なんだよ? ハナタカ! ハナタカ!」
『もう、それ、いいから!』
「あっ、そう・・・で、なに?」
『貴子が、言ったの!』
「貴子?」
『そう、貴子! ほらっ、「だれ?」って、何度も聞いてた子!』
「あぁ、あの人・・・で、なんて?」
八代井は、少しだけ乙女チックに
『氷室君って、八代井ちゃんのことが、好きなんじゃないの? って』
「はぁ???」
真 (木曜日, 10 11月 2016 20:32)
八代井は、大河の表情を確認して、そしてこう言った。
『バァ~カ! ちゃんと否定しといたわよ!』
「お、・・・おぉ、そっか」
『うん・・・氷室君って、昔から、あんな奴だから! って』
「あんな奴って? どんな奴だよ?」
『う~ん・・・あんな奴は・・・、あんな奴だよ!』
その時、八代井は思った。
『わたし・・・“あんな奴”が、ちゃんと説明できない』と
八代井は、慌てて話を続けた。
『だって・・・氷室君は、誰にでも優しいもんね! さっきも、私だったから助けに来てくれたんじゃないんでしょ?』
「えっ?・・・」
真 (金曜日, 11 11月 2016 12:58)
大河は、返事が出来なかった。
八代井は、そんな大河の様子に
『氷室君・・・』と、そして、慌ててオチャラケた。
『うっそだぴょ~ん!』と、ウサギの真似をして
『もぉ~、氷室君は、バカがつくほど正直だから、直ぐに顔に出すからなぁ・・・ でも・・・ありがとね、氷室君 嬉しかったよ!』
「あっ・・・う、うん」
『ねぇ・・・氷室君・・・』
「なんだよ、八代井ちゃん・・・」
『また、私が困ってる時があったら、助けに来てくれる?』
「・・・あぁ」
『ホンとに?』
「・・・そんなに、しょっちゅう困んなよな!」
『えっ?・・・そ、それもそうよね』
八代井は、笑った。
『ごめんね、練習の邪魔しちゃったかな?』
「くらねよ!」
『そう、なら良かった! じゃぁね、氷室君」
「あぁ・・・じゃぁね!」
その日の別れの挨拶を交わした八代井は、笑顔のまま振りむいた。
だが・・・何故か直ぐには、一歩目が踏み出せなかった。
そんな八代井は、もう一度振り返ってこう言ったのである。
『ねぇ、氷室君・・・私と一緒に帰る?』
真 (日曜日, 13 11月 2016 06:33)
大河は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で
「はぁ?・・・」
八代井は、そんな大河を見て・・・
『うっそだよ~~~! 慌てる氷室君の顔が見たかっただけだよ!』
「・・・からかうなよな!」
『・・・ごめん』
そして八代井は、それまで以上にもっと大きな笑顔を作ってこう言った。
『あっ、思い出した! 貴子がね、言ってたわよ!』
「なんて?」
『私も困ってる時には、氷室君に助けに来てもらいたいなぁって!」
大河は、困った表情を浮かべて
「・・・や、や、やだし!」
『なんで? 行ってあげなよ!』
「無理だし!」
『だから、なんで? 貴子、可愛いし、氷室君の好みの女の子でしょ?』
「・・・・・」
真 (日曜日, 13 11月 2016 06:36)
その都度、大河の表情が気になる八代井だった。
『もしかして、恥ずかしいんだ!』
「そ、それは・・・ち、ちげーよ!」
『じゃぁ、助けに行ってあげなよ!』
「無理だし!」
『そっかぁ・・・氷室君は、可愛い子とは話せないもんね!』
「そ、そんなことねーし」
『もう、貴子とは友達になったんだから、今度は普通に話せるでしょ?』
「友達?・・・まだ、なってねーし・・・無理」
『な~んで・・・そこが、分かんないんだよなぁ・・・私を助けに来てくれた時みたいに、女の子の前でもビシッと言えるくせに・・・どうして、同級生なのに普通に話せないの?』
「話せるし!」
『敬語で? でしょ!』
「悪いーかよ!」
『早く、大人になりなよ! 氷室君!』
おそらくは、これ以上からかわれるのが嫌だったのであろう。
大河は、逃げる格好を作ってこう言った。
「や、八代井ちゃんだったから、助けに行ったんだし! じゃぁな!」
そう言い残して、一目散に部室に向かって走って行った。
大河の背中を見送る八代井は、こう言った。
『もぉ~ 昔から“あんな奴”なのよね・・・深い意味のない事、言っちゃってさ!』
『・・・えっ?』
『そ、それとも・・・もしかして違うの?・・・ねぇ、氷室君』
八代井は、作り笑顔で言った。
『・・・違くないか! もし、そうだったら、一緒に帰ろうって言ってくれたわよね!』
『早く、彼女、見つけろよーーー! 氷室大河ーーー!』
真 (日曜日, 13 11月 2016 06:39)
窓から見える夜空が、とても綺麗だった。
八代井は、大河との会話を思い出したあと、日課の妄想を始めた。
と・・・
『えっ? きみ麻呂?・・・きみ麻呂ぉ~』
それまで積み上げてきた妄想で、ようやく月明かりに見たきみ麻呂の顔が、その日は、思い出せなくなっていたのだった。
慌てて、目を強く閉じて妄想を続けると、やっときみ麻呂の後ろ姿が浮かんできた。
『き、きみ麻呂・・・』
すると、きみ麻呂のその先に、綺麗な姫が立っているではないか。
しかも、二人の姫が。
きみ麻呂は、二人の姫に近づくように歩き出した。
真 (日曜日, 13 11月 2016 18:58)
『き、きみ麻呂・・・いずこへ行くのじゃ?・・・行かずに、わらわのそばにいておくれ! きみ麻呂よ!』
八代井姫は、慌ててきみ麻呂の名を呼んだ。
だが、その声はきみ麻呂には届かなかった。
二人の姫も、きみ麻呂に近づくように歩きだした。
それまで、五葉松の下に立っていた二人の姫が、月明かりに照らされ、顔がおぼろげに見えた。
『そなた達は・・・』
二人の姫の顔は、見覚えのある顔だった。
それは・・・
貴子と小春だった。
貴子と小春は、綺麗な十二単に身を包み、そして、歩み寄るきみ麻呂を二人で抱きしめようと両手を広げた。
八代井は、慌てて強く閉じていた目を開け、現実の世界へと戻ってきた。
『うわっ! びっくりしたぁ~ どうして? なんで、貴子と小春にそっくりな姫が登場してきたんだろう??? 』
『・・・そっか、今日は放課後まで一緒にいたからだね」
真 (日曜日, 13 11月 2016 19:03)
とても静かな夜だった。
雲一つない空には、無数に輝く星が光っていた。
『すごいなぁ・・・2000年も前の輝きが、いま、私の眼の中に飛び込んできてるのよね・・・」
と、流れ星が・・・
『あっ・・・』
突然の出来事に、慌てて両手を合わせようとしたが、
『もぉ~・・・願い事出来なかったじゃぁ~ん』
『・・・って、いま考えても、出てこないや! 私の今の願い事って、なんだろう・・・』
流れ星の綺麗な光は、既に暗闇の中に消えていた。
それでも八代井は、流れ星を見れたことを、とてもラッキーなことと喜んだ。
『な~んか、いろいろあったなぁ・・・今日の私の大切なこの時間・・・』
八代井は、そう言って、そっと窓を閉めた。
そして、いつものように音楽をかけようとCDラックの前に立った。
『今日は、何を聴こうかなぁ・・・』
と、珍しく、全部のCDを見ていくと、とても懐かしい曲を見つけた。
『あぁ、懐かしいなぁ・・・この曲・・・』
それは、八代井が中学生の時に、同級生たちみんなで観に行った映画の主題歌だった。
オーディオ機器にCDをセットし、ベッドに寝転んで、歌詞カードを手にとった。
前奏が流れ始めた瞬間に、八代井は、中学時代へとタイムスリップしていた。
真 (日曜日, 13 11月 2016 19:12)
(辻)「おい、大河! 映画館に来るの、本当に初めてなのかよ?」
(大河)「うん!」
(辻)「中学3年にもなって、映画に行ったこともなかったって、カッコ悪いなぁ!」
(大河)「・・・う、うん」
(八代井)「ねぇ、辻君!」
(辻)「なんだよ、仲山!」
(八代井)「そんな言い方しなくったって、いいでしょ!」
(辻)「だって、事実を言っただけだぜ!」
(大河)「いいんだよぉ~ 八代井ちゃん・・・俺んち、貧乏だから・・・」
(八代井)「氷室く~ん・・・」
(八代井)「ねぇ、氷室君・・・私の隣で観る?」
(大河)「うん!」
(桃子)「え~ 八代井ちゃん! 私と一緒に観る約束だったでしょ!」
(八代井)「大丈夫! 桃子ちゃんが右隣、氷室君が私の左隣で! ねっ、それならいいでしょ、桃子ちゃん」
(桃子)「そっか! さすがぁ、八代井ちゃん!」
映画も後半になり、感動のシーンが続いていた。
すると・・・
(桃子)「ねぇ、八代井ちゃん・・・隣、大丈夫?」
八代井は笑って、そっとうなづき、左隣を見た。
真 (日曜日, 13 11月 2016 19:17)
そこには、感動シーンに声を出して号泣する大河がいた。
そして・・・
八代井の回想シーンと、ベッドの上で聴いている曲が重なり合った。
≪限られた時の中で
どれだけの事が出来るのだろう…
言葉にならないほどの想いを
どれだけアナタに伝えられるのだろう…
ずっと閉じ込めてた胸の痛みを消してくれた
今 私が笑えるのは
一緒に泣いてくれた君がいたから・・・
一人じゃないから、君が私を守るから
強くなれる もう、何も恐くないよ・・・
時がなだめてく、痛みと共に流れてく
日の光がやさしく照らしてくれる ≫
歌詞カードを握りしめ、聴いていた八代井の頬には、綺麗な涙が光っていた。
そして八代井は、AIの歌声にあわせて、一番好きなフレーズを一緒に口ずさんだ。
≪一人じゃないから、私が君を守るから
あなたの笑う顔が見たいと思うから・・・ ≫
その歌詞に、涙があふれ、八代井は歌えなくなってしまった。
『楽しかったよねっ・・・あの頃』
真 (月曜日, 14 11月 2016)
八代井は、左の頬を濡らしていた涙をぬぐって、天井を見上げた。
目を閉じると、瞼の後ろに“ハナタカ・ハナタカ”と、コマネチポーズでおどける大河が映し出された。
『大河君・・・』
『とんだ勘違いだったけど・・・カッコ良かったよ・・・』
『ありがとね・・・守ってくれて』
八代井は、瞼の後ろの映像が、消えるまで目を閉じていた。
おどける大河の姿が消えると、目を開けて、今度は右側に体の向きを変えた。
すると、その視線の先に、クラスのみんなで撮った写真が見えた。
八代井は、そっと手を伸ばし、大切なものを扱うように写真を持った。
それは、高校1年の時の文化祭の後に撮った写真だった。
真 (水曜日, 16 11月 2016 06:53)
クラスの女の子達が、それぞれの決めポーズで並んでいた。
最後列の右端に八代井と桃子が並び、二人とも「虫歯ポーズ」で“おすまし顔”
その隣には、小春と果南が「指ハートポーズ」で。
『やっぱり可愛いなぁ・・・果南ちゃんも小春ちゃんも』
写真の女の子達は、それぞれに笑顔で、皆、自分の可愛らしさをアピールしていた。
そう、男子クラスの集合写真とは大違いである。
男子クラスのそれは、中央には必ず“ヤンキー座り”で、はすに構える奴が。
メガネを45度に傾け、上目使いで睨みつけている。
さらには、寒さに耐え、学生服の袖をまくりあげている奴。
カメラのレンズに視線を合わせず、なぜか右45度に空を見上げる奴。
コマネチポーズで、足をがに股にしている奴・・・
見るに堪えない写真ばかりだ。
それに引き替え、八代井の視線の先には、
唇に指をあて、アヒル口で決める陽子。
頬に丸ポーズの好子。
猿ポーズで、気取る恵子。
指・手イニシャル文字ポーズで決める喜美子と敏子が。
そして、写真の中央最前列に目をやると、そこには・・・
右手の親指と人差し指でVの字を作り、あごにあてる「バッキュンポーズ」で決める貴子が写っていた。
『・・・貴子』
真 (水曜日, 16 11月 2016 21:35)
八代井は、放課後のことを思い出した。
英吉と大河が去ったあと、貴子を中心に話し合った女の子達は、桃子が、もう一日学校を休むようなら、みんなで桃子の家に行こうと決めて、解散した。
解散したあとに、貴子が八代井を呼び止めて、二人で話したのだった。
『ねぇ、八代井ちゃん・・・』
「うん? なぁに、貴子」
『さっきの男の子・・・』
「あっ、氷室君のこと?」
『そう、氷室君・・・氷室君って、八代井ちゃんのことが、好きなんでしょ? あれっ? もしかして二人は、お付き合いしているの?』
「え~ いきなり何を言うかと思えば・・・好きでもないし、もちろん付き合ってもいないわよ!」
『えっ? そうなの? ・・・だってさぁ、あんなに一生懸命になって八代井ちゃんのことを守ろうとして・・・』
「氷室君って、いつもあんな感じだし、・・・それに、誰にでも優しいんだよ」
『ふ~ん・・・そうなんだぁ・・・わたし、てっきり氷室君は八代井ちゃんのことが・・・本当に違うの? ただの、同級生?』
「ち、違うってば! そう、ただの同級生だよ!」
『だとしたら、・・・すごい人! 氷室君って』
「えっ?」
真 (水曜日, 16 11月 2016 21:49)
貴子は、校庭の方を見ながら、話を続けた。
『だってさぁ・・・八代井ちゃんなら出来る? もし、お友達がいじめられていたとして、あんな感じで、飛んできて「俺が来たから、もう大丈夫だ!」なんて・・・』
「・・・分かんない」
『私なら・・・足がすくんで動けなくなるか、もしかしたら、見て見ぬふりをしちゃうかもしれない・・・もちろん、それが、とても大切な人だったとしたら、話は別だけど・・・』
「とても大切な人?」
『そう・・・とても大切に思ってる人なら』
八代井は、少し考えてこう言った。
「だって・・・、氷室君とはずっとお友達だし・・・氷室君は、お友達には、誰にでもそうする人だから・・・」
『そっかぁ・・・友達思いの人なのね!』
「うん!」
『なら・・・私も困ってる時には、氷室君に助けに来てもらいたいなぁ・・・』
「えっ?・・・」
『だって、私には、あんなふうに一生懸命に守ってくれる男の子・・・いないんだもん!』
「そ、それって・・・」
真 (金曜日, 18 11月 2016 01:06)
貴子は、慌てた表情を浮かべる八代井に
『ねぇ、誤解しないでね! 私も氷室君とお友達になりたいなって意味よ!』
「あっ、う、うん! もちろん分かってるわよ!」
『ねぇねぇ、どうしたら、八代井ちゃんとのように、私とも普通に話してくれるようになるのかな? 氷室君って』
「え~ ・・・分かんない」
『げっ、冷たいの! 八代井ちゃん』
「えっ?」
『嘘よ! ねぇ、八代井ちゃんから氷室君に言っておいてね! 私もお友達になりたいよ! って』
そう言って、貴子は上機嫌で帰っていった。
八代井は、スキップして帰る貴子の背中を見てポツリとつぶやいた。
「貴子・・・氷室君のことが、好きになっちゃったのかなぁ・・・」
真 (金曜日, 18 11月 2016 19:55)
八代井は、手に持った写真を元の場所に戻した。
天井を見上げると、中学時代の想い出の曲は、再生を終え、部屋を静けさが占領していた。
八代井は、もう一度、同じ曲を再生した。
自然と、大河との中学時代の想い出が蘇ってきた。
大河とは、これまで何の意識もせず、お互いにバカをやってきた。
いつも仲良しだった。
ただ、そこに「好き」という感情は、全く無かった。
互いに、男として、女として・・・相手を意識したことがないからだ。
これまで、いろんな事を大河に相談してきた。
大河は、どんなことでも嫌がらずに聴いてくれた。
いつも、必要とするときは、そばにいてくれるものと思っていた。
もちろん、それはこれからも変わらないはずだと・・・
大河をよく知る八代井だからこそ、そう思っていた。
だけど・・・
真 (日曜日, 20 11月 2016 07:08)
AIの歌声が、急に耳に入ってきた。
そう、八代井の好きなフレーズの箇所になったからだ。
何故か、急に胸が苦しくなった。
それと同時に、急に八代井の目の前に二人の姫が現れたのである。
妄想の時間でもないのに・・・
「えっ?・・・」
八代井は、そのとき初めて気づいた。
二人が、何故、姫となって「きみ麻呂」の前に現れ、両手を広げて抱きかかえようとしたのか・・・
その理由がようやく理解できたのだった。
「行かないで! 大河・・・」
「小春ちゃんのところにも・・・貴子のところにも・・・」
そして・・・
八代井は、自分の気持ちを確かめるように、こう言った。
「大河君を好きっていうことじゃないの ・・・でも、誰のものにもならないで! ずっと、私だけを守っていてほしいの!」
八代井は、布団を頭までかぶって、こう言った。
「だって・・・そうでなかったら・・・私・・・辛いもん」
こうして八代井の中に“大河を失いたくない”という気持ちが芽生え始めたのだった。
そして、このことで女の子達の友情が・・・
真 (日曜日, 20 11月 2016 22:56)
大河をグランドに残し、体育教官室に戻った英吉は、すぐに茂子のいる教員室へと向かっていた。
体育教師が、普段歩かない廊下に、幾分緊張気味の英吉。
廊下ですれ違う生徒ひとり一人に「こんちわ!」と、声をかける英吉。
だが、英吉を知らない生徒の中には、英吉のそれを無視する生徒もいた。
茂子のいる教員室の前に立ち、ひとつ、大きく息を吐いてドアを開けた。
「失礼します! 2年10組担任、大塚英吉です! 冬木先生はいらっしゃいますか?」
体育会系と言ってしまえば、それまでであるが、普通、教師が教員室に入る際に、名乗って入ることはない。
そこにいた教員の視線が、全て英吉に集まった。
真 (月曜日, 21 11月 2016 18:16)
英吉のすぐそばにいた教師が、
『冬木先生なら、一番奥の席だよ!』
「あっ、ありがとうございます」
と、その教師は、歩き出した英吉を呼び止めた。
『大塚先生・・・』
「は、はい」
『普通、教師は名乗らずに入ってきますよ!』
「あっ、でも外の壁に「学年・クラス、氏名、用事のある先生の名前をはっきりと」と、書いてありましたけど・・・」
『それは、生徒に言ってることですよ!』
「えっ・・・自分は・・・ 自分は、生徒も教師も変わらないと思います! 挨拶は必要だと思ったので・・・」
その教師は笑った。
『そう言えば、私も教師になりたての頃は、そんなふうに思っていましたけど・・・』
「・・・僕は、ずっとこのまま変わらずに挨拶を続けたいと思います」
その教師は、あざ笑うように英吉を見上げて言った。
『分かったから、冬木先生のところへどうぞ』
「はい、失礼します」
奥に向かって歩き出した英吉の視線の先に茂子が。
茂子は、あからさまに迷惑そうな表情で待ち構えていた。
『大塚先生、どうなさいましたか?』
茂子は、他の教師になるべく聞こえぬよう、小声で尋ねてきた。
「はい、実は・・・、冬木先生のクラスの中神桃子さんのことで・・・」
『えっ?・・・』
真 (月曜日, 21 11月 2016 18:18)
茂子は、
『ここでは・・・』
と、慌てて席を立ち、英吉を導いて廊下へと出た。
廊下に立った二人。
茂子は、鬼の形相で英吉に向かって言った。
『中神さんのことで、私に何の用事があると言うのですか?』
あまりにもの勢いに、たじろぐ英吉であったが、
「は、はい・・・実は、今日、生徒から聞いたんですが・・・中神さんが、学校を休んでいると・・・」
茂子は平静を装った。
『はい。 それがどうかしましたか? 大塚先生には全く関係のないことですよね!』
「そ、そうかもしれませんが・・・うちのクラスの生徒も心配していたものですから・・・」
『大塚先生のクラスの生徒? どのクラスの生徒が心配していようが、それは関係ないことですから! どうぞ、お引き取り下さい』
英吉は、それでも食らいついた。
「いやっ・・・三日も無断で休んでいると聞きました」
『よく、そこまでご存じなんですね! ですが、高校は義務教育の場ではありません! 登校は本人が決めることですよね!』
「・・・冬木先生・・・先生のクラスの子も、うちの生徒もみんな中神さんが心配なんです! 冬木先生だって、心配されていると思いますけど・・・」
『はっ? 私が? 私は、心配などしていませんよ! それは教師の仕事ではありませんから! 教育を受けさせるのは、保護者の責任です! 教師は、生徒の保護者ではありませんし、教育を求める生徒に必要な知識を与えるのが仕事であって、日常の生活、特に家庭のことまで教師が責任を負うものではないと、私は思っていますから! どうぞ、早くお引き取り下さい!』
「・・・冬木先生」
真 (月曜日, 21 11月 2016 18:26)
「綺麗な花には棘がある」
英吉は、その言葉通りの場面に直面していた。
茂子は、鋭い棘を身にまとい、英吉を遠ざけようとしていた。
「美しい花には棘がある」
このことわざは、「美しい女性にご用心」という意味で使われている。
そして、この時の美しい花を、大半の男は薔薇だと思っている。
であるならば、何故、そう言われるようになったのであろうかと疑問が湧く。
薔薇の棘は、昆虫などの敵から身を守り敵を遠ざけようとするためについている訳ではないからだ。
薔薇の棘は、樹皮が変化したもので、芽がのび出したときからもう付いている。
そう、薔薇は、赤ちゃんのときからすでに棘を身にまとっているのだ。
薔薇の棘は、若いときには、茎と同じ色をしている。
棘は、茎の太さを倍近くにふくらませて、茎の働きを助ける役目をしているが、薔薇の一番の敵である虫たちは、棘などまったく気にせず、平気で薔薇を食いあらす。
棘では、虫たちを撃退できないのである。
そもそも、薔薇の原種は、花の色彩や香りで昆虫を引き寄せることによって繁殖してきたのであり、昆虫を遠ざけてしまうような棘を持ってしまえば、自身が滅びてしまうのである。
それなのに、ことわざでは、「美しい花には棘がある」と言われ続けてきた。
薔薇にとっては、全く迷惑な話だ。
薔薇にとって、人間は敵ではないのだから。
ちなみではあるが、サボテンの棘は葉であり、乾燥に耐えるために棘状になっているのであって、これも敵から身を守るためについているものではない。
おそらくは、昔からそうだったのであろう。
美しい女性には、男性を平気で蹴散らす人が多い。
それは、あくまで私見であるが・・・。
そして、蹴散らされることを恐れる男は、決まって言う。
「美しい花には棘がある」
「だから、自分は彼女にアタックしないのだ」と。
男のプライドが、そう言わせてきたのであろうか。
いずれにしても、男の身勝手さから、言われ続けていることわざなのであろう。
鋭い棘で、敵を遠ざけようと睨みつける茂子に、英吉は決してひるまなかった。
「俺は、教師だ!」
真 (月曜日, 21 11月 2016 18:28)
茂子の無責任な言葉に、怒りさえ覚えた英吉だった。
だが、そんな茂子に英吉は、表情を和らげて言ったのである。
「冬木先生・・・何か事情があるんじゃないんですか? もし、自分に出来ることがあるなら、相談にのりますから・・・」
それは、とんだ “かいかぶり” だった。
そして、その英吉の言葉が、茂子の癇に障った。
『私が大塚先生に相談する? 冗談じゃありませんよ! 大塚先生・・・偽善者ぶるのもいい加減にしてください!』
「そ、そんな偽善者だなんて・・・」
『大塚先生は、生徒に好かれる先生になろうとしているのかもしれませんが、私には、まったく興味がありませんから!』
「えっ?・・・」
そこまで言われても粘るのが英吉だ。
言うまいと決めていたことだったが、勢いで口走ってしまった。
「中神さんの父親は、PTA会長だそうですよね! もし、中神さんに何かあったら・・・」
『何かあったら? なんですか?』
「冬木先生が・・・」
茂子は、笑った。
『それは、ご心配いただきまして・・・もし、生徒のことで担任が責任をとれと言われるなら、私は、直ぐに教師を辞めますから! もともと長く教師を務めようとも思っていませんし・・・そんな心配は無用です』
茂子は、その言葉を最後に英吉に背を向け、教員室へと入っていった。
「冬木先生・・・」
真 (火曜日, 22 11月 2016 12:50)
冬木茂子は、大学を卒業して英語の教師になった。
だがそれは・・・、
茂子のそれまでの人生において、唯一の失敗によって辿り着いた場所だった。
「通訳として世界中を飛び回る」という夢を叶えるために臨んだ採用試験。
そこで、唯一の失敗をし、夢を絶たれた茂子は、滑り止めに合格していた教職を就職の道として選んでいたのだ。
そうして教員となった茂子だったが・・・、
諦めずに「通訳」という夢をずっと持ち続けていたのである。
茂子の目標は、同時通訳だ。
同時通訳は、話者の話を聞くとほぼ同時に訳出を行う、通訳の中でもいわゆる花形的な存在である。
他国の言語を即座に、そして正確に訳す能力が必要とされるだけでなく、相手の発言内容をある程度予測する能力も欠かすことができない。
並大抵の努力で叶う夢ではなかった。
真 (火曜日, 22 11月 2016 17:47)
今は、平成28年である。
昭和に育ってきた者にとっては、生きづらいときがある。
インセンティブ
リノベーション
インセンティブ
マイノリティー
オーガニック
オンデマンド
コンプライアンス・・・
普通にカタカナで表現され、テレビでも、知っていて当然のごとく、当たり前のように英語が使われる。
英語が、国際共通語であるなか、また、グローバル化の進展の中で、英語力の向上は日本の将来にとって極めて重要だ。
英語の基礎的・基本的な知識・技能とそれらを活用して主体的に課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力などの育成が、特に重要な時代になった。
日本の英語教育では、特に、コミュニケーション能力の育成についての改善が必要だと言われている。
東京オリンピック・パラリンピックを迎える2020年を見据え、小・中・高等学校を通じた新たな英語教育改革が求められ、事実、小学校から英語の授業が始まっている。
世の中は、変わった。
英語が、話せない者にとってはとても辛い時代になったのだ。
茂子は、「これからは英語の語学力が求められる時代よ!」
と、英語を必死に学んだ。
高校時代、大学時代には、オーストラリアに留学もした。
同時通訳という夢を追い続ける茂子にとって、教師を辞めることは、全く未練のないことだったのである。
茂子の英語は、他の英語教師と比較しても群を抜いていた。
それを自覚する茂子は、自分の能力を、高校生に教える程度のものに埋もれさせたくはないと思っていたのだった。
真 (水曜日, 23 11月 2016 08:49)
茂子に、冷たくあしらわれた英吉は、翌日の朝・・・
「おはよう!」
『あっ・・・お、おはようございます』
英吉は、校門の前に立って、登校してくる生徒たち全員に挨拶をしていた。
高校に入って、教師に校門で出迎えられるような経験のない生徒たちは、いきなり「なんで?」と、驚く生徒ばかりだった。
「よっ! おはよう! 大河」
『おぉ~ 先生おはよう! どうしたの?』
「見りゃぁ分かんじゃん! 挨拶だよ!」
『あのさ、それは誰でも分かると思うんだよ! だから、今日は、なんでいきなり校門の前に立ってんだ?って、聞いてんだよ!』
「なんだ、そう言うことか・・・ほら、昨日の2組の女の子・・・なんだっけ?」
『えっ? ・・・貴子ちゃん?』
「おぉ~ その貴子ちゃんを待ってんだけど・・・、来ないんだよ」
『なんで貴子ちゃんのこと? ・・・って、そっか! 昨日のこと? 2組の担任のところに行ったんだね? そのことだね!』
「あぁ、そうだ! 昨日のことを貴子ちゃんに伝えておかなきゃと思ってさ・・・」
『そっかぁ・・・で、ずっとここに立ってんの?』
「あぁ・・・」
『なぁ、先生・・・』
「なんだよ、大河・・・」
『ここに立っていても・・・無駄だよ!』
「無駄? なんでだよ?」
真 (水曜日, 23 11月 2016 23:18)
大河は、言った。
『たぶん、あっちだよ!』
「えっ? あっち?」
敷地の南側にある正門の前に立っていた英吉は、大河の視線の方角に振り向いた。
すると、その視線の先には、西門から登校してくる多くの生徒がいた。
「げぇーーーーー! あっちかよ!」
『あぁ・・・たぶん』
「早く言えよなぁ!」
『なぁ、先生・・・』
「なんだよ、大河・・・」
『日本語の使い方・・・間違ってるし』
「はぁ?」
『早く言えよな! って、言われたって、どうにもなんねーだろうよ!』
「・・・確かに」
『で、どうすんだよ? もう、ホームルームの時間になるぜ!』
「そっかぁ・・・朝のうちに話すのは諦めるかぁ・・・っていうかさ・・・なぁ、大河・・・」
『なんだよ、先生・・・』
「お前、どうして貴子ちゃんが、西門から登校してくるって知ってんだよ? お前、昨日まで知らなかった子なんだろう?」
『えっ?・・・そ、そ、それは・・・』
真 (木曜日, 24 11月 2016 23:58)
ちょうどその時、チャイムが鳴った。
それは、あと5分でホームルームの時間になることを告げるチャイムだった。
『やっべ! 遅刻しっちまう!』
と、大河は、その場から逃げ去ろうとした。
だが、そんな大河の詰襟には、英吉の右手がしっかりと。
「おい! 待てや!」
『は、はい・・・』
「説明しろよ!」
『・・・そ、それは・・・』
「早く・・・」
しぶしぶと大河は言った。
『だって・・・、彼女は西中出身だから、・・・登校は西門からだよ』
「西中出身? へぇ~ なんで初めて会った子の出身中学を北雄腹中出身のお前が知ってんだ?」
『えっ?・・・そ、それは・・・・・』
詰襟をつかまれ、うつむく大河を、遅刻寸前に登校してきた生徒たちが、横目で見ながら通っていった。
「そっか・・・白状しねーのか・・・分かったよ!・・・大河・・・部活が楽しみだな!」
『えっ? ぶ、部活? しごく気か? 脅すのかよ?・・・それって、パワハラだぜ! 先生』
「俺の辞書に、パワハラという文字はない!」
『・・・って、先生・・・パワハラの意味を知らねーだけだろう?』
「・・・そうとも言える!」
「とにかく、放してくれよ!先生・・・遅刻しちゃうよ」
『おっ!・・・俺もだ!』
二人は、急いで校舎へと向かった。
真 (金曜日, 25 11月 2016 00:01)
大河が、教室に着くと、すぐにバケラッタが近寄ってきた。
そう、野球部の佐藤博一だ。
「おい、大河! 朝から先生と何ジャレ合ってたんだよ?」
『げっ! 見てたのかよ、バケラッタ・・・まいったよ』
「どうした? 何か、やべーことでも見つかったのかよ?」
と、その時、英吉が教室に入ってきた。
『ち、ちげーから! 後で話すよ!』
教室に入ってきた英吉は、普段と様子が違った。
教壇に立ちながらも、どこか元気がなかったのである。
そんな英吉は、点呼が終えると、いきなりこう言った。
「お前たちに、聞きたいことがある!」
『なんだよ、朝からいきなり! 何が聞きたいんだよ、先生』
「うん?・・・あっ、うん・・・あのさ・・・」
『って、なんだよ! いきなり元気なくなっちったけど・・・どうしたんだよ? 先生・・・』
「・・・おぉ」
英吉は、クラス全員の顔を確認するようにながめ、そしてこう聞いた。
「俺は、頼りねー先生か?」
教室が、ざわついた。
『はぁ??? なんだよそれ』
こういう時は、学級委員長がまとめるものだ。
学級委員長の辻が、立ち上がって言った。
『はい! 頼りないです!』
「えっ?・・・そ、そっかぁ・・・やっぱりそうだよなぁ・・・」
クラスの全員が笑った。
「おい、辻! ちゃんと答えてやれよ! 先生、落ち込んでるぜ!」
『そうだな』と、辻は笑った。
真 (金曜日, 25 11月 2016 00:06)
辻は、クラスの生徒全員の笑顔を確認して、英吉に言った。
(辻)「先生・・・嘘だよ! すげー頼りにしてるよ! ・・・俺たち全員な!」
(英吉)「えっ?・・・本当か?」
(辻)「あぁ、本当だよ!」
英吉は、少しうつむいて、つぶやいた。
「でもなぁ・・・」
(辻)「どうしたの? 先生・・・何か、自信をなくすようなことでもあったの?」
(英吉)「あっ、・・・う、う~ん・・・」
(辻)「先生・・・俺たちで良かったら、聞くぜ!」
他の生徒たちも、口を揃えて言った。
「先生、どうしたんだよ!」
珍しく、しょげた顔で英吉は言った。
「ある先生に言われたんだ・・・偽善者ぶるのはやめろ! ってな」
「先生が、偽善者?」
クラスの全員が笑った。
だが、大河だけは、英吉が言った「ある先生」が、誰なのか察しがついた。
「先生・・・」
「笑うなよ~」と、小声で言った英吉は、話を続けた。
「俺はな、高校時代の恩師に憧れて、教職を目指したんだ。その恩師と出会っていなかったら・・・、俺は中途半端な大人になっていたと思う。」
「俺が、教職になりたい気持ちを友達に相談したときに、言われたんだよ・・・教師なんて、偽善者ばかりじゃねーのかよ? 英吉には似合わねーよ! ってな」
「その時、俺は、友達に言い返したんだ! そんなことねーよ! ちゃんと生徒と向き合ってくれる先生だって、たくさんいるんだ! 俺は、絶対に偽善者と呼ばれるような教師にはならねーから!ってな・・・それなのに・・・」
そう言って、話をやめてしまった英吉に、今度は、誠が席を立って言った。
「なぁ、先生・・・」
真 (金曜日, 25 11月 2016 20:29)
クラスいちの“しこりや”を自負する誠が、真面目に言った。
「なぁ、先生・・・先生を偽善者呼ばわりした人が、誰なのかは知らないけど・・・その人は、偽善者の意味を分からずに言ってるんだよ! ・・・っていうか、大塚先生のことをちゃんと理解していないだけだよ!」
『えっ?・・・』
「先生の中にはさ、俺達に勉強しろ!勉強しろ!って・・・それってさ、自分の教えたことが、生徒のテストの結果として高得点となって現れる・・・それで自己満足したいだけの先生だっているよな! 生徒には、本をたくさん読め!と言っておきながら、自分自身は全く本を読まない先生だって・・・俺たちだって、バカじゃないぜ! それぐらい、話を聞いていれば直ぐに分かるさ! でもさ・・・大塚先生は、いつもそうやって「自分は、教師として教壇に立つ資格があるのか」、「自分のような人間が生徒に道徳観や人生観を語っていいのか」って、悩んだり、ずっと学ぶ姿勢を持ち続けてるじゃん! そんな先生・・・俺たちは、知らないぜ! 大塚先生以外はな!」
『・・・誠』
英吉は、それでも尋ねた。
『いいのか? 俺みたいな教師が担任でも・・・俺は、無名の大学を出て、体育の教師で・・・お前たちに、勉強は教えてやれないし・・・』
「あっ、先生! その勉強の部分は頼りにしてないから大丈夫!」
『はぁ~~?』
「勉強は、塾でやってる! 全員! あっ、違う! 大河を除いて! 先生は、勉強よりも大切なことを、いつも俺たちに教えてくれてるだろう? 先生じゃなかったら、俺たち・・・」
『勉強よりも大切なもの?・・・』
「おい、先生、どうしたんだよ! 先生は、いつも言うじゃん! 仲間を大切にしろ!って。 それから、高校でしか出来ない経験をいっぱいしろ!って。 それに・・・先生は、いつも俺たちのことを一番に考えてくれてるし、絶対に嘘をつかないし・・・分からないことは、分からないとはっきり言うし・・・飾らないし・・・そんな人のどこが偽善者なんだよ! なぁ、みんな!」
誠は、振り返りクラスの仲間達をみた。
全員、笑って「先生! 誠の言うとおりだよーーー!」と
英吉は、少しだけ元気を取り戻した。
それでようやく収まると思った。
だが、誠が、ぽつりとつぶやいたのである。
そのことが引きがねとなって、大騒ぎになるとは夢にも思わずに。
「ただ・・・先生の場合・・・」
『ただ? なんだよ? 言ってくれよ、誠!・・・俺に、どこかダメなところがあるのか?」
真 (土曜日, 26 11月 2016 17:54)
誠は、言った。
「ただ・・・先生の場合・・・」
『なんだよ、・・・ 誠』
「女好きで、スケベなところ・・・早く治せよなぁ!」
全員が
「まったくだ!」と
『そ、それは・・・』
「先生のこと、心配してるから言ってんだよ! くれぐれも女子生徒には手を出すなよなぁ・・・先生が、それで首になったら、俺たち、困るからさ・・・」
『・・・おっ、おぉ』
「先生・・・とにかく、自信を失ったまま、俺たちの担任でいるのだけはやめてくれよ! 俺たちの担任なんだからさ!」
『・・・分かった』
と、三度うなずいて、自分を納得させた英吉だった。
だが、急に何かに気付いたように突然叫んだのだ。
『あぁーーー! 思い出した!』
「今度は、なんだよ~~」
『俺に、隠し事をしている生徒がいるんだ! いま、女好きって言われて思い出した!』
その言葉に、一人だけ両手で顔を覆って
「まったく、誠が、余計なこと言うから・・・」と
そう、大河である。
真 (土曜日, 26 11月 2016 22:54)
学級委員長の辻が、席を立ち、
「おい、誰だよ! このクラスにそんな奴がいるのかよ?」
大河が、おもむろに立ち上がった。
「大河なのか? ・・・お前、先生に何隠し事なんかしてんだよ!」
『そ、それは・・・』
辻は、何かを察したかのように
「先生! ちょっとタイム~!」
と、大河のところまで言って、小声で聞いた。
「おい、大河・・・女好きでって、先生言ったけど・・・まさか、あのことをしゃべったのか?」
『しゃべってない!・・・しゃべってないけど・・・』
「けど、なんだよ?」
『先生の前で初めて話した子の出身中学が、どこだって、言っちまったんだよ』
「大河・・・それ、やべーよ!」
もう英吉は、いつもの元気な英吉に戻っていた。
(英吉)「は~い、そこの辻君! 大河君! なに相談してるのかなぁ・・・」
(辻)「あっ、いやっ・・・な、なんでもありません」
そう返事した辻は、もう一度小声で
(辻)「おい、大河・・・どうすんだよ!」
(大河)「どうにもなんねーよ!」
(辻)「話すなら、うまくごまかせよな!」
(大河)「・・・お、おぉ」
(英吉)「はいはい! なんか聞こえましたけど・・・うまく、ごまかせとか・・・」
(辻)「いやっ、そ、そんなこと言ってませんけど・・・」
(英吉)「はい! それでは大河君! 正直に話してもらおうかな」
大河は、うつむきながら言った。
(大河)「か、隠し事なんかしてません!」
(英吉)「おや? じゃぁ、言ってごらんよ! どうして話したこともなかった2組の貴子ちゃんの出身中学を知っていたのかな?」
英吉の言葉に、クラス全員が凍りついた。
「それっ・・・やべーよ・・・」
真 (土曜日, 26 11月 2016)
言葉が見つからずに、もじもじしている大河
そんな様子を見て、教室の一番後ろで、清美が誠に小声で言った。
「なぁ、誠・・・」
『なんだよ、清美・・・』
「先生・・・随分と高いところまで、登っちまったみてーだぜ!」
『・・・あぁ』
「スカイツリーより、たけーぜ!」
『・・・あぁ』
「少し、おだて過ぎたんじゃねぇ?」
『あぁ・・・、そうみてーだな』
「もう、間に合わねーよな?」
『あぁ・・・大河も白状するしかねーべ!』
「・・・そうだな」
英吉の催促が飛んだ。
「お~い、大河君! 正直に言ってもらおうか!」
大河が、クラスの仲間達の顔を見渡すと、誰もが「しゃーねよ!」という顔をしていた。
それを確認した大河は、回りくどい説明ではなく、ストレートに白状したのである。
「先生、実は・・・」
真 (月曜日, 28 11月 2016 00:00)
英吉は、大河がしぶしぶと白状した話を黙って聞いていた。
そしてこう言ったのである。
「なんで、・・・なんで俺のこともすえてくれねーんだよ!」
それは、クラスの全員が恐れていたセリフだった。
(大河)『だって・・・』
(英吉)「だってもくそもねーし!」
(大河)『だって・・・先生に話したら・・・』
(英吉)「もちろん、俺もすえてもらうさ!」
(大河)『でしょ! だから、言わなかったっていうか・・・クラスの誰もが反対するし・・・』
英吉が、教室を見渡すと
全員が大きくうなずいていた。
(英吉)「おめーら! ・・・冷てーし」
(全員)「・・・・・」
(英吉)「出せ!」
(全員)「・・・・・」
(英吉)「持ってんだろう? 出せよ! 大河!」
大河は、このままそれを出さなければ、収まりがつかないと思い、しぶしぶと一冊のノートを出した。
英吉は、大河から渡されたノートを広げて言った。
「おぉ~ なるほどぉ~~ えっ? おぉ~・・・なになに? へぇ~~・・・」
(全員)「・・・・・」
真 (月曜日, 28 11月 2016 00:03)
ノートを満面の笑みで眺める英吉。
教室の一番後ろで、清美が誠に小声で言った。
「なぁ、誠・・・」
『なんだよ、清美・・・』
「やっぱり、予想していた通りだったな!」
『・・・あぁ』
「俺もすえろ! って」
『・・・あぁ』
「本当に、俺たちと一緒に先生もやる気なんかな?」
『だんべな』
「だって・・・あれでも一応教師だぜ!」
『しゃーんめ! 女好きなんだから』
「しかし、困った先生だよなぁ・・・女好きで」
『まったくだ! まぁ、独身、彼女いない歴23年だからなぁ・・・』
「そっか・・・でも、これで教師と生徒が! なんてなったら、まじーよな?」
『そりゃぁ、もちろんまじーよ! だから、先生にばれないようにやってきたんだからな! ・・・おぉ~ 想像しただけでも、これからが心配だぜ!』
「そうだよなぁ・・・」
『先生のこともすえっけど・・・、あとは、俺たちが、先生を見張るしかねーべな!」
「・・・そうだな」
真 (月曜日, 28 11月 2016 00:06)
英吉は、相変わらず“にやけ顔”でノートを見ていた。
そんな様子に、誠が清美に尋ねた。
『なぁ、清美・・・ところでいま、バイオレットは、誰だっけ?』
「桃子ちゃん!」
『相変わらずかぁ ・・・じゃぁ、オピニオンは?』
「鈴ちゃん」
『おぉ~ ・・・って、“くん”じゃなくて?』
「“ちゃん”だよ! “くん”は、シュガーだよ!」
『へぇ~ “ちゃん”になったんだ! じゃぁセーラーは?』
「セーラーは・・・貴子ちゃん」
『・・・アニマルは?』
「もちろん!」
『モンキーパンチ!』
「!!!」
『そっかぁ・・・バラエティーに富んだメンバーになってきたなぁ』
「・・・そうだな」
真 (火曜日, 29 11月 2016 01:11)
生徒達をほったらかしで、ノートから視線を外す様子のない英吉に、生徒達は、教室の一番後ろに全員が集まって・・・
(辻)「もう、ばれちまったのはしょうがない! 大河を責める訳にもいかねーからな!」
(全員)「そうだな!」
(大河)「みんな・・・すまねぇ」
(全員)「くらねよ! 大河」
(辻)「大河も、気にするなよ!」
(大河)「ホントにすまねぇ」
(辻)「で! これからが、大切だ!」
(全員)「そうだな!」
(清美)「まさか、辞めるっていうんじゃねーべな?」
(辻)「まさか! みんなだって、続けてーべ?」
(全員)「うん、うん・・・うん、うん」
(誠)「こうなった以上、先生のことも、すえるしかねーよな?」
(辻)「そうだなぁ・・・あれで、すえなかったら・・・ぐれるよな」
全員、振り返り英吉を見て
(全員)「・・・うん・・・ぐれるな」
(辻)「しかし困った先生だぜ!」
(全員)「・・・まったくだ」
(清美)「すえたら、みんなで見守るしかねーよな!」
(辻)「・・・そうだな」
(辻)「なぁ、誠・・・」
(誠)「なんだよ、辻・・・」
(辻)「今度、何かあった時には・・・あんまり登らせるなよな!あいつのこと! 調子こむからさ!」
(誠)『あぁ・・・今度は、ちゃんと本当のことを言ってやるよ!』
(全員)「なんて?」
(誠)『俺たちだから、担任が務まってるんだぜ! ってな!』
全員
「・・・それが、いいな」
2年10組、全員の考えが一致した。
ところで・・・、2年10組は、クラス全員で何をしていたのか・・・
想像はついているかもしれないが、どう想像しようが、それは決して当たらないような事。
男女共学の学校において、不幸にも男子クラスを経験した者でしか分からないことである。
やもすると、昭和の時代の男子クラスもそうだったのか?
と、思われては、たまったものではないで・・・
これ以上の書き込みは、控えさせていただくとしよう。
ところで、大河が渡したノートは・・・
言うまでもなく、英吉に没収されたのだった。
真 (火曜日, 29 11月 2016 18:50)
一方、2組のホームルームは・・・
最悪の雰囲気だった。
点呼を終えた茂子は、こう言った。
『中神さんは、今日も連絡もなく休んでいますが・・・』
『あなた達には、説明しましたよね! これは中神さん個人の問題だと!』
『私は、言ったはずです! あなた達には、他人のことにおせっかいをやいている時間はないはずだと!』
クラスの誰もが、うつむいて茂子の顔も見ずに聞いていた。
茂子は、それを承知で話を続けた。
『昨日・・・10組担任の大塚先生が、私のところに突然きました』
『そして、中神さんが無断で休んでいることを、私のせいだ! と言ってきました』
八代井が、それに反応した。
「お、大塚先生が、そんなことを言ったんですか?・・・」
管理者 (水曜日, 30 11月 2016 06:30)
サイトが重いので、リレー小説だけ別サイトにしました。
リレー小説別サイト
リレー小説 http://shosetu.jimdo.com/
時の過ぎ行くままに(春) (木曜日, 26 4月 2018 21:53)
「全編」って、タグが見つからず、始めから読めません(^_^;)
はる (木曜日, 26 4月 2018 21:59)
「全編」って、タグが見つからず、始めから読めません(^_^;)